管理人のつれづれ 5

 

管理人は結構文章を書くことが好きである。
そしてつまらないことをとってもつまらなく書くことが大好きである。
そして私的なこと、思ったことを書きたいが為にこのページを作ってしまいました。
書くことに自己満足する為だけのつまらないページです。
おそらくどうしようもない事を書いていると思うのでここで引き返されることをお勧め
します。

 

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写真を撮る意味  (2001/10/11)

 

先日、プロ写真家の和田氏のホームページの掲示板である方からの質問に和田氏がこう答えておられ
た。「2足のわらじをはいてリスクを背負わずに誰かを感動させることは、かなり不可能に近いと思う。」
私は残念ながらこの和田氏の意見には同意しかねる。掲示板に書き込もうと思ったが、話が堅くなると
思ったので、自分の庭で自由に書いてみようと思う。(しかしこれは私見であって、批判ではない。)
この和田氏の言葉はいわゆる別の仕事を持って週末の楽しみだけで野鳥撮影している人(まるっきり
私のことである。)には人を感動させる写真なんて撮れやしないということを暗示的に仰っておられる
ように感じ取られるのである。これについて異論を唱える理由が二つある。
一つは写真を撮る意味が見る者を感動させることにあるのであろうかという疑問である。そういったこと
を一度も思ったことのない私には理解できない。プロカメラマンは絶えず人を感動させる写真ばかりを
追い求めて撮影しているのだろうか。それなら写真は感性を表現するものと思っている私にとっては
プロカメラマンは相容れないものとなってしまう。もちろん、プロなのだから写真が売れなければ生きて
はいけない為、当然そういった気持ちをもって写真を撮る必要があるのは十分判るのだが。
写真には見る人によってそれぞれ価値観が違うのである。プロの中で和田氏の写真に感動している私
がいる一方、私の大嫌いなプロの写真家を評価する人もいるのである。全ての人間に対し媚びる必要
はないし全てを感動させる必要もないと思うのだが。(ちなみに私の写真集は感動のカケラもない。)
もう一つ、何かを捨てなければいいものが撮影できないというニュアンスにちょこっとではあるがピキッ
ときてしまったのである。先にも言ったように写真は感性である。写真にもそれぞれの人間性が出てく
るものであり、プロだからといって必ずしもいいものを我々に提供してくれる人ばかりではないのである。
例え週末だけの趣味モードの野鳥カメラマンであったとしても、感性が豊かな人間であればプロに負け
ない撮影をされていると私はいろんな雑誌を見て確信している。24時間野鳥撮影をする立場になっても
感性のない人間にはいいものは永遠に撮影出来ないと思う。(図鑑的写真なら可能であろうが)
リスクを背負わずにという言葉はプロであるが故の言葉ではあろうが、私のようなサラリーマン的しがない
アマチュア野鳥カメラマンにとっては極めて辛辣で少し残念な言葉であった。

 


 

続・ご飯  (2001/10/9)

 

先日、前のコラムを書きながら無性に美味しい米を食べたくなってしまった。そこで検索を使って調べて
みた。最初は魚沼産のコシヒカリで調べたが、とにかく高い!10キロで8000円強もする。写真集貧乏
の私にはとても手が出ない。そこで新潟全域に広げてみると、有機農法によってコシヒカリを生産して
いてしかもサンプル(1キロ)を送料のみで送ってくれるというページを見つけた。そこで物は試しと思って
依頼した。後日丁寧にメールにて現在このようにして精米してますとの写真つきでメールを頂いた。
そしてサンプルが届いたので早速炊いてもらって塩のみのオニギリで頂いた。
美味い!おいしい!たまらない!食べながら余りの美味しさに笑ってしまった。安い混ぜ物必至のお米
しか食べていない私にとって本当に久しぶりのご馳走であった。口にいれた途端、ご飯の香りがするの
である。そして冷えても美味しい、日をおいても美味しいとこちらの希望を全てクリアしてしまった。
値段的にも10キロあたり送料込みで5700円程度で何とか今の私でも買えそうだったので、思い切って
30キロを注文したのである。これで当分は美味しいご飯が食べることが出来る。
美味いご飯が私にとっての唯一のご馳走であるといっていい。こう書きながらも、残りのサンプルで作った
冷えたオニギリをパクつきながらこの文章を書いている。ああ・・・・幸せ!
PS.興味がある方は検索で喜楽亭(新潟県燕市)のページからお米のページに進んでくださればわかり
ます。サンプルを騙されたと思って。本当に美味しいです!!(但し、あくまで食感は千差万別ですから)

 


 

ご飯  (2001/10/4)

 

食欲の秋である。夏バテで食欲も落ちていただけに、今の時期は何を食べてもおいしく感じる。
私の好物は何といってもご飯である。アツアツの炊き立てのご飯さえあればおかずはいらない・・・・・・・と
言いたいところだが、いいお米をなかなか口にすることは出来ない。平々凡々の生活を営むものにとって
は安いスーパーのお米で我慢するしかない。
京都で仕事をしていた時、懇意にしていたお客さんにお米屋のオーナーがいらっしゃった。とてもこだわり
を持って米を売っておられる方で、そちらで購入するお米は確かに美味かった。(私も何度か購入させても
らったが)このオーナーはお客さんに売る前に全てを炊いて自分で食して、自分が美味しいと感じない米は
決して売られない。(売らないお米はオーナーの食卓にのぼるのである。家族の方は可哀相だが。)
「米屋はお客さんにいいものを提供することが一番の喜びである」と仰る、その言葉に本当の商売人という
ものを感じさせてもらったものである。本物を知る人にはやはり本物を求めるお客さんが集まって商売は
とても繁盛しているようである。
そのオーナーに聞いたのだが、米の包装については何の規制もないそうである。だからでっかくコシヒカリ
と書いてあって、その中にわずか20%のコシヒカリと80%が中国米の混ぜ物であっても何の問題もない
とのこと。(スーパーの安売りのお米は結構そういうケースが多いとのことである。オーナーが実際に購入
して確かめたことだから間違いはない。もちろん、全てのスーパーではないが・・・ほとんど・・・・・・)
ご飯の話に戻るが、数年前に親の知り合いの新潟の農家から直接30キロほどのコシヒカリを頂いたことが
ある。あの時のショックから私は未だに立ち直れないでいる。とてつもなく信じられない美味しさであったのだ。
はっきり言っておかずはいらなかった。ひたすらにご飯ばかりを食べつづけ、あっという間にその頂戴した
米はなくなってしまったのである。(そのお米は冷えてもうまい。一日たっても美味いのである。)
あれ以来、どんな米を食べても満足することは出来なくなってしまった。
たしか魚沼のコシヒカリだったと記憶している。農家の方からの直送なので混ぜ物はないであろう。(ちなみ
に一般に売られているものはほとんどが混ぜ物だと前出のオーナーに聞いた。特に魚沼産で安売りをして
いるものは100%間違いないとのこと。これは作り手の農家の方々に失礼ではないかと私は思う。)
たった一回、あんな化け物のようにうまい新潟のご飯を食べてしまったが為に私は辛い思いをしている。
死ぬまでにもう一度だけあの米で作ったおむすびを食べてみたい。ご飯好きの凡人の切なる願いである。

 


 

青空  (2001/9/30)

 

昨日の秋の青空に感激してしまって、このことについて突然書きたくなった。
青空は季節によって青色に違いが出てくる。これは自身も強く感じているし、科学的にも証明されている
ようである。(内容についてはすっかり忘れたが)
春と秋は弱冠の薄さを認識させる青色である。しかし、この青は様々な雲によって彩られる為に見る者
を喜ばしてくれる。春と秋は川の土手に寝転がって青空をボンヤリと眺めるのが私の最高の贅沢である。
昨日の青空も素晴らしくて、時々放心したように口を開けて空を眺めていた。しかし他の淀川に来ておら
れる方々を観察していると、残念ながら一人として青空を仰ぎ見る方を発見することは出来なかった。
こんなにも美しく雲によってアレンジされた青空を御覧にならないなんて、と全ての方に肩を叩いて回って
見てもらいたい衝動に駆られたのである。(実際にそんなことをやれば、変人扱いされるのが関のやまで
ある。ただでさえ、私は偏屈であるのに)
これに対して冬の空は青ではなく藍色の表現が似合う。深い色合いがまた私をドキドキさせてくれる。
私はこの冬の空をこの上なく愛してやまない。美しさという点では冬が一番だと思っている。そして冬の空
はとても高く感ずる。(これも科学的に証明済みのようである。科学など知ったことではないが。)
野鳥達が空を飛ぶ姿を見る度に猛烈な嫉妬を感ずる。あの空をあの青空を野鳥のようになって飛べたら
と思う。ハンググライダ-や気球に乗るという行為ではなく、鳥のように翼で飛んで見たいものである。
無理なことは承知ではあるが、青空に羽ばたく鳥達を見る度にそう思わずにはいられない。
高校生の頃、自分の部屋に青空の壁紙を貼っていたほどの青空大好き人間の私である。来週も素敵な
晴れ渡る青空が見られるよう祈っている。皆さんは青空を意識して仰ぎ見ることはありませんか?

 


 

デジタルカメラ  (2001/9/28)

 

よく覗かせてもらっているホームページでも最近、銀塩写真を中止してデジタルカメラでの写真をメイン
に変えようとする動きがあちこちで始まっている。
何といっても画像がとても綺麗になってきているし、パソコンへ取り込みがしやすい。それに、フィールド
スコープと兼用することで、カメラの1000ミリ対応を遥かに越える大きさで野鳥を撮影出来るようで
ある。それにでかいレンズを持って動き回ることもなく、機動性にも優れ極めていいことばかりである。
フィルム・現像代等考えれば、デジタルカメラへと大勢が移っていくのもやむを得ないことであろう。
私はというと、今のところはそちらに変わる気持ちは毛頭ない。というのも写真はホームページの為に
撮っているわけではなく、あくまで写真を芸術として捉えているためである。野鳥写真は芸術と言えるか
という異論があるかもしれないが、完成された写真に限ればイエスである。(極めてレアであるが)
またいつも言っているように、私という人間はアップの写真が大嫌いな為にその利便性を全く認めてはい
ない。野鳥のアップ写真ほどつまらない写真はないと信じているだけに、当分は今のまま銀塩写真のみ
での撮影であろう。しかしながら正直に言うと、デジカメはもう少し一眼レフタイプが進化して十分に満足
出来るものが発売された時点で購入するつもりである。今はまだまだ高価でありながら、内容的に満足
出来ないものが多い。(ま、今はそんな金もないが)
ポジフィルムで考えながら撮る楽しみは、まだまだデジカメなどは到底及ぶものではないと思っているの
だ。が、あちこちのホームページでクリアで素晴らしいデジカメ写真を見せつけられる度にその確信は
段々と薄らいで行く。
そんな世の中に抵抗するかのように、知人はモノクロでネイチャーフォトに挑戦しようとしている。以前に
見せてもらったことがあるが、モノクロで撮ったシギがどんなに美しいか。とても言葉では言い表されない
ほどである。私のような弱虫は色のない写真などはとても怖くて挑戦など出来るはずもないく、ただただ
そのチャレンジ精神に恐れ入るばかりである。
御覧になって頂いている方々には誠に申し訳ないのだが、あくまで始めに写真ありきでついでにホーム
ページもあるでよ・・・・なのである。デジタルカメラが野鳥を芸術的に撮れる性能になれば、と言いながら
も体力的限界によって変節する余地は近々十分にあると予測される私である。

 


 

お掃除 (2001/9/27)

 

先日、掃除が出来ない若者達というニュース特集があり、とても興味深く見てしまった。信じられない汚さ
と究極の不潔な、ゴミで足の踏み場もないところで平気で生活している姿を見て、思わず私は吐き気を
覚えてしまった。と共に、彼らの親の無教育ぶりに怒りを覚えてしまう。
私はB型であるから、几帳面に部屋を掃除する人間ではない。だから部屋は適当に汚れているし、雑然
とはしている。けれどもゴミが落ちていたら必ず拾うし、部屋が汚くなったと感じたらそれが深夜であっても
必ず掃除をする。(極めて適当な掃除であるため、几帳面な方には非難されるかもしれない程度である。)
しかし足の踏み場もなく、しかもゴミが何層にも積み重なっているというのに掃除しない、出来ないとはどう
いう神経なのだろうか。我々の親は部屋を汚くすると、口やかましく掃除するように小さい頃から言い続け
てきてくれた。お蔭でこちらも住む部屋への美的感覚は養われてきたように思う。最近の親は子供に言って
も仕方がないと思うのか、部屋を散らかしても怒らないそうである。しかしながら、これは放任主義とは言わ
ず、無責任主義と呼べる愚かな行為である。
掃除をすることの知識や無意識にその行為を行うといった、昔の日本人が持っていた道徳が廃れてきてい
るように思うのだがどう思われるだろうか。
こうした若者が親世代になり、子供達にいったい何を教えることが出来るというのだろうか。日本の未来を
考える時にたかが掃除、されど掃除と深刻に考える私は本当の阿呆であろうか。さ、掃除しよっかな!

 


 

阪神タイガース  (2001/9/25)

 

今回は思いきり苦言を呈し続ける厳しい文章になると思うので、現状のタイガースに満足されている方は
決して読まないようにしてください。
私のタイガースのファン歴は南海ホークスの消滅と共に始まったから、そんなに長くはない。
それでも思いは人一倍強いから、今の惨状には憤りを感じずにはいられないのである。最下位が棲みか
となってしまったセリーグのお荷物球団タイガースはどうしてこんなにひどくなったかを御説明する。
最大の要因は最下位になって、消化試合にもかかわらず試合を見に行く阪神ファン達である。今年も
このチーム主催の観客動員数が200万人を越えたという。減少したとはいうものの今年は優勝争いを
パリーグで行っているバッファローズよりはるかに越えている。これはこのバカな球団が優勝争いしなくて
も客が入るという甘えから永遠に脱することの出来ない大きな問題なのである。
昨日も祝日の昼間とはいえ、2万人の入場者があったとのこと。あきれてモノが言えない。本当にチーム
を愛しているならこんな試合は入場者数を3千人くらいにすべきなのである。そうすることでこのバカな
球団関係者も危機感を感じるであろう。私は最下位になっても応援に行くファンは真のタイガースファンで
はないと断言する。恐らく騒いで応援することで自身のストレスを発散しに行っているだけであろう。
違う!弱くても応援するのが本当のファンだと言う方もいるだろうが、それなら1985年以来の優勝などは
永遠に手にすることは出来ないであろう。(それでもいいならお引き留めは致しません。)
次の問題が現在の野村監督を3年も続けさせた上、来年も契約を継続するという狂気の所業である。
はっきり言って1年目は私も期待したが、オールスター前にはタイガースをダメにすると確信した。
この野村は強いヤクルト時代とことある毎に比較して選手達を罵倒した。それは当時のヤクルトの選手
全般に能天気な選手が多く(池山や広沢)、批判して奮起させる方法が成功しただけであって負け癖のつ
いたタイガースの選手には逆効果であった。とにかく今年で野村はクビになるということ、その一事のみを
今年の楽しみにしていた多くのまともな阪神ファンにとっては、オールスター前の監督留任発表は許せない
ものであった。2年連続の最下位の責任も取らせず、3年目の結果を待たないで留任を決めた久万オーナ
ーは即刻辞任すべきである。出来ればこのオーナーを日本から永久追放してほしい。それほどの蛮行を
おこなったのである。今は野村夫人が脱税で起訴されるのを千秋の思いで待っている。
(これでやめさせなければ、許さない!)無能なカツノリをスタメンで使うために井川と相性の良かった山田
を二軍に落とし、来年のトレード要員などとのたまうのは許せない所業である。チームの私的流用も甚だし
い!(今日もそのコンビで敗戦だったようである。)はっきり言ってカツノリは捕手としては無能である。代打
で負けゲームで使うのが精一杯の選手である。我がタイガースを手前勝手に使うのはいい加減にしてほし
いものだ。私は今年の野村留任決定以来、一切タイガースの試合は見ていないし、応援も野村がクビにな
るまでやめることにした。来年も続けるというなら来年も応援はしないつもりである。もう野村阪神はうんざり
である。
そして最も大きな問題は有望な選手を連れてこれないスカウト陣である。これは外人を含めてであるが、ここ
十年あまりはひどすぎる。外人などはまさしく害人ばかり連れて来て、毎年我々ファンを嘆かせるのだ。
特にひどかったのがグリーンウエルという大害人であった。このバカ球団はあのゴールデンウイークしか仕事
をしなかった大害人にいくら払ったのだ!本当に今思い出しただけでも腹が立つ。
また選手が育たない。最近では井川(ドラフト2位)くらいが成功例か。今年は赤星がよく頑張ってはいるが、
今タイガースに必要なのは主軸を打てる日本人バッターである。今年、バッファローズが強かったのも中村が
どかっと4番に坐っているからである。今年は濱中が頑張ったが、悲しいかなホームランバッターではない。
ま、弱ければ有力な選手もタイガースに入ろうとは思わないだろうが。入っても勝てないチームでは、給料も
上がらないのだ。それこそこの球団関係者の思うツボである。
安く働かして、シーズンの一時でも盛り上がったら十分元は取れると胸算用しているひどい球団なのである。
サントリーさん、タイガースを買ってくれませんか。吉本興業でもいいですよ。タイガースの名さえ残ればいい。
最後に昨年同じ最下位であったにもかかわらず、経営努力の結果で適切な補強を行い明日にも優勝するで
あろう近鉄バッファローズに敬意と賞賛を表したい。本当に立派です!日本シリーズも頑張れ!

 


 

大相撲  (2001/9/24)

 

今場所は平幕の琴光喜が優勝したようである。といっても大相撲などは全く興味がなくなってしまった。
ひいきしたい相撲取りが全くいなくなってしまったからである。それに横綱・大関がからっきし弱くて話に
ならない。よっぽどヒーロー的な相撲取りを作り上げなければ、大相撲の未来はないであろう。
私が最初にひいきにしたのは北の富士であった。横綱としてはあまり大した成績は残せなかったが、
何と言ってもカッコ良かったし、華があった。子供心にかっこいいと純粋に思ったほどである。
次に長く応援したのが、麒麟児と青葉城である。ニ所の関部屋と押尾川部屋でどちらも大阪場所では
わが町から出勤していた。場所が歩いて数分のところだったから、よく見に行った。
麒麟児の突っ張りにはその回転と切れ味で華があった。特にワクワクしながら見たのが、富士桜との
一番であった。どちらも今の相撲取りのように押し相撲でも簡単に引き技などは使わなかった。そこに
一種の相撲美があった。男の意地と意地、技と技のぶつかり合いが見事であった。
青葉城は地味な相撲取りではあったが、上手を取るととても強いという特徴が強烈で、取れなかったら
あっさり負けるところがまた小気味よかったのである。
鷲羽山、黒姫山、大受といった個性的な相撲取りが多かったのだが、今は個性的なのが皆モンゴルの
力士ばかりなのが情けない。また、昔と違って取り組みが短時間で終わるのもつまらない。昔は魁傑と
旭国など何回水入りを繰返したことか。相撲取りが大型化して大相撲は本当に面白くなくなってしまった。

 


 

ラジオドラマ  (2001/9/20)

 

寝る時に流していると、いつも知らぬ間に寝てしまっている。私の子守唄のようなものだ。
高校生の時にFMで流れていたラジオドラマにはまっていたので、たくさんのカセットテープがストックと
して残っている。FM大阪では毎日15分程度で月曜から金曜まで連作で放送されていた。ナビゲーター
は小池朝雄さんであった。音楽が民放らしく、とてもポップな選曲が多くて気に入っていた。
ラジオドラマの良さは、小説を読むことに抵抗感のある人間にも自然に受け入れることが出来るところ
である。事実、ラジオドラマによって初めて知った作品も多い。
またラジオドラマはテレビと違って場面を想像しながら聞くことの楽しさを持ち合わせている。テレビでは
ありのままの情景がありのままに視覚に現れるが、ラジオドラマではそのシチュエーションは自分で想像
しなければならない。例えば宮本輝氏の「錦繍」という作品がある。昔恋人であった男女がふとしたことで
再会し、手紙をやりとりし始めるという話であったがとても深みのあるラジオドラマとなっていて私の大好き
な作品である。それぞれの人生が分かれた後、どうなったか。別れる原因となった男の愛人との関係に
ついてなどを手紙を読む形を取りながらも、極めて深く心に刻み込んでいく演出が素晴らしかった。
テレビではこれほどの深みを出すことは不可能である。想像させることの素晴らしさは小説を読むことと
はまた違った面白さがラジオドラマにはある。小説はテレビと同じで視覚だが、こちらは聴覚で楽しむ。
また、星新一のショートストーリーをラジオドラマで聞くと本当に楽しく、演出も合わさって見事な作品に
仕上がる。NHKのFMでこれも連作で毎日10分ほどの番組であったが、とても素晴らしい時間を私に
提供してくれた。また今も続いているFMシアターは45分程度で1話完結なのだが、これも好きだった。
時々、海外作品などもやってくれたのだが知らなかった素晴らしい作品を紹介してくれたものである。
お教えしたい作品がいっぱいあるのだが、しかし残念ながら紹介しても皆さんには聞くことが出来ないも
のなのである。とても残念である。
今の世の中は想像性を持つことが乏しくなってきていると思う。そういう点で、若い人には聞いて楽しむ
ラジオドラマで勉強させるというのもいい教育になるような気がする。
最近はそういった番組もNHK−FMのラジオドラマをのぞけば皆無となった。役者さんの声での演技を
楽しむ機会が減ったのは本当に残念というほかはない。(中村伸郎さんなどは声で聞くと最高です。)

 


 

ハヤシライス(ハイシライス)  (2001/9/18)

 

私が大好きな食べ物である。これさえあれば一週間三食とも全てこれでもOKというほど好物である。
しかしカレーライスに比べると極めてマイナーな為に、全く家の食卓にはのぼることがないのである。
京都にいた頃はよく外でハヤシライスをいろいろなところで食べ比べたものである。しかし、残念ながら
これといった逸品には出会っていない。(京都で有名な「グリル小宝」や「グリル丸太町東洋亭」などの
ハヤシライスも食べたが、正直いってガッカリの味であった。)
大阪・堂島のカレー専門店の「インディアン」のハヤシライスが今のところは及第点といったところか。
未だに感涙しながら食べるような作品に出会ったことがない。
ところが弟に言わせると、「カレーが一番。何を好んであんなものをご飯にかけて喰わなきゃいけない
んだ。」とまさに一蹴される始末。あんなものと言われて言い返せない自分が悲しい。
結局、今はレトルトタイプのハヤシライスをひたすら食べる日々が続いているのである。しかし、これが
結構いける。特にお薦めが明治製菓の銀座ハヤシである。他のメーカーのレトルトも全て食べ比べた
が、ハヤシライスは明治製菓が一番である。
しかし、やはり本物のおいしいハヤシライス、それもそんなに高価ではない庶民的な価格で私を満足
させてくれる店はないだろうか。神戸に遊びに行った時もハヤシライスはよくオーダーするのだが、
やはり納得できる味には出会っていない。好物なだけに悔しいことはなはだしい。

 


 

テレビゲーム(ファミコン)  (2001/9/15)

 

生れてこの方、触ったことがない代物である。私には弟が二人いるが何れも興味がなく、当然誰も買う
ことはない。また学生時代の友人にも一人もこれにはまっている人間がいなかったのである。
だから、プレステが何やら、ドラゴンクエストがどうやらというテレビでの話には全くついていけないので
ある。テレビゲームにはまっている会社の人間に言わせると、おまえは日本では稀有の人間ではないか
と言われた。(ちなみに彼はゲーム関係で、これまで数百万を使っているとのこと。私から見るとまさに、
アンビリーバブル!である。)
正直、家でテレビ画面に向ってごちょごちょと操作機を使うというチマチマしたところが我慢ならないの
である。私は非常に大雑把な人間なので点数の更新やコースのクリアといった細かいことに集中する事
は好きではない。そんなことをしている時間があるなら、外で自然に触れるか街中をブラブラしている方
がよっぽどいい。
前出の彼に言わせると、今のゲームは単に遊ぶ楽しみだけではなく子供とのコミュニケーションが取れる
大事な接点になっているとのこと。成る程、そういう意味からすれば重要なものかもしれないと考えさせら
れた。
それでも、私は死ぬまでこれには触らないままであろうと思う。
だからといってその価値を否定しているものではない。私の場合人間自体がひん曲がっているので、
多数の人が好きなモノには拒否反応を起こしてしまうだけなのである。(典型的天邪鬼なのである。)
でも数百万以上も使う価値はあるのであろうか。(え?あなたが写真集作成に使う無駄金よりマシだろう
って。仰るとおりです。大変失礼致しました。)

 


 

神戸市立森林植物園  (2001/9/14)

 

私が本当に愛してやまない植物園である。特にコラムに書こうとしたきっかけは、写真集の選定の際に
余りにここで撮影した写真が候補として多かったことに自身驚いたからである。(結局は9枚を選んだ)
とにかく我が家からは遠い。まず阪急電車で新開地まで行き、そこで神戸電鉄に乗り換えて北鈴蘭台
駅で下車。そこから歩いて約35分である。(現在は体力が落ちたので、もっぱらタクシーを利用。)
家からざっと2時間はかかってしまう。それでも通ってしまうのはそれほどの魅力がある植物園だから
である。阪神大震災の直後は遠回りして何と片道3時間半かけて通ったものである。
その魅力は何か。そこで静かな空間を気持ちよく噛み締めることが出来るからである。ただ現在は駅
を往復する無料バスが出ているので、昔ほどは感じられなくはなってきている。
野鳥撮影では当たる確率が極めて低い場所である。しかし10年前は冬に行けば必ずマヒワ、ミヤマホオ
ジロ、ウソなどがごろごろしていた。今は信じられないくらいに冬鳥がいなくなってしまった為に、10回
行ってようやく1回収穫があれば良いほうである。(昨冬は最悪であった)
しかしここではあまりガツガツと野鳥を撮るんだという気がまったく起らないから不思議である。目の前に
野鳥の方から来てくれたらシャッターを押すという極めて自然体でかつ静かに撮影を行う。
そして必ず野鳥の森にある池の観察所で本を読み、静かな時を楽しむ。真冬ではここにいると本当の
一人を楽しむことができる。もちろんカメラはセットしてあるが、ほとんど読書とバードリスニングに集中
している。エナガやシジュウカラが近くにやって来てウロウロするのをボーッとしながら眺めるのもとても
楽しい時間である。ここは野鳥達と裸で接することが出来る関西唯一の場所だと思っている。
この観察所で撮影したカイツブリとオシドリの写真が大のお気に入り作品である。写真集の中で見て
頂けたらと思う。とても雰囲気のある作品であるから、感性の鋭い方には、恐らく見るだけで植物園の良
さをそのまま感じて頂けると思っている。
一度冬に雪が数十センチ積もった日に歩いて出向いたが、植物園に行く登り道にはたくさんの車が
乗り捨てられてあった。朝一に入ると園内は本当に私だけであった。野鳥達もベニマシコやツグミ、
ルリビタキ等がよく出てきてくれて大満足の日であったが、それよりも雪を堪能できたほうが大きな収穫
であった。誰もいない朝の雪に包まれた園内を一人歩く楽しさは言葉に出来ないものであった。
野鳥は少なくなった。それでも私を魅了し続ける植物園での私の写真は他の場所で撮影した写真とは
一味も二味も違っていると確信をもって言えます。撮影する私の心を平らかにしてくれる本当に素晴らし
い場所です。一度も訪れていない方は是非、今冬にでも一度。野鳥はほとんどいないかもしれませんが。

 


 

朝型夜型  (2001/9/13)

 

私は完全なる朝型人間である。やはり撮影に出向く為に、毎週末ほとんど始発電車に乗るからであろう。
その変わり、夜は徹底的に弱いのだ。とにかく9時(21:00)を過ぎてしまうと、体の動きが急激に落ちて
しまうのである。
そして寝るまではほとんど動かずにいる。ほとんど毎日が冬眠寸前のクマ状態となるのである。だから
テレビなんかで「新宿!眠らない街」なんかをやっていたりすると、とにかく感心してしまうのだ。
よく夜なんかに動けるものだと心底驚いてしまう。
夜というと飲む、遊ぶ等を思い浮かべるのだが、その何れも私は好きではない。だから必然的に朝型に
ならざるを得なかったのかもしれない。
しかし、朝の空気は限りなくうまい。家を出る時、そして撮影地に着いたときにいつも深呼吸をすることに
している。これはいつも午前様状態の夜型人間の方にはわからない(判りたくない?)楽しみ方であろう。
冬の朝などは街中でも空気が澄んでいて、星を仰ぎ見ながらあれがオリオン座、あっちには北斗七星が
などと独り言を言いながら駅に向うことになる。
でも生まれ変わることが出来るなら、是非夜型人間になってみたいと思う。あっちの方が人生的には楽し
いような気がするからである。
まだ私の場合、野鳥撮影を中心としたカメラという趣味があるからいいものの、趣味のない方で朝型人間
の場合は大変だと思う。早く起きてもすることが・・・・というのは一番辛いような気がする。
明日も始発電車に乗るため、4時20分には起きる予定である。まったく辛くはない。

 


 

テロ  (2001/9/12)

 

昨日の夜、突然飛び込んできたニュースに慄然としている。ニューヨーク及びワシントンでの同時多発
テロの発生である。テロとはテロリズム若しくはテロリストを指す言葉の略称で、反対者を暗殺するとか
国民を強権で脅すとか、暴力や恐怖によって政治上の主張を押し通そうとする態度と辞典には説明が
されている。
しかし、今回のテロ事件は余りに衝撃的かつ今までにない大きな事件である。あのマンハッタンの象徴
ともいえる世界貿易センタービル2棟にハイジャックした旅客機をそれぞれぶつけて破壊という極めて
暴力的かつ非道な行為を行ったのである。またワシントンのペンタゴンにも同じく旅客機を落としている。
いわゆる自爆テロではあるが、それに道連れにされてしまった旅客機にたまたま乗り合わせた方々の
無念やいかばかりであったろうか。ここにまずこの方々にお悔やみを申し上げたい。
旅客機にはその大きな機体を飛ばすために、極めて多くの燃料を要する。それ故に大きな爆弾代わり
にもなりうることを今回初めて認識された。このことは今後こうした大規模な無差別テロが誘発されてい
く可能性が極めて高い。ハイジャック自体を完璧に予防することは、考えるに極めて困難といえる。
彼らは自分達の主義・主張の為にはいろいろな手練手管を使って武器を機内に持ち込むことは間違い
ないのだから。
それと貿易センタービル2棟が次々に倒壊していく様子もショックであった。時間的に多くの方が仕事に
出向いていたであろうし、たくさんの方が犠牲になったと思われる。まさか、旅客機が突っ込んでくるで
あろうなどとは思いもよらなかったであろう。犠牲になった方々に心からのお悔やみを申し上げる。
とにかくこうしたテロという行為は日本にいると他人事のように思われるが、我々の国はテロ対象国であ
るアメリカの同盟国であることを再認識しなければならない。これはアメリカへの見せしめのために日本
というノーガードの国がテロの対象になる可能性が今後高まることは間違いないのである。
こうした人の命を毛ほどにも思わないテロを私は激しく憎む。己の主張を誇りたいがために無差別なる
殺人・破壊を行うなど許されない蛮行である。それと共にこの行為への反撃としてアメリカが行うと予想
されるある場所への空爆等の攻撃が無きよう祈る。おそらくアメリカは世界の警察を気取っている異常
にプライドの高い国であるから報復していくことは間違いないであろう。
しかし殺し合いを行うバカさ加減にそろそろ気付いてほしい。いつも被害に遭うのは一般の方々である。
こうしたことを繰返すことは何の有益な結果も残さず、残るのは永遠に果てることのない遺恨だけである。
我々日本人もこれを他人事のように見ることはせず、真剣に考えなければならない時期がきている。
映画の一場面のようなアメリカからのテレビ映像を呆然としつつ見て思ったことである。

 


 

タバコのけむり  (2001/9/10)

 

私がこの世で一番毛嫌いしているものである。とにかくこのタバコのけむりだけは勘弁して頂きたい。
小さい頃から気管支が弱くて苦しんできた私にとって本当に苦痛以外の何物でもない。
だからといってタバコを吸う方を全て否定するつもりはない。とにかくTPOを守ってさえくれていれば私
はとやかく言わない。
野鳥観察・撮影する人でタバコを吸う方も結構おられる。ただ、そういう人は100%近くがマナーを
守っている人ばかりだと思うことにしている。
会社でもほとんどの人間がタバコを吸わないのだが、一握りの人間が吸う為に事務所の空気は著しく
悪くなって困っている。やはり分煙は徹底すべきだと思うのだが。
また、見ていて見苦しいのが最近はやりの女性の喫煙である。本来バカである男性が吸うのはやむを
得ないにしても、本来賢明であるべき女性がバカな男達の真似をして喫煙率、特に若い女性の割合が
高くなっているのは私には我慢ならない。タバコほど百害あって一利なしといわれるくらいに無駄で有害
なものはないのである。それも吸っている理由がカッコいいからであるとか。いつから賢明であった女性
が堕落して男性化してしまったのだろうか。とても残念である。
最近はタバコを吸う場所も限定される場合が多く、嫌煙派としては嬉しい限りである。だからといって吸い
たい人間を一方的に排除していく今の急激かつ高圧的なやり方も私は好きにはなれないのだ。
吸う人には喫煙前の周囲への一言が必要であり、TPOをわきまえて嫌がる人への思いやりを持って頂きた
い。それと歩きタバコだけはやめてほしい。あれを見る度にその人間の品性を疑ってしまう。コマーシャル
でも歩きタバコは松明を振り回しているのと同じと注意を促しているではないか。見ているこっちが恥しい。

 


 

漫画(マンガ)  (2001/9/9)

 

マンガはそれほど興味は今はない。当方の部屋には1冊のマンガ本もないくらいである。
それでも学生時代には一時はまったことがある。あの当時は少年チャンピオンが人気があった。(今の
凋落が信じられないが)
当時は「ドカベン」「750ライダー」「マカロニほうれん荘」など人気作品が目白押しであった。「ガキデカ」
もあったような気がする。(うろ覚えで申し訳ないが)
特に連載当初のマカロニほうれん荘にははまっていた。不条理な笑いに大変なエネルギーがあった。
残念ながら途中で行き詰まったのか、パワーは尻すぼみになったが。
それと野球マンガがどちらかというと好きである。「野球狂の詩」「キャプテン」「プレイボール」「第三野球部」
「すすめ!パイレーツ」それと本当に好きだったのが南海ホークスでの「あぶさん」。水島先生も南海ホークス
と共にあぶさんは終了すべきであった。この素晴らしい作品は今も連載を続けることでその価値を落とし続
けている。残念でならない。
しかし、サラリーマンが電車の中で熱心にマンガを読んでいる姿を見ると、正直情けなくなる。もうちょっと
読む本があるだろうと思いたくもなる。マンガはやはり学生時代に卒業しておくべきものだと思うのだが。
最後にどなたかに教えて頂きたいことがある。確か作者は松本零士さんだったと思うのだが、戦争が始まる
ことを予見してひたすら缶詰を購入して自宅の地下室にため続ける。戦争は現実に起り、その主人公は
地下室で一人生き残ろうとして隠れる。さあ、缶詰を食べようとするも缶きりがないことに気付き泣き叫ぶとこ
ろでマンガは終わるというものだった。今でも妙にこのマンガは忘れられない。どなたかご存知ありませんか?