ここの背景画像は「QUEEN」さんらお借りしました。
逮捕歴七回、延べ十六年を獄中で過ごし、殺人未遂で死刑を宣告され(実際は身分の高い貴族ということで肖像画が火あぶりになった)、気が狂ってもいないのに精神病院に十一年間も入れられていた。
放蕩の限りを尽くし、とにかく好色でどうしようもない人間だったが、獄中にいたおかげで時間があり、数々の名作(?)をひたすら書きまくった。そのおかげで「サディズム」という名誉ある言葉の語源にまでなった。
12月2日の晩、若い医学実習生が喘息で苦しんでいる侯爵にシロップと水薬を飲ませてあげると、すぐに静かになった。あまりに静か過ぎるので見に行くと既に息を引き取った後だった。
彼は遺書で「私の遺体は所領の林に埋めてほしい。墓の上には樫の種をまき、その跡が再び林に覆われて、皆が私を忘れるように…」と望んだが、その所領地は既に売却され、父のスキャンダルを恥じていた息子は、精神病院の共同墓地に埋葬した。
彼のおびただしい原稿は、半分は遺族に、半分は警察で分けた。警察が押収した方は「危険文書」と言うことで焼却され、遺族が保管した方は五代目の子孫の代にやっと出版された。もちろん、相当なスキャンダルになり、世界中の人間がサド侯爵の名を知るようになった。
おかげで、彼が死ぬ前に望んだことはひとつも叶われなかった。
サン・ジュストの処刑 |
処刑の前、処刑の邪魔にならないように髪の毛を切ることになっている。サン・ジュストは座って、何も言わずに髪を切らせた。それが終わると、自分から処刑人に手を差し伸べた。処刑人が「まだです」と言うと、
「残念だな」と呟いた。これが彼の発した唯一の言葉だった。しかし、彼の無関心さは変わることがなく、この言葉から連想されるような内心の苛立ちが現われることもなかった。
四時半、護送車は動き出した。他のメンバーが路上の民衆から受ける侮辱に悲しんだり目を逸らしたり驚いたりしている中、サン・ジュストだけは怒りも悔恨も弱さも見せずに民衆の怒りをそのまま受け止めた。その超然とした態度は、高慢とも取れるほどだった。
6時15分、革命広場に到着。サン・ジュストは自分の番が来ると動けないクートンを抱きしめ、ロベスピエールの前を通りながら、一言、感情のない声で言った。
「さようなら」
この世での最後の言葉は、最後には意見を異にしたと言われるが深い友情で結ばれたロベスピエールに向けたものだった。
ロベスピエールはうなずき、サン・ジュストが処刑台の跳ね板に縛られるまでじっと目で追っていた。