星の見方楽しみ方 

(星のこと、望遠鏡のこと=日記・レポート風)
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目次は下ほど古く、記事は下ほど新しくなっております。



リニア彗星とM33銀河の接近   父島出張記(4)

父島出張記(3)   父島出張記(2)

父島出張記(1)   父島出張と双眼鏡

土星のいる双子座   自分で使う望遠鏡

静止衛星と謎の天体   主砲機能回復

望遠鏡めぐり   太陽から目が離せない(2)

主砲機能停止   去り行く火星−2

太陽から目が離せない   太陽大変

あれもこれも・・・   双眼鏡・望遠鏡サミット

デジカメ天体写真   廃棄望遠鏡の味

写真談義   去り行く火星

三脚を強くする!?   御役御免

石川町スターライトフェスティバル(U)=会場での結婚式=

石川町スターライトフェスティバル   津波は怖い






津波は怖い
2003.10.01


  早いもので、なんのかんの言いながらもう10月。
  職場では先週末の十勝沖地震の記録が揃い始めたが、中で一番インパクトが強かったのは、新聞でも報道された震源に近い港での津波のグラフ。10分ほどかけて2.5メートルも水位が上がり、さらに10数分かけて今度は逆に2.5メートルも水位が下がる。都合5メートルもの潮位の変化が20分ほどの間におこっている。過去大きな被害をもたらした津波はこの何倍もの規模だろうからどんなに恐ろしいことだろう。グラフを見ながら背筋が寒くなった。
  雲の多い天気で、夜の星見も望みが薄い。

  写真は、昨晩撮った写真の第2弾、こうま座との境界付近にあるペガサス座のM15=球状星団。こちらは30秒露光を2枚重ねている。




石川町スターライトフェスティバル
2003.10.05


  先日も書いたが、私が一番好きな星まつりのひとつ「石川町スターライトフェスティバル」に2泊3日で参加してきた。
石川町は福島県にある「母畑温泉」で名前の知れた静かな町だ。福島県は星屋の集会「星まつり」の発祥の地といっていいような所で、たしか1974年の夏(?)以来、毎年夏、磐梯・吾妻山系の浄土平で、「星空への招待」と銘打って、数千人が集って自作の望遠鏡を持ち寄ったりして楽しんでいた。もちろん「仕掛け人」の中心は福島県のメンバーが多かったようだ。
  石川町の星まつりは、その後全国に広がった「星まつり」のひとつだが、参加人数こそけして多くはないが、どちらかというと始まった当時の「星空への招待」の雰囲気を残す数少ない星まつりのひとつだと思う。
  写真は、そんな今年の星祭りを代表するような「超弩級自作望遠鏡」。口径20cm長さがなんと3メートルもある長大望遠鏡。レンズは有名レンズ職人さんの「お作」、部品や機械部分はメーカー製を寄せ集めて作られているが、自分で設計図を引いて部品を特注したりして組上げた、世界に1台しかない立派な「手作り望遠鏡」だ。
  この星祭りには、こんなお祭りでの注目をめざして(といっては失礼かもしれないが、少なくともものすごく励みにはなっていると思う)、精魂を傾けた「作品」が毎年登場する。夜は、晴れれば天の川の流れる満天の星空の下で、望遠鏡の見比べや星の話題で夜が白むまで文字どおり語り明かす。もちろん、今年も見事に晴れ渡り、お目当ての望遠鏡の周りでは遅くまで望遠鏡談義が続いた。そう言えば、私の望遠鏡も結構お客さんが来てくれて忙しく、自分の望遠鏡を撮った写真が1枚もない。





石川町スターライトフェスティバル(U)=会場での結婚式=
2003.10.06


  昨日に続いて石川町SLFの話題。
  昨年に続いて、今年も若いカップルの「結婚披露」が会場で開催された。しかも新郎新婦は去年も今年も我が「つくば星の会」のメンバー。星まつり二日目の深夜(午前0時)、お祭り恒例の名産石川牛大焼肉パーティーが開催される。披露宴はその開始前、参加者が手に手に箸とお皿とコップ(お酒類用)を持って見守る中、お祭り実行委員長の青柳氏の司会で執り行われた。
  星仲間ではチョット有名な「アクアマリン」のお二人からの花束贈呈、立会い保証人田中千秋氏のあいさつ、ケーキ入刀、質疑応答…と、短時間だが多いに盛り上がった。

  このふたりの祝宴、実は青柳実行委員長の「自腹」(ケーキも花束も…)。頼んだ私達は、当然ある程度の出費を覚悟していた。ところが、「式」の打ち合わせに来た青柳さんを捕まえて請求してくれるように言ったらこんな返事が返ってきてビックリ。
  青柳さんは、たいへん「腰の低い」方だ。この星祭りにしても1円も負担することのない我々参加者に、終始お客様扱いで丁寧に接し、自分は終日会場中走り回りゲストはもとより、会社ブースや参加者のテントまで訪れてあいさつされる。場内放送から受け付け、会場案内までまさに「率先垂範」の大回転である。「式」の打ち合わせに来た青柳さんの声は、すでにすっかり涸れていた。
  こんな無私なお人柄だから、小惑星の名前にしようという声が仲間から上がるのも当然過ぎるほど当然だろう。
  でも、言われてしまった。「来年は勘弁して…」。ああ…、もう感謝と申し訳なさで、なんと言ったらいいんだろう…。

  写真は向かって左のふたりが「アクアマリン」、そして新婦と新郎、田中千秋さん。そして少し離れて「司会」の青柳実行委員長。




御役御免
2003.10.07


  今日は、霞ヶ浦のほとりにある施設を会場に土浦市教育委員会主催の星を観る催しがありボランティアに出かけた。
  もうかなり続いて「恒例」になっている行事なのだが、実は去年あたりまで、私は「必要不可欠」なスタッフであった。というのも、この講座を始めるにあたってかどうかは知らないが、発売されたばかりのミードの自動導入シュミットカセグレン経緯台を購入したのだが、当時英語のマニュアルしかなく、使える職員がいなかったからだ。そこで、当時ユーザーだった私に白羽の矢が立ち、「望遠鏡稼動要員」として珍重されるようになったわけだ。(別に謝礼が出るわけではない!)
  しかし、「使えるものがいない」ハズなのに、不思議に使うたびにどこかおかしくなっている。だから、毎回お客さんがお話を聞いている間、光軸調整やら、ファインダーの調整やらに追われていた。
  ところが前回あたりから、その望遠鏡が出てこなくなった。ついに完全に壊れたらしい。と言うことで、私も「御役御免」。すっかり気が緩んで、今日も雲が多いことを良いことに望遠鏡も持たずに顔を出したら、なんとかお月様と火星が見える空模様に…。参加した子ども達に「今日は望遠鏡が少ないねえ」といわれ、やっぱり手ぶらはまずかった…と反省した。

  写真は昨晩(10/6)の火星。最接近の頃に比べるとずいぶん小さくなった。それでも、久しぶりに少しは気流が落ち着き、「(こち亀の)両さんの眉毛」と呼ばれた濃い山型模様が写った。




三脚を強くする!?
2003.10.13


  左の写真は、先日の石川町の星まつりに持って行った15p双眼望遠鏡。今日は、この三脚の強度を高める工作を実行した。
  などと偉そうなことを言っても、実際やったことといえば「三脚の開きを大きくした」というだけ。でも、「な〜んだ」といわないで欲しい。じつは私はこう見えてもなんと「測量士」なのだ。測量といえばトランシットやレベルを載せる三脚。三脚といえば望遠鏡よりこちらの方が「主流」なのだ。
  そんな私の「御眼鏡」にかなった三脚がこの三脚。振動の吸収に優れた木製。遊びを許さない2点止め(金具の厚さも凄い!)。思いきり踏みこめる頑丈な石突き。などなど。今時、こんな頑丈な三脚が必要な測量機械はないはずなので、兵器用かなあと思う。それでも、写真のように重たいもの(多分7〜80キロ)を載せると少し振動が気になった。

  そこで今回の「改良」となった次第。どうして「三脚の開きを大きくした」というだけで「強化」になるのかというと、これはやってみた者しかわからない不思議体験なのだ。三脚は広げるほど強くなる。もちろん限度はあるのだが。たぶんねじれにくくなるのだと思う。
  そんな訳で、三脚の開き止めとなる材料を探したら、地元の資材店でステンレスのほとんど加工が必要ないようなものが1000円足らずで揃った。でも、単純な「開き止め」なのでどのくらい強くなったのかは、載せて見ないとわからない。
  とりあえず「ガセネタ」だったらゴメンナサイ。

  右の写真は純正の三角板を付けた状態と、今回の改造を施した場合の比較。開く角度は、写真を最大に楕円穴を選ぶことで調整できる。開き止めの中心は蝶番を3個合わせてあり、ここを持ち上げることで収納状態となる。(ビクセンのと原理は同じだが、自作の三脚は昔からこの方式を採っており、真似たわけではない)




去り行く火星
2003.10.16

  お隣の中国が「長征2号」ロケットにより打ち上げた人間宇宙船「神舟4号」の無事帰還により、世界で3番目の宇宙に人間を送った国になった。
  いろいろに揶揄する声もあるが、先を行った米ソ両国や日本を含む宇宙を目指している国々と、その目的がさほど大きく異なるとも思えない(いずれも好ましくは思えない)。まずは、自力で宇宙旅行をなし得た隣国の努力に敬意を表するとともに、宇宙旅行の夢がまた一歩近づいたことを素直に喜ぶべきだろう。
  でも、調べてみたらこの打ち上げに使われた「長征2号」というロケット、日本の「H−UA」よりひとまわり小さいくらいのロケット。そう思うとなんだかたよりない気持ちになってしまう。もともと「宇宙船」などといえば聞こえは良いが、月に行ったアポロ宇宙船をはじめ、宇宙船は皆、ミサイルの爆弾のかわりに人が乗るスペースを設けただけのナントも危なっかしい「乗り物」にまだまだかわりはないのだ。

  写真はずいぶん小さくなった火星。もう少し楽しめる火星だが、沈みかけている太陽湖の「目玉」がなんとなく名残惜しそうな「目つき」に見えて、「本題」と全くかけ離れているがこんな題名をつけたくなった。




写真談義
2003.10.18

  昨晩は「晴天確実」といわれ気合をいれて写真を撮ろうと思った。
  しかし、実際は気流状態が悪くて火星や土星はだめ。この夏なんとかモノにしたいと思ったデジカメによる「M57」と「M27」に挑んだが、やはり気流と作戦負けで期待した成果は得られなかった。

  M57とM27は、有名な惑星状星雲でそれぞれこと座とこぎつね座にある。ただ見かけの大きさが全然違い、M57の画像はM27より約4倍に拡大されている。いずれも4〜5枚の画像をコンポジット(重ね合わせ)しているが、どうしてもザラザラ感とボケボケ感が克服できない。

  悔しいので1時過ぎ、お月様でリベンジを試みた。一見良く写っているように見えるが、良く見ると左のほうがボケている。これは使ったレンズのせいではあるが、気配りと対処は撮影者の責任である。

  それと、このお月様の写真、アクロマートというお安いレンズを使った望遠鏡で撮っており、そのことは原画を見ると月の縁が黄色い色が出ていることでわかる(簡単な修正でほとんど目立たなくなってしまったが)。でも、デジカメの出現でお月様の撮影もそこそこの画像なら簡単に撮れるようになった。(その先が険しいのだけれど…)
  それから、お月様の向きが横なっているのは、空に浮かんでいるそのまんまを撮影したためで、明け方には本に載っているとおりの欠けぎわを右にした姿で見られる。
  お月様の写真をクリックすると大きな画像が見られる。「壁紙」などにどうぞ。




廃棄望遠鏡の見え味
2003.10.19

  先日、机の引出しからなつかしいレンズが出てきた。中学2年の冬に作った「5cm、fl800o」望遠鏡のシングル対物レンズだ。
  その年の夏、隣りの家の幼馴染と作った「6cm、fl1000o、100倍望遠鏡」に次ぐ第2作目だ。確か5cmはラムスデン式20oアイピースで40倍だった。どちらもボール紙を自分で巻いて鏡筒を作ったが、一作目の6cmは最初という事で丁寧に作業したので今思ってもきれいに巻けたと思う。しかし、2作目は筒の細さもあってあまり良い出来ではなかった。でも、倍率が6cmの半分以下の設定だったせいか、ファーストライトで見たお月様が凄くきれいに見えたのを今でも覚えている。
  そこで、もう一度あの頃を思い出して…と製作を思い立ち、適当な筒を探していたら、職場のゴミ捨て場に大型インクジェットプリンター用紙の芯(紙のパイプ)が捨ててあった。計ってみると「内径5cm!」。実際はめ込んでみたら対物レンズもぴったりなら、接眼レンズも50o径のにぴったり!。ほとんど面倒な工作をすることなくあっという間に完成してしまった。
  でも、覗いてみると32o接眼レンズでわずか25倍というのに、ものすごい色収差!。すばるはまあ良いとして二重星団さえぱっとしない。「こんなものだったかな〜」と少しがっかりしながらも、1インチくらいに絞って土星の環っかくらいは見えるようにしたいと思った。

  そんな遊びをしていたら、今度は数年前に街中のゴミ置き場に捨ててあった6cm望遠鏡を拾って置いてあったに気がついた。
  分解してみたら、レンズ以外全てプラスチック製だが、迷光防止の絞りがキチンと3枚入っていて、対物側からの余計な反射光をほとんど完璧にカットしていた。材料で手は抜いているものの、基本構造はじつに律儀に踏襲されているように感じた。こちらも少し掃除をしてテカっているところにつや消し塗料を塗るなどしてみたら結構良く見えるようになった。こちらはさすが「アクロマート」。シングルレンズとは比較にならないほどきれいな像が見られた。

  写真左上は、2本の鏡筒。6cmの鏡筒は三脚とともにガムテープでぐるぐる巻きにされて捨てられていたためご覧のような状態。フードもファインダーもすでになかった。写真右は5cmシングル用の部品。




デジカメ天体写真
2003.10.21

  先日からちらほらご覧いただいているデジカメ(ニコン クールピクス5000)による天体写真。今回は8pF5アクロマートレンズ+25o接眼鏡による撮影を試みたのでご覧いただきたい。(右の写真)

  写っているのは有名なスバル。この写真、実は5分露光の1コマだけの画像である。もちろん、最初は少なくとも3枚程度の重ね焼きをしてコントラストや粒状性の改善を狙ったのだが、1コマだけでも結構良い線を行っていると思ったのでご紹介した次第。全体に雲がかかったようになっているのは、スバルの星雲ではなく、レンズの収差と薄雲のためと思われる。(メローペの右側の星雲はかすかに出ている)
  「デジカメの性能向上(7/13)」でクールピクス5000のファームウェアを更新した事を書いたが、正直あまり変わりはないだろうと思っていた。特にいちばん期待していた「ノイズ除去機能」は、購入当初から長時間露光の場合の効果に不足を感じていたので全く期待しないでいた。ところが、上がってみると写真のとおり。確かに赤いノイズは残っていたので画像処理で目立たなくしたが、そんな難しいテクニックを使ったわけではない。これには正直驚いた。

  左の写真はいつものように火星。かなりきつい気流状態で撮影をあきらめかけたが、思いきって撮影してみた。しかし、やっぱり全然ダメだったのでやめようとした矢先、ふっと気流がおさまった。その時のコマを9枚選んで重ね焼きしてみたら、なんとか模様が出てきた。気流のおさまりはまもなく元に戻ってしまった。




双眼鏡・望遠鏡サミット
2003.10.26

  愛知県は東栄町というところで開催された第6回 双眼鏡・望遠鏡サミットという催しに参加して帰ってきた。
  この催し、自分が所有したり作ったりした双眼鏡や望遠鏡を持ち寄って、交流を深めるといった点ではいわゆる「星まつり」と同じなのだが、参加は完全予約制、三食と宿泊施設が完備されているという点でキャンプ的な他の星祭りとは若干趣を異にした星祭りである。
  会場が愛知県ということで片道8〜9時間という、一人運転では人生最初の大遠征であった。また、参加を表明しておられる方々が、多くがその道の有名人であり、またネット上でも大活躍している方々であるということから、自分が持ちこんだ機材がどんな評価を受けるのかものすごく心配で、途中引き返したいと正直何度も思った。
  でも、見ると聞くとでは大違い!。皆さん気さくで、的外れかもしれないこちらの質問に懇切丁寧に答えてくれたし、目からうろこが落ちるようなアドバイスやアイデアをたくさんいただいた。
  また、主催者側実行委員会のスタッフの皆さんの昼夜を分かたぬ献身的な世話焼きには心から頭が下がった。
  サミットの報告は、明日以降少しずつするとして、まずは参加した皆さんや実行委員の皆さんにお礼が言いたくてこれを書いた。本当に楽しく、勉強になった催しで、やはり「参加して良かった!」と実感した。

  写真は会場風景。(レポートはこちら)




あれもこれも・・・
2003.10.29

  「双眼鏡・望遠鏡サミット」から帰って以来、頭の中が望遠鏡のことでいっぱいになっていて、いろいろなアイデアや作りたい望遠鏡のことが浮かんでは消えて行く状態である。いろいろ「報告」風に書きたいこともあるのだがまだまとまりそうにない。
  それから、もうひとつ「病気」にかかっていて、星見をする気になれないでいる。理由は、サミットの会場が星見に適した暗くて良い空だったためで、それに引き換えこちらの空は月夜のように明るく感じられて面白くないのだ。ただ、これもしばらくすれば治ってしまうことは、これまで何度も経験ずみなので心配な病気ではない。

  先週から太陽の活動が活発になっていて肉眼でも見える黒点が現れている。そのお陰らしく、環境観測技術衛星「みどりII」(ADEOS-II)が故障で回復不能の状態らしい。私の職場にも、そのために期待していた論文を書き損ねそうな研究者がいるので、気の毒に思っている。財務省に言われてコストを重視するあまり、やたら「多機能」にしてしまったところにいちばんの故障の原因であると思っているが、それにしても、なんで「ADEOS」なんて名前をつけたんだろう?。スペイン語の「さよなら」同じ語呂だもんね。

  写真は今日の火星。大シルチスが見えている。(色といい形といいお相撲さんの「マワシ」のようだと言った人がいた)




太陽大変
2003.11.03

  十月中旬ごろ突然出現した肉眼でも見えた太陽の大黒点。前後して三個も(確か?)出現したおかげで、突然の太陽ブームが起こった。
  出現直前は、しばらく「無黒点」ともいえる静かな日が続き、せっかく手に入れた『太陽フィルター』も少々興ざめであった。ところが、『太陽に肉眼黒点!』のニュースで太陽を見ると、素晴らしくでっかい黒点がどかっと発生していた。巨大なフレアーも発生し、各国の人工衛星が故障や不調に見まわれた。また、「北海道でもオーロラが見られるかもしれない」という予想をはるかに越えて、なんと長野県や群馬県でも見られたという「嬉しい(?)誤算」もあった。
  私も急遽10倍の双眼鏡に太陽フィルターを取り付け、職場に持ち込んでみんなに太陽を見てもらった。窓辺に三脚を据えて置きっぱなしにした太陽双眼鏡は、ひっきりなしに見に来る人がいるようでいつ行っても太陽の方を向いていた。
  もちろん望遠鏡業界でも、さっそく太陽観測用の品揃えをしていた。
  しかし、南北に二つ並んで大きさを競っていた肉眼黒点も、昨日見たところでは太陽の裏側に沈みかけ、そのあとの巨大黒点の発生は今のところなく、また静かな太陽に戻りつつあるように見える。

  写真は10月31日の太陽。(左上が北。写真をクリックすると大きな像が見れる)

  双眼鏡や望遠鏡で太陽を見たいときは、かならず「太陽観察用の特殊なフィルター」を付けること! 何も付けない双眼鏡や望遠鏡で直接太陽を見ると、目がホントの『目玉焼き』になり、最悪の場合失明します。




太陽から目が離せない
2003.11.16

  10月後半、肉眼黒点出現!とか、日本でもオーロラが見れた!とかとにかく世間を騒がせた太陽だが、11月前半は、再び「ほとんど無黒点」という状態が続いていた。しかし、数日前から、最初に出現した肉眼黒点と思われる黒点が太陽の裏側を半周して再び見え始めた。(写真をクリックすると大きな画像が見れる)
  太陽も27日ちょっとの周期で自転している訳だが、今回のような巨大な黒点の場合、寿命が長くて、太陽が数回自転する間くらい存続する場合があり、今回もその実例だろう。すると、後から追いかけるように出現した黒点もあと数日すると再び見えてくるのだろうか?いずれにしても、出現した時のような勢いは失っているだろうから、今回特別何か起こるというようなことはないのではないか?




去り行く火星−2
2003.11.18

  この夏、ネアンデルタール人の時代以来の大接近を果たした火星は、ずいぶん小さくなりながらもすっかり早くなった夕暮れの空に高く輝いて、夏よりも見やすくなっている。
  そんな火星に、期待して望遠鏡を向けるのだが少々がっかりさせられてしまう。すっかり小さくなった姿も然る事ながら、大気の状態は完全な「冬」。谷川の流れの下の白い石を見るように像が全く定まらない。定まらないばかりか時にはボボボッと像が大きくぼやけて膨らむ。写真など撮れたものではないのだ。
  火星に換わってこれからの目玉は土星。夜の9時ごろにはもう昇ってくるようになっているので是非お楽しみいただきたい。

  写真は最接近した8月27日と最近(といってももう2週間も前の)火星。本当に小さくなってしまったのと、片側が陰になって細長くなってしまった姿を見て欲しい。




主砲機能停止
2003.11.19

  死角の多い我が家の観測小屋の中の主砲「NGT−18」だが、昨晩はなんとか土星に向くようになったので勇んで視野に入れた。
  さて中央に導こうと微動をかけたが「動かない!」。まさかと思ってメインスイッチのランプを見ると「消えている!」。電源のコンセント、コードの痛み、接点のゆるみなど、およそ考えられるトラブルを一通りチェックしてみたがどこにも異状はなかった。でも動かない!
  今日は、仕事から帰るとすぐ改めてあちこちチェック。でも動かない。空を見ると「曇り」という予報に反してすっかり晴れ渡っている。それに、なんだかトロンとした星の輝き!。そう、気流が落ち着いている証拠である。微動のきかないNGT−18を火星に向けると、最高とは行かないものの夏の頃のような落ち着いた像。極冠や模様も久しぶりにそこそこに見える。でも動かない。動かない望遠鏡では写真撮影は無理。なにせ500倍近い倍率がかかっているのだ。ただ指をくわえて眺めているしかなかった。
  結局、パネルなどをはずしての点検も行ったがどうにもならなかった。

  写真は、昨日と同様10日以上も前に撮影したお月様。中央にあるアーチ状の地形には「虹の入り江」という綺麗な名前がついている。お月様の黒っぽい部分を「海」と呼んでいて、その海が半円形に入りこんでいるので「入り江」。入り江を取り囲む断崖が太陽に照らされてひときわ輝いて見える様子はまさに「虹」という名前にふさわしい。(写真をクリックすると大きな画像が見れる。壁紙にでもどうぞ)




太陽から目が離せない(2)
2003.11.20(.21写真追加)

  職場で突然に、「アデオスの故障はやっぱり太陽が原因だったんでしょうか?」と話しかけられた。そういえば一時不調をきたした人工衛星の話はあっても「壊れた」という例はないようだ。だいいち太陽風を考慮しない衛星の設計なんてするだろうか?そう考えると「壊れるべくして壊れた」といわざるを得ない。もちろんそのような弱点を内在させていたということだ。
  アデオス2は衛星の中でも特に高額な衛星だったから、再起不能への風当たりも相当なものだろう。でも、こんな事は血税を使われる側として言うべきことではないかもしれないが、「失敗はつきもの。特に宇宙では」といったゆとりを持った考え方はできないだろうか?
  Qちゃんがアテネ行きの切符を取りあぐねているのも「勝たねばならぬ」という内外からのプレッシャーも多いに原因しているように思えるのだ。時には温かく見守る事も必要ではないだろうか。
  で、冒頭の質問への私の答え。「ネーミングが悪かったからじゃないですかね」。

  でも、こんな話題が出てくるのも、職場に置いた私の太陽フィルターつき双眼鏡のせい。先月大規模なオーロラをもたらした第2第3の肉眼黒点(写真左側の縦に並んだ二つ)が再び太陽の向こう側から姿を現してきたからだ。




望遠鏡めぐり
2003.11.22

  リンクをはっていただいている「ガレージKATO」の加藤さんの発案で、栃木県は益子町にある天体観測施設「スペース250」の見学をした。また、そこからほど近い小山市の濱野さんの観測所も見学させていただいた。
  参加者は加藤さん、濱野さんのほか同じくリンクさせていただいている「北軽井沢観測所」の大久保さん、星ナビ「双眼狂闘病記」執筆中の小田さん、など総勢7名。25pSD(ペンタックス製)、ヨシカワ40cmニュートン、20pEDアポを巡る会は正に至福の時間であった。


写真@→「スペース250」ペンタックス製25pSDアポ。ペンタックスが工場のある益子町の敬意を表して、唯一完成した25pアポを納入したもの。
  あいにく雲の多い空だったが二重星や火星などを見せてもらった。気流の悪い土地柄のため力が十分発揮されないでいる印象で、みんなの感想も「どこか空の良いところで見てみたい!」だった。また、飛騨の65pのように「虹彩絞り」を付けたら良い結果が得られるのではという意見もあった。


写真A→「スペース250」の主鏡。内部の構造がわかる。さすがにデカイ!


写真B→参加メンバー。「スペース250」を傍らにパチリ!。望遠鏡の大きさがおわかりいただけると思う。


写真C→濱野さんのヨシカワ40cmニュートン、20pEDアポ(筒先部)。20pアポ鏡筒のフードはドームにぶつかる恐れがあるため短縮されている。
  実は私は、8年ほど前の納入当初から覗かせていただいている。その後すっかり御無沙汰していた間に、永田光機の永田社長の手によって「大改造」が施され、納入当時とは比べ物にならない使い良さとなっていたのには正直ビックリした。
  関東平野のど真ん中。水田に囲まれ観測所は見晴らしも良好。けして高山のような条件ではないが空もなかなか暗くて星が大きく感じられる。ご自宅の敷地内にあってこの条件なら羨ましいというほかない。
  今回、濱野さんには超多忙な中、我々のために時間を割いてお付き合いいただいた。


写真D→同じく後部。架台は永田光機製。永田社長の仕事の丁寧さが随所ににじみ出ている!。
  大小4本の鏡筒をはじめカメラレンズなども載せているのに全くびくともしていない。「この倍、載せても余裕だねエ」といった無謀な感想も漏れたほど(あ、これは私だった)。

  「北軽井沢観測所」の大久保さんのリポート「望遠鏡探訪」もどうぞご覧あれ!






主砲機能回復
2003.11.24

  この19日、突然機能停止した主砲「NGT−18」だが、とりあえず販売会社にメールで対処方法を問い合わせたところ、まあ、当たり前のことだが「電気系統の接続部分をチェックしてみて」といわれた。
  「もう見たよ」とふてくされつつ、一応そのチェックを支持どおりやることにした。ひととおり当たってみたがやっぱり分からない。と思ったら一箇所チェックしていないコンセントがあったのに気がついた。機械各部のモーターやコントローラーに電気を送るメインコンセント。まさかと思ったが外してよく見ると腐食して噴出しているものがあった。それを削り取って再び差し込んでみると、動いた!。
  あまりの単純な顛末に恥ずかしいやら嬉しいやら、複雑な気持ちである。なにはともあれ販売会社の担当者殿には「お礼」のメール。
  どうも、よく夜露を浴びていたので、濡れた状態で通電を重ねるうちに錆が湧いてしまっていたようだ。よく手入れもせずにこき使ってきたバチがあたったのかもしれない。いやはや面目ない・・・

  写真は太陽。といっても今日は曇り。ちょっといたずらをして11月21日から23日までの三日間の画像を重ねてみた。黒点が左から右に移動していく様子が分かると思う。太陽はだいたい毎日こんなスピードで自転している・・・という珍しく教育的な画像である。




静止衛星と謎の天体
2003.11.27

  昨晩撮影したオリオン座のM42の写真を見ていたら、おかしなスジが写っていた(矢印Aと写真A)。最初フィルムの傷だと思っていたが考えたらこれはデジカメ。そんなものあるはずがない。よく調べると1分露光で5コマほど撮ったうちの3枚に同じようなスジが写っていた。
  これ、なんだと思います?。そう、たぶん静止衛星だ。
  さっそく赤道上空はるか36000キロに浮かぶ静止衛星が、北緯36度の我が家から天球のどの辺に見えるか計算してみると、確かに天の赤道から南に6度弱離れたあたりに見える事が分かった。オリオン座でいえばちょうどM42=オリオン大星雲の中をとおる。逆な言い方をすれば、オリオン大星雲を眺めていると静止衛星が見える事が多いということだ。実際、これまでも何度か肉眼では見た事があった。
  静止衛星の見え方はちょっと面白くて、普通星は時計装置で追いかけないと視野の中をどんどん移動してしまうが、静止衛星は動かない。だからいちど見つけたら時計装置を止めておくと、動いて行く星の中を光の点がジッと動かずにいるのだ。
  静止軌道はごく限られた軌道だが、「需要」が多いので各国の衛星がずらっと並んでる格好になっている。軌道が遠いのであまり明るくは見えないのでできるだけ大きな口径で探す事をオススメするが、はじめてみるとなかなか感動モノである。

  そんな記事を考えながら、ふと見ると画面の隅にホヤッとして、まるで彗星のように見えるものが写っているのに気がついた。
  他のコマにも写っているが、重ねても移動はしていないようだ。また、CCDの画素の欠陥も考えたが各コマの画像は微妙にずれているのに、星との相関位置は変わらず「天体」に間違いはなさそうだった。(矢印Bと写真B)
  「まさか新天体!」とちょっと胸が踊ったが、念には念と開いた「標準星図2000−第2版−」の該当位置には星雲の印があり、「V380」という変光星の名前と「NGC1999」の番号が書かれていた。あまり聞かない名前だし、だいいちオリオン座ではM42があまりに有名だし、次はM78星雲とか馬頭星雲とかしか思い浮かばない。試しに検索してみたらこんな綺麗な星雲であることが分かって少しビックリした。

  ちょっと他にテストしたい事があって写したM42なので、ピントも甘く星も流れぎみで作品としては失敗作だが、とんだ副産物があってラッキーだった。




自分で使う望遠鏡
2003.12.03

  今日は隣の市の小学校の観望会に行って来た。
  今回私は、子ども達が見たい星に自由に向けてよい望遠鏡を用意した。ネットオークションで格安で手に入れたよく使いこまれたボーグの10cmアクロマート鏡筒を、テレビューのフリーストップの経緯台に載せた望遠鏡だ。もちろんピントの合わせ方とかファインダーの使い方とか最低限の事は教えるが、後は何に向けるかはその子の自由。
  使い方を覚えて「はまる」子も出てくるし、自分で導入したお月様や土星をまわりの親達に見せるという、我々スタッフの仕事を横取りするような子も出てくる。とにかく「自分で」というのは、なかなかの快感のようだ。
  実はこのアイデア、先日あの田中千秋さんから教わったもの。
  田中さん達も、観望会の会場に壊れてもいいような簡単な望遠鏡を持ち込んで自由に使わせているのだそうだ。ただ、その場面の写真を見るとちょっと粗末すぎる望遠鏡で、はじめて望遠鏡に触る子ども達には扱いがむづかしそうに見えた。
  そこで、先に紹介したような少し「高級」な望遠鏡を用意した次第だ。しかし、完全にバランスがとれていて、どこに向けてもピタリと止まる望遠鏡は、かえって無理な力を加えられる事もないし、チョットしたコツをつかめばたいていの子どもが上手に目指す星を視野の中に導き入れる事ができる。もちろん倍率27倍、視野2.4度と言うスペックにも助けられているが、これでも土星の輪はなんとか判別できるし、お月様は大迫力、普通の星も視野の中でキラキラ瞬いているのだから、その嬉しさは容易に想像できる。
  私としては、これからも積極的にこの望遠鏡を持ちこみ、できたら、先生や親御さん達にも望遠鏡を扱う快感を味わってもらいたいと思っている。




土星のいる双子座
2003.12.05

  前の冬牡牛座にいた土星は、この冬、双子座に移動してそのど真ん中で威張って光っている(写真中央やや右の大きな星)。そんな様子を自宅の庭から撮影してみた。
  もちろん、年に数回かすかに天の川が見える程度という環境の中だから、この写真のように仕上げるには「覆い焼き」や「焼き込み」機能を駆使してやっとある。それでも都会に住む星好きの人から見たら「贅沢」といわれるかも。私も20年以上前になるが、東京は目黒に住んでいて、近くの公園に望遠鏡を運んでかすかな星空を楽しんでいた事を思い出せば、今は全く幸せな星環境にいると思わざるを得ない。
  でも、ちょっと「もう少し良い空が欲しい」と思ってしまうのは、加齢による「出不精」からだろう。この冬は「もうちょっとマシ」な星空を求めて、また少し出歩こうと思っている。

  写真の双子座は、ちょうど真横になった格好になっている。双子座はこのように横になって東の地平から登場し、引っ込む時は足元から長い時間をかけて沈んで行く。(「双子座」のページはこちら)




父島出張と双眼鏡
2003.12.08

  明日から2週間ほど出張に出ることになった。行き先は小笠原の父島。れっきとした都内出張だ。
  今年は、5月に硫黄島に行っているから離島ばかり行かされていることになる。
  仕事は、外回りの仕事で、待機の時間と寝る時間以外は仕事時間。期間内に仕事が終われば余った日数は土日の代休になるが、終わらなければ休みは無し。雨で仕事ができなければ休みだが、その分は後でキッチリ働かなければならない。と言った具合で考えようによっては厳しくもあり気楽でもある。
  星屋として当然気になるのが、南の星座が見れるかと言うこと。友人にシミュレートしてもらったら、明け方ギリギリで南十字が見えそう。ただし、緯度は沖縄本島の北部と同じくらいだから、南十字も見れるのは北側の三つだけ。いちばん下のα星は見えないようだ。それに、明日が満月だから、お月様に邪魔されないで星を眺められるのは期間後半だけ。それも、仕事の進み具合では星見どころではなくなってしまうので、少しでも楽しめればめっけものといったところだろう。
  そんな出張に救世主が現れた!最適な双眼鏡を貸してくれた仲間がいたのだ。それが右の写真。キヤノンの手ブレ防止機構付きの高級双眼鏡だ。これだと18倍という高倍率にもかかわらず手持ちでも土星の輪が確認できるし、お月様のクレーターもバッチリだ!。まさに、いつ時間があくか分からない今回の出張のためにあるような、ありがたい双眼鏡である。
  とにかく贅沢は言えない。ちょっとでも南の星空が楽しめて、お土産に南十字の写真でも撮れたら、もう出張様様である。

  左の写真は、今晩の火星。久しぶりに落ち着いた空だったので撮影を試みたが、補正に補正を重ねてやっと模様らしいものが現れた。




父島出張記(1)
2003.12.22

  昨日夜7時過ぎ、2週間弱の父島出張を終えて無事(でもなかった…)竹芝桟橋に帰還した。行き24時間30分、帰り29時間の船旅だった
  仕事は、国立天文台の電波望遠鏡「VERA」父島局のアンテナの不動点の位置をできるだけ正確(できたら1ミリ程度)に求めると言うもの(らしい)。
  父島北部の250メートルほどの高原部に作られた口径20メートルを誇る純白のパラボラアンテナは、想像していた以上に巨大で美しい姿をしていた。(写真)この巨体の寸法をミリメートルオーダーで計測する我々4名のスタッフはまさに象に挑む蟻の如くであり、これから10日間の限られた日時で果たして作業を終えられるか、チョッピリ不安がよぎった。
  また、この島の天候は時々刻々めまぐるしく変化し、絶えず雲が北から南、あるいは北西から南東に流れ、時に雨粒が落ちてくるという具合。つまりは大陸の高気圧によって押し下げられた「梅雨前線」がうろうろしていて、天候的には非常に不安定な季節らしい。
  実際、日程の前半はまず快晴ということがなく、さてこれからが本番という日程の半ばではついに終日の雨天という状態。島の人が言うには「12月初めに台風が襲来して以来、全く天候がおかしい!」のだそうだ。
  もちろん、やきもきしているのは作業の進捗ばかりではない。10日もいて一晩もまともな星空を拝めないという自分の「雨男」ぶりが、いよいよ証明されてしまうのではないかという焦りのようなものさえ抱き始めていた。そんな自分に言い聞かすように「雨の次は晴れ」と何度も何度も呟いていたのもこの頃だった。
  島に着いた当日、1階の宿舎の窓から、向かいの家の屋根のかなり上に雲間からちらりと見えたカノープスは、シリウスと張り合うほどに明るかったけれど、「晴れさえすれば…」という願いはなかなかかなえられなかった。




父島出張記(2)
2003.12.24

  日程終了まで残り5日となった12月16日、雲は大目ながらなんとか天候が「晴れ」となった。
  しかし、仕事の遅れを取り戻すため、アンテナに取り付けた目標が見えなくなるまで作業を続けたので、宿舎に帰るのが少し遅れ、その分星見に出かけるのも遅くなった。
  この季節、本土では珍しい南の星としては、まずエリダヌス座の南端にある主星「アケルナル」。南十字星のいちばん北の星より南中高度が低いので本州ではまず見られない。南中時刻は夜の8時ごろだろうか。果たして海岸に出てみると、ナントいうことはない。全く当たり前のような顔をして、対岸の山影のはるか上空で輝いていた。
  次の目標は「カノープス」。りゅうこつ座という南の星座の主星で、本土でも東北あたりまでは「見えた」という報告がある。この星は、見えないことはないが、なかなか見ることが難しいので、中国では「南極老人星」といってこの星を見ると長生きができるといわれているおめでたい星とされている。南中する時間は、夜中の1時ごろなのでいったん床について一眠りしてから出かけることにする。
  カノープスは、前のアケルナルより高度も高く昇り、また明るい星なのでさらに見やすい。ただし、本土では「見える」といっても南の地平線すれすれのところを、赤っぽい色で明滅しながら見えるだけなのだ。が、ここ小笠原や沖縄では、南中高度がずっと高くなるので本当の色、すなわちシリウスやべガといった青白い色が見られるのというのが、お楽しみのポイントとなる。
  一眠りして、夜中海岸に出ると、これまたどうということのない高度に当たり前のように輝いている。しかし、いざ写真に撮ろうとすると時折流れてくる雲が邪魔をして、同視野に収めないとつまらないシリウスと同時に見えることが少なく、ずいぶんコマ数を無駄にした。写真中央の下から3分の1くらいのところにある大きな星がカノープス。上端すぐ下、やや左に光っているのが全天第1位の明るさを誇るシリウスである。この時刻、すでに半月過ぎのお月様が中空に昇っているが、星の数が減っていないことにご注目!(写真をクリックすると大きな写真が見れる)




父島出張記(3)
2003.12.25

  12月16日と17日はほぼ快晴の夜が続いた。ただ、時々雲が流れガスがかかることもあり、また突風が吹くこともあった。いわゆる「西高東低」の冬型の気圧配置を作る、大陸の高気圧に押された低気圧から延びた前線の尻尾がちょっとこの島に悪さをするためのようだ。
  せっかくの晴れだが、我々は作業の遅れを取り戻すべくせっせと働いた。お蔭でなんとか見通しがつき、翌18日は少し余裕ができたので早めに作業を終えた。この晩私は、くる時の船の中にチラシが貼ってあった「星と宇宙のツアー」を申し込んだ。
  このツアーを企画しているのは、「天空のたびんちゅ」こと よっしーさん。世界中を旅し、旅先でおぼえたウクレレ演奏や星の話をしてくれる。(さっそくお願いしてリンクを貼らせてもらった
  空は再び雲が多くなってきていて全く星は見えなくなっていたが、今回の作業の責任者で、いちばん若いホンモノの天文学者のM君を誘って、よっしーさんの車に乗りこんだ。よっしーさんは最初の星見スポットに行っても回復する様子のない空を気の毒がってウクレレの演奏と歌を聞かせてくれた。これだけでも充分お金を取る価値のある素晴らしい歌と演奏だった。
  でも、私もM君も、星見は前日までにそこそこ楽しんでいて、曇り空も余り残念ではなかった。本当は、よっしーさんに「父島の星見スポット」を教えてもらいたかったのだ。そうと判ると、よっしーさんの方も私のHPを見て、私が無類の望遠鏡狂いだということを知っていて、「望遠鏡談義」を持ちかけてきた。そして「ここは満月の夜が素晴らしい海岸」「この山頂は最高の見晴らしが楽しめる」「ここは南十字星を見るところ」などなど、星見スポットをたくさん教えてくれた。さらには「グリーンぺぺ」と呼ばれる「発光きのこ」の見られるスポットまで教えてくれた。
  また、よっしーさんは、南十字星のほかにもたくさんの「十字星」があることを話してくれた。その中で「この冬限定」の「ウインタークロス」というのはさすがだと思った。双子座にいる土星を十字架のトップにおいて、オリオン座のベテルギュースと子犬座のプロキオン、そして大犬座のシリウスでつくる「マイナス等級」の星二つをあしらった、超豪華で超特大な「十字星」である。もちろん土星が移動してしまえばなくなってしまうので、まさにこの「冬限定」である。
  星は見えなくとも(実はチョットだけ見れた)楽しすぎるくらい楽しくて、あっという間に時間がたってしまった。

  写真は、帰ってきて自宅から撮った「ウインタークロス」。光害に埋もれ、父島の星の輝きには及びもつかない姿になってはいるが、確かに見事な「十字星」である。




父島出張記(4)
2003.12.26

  やはり南の島に行ったからには「南十字星」というモノを見てみたいと思うのは、星屋なら当然の願望だろう。ということで、その南十字星を見るための苦労話を今回は書こうと思う。
  前にも書いたが、父島から南十字を構成する四つの星を見るのはかなり難しそうだ。実際、「天空のたびんちゅ」こと よっしーさんによれば、四つ全部を見るには見られるそうだが、それは本当に年に数回のチャンスしかないらしい。今回は、時期的に言ってももっとも見やすくなる「南中」の時間は夜が明けてからなので、四つ全部が見られないのは最初から明らか。夜明け直前の時点でどこまで見えるかというのが「勝負どころ」となる。
  宿舎は夜、布団を敷くとちょうど北西の空が見える。毎日4時ごろには必ず目を覚まし、空の様子をうかがって、雲に切れ間があればカメラを持って歩いて5分ほどの海岸に出かけるのをほぼ日課としていた。
  しかし、南の空が綺麗に晴れ渡ったのは期間中2度か3度。湾の対岸の山の上に明るい星を見つけることは何度かあったが、見なれていない南の空のこと、それが南十字星のひとつであるという確信はなかなか持てなかった。ただ、ほとんど「からす座の南」という、漠然とした予備知識から、そのあたりを闇雲に写真に収めた。
  本当に確信を持って「見えた」「撮れた」と思えたのは、島を離れる当日の朝。夜は嵐のような風雨が続き、もう半ばあきらめていたが、いつもの癖で明け方目を覚まして窓の外をうかがうと晴れている!。しかし、恐ろしいほどの猛烈な風が吹いている。
  迷いに迷ったが意を決して外に出て海岸に行く。三脚が倒れそうな風なので、風除けになりそうな物陰で小さくなって撮影をはじめるが、時降り吹く突風の際は、三脚を抑えつつ体で風と飛んでくる砂をよける。
  なんとか雲が切れた南の山の上に、確かに南十字星のいちばん上の星γ星を確認できたので、撤収して帰ろうとしたら、空け始めた南の空に非常に明るい移動物体が見えた。たぶん国際宇宙ステーションだろう。しまいかけたカメラを再び出して数コマ撮影して宿舎に帰る。寝なおして起きたら布団の上が砂だらけだった。

  島から帰って写真整理をしていたら、この国際宇宙ステーションらしき人工衛星を撮影したコマには、微かだがγ星の右下のデルタ星も写っていた。撮影している時は完全に南十字星のことは意識していなかったのにだ。しかし完全に夜が明けているこの時点でさえ、左側のβ星はまだ山陰に隠れているようだ。今回のチャンスに「見えるべきものはすべて見た」という確信がわいて妙に安心した。

  写真は、その「国際宇宙ステーションらしき人工衛星」と南十字のγ星。さらに、リバーサルで撮影したこの数日前のコマにはもっとシッカリ写っていたことも判った。(写真をクリック)




リニア彗星とM33銀河の接近
2003.12.27

  父島の話に夢中になっていたら、来年5月、大彗星になるというウワサのリニア彗星というホウキ星がM33銀河に接近しているというニュースを聞き、慌てて頭を「南国バージョン」から「彗星バージョン」に切り替えた。
  光害の多い中では、リニア彗星もM33もあまり見栄えはしなかったが、彗星から延びる「尾」はわかるような気がした。しかし、写真では、小さいながらちゃんとした「尾」が写っているし、M33も、肉眼でのそれとは別人のように太い腕を何本も伸ばして威張って写っている。
  運良く、12月23〜25日の3日間晴れの日が続いたので、3日間の動きを示してみた。リニア彗星のイメージは小さくて判りにくくなってしまったが、次の晴れまではクローズアップした写真を狙いたい。








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