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吉本新喜劇  (2001/7/20)

 

関西人には日常の一つであった。今では相当の違和感があるがそれでもその存在は大きい。
何せ私などは小学校から欠かさずテレビで見ていた記憶がある。それは当然のように友達と
の会話の中でギャグが日常化してしまったりと新喜劇が普通に生活の中に入ってきていた。
私達の世代の時の吉本新喜劇が一番面白かったように思う。何せ俳優の強烈な個性のぶつ
かりあいで、少しも休ませずに笑わせてくれたからである。
私が一番好きだったのは岡八郎と花紀京の最強コンビである。花紀京の強烈なボケに悩みな
がらもツッコミをいれる岡八郎の演技のぶつかり合いは、一流の世界の芸人にも決して劣る
ものではないと考えている。それ程吉本新喜劇は我々関西人(特に大阪人)には誇りであった
し、漫才とともに大阪の笑いの大黒柱であった。大好きな俳優は木村進、室谷信雄、高石太、
阿吾寿郎、チャーリー浜さんなどがあげられる。特に室谷信雄の強烈なキャラが大好きであった
が病気で声が出なくなり、人気があったのに引退されたのは今でも残念である。今の辻本茂雄
に似てはいるが、正直足元にも及ばないというところである。今の新喜劇は本当の俳優がいなく
なってしまった。あの強烈な個性が重なり合う中での笑いのハーモニーはもう二度と作られる
ことはないであろう。時代の流れでああいうコテコテの舞台は好まれなくなったのである。
最後に、関西以外の方にはまったく何の話かわからないでありましょう。申し訳ありません。
しかし私は書きたかった。一人の生粋の関西人として大阪人としていかに吉本新喜劇を長年に
渡って、愛し続けてきたかを。

 


 

和菓子  (2001/7/15)

 

私は和菓子には目がない。仕事で京都に長くいたこともあって、仕事中によく購入しては食べて
いた。甘さが控えめなのがよくて、若い頃はケーキ派だったが今は饅頭を食べている方が幸せ
を感じつつある。個人的なお勧めの店をいくつか挙げてみよう。
まず夏にいいのが「二条駿河屋」の竹に入った水羊羹である。これは文句なくおいしい。京都に
は駿河屋もいろいろあって味もまちまちである為注意。二条の味が一番素晴らしい。
次に修学院近くにある「双鳩堂」の饅頭。(ここの品は安くて、しかも全品レベルが高い。)場所
が京都から相当離れているのであまり有名ではないが、おいしい店である。
北野天満宮近くにある「老松」も素晴らしい味を提供してくれる。特に御所車という作品を味わっ
てもらいたい。松尾大社近くの「松楽」も小さい店ではあるが、奥嵯峨というよもぎ餅は癖になる
逸品である。私も仕事にかこつけて何度も買いに出かけた。
京大近くにある「満月」の阿じゃり餅も後を引く味である。餅と小豆のハーモニーが口の中で豊か
に交わる。別にあまから手帖を気取っているわけではないが、うまいものはうまいのである。
それと、同志社大学近くの「俵屋吉冨」の生菓子。一品300円程度と結構値ははるが、食しても
損なし。私は一週間は忘れられなくなるほど感動してしまった。恐らく時期によって作るものは
変わると思うが。見て楽しんで、食して楽しんでと二度楽しめる。
間違っても今やっている祇園祭の高いだけのちまきなど買うものではない。
それと関西以外の方、八つ橋やおたべも美味しいですが、本当の京都和菓子の味は街中に出な
ければ手に入れることは出来ませんよ。ああ、こう書きながら饅頭が食べたくなってきた。

 


 

琵琶湖と水不足  (2001/7/13)

 

今年の梅雨もそろそろ終わりを迎えようとしている。テレビで予想していたようにカラ梅雨で終わり
そうである。例年の半分以下の雨量のようで、今年は最悪の水不足となりそうな気配がする。
以前テレビで今夏の水不足シミュレーションをやっていたが、東京では今年パニックが起こる可能
性があると警告していた。今年の太平洋高気圧は複数の要因により異常に強く居座る傾向がある
とのこと。そういえば昨年も関西には一つも台風が上陸しなかったが、今年も高気圧が強すぎて
上陸できないとの予測も。我々は蛇口をひねればいつでも綺麗な水が出ることに慣れすぎていて
そのことへの感謝を忘れているのである。自然に対する感謝を。
そして関西の人間、特に大阪と京都の人間は琵琶湖に足を向けて寝れないはずである。どんなに
全国的な水不足が来ようとも、我々大阪人は水に関してだけは安心している。それはとてつもない
水の蓄積力を持つ琵琶湖のお蔭なのだ。もちろん給水制限が全くないわけではないが、我々関西
の人間は琵琶湖に全幅の信頼感を持つ。私は大阪人はもっとこの偉大なる琵琶湖に大きな感謝
を表明すべきではと思う。琵琶湖の維持管理に金を払っているではないかという人間もいるが、
とんでもない話である。これから夏の水不足が通常化しそうな気配の中で、我々関西人は琵琶湖
神社なるものを作って拝めたてまつるほどの気持ちをもって毎夏を過ごすべきだと思う。
ちなみに私は決して琵琶湖のある方に足を向けて寝ないように徹底している。今夏も頼むぞ!

 


 

映画館 (2001/7/9)

 

久しぶりに映画を見に行った話をしたが、映画はよく見ているのだ。映画館に久しぶりに行ったと
いうのが正しい説明であろう。
私は映画館が大好きである。実は学生時代は親の知り合いが映画館の支配人であった為、多く
の招待券を毎月たくさん頂いた。お蔭で自分のお金で映画をあまり見た記憶がない。
しかし逆に見たい映画を見に行くのではなく、もらった映画館で上映されている映画しか見れない
のである。これがまた面白い。全く期待せず予備知識なしで見に行って、いい映画を見た時の喜び
はとても大きいものである。そういう映画はもう一度自腹で見に行っていた。
一番好きな映画館が今はなきコマ・ゴールド、コマ・シルバー劇場であった。地域限定な話で申し訳
ないがここは映画の選び方にとてもセンスがあった。また結構吉本の芸人さんもお忍びで見に来
ていた。どうして知っているかというと、短い期間であったがコネでアルバイトをさせてもらっていた
からである。映画好きな人間にとって、映画館でのアルバイトはとても魅力的である。受付でモギリ
をやったり、灰皿やドアを徹底的に磨いたりもした。上映中には映写機の部屋からお客さんをのぞ
いたりして、普通では味わえない経験をした。アルバイト当時、ゴールドでは薬師丸ひろ子主演の
「探偵物語」、シルバーではシブガキ隊主演の「ヘッドフォンララバイ」を上映していた。
ゴールドで映画の上映時間の合間にモギリの場所に坐っていると開始から5分たった頃に桂三枝
さんが入ってきた。サングラスをかけていたが一目でわかった。そして映画が終わる5分前に出て
こられた。あまり人目につきたくなかったのであろうが、最後まで映画が見れない事を気の毒に
思ったりもした。(その頃は三枝さんは売れっ子であったからだろう)
その他の映画館ではかつての梅田花月の地下にあった梅田グランド(ここは期待せずに見に行く
も予想外に得した気分で帰ることが多かった。)、北浜の三越内にあった三越劇場(本当にいい
映画をたくさん見せてくれた関西のミスター名画座であった)、それと何といってもお金のなかった
学生には嬉しかった2本立ての大毎地下である。今でもかつての関西の映画ファンには忘れられ
ない映画館たちである。シネラマのOS劇場も良かったなあ(注:今のOS劇場ではない)
映画はやはり映画館で見るもの・・・・とは思うが1800円はちょっとキツイ。特に最近の映画には
それだけの値打ちのある映画が少ない。でもたまには映画館で別空間に存在するのもいいもの
である。今回の映画は外したが、映画館だけは昔と変わりなく気持ちのいい空間であった。

 

プロ野球 (2001/7/7)

 

なるべくこの話題は避けるつもりでいたのだが、最近プロ野球があまりにつまらなくなってしま
ているので一言いいたくて。
上の色使いを見てどこを応援しているかは察してください。しかし、本当に日本のプロ野球は
面白くなくなりましたよね。視聴率も某金満球団お抱えのテレビ局が危機感を感じているとの
こと。当たり前です、面白くないんですから。
やはりその原因の第一は魅力的で個性的な選手がほとんどいなくなったことだと思います。
その残り少ない個性的な選手がどんどん大リーグに行ってしまうのですから、残りは金太郎
飴選手ばかりになってはつまらないのも当たり前ですね。
私が本気で熱中していた時には個性的な選手が多かったですね。バッティングフォームも
元ライオンズの大田選手や基選手。タイガースの竹之内選手も好きでしたね。また現在の
近鉄の梨田監督などはコンニャク打法で大いに個性を爆発させていました。また、ブレーブス
の山田や足立といった正統派アンダースローピッチャーのピッチングは惚れ惚れとするもの
でした。(今はアンダースローピッチャーはいるのかな?)
また我が愛し滅んだ南海ホークスにも多くの個性派がいました。常にフルスイングの門田選手、
ドカベンこと香川選手など、通用するかなと思いましたが結構活躍して楽しませてくれました。
(滅びる前は今のセリーグの某球団くらい弱かったですけれど。)
第二は見る方が多様化してしまったことでしょう。私はテレビでプロ野球とJリーグの中継があれ
ば、今は迷わずサッカーの方を見てしまいます。
プロ野球は滅びることはないでしょうけれど、今のままではどんどん大リーグに選手が流出して
いってジリ貧になることは間違いないでしょう。私はマリナーズの中継を休日に見るのを今では
とても楽しみにしています。もちろん、イチローが出てなかったら見るつもりはありませんけれど。
(ボソ。ああ某球団はどこか金持ってる企業に身売りしてくれないかな。虎の名前さえ残れば・・・・ハア)

 


 

A.I.  (2001/7/2)

 

本日は休みを取って、話題の「A.I.」を見に行ってきた。
3000本以上映画を見てきた自称アマ評論家の私の評価は「失敗作」の一言。
取り上げた題材としてはとても興味あるもので、どういう展開にもっていくのかを楽しみにして
いた。オープニングから90分くらいまでは70点はあげられる。ただロボットと人間の母親と
の接点をもう少し細かく濃く描くべきであった。為に後半の展開に全く深みがなくなってしまった。
この映画は愛することの素晴らしさを少年ロボットに託し、純粋無垢の愛する行為の美しさを
描くのが主題だったはずである。
この作品の失敗の原因は監督がスピルバーグであったことが全てである。「シンドラーのリスト」
という大愚作を作って以来、スピルバーグの映画は全てにおいて終わってしまったのである。
この映画にはシニカルでクールな演出が必要であった。そういう点では本来キューブリックが
作る予定だったことから考えればわかるはずである。(キューブリックでの作品を見たかった)
スピルバーグは個人の趣味であるディズニー絡みの話を中心に持って来て大甘のストーリー
を作ってしまった。正直うんざりで、最後の40分ほどは眠気に誘われること度々であった。
久しぶりに映画館に見に行ったのにハズレの映画で残念であった。音楽は良かった。
他の方の評価が気になるところである。

 


 

アルバイト  

 

最初は高校1年生の夏休みであった。百貨店の荷物を自転車で運ぶお仕事である。荷物がなくても
重い自転車にてんこ盛り荷物を載せて(といっても一回で13〜15個)、何往復かを毎日行うのであ
る。契約は荷物1個につきン十円でとなっていたので、できるだけ軽い荷物を望んだがそうは甘くは
ない。お中元はビールが多く、大汗をかかしてもらった。タオル1枚でもビール大瓶24本入りでも、
1個ン十円は変わりはないのである。両親のお蔭で何不自由なく生活させてもらっていたので、そこ
で稼いだお金はすべて遊興費として消えた。というよりも、働くことが楽しかったことを覚えている。
(今とは正反対である。)
大学生の時は学業を第一に考える極めて特異な人間であった為、アルバイトは主に夏休み他長期
間の休みがメインであった。私の場合はお金がいくらというよりも働くことが楽しかったので結構楽し
むことができた。(一度だけ酷い目に遭わされた。その為に私は極度の人間嫌いになり、また一生
その三流スーパー(Dエー)を許すことは出来ない。アルバイトの私をゴミのように扱ったのである。)
1日だけのアルバイトも多く経験した。これは何故やるかというと、例えばジーンズ1本、シャツ1枚が
どうしても欲しくてしかも金がない時に必然的に行うのである。そして翌日に速攻に手に入れる。
学生時代の友人は学費を稼ぐ為に働いている者もいたわけだから、ふざけた理由かもしれない。
それでも私にとってはアルバイトは働く楽しさと、それに伴うお金を使う楽しみでもあった。ただ残念
なのは学生時代から野鳥写真をやっていればという思いである。そうすれば時間などあり余る程も
あったというのに。アルバイトのお金も全てそちらに回っていたことだろう。

 


コラム  (2001/6/25)

 

最近、自分でも飽きれるほど書きたくなる。本当はペンを使って書く方が好きなのだが、そんな事も
出来ないので、ひたすらこのコラムに書きまくる。いや、打ちまくるが適当か。
コラムとしているが、その意味が気になったので辞書で引いてみる。「新聞・雑誌で、毎号決まった
所にのる囲み物の短い評論記事」とある。
おや?ちょっと違うじゃないのか、と思う。新聞・雑誌に載せてる訳でもなし、定期的に書いている訳
でもない。ということは何なのだろうか。
個人的な不満の捌け口?無駄口の溜まり場?駄文の墓場?・・・・どれも当たっているから怖い。
新聞や雑誌に掲載されているコラムは多くの人間に見られることを前提としているから、必然的に
商業的な匂いがする。ある意味、仮面をかぶった文章である。
そうしなければ、その内容に否定的な人間からの攻撃が始まってしまうからである。という事からす
ると、極めてつまらない文章がコラムということになりはしないか。やった、ここにようやく私のページ
内容との合意点を見出すことが出来たのである。めでたし、めでたし。
とにかく今はいろんな事について書きたい。とにかく泉が湧くが如くにどんどんと溢れてきてしまう。
長い文章は不得手なので、ちょろっと文章がこれからもマシンガンのように続くだろう。
このコラムを読んでいる方はほとんどいないだろうと安心している。そうでなければこんなに好き勝手
な事は書けないであろう。
私は誰にも読まれていないことを前提にこれからも書き続けていこうと考えている。ですから万が一
読まれている奇特な方がいらしゃっても、本人にはその感想を決して伝えないようにしてください。
そんな事になれば緊張して何も書けなく・・・・・・なることはないでしょうけど、少しは内容を考えてし
まう。だから無視が一番ですよ・・・・・・・さあ、どんどん書くぞ!!

 


 

阪急電車  (2001/6/23)

 

大変ローカルな話で申し訳ないが、私は私鉄の阪急沿線で生活している。JRなどは余程のことがない
限り使わない。
関西以外の方には申し訳ないが、この小豆色をした極めて地味(好きな者に言わせれば上品)な電車
が学生時代から現在、社会人の通勤としてまでずっと欠かせぬものとなっている。
私は京都線の人間なのだが、知人に言わせれば阪急の沿線のトップは断然神戸線だそうである。
彼は神戸線に住んでいることに異常なプライドを持っていて、ケッ!京都線か。何、宝塚線など問題外
だと極めて比較発言をする。その彼に言わせると、阪急沿線に住むというのは関西で生活する上での
ブランドだということで、他の京阪や南海沿線など笑ってしまうとこれまた極めて比較発言をする。
私は阪急がたまたま私の住んでいる所に線路を引いているだけであって、そんな高慢ちきなプライド
や使用している電車で比較するなど考えたこともない。
しかし、これは彼だけではなかったのである。他の阪急沿線に住む方にそれとなく聞いてみると彼ほど
極端ではないか、そうした感情を皆さんが持っていた。さらに驚くべきことに、京阪や南海沿線に住む
方が多分に阪急沿線に対して引け目をもっておられるのである。
大阪の駅はなんばや淀屋橋ではなく絶対的に梅田だということ。(他地域の方にはわからない話で・・・)
私は元来、天邪鬼であるからそういう話を聞くと、阪急のアラを探してしまう。何と言っても気に入らない
のがプリペードカードであるラガールカード。これは阪急がキセル対策の為に開発し、今では関西の
私鉄全域にエリアを広げた。しかし、このカードはプリペードなのに何のメリットもない。テレホンカード
なら1000円で105度数使えるのに、このカードは5000円を購入しても使用できるのは5000円であ
る。これは開発した阪急が決めて他の私鉄に波及したのだから、阪急の責任である。
5000円をまるまる使わないリスクを負って購入している顧客に対して全くオマケなしとは、おかしいん
じゃないだろうか。これはサービスではなく、阪急の一方的な欲望の押し付けである。であるから関西
の皆さんはもっと声高の文句を言うべきである。
それに、この3月からの京都線のダイヤ改正は最悪であった。顧客のニーズを反映したというが、当方
の駅に特急なんて止まらせなくてよい。私は京都線の特急電車が座りにくくて大嫌いなのである。
また、急行なのに高槻市から河原町まで各駅停車というのはなんなんだろうか?
大変ローカル色の濃い話になって、他地方の方には何のことやらでありましたでしょう。とにかく、阪急
沿線に住むことにプライドを持つ変な人間が関西にいるというお話でした。お粗末。

 


 

アメンボ  (2001/6/17)

 

今日たまたまテレビでアメンボの特集をやっていて見ていました。何と知らないことばかりで純粋に
感動してしまいました。いつも見ているアメンボでも本当の姿を全く知らなかったんですねえ。
まずアメンボの名前は感じで書くと「飴坊」。つまり臭線より捕まると甘い香りを発するとのこと。これ
は知っておりました。さらに種類によってこの匂いが微妙に違うとのこと。(知らなかった!)
次にアメンボは体から出す油を足先にある毛につけて水に浮かんでいるとのこと。それが実験で水
に洗剤を入れると沈んでしまったのです。彼らは都会で姿を消していくのも当然だったですねえ。
(目からウロコ。)アメンボは当然浮かぶものだとしか見ていなかった私はなんて探求不足の凡人か。
餌は水中に落ちてくる虫等から体液を吸う事は知っていましたが、口には2本の管があって一方で
消化液を送って溶かし、一方でそれを吸い上げる効率的な食事方法を取っていたとは初めて知り
ました。それとアメンボはカメムシの仲間であるとのこと。臭線があることから当然でしょうが、姿か
らは判りませんでしたね。最後にアメンボを飛ばせていました。生まれてこの方アメンボが飛ぶなん
て考えたことがなかっただけに、テレビと判りながらも「あ、飛んだ!」と叫ばずにはいられませんで
した。羽はもっているんで飛ぶんだろうとは思ってましたが、ひょっとして退化していて飛ばないんじゃ
ないかとも考えていました。素直にガガンボのように飛ぶ姿に感動です。
「僕らはみんな生きている」という歌をご存知ですか。「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって」と
アメンボが登場します。実はこの歌のアメンボの箇所は最初はイモムシだったとのこと。歌手がイモ
ムシが嫌いだとのことで、急遽アメンボに変えられたとのこと。おまけに変えた作詞者がアンパンマン
の作者のやなせたかし氏とのこと。知らなかったですね、判らなかったですねえ。アメンボを私は結局
何にも知らなかったんですねえ。もう一度生き物達を勉強してみようかと思っている今の私です。

 


 

ホームページ  (2001/6/14)

 

もうすぐ当ページの入場者数も10000カウントに達しようとしている。何と5000からは約4ヶ月での
到達となる。このことは多くの固定客になって頂いた皆様のお蔭であり、感謝感激でいっぱいである。
そもそも私はどうしてホームページを始めたのか。
それは・・・正直言って明確には思い出せないのだ。生粋の機械オンチである私がパソコンを購入した
のもどうしてかも思い出せない。一言でいえば勢いで購入し、どうせならホームページも作っちゃえ的
な極めて軽薄なものだったと思う。
写真だけは11年撮りためたものがあったが為に何とか形を取り繕うことが出来たのだが、何度も言う
がまるっきり機械オンチの私には開設当初は継続することが、ある面苦痛であったことも確かである。
生来、ナマケモノ的飽きっぽさなら天下一の典型的B型の私が野鳥写真と共に継続できたことは奇跡
だといっても過言ではない。
ですから何時まで続くかわからないといったところが現在の心境である。御入園者からの反応が感じ
られなくなった時が終園と考えてはいるが、掲示板の近頃の活況を見るにつけ今のところやる気満々
である。常に多くの方に満足して頂きたいという関西人的気質が結構出ているのでは。その一方では、
コラム等の文章にアクが強く出すぎていて結構拒否反応を示される方もあると聞いている。
やむを得ないことである。このホームページほど自分勝手でいい加減なものはないのである。何せ更新
がやたら多いのは作っている本人、つまり私を一番楽しませるにはどうすれば良いかを常に念頭に置き
ながらこのホームページを運営しているのだから。全くヒドイ話である。ヒドイ人間、ひどいページである。
しかし、このページを開設したことで知らなかった多くの方とコミュニケーションを取ることができた。一部
の方は実際お会いしたことがあるが、ほとんどの方はページまたはメールでの会話のみである。
これからもたくさんの方と語り合うことが出来れば。それこそが今の私のパワーである。
皆さん、ありがとうございます。そして今後とも呆れず、見捨てず、根気よく付き合ってやってください。

 


 

携帯電話  (2001/6/10)

 

フィールドノートで私が携帯電話が大嫌いなことを書いたが、明確な理由を示さないままでは喜んで
使用されている方には納得できないと思い、ここに表明しておこうと考えた。
私は携帯電話が出始めた頃から極度の拒否反応を起こした。その最大の理由は理不尽にも他人
のつまらない一方通行の話を聞かされる苦痛である。かけている人間はまだ携帯を持っていること
を自慢できる時期であったのでやたらに電車やバスで大きな声で下品な声を響かせた。
私は何度NTTや新電電等を苦痛を与えた罪で訴えようと考えたかわからない。一方の使い勝手が
他のどれだけ多くの人間に我慢を強制させているかを電話会社は考えるべきである。それとも当然
のことでも思っているのであろうか。憤りさえ感じる。
次に我慢ならないのが着メロという聞くだけでむしずの走る電子音である。電車や喫茶店、映画館
でも流れる持つあの本人だけが満足するここ数十年でも最低の音楽である。いや、音楽とは音を楽
しむものであるから、「音苦」とでもいえばいいのか。
あれを聞かされるたび、私の中の大魔神がどんどん大きくなり思わず怒鳴り散らしたくなるのを我慢
することが、どれだけ精神的にきつかったか。今はメールが全盛のためにこの音苦は減ってはきて
いるが今でも我慢できない代物である。
さて、今はメールが全盛で音的な苦しみは弱冠減ってはきているが、どこでもメールを打つ醜い姿を
見せられるのは我慢できない。最近、ほとんどの女性が電車の中で熱心にメールを打っているのを
見かけるが、ああして常時打っていないと死んでしまうのかと思うほどの熱心な姿は異常である。
携帯で話したりメールを打つことはコミュニケーションを広めたとの解釈があるようだが、私は全く
逆の考えを持っている。携帯の普及がコミュニケーション不足と異常な人間関係を作っていると思っ
ている。例えば本当に大事なことを伝達することとくだらない意味のない馬鹿話の明確な境がなくな
ってきており、それを口頭で的確に他人に伝える能力を劣化させてしまっている。
またメールでも絵文字等極めて変則的な会話を文字にすることで、実際にまともな文章が書けない
人間が増えてきているように思う。
今の時代、私のように携帯電話を持たない人間は変人あつかいされるようであるが、私から見れば
当然のように使っている人間こそ携帯にうまく扱われている哀れさと、電話会社を儲けさせる為に
一生懸命働いて次々金をつぎ込んでいる顔のない滑稽な姿としか写らない。
携帯電話をこれ以上進化させる危険性を誰も主張しないのは、とても心配である。
今日テレビで私のように携帯電話を持たない正常な25歳の女性が出ていた。その女性はこう話し
ていた。「だって携帯持っていたらいつも捕まるでしょ。それが嫌。」
この言葉の裏にある怖さを感じ取ってほしい。

 


 

自転車  (2001/6/9)

 

今の流行は折りたたみ自転車とマウンテンバイクのようである。しかし今の私は自転車に乗らない。
高校生まではほとんど移動する場合には自転車を使っていた為、とても大切なものであった。
初めてン段変速なる自転車を買ってもらった時の嬉しさは今でも忘れられない。今の子供達から
見れば、何あのダサダサのデザインはと言われること必至の自転車である。(同世代の方には
おわかりかと思うが)
その自転車を手に入れた時、とても馬鹿な実験を一人で行った。家から出て右・左・右・左と進めば
どこまで行くのだろうかという実験である。とにかく朝始めに家を出発したのだが、気の弱い私は
隣町まで行った時点で断念した。おまけに帰りは逆に左・右・左・右と行けば、家に帰れるだろうと
踏んでいた予想が外れてとんでもないところに行ってしまい、結局泣きべそをかきながらもやっと帰
れたのは夕方の5時過ぎであった。
たしか小学校5年生ぐらいだったと思うが、あの頃の私は疑問に思ったことはすべて実践するガキ
であった。それがどんなにつまらない事であっても。
とにかく遊ぶ時には自転車が私の側にいつもいた。今はカメラを抱えて歩くことに楽しみを覚えてい
る私であるが、またいつか自転車遊びに夢中になる日が来ることを信じている。
私の子供の頃の思い出にはいつも自転車が側にいてくれた。自転車はワクワクさせる遊びの道具
であり、またバイクのようにヘルメットをかぶらないだけ、風をより感じることができる唯一のもの。

 


 

メガネ  (2001/6/7)

 

視力が落ちてメガネをかけるようになったのは中学校2年生であった。とてもメガネをかけることに
劣等感的なものを持っていた覚えがある。メガネ=ひ弱という気持ちがあったのだろうか。
学生時代、家では極力メガネをかけなかった。それほど視力が悪くもならなかったからであろうが
何か抵抗感があったのだと思う。
大学では弱冠の色つきサングラスをかけていた。どうも人間の顔を見るのも見られるのも苦手な
ことから極力そうしたシチュエーションを避けていた理由による。
私がメガネを好きになったのはここ数年である。自分の顔がのっぺりとしてメガネがなければ特徴
のない私の顔はどうしようもないことに気がついたからである。
そして今6つのメガネを使い分けている。会社では常時かける本命と予備が1つ。家でかけるのが
1つと医者に出向く際の1つ。そして撮影に出向く途中にかける度付きサングラスと撮影中の1つ。
メガネは今や私にとってなくてはならないものとなった。パソコンを始めてから弱冠視力が下がった
が、それでも学生時代とそれほど変わりがない。お蔭で古いメガネでも使用できるのはありがたい。
たった一つ困るのは、今のメガネの流行である。やたらに細く、小さくなってしまって顔の上品に大
きい私には似合わないのだ。また野鳥等の撮影のため、四方八方に目を光らせなければならない
私の目からレンズが対象外になってしまうことがよくある。
だから密かに私はトンボメガネをよくかけている浜崎あゆみを応援している。時代のリード役といわ
れる彼女がメガネの流行を変えてくれるのではないかと考えるからだ。
とにかく今の私はメガネが好きでたまらない。コンタクトレンズをつけて伊達メガネという手もあるが、
元来なまけ癖の強い私には無理な相談である。

 


 

価値観 (2001/6/2)

 

今日、能勢電鉄の写真を撮っている複数の方に出会った。私は野鳥でも撮っているのかなと思い、尋ねた。
「何を撮っておられるんですか。」「電車。」ぶっきらぼうな返答ではあったが、こちらはなるほどと思いながら
その場を後にした。何だ、電車か。待てよ、私達野鳥や昆虫、植物を撮っている人間なども電車を撮っている
方から見れば「何だ、鳥か。」なのである。当たり前のことなのであるが、目からウロコ状態になってしまった。
いくら熱心に撮影していても相手の価値観が違ってしまえば、全く関心を持ってもらえないものとなってしまう。
私も本屋の写真コーナーで、写真集を見るにしても関心のないもの例えば人物やスナップといったジャンル物
は触ろうともしないのだ。
私は写真が好きな気持ちより、自然が好きな気持ちの方が割合が大きいといえる。だから野鳥写真がたとえ
撮れなくても観察さえできれば欲求を抑えることは出来る。
しかし、知人の桃井氏の場合は(例えで使って失礼します。)写真が撮れない日があるととても大きなストレス
となっておられる。これは氏の野鳥写真の占める割合が、限りなく100%に近いからであろう。
同じ野鳥写真を撮っている二人でもこれだけ写真への価値観が違ってしまうのだ。
価値観を同じくするものと行動することは気持ちのいいものだ。しかし、全く違うものに対して徹底的に批判す
るのはどうかと思う。それが正に私である。それぞれの価値観を尊重し合うことが大事だと今日ふと思った。
思っただけで実行できるかどうかは、別である。(人間は基本的には変わらないものである。)
よく言うでしょう。「馬鹿は死ななきゃなおらない」
それが私であります。