ミステリ&SF感想vol.73 |
2003.10.01 |
『屋上物語』 『くノ一忍法帖』 『鬼の探偵小説』 『毒の神託』 『大潮の道』 |
屋上物語 北森 鴻 | |
1999年発表 (ノン・ノベル N-653) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
本書は“長編連鎖ミステリー”と銘打たれていますが、エピソード間のつながりは強いものの、長編としての筋はあまり明確ではありません。本書の趣向は、泡坂妻夫〈夢裡庵先生捕物帳〉にみられる“登場人物のリレー”に通じるところがあるのですが、それよりももう少し緊密な、“原因と結果のリレー”ともいえるものです。つまり、あるエピソードで“原因”が提示され、(おおむね)次のエピソードでその“結果”としての事件が起こるという構造になっているのです。このように、エピソードの連続性(こちらを参照)は強いのですが、それが全体に及ぶことなくあくまでも局所的なものにとどまっているため、結果として長編とも連作短編ともいい難い独特の構成になっているといえるでしょう。
本書でさくら婆ァが遭遇する事件は、ほとんどがミステリとしてはさほどのものではないのですが、いわゆる“日常の謎”派として位置づけるには強すぎる毒を含んでいます。しかしその毒が、特殊な語り手によって和らげられている部分があるのが巧妙です。最初のエピソード「はじまりの物語」が典型なのですが、探偵役であるさくら婆ァは必ずしもすべての真相を見抜くことができるわけではありません。残された真相を読者に伝える役割は“神の視点”を持つ語り手に委ねられ、さくら婆ァではなく淡々とした語り手を介して伝えられることで、後味の悪さがかなり薄められているのです。 なお、文庫版ではタクを主役とした(さくら婆ァと杜田は登場しません)番外編的なエピソード「タクのいる風景」が追加されています。 2003.09.16読了 [北森 鴻] |
くノ一忍法帖 山田風太郎 | |
1961年発表 (講談社ノベルススペシャル) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 風太郎忍法帖における忍者たちの激しい戦いの背景には、往々にしてその契機となる二大勢力の対立があるわけですが、この作品ではそのあたりがやや特殊であるように思います。千姫と家康の対立は、豊臣家と徳川家の勢力争いにとどまらず、女性と男性の対立という、よりプリミティブなところに端を発しているのです。そしてそれは忍者同士の戦いにも還元され、全編が男と女の戦いというテーマを体現したものになっています。しかも、そのテーマをより強調するかのように、この作品の女忍者たちは(男性との決定的な差異という意味で)女性の究極の状態ともいえる妊婦として登場します。豊臣秀頼の落胤というアイデアとどちらが先だったのかはわかりませんが、テーマとプロットが有機的に結びついて大きな効果を上げているのは間違いありません。
作中で繰り広げられる忍者たちの戦いは、伊賀の男と信濃の女という組合せももちろんのこと、登場する忍法もほとんどが“性”に関わるもので、まさに壮絶な男と女の戦いとなっています。また、妊婦ならではの忍法もあり、テーマに沿って統一された忍法が描かれているという意味で、数多い風太郎忍法帖の中でもかなり異色の部類に入るのではないでしょうか。 難点を挙げるとすれば、前述のように忍法がある程度統一されていることで、逆にバリエーションが乏しくなってしまっているところでしょうか。そしてもう一つ、『甲賀忍法帖』に比べると顕著なのですが、千姫を求める坂崎出羽守の一党のように忍法勝負に介入してくる第三者の存在により、物語の焦点がぼやけてしまっているように感じられるのも残念です(もちろん、双方の忍者たち全員に見せ場を作る機会を与える、という効果はあるのですが)。 というわけで、十分に面白い作品とはいえ、他の傑作よりはやや落ちるかという印象だったのですが、やや意外な終盤の展開、そして予期せぬラストには驚愕してしまいました(わかる人にはわかるかもしれませんが、実は途中で気づいて然るべきだったのでした)。すべてがテーマに沿って組み立てられていると同時に、ラストのサプライズのための伏線になっているという構成は、実に見事といわざるを得ません。 2003.09.20読了 [山田風太郎] |
鬼の探偵小説 田中啓文 | |
2001年発表 (講談社ノベルス) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
(2014.03.12追記)
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毒の神託 The Poison Oracle ピーター・ディキンスン |
1974年発表 (浅羽莢子訳 原書房) |
[紹介] [感想] ディキンスンらしいというべきか、特異な環境を舞台にした異色のミステリです。とはいいながら、ミステリ部分、すなわち謎解きには、あまり重点が置かれていません。実際、殺人事件こそ起こるものの、その謎はさほどのものではなく、トリックにも目新しいところはありません。作品の中心となるのはあくまでも特殊な舞台、独自の言語体系というレベルから築き上げられた一つの文明なのです。その意味で、本書はむしろSFに近いというべきなのかもしれません。
そしてその文明は、殺人事件をきっかけにアラブのベドウィン社会との衝突の危機を迎えます。主人公であるモリスは、その衝突によって引き起こされるであろう沼地の文明の滅亡を回避するため、事件の真相を解明しようとします。このあたりで展開される、言語を触媒にした文明論は、非常に興味深いものがあります。言語を解するチンパンジーもまた、言語と文明の関係を強調するために登場させられているといえるでしょう。 事件はあわただしいながらもユニークな形で解決されますが、その果てに待ち受ける結末は、何とも形容し難い印象を残します。やはり最後までディキンスンらしい、微妙にポイントを外したような作品です。 2003.09.24読了 [ピーター・ディキンスン] |
大潮の道 Stations of the Tide マイクル・スワンウィック |
1991年発表 (小川 隆訳 ハヤカワ文庫SF1005・入手困難) |
[紹介] [感想] ネビュラ賞を受賞した、幻想的なファンタジー風SFです。“高度に発達した科学は魔法と区別がつかない”というA.C.クラークの有名な言葉を地で行くかのように、メカニズムの説明がほとんどないまま登場する高度な科学技術が、全編を通じて魔法さながらの現象を生み出しています。しかも、歴史的な事件をきっかけに科学技術の移転が厳しく制限されているという設定により、植民惑星の科学技術レベルが低く抑えられていることもあって、舞台となる惑星ミランダの人々は、高度な科学技術を完全に魔法と同一視するようになっています。このあたりは非常に巧妙です。
そのような世界の中にあって、禁じられたテクノロジーを持ち込んだとされるグレゴリアンは、追跡者である主人公の役人に対して魔術的な罠を仕掛けていきますが、その強大な力と地の利を背景にした余裕ある態度がある種の魅力を感じさせます。対する役人の方は、その保有するテクノロジーも惑星上での使用を制限されているため、グレゴリアンの罠に苦戦し、追跡も思うようにいきません。しかしその過程において、特に序盤で描かれた記号としての“役人”という存在から、(最後まで名前で呼ばれることはないものの)役人という立場から切り離されてた一個人として、次第に奥行きを増していくところが、なかなかよくできていると思います。 周期的に陸地の大部分が水没してしまうという特異な環境は、物語に十分生かされているとはいい難い部分がありますが、クライマックスと歩調を合わせて訪れる大潮が、物語の結末を一際印象深いものにしています。 さりげなく最初と最後の一文を対応させるなど、全体的に文章表現には凝ったところがあり、また説明が少ないこともあって、内容を把握しづらくなっている面があるのは否めませんが、耽美的ともいえる独特の雰囲気に満ちた魅力的な作品であると思います。 2003.09.26再読了 [マイクル・スワンウィック] |
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