ミステリ&SF感想vol.97

2004.12.16
『私が見たと蝿は言う』 『魔群の通過』 『BG、あるいは死せるカイニス』 『絹靴下殺人事件』 『波が風を消す』



私が見たと蝿は言う I, Said the Fly  エリザベス・フェラーズ
 1945年発表 (長野きよみ訳 早川文庫HM290-1)ネタバレ感想

[紹介]
 ロンドンの安アパートに暮らす女流画家・ケイ。隣室には、それまで住んでいたナオミが出て行った後、パメラが新しく引っ越してきたが、その床下からピストルが発見された。実はそれは、無残な死体となって発見されたナオミの命を奪った凶器だったのだ。アパートの中に、ナオミを殺した犯人がいるのか? かくして、住人たちはお互いを疑い始め、それぞれに犯人を探し出そうとするが、やがて新たな殺人が起こり……。

[感想]

 くせのある住人たちが暮らす安アパートを舞台にした、コージー風のミステリですが、発端がかなり風変わりで、事件の発覚よりも先にいきなり凶器が、しかも思わぬ場所から登場するのが面白いところです。やがて、以前アパートに住んでいたナオミがその凶器で殺されたことが明らかになり、アパートの中に殺人犯がいるという疑いが濃くなるのですが……。

 個人的には、そこから先の部分が、読んでいて少々辛く感じられました。登場人物たちはそれぞれに個性的ではあるのですが、どうも今ひとつ魅力に欠ける感があり、また物語の方も平板な印象です。特に、事件の背景がある程度明らかになる中盤以降になると、興味は“誰が犯人か?”に絞られてくるのですが、個々の人物にそれほど強く疑われる理由があるわけでもなく、消極的な意味で誰が犯人でもおかしくないという、何とも盛り上がりにくい状況になっています。実際、犯人を探そうとする住人たちも、さしたる根拠もないまま、何となく怪しい人物をそれぞれが挙げていくにすぎず、あまり面白味が感じられません。

 最後に明かされる作者の仕掛けはまずまずの出来だと思いますが、全体的には物足りなさの残る作品といわざるを得ないでしょう。

2004.12.02読了  [エリザベス・フェラーズ]



魔群の通過  山田風太郎
 1981年発表 (廣済堂文庫 や7-18・入手困難

[紹介]
 激動の幕末、1864年。水戸藩では攘夷派と佐幕派の内紛が激化し、やがて一国を二分する苛烈な内戦へと発展した。双方膨大な死者を出しながらもやがて大勢は決し、攘夷派の中核として奮戦した天狗党も敗退を余儀なくされる。しかし、今となっては行き場もない彼らは、佐幕派によって着せられた賊軍の汚名をそそぐべく、上洛して帝に、そして徳川慶喜公に、攘夷の志を訴えることを決断した。かくして、天狗党千余名の、長く凄絶な旅が始まった……。

[感想]

 明治維新直前の幕末の時代に材を採った、伝奇的要素のない歴史小説にして、作者のストーリーテリングの巧みさが存分に発揮された傑作です。

 一部の藩士が桜田門外の変(大老井伊直弼の暗殺)を引き起こすなど、早くから尊皇攘夷の気運が高まっていたにもかかわらず、明治新政府に一人の人材も送り込むことができなかった水戸藩。本書では、その原因の一つとなった天狗党騒動の顛末が克明に描かれています。正直、まったく知識のなかった事件なのですが、その背景から詳しく丁寧に説明されることで、思わず物語に引き込まれていきます。

 本書の最大のポイントはやはり、語り手の妙でしょう。騒動の当事者による30数年後の回顧という形がとられているため、外部からはうかがい知れない行軍中の様々な出来事が真に迫って語られると同時に、客観的な視点からの歴史的な位置づけが適宜補われ、事実関係が非常にわかりやすくなっています。またそこには、30数年という時間が経過したというだけでなく、弱冠15歳の少年から大人への成長に伴う、語り手自身の内面の変化も影響を与えているのではないかと思えます。

 物語の当初は、語り手にとって身近な人物を中心とした“個人”がクローズアップされていますが、行軍が進み、旅が悲壮なものになるにつれて、上洛という最後の希望に向かって邁進する“集団”に焦点が移っていくような印象を受けます。そして、行軍の終点に待ち受ける凄惨な結末を前にして、人々はもはや単なる“数字”でしかないといっても過言ではありません。しかし、その後に付け加えられた後日談において、物語は再び“個人”へと回帰し、失われた多くのものが浮かび上がってくる、実に見事な結末です。

2004.12.05読了  [山田風太郎]



BG、あるいは死せるカイニス  石持浅海
 2004年発表 (ミステリ・フロンティア)ネタバレ感想

[紹介]
 全人類が女性として生まれ、成長した後に一部の優秀な女性が男性へと性転換する世界。優子と遙の異母姉妹は同じ高校に通っていたが、姉の優子は成績・容姿ともに抜群で、将来男性化するのは間違いないとみられていた。だが、所属する天文部の合宿の夜、学校へと出かけた優子は何者かに殺害されてしまった。しかも驚くべきことに、遺体にはレイプ未遂らしき痕跡が残されていたのだ。男が女をレイプするなどあり得ないのに。しかし、さらに不可解なのは、優子が遙に何かを言い残していると関係者の誰もが思い込んでいることだった。遙が思い当たるのは唯一、“BG”という謎の言葉だけ……。

[感想]

 異世界を舞台にしたSFミステリです。とはいっても、現実世界との差異は(少なくとも読者の目に見える範囲では)思いのほか少なく、まったくの異世界というよりはパラレルワールドといった方が適切かもしれません。特に、高校生を主人公として学校を中心に物語が進んでいくため、現実に存在する(ほぼ)女性だけの世界(女子校)と重ね合わせてイメージしやすく、とっつきにくい感じはまったくありません。また、この世界の背景(設定)が学校での授業という形で自然に説明されるところなどは、非常に秀逸だと思います。

 作者のこれ以前の長編3作(『アイルランドの薔薇』『月の扉』『水の迷宮』)は、いずれも変則的なクローズドサークルものとなっていましたが、単に閉鎖されて警察が介入できない状況を作り出すというだけでなく、その中で特殊なロジック――ミステリでいうところの真相解明のためのロジックではなく、登場人物の考え方や行動原理――を成立させるために外界から切り離す、という性格のものでもあったわけで、本書の舞台や設定はその延長線上にあると考えられるでしょう。そして、この特殊なロジックは本書でも大きな効果を上げています。

 ただし、純粋なミステリとしてはやや難があるように思えるのが残念なところです。全編にばらまかれた細かい手がかりがつなぎ合わされていく解決場面はよくできているのでが、それでも事件の真相解明のためのロジックは今までの作品よりも一歩後退している印象で、少々物足りなく感じられてしまいます。またそれ以上に、クローズドサークルでないことが主な原因となって生じている問題が気になります。

 しかしながら、殺人事件の解明というミステリ部分と“BG”という謎の言葉に代表されるSF部分とががっちりとかみ合い、全体としてしっかりした物語になっているところは見事です。そして、最後に示されるビジョンが、何ともいえない逆説的な余韻を残しています。傑作とまではいえないかもしれませんが、それでも非常に面白い作品であることは間違いありません。

2004.12.06読了  [石持浅海]



絹靴下殺人事件 The Silk Stocking Murders  アントニイ・バークリー
 1928年発表 (富塚由美訳 晶文社ミステリ)ネタバレ感想

[紹介]
 シェリンガムが書いた新聞記事の読者から、一通の手紙が送られてきた。ロンドンに出稼ぎに行った娘の消息が途絶えたので、その行方を探してほしいというのだ。早速調査を始めたシェリンガムだったが、その娘は数週間前に絹のストッキングで首を吊って自殺していた。ところが、同じような首吊り事件が続発していることを知ったシェリンガムは、自殺ではなく連続殺人事件ではないかという疑惑を抱き、スコットランド・ヤードのモーズビー警部と協力して本格的に事件の捜査を開始した……。

[感想]

 本書の前に前作『ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎』を読んだ方がより楽しめると思いますので、未読の方はぜひそちらを先に。

 さて本書は、バークリーのシェリンガムものとしては異色の作品といえるでしょう。まず、(一応)シリアルキラーものということで、他の作品とは違って死者がかなり多くなっているところが目につきます。また、事件が進行中であるためか、シェリンガムのおふざけ(?)も控えめで、シェリンガムものとしては比較的シリアスな雰囲気が感じられます。そして何より、多くの作品においてミステリの形式に対する批評精神を発揮しているバークリーにしては、かなりオーソドックスなミステリとなっているところが特徴的です。

 裏を返せば、バークリーらしさがやや薄めの作品ともいえます。シェリンガムがいつものように次から次へと仮説をひねり出すわけではありませんし、他の作品で見られるような“大技”(といっていいのかどうかわかりませんが)が仕掛けられているわけでもありません。そして、オーソドックスなミステリという土俵の上では、時代のせいもあってか、今ひとつ物足りなく感じられるのは否めません。

 とはいえ、ある手がかりに基づくロジックなどはなかなかよくできていますし、解決直前のクライマックスは(必然性という点で疑問はありますが)非常にスリリングで、ミステリとしてもまずまずの面白さは備えていると思います。また、前述のようにバークリーらしさはやや薄めですが、それでもなお、バークリーの、そしてロジャー・シェリンガムのファンならば必読の作品といえるでしょう。

2004.12.08読了  [アントニイ・バークリー]



波が風を消す ВОЛНЫ ГАСЯТ ВЕТЕР  アルカジイ&ボリス・ストルガツキー
 1986年発表 (深見 弾訳 ハヤカワ文庫SF858・入手困難

[紹介]
 齢89歳となり、回想録をつづっているマクシム・カンメラー。その中心となるのは、かつての部下であるトイヴォ・グルーモフに関する記録だった。30年ほど前、マクシム率いる<異常事件部>の調査員だったグルーモフは、次々と起こる不可解な事件――“ペンギン・シンドローム”と呼ばれる謎の宇宙恐怖症の蔓延、閑静なリゾート地に出没するおぞましい擬似生物、地球から惑星サラクシへと帰還した後消息を絶った超能力者シャーマン――の調査にあたり、ある結論を導き出したのだが……。

[感想]

 『収容所惑星』『蟻塚の中のかぶと虫』と続く〈マクシム・カンメラー三部作〉の掉尾を飾る作品です。といっても、本書の主役はマクシムではなくかつての部下だったグルーモフで、本書は彼がまとめて提出した報告書や様々な会話記録などをもとにした、マクシムの回想録という形をとっています。

 これは偶然ですが、上の山田風太郎『魔群の通過』と同じく30数年前の出来事の回想でありながら、書き手であるマクシムと読み手との間に共有されている知識の大部分が省略されているために、読者にとってはミステリ仕立てのようになっているのが、対照的で面白いところです。時系列にそって並べられた記録を追っていくうちに、読者はグルーモフの視点で事件を体験し、同じ困惑と衝撃を味わうことになります。

 結局のところこの三部作は、第2作の題名“蟻塚の中のかぶと虫”に象徴されるテーマを、表現を変えながら繰り返し描いているように思えます。それは、“蟻”と“かぶと虫”との相互理解の困難さでもあるでしょうし、また“かぶと虫”の侵入に対する“蟻塚”の脆弱性とも考えられます。そして、三部作を通じたマクシムの立場の変遷を考えると、誰もが“蟻”にも“かぶと虫”にもなり得るという、視点の相対化を訴えているということかもしれません。

2004.12.11読了  [アルカジイ&ボリス・ストルガツキー]


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