1 「あの、今、ここでキスしてもらえませんか?」
耳が変になったんだと思った。
でなきゃ、頭のほうがおかしくなったんだと。
今何時ですか?と聞き間違えたんだろうか。そう思って、時刻を確認しようにも腕時計もしていなければ携帯電話も持ち合わせていない有様なのに気付いた。
これじゃあ、彼女の役には立てそうにない。
「だめ、ですか?」
ためらいがちに彼女が二度聞いた。今度は不意をつかれることもなかった。
彼女は時間を聞いたのではない、と気付いた。
太陽がギラギラと容赦なく降り注いでくる休日、駅付近の有名デパートが立ち並ぶ大通り。外出を楽しむ人でごった返していて。
そのど真ん中で。
セーラー服を身に付けて、大きな紺色のリボンを胸の前でゆったりと結んだ女子高校生。
はっきり言って、自分は学芸会にて無理やり王子役を任せられるほど、容姿に優がつくわけではなかった。
また彼女のほうも、その申し出が切実なほど、破滅的な顔の造りではなかった。
むしろ、黒目がちで意志の強そうな瞳には強く、惹かれた。
考える間もなく、返事の代わりに顔を近づけて、軽く。
ざわっと人波が二人を中心に割れた。とまどい、好奇、迷惑、色々な感情で。
「……ありがとうございました」
丁寧にお辞儀までつけて、彼女はその場を立ち去っていった。人の波にのまれてすぐに見えなくなった。
俺は。
特に、キスに飢えを感じていたわけではなかった。
過去にも何人かの女の子と付き合ったことがあったし、経験はあった。その先までだってあった。
ただ、今、ここでしたそれが、過去に知ったものより、いとおしく甘いもののように感じるのは、……たぶん。
触れた部分から、伝わってきたからだ。
(震えて、た?)
……ありがとうございました。には、どういたしまして。と答えるべきだったんだろうか。
ただ触れただけのキスだった。
何も繋がない、キスだった。
ただ。
そっと弾くような。
開いた距離がいとおしいような。せつないような。
そんなキス。
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