ミステリ&SF感想vol.89

2004.08.23
『ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎』 『魔界転生(上下)』 『蟻塚の中のかぶと虫』 『検死審問 ―インクエスト―』 『魔法飛行』



ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎 Roger Sheringham and the Vane Mystery  アントニイ・バークリー
 1927年発表 (武藤崇恵訳 晶文社ミステリ)ネタバレ感想

[紹介]
 作家にして素人探偵のロジャー・シェリンガムは、新聞社の依頼を受けて、従兄弟のアントニイとともに海辺の村・ラドマスへと向かった。そこでは、地元に住むヴェイン夫人が断崖から転落死する事件が起きたのだが、事故死という評決が下されたにもかかわらず、スコットランド・ヤードのモーズビー警部が現地に姿を現し、何やら調べているというのだ。疑われているのは、被害者の従妹で遺産相続人でもあるマーガレットらしい。彼女と話をして、その無実を確信したシェリンガムとアントニイは、彼女の容疑を晴らすために、モーズビー警部に対抗して事件の捜査に乗り出した……。

[感想]

 『レイトン・コートの謎』『ウィッチフォード毒殺事件』に続くバークリーの長編第3作です。バークリーの作品、特にシェリンガムものは、発表順に読んだ方が楽しめると思いますので(←これは発表順に読んでいない私の実感です)、前2作を読んでいない方はまずそちらを先にどうぞ。そしてまた、中期〜後期の作品よりも前に本書を読むことをおすすめしておきます。

 さて、本書はいかにもバークリーらしく、比較的シンプルな事件に対して、そこからどのような仮説が導き出せるかをひたすら追求した作品となっています。オーソドックスなミステリには、〈1〉(発端の)謎→〈2〉捜査(手がかりや証拠の収集)→〈3〉解決(手がかりや証拠に基づく真相の構築)という基本的なフォーマットが存在しますが、このうち〈2〉と〈3〉が繰り返されて極度に肥大しているのがバークリー作品の特徴であるように思います。これは、オーソドックスな探偵役が最終的な解決に至る前に密かに破棄している(であろう)仮説を、あえて積極的に表に出していく手法といえますが、探偵役の見せ場である解決場面が繰り返されることで、物語におけるその地位がクローズアップされているという効果を見逃すべきではないでしょう(もっとも、一つ一つの“解決”の比重が相対的に低下する、という副作用もあるかもしれませんが)

 前2作でももちろん、積極的に捜査を行い様々な仮説を展開する探偵役、ロジャー・シェリンガムが主役となっていたわけですが、本書は主役としてのロジャー・シェリンガム”という方向性がより鮮明に打ち出された作品といえるでしょう。唯一“ロジャー・シェリンガム”という名前が題名に冠されている(米題『The Mystery at Lover's Cave』は違いますが)というだけでなく、シェリンガムの相棒となるアントニイの位置づけ――前2作における“助手”から一歩後退した、“推理の聞き手”(身も蓋もない書き方をすれば“引き立て役”)――に、そしてまた“敵役”としてのモーズビー警部の存在に、それが強く表れているように思います。

 そして、“引き立て役”であるアントニイや“敵役”であるモーズビー警部、さらには“ヒロイン”――“騎士”としてのシェリンガムが守るべき“お姫様”という意味で――であるマーガレットらとともに、軽妙でユーモラスな会話を交えながら次から次へとユニークな仮説を展開するなど、全編を通じて活躍し続けるシェリンガムの姿は、非常に魅力的です。つまり本書は、ミステリであるだけでなく、ロジャー・シェリンガムという特異な人物を中心に据えたキャラクター小説であるともいえるのではないでしょうか。逆にいえば、シェリンガムに魅力を感じられない方にとっては、読むのがやや辛い作品ということになるかもしれません。

 最後に明らかになる真相については、人によって評価が分かれるところかもしれませんが、個人的には最初から最後まで楽しく読むことができました。

2004.08.02読了  [アントニイ・バークリー]



魔界転生(上下) 熊野山岳篇/伊勢波濤篇  山田風太郎
 1967年発表 (角川文庫 緑356-12,13)

[紹介]
 島原の乱に敗れて城を落ちのびた森宗意軒は、忍法魔界転生により、討たれたはずの天草四郎を、そしてやはり死んだはずの剣豪・荒木又右衛門を冥府から甦らせていた。幕府転覆を企む宗意軒はさらに、宮本武蔵をはじめ命を落とした伝説の剣豪たちを次々と転生させるとともに、将軍の座を狙う紀州大納言徳川頼宣と手を組み、着々と準備を整えていく――密かにめぐらされるこの大陰謀を知った柳生十兵衛は、紀州藩を救うべく、転生衆との戦いに乗り出していくのだが……。

[感想]

 『柳生忍法帖』に続き、また『柳生十兵衛死す』へとつながる、いわゆる〈柳生十兵衛三部作〉の2作目にあたる作品です。なお、天草四郎が主役というわけではありませんので、映画を先にご覧になった方はご注意を(笑)

 まず、序盤の大部分(文庫版で200頁あまり)が「敵」の編制、すなわち“転生衆”の誕生にあてられていますが、ここでの中心となるのがやはり、数ある忍法の中で群を抜いて存在感のある“忍法魔界転生”です。死者を甦らせるというその効果が絶大なのはもちろんですが、女体を媒介とする現象の怪奇さ(余談ですが、このあたりは果心居士の使う“忍法おだまき”(「忍法おだまき」『忍法破倭兵状』収録))によく似ています)や、切り落とされた指が使われるという不気味さなども見逃せません。また、転生する剣豪たちが死に際に見せるすさまじい妄執も、強烈な印象を残します。

 本書は忍法帖であり、根来衆などの忍者も登場してはいるものの、戦いの中心となるのは忍法ではなく剣法。しかし、実はここにも“忍法魔界転生”の影響が及んでいます。まず、死者の復活により錚々たる剣豪たちが一堂に会し、史実上あり得ない“夢の対決”が実現しているというのが一点。そして、その剣豪たちがすでに死んでいる(史実から退場している)ことで、史実上の問題を生じることなくすっきりと勝負を決することができるのもポイントです(これは、史実の縛りを受けて微妙な勝負が続く『忍法剣士伝』と比べてみると、よりはっきりします)

 逆にいえば、生者である柳生十兵衛が最終的に生き残るという結末は明らかなのですが、それでも物語の面白さはまったく損なわれていません。敵となる剣豪たちは転生によって生前よりも強力になるという設定がなされた結果、その力はおおむね十兵衛を上回っており、その劣勢から十兵衛の勝利へともっていくために、様々な工夫がなされているのが見どころです。特に、十兵衛を慕って同行する“柳生十人衆”たちの命がけの活躍には胸を打たれます。

 戦いだけではなく、十兵衛の抱える葛藤と苦悩、紀州大納言の陰謀の顛末、さらには印象に残る脇役たちなど、細部に至るまでよくできた物語になっています。忍法・剣法・謀略など様々な要素を盛り込んだ、伝奇小説の傑作といえるでしょう。

2004.08.04 / 08.05読了  [山田風太郎]



蟻塚の中のかぶと虫 ЖУК В МУРАВЕЙНИКЕ  アルカジイ&ボリス・ストルガツキー
 1979年発表 (深見 弾訳 ハヤカワ文庫SF855・入手困難

[紹介]
 惑星サラクシから地球へ帰還する途中で行方不明となった進歩官レフ・アバルキン。秘密調査員のマクシム・カンメラーは、極秘裏にこの男を捜索することを命じられた。上司からは詳しい事情の説明もないまま、何としても5日間のうちに発見しなければならないというのだ。マクシムはやむなく、アバルキンの周囲の人々――教師や女友達、そして惑星サラクシの“知能ある犬”ビッグ・ヘッド人――から聞き取り調査を始めたが、やがて不可解な事実を発見する。それは、人類の存亡に関わる驚くべき秘密につながっていたのだった……。

[感想]

 『収容所惑星』の続編ですが、作中では前作のエピソードからかなりの年月が経っているようで、話のつながりはほとんどなく、独立して読むことも可能です(ただし、前作のオチが暗示されている箇所があるのでご注意下さい)。前作の舞台でもある惑星サラクシでのエピソードも時おり挿入されますが、基本的には地球を舞台として物語が進んでいきます。

 前作が冒険SF風の作品だったのに対して、本書は人探しを中心としたミステリ仕立ての作品となっています。人探しの過程で繰り返される聞き取り調査によって、探す相手の人物像が少しずつ浮かび上がってくる、というのは、例えば宮部みゆき『火車』などでもおなじみの手法です。もちろん、“真相”は完全にSFのそれですが、このような手法により物語の焦点が明確になることで、前作よりもかなり読みやすく感じられます。

 アバルキンの失踪にまつわる秘密は、かなり唐突に明かされることになりますが、すべての真実が明らかになるわけではありません。作中の比喩を借りれば、“蟻塚の中のかぶと虫”なのか、それとも“鶏小屋の鼬”なのかが判然としないまま、物語は結末を迎えます。完全には解明/理解できないという結末の背景に横たわる異質さこそが、本書の眼目といえるのかもしれません。

2004.08.09読了  [アルカジイ&ボリス・ストルガツキー]



検死審問 ―インクエスト― Inquest  パーシヴァル・ワイルド
 1940年発表 (越前俊弥訳 創元推理文庫274-04/黒沼 健訳『検屍裁判』 新潮文庫・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 コネチカットの平和な小村トーントンに住むベストセラー作家ミセス・ベネット。その70歳の誕生パーティで屋敷に集まっていた親戚をはじめとする客たちが、執事タムズのライフルを借りて射撃の腕前を競っている間に、阿舎でミセス・ベネットの出版代理人チャールトンが急死していた。そして死体には、紛うことなき銃創が残されていたのだ――かくして、検死官リー・スローカム閣下と選出された6名の陪審員によって検死審問が開かれ、ミセス・ベネットを取り巻く様々な人々の証言が積み重ねられていき、事件の様相が少しずつ明らかになっていくかと思われたが……。

[感想]

 日本の司法制度には存在しないものの、欧米のミステリでしばしば目にする検死審問――不審死があった場合に死因を確定させるための審問――を中心に据えた、風変わりでユーモラスなミステリです。

 法廷ミステリの一種といえるのは確かですが、本格的な裁判とは違って反対尋問のような丁々発止のやり取りはなく、ほぼ全編が調書に記録された関係者の証言のみで構成されています。「検死官の義弟の疑念」「非情な刈り手の供述」「実業家の遺書」「模範的な夫の反応」……と続いていく目次にも表れているように、様々な立場の人物が証人として登場してきますが、その証言内容がしばしば事件をよそに“自分語り”に流れてしまうあたりは苦笑を禁じ得ないところです。

 そもそも、プロローグにあたる「ふたりの検死官との夕べ」で説明されている限りでは、検死審問の進行に関しては検死官の裁量に任されている部分が大きく、なおかつ審問が長引くほど日当など諸手当が増えるとあっては、小遣い稼ぎを目論む検死官リー・スローカム閣下と陪審員(の大半)にとっては証人の“脱線”は望むところ。幕間として挿入される検死官と陪審員たちのやり取りにもそのあたりの事情が表れていて、およそ深刻さのかけらもないおおらかで牧歌的な雰囲気が何ともいえません。

 とはいえ、証人――“語り手”が次々と交代し、それぞれの視点からの描写が積み重ねられていくことによる一人称多視点の構成には、作者のしっかりとした計算がうかがえます。証人たちが好き勝手に語る“脱線”した内容そのものも十分に面白いのですが、それぞれの語り口の違いが実に味わい深いものとなっていますし、同じ事件・同じ人物に対する見方の違いがあらわになっていく――とりわけ人物像ががらりと変じていく――ところが非常に秀逸です。

 法廷での証言が中心となっているため、物語は比較的淡々と進んでいくのですが、それでも終盤になると次々に意外な動きをみせ始め、ついにはいつの間にかという感じで真相が明らかになります。そこで浮かび上がってくる、とりとめもない証言の中に張りめぐらされた数々の伏線がまさに圧巻。検死審問の締めくくりとして下される評決もまた見事で、復刊されるのも当然というべき傑作です。

2004.08.13 『検屍裁判』読了
2009.03.30 『検死審問 ―インクエスト―』読了 (2009.04.27改稿)  [パーシヴァル・ワイルド]
【関連】 『検死審問ふたたび』



魔法飛行  加納朋子
 1993年発表 (創元推理文庫426-02)ネタバレ感想

[紹介]
 自分でも物語を書いてみようと思い立った入江駒子は、“誰かに手紙で近況報告するくらいの気持ちで”という助言を受けて、身の回りで起きた不思議な出来事を物語としてまとめ始める。その謎は、手紙の受取人によって鮮やかに解かれていくのだが……それとは別に、駒子の物語を知る“誰か”からの手紙が届き始めた……。

「秋、りん・りん・りん」
 ある日短大で派手な服装の学生に出会った駒子は、彼女が向けてくる悪意に困惑する。その学生“茜さん”は、2時間続けて駒子の前の席で講義を受けたのだが、彼女から回された出席票には違う名前が記されていたのだ……。

「クロス・ロード」
 交差点に出現するという子供の幽霊。その噂のもとになったのは、画家が交通事故で亡くなった息子を悼んでコンクリートの壁に描いた、精緻でリアルな子供の絵だった。だが、描かれた子供の体の一部は白骨と化していた……。

「魔法飛行」
 短大の学園祭にて。駒子の友人・野枝の前に、幼なじみでUFOマニアの青年・卓見が現れた。あくまでも現実的な野枝に対して、卓見はある実験を提案する。塔の上と下にいる双子の子供たちの間で、テレパシーによる通信をしようというのだ……。

「ハロー、エンデバー」
 駒子のもとに、三通目の、そして最後の手紙が届いた。駒子がまとめた三つの物語を知っている、謎の人物からの手紙だった。中身を読んだ駒子は、それが遺書だと直感した。駒子は手紙の主を探し出し、その死を止めることができるのか……?

[感想]

 短大生・入江駒子を主人公とする『ななつのこ』の続編であり、“日常の謎”+〈連鎖式〉という手法がそのまま踏襲され、またメタフィクション的趣向も採用されるなど、前作の延長線上にある作品といえます。

 その中で、最も目につく前作との違いは、ミステリ色の薄さでしょうか。全7篇に作中作『ななつのこ』の分も加えて、一つ一つは小さいながらも多数の謎が盛り込まれていた前作に対して、本書に登場する謎はわずかに4つ(といっていいでしょう)。秀逸な伏線もあり、また差出人不明の手紙を絡めた〈連鎖式〉の構成もよくできていると思うのですが、物語における謎解きという要素の比重が低くなっているのは否めません。

 本書の4つのエピソードのいずれにおいても、丁寧に描かれ、また謎が解かれた後に強く残るのは、駒子を取り巻く人々の心の動きであり、謎解きそのものよりもそちらに力が注がれているといっていいでしょう。つまり、本書における謎解きは主ではなくあくまでも従であり、謎を提示することで読者の興味をひきつけ、解明の鮮やかさでその背景にある“心”を強く印象づけるための手段である、といえるのではないでしょうか。

 有栖川有栖氏は本書巻末の見事な解説の中で、作者が駆使するロジックは“敵を倒すための「武器」”ではなく、“不思議な謎がすらすらと解けてしまう不思議”を生み出す“魔法”だと指摘しています。これは、“真相に到達するためのロジック”ではなく“鮮やかな解決を生み出すためのロジック”だと表現することもできるのではないかと思います。そして、それは本書において見事に成功しているといっていいでしょう。

2004.08.17再読了  [加納朋子]


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