ミステリ&SF感想vol.87

2004.07.21
『忍法八犬伝』 『製材所の秘密』 『緋友禅』 『収容所惑星』 『サタンの僧院』



忍法八犬伝  山田風太郎
 1964年発表 (講談社文庫 や5-10)ネタバレ感想

[紹介]
 “忠孝悌仁義礼智信”――八つの珠をめぐる伏姫と八犬士たちの伝説も今は昔。家宝として伝わるその八つの珠を、里見家当主・安房守忠義が一年後に徳川家に献上すると明言したことから、新たな危機が訪れる。献上の期日までに珠が紛失してしまえば、申し開きはできない。かくして、里見家の取りつぶしをもくろむ本多佐渡守の意を受けて、八人の伊賀くノ一たちが里見家に潜入し、“淫戯乱盗狂惑悦弄”との文字が記された偽の珠にすり替えてしまったのだ。お家存亡の危機に、伝説の八犬士の子孫である八人の老忠臣は、甲賀卍谷で忍法修行をしているはずの息子たちに後事を託し、切腹して果てる。しかし、当の息子たちは卍谷から姿を消していた……。

[感想]
 いうまでもなく曲亭(滝沢)馬琴の『南総里見八犬伝』を下敷きにした作品ですが、“風太郎版『八犬伝』”というよりは、“『八犬伝』で味つけした風太郎忍法帖”という印象を受けます。つまり、『八犬伝』の筋をなぞるのではなく、あくまでも“忍法帖”が主となり、そこに『八犬伝』のモチーフが取り入れられた形です。しかもそれが単なる借用ではなく、随所に大胆なアレンジが施されているのが見どころです。

 最も目につくのが、“忠孝悌仁義礼智信”という八つの珠が“惑弄悦狂戯乱盗淫”(対応する順序に並べてみました)という、字面や音は似ていながら意味がまったく違うものに変わっているところですが、これがさらに現在の若き八犬士たちの姿を象徴しているのが実によくできています。結果として、名前こそ受け継がれているものの、八犬士たちの人物像は原典とはまったく異なっており、風太郎忍法帖としてはまったく違和感のないものになっています。

 物語の骨格も、いかにも風太郎忍法帖らしいもので、八つの珠の争奪戦という展開は『外道忍法帖』を彷彿とさせますし、主役となる八犬士たちの境遇やヒロインとの関わりはそのまま『風来忍法帖』再びといっても過言ではありません。さらに、伊賀vs甲賀や男vs女といった構図もおなじみのものです。このあたりは、『八犬伝』という要素を取り入れた分、その他の部分を既存の忍法帖のバリエーションとすることで、忍法帖としての統一感を打ち出そうという狙いがあったのかもしれません。また、里見家存亡の危機の原因が、後の『銀河忍法帖』『忍法封印いま破る』などへとつながっていくところも面白いと思います。

 八犬士たちの忍法修行が中途半端なために、忍法対決よりも戦略的な部分に比重が置かれているあたりも『風来忍法帖』を踏襲している感がありますが、主役たちが敵の攻撃を防ぐ立場にあったそちらと違って、本書では八犬士たちが積極的に攻めなければならない立場にあることが、ひと味違った面白さをかもし出しています。そして、期限が切られていることによるタイムリミット・サスペンス的な興味や、八犬士の中の軍師格・犬村角太郎の忍法による効果的なトリックなども見逃せないでしょう。

 作者自身の評価はBクラスだったようですが、まぎれもなく傑作。風太郎忍法帖への入口としても最適の作品の一つだと思います。

2004.07.01読了  [山田風太郎]



製材所の秘密 The Pit-Prop Syndicate  F.W.クロフツ
 1922年発表 (吉岡美恵子訳 創元推理文庫106-23・入手困難

[紹介]
 商用でフランスを旅行中のワイン商・メリマンは、奇妙なトラックに出会った。最初にすれ違った時は確かに“No4”のプレートをつけていたはずが、その直後、ガソリンを分けてもらおうと訪れた製材所で見た時には“No3”のプレートにすり替わっていたのだ。しかも、メリマンが不審を抱いたことに気づいた運転手や製材所の主任らは、一様に不自然な態度を見せた……。帰国したメリマンから話を聞いた友人のヒラードは、密輸が行われているのではないかという疑惑を示し、二人で調査に乗り出すことを提案したが……。

[感想]
 些細ながら不可解な謎に始まり、その奥に隠された犯罪を暴いていくという、いわばアーサー・コナン・ドイル「赤毛連盟」の系譜に連なるミステリです。この種の作品では、冒頭の謎そのもの、隠された犯罪計画の巧妙さや意外さ、そしてそれが暴かれる過程などがポイントになると思いますが、本書ではいずれもおおむね申し分なしといっていいでしょう。

 発端となるナンバープレートの付け替えは、現象としては単純ながらその意味が不明で、興味をひかれます。製材所が材木をイギリスへ輸出しているため、そこで密輸の可能性を想定するのは自然なことですが、ナンバープレートの付け替えがそこにどう関わってくるのか見当がつかないのが面白いところです。

 密輸疑惑はかなり早い段階で示されているので、犯罪計画の概要は意外性を欠いてはいますが、“何を、どうやって密輸しているのか?”という細部が、非常に巧妙に組み立てられているところが大きな魅力です。徹底して密輸を暴く側から描かれてはいるものの、物語の中心となるのはこの密輸計画そのものであり、その意味で本書は、一種の犯罪小説としてとらえることも可能ではないでしょうか。

 そしてその謎を暴くのは、メリマンとヒラードという二人の青年紳士と、ロンドン警視庁のウィリス警部です。まず、「アマチュア」と題された前半部では、不審を抱いた当人であるメリマンが友人のヒラードとともに素人探偵として製材所の秘密を探っていきますが、単に仮説を検討するのではなく実際に現地に潜入して捜査を行うことで、冒険小説を思わせるスリリングな展開となっています。また、そこにロマンスなどが絡むことで、二人が警察に通報することなく独自の調査に乗り出すことに説得力が出ているところも見逃せないでしょう。

 やがて、おまけともいえる殺人事件をきっかけに、物語は「プロフェッショナル」と題された後半部へと移り、ウィリス警部が捜査に乗り出しますが、その手法はあくまでもメリマンらの延長線上にあり(警察官としてはあまりにも大胆ともいえますが)、主役が交代しても冒険小説的な雰囲気はそのまま保たれています。本格ミステリ的な謎解きを期待する向きにはおすすめできないかもしれませんが、なかなか面白い作品であると思います。

2004.07.06読了  [F.W.クロフツ]



緋友禅 旗師・冬狐堂  北森 鴻
 2003年発表 (文藝春秋)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 長編『狐罠』『狐闇』の主人公である旗師・冬狐堂こと宇佐見陶子の活躍を描いた作品集です。短編3作と中編1作が収録されていますが、全般的にみて内容の割にボリューム不足で、ややはしょりすぎに感じられるのがもったいないところです。
 ベストは「奇縁円空」

「陶鬼」
 ライバルであり、また師匠でもあった同業者・弦海礼次郎が自殺したことを知らされた陶子。事情を探ってみると、萩焼の名匠・久賀秋霜の遺作を弦海が壊してしまったことが原因らしい。奇しくも、弦海と陶子の間に亀裂を生じるきっかけとなったのが、やはり秋霜の作品だったのだが……。
 旗師に転身した当初の陶子の様子がうかがえる興味深い作品です。不可解な自殺の裏に隠された謎や、仕掛けられたトリックめいたものもよくできていますが、登場人物たちの繰り広げる人間模様がやはり印象的です。

「「永久{とわ}笑み」の少女」
 とある小説家にあててファンレターをしたためる陶子。ことの始まりは、“古狸”と名乗る老人との出会いだった。“掘り師”――古墳などから遺物を盗掘して売りさばく業者――である“古狸”は、一体の埴輪を陶子に託したまま、やがて変死体となって発見されたのだ……。
 陶子の書くファンレターの文章が少々押しつけがましく感じられたのですが、それは理由ありということで納得。埴輪を預けた理由の謎に始まる意外な展開、そして明らかになる構図が秀逸です。

「緋友禅」
 無名の作家・久美廉次郎の個展で、友禅の技法を取り入れた糊染めのタペストリーに魅了された陶子は、すべての作品を買い取ることにした。だが、その直後に久美は急死し、作品は一つ残らず消失していたのだ。そして半年後、久美の作品は思わぬ形で陶子の前に姿を現した……。
 相手を追いつめていく手段が見どころで、それ以外はやや面白味に欠ける作品です。謎がさほどでもないように思えるところが残念。

「奇縁円空」
 亡くなったコレクターが所蔵していた円空仏を引き取った陶子。鑑定のために旧知の銘木屋・大槻のもとに持ち込んだが、どうも様子がおかしい。やがてその大槻は人を刺して逃走し、陶子は30年前に業界を騒がせた北条鬼炎の贋作“鬼炎円空”をめぐる事件に巻き込まれてゆく……。
 本書の中で最も長い分量の作品ですが、内容の密度はそれ以上で、ぜひ長編に仕立ててほしかったところです。事件そのものはさほどでもありませんが、円空の贋作者探しから円空という仏師の正体に迫る歴史ミステリ的な興味、あるいは真作と贋作を見分ける手がかりをめぐる美術ミステリならではの興味などは、大きな見どころとなっています。そして、すべての謎が解けた後に残る最後の一行の余韻が何ともいえません。

2004.07.07読了  [北森 鴻]
【関連】 『狐罠』 『狐闇』



収容所惑星 ОБИТАЕМЫЙ ОСТРОВ  アルカジイ&ボリス・ストルガツキー
 1969年発表 (深見 弾訳 ハヤカワ文庫SF679・入手困難

[紹介]
 燃えるように熱い空気、胸の悪くなるような悪臭、放射能に汚染された川、荒廃した大地、そして“紅蓮創造者集団”と称する謎の権力者たちに支配され、林立する塔が発する放射線に操られる人々――隕石事故でこの不毛な惑星に不時着したものの、宇宙船の大破によって地球へ戻ることができなくなったマクシムは、この世界で生きていくことを余儀なくされる。しかし、恐るべき管理社会の実態を知ったマクシムは、“奇形人”と呼ばれて抑圧される人々とともに、“紅蓮創造者集団”による圧政を打倒すべく立ち上がる……。

[感想]
 ロシア(旧ソ連)SFの巨匠・ストルガツキー兄弟の代表作です。名も知らぬ惑星に不時着し、帰ることができなくなった主人公が、何とかその世界で生き延びようと奮闘する、という展開は、一見すると冒険SF的なのですが、冒険SFらしいカタルシスのようなものはほとんど感じられません。理想的な社会である(らしい)地球に育った主人公が、アウトサイダーの立場から管理社会のおぞましさを明らかにしていく、ディストピアSFというべきでしょう。

 放射線による支配や迫害されるミュータントなど、SF的な要素が取り込まれてはいるものの、作中で描かれた世界の姿に(執筆当時の)ソ連の社会体制を重ね合わせることは、おそらく間違いではないでしょう。そして、社会体制への風刺であるがゆえに、作中の世界はステレオタイプなものとならざるを得ないのかもしれません(例えばスタニスワフ・レム『浴槽で発見された日記』のように不条理性を追求する方向へ進めば別ですが)

 支配体制を揺るがすアウトサイダーという役割を与えられている主人公・マクシムも、ある意味型どおりの理想主義者として描かれていますが、これには結末を際立たせるという狙いがあるようにも思います。ただ、地球文明の恩恵を受けた結果、この世界では一種のスーパーマンの立場を得ていることで、その理想の追求が可能になっているというあたりは、少々鼻についてしまうのですが。

 やや意外な結末には、それまで延々とマクシムの視点で描かれた構図を相対化する意図が込められているようですが、どうもさほど成功していないように感じられてしまいます。本書とともに三部作を構成する『蟻塚の中のかぶと虫』『波が風を消す』(ハヤカワ文庫SF・入手困難)という続編では、さらに新たな展開が用意されているようなので、そちらも読んでみないと全貌はつかめない、ということかもしれません。

2004.07.12読了  [アルカジイ&ボリス・ストルガツキー]



サタンの僧院  柄刀 一
 1999年発表 (原書房)ネタバレ感想

[紹介]
 コーカサス山脈の麓にある聖ベルナルディス神学校に、甲冑を身に着けた騎士が馬に乗って侵入してきた。“緑の僧正”と名乗るその騎士は、生徒の一人、校長の息子である甲斐・クレメンスを挑発し、剣で自らの首をはねさせる。しかし、“緑の僧正”は首を落とされてなお生き続け、動揺する甲斐に暗号文を渡して去って行った。やがてそれを解読した甲斐は、誰にも行方を告げずに出奔してしまう。一方、東洋から帰ってきた甲斐の異母兄、アーサー・クレメンスは、甲斐の後を追って旅に出る。やがて二人はそれぞれ、奇蹟のような謎に遭遇することになるのだが……。

[感想]
 全編に信仰/宗教談義が散りばめられた、意欲的な本格ミステリです。信仰そのものは、究極的には信じる/信じないの二者択一になってしまうと思うのですが、本書ではそこまでの対立を生じさせることなく、自らの信仰に迷いを抱える甲斐・クレメンスに対して宗教に懐疑的な人物を、また異端の域に達しかねないほどに“理”を追求するアーサー・クレメンスに対して保守的な宗教観を持つ人物をそれぞれ配することで、哲学に近い興味深い議論が成立しています。

 その議論の端緒となっているのは、“首を落とされながら生き続ける騎士の謎”を始めとする数々の“奇蹟”です。もちろん、本格ミステリであるからには最終的にすべて合理的に解決されるわけですが、物語が宗教色を帯びることで、より正確にいえば“受け手”である登場人物たちが大なり小なり宗教的な素養を持っていることで、不可能現象の神秘性が高められているところが秀逸です。そして、それらを成立させているトリックも、おおむねよくできていると思います。

 しかしその反面、謎が合理的に解体されてしまった後に残る真相が、やや力不足に感じられてしまうのは否めません。これは後の『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』でも同様なのですが、ひたすらどうやって“奇蹟”が起こされたかというハウダニットに重点が置かれていることもあって(これはこれで潔いともいえるのですが)、解決がいわば手品のタネ明かし的なものにとどまり、結果的にインパクトを欠いてしまっているように思えます。また、特に本書では、謎の多くが“奇蹟”という一点においてつながっているにすぎず、ばらばらに提示さればらばらに解決されていくため、個々の謎と真相が余計に小さく見えてしまうきらいがあります。

 とはいえ、甲斐の信仰の揺らぎが中心に据えられることで、宗教談義の部分とミステリ部分がうまくつながり、物語としてはよくまとまっていると思います。また、甲斐のパートとアーサーのパートがほぼ独立して描かれることで、兄弟の知恵比べ的な趣向も交えつつ、最後の邂逅がより印象的なものになっているところもよくできています。

2004.07.15再読了  [柄刀 一]
【関連】 『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』 『奇蹟審問官アーサー 死蝶天国』 『月食館の朝と夜』


黄金の羊毛亭 > 掲載順リスト作家別索引 > ミステリ&SF感想vol.87