ミステリ&SF感想vol.121

2006.03.20
『ひよこはなぜ道を渡る』 『冬のオペラ』 『火星人の方法』 『アルファベット・パズラーズ』 『犬は勘定に入れません』



ひよこはなぜ道を渡る Your Neck in a Noose  エリザベス・フェラーズ
 1942年発表 (中村有希訳 創元推理文庫159-21)ネタバレ感想

[紹介]
 旧友のジョンからの突然の手紙で呼び出され、マロウビー村にある彼の家を訪れたトビーだったが、いざ到着してみると屋敷は真っ暗で、人の気配はない。不審に思ったトビーが屋敷内に侵入してみると、書斎には激しい格闘の痕跡に加えて弾痕や血痕までが残されており、その真ん中でジョンが事切れていたのだ。ところが遺体には外傷が見当たらず、かねてから心臓を病んでいたジョンが発作を起こしたものとも考えられた。だがそうなると、血痕の主は誰で、一体どこに消えてしまったのか……?

[感想]

 ユーモラスな本格ミステリ〈トビー&ジョージ・シリーズ〉の第5作。これ以降、トビーとジョージの物語は書かれておらず、事実上シリーズ最後の事件となってしまっているのが残念ではありますが、内容はなかなか充実しています。

 どこで酔っぱらったのかわからない身元不明の死体(『その死者の名は』)、屋敷に仕掛けられた殺人トリックのテスト(『細工は流々』)、自殺のようで他殺のような死者(『自殺の殺人』)、そしてチンパンジーの誘拐殺害事件(『猿来たりなば』)と、いずれも一風変わった状況が扱われてきたこのシリーズですが、本書では“死体なしの殺人”“殺人なしの死体”の組み合わせというとびきり不可解な状況が目を引きます。

 とらえどころのない事件の様相とともに、くせのある登場人物たちが織りなす人間模様も健在で、特に絞首台のロープの輪(noose)に自らの首を突っ込んでいくかのような人物と、それを何とか救い出そうとするトビーの行動が物語を引っ張っていきます。一方、作中で“犯罪ときっぱり縁を切るつもり”と宣言することもあり、ジョージの出番はやや少ないようにも思えますが、それでも見せ場は十分です。

 様々な展開を見せはするものの、ジョンの死の状況すら定かでないまま物語は終盤まで進んでいきますが、邦題として選ばれた“ひよこはなぜ道を渡る”という言葉の意味が明らかになると同時に、鮮やかに示される真相が実に見事。個人的には、傑作『猿来たりなば』とさほど遜色ない出来といってもいいのではないかと思います。

2006.03.01読了  [エリザベス・フェラーズ]



冬のオペラ  北村薫
 1993年発表 (角川文庫 き24-5)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 高校を卒業し、叔父の経営する不動産屋に就職した姫宮あゆみは、同じビルの2階に新しく事務所を構えた名探偵・巫{かんなぎ}弓彦と出会う。彼は、一般的な探偵業を行うことなく、様々なアルバイトで生活費を稼ぎながら人知を越えた難事件だけを待ち続ける、正真正銘の名探偵だったのだ。密かに物書きを志すあゆみは、名探偵の記録係を買って出るが……。

 孤高の名探偵・巫弓彦と記録係の姫宮あゆみを主役とした連作中編集で、それぞれの事件は独立していますが、物語の流れをみると三部構成の長編といえるかもしれません。最初の2篇はやや短めで、クライマックスとなる表題作「冬のオペラ」への序曲という印象です。
 (特に初期の)北村薫はいわゆる“日常の謎”派の代表として挙げられることが多いように思いますが、本書では些細な(?)ものもあるとはいえはっきりした“事件”が扱われており、“日常の謎”とは一線を画しています。それはおそらく、本書が名探偵としての生き方を描いた“名探偵小説”であることと無縁ではないでしょう。
 様々なアルバイトで糊口をしのぎながら、名探偵にふさわしい事件を待ち続けるという、探偵役・巫弓彦の造形もユニークですが、名探偵とは行為や結果ではなく“存在であり意志”であるという名文句や、事件に対するストイックな姿勢、そして見事な“裁き”が印象に残ります。
 正直なところ、ミステリとしてはさほどでもないのですが、“名探偵小説”としては間違いなく一読の価値があるでしょう。

「三角の水」
 あゆみの同僚・佐伯の妹で大学院生の志摩子が、研究室での成果をある企業に横流ししたスパイだと疑われているという。スパイの指紋が残っているはずの論文が、実験室に隣接する休憩室で焼き捨てられた時、休憩室内にいたのは志摩子一人だけだったのだ……。
 トリックは見え見えで、誰も気づかないのが不自然なほどですが、細部はよく考えられていると思います。犯人の無自覚な悪意にはいたたまれないものを感じさせられます。

「蘭と韋駄天」
 学生時代からのライバルの間で持ち上がった、珍種の春蘭の盗難騒ぎ。だが、容疑者には鉄壁のアリバイがあった――アリバイの証人となった女性・椿雪子の話によると、容疑者が春蘭を盗むためには数キロの距離をわずか5分ほどで往復するしかなかったのだが……。
 とある理由で初読時には非常に驚かされた作品。現象の鮮やかさが光ります。

「冬のオペラ」
 叔父の薦めで京都旅行にやってきたあゆみは、先の事件で知り合った椿雪子と偶然再会する。翌日、大学に椿を訪ねたあゆみは、研究室で起きた教授殺害事件に巻き込まれてしまう。早速巫に電話をかけて状況を説明したあゆみだったが、巫は“犯人が分かりました”と告げる……。
 興味深い謎と意表を突いた真相、そして事件の背景となる登場人物の心理など、全体的によくできた作品ですが、何といっても幕引きの美しさが特筆もの。傑作です。

2006.03.03再読了  [北村 薫]



火星人の方法 The Martian Way and Other Stories  アイザック・アシモフ
 1955年発表 (小尾芙佐・浅倉久志訳 ハヤカワ文庫SF492)

[紹介と感想]
 I.アシモフの比較的初期の中短編を集めた作品集です。ベストはやはり表題作「火星人の方法」

「火星人の方法」 The Martian Way
 長年にわたる苦労の末に、ようやく軌道に乗ってきた火星植民地の生活。だがそんな中、地球が火星へのの供給を制限するというのだ。生活用水や工業用水のみならず、宇宙船の推進剤としても使われる水は、いまだに地球からの供給に頼らざるを得ない。窮地に追い込まれた火星の人々がとった方法は……?
 多段式ロケットなど未来技術の予測に、地球と火星の対立という社会状況、そしてハードな問題解決と、これぞSFというべき堂々たる傑作。人間ドラマとしても一流です。

「若い種族」 Youth
 天文学者の父親に連れられて実業家の家にやってきた“ヒョロ”は、実業家の息子“アカ”に、鳥籠に入れた奇妙な生き物を見せられる。“アカ”はその生き物を手土産にサーカスに雇ってもらおうというのだが……。
 ショートショート的なオチはさすがに見え見えですが、そこに至る展開はまずまず。

「精神接触」 The Deep
 惑星の地底深くで暮らしてきたその種族は、存亡の危機を迎えていた。惑星を暖めてきた太陽に滅びの時が近づいていたのだ。かくして、十光年の距離に発見された惑星に移住すべく、ある若者が先遣隊として送り込まれたのだが、そこに住む知的生命は精神接触の能力を持っていなかった……。
 価値観の相対化というか、異種族からの視点が面白いと思います。結末の皮肉は何ともいえません。

「まぬけの餌」 Sucker Bait
 特異な二重太陽をめぐる惑星ジュニアは、地球にそっくりの環境で、植民に適した惑星だと考えられていたが、そこに送り込まれた遠征隊はやがて原因不明の病気で全滅してしまった。そして今、その秘密を解き明かすために、完璧な記憶力を持つマーク少年が科学者たちとともに惑星ジュニアへと向かう……。
 特殊な知識に基づいているとはいえ、よくできたミステリ風SFです。ネタもさることながら、現地へ到着するまでの過程における科学者たちの確執がしっかりと描かれているため、結末の鮮やかさが際立っています。

2006.03.05再読了  [アイザック・アシモフ]



アルファベット・パズラーズ  大山誠一郎
 2004年発表 (ミステリ・フロンティア)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 マンション〈AHM〉の最上階に住むオーナー・峰原卓の部屋には、同じマンションの住人である翻訳家・奈良井明世、精神科医・竹野理絵、そして捜査一課の刑事・後藤慎司の三人が集まり、紅茶を楽しみながら様々な事件についての推理を競っていた……。

 E.クリスピン『永久の別れのために』やN.ブレイク『死の殻』などの翻訳、あるいは「e-NOVELS」での犯人当て企画「彼女がペイシェンスを殺すはずがない」(本格ミステリ作家クラブ・編『本格ミステリ03』『論理学園事件帳』収録)の出題という経歴を持つ作者の、初の単行本となる連作短編集。
 四人の安楽椅子探偵が推理を競うとはいえ、A.バークリー『毒入りチョコレート事件』のようにそれぞれが独自の解決を示す多重解決ものではなく、ディスカッション形式の推理の過程に重点が置かれている印象です。そして、事件の中の些細な不自然さや疑問を大きく発展させていく手法は、“日常の謎”ミステリに通じる面白さを備えています。
 少々難のある部分もないではないですが、全体としてはよくまとまった佳作といえるのではないでしょうか。

「Pの妄想」
 大きな屋敷に住む資産家の女性が、家政婦に毒殺されるという妄想にとらわれているという。彼女は紅茶に凝っていたにもかかわらず、妄想が高じて、アフタヌーンティーの際にも缶紅茶しか口にしなくなったのだ。旧知の明世が理絵を連れて屋敷を訪れてみると、そこで事件が……。
 作品の中心となる、意表を突いたアイデアが非常に秀逸です。しかしながら、その成立を危うくする記述があるのはいただけませんし、トリックにも問題があるように思えます。せっかくのアイデアがやや損なわれているように感じられるのが残念です。

(2013.07.03追記)
 上の感想では記述だけの問題だと誤解されかねないので補足。
 2013年6月に刊行された創元推理文庫版では具体的な記述が削除され、問題が露呈しにくくなっているのは確かですが、本質的な解決にはなっていませんし、(きちんと再読したわけではないので他にも改稿箇所があるかもしれませんが)そもそも作品の根幹に関わるポイントなのでどうしようもないのが実状です。もっとも、大山作品を楽しむためには、そういうところを気にしてはいけないようですが……。

「Fの告発」
 深夜の警察に、とある美術館で殺人事件が起きたという匿名の通報が入る。捜査陣が駆けつけてみると、指紋認証システムによって厳重に管理された特別収蔵品室の中で学芸員が殺されていたのだ。だが、現場への出入りの記録によれば、犯行が可能な人物は存在しなかった……。
 トリックの根本は今時いかがなものかと思うようなものですが、その使い方というか、発展のさせ方が面白いと思います。

「Yの誘拐」
 12年前、京都市内で会社社長の息子が誘拐された。父親は警察へ通報し、犯人の要求通りに一億円の身代金を用意して指定された場所へ届けたのだが……。
 迷宮入りしてしまった事件の顛末を記し、ネット上に掲載された父親の手記を見て、マンション〈AHM〉の面々は事件を解明しようと京都に乗り込んだ……。
 分量にして本書の半分以上を占める、メインともいうべき中編で、二転三転する推理は読みごたえがあります。途中までは見通すことも不可能ではありませんが、結末は完全に予想外。正直、あまりに意外すぎて若干外し気味の感もないではないのですが、よくできた仕掛けであることは間違いありません。

2006.03.07読了  [大山誠一郎]



犬は勘定に入れません あるいは、消えたビクトリア朝花瓶の謎 To Say Nothing of the Dog  コニー・ウィリス
 1998年発表 (大森 望訳 早川書房)ネタバレ感想

[紹介]
 2057年、オックスフォード大学史学部の面々は、第二次大戦中の空襲で焼失したコヴェントリー大聖堂の再建計画に追われていた。人使いの荒い責任者レイディ・シュラプネルに、“主教の鳥株”という花瓶を探し出せと厳命された史学部の学生ネッド・ヘンリーは、20世紀と21世紀を何度も往復させられた挙げ句、ついに過労で倒れてしまう。史学部のダンワージー教授は、ネッドをレイディ・シュラプネルから遠ざけて休養させようと、簡単な任務を与えて19世紀のヴィクトリア朝へ派遣するが、時代差ぼけ{タイムラグ}でぼんやりしていたネッドは、肝心の任務の内容を聞き漏らしてしまった……。

[感想]

 オックスフォード大学史学部のタイムトラベル騒動を描いた、『ドゥームズデイ・ブック』の姉妹編(ストレートな続編ではないので、必ずしも前作を先に読むべきというわけではありませんが、背景などが多少わかりやすくなるのではないかと思います)。シリアスだった前作とはうってかわって、どこかユーモラスなドタバタ劇が中心になっており、「訳者あとがき」に記された“ヴィクトリア朝版「バック・トゥ・ザ・フューチャー」”という形容が言い得て妙です。

 前作もそうでしたが、序盤が少々取っつきにくいのが難点で、特に本書では主人公が“タイムラグ”で朦朧としていることもあって、状況がかなりわかりにくくなっています。そのため、この時点ではせっかくのドタバタもむしろ逆効果になっている感がなきにしもあらず。しかし、主人公のパートナーとなるヴェリティが本格的に登場し、背景が明らかになってくるとようやく、主人公が直面する状況の不条理さが楽しめるようになります。

 物語は、主人公らが命じられた“主教の鳥株”探しと、時空連続体に生じてしまった齟齬の解消との二つを柱とした、ミステリ的な展開をみせます。実際、紆余曲折の果てに明らかになる真相は、SFミステリとしてなかなか面白いものになっています。他にも、様々なミステリ的小ネタが散りばめられており、SFファンだけでなくミステリファンが読んでも十分に楽しめる作品といえるでしょう。

 ドタバタ劇を彩る21世紀と19世紀の登場人物たちも、それぞれに個性豊かで魅力的。また、名脇役として活躍するシリルとプリンセス・アージュマンドのコンビのかわいらしさも必見です。

2006.03.10読了  [コニー・ウィリス]
【関連】 『ドゥームズデイ・ブック』


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