古代出雲の旅 2007_b(島根県)

  古代出雲歴史博物館 日御碕 鷺浦 佐太神社 美保神社
  大神山神社 神魂神社 熊野大社 加茂岩倉遺跡 荒神谷遺跡 西谷四隅突出墳丘墓


大神山神社
昨年の訪問時は豪雨の先触れがあり、ようやくに大神山神社まで登ったが、今回は晴天で、大山が鮮やかに見えた。修験道の聖地・金門にある「僧兵荒業の岩」では、自衛隊がロッククライミングの演習中だった。
大神山神社の御由緒に、祭神・大穴牟遅神の御神徳として、「国土開拓の神」、「五穀豊穣の神」、「牛馬畜産の神」、「医薬療法の神」とあるが、これが素朴な地主神・出雲の神としてのオオナムチ(大国主命)の本来の信仰であろう。
『出雲国風土記』では、意宇郡の冒頭にある国引神話(出雲国風土記の数少ない神話の一つ)で、八束水臣津野命(ヤツカミヅオミヅノノミコト)が三穂の埼を引く時に、夜見の島(由比ガ浜)を綱として、「固堅め立つる加志は、伯耆の国有る火神岳、是也。」とある。火神岳は大山である。
大山登山者が集う大神山神社の前。 賽の河原から大山を見る。
拝所横に、両部神道の神仏習合形式の重さ1トンの大八角神輿が修理展示されている。昨年は上手く写真が撮れなかった。隣には馬が奉納されている。内陣に上がって、柱などの白檀(びゃくだん)塗りを見る。白檀塗りは銀箔の上に漆を塗り、化学変化で金色を出す技術である。天井は格子造りで、花鳥風月の絵が散りばめられている。

神魂神社
出雲国造の故郷である意宇郡(おうのこほり)には、出雲の古い神格である野城(のぎ)大神が野城神社(能義神社))に、熊野大神クシミケヌ命が熊野大社に祀られている。それぞれ、野城の社、熊野の大社として『出雲国風土記』に見える。熊野大神は古い神格で、元々は現在の熊野大社の南の山中に祀られていたのを、祭祀権を得た意宇の首長(出雲国造)が現在の熊野大社まで下げて祀ったと云われている。出雲国造の氏神は熊野大社の祭神・熊野クシミケヌ大神であり、御食(ミケ)を名とする神霊であり、稲魂の神であった。後に、杵築大社(出雲大社)の祭祀権を得た意宇の首長は出雲に居を移した。

出雲国造の旧館のあった大庭は、意宇川下流に当り、中世以降に火継ぎ式を行った神魂神社(大庭大宮)は、国造の神をまつる斎場であったといわれている。(松前健「出雲神話」)
現在の神魂神社は、現存する日本最古の建築様式である天地根元造の形態を有する室町時代の大社造として、国宝に指定されている。イザナギ大神を祀る(イザナミ大神と合祀)ことから、典型的な女千木で女造で、大国主命を祀る男千木・男造の出雲大社と対称的である。何度訪れても素朴な雰囲気は秀逸である。
石段の参道 更に右に急石段を登り拝殿前に出る
本殿(国宝)左側から 本殿(国宝)右側から
本殿裏から見る木組 境内に注連縄が張られている素朴な鳥居があり、古来の神籬(ひもろぎ)がある。”ひもろぎ”は祭祀で設ける常緑樹をそなえた祭壇のことで、神に供える穀類のこともいう。(後方に洞窟がある)
本殿左に、貴布禰稲荷両神社本殿;二間社流造は珍しい。室町時代のもの(重文) 本殿右側;杵築社、伊勢社、熊野社、釜と社務所

熊野大社
『出雲国風土記』意宇の社として、「熊野の大社」として筆頭に見える。また、山野の項に、「熊野山。郡家の正南一十八里。檜・檀(まゆみ)有り。所謂熊野大神の社、坐す。」とある。熊野山は現在の天狗山に比定される。、熊野大社の旧鎮座地は天狗山ということになる。主祭神は、加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(カブロキクマノノオオカミクシミケヌノミコト)と称える素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。
夕暮れの訪問であり、昨年訪れた時の印象意外のものはなかった。

加茂岩倉遺跡
駐車場から銅鐸出土現場までの田舎道は清々しい。昨年来た時は、猛暑であった。 ガイダンスから出土現場を見る。正面の山上から荒神谷へのハイキングコース(弥生の道)を大国山、仏経山を見て歩くのも良さそうだ。
発掘現場を見るのは楽しい。

荒神谷遺跡
ハス田の向こうに、荒神谷博物館がある。県立の古代歴史博物館が開館した今の状況も知りたかったが、今回は時間の都合上パスする。、 開花前のハス田の中を、銅剣出土現場に向う。
新緑が美しい現場。
仏法僧を守る神という三宝荒神
荒神さんは、火の神、竈の神として、古代からの荒ぶる神であり、荒ぶる神としてスサノオ尊と結びつく。また祇園八坂神社の牛頭天皇の眷属神として扱われるように、道教・陰陽道とも関係する。三宝荒神は神仏習合した仏教、修験道と結びついたものである。
荒神さんは、別に、山の神、氏神、村落神としての性格もある。この地に古くから荒神信仰があったのは確かなようだが、荒神さんが本当に三宝荒神だったのか、もっと古い起源を持つものかは分らない。ちなみに、現在の三宝荒神は平成7年建造のものであり、祭神としては、須佐男命、大地主命、健見名方命としている。

西谷四隅突出墳丘墓
昨年と大きく変わり、墳丘の整備が進んでいたのには驚いた。
3号墳は、しっかりと墳丘形が整えられ、葺石も貼られていた。侵入禁止である。整備前に比べて大きく立派に見えるが、古代の人が人力で築き上げた墳丘をブルドザーで形を整えていく姿を想像すると複雑な気もする。出来上がれば、意外に納得するかも知れない。
3号墳東詰めから出雲平野が見通せた 昨年の3号墳は自由に出入りできた 4号墳方向を眺めた昨年の図
今年の4号墳。この辺りは整備されていない 4号墳の突出部。昨年はシートを被せていたが、今回ははっきりと確認できた

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2006年古代出雲の旅
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