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管理人のつれづれ8

 

管理人は結構文章を書くことが好きである。
そしてつまらないことをとってもつまらなく書くことが大好きである。
そして私的なこと、思ったことを書きたいが為にこのページを作ってしまいました。
書くことに自己満足する為だけのつまらないページです。
おそらくどうしようもない事を書いていると思うのでここで引き返されることをお勧め
します。

 

 

ネタ  (2002/2/3)

 

寿司のネタではない。手品のネタではない。「寝る」の過去形でもない。最初に言っておきます。
私のホームページのコラムは多種類に分かれており、とにかく読む方にとってはいい加減にしてくれと思わ
れる位にやたら多い。この管理人のつれづれも恐らく今年末にはパート14は軽く越えそうである。初めて
こちらのHPに来られた方は最初から読み返そうなどとは決してお思いにならないであろう。
とにかく書くことが昔から異常に好きな私であるから、ネタさえあればすらすら文章が出てくる。やっと出て来ま
したが、このネタについて述べてみる。常連の知り合いからは、このつれづれは前のネタと全く違う予想でき
ないネタが来るので、読んでいてあきないと言う評を頂いたことがある。そうなのである。季節的なネタもある
ことにはあるが、前後に全く脈絡のない独立したものがほとんどだ。さてネタはどうやって決められるかだが
気まぐれの一言である。もちろん、ネタのストックはどうにも思いつかない時の為に確保しておく。(常時約50)
しかしながら、そのストックしたネタを書く割合は少ないのである。何故なら、最初からテーマを決めて書くこと
は余り得意ではない。文章についてもその場の思いつきで唐突に書いた方がましな場合が多いのである。
しかし、この管理人のつれづれを書いていて困ることが二つある。一つは、撮影仲間と雑談している時に、話
のネタが被ってしまうことがある。撮影仲間は何とこのつれづれを熱心に読んでしまうものだから、口には出し
てみたものの、途中で知っていることに気付いてムニャムニャと尻切れトンボに会話が止まることが最近は
多い。その上、この会話での中でも自然とコラムのネタ探しをしている悲しい私がある。先日書いたインスタン
トラーメンも、桃井氏との会話から戴いた話である。寒い淀川で震えながら野鳥を待っていると、こんな日は
コンロでも持って来て、コーヒーを沸かして飲むとおいしいやろなあ、との話がありそこからキャンプでラーメン
を炊いたら美味しいよなあいう話に移っていった。その時、密かに戴き!と思う。振り返ってみれば悲しい。
二つ目は、管理人である私が丸裸状態になりつつあることである。何故なら、普段の服装や好み、考え方や
傾向等々を含めて全て書き込んでいるからである。これはある種一番辛いかもしれない。例えば、未だお会い
していないHPの常連さんと初めて会ったとする。その時点で相手方はほとんど私のことを知っているのである
から私は身構えてしまうし、会話しようにもHPのコラムと被らないよう注意深く話さなければならなくなるであろ
う。相手方は心の中で、「管理人さん、あんたのことは何もかも知っているよ。フフッ」ということになりかねない。
だからこの管理人のつれづれを書き込む量が増えていくにつれて、HPの常連さんとは会いたくないなあと思っ
てしまうかもしれない。知られることを判りながら、書き込んでいる私は既にどっぷり中毒状態であろう。
もし、私に書いてほしいネタがありましたら御連絡ください。もちろん、書けるものと書けないものがありますか
ら、最終的な選択権は私にありますがね。折角ですから、リクエストをお受けします。(フフッ、これでネタ作り
が一部助かる・・・・とは思っておりませんよ。何せ与えられたテーマで書くのは苦手なものですから。)
しかし、ネタをネタにするとは、我ながら・・・・・・・・

 

 

 

粘る (2002/2/1)

 

本日、たまたま地上波を見ていますと、NHKで滋賀県湖北町の野鳥達と人間の触れ合いなるものを番組で
やっていた。何気なく見ていると、同じようなカメラとレンズを持ったカメラマンが毎年やってくるオオワシを
狙っていた。ああ、三脚と雲台が貧弱だなあとつまらないところに集中していたところ、ナレーターが撮影する
為に3時間経った頃、ようやくオオワシが飛んだ・・・・と言っているのを聞いて凄いなあと感心してしまった。
3時間も粘れるなんて、何と凄い奴なんだと関心してしまった。野鳥撮影というのは、実は忍耐と粘りが一番
と言われるほどに厳しいものである。何せ、被写体がいないことにはどうにもならないからである。しかし、
そうした野鳥撮影における日本一非常識な人間は誰あろう私だと確信している。とにかく粘ろうという気が
全くない。基本的に野鳥撮影は午前中。しかも、知り合いに会わなければ2時間弱でとっとと帰ってしまう。
例えシャッターを押すことが出来なくても、別段悔しいとも思わない。私の撮影マナーにブラインドを使わない
とあるが、この半分はブラインドに入って何時間も粘るなんて、私にはとても出来ない芸当だという理由も入
っているのだ。とにかくあきらめが早くて、自分でもあきれてしまうことがある。何て淡白な気短な男なんだろ
うかと我ながら感心してしまうことも一度や二度ではない。
今まで生きた中で粘ったとか、我慢したという記憶もあまりない。だから私が嘗て野鳥撮影で京都・深泥池の
淵で毎週4時間以上も椅子に坐っていたのを見ると、傍目からは何と熱心な撮影者だと思えるであろう。が、
実際は本を読んだり、風景を楽しんだり、居眠りしたりとほとんど野鳥に集中することはない。そして一旦近く
に来た野鳥が離れていったからと言って、カメラを持って追いかけようという気持ちも全く持ち合わせていない
のである。野鳥を撮影されている同志の皆様からはこれを読んだだけで、あきれてしまわれるかもしれない。
また、いい加減なと怒られる方もいるかも。こんなふざけた、極めて不熱心な撮影者が写真集まで出すのだか
ら本来は許されないことかもしれない。
他のHPでフィールドノートでの撮影の熱心さを読ませてもらうと感心することしきりである。ブラインドに朝から
夕方まで入って、ケアシノスリを狙ったというのもどこかで見たが、私には信じられないし、想像もできないこと
である。いや修行か罰かとさえ思ってしまう。これからも死ぬまでこの淡白さといい加減さで生きていくだろうと
思っている。が、この文章を書くうちに、ひょっとして私は野鳥撮影に関しては不適格者のような気がしてなら
ない。こんないい加減な人間に野鳥がよく近づいてくれるのも不思議である。死ぬまでに一度でも粘りというも
のを体験したいと思う今日この頃である。ただし、野鳥撮影に関しては永遠に不可であると断言しておく。

 


 

嘘つきは□□の始まり  (2002/1/31)

 

ある東京に住む親子のある日、ある場所での会話。
子供「僕、この家の子と友達なんだ。」
母、ニコニコしながら「そう、大きなお家にお住まいのようね。お父さんはどこかの会社の社長さん?」
子供「ううん、外務省とかいう大きなお役所に勤めてるんだって。」
途端に顔を曇らせながら母「ここの子と友達だなんて他の人に話してはいけませんよ。いいわね。」
子供「どうして。パパはとても大事なお仕事してるって自慢してたよ。」
母、ささやくような声で「ここのパパはウソをつくのがうまいのよ。何て言ったって、職場で鍛えているんだ
から。それにね、ここのお父さんの職場は違った意味で大きな仕事をしているんだから。」
子供「違うってどういうこと。僕、わかんない」
母、少し怒りながら「ここのお父さんの職場はね。家のパパが働いて納めた税金をちょろまかして生活
している、悪い人達の集まりなんですよ。」
子供「そうなの、僕ちっとも知らなかったよ。」
母、ちょっと得意げにほら、ことわざにもあったじゃない。嘘つきは外務省の始まりだって。あら、違った
かしら。」
東京の外務省役人の住む家近くでこうした近隣の親子の密かな会話が交わされているとか、いないとか。
また、先日の中学校の試験でタイトルの設問があったところ、枠が2つなのにはみ出してまで外務省と
書いた学生が多数出たとのこともあったとか、ないとか。(その答えに先生は◎をつけたとか。)
さて、田中外務大臣がやめさせることが出来て、また外務省のやりたい放題が復活するのでしょうか。
田中さんは大臣としては素人同然だったのかもしれません。が、その素人さのお蔭で我々はいかに外務
省の役人が平気でウソをつけるのか、そして税金を自分のものだと考えていることを我々に見せてくれま
した。野上前次官は近い内に確実に地獄で舌を抜かれることでしょう。それと坂田利夫さん似のお間抜
けな議員さんも。(似ていると揶揄される坂田師匠が可哀相でしょうがありません。)
これだけ国民を愚弄している人間達が三流芝居をしているのに、誰も何も言わない日本に未来は・・・・・

 


 

インスタントラーメン  (2002/1/30)

 

私はやはり袋物が好きである。カップものは食べるのに余り無駄な労力はいらないが、オリジナリティがない
のが少し面白くない。私のように庶民代表の人間にとって、どれだけ多くのインスタントラーメンが口を通った
ことであろう。とにかく休日の昼食は今でこそいろいろなバージョンで食べる種類も増えてはきたが、小さい
頃から学生まではインスタントラーメンに大変お世話になった。(もちろん、今でも食べるんですが。)
個人的な好みで言うと、サッポロ一番みそラーメンと塩ラーメンが一番口に合います。それとしょうゆ味では
明星のチャルメラですね。最近は見かけなくなったが、大好きなのがマルタイラーメン。福岡のメーカーだと
思うのだが、そうめんを太く棒状にした麺が2人分入っていた。最近、桃井氏に聞いてみると食べたことが
ないとのこと。このラーメンのスープの独特なこってり感と麺の食感が最高だったのだが、どなたか知りません
か。それとこのメーカーの出しているとんこつ味関係の袋物も大好きである。これに正月より残っているお餅
を煮込んで、キャベツをしなっとさせて食べたら最高なのである。今はあるのか知らないが、以前にヤクルトが
出していた緑色の麺のクロレララーメンが結構いけていた。緑色というのが万人には受けなかったようである
が、マイナーなりの個性は十分出ていた。それと10年以上も前にあったカレーラーメン。メーカーはハウスか
エースコックのどちらかであったと思う。このカレーラーメンは我が家では異常に人気があった。結構こてこて
の味でスープが完全に溶けず粒状に固まることもよくあって、このB級的な食感が我が家では大好評であった
が、世間では受けなかったのか姿をいつの間にか消していた。最近、ハウスでカレーラーメンが復活したが
変に上品になっており、昔の面影はなかった。期待していた我が家では皆ガッカリである。
カップものではやはりカップヌードルと赤いきつねが私にとっては双璧である。特にカップヌードルはこれを
冬の外でのアルバイトでフーフー言いながら食べたことを思い出す。またインスタントラーメンはちょっとした
キャンプへ持って行き、アウトドアで食べると各段に美味しいのだ。以前、友人と京都の愛宕山でテントで一泊
夜にはヨタカの息継ぎしない声と、シカがごそごそとテント周りをうろつくので、二人とも気になって寝れずに
、朝5時に起き出してヨタカへの愚痴をこぼしながら、塩ラーメンをハフハフ言って食べた味は忘れられない。
それと東京で食べた赤いきつねのつゆのまずさに吐いてしまったことも思い出す。東西では味付けがしょうゆ
ベースとかつお&昆布と全く違っている。さて最後に、私のインスタントラーメンの袋物作り方の定義は、麺は
固め、スープは麺を茹でたものとは別の鍋のお湯で作り、スープの量は弱冠少なめを最良としている。皆さん
の定義は?まさか、一度も食べたことがないというお坊ちゃん、お嬢ちゃんはいないでしょうね。

 


 

ビートルズ  (2002/1/28)

 

昨日から今日にかけて今まで録りためたミュージッククリップのうち、ビートルズとそのメンバー個々のクリップ
をDVDにまとめていた。それを改めて聞くに、何と素晴らしい人間達が集まったバンドだったんだということを
改めて思い知らされた。私の年代はビートルズはタイムリーでは決してないが、それでも誰もが通る道と言わ
れるビートルズにはまった時期があった。洋書でビートルズの全曲の作詞が掲載されているものを手に入れ
て、彼らと一緒に歌ったものである。(彼らにとっては、曲が汚されると思われるかもしれないが。)
私が一番好きなのは「エリナー・リグビー」という曲で、オーケストラを使った演奏を行い、ビートルズの新たな
境地を見せた曲ではなかったろうか。幸運にもこの曲のビデオクリップも過去に手に入れていたので、改めて
映像と共に聞きなおすと、更に感激度がアップしたのである。その他にも「ヘイ・ジュ−ド」「ア・ハード・デイズ
ナイト」「ザ・ロング・アンド・ワインディングロード」「愛こそすべて」「ペニー・レイン」などが好きな曲である。
(残念ながらこれらのビデオクリップは手元にはない。)
彼らの音楽は単純な旋律の上に立ったご馳走であると言えるのではないか。今のように小難しいアレンジと
いうものを極力減らして、原曲の持つ素晴らしさを秀逸な詩と合せることによって見事な作品に仕上げている。
最近の曲、特に日本の曲は作り手側がやたら自己満足に入ってしまっていて、聞き手が簡単に曲に合せて
歌うことが出来ないのだ。だから、曲的にはいいなと思う作品も多いのだが、詩的に覚えて歌おうという気が
起こらないのである。
それに比べて、ビートルズの歌はとても歌いやすい。それが解散して何十年経っても愛されている理由だと私
は思っている。それに、ポールとジョンという2大天才が主に作り出す歌のオリジナリティと完成度は我々を
いくつになっても魅了し続ける。(2人の天才がいた故に解散は成るべくして成ったのだが。)
それぞれがソロで活動をし続け、それぞれに素晴らしい音楽を作りつづけた。ジョンは早くに殺されてしまった
が、多くの曲を我々に残していってくれた。最近、ジョージ・ハリスンも亡くなり、メンバーはポールとリンゴの
2人となってしまった。しかし、年を経て彼らがみんないなくなってもビートルズの名前と素晴らしいメロディは
永遠に語り継がれていくだろう。ビートルズの一番凄いところは、当時の他の曲がクラシックに感じられるよう
になったというのに、彼らの曲はいつまで経っても時代負けせずに新鮮であるということである。
ビートルズには永遠という言葉が本当によく似合う。

 


 

SONYからの返事  (2002/1/26)

 

先日書いたHi8ビデオデッキについてのSONYからの返事が来ていた。早くに来ていたのだが、余りに内容が
腹立つので冷静になるまで時間を置くことにした。返信してきた言葉づかいは丁寧ではあるが、ユーザーを
見下したような内容に憤りを感じざるを得なかった。以前より、SONYは自己の技術に過信してユーザーなど
大事にしないという噂は聞いていたが、ここまでひどいとは思わなかった。
まず今後Hi8のビデオデッキは一切発売することはないことを断言してあった。その上で、録画は出来ないが
再生なら出来ると自社の製品が書かれてあった。(こちらにいきなり砂をかけたようなメーカー責任を放棄した
SONYの製品なんぞ今後一切誰が買うものか!)(怒)
部品の保存期間は上新の店員さんが言っていたよりさらに短くて8年とのこと。部品がなくなり対応不可と何か
役所で対応されるような冷たさを感じる文面であった。私は熱心なSONY信者であり、家のほとんどの製品が
SONYであったのだが、今後は全く購入することはないだろう。しかし、これはSONYだけの問題ではなく各
メーカーの当たり前の姿勢かもしれない。売れないものから撤退するという経済論理からすれば当然のことか
もしれない。が、やはり今回のことは納得できない。私にはSONYの売り逃げにしか見えないのである。しかし
大企業様に貧相な私が何を言っても無駄であろうから、明日にでもDVDのレコーダーを無理してでも買って
きて、今のデッキが壊れないうちに移し替えていこうと思っている。DVDは画質も良く、テープと違っていつまで
経っても性能が落ちないとのことだから。いつかは買い替えようと思っていたからいい契機と考えることにする
つもりである。もちろん、SONY以外で!(お金のない今の時期には痛いが、こうなりゃ意地である。)
しかし、先日の雪印食品といい日本の企業のメーカー責任とは本当にひどいものだなあと実感させられたこの
頃であった。倫理観のない日本の企業が、世界から見捨てられる日も近いかもしれない。

 


 

 (2002/1/24)

 

先日、掲示板で約束した犬について私には問題があると述べた件で書こうと思う。一言で言うと私はオバケの
Q太郎だったのである。判らない方がいると困るので直接に書くと、極度の犬嫌いだったのである。今は
弱冠の種類を除いて、犬嫌いは見事に克服出来ている。そうでなければ、やたら犬の散歩が多くてともすれば
放している事も多い、山田池や淀川では野鳥撮影など出来ないであろう。
私の犬嫌いは小学校1年生に犬に首筋を噛まれたことから始まっている。友人の家で飼っている犬をなでて
いたところ、いきなりジャンプされて私の首筋に噛みついたのである。幸い、傷は浅かったが心の傷は深くて
なかなか立ち直れなかった。生き物大好きの私も犬だけは好きにはなれず、その関係もあって家では犬を
飼わなかった。過去が大きなトラウマとして残ってしまった。実はトラウマはこの時だけでなく、高校1年生の時
にもあったのだ。この頃、体力強化の為に朝10キロ程度を毎日走っていた。そんなある日、いつもの道を
走っているとある家から十数匹の犬が一斉に駆け出して来て、私を追いかけ始めたのである。トラウマによって
ただでさえ恐ろしいと感じている犬がもの凄い数で追っかけてきたものだから、その恐怖は凄いものであった。
結局500mも追いかけられたところで、私は木によじ登って何とか難を逃れた。
この二つ目のトラウマにより、私はパーフェクトなオバケのQ太郎になってしまった。どれだけ凄いかというと、
ある道にヒモで繋がれたマルチーズが大人しくしているのを見ても、私は十数分の無駄な時間を使って遠回りの
道を行くことを良しとするぐらい、とにかく犬は恐怖の対象であったのだ。
そんな家にこともあろうに、突然犬がやって来た。親が知り合いから、血統書つきの秋田犬がもらえると言って
嬉々として帰ってきた。犬嫌いの私はもちろん反対したが、民主主義の結果1対4で敗北した。ただし、条件を
私の方も出して、私がいるところでは一切犬を出さないことを約束させた。そしてやってきたメスの秋田犬は
とても元気で、私の家の僅かな庭を走り回っていた。その犬はメリーと名付けられたが、私はいつも部屋の中
から恐々と見守るだけで一切触れなかった。犬も嫌われているのが判るのか、私の方に関心を示そうとはしな
かった。そして年月が経ち、メリーは老いた。犬は人間達よりも当然なことに老いるのが速いから当然なことでは
あるが、私の犬嫌いは益々エスカレートしていった。
老いたメリーはもう吠えることもなく、庭で日向ぼっこをするようにチョコンと坐っていることが多くなった。そんな
ある日、家の者が外出しているのを見計らって、私は突然メリーのいる庭に出ることを決心した。それが何故だ
かは未だに判らないでいる。吠えなくなった犬なら大丈夫だとでも思ったのだろうか。当時の私には一大決心で
あったと思う。メリーは肩越しに珍しいものでも見るように私を見た。恐らく私は緊張で顔を引きつらせていたので
はないだろうか。メリーの近くにそっと坐った。彼女は一瞥をくれただけで動こうとはしなかった。私は何かに惹か
れるように、メリーの背中をなでた。メリーがやって来て私は初めて触ることができたのである、老いたメリーの
背中はやせ衰えて背骨が浮き出ていた。その時の感触を私は一生忘れないと思う。何故なら、あの一瞬こそが
私の犬嫌いからの脱却を図る礎となったのであるから。それから10分ほど私はメリーと一緒に坐っていた。
それから数ヵ月後にメリーは亡くなってしまった。家族の嘆きは大きく、今もって家では犬を飼うこともなく、弟の
部屋には油絵で書いたメリーの肖像画が飾られている。全く接点のなかった私にとってはそれ程大きな悲しさで
はなかったのだが、あれ以来犬が怖くならなくなった自分を感じる毎にメリーを思い出してしまう。彼女は私に
死ぬ間際に大きな宝物を残してくれた気がする。(こう打ちながら、私は涙がとまらないのである。)
メリーが家に来てくれたからこそ、今の犬を平気で見られる、触れられる私がいるような気がするのだ。あの時に
庭に呼び込んでくれたのはメリーではなかっただろうか。私にはそんな気がしてならない。
メリーよ、私はあなたを散歩に連れて行きたかった。メリーよあなたと遊びたかった。私はあなたを決して嫌って
いたわけではないのですよ。こう叫んでも、答えてくれない一方通行の想いがとても、とても悲しい。
犬を怖がらなくなったという一人の人間のつまらない話である。

 


 

ええ加減にせいや、SONY!  (2002/1/21)

 

今日は本当に腹が立ったので、皆さんに愚痴を聞いてもらおうと思います。(人の愚痴を聞きたくない方は、是非
お戻りください。)
本日は疲れがたまっており、またSONYの某製品を購入する為に休みを取って日本橋へと出かけた。(関西の
電気街である。)さて購入するものは、今までもたくさん購入しているHi8のビデオテープとそれに使用するビデオ
デッキであった。私は馴染みの上新電機へ出向いた。が、陳列している中にお目当てのHi8のあるダブルデッキ
がない。DVDとVHSやDVとVHSのダブルデッキはあるのだが。まあ、売れ線ではないから取り寄せになるかな
と思いつつ、店員に聞いてみる。「あの〜、SONYHi8がついたダブルデッキは取り寄せになるんですか。」
「ありませんよ、生産中止になりました。」「へ?、ということは全く手に入らないということですか。」「SONYがDV
やDVDへ販売の中心を移行することに決めて、もう生産もしてませんし、ストックもありません。」「ちょ、ちょっと
待ってください。私は700本ものHi8の映画ビデオがストックとしてあるんですよ。」「お気の毒ですがどうにもなり
ませんね。今のデッキが使えるうちに、DVDレコーダーを購入して移し替えておけばどうでしょうか。」「でもデッキ
があるのですから、修理はしてもらえますよね。」「確かに今はやってはくれますが、部品の保有期限が10年です
からそれ以降はどうにもならないでしょうね。」「そうですか」「どうですかDVDのレコーダーはいいですよ・・・・・・・」
という店員さんの声を聞きながら茫然と店を出たのであった。
VHSビデオテープよりも小さく場所を取らないメリットを良しとし、従来のVHSから完全移行して数年。私のビデオ
ストックは充実したものとなっている。が、修理しつつ使っても数年以内には私のHi8のテープは全く見ることの
出来ない飾り物となってしまうのである。こんなことが許されていいのであろうか。あれだけ当時、場所を取らない
と緒形直人を使って宣伝していたではないか!いいようのない絶望感のまま長い時間を過ごしている。今から、
SONYに問い合わせのメールを出すつもりであるが、梨のつぶての可能性が高い気がする。これはCDがレコード
に変わったのとは事情が違うのである。Hi8はSONYがデッキ及びハンディカメラ用に開発したものであって、
SONYが生産中止にしてしまえば、日本、いや世界の多くのHi8のユーザーが路頭に迷うことになるではないか。
SONYの一方的な生産中止は製造したメーカー責任を考えるに間違っていると思う。そういえば、ベータがVHS
に完敗し、SONYがVHSに尻尾を振った時も多くのベータファンが路頭に迷ったと聞く。(当時、上岡竜太郎が
ベータのビデオが数百本あるのに、SONYが一方的に、いきなり生産中止になって見れなくなったと番組で怒って
いたのを思い出します。)私はHi8の素晴らしさに惚れて、ビデオライブラリーを完全に変更してというのに。正直、
今は頭が真っ白である。SONYええ加減にせえよ!とりあえず、メールを送って返答を待ってみたい。
「DVかDVDに移行されたらどうですか」などと返答してきたら、ただじゃすまさないつもりでおります。(怒)
後日にこの結果は必ずお伝えします。「返答なし」になるかもしれませんが。

 


 

初取材を受ける  (2002/1/18)

 

昨日、自宅で生れて初めての取材を受けた。ホームページを見て、取材をさせてもらいたいとのことである。
私が住む北摂地域の某不動産会社さん発行という極めて地域限定の雑誌ではあるが、今回この地域で
頑張っておられる人間を取り上げるのに、こともあろうに頑張るという言葉の対極にある私に白羽の矢が
立ったのである。皆さん、信じられないでしょうが本当だったんです。
取材は当方が帰宅してからであったが、何と取材に来たのがとても素敵な女性だったので、私はすっかりと
舞い上がってしまったのである。不動産会社から委託を受けた出版社さんの方で本日の取材4件目との
ことで多少はお疲れのようでしたが、さすがプロです。私はまんまと術中にはまって、丸裸にされてしまった。
というよりも久しぶりに女性と楽しく話が出来て、嬉しかっただけのことである。やはりこなれておられるのか、
質問の持っていき方がとてもうまいのである。こちらも自宅である気楽さか、大阪のオバちゃんモードで
ベラベラとしゃべっていた。話の内容は野鳥撮影7にホームページ3の比率であったろうか。お世辞とは思い
ながらも、ホームページを面と向って褒められると素直に嬉しいものである。それよりもここを含めたコラムを
面白くて、読みやすいと言って頂けたのは本当に嬉しかったですね。とにかくがむしゃらに書きまくっているの
ではあるが、私はいつも読む側の皆さんにとって読みやすく書けているかとても不安を持っていたので、ある
意味安心することが出来た。これから書き込み量は加速していきそうである。この取材についてもいいネタに
なりますと言ったら、しっかりと笑われてしまった。
しかし、取材を受けるということは一般庶民にとってはなかなか経験できるものではないから、とても新鮮で
貴重な時間であった。取材を受けながら、相手の方がメモを書き込むのを見て、猛烈に何て書いてあるのか
見てみたいという衝動にかられた。もちろん、記事になりそうなポイントをしっかりと抑えて書き込んでおられる
のだろうが。さて、最後に雑誌に載せるということで写真を撮られてしまった。とにかく写真嫌いの私(ただで
さえ写真写りが極めて悪い。地も悪いが・・・)は撮影されるのは6年ぶりであろうか。何とか撮影は終えたが、
一瞬撮影の為に追いかけられている野鳥の気持ちになってしまった。この雑誌は私の住む地域の某不動産
会社さんにのみ置かれるので、皆さんが私の顔を見られることはないであろうが、とても楽しい時間を過ごさ
せてもらいました。川瀬さん、本当にありがとうございました。記事の方は楽しみにしております。写真の方は
心配しております。

 


 

続・あの日を忘れないで  (2002/1/17)

 

阪神・淡路大震災からちょうど今日で7年である。ずっと昔のような気がしてしまう。それほど我々の中で地震
への備えが風化してしまってきている。
テレビではこの日を待っていたかのように特別番組が行われるものの、年々その取り上げ方は小さくなって
いることは否めない。6000名を超える尊い犠牲者が過去の中に埋もれてしまっていくようでとても怖い。
以前にも書いたように、芦屋に住んでいた親戚が家を全壊して全てを失って、着の身着のままで西宮駅まで
歩いた。神戸市に住む知り合いのマンションは倒壊はしなかったものの、ライフラインが全て絶たれてしまい
寒い思いと、そして水を手に入れることに苦労したとのこと。近くの川で洗濯をしたとのことである。まさか川
の水で洗濯しようとは思ってもなかったとのこと。大阪の汚い、汚れた川ではそうした震災があっても難しい
のではと真剣に考えてしまう。身近な自然を守ることはこうしたことからも考えるべきではないだろうか。
現在では南海及び東海地震の可能性が警告されている。この数十年に発生する可能性が高いとのこと。
しかし、阪神大震災の教訓はまったく生かされていないように思える。恐らく同じような震災が発生すると同じ
かそれ以上の犠牲者(南海大地震なら私も含まれるかもしれない)を生む可能性が高い。その時、我々は
あの時の神戸の方々のように高いレベルでの助け合いの精神を発揮することが出来るだろうか。悲しみに
くれながらも身近な人々を思い合ったああした気持ちこそが、今のこの世知辛い世の中に必要な気がする。
最近のテレビのニュースの中で、兵庫県のある高校でそうした災害について勉学するコースが新設されたと
のこと。若い彼らがこうした貴重な勉強をし、多くの避難経験者からの実体験を聞くことによって、今後に
生かされる勉強をしてくれることを望みます。
私は今日、震災時に録画した番組を見ることにしています。これはあの日以降毎年必ず行っていることです。
未だに信じられない思いがする、あの震災の風景を忘れないようにすることがとても大事な気がします。
一人一人がこの日を大切にして、もう一度考えることこそが多くの犠牲者の死を生かすことではないでしょうか。
ホームページを続ける限り、私はこの日は必ず阪神・淡路大震災について書いていこうと思っています。
皆さんも今日、数秒で結構ですので亡くなった方々の為に是非黙とうしてあげてください。

 


 

腕時計  (2002/1/15)

 

約10年ぶりに仕事用の腕時計を買い替えた。調子が悪くて、日常に支障をきたし始めたからである。腕時計
については全く頓着はしない。撮影用のハミルトンのミリタリーウオッチにはこだわりはあるが、仕事用に関し
ては動けばいいのであってデザインなどどうでもいいのである。たった一つのこだわりは日本製であること。
巷では男性の場合はロレックスやオメガが人気者のようだが、日本には超一流の時計メーカーがあるというの
にどうしてバカ高い外国製を使うのか。デザインがそれほど変わるでもないのに。日本人は腕時計について
は間違っていると私は常々考えている。(注:私の所有しているアメリカ製のハミルトンはとても安価であった。)
へそ曲がりの私は折角買うなら面白くて、環境に優しい時計をと考えて日本橋に出向いた。いろいろと物色
していると、ありました。セイコーが最近出したという時計自身が自家発電して、電池がいらないキネティックと
いう時計でした。光発電ではなく、腕に巻いてそれを振ることによって充電していくという方法である。店員が
ケースから取り出した途端に何と止まっていた時計の針がギュ−ンと一気に廻り始めて、現在の時刻でまで
動いて停止した。面白い!思わず買ってしまった。
と買ったはいいが、実に説明書がややこしくて難解である。電池がいらないものの種々の条件や使用方法が
細かく書かれており、バカな私は頭が痛くなってしまった。店頭で見たように一気の時刻合せは、時計が完全に
止まっていた訳ではなくて、体内で動いていて振動によって現在の時刻に合わせるように設定されているとの
こと。おまけに、長期間時計を使用しないと止まってしまうので必ず1日何時間は腕につけてください等やたら
に注文が多い。また、他の設定や時刻・日付合わせも実に面倒くさいのである。電池がいらないから、環境に
は確かに優しいとは思うのだが。ところが注意書きに2,3年に1度は購入した店でのメンテナンスをお薦め
と書いてある。その費用を考えると、電池使用の安い時計を購入した方が良かったのではと思ったりする。
セイコー様、何が良くてこんなにややこしい時計を作られたのですか。
と言いながらも私はとても気に入ってしまって、最近では撮影にもこの腕時計を使用しています。未だに日付は
合せるのが面倒で一日遅れであるが、全く気にはしていない。変わった時計が欲しい方はどうぞ。

 


 

本当の応援風景  (2002/1/13)

 

今までスカイパーフェクTVで懐かしの阪神・巨人戦の試合中継をノーカットで放送していた。1985年4月17日
の言わずとしれたバース・掛布・岡田の三連発でタイガースが逆転勝ちした最高の試合であった。(しかしもう
あれから17年も経つんですね。こうした過去を懐かしむしかない状態がいつまで続くのだろうか。)
背番号54番の槙原がマウンドにへたり込み、渋面の王監督が現れる。阪神ベンチには川藤や佐野、長崎、
北村、吉竹、平田、弘田の顔が。あの年のタイガースほど魅力的な選手が集まったチームはそれ以降出現
していない。今日はそういうことを書きたいんではなくて、甲子園球場のファンの応援風景であった。あの当時
のファンは本当にまともな応援をしていたと懐かしく、また嬉しかった。テレビに聞こえるのは声援と手拍子の
音のみ。ファンは結構メガホンを持ってはいたが、それを手にあてて手拍子替わりにしているだけで、誠に
気持ちのいい応援の音風景であった。
今は最悪である。どこの馬鹿が発明したのか知れないが、バットやメガホンで醜い音を出してまるで狂気の
新興宗教のような一丸となった甲子園球場の応援風景を見ていると、背筋が寒くなることしばしばである。
あれは私から言わせると、応援ではなくて単なるストレス発散の為か若しくは病気だと思っている。ああした
愚かな応援は他球団でも同じように蔓延している。とても嘆かわしいことだと思っている。
昨年、イチローの大活躍で大リーグ中継にハマッたが、これはあちらの応援風景が好きだということも大きな
一因なのである。大リーグでは、日本のように物を使って醜い音を出して応援することは一切ない。
素晴らしいプレーには手拍子や声で声援し、悪いプレーに対しても声のみで表現する。野球の真の楽しみ方を
十分知っているのである。かつての日本のプロ野球もそうだった筈ではないか。かつての弱い南海ホークスを
大阪球場で見ていた時も、甲子園でタイガースを応援していても本当に野球を楽しむことができた。今、私は
甲子園球場で野球を見たいとは決して思わない。私のように野鳥達の奏でる素晴らしい音を知っている人間に
とって、ああした醜い音を出していることに罪悪すら感じない音痴集団の中には身を置きたくないのである。
大リーグを見ながら、日本もいつかああした健全な応援風景に戻って本当の野球の楽しみ方を取り戻して欲し
いと願っている。おそらく無理ではあろうが。
今日は試合と共に本当の応援風景を見ることが出来て嬉しかったのである。ただ、それだけのこと。

 


 

同期の死  (2002/1/10)

 

年始当初からショックな知らせがあった。私と同期で年も変わらない人間が昨年末に心筋梗塞で倒れ、帰らぬ
人となっていた。彼とは入った事業所も一緒だったこともあり、入社当時は何度か遊びにいったり、酒を飲みに
行ったりしたものである。その内に私が野鳥撮影に目覚めて健全な生活を始め、彼が転勤で東京へ行った
ものだから長い間交流は途絶えた。そして3年ほど前に一年ほど同僚になった後にまた私の異動で顔を合わ
すことはなくなっていた。彼は仕事に集中し、私は仕事を無視して野鳥撮影に集中した。(それでもクビにしない
会社は凄いと思う。)
彼は当然、順調に出世していった。非常に明るくさっぱりとした性格で、根暗な私とは対照的なのが良かった
のかとてもウマが合った。まだまだこれからという年だというのに、本当に残念でならない。
彼は酒をよく飲んでいたので、それが主因ではないだろうかと思っている。と同時に、私の心の中にも急速に
「死」というものが身近に感じられるようになった。
昨年、私が何かにせかされるように写真集を一気に出版したのも、知人の突然の死がきっかけであった。
生きる証が欲しいという、何か焦燥感に近いものがあったのは確かである。お蔭様で写真集は完成し、今私が
死んだとしても何十人かの本棚には私の生きた証が置かれている。不吉な話をして申し訳ないが、人間の命
など明日はどうなるかなど誰にも判る筈はないのである。例え交通規則を守って青信号を渡っていても、信号
無視の車が突っ込んできたらそれで一巻の終わりである。自分ではどうにもならない定められた寿命がそれ
ぞれにあると思っている。
だからこそ写真集発行には大きな意味があった。多くの人間が何も残さずに消えゆく中で、例えそれがどれほど
貧相なものであっても、たった一人にでも感動を与えることができるものであったら、私はそれだけで満足である。
昨日、家族から長く会っていない従兄弟が私の写真集に感激して泣いてくれたという話を聞いて、本当に作って
良かったとしみじみ思っている。死はもちろん怖い。が、今死んでも私は後悔はしないだろう。
彼は独身であった。それに全くの無趣味でもあった。彼は何かを残すことが出来たのであろうか。後悔は。
ここ数日、彼の笑顔が私の脳裏をよぎって放さない。  合掌。

 


 

大阪  (2002/1/6)

 

先ほどまで都道府県を比較するバラエティがテレビであったので、興味深く見ていた。それぞれの地方の個性
が出ていてとても面白かったのだが、その中で大阪が生まれ変わって住みたい都道府県というテーマでアン
ケートの結果、最下位になっていた。そこに住む者にとっては複雑である。
大阪ほど住みやすい所はないと思う一方で、やはり私も生まれ変われるなら長野県や北海道といった自然
に囲まれた所に生れたいと正直思っている。
冷静に大阪に住む者にとって評価してみると、いい所は食べ物が安くてうまいところである。東京で3ヶ月ほど
2回も生活したが、余りの食べ物の高さとまずさにビックリしてしまった。大阪に帰ってお好み焼きやきつね
うどんを食べてホッとする私がいたのである。それと交通の便が良いこと。関西一円については車を持たない
私でも野鳥撮影に出向けるぐらい整っているので非常にありがたい。それと言葉と笑いへのこだわりといった
ところだろうか(これについては他所からは異論があろうが。)
悪い所は何といっても自然が少なく、かつ大切にしないところ。これはどうしようもない。それと犯罪が多い。
ひったくりは何十年もトップを走りつづけている。そしてマナーの悪さ。他地域の方で大阪で車を運転するのが
怖いという方は非常に多い。歩いている大阪人の私でも怖さを感じるのだから、当然のことであろう。
それと平気で街中にゴミを捨てる。釣り禁止のところで釣りをする。駐車禁止のところでも構わず車を留める。
電車の乗車方法もひどい。自由と自分勝手を踏み違えている人間が大阪にはかなり多いのである。
それでも大阪人であることに異常な自尊心を持っている。これは他の大阪人も同じだと思うのだがどうであろう。
言葉が汚いし怖いと言う方もおられるが、それは大阪人の率直さの裏返しのような気がする。フランクに付き合う
のなら大阪人に勝る人種はいないであろう。以前、大阪独立というコマーシャルを見た時にそれもええんやないか
と思ってしまうのも大阪人であると思う。さて、皆さんの大阪はどう見える??

 


 

MTV  (2002/1/6)

 

洋楽のミュージックビデオを私の学生時代によく総称して呼んでいた。MTVという番組が小林克也氏の司会で
深夜放送されていた。私と同世代の方は良く見ていたのではないだろうか。
現在契約しているスカイパーフェクTVの3つのチャンネルで、少ないながらも懐かしのビデオクリップを流す番組
があって、それを懐かしいを連発しながら私は録画している。年代でいうと1980年代がメインである。
あの頃にはよくレンタルレコード屋に行って、こつこつとレコードを借りてきてはテープに録音して楽しんでいた
もである。当時の思い出がそうしたビデオクリップと共に蘇ってくるのである。
たまたま今日は体の疲れがピークであったので、ゆっくりとこれまでにストックしたビデオクリップのデータを
パソコンに入れていた。
マドンナ、ポリス、カルチャー・クラブ、シンディー・ローパー、ユーリズ・ミックス、パット・ベネター、ホール&オーツ
ビリー・ジョエル、カジャグーグー、デュランデュラン、ロッド・スチュワート、TOTO等等の懐かしのビデオクリップ
がいっぱいである。私は音楽的には、結構マイナー好みであったのでケーン・ギャングやゴー・ウエストといった
バンドやトーキング・ヘッズ、それにエルビス・コステロが大好きであった。ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの音楽
も捨て難い。ケイト・ブッシュの歌声にも聞き惚れたものである。(知らない人には???である。失礼)
現在は300曲くらいのビデオクリップを録画できてはいるが、まだまだもう一度見てみたい作品が頭の中には
たくさんあるので、それらがいつ放送されるのかがとても楽しみである。今月にはエアロスミスの特集もある。
現在は洋楽のビデオクリップを民放で流す番組はほとんどないような気がする。
当時は嫌いだったボン・ジョビが今お気に入りになったのも、私自身の音楽好みの変化であろう。懐古的と言わ
れればそれまでだが、それを懐かしみながら見ている時間が私は楽しい。
ホール&オーツの「プライベート・アイズ」がソニーのデジカメのコマーシャルで流れた時の嬉しさはその当時を
知っている人間にしか判らないであろう。そしてこのコラムも知っている人以外には全く判らない文章だと思う。
判らないついでに好きなミュージッククリップを紹介。
トーキング・へッズ(Road to Nowhere),エルビス・コステロ(Accidents Will Happen),
ホール&オーツ(Out of Touch),エルトン・ジョン(Sad Songs),ポリス(Every Breath You Take)
ジェフ・ベック&ロッド・スチュワート(People Get Ready),イーグルス(Hotel California)
ゴードレイ&クレーム(Cry),アラン・パーソンズ・プロジェクト(Don’t Answer Me)この2曲は未録画です。

 

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