記事No | : 2134 |
タイトル | : Re^7: 法華経は草木を仏となし給う |
投稿日 | : 2013/07/01(Mon) 01:30:09 |
投稿者 | : 桃青 |
> 不幸にして その制度を最大限活用できなかったら 僕にとってお袋が仏となった
> かどうか。 この話は、桃青さんが苦しんでいる。桃青さん あなただけではないよ
> 僕だって お袋を仏と観ることができたけど、一つ違えば 桃青さんと同じ
> 苦しみを味わったかもしれないな と 書いたんだけど;;;
ケアマネさんとも「あなたのためにわざわざ認知症になってくださった菩薩である。」について話をしたのですが
「介護って、実際そんなものじゃないよねー。」
と。
結局は「人間とは何か。」「人間が生きて死ぬということ」というところに突きあたる。
仏教、法華経、日蓮門下なればこそ「あなたのためにわざわざ認知症になってくださった菩薩なのです。」でお終いにしてはいけないと思うのですよ。
こんな言葉は使いたくないのですが、廃人になった人間に対してひとや社会はどういう視線をもつべきなのか。
その答えの基となるものを提供して行くのも宗教の役目だろうと思う。
「それは社会福祉で政治の問題。仏教、法華経関係ありません。」
ではないだろう、と思うのですけど・・・。
例えば、人生は選びの結果の積み重ねでどんな結果も「自己責任」というのであるなら、公的介護保険制度など無用の制度でしょう。
突き詰めれば、やっぱり「人間とは何か。」「人間が生きて死ぬということはどういうことなのか。」という問いかけになる。