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〜ボトムズ覚え書き〜 『孤影再び』サルベージ編

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『孤影再び』関連の検索でいらした方へ。こちらの感想は小説版についてです。アニメの方の感想は、2011年1月の日記同2月の日記の方にあります。

2010.09.05 いまひとたびの……

 「日経エンタテインメント!」 2006年5月号〜2007年9月号連載の『孤影再び』がOVA化、2011年年明けに東名阪で劇場公開……との情報のせいか、或いは、現在リリース中の『幻影編』が「『赫奕』のその後なのに、テイタニアが出てこない」という、上記連載を読んでない(あるいは存在自体を知らない)fanにはわけわからない状態になっているせいか、ここしばらく、テイタニア関連の検索が、うちのサイトにもちらほらとあるようです。

 というわけで、連載当時、日記に書き散らしていた感想を、自分自身の覚え書きを兼ねてここでひとまとめにしてみました。なにせ、4年前で、今よりもかなりエネルギッシュに恨んでいた頃なので、基本「文句つけちゃるモード」で、読んでくださる方には無用の不快感を与えてしまうのではないかと、ちと心苦しいのですが……(^^;;)。
 せっかくだからこの機会に全編読み直してみようか(長期連載ではありましたが、1回が短いので、そんなに大した分量 でもないし)……とも思いましたが、ここはあえて、当時の気分をそのままお伝えするという方向で。<手抜きの正当化(^^;;)。
 青っぽい文字でインデントが当時の日記からの転載。ここと同じ赤っぽい文字が、今回追加のコメントです。

 

2006.04.07付日記より

 昨日、「日経は『ボトムズ』でアニメ版「コミックバンチ」を狙っているのか?」ってなことを書いたあと、「じゃあ、この連載は『エンジェルハート』なんだ」……と思ったら、ふいに、自分の中で、感情の落としどころがついた……ような気がする(^^;;)。
 読んだ直後は、「ナニ? このクメン1話の劣化コピー!(以下、人様には聞かせられないようなグチと罵倒が続く)」って、イライラしてたのに、「まぁ、しゃあないよ、『エンジェルハート』だからぁ〜(苦笑)」 と思ったら、なんか、かなり寛大な気分になれる……ような気がする。少なくとも、今だけは。

 実のところ、今に至ってもなぜあの雑誌で連載されたのか謎のままです(^^;;)。『孤影』連載終了後は日経トレンディネットで「新・小説VOTOMS いちぶんの一」の連載があったり、日経ビジネスオンラインで高橋監督にロングインタビューしたり……と、あのカイシャのそっち系部門(かつ、自分の意向で企画を通 せる立場にある人)に良輔fanがいたから…ということなんでしょうかね?

2006.05.21付日記より

 バニラ&ココナ夫妻のJr達も登場しましたが、娘息子取り混ぜ6人も……というのは、ちょっと予想外でしたね。 娘さん達が、両親やお兄ちゃん達に比べてもお育ちがよさげなのは、商売が軌道に乗って羽振りが良くなってから生まれた子、ということなのかな。
 しかし、お子達のネーミングの適当っぷりが……(^^;;)。まぁ、両親からしてお菓子系の名前だから統一がとれていていいのかもしれませんが(^^;;)。でも、末の娘さんの名だけが「有害物質」扱い(たぶん現在は使われていないはず)の甘味料なのは可哀想だと思うの……っつーか、そもそも元ネタに気づかない読者も多いんじゃなかろうか。わたし自身「チクロ禍」報道はリアルタイムでは知らない世代ですし(漫画の「サザエさん」で知ったです)。
 あと、6人も「次世代」が登場してるのに、全員がバニラ&ココナの子というのは芸がないなぁ……と。一人くらい、ゴウトの子が混ざっていてもいいんじゃないかと。いっそココナより若い嫁さんもらっちゃって、子供もまだよちよち歩きで、バニラ達に「犯罪だろ!」「この子が成人するまで生きてられんのか?」ってツッコミ入れられたりしても楽しかったのに。
 「バニラとココナの子供」というのは、「その後」の『ボトムズ』を考えたとき、多くのfanにもわりと想像のつきやすいネタのようで、実際「子供」が登場する同人誌も複数知っております。ただ、そこではやっぱり、ゴウトはもう「おじいちゃん」扱いになっちゃうんですよね。まぁ、書き手の年齢(本放送当時中学生〜ハタチ前後)から考えたら、「おじいちゃん」扱いは仕方ないことですが、自分が30代半ば(あえて「後半」とは言わない)になって、本放送当時のキリコ達よりもゴウトの方に年齢が近くなってくると、「まだまだイケルじゃん」という気が……(^^;;)。本放送当時50前後(或いは、老けて見えただけで、実はもう10歳くらい若かったかもしれないし)だったら、まだ充分現役だったでしょうに(笑)。
 この話の「書き手」は、本放送時はゴウトと同年輩(?)だったろうに、なんでそういう発想にならないかなぁ……。
 なんかね、前回の「キリコ登場」シーンや、もっと遡ってスニーカー文庫の「小説版」を読んだときも感じたんだけど、この書き手、そういうところの感覚が「子供っぽい」。「若い」じゃなくって。「チクロ」とか、イマドキの若い書き手が使わない慣用句とか、お年を感じさせる描写 も随所にあるんだけど、基本的な感覚が「本放送当時10歳〜15歳で、キリコのヒーローっぷりに心酔してた男の子」みたいで、その辺りが、わたしなんぞには「イタイ」って感じられちゃいます(^^;;)。

 ここでふと感じた「なんでゴウトに女がいないんだ?」という疑問は、後年、『幻影編』にて更に強くなるわけですが…無論、当時はそんなことになるとは予想だにせず(^^;;)。

2006.08.29

 昨夜、日経エンタでランバ・ラルの享年を再確認するついでに、つい目に入っちゃった(見開きで隣のページなんだもん)例の連載「孤影再び」。バニラ含む街のエライさんたちの会合シーン、な〜んか、「ロサ・〜」とかって、妙な称号付で呼び合ってますが、これって『マリみて』?(爆) 某巨大掲示板でも、誰一人つっこんでない(っつーか、そもそもあまり話題に上らない)みたいだけど、わたしの思い違いだろうか……いや、でも、バートラー家の3姉妹とか、それっぽい雰囲気と言えなくもないし……

 そうそう、ランバ・ラルが享年35と知って衝撃を受けたのでした……。ところで、来年劇場公開のOVAでは「オヤジ達が『マリみて』みたいな名前で呼び合う会議シーン」はあるのでしょうか?(^^;;)

2006.09.05

 毎回一応目を通しているはずなのに、グルフェーが何で襲われているのか理由がわからなかった(^^;;)。もう一度ちゃんと読み直さんとあかんか(^^;;)。それはともかく、後半のテイタニアが格好良かったです。……ただなぁ、これで「肩書き」しょってなければ文句なしに拍手だったんだけどなぁ……。
 「孤影」に関しちゃ、文句は山のようにあるんだけど、その一つが、キリコを探すテイタニアの身分が「秩序の盾」のままだったこと。
 『赫奕』のラスト、旅立つテイタニアの衣装が、実はとても好きだったんですよ。質素なワンピース風の長い服で……巡礼服の一種だったのかな? 活動的ながらも、「女性」だとはっきりわかる程度に、胸やウエストのラインはしっかり出てたから、宗教関係の服装とはちと違うかもしれないけど……。なんにせよ、とても可愛かった。
 「似合っているか?」という点で言えば、コンプラントに現れた時の、身体のラインを完全に隠した上に、肩パッドがっちりないかついシルエットだった、いかにも高級そうな白いコートの方が上だったかもしれませんが、その「微妙に着こなしきれてない」感じが、また初々しくてよかったんですよ。>ワンピース
 あの衣装と、ロッチナのモノローグ(うろ覚えですが「父法皇の元に帰ることはなく…」みたいなこと言っていた)で、テイタニアの「家出」は、それまでの自分の地位 身分や生き方をいったん全部リセットして「ただの一人の若い女性」として、己の人生に一歩踏み出したものだと、わたしは見ていたんですね。
 無論、フィアナfanとしちゃ、あのシーンになった時点で、絶望と怒りでドロドロの心境だったけれど、それでも、新たな人生へと歩み出したテイタニアの姿にだけは、超超極細ではあっても、「救いの光」を見ていた。「(キリコとの関係はともかくとして)彼女の人生に幸あれ」……と、本気で願っていた。
 その後の彼女がどうなるのかも、実はアレコレ楽しく妄想していたですよ。とりあえず、身分は捨て、父との縁は切っても、信仰それ自体は捨てないのではないか。僻地の教会を渡り歩きながら、市井の信徒たちと触れあって、思いがけず「人助け」なんかしちゃったりする内に、政争の真っ只中に身を置くアレギウムの聖職者たちとはまったく違う「信仰」のあり方に目覚めたりとか……。
 例えて言うなら、「掃き溜めのスーパードクター」モノ(今ジャンル名つけた)とでも申しましょうか。『Dr. コトー診療所』とか、『MONSTER』とか(こっちは、ちょっと主題からはそれるけど)。大学病院で患者もろくにみないで派閥争いの教授の手伝いばかりやってた若い医学者が、諸々の事情で象牙の塔を離れて都落ち。最初は医者だということを隠していたが、ひょんなことで「都会のでっかい病院から来たえらいセンセイ」だとバレて、成り行きでじいちゃんばあちゃんを看取ったり、赤ちゃん取り上げたりする中で、医者としての使命感や自信を取り戻して行く……みたいな。

 それがね〜、蓋を開けて見りゃ、キリコを追っかけているのは想定内だったとしても、完全に元の鞘に戻っちゃった「七光り三度笠(@メタルマクベス)」状態だもんな〜(-_-;;)。 そりゃ、あの「家出」は、かなり強引と言うか、ある意味「緊急避難」的なところがあったから、いずれ一度は父ちゃんの元に戻ることがあってもおかしくはないけど〜〜、『赫奕』終了の「3ヶ月後」じゃ、いくらなんでも早すぎるだろう〜〜!!
 「作劇上の都合」というなら、日経エンタ読者の中で『赫奕』(もっと言っちゃえば『ボトムズ』本編)を知ってる人間がどれだけいるんだか読めない状態では、いきなり「秩序の盾」なんて出すよりは、「主人公を追いかけ回す訳アリっぽいおねーちゃんが、実はかつては……」みたいな出し方の方が「ご新規さん向け」なやり方だと思いますけどねぇ〜〜。
 だいたいさー、敵にも味方にも「銘入り」が多すぎるっつーの。今月号に出てきただけでも「黒い雄牛」?「五つの薔薇」?「黒い稲妻旅団」? 車田マンガじゃないんだからさぁ……っつーか、(現在はともかくかつての全盛期の)車田なら、もっとセンスいいネーミングするだろうし〜(一応、車田fanなもんで、ここは言っておきたい)。
 そうやって、やたらとキャラや団体にカッコつけた風の(でもスベってる)二つ名をつけたがるのは、ガキのシュミだと思いますのことよ。ア・タ・ク・シ!

 相変わらず作者を叩いてるな〜(^^;;)。えーっと、このあたりからテイタニアへの感想が出てくるってことは、この号かその前あたりから彼女が登場してたのかな?<既に覚えていない(爆)
 ちなみに、ここでブーたれてる

キリコを探すテイタニアの身分が「秩序の盾」のままだったこと。

は、アニメの方では設定が変わっていて、テイタニアはアレギウムから追放の身になっているそうです。

2006.10.04

なんか、テイタニアがすっげー乙女だよ! イヤ、根が純情な箱入り娘だってコトは前から知ってたけど、

 自室に入りベッドに身を投げると瞼の裏に赤い影が蘇ってきた。
(彼がいた……そして見ていた……)
〜〜中略〜〜
──彼に、会いたい──
〜〜中略〜〜
(彼は現れ、そして私を見ていた)

日経BP社「日経エンタテインメント!」2006年11月号 p.140より

 ……って、何十年前の少女マンガですか!
 可愛いけどさぁ……でも、スニーカー文庫のフィアナもそうだけど、この作者が書くと、アニメ版よりも3割〜5割ぐらいオツムが弱そうに見えるのはなんでだろう……文章が下手なせいだろうか。引用部分はともかく、その前後の繋ぎとか、なんか不自然っつーか、カンに触る。
 前回のラストでテイタニアを見ていた人物がキリコかどうなのかも、前回の時点では、わたしゃ確信できなかったし、テイタニアがキリコに気づいたって描写 も特になかったし……。
  いや、読んでて「ああ、テイタニアの出撃はやっぱりそれが目当てだったのね」って、納得できれば、別 に「テイタニア、キリコに気づく」の描写がなくってもいいんだけどさ、なんか、わたしの中では「そういう流れ」が掴めてなかったんで、とってつけたような描写 に感じてしまうです。

 んで、後半はバートラー家の父子対立。それ、どこのダグラム?……というのは、置いておいて、そこそこ読める文章だった……とは思う。ただ、キャラとか設定とか、かなり忘れているモノで、何が起きているのかイマイチ把握しきれてなかったりして(^^;;)。
 んで、何回か前にトートツに姿を消したキリコは、またトートツにバートラー家に戻っています。「姿を消す」方はキリコの得意技…っつーか、常習だから(なんや説明不足だなぁ…とは思いつつも)目をつぶってきたけど、戻ってきた経緯とか何の説明もなしだから、「戻ってくるくらいなら、最初から消えるなよ、ボケ」とか思ってしまう……

 …ほんっとに、内容を全然把握してないですね(^^;;)。>自分
 このとき「フラフラうろついてて何をしたいのかわからないキリコ」については、正直「どーせ、『キリコのあるところ騒ぎアリ』をやりたいだけなんだろう」と頭から思いこんでいたんで、最終回で「ジツは本当に目的があった」と明かされた時には、逆にビックリしました(^^;;) 。

2006.10.06

 更に今月の『孤影』ツッコミ。
 ちょっと前に、「テイタニアがマーティアルに戻っているのに失望した」みたいなことを書きましたが、今回の分を読んだ後では「キリコを追いかけ、敵対する(という形で彼の視界に入る)ために、父親との葛藤は一時置いて古巣に戻る決意をした」ってな経緯があった……と好意的な解釈もできるかな、と。
 #非好意的に見れば、書き手が『赫奕』ラストのテイタニアがどんなんだったか忘れていた…または、ハナから辻褄合わせを放棄していた、とも言えますが。

 イキオイで家を飛び出しちゃって、キリコを追いかけては見たものの、全然相手にされない(「敵」とすら見てもらえない)上に、アッサリ撒かれて見失っちゃったりして。んで、しょせん箱入りお嬢様〜キャリア組〜の正道しか知らない子だから、いざ組織を離れちゃったら自力での情報収集すらままならなくて、途方に暮れているところに、おウチからお迎えが……。父親とのいざこざで戻りたくなかった家だけれど、マーティアルの力と肩書きがあれば、キリコを追うことができる。もしかしたら、(たとえ「敵」としてではあっても)もう一度、彼と正面 から向き合うことができるかもしれない。ならば……ってな感じだったのか。
 これなら、たとえ見た目は「元の木阿弥」ではあっても、その内実は、組織や父の元を離れた己の無力さを知り、一方では、盲目的な信仰や忠誠ではなく、己自身の目的のために組織を利用するしたたかさを身につけたということで、『赫奕』終了時よりも、さらに「成長」した新たなテイタニア……ってことになる、かな。ちょっと萌え(笑)。

 ……トップページのサイト主旨の説明文を、「フィアナ及び『ボトムズ』の(主に)女キャラを応援してます」とかに変えた方がいいかもしれない……(^^;;)

 …作者がそこまで考えているわきゃーない、なんてことは、この時点でもイヤというほど解ってはいました。それでも、わたしにとって、「キャラクターの行動の背景を考える」っていうのは、「実在感」というか「あの世界に確かに生き、存在している」っていうことを感じとるために、ほとんど「脊髄反射」レベルでやっちゃうことなんですよね(^^;;)。作り手側がいい加減な描写 している程、負けるか!って余計にムキになって、「描写それ自体」は否定することなく「その背景」を考えちゃう。
  ところが、敵は一層手強く、こちらの努力を足蹴にするかのごとく「フィアナと交替させようとしてうっかり出しちゃったけど、評判悪いからやっぱり片づけちゃうことにしました〜♪ やっぱり、アテ馬キャラの結末はこれだよね〜、ミャハ☆」と言わんばかりの展開が待っていたわけです……

2007年8月頃(日付忘れた(^^;;)) TOPICSより……

「日経エンタテインメント!」連載『ボトムズ』新章「孤影再び」。2007年9月号にて連載終了。
 あの結末なら、半年くらいの連載で充分だったのではなかろうか……。ネタ自体は悪くないけど、あの文章と、あの展開ではどうにもこうにも……。前号のテイタニアの扱いについても……もう、何も言いたくない……

 その前の感想から、1年近く間が空いてますね。まぁ、この時期は更新自体が途絶えていたのもあるけれど、この間に話の展開が何がどうしてどうなってたのか、まったく思い出せない(^^;;)……って、読み返せよ。>自分
 「あの結末」「ネタ自体は悪くない」ってのは、「ふらふらと現れたり消えたりしてるキリコには、ジツはこういう目的が…」ってタネ明かしの部分ですね。前述のように、まさかそんなものがあるとは予想してなかったので、ここはかなりビックリしました。
 で、テイタニアに関しては……これはもう、敗北宣言、ですね。わたしの、書き手に対する。
 彼女の迎えた結末に対して、「そこに至るまでの彼女の物語」に注目し、語ることができなかった。 思ったのは、「……この野郎、またやりやがった」。『赫奕』でフィアナに対してやったことに対して、口では後悔しているようなこと言いながら、まったく同じことを、テイタニアに対して繰り返した。
 「中の人などいない!」ならぬ「外の人などいない!」を信条に、「あの世界の中で【実際に】生きている彼ら彼女らの存在」を感じとろうとする…のが、わたしの基本姿勢だけど、それを通 せずに、「作り手の思惑」の方しか見えなくなってしまったのは、わたしの敗北、になるんでしょうね。

 だからと言って、作者の「勝ち」だとは到底認められない。
 語弊のある言い方ですが、「キャラクターの死」って、言ってみれば一番の「見せ場」「花道」なんですよね。観る者が、そこに至るまで彼や彼女の人生の軌跡を振り返りつつ「彼/彼女の物語の結末」を粛然と見守り、「ああ、良いことも悪いこともあったし、惜しいことも多々あるけれど、あの人らしい生き方だったね。忘れないよあんたのことは」なんて静かに悼むことができるようなのが、「上等の死なせ方」だと思う。
 そういう点では、「皆殺しのトミノ」「皆殺しの田中」の異名(ふたつな)を取る方々の代表作(『イデオン』『銀河英雄伝説』)あたりは、ジツは結構「上等の死なせ方」してると思うんですよね。
 各キャラクターの死の見た目や展開のショッキングさの裏側に「死とは、その人の人生の最終章なのだ」って観点がしっかり感じられる、というか。
 で、その辺の作品にトラウマ受けた世代(と思われる)の富士鷹ジュビロ…もとい(^^;;)藤田和日郎作品(『うしおととら』『からくりサーカス』等)だと、「キャラクターの死」の背後に「そのキャラの人生」を(明示であれ暗示であれ)描こうって姿勢が更に明確になる感じ。まぁ、ジュビロの場合、正直、時々「熱意は確かに伝わるけど、ちょっと空回りじゃね?(^^;;)」って思っちゃうこともあるけど(^^;;)、それでも「死んでいくキャラ達の人生の重み」を「主人公ほか特定のキャラクターの都合や、作品それ自体の都合」よりも絶対的に優先している(と感じられる)ところが大好き。

 で、話を『ボトムズ』に戻すと、イプシロンやバーコフ分隊はかなり「上等の死に方」させてもらえたと思う。
 対して、フィアナやテイタニア、あるいは『幻影編』のポタリアはっていうと……
 9/3のボトムズナイトはじめ、近年のインタビュー等で再三「(フィアナへの愛情がないって責められたけど)ちゃんと愛情はあるってことを示したい」みたいなこと高橋監督は言うてますが、わたしに言わせれば、「あなたに欠けてるのは、愛情じゃなくて、敬意です」と主張したい。「敬意」=「相手を自分とは別 個かつ対等の存在として尊重する気持ち」の伴わない「愛情」なんて、「暴力」と紙一重ですよ。
 そもそも、「ファンに言い訳したい」って了見からしてふざけてる。つまり、「自分の人気取りのためにキャラクターの生死をもてあそんでる」ってことでしょうが。愛しい彼女たちが、そんな「暴力」に晒されるのを目の当たりにするくらいなら、無関心で放置された方がどんだけマシか……。

 漏れ聞く情報では『孤影』アニメ化に際して、かなり原作に手を入れたらしいので、「結末」が同じであっても、少しはマシになっているかしら……と一縷の望みは抱きつつ、まずは来年を待つ所存です。

 

 

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