記事No | : 2131 |
タイトル | : Re^6: 法華経は草木を仏となし給う |
投稿日 | : 2013/06/29(Sat) 22:25:49 |
投稿者 | : ぽん州 |
すっかり忘れていた。 再掲ありがとう。
その話は、仏と見ていくベクトルも有るのでは という流れの中で
書かなかったですか。はじめから そのまま仏 ではないでしょ。
そう観じていけば、僕にとってお袋は仏になってくる でしょ。
そして実際お袋が亡くなったとき、「僕にとっての仏様」と感じた
のだと。
仏がウンチ云々 というのは 僕の母親がそのまま仏だから と
書きましたか。 もう忘れたけど 多分 仏が応現すれば そりゃあ
ウンチもすれば よだれも流す姿もあるわいな ということで書かなかった
ですか。それは、以前 ヒンズーの悟りを得た聖者が僕の目には全くの
ボケ老人にすぎないと思えたが、今思えば 確かに悟りを得た聖人で
あったかもしれない。 よだれを流す見た目に「たーけの子」でも
ひょっとしたら 仏の応現かもしれない と思えば、 見た目が汚く
「たぁーけ」と蔑まれる人であっても、リスペクトしなければならない
存在だ ということでしょ。
桃青さんは ぽん州は母親を<仏そのまま>と見る とおっしゃる
仏そのまま とは なんですか?
仏が よだれを垂らしウンチしたら悪い というのは どんな修行の
結果で得られたのですか。