昨日新に発生した文豪ワープロのプリンタ不具合は、前述しているが実は今朝の作業で原因が分かり対応した。こんなモノ何時まで使うのかと笑う御仁の声が聞こえそうだが、物持ちの良さと愛着心は容易には崩れない。復旧早々に写真の如くラジオのレタリングを行なった。各ノブやジャックに名称を振り、ダイアルにはローカル局のコールサインを入れた。さて、お年玉年賀状の当選番号が発表されて久しい。放置されたままだったハガキのチェックを行うと4等が7枚あった。これでやっとハガキを片付ける事が出来る。また昨年の6月以来溜め込んでいた缶詰の缶や瓶を整理。ところがその中あった茶筒が何かに使えそうでゴミに出来ない。それで思い切ってハンダゴテ台に変身させてみた。怪しいコテ台を使っての作業は安全上問題があるし、コテ先の管理にも有効だと思う。オンマウスすると見えるが中々の出来だと自己満足。その頃自作ラジオが宇治山田商業と和歌山智弁学園の対戦を伝えていた。その好ゲームについ力が入ってしまった。その後、四ツ居の業務スーパーへ行くついでに足を伸ばし、河増のJA9FS川口OMのクワッドを見物してきた。それにしてもばかデカイ。その他、久し振りに部屋に掃除機を掛け心機一転の一日だった。 |
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富山の氷見に所用があり出掛けた。しらさぎは琵琶湖の強風で遅れていた。10時15分頃乗車、富山の高岡で11時25分頃下車。マイクロバスで庄川の土手を下り約30分。川と別れると海が見えだす、富山湾だ。湾を右に見ながら北上すると反対側に立山連峰が見えるはずと地元の同僚。ところがこの日は船が出せない程のしけ、空模様も怪しく残念ながら立山方向は視界ゼロ。目的地に着いたのはお昼過ぎだった。およそ3時間で所用を済ませ帰路に就く。来た道を戻るのは芸が無いので、来る途中視界に入り気になっていたJR氷見線に乗ってみた。氷見線は高岡までの単線だ。氷見から乗って暫くすると海岸に出る。富山湾の向こう側に立山が見えるんだがと想像しながらの車窓になった。海岸が見える時間はそんなになく、間もなく町の中を走るが気がつくともう高岡だった。写真は氷見駅を出発してしばらくした時の運転席。オンマウスは海岸沿いの眺望。鉄道は見ているだけで旅情をそそる。乗ってみると乗客や駅に車窓、それぞれに生活感があって楽しい。色々に思いを馳せながら16時23分のしらさぎに乗ったが、夢見心地でウトウトすると福井を通過。鯖江往復のおまけ付きで福井着は18時過ぎだった。楽しい一日だった。 |
ラジオを作るなんて何年ぶりの事だろう。子供達に作ってあげたゲルマニュームラジオ。キットで作ったストレートラジオとスーパーラジオetc・・・記憶を辿ると20年近くの間に10台程作っている。その中で気になっていたデバイスがあった。あるキットで使われていたトランジスタ風3端子デバイスのLMF501Tがそれだ。最初はHi-hfeのトランジスタ?と思った位で、およそICとは言い難いシロモノだった。ところが使ってみる大変な能力を持っている事が分った。キットにはICの詳細説明は無かったので全くブラックボックスのままだったが、最近になって内部構造を知るに至った。そして幾つかの類似品もある事も分かった。写真はLMF501Tを使用して製作したAMストレートラジオ。放送局の到着電界に差あると、最強局の分離が悪くなるストレートラジオ特有の癖があるが、慎重に同調操作を行うと各局(JOFG/FC/PR)がアンテナ無でも良好に受信できた。出力にはLM386Nによるパワーアンプを配しスピーカーをガンガン鳴らしている。毎朝、自作ラジオから流れる音楽やニュースで目覚める・・・中々素敵で贅沢な楽しみと言えないだろうか。そう言えば20日の未明、落合恵子さんが「ラジオは軽やかだけど軽んじてはいけない」と唱えていた。 |
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昨日今日と久し振りに福井は晴天。特に今日は気温も上がり絶好の掃除洗濯日和。とこが布団を取り上げたら絶句。万年床の敷布団と畳にカビ。噂には聞いていたが本当だ!。慌てて掃除機と雑巾をかけ誤魔化そうとしたが痕跡が畳に…。部屋の掃除など思い起こせば昨年の11月23日、カミサンが来る時にやったきり。万事がこんな調子だ。窓を開け放ち空気を入替え一日中乾燥を試みた。それに平行して、ゴチャゴチャだったワークスペースの整理を行う。写真がその結果。この週末に製作したブリキ缶の同軸スイッチを右上に設置、HFアンテナ2本とダミーロードを切替える。左上の同軸スイッチ(WELTZ)はトランシーバの切替え用。このスイッチ間にBIRD4410AとRFサンプラ(測定出力用)を挿入。ローターリーエンコーダによるスクローラーはディスプレイ前に堂々と鎮座、DDS-USBでKWM-2AのPTO代り。左下も自作の制限増幅器で入力にDTMFマイク。出力は上段のIC-756とKWM-2Aへ分配。ディスプレイ前に貼り付いた小箱はATUのリモコンSmartLock。右の電鍵は転勤祝いに貰ったハイモンドMK-706。両端のスピーカーはソニー製で入力2系統をミキシング出来る優れ物。キーボードを起こせば食卓に早変わり。これでも単身赴任の城だ。 |
社会教育者で群馬大学名誉教授の永杉先生が2月6日に亡くなられたのを本日知った。98歳だった。 1975年12月、第8回静岡県青年の船の事前研修が山中湖の清渓寮で行われた時に初めてお逢いした。白髪姿はお爺さんにも見えたが、青年の話になると熱弁に変わった。「平凡道を非凡に歩め・・・考え方の違う人間が同じ事をする素晴らしさ・・・永遠のテーマだ」青年達はその言葉に大きな刺激を受けた。私もその中の一人だった。実家近くの清水区杉山地区。先生はこの地を良く御存知で、夜学校を中心とした青年活動は全国のお手本と我々を励ましてくれた。下船した1976年、清水市教育委員会の招きで講演をされた時お逢いしたきりだった。友人達が先生を慕って埼玉のご自宅に押しかけたり、月刊「煙仲間」を発刊したりあの頃が懐かしい。志を共にしていた下村湖人や青年の父と言われ静岡に縁の深い田澤義鋪の話を良くされた。後輩K君が私の結婚祝いに下村湖人全集を送ってくれた。下村湖人の著書「この人を見よ」は田澤が主人公だった。先生を清水に結び付けたのは私の先輩、静岡県青年団連絡協議会の団長だった興津の伏見氏だった。青年の船から32年余、歳月を感じながらも北陸福井から御冥福をお祈りしている。 |
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