記事No | : 2109 |
タイトル | : Re^4: 九界を具するをもって |
投稿日 | : 2013/06/24(Mon) 02:57:48 |
投稿者 | : ぽん州 |
百界千如は有情界(うじようかい)に限り、一念三千は情(じよう)・非情(ひじよう)に亙(わた)る。
百界千如を一念に具備していると言った場合、有情(すべての生き物)と通じる世界を具備するということにとどまるのに対して、
三千世間を一念に具備すると言う時には、有情と非情(精神作用を持たないもの)との域にわたる世界を具備することになる。
百界千如・一念三千にして非情の上の色心(しきしん)の二法たる十如是これなり。しかりといえども木画(もくが)の二像においては、
外典(げてん)・内典(ないてん)共にこれを許して本尊となす。その義においては、天台一家(いつけ)より出(い)でたり。
草木の上に色心(しきしん)・因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃(たの)み奉ること無益(むやく)なり。
百界千如・一念三千であり、情(こころ)をもたないものも、色法(形あるもの)と心法(心の世界)を具えるという十如是の教義が
基本となっていることである。しかしもともと、木像や画像については、外典であっても仏教であっても、ともに本尊と仰ぐことを許容する。
だが、それが成立する趣旨は天台宗の教義から出ている。つまり、草木(という情(こころ)なきもの)の上に色心(色法と心法)と
因果とを納めているのでなければ、木像・画像を本尊として仰ぎ奉ることは成り立たないからである。
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