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記事No : 2104
タイトル Re^2: 九界を具するをもって
投稿日: 2013/06/20(Thu) 05:46:15
投稿者ぽん州

十界互具これを立つるは、石中(せきちゆう)の火・木中(もくちゆう)の花。信じがたけれども縁に値いて出生すれば
これを信ぜん。人界所具の仏界は、水中の火・火中の水、最もはなはだ信じがたし。しかりといえども、竜火(りゆうか)は
水より出で、竜水は火より生ず。心得られざれども現証あればこれを用いん。すでに人界の八界これを信ぜり。仏界何ぞこれを
用いざらん。堯舜(ぎようしゆん)等の聖人(せいじん)のごときは、万民において偏頗(へんぱ)なし。人界の仏界の
一分(いちぶん)なり。不軽(ふきよう)菩薩は所見の人において仏身(ぶつしん)を見る。悉達(しつた)太子は人界より
仏身を成(じよう)ず。これらの現証を以てこれを信ずべきなり。

 たしかに十界互具を重要な教えとして重んじるのは、さながら石の中に火があるとか、木の中に花があるというような
 もので、甚だ信じがたいことではあるが、縁にふれて実現するならば、これを信じないわけにはいくまい。人界に仏界が
 具わっているということは、木の中の花や石の中の火どころか、水の中に火があるとか、火の中に水があるというような
 もので、最高に信じがたいことである。しかしながら、竜火は水から出るのであり、竜水は火から出るという。いかにも
 承知しにくいことであるが、現実にあらわれている証拠があればこれを信じないわけにはいかない。今、あなたはこれまでの
 対話を通じて、遂に人界に縁覚・声聞以下の八界を具えていることを信じるに至った。そうであるならば、人界に仏界が
 具わっているということをどうして信じられないのであろうか。かの中国の古代において三皇に次いで理想的な統治を
 した五帝のうちの堯王・舜王らの聖人は、すべての民衆に対して平等な態度で接して、万民に対する慈愛にかたよりが
 なかった。これなどは人界に仏界の一分が具わっている証拠である。法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる常不軽菩薩が、
 道行く人に会うたびに合掌し礼拝したのは、人々に本来具わっている仏身を見たからである。そしてまた悉達太子と
 よばれた若き日の釈尊は、人の身を受けて王宮に生まれたが、やがて修行をかさね、現実に仏陀の身を達成したではないか。
 こうした数々の現実の証拠をもって、人界に仏界を具えるという十界互具・一念三千の教えを信じないわけにはいかない。


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