片桐大三郎とXYZの悲劇
[紹介と感想]
日本に知らぬ者はない時代劇の大スター・片桐大三郎は、古希を過ぎてから突然その聴力を失ってしまい、役者業を引退した。今では芸能プロダクションの社長をつとめながら、いまだ衰えを見せず探偵趣味に邁進する大三郎は、その“耳”代わりとなる新人社員・野々瀬乃枝を従えて、今日も事件の謎を解き明かす……。
聴力を失った俳優ドルリー・レーンを探偵役とした、エラリイ・クイーンの〈ドルリー・レーン四部作〉へのオマージュ(*1)で、長編四作に対してこちらは四篇を収録した中編集となっています。“本家”のドルリー・レーンと同様に耳の聞こえない(元)時代劇の大スター・片桐大三郎と、ノートPCを駆使して他人の発言を大三郎に伝える新人社員・野々瀬乃枝を、それぞれ探偵役と助手に据えて、引退しても変わらず知名度の高い大三郎の大スターぶりや、過去の映画や芝居の裏話なども織り交ぜた、なかなか愉快な物語となっています。
“本家”クイーンを意識したものか、謎解きのロジックに重きが置かれつつ、意外な真相も用意されて世評も高い作品……ではありますが、ミステリとしては個人的に期待外れの一冊となってしまったのが残念。本書でも、前提からは思いもよらない可能性を示して読者の意表を突く、倉知淳らしい(?)ロジックが展開されているのは魅力なのですが、例えば“日常の謎”などのように推理が検証されない(あるいは検証の必要性が薄い)状況ならばともかく、本書のような形ではロジックの“緩さ”の方が際立って、説得力の乏しい推理がたまたま的中したように――もしくは探偵役があらかじめ作者から真相を知らされていたかのように――見えてしまうのが、大きな難点の一つです。
とはいえ、色々と気にしたりしない方であれば十分に楽しめるのではないかと思いますので、本書を未読で気になっているという方がいらっしゃいましたら、とりあえず以下の感想はお読みにならない方がいいかもしれません。また、倉知淳のファンの方も同様です。
- 冬の章 「ぎゅうぎゅう詰めの殺意」
- 朝の通勤ラッシュで超満員の山手線。新宿駅で下車しようとした乃枝だったが、目の前の黒いコートの男がホームに倒れ込んでしまう。やがてそのまま亡くなった男は、どうやら満員電車の中、ニコチンの注射で毒殺されたらしいのだが……。
- クイーン『Xの悲劇』を髣髴とさせる、満員電車の中でのニコチンによる毒殺を扱った作品。何というか、できればあまり考えずに、書いてあることを素直に受け取るようにすれば楽しめるのではないでしょうか。
個人的には、推理は意外だけれど説得力はないしアンフェアだし、ポイントとなる“矛盾”は某海外古典短編そのままだし、犯人の“工作”は実行できなさそうだしリスクが大きすぎてそんなことしそうにないし、ついでにいえば最後に警察がやってることも明らかにおかしいし――といった具合で、ミステリとしては何一ついいところがないようにも思えます。が、よく考えてみると推理の説得力については、(例えば井上真偽『その可能性はすでに考えた』の“敵”と同じように)“可能性がないとはいえない”程度の仮説が示せればいい状況ともいえるので、多少は弁護の余地があるのかもしれません。
- 春の章 「極めて陽気で呑気な凶器」
- 年老いた画家が、邸の物置部屋の中で頭を殴られて死んでいるのが発見された。だが、現場にはスパナやバール、金属バットなど、凶器に適したものが数多くあったにもかかわらず、犯人が凶器に選んだのはなぜか、古いウクレレだった……。
- クイーン『Yの悲劇』を連想させる道具立てにニヤリとさせられますが、やはり何といってもウクレレ(*2)という奇妙な凶器が目を引くところで、“スパナなどを差し置いて凶器に選ばれたのはなぜか?”という謎が魅力的です。
しかして最後に示される真相は、面白い部分もあるにはあるのですが、(やむを得ないとはいえ)“ある部分”が面白味のない方向に転がされているのが少々残念ではあります。しかしそれ以上に気になるのが、作者の意図した“解決”へ持っていくために謎解きの手順が不自然にねじ曲げられている――そして、よりシンプルで面白味の薄い“別解”(*3)の可能性を読者の目から隠してある点で、これは卑怯というべきか巧妙というべきか……。
- 夏の章 「途切れ途切れの誘拐」
- 資産家の邸で留守番のベビーシッターが殺害され、赤ん坊が誘拐される事件が発生。捜査陣らが邸で待ち構える中、公衆電話から身代金要求の電話をかけてきた犯人だったが、なぜかたびたび話の途中で電話を切ってしまう。そして……。
- クイーン『Zの悲劇』……は恥ずかしながら覚えていない――もしかすると未読かもしれない(*4)――ので、何がどうオマージュなのかさっぱりわかりませんが、あしからず。
それはさておき、鮮やかな解決に常軌を逸した真相といったあたりは、なかなか面白いものになっています。ただし、真相から逆算して考えてみると、(目立たないように隠してあるものの)根本的なところで話が成り立たないことになるはずで、まったくいただけません。
また、先に“多少は弁護の余地があるのかもしれません”
と書いた「ぎゅうぎゅう詰めの殺意」と違って、説得力に乏しいこの程度の推理で“アレ”してしまうのはハイリスクなギャンブルとしか思えず、個人的にどん引きです。まあ、“(根拠が薄弱でも)探偵役の推理は絶対に正しい”ということなのかもしれませんね。
- 秋の章 「片桐大三郎最後の季節」
- 区の施設で講演会を行う片桐大三郎のもとに、亡くなった映画監督が残した幻の未発表シナリオが持ち込まれる。だが、講演の間キャビネットに鍵をかけてしまってあったはずのシナリオが、いつの間にか消え失せてしまったのだ……。
- クイーン『レーン最後の事件』のオマージュで、これは“本家”を先に読んでおいた方が楽しめる……となると、四部作すべてを先に読んでおいた方が、ということになるので難しいところですが。
他の作品よりやや短めですが、不可能かつ不可解な盗難事件は興味を引きますし、推理(ロジック)にも見ごたえがあり、意表を突いた真相も――ややわかりやすくなっているところもあるものの――よくできていると思います。結末も十分に印象的。個人的には本書の中でベストです。
*2: ちなみに、作中ではたびたび
“弦もボロボロに錆びて”(126頁)といった表現があるのですが、ウクレレは一般的にスチール弦ではなくナイロン弦が使われるはず(例えば「ウクレレ - Wikipedia」にも、類似の楽器について
“これはウクレレとは異なり金属弦が用いられ”と説明されていたりします)なので、かなり違和感が。
*3: 犯人は同じですが、犯行の手順が作中の“解決”とは大きく異なります。
*4: ついでに白状すると、『Xの悲劇』も同様です。
2015.10.28読了 [倉知 淳]
バビロンI ―女―
[紹介]
製薬会社と大学による新薬臨床試験の不正事件を捜査していた東京地検特捜部検事・正崎善は、押収した証拠物件の中に一枚の奇怪な書面を発見する。そこに残されていたのは、髪の毛や皮膚などが混じった血痕と、紙を埋め尽くすように書き込まれた無数の文字――アルファベットの“F”だった。それを記した大学の麻酔科医は異様な死を遂げてしまい、正崎は研究室に出入りしていた人物を追いかけるうちに、東京西部に設立される特区“新域”の首長選挙に潜む陰謀に気づく。しかしその先には、想像を絶する事態が待ち構えていたのだ……。
[感想]
講談社の新レーベル・講談社タイガの創刊ラインナップの一つ、野﨑まどの新シリーズ第一作です……が、これまでほとんどの作品で大なり小なりSF要素を取り入れてきた作者としては意外なことに、本書では東京地検特捜部の検事が主人公に据えられ、その地道な捜査活動がやがて大物政治家の疑惑へとつながっていく――という、一見するとポリティカル・フィクション(*1)めいた物語となっており、若干の戸惑いを覚えずにはいられません。
捜査とはいっても警察とは違い、押収した膨大な量の書類をひたすら読み込む地味な作業が中心となる、特捜部の捜査活動の様子がまず目を引くところで、時にいつものとぼけた味のやりとりを交えながらも、しっかりと地に足が着いた描写で読ませるのがさすがです。このあたりは“特捜部検事の日常”ミステリといってもよさそうでもあるのですが、やがて証拠物件の中にまぎれていた奇怪な書面を発見したことをきっかけに、型通りだったはずの捜査が少しずつ思わぬ方向へ進み始め、謎めいた展開がより一層読者を引き込みます。
麻酔科医の何とも異様な死(*2)など、得体の知れないものが少しずつ顔をのぞかせ始める一方で、現実的な部分――いかにもな政治家の不正疑惑は(おそらく意図的に)一貫してステレオタイプといってもいい経過をたどり、微妙な“二重構造”を保ちながら進んでいく両者のコントラストが印象的。しかも、あくまでも現実的な主人公・正崎の視点を通すことで、通常の捜査手法が通用しなくなる部分の異質な不条理さが際立っている感があり、特に物語後半の事情聴取の場面などはある種悪夢のようにすら思えます。
少しずつ真相に迫っていきながらも、正崎の対応は後手後手に回らざるを得ず、そのまま最後には野﨑まどらしいテーマがついに明らかになるわけですが……“知ること”を追究した『know』と対になるように、“知ってしまったこと”で生じる一種のパラダイムシフトが描かれる、といえばいいでしょうか。しかし、“新域”を“バビロン”に変えてしまう(*3)それをもたらす存在は、まぎれもなく“悪”といわざるを得ないでしょう。かくして、正崎が対決すべき相手を認識したところで物語が一旦幕を閉じるのが残念ではありますが、次作も楽しみです。
なお、次作以降の内容にもよりますが、感想はここに追記していく形にするかもしれません。→その後『バビロンII ―死―』と『バビロンIII ―終―』も読みましたが、面白くはあったものの、感想を書きづらい+しんどいのでパスしました。あしからず。
2015.11.04読了 [野﨑まど]
悪夢はめぐる The Devil Drives
[紹介]
フランクリン刑務所の若き刑務所長ピーターズは、死刑囚ホルボーンに怪しげな話を持ちかけられる。ピーターズは取り合わなかったが、死刑執行直前に脱獄を企てて銃で撃たれたホルボーンは、死に際に「あんたはもう足を突っ込んでいるのかもしれない」とピーターズに言い残す。やがて、何者かが送りつけてきた古い手紙の束――十三歳の少女が年の離れた男に宛てたラブレターに魅了されたピーターズは、送り主の依頼を受けて、手紙を書いた少女と相手の男の行方を探すことになり、手がかりを得るために職を捨ててギャングの世界へと飛び込んだ……。
[感想]
B級ミステリの傑作(?)であるセオドア・ロスコー『死の相続』を引き合いに出して紹介された作品(*1)ですが、実際に読んでみると『死の相続』よりもさらに無茶苦茶な印象で、確実に好みの分かれそうなとんでもない怪作です。(“超展開”もあるとはいえ)ミステリとしての筋がそれなりにしっかりしている『死の相続』に対して、本書はあらすじを書くのも難しいほど脈絡のないプロットが大きな特徴となっており、一見するとわけのわからない展開の連続が、何ともいえないB級感をかもし出す大きな要因の一つとなっています。
上の[紹介]に書いたのは序盤の四分の一程度を何とかまとめたもので、これだけでも相当無茶な展開はお分かりかと思いますが、その後もかなりのもので、ピーターズが手がかりの交換条件としてギャングのボスに命じられた別の仕事の顛末が、苦労して標的の人物に近づくところから、突然の事態の急変、そして思わぬ形の決着に至るまでじっくりと描かれ、犯罪小説のような様相を呈したかと思えば、物語の舞台が一変した上に密室内の溺死体に遭遇し、ピーターズが警察の向こうを張って不可能状況を解き明かすといった具合で、何だかよくわからない状態です。
もっとも、読み返してみて思うのは、本書は確かにミステリではあるのですが、主眼はあくまでも主人公ピーターズの奇妙な冒険譚にあり、謎や真相もその一環として用意されている、と考えた方がよさそうだということです。終盤にピーターズが“探偵役”として“他者の物語”を解き明かし、また当事者の口からそれが語られるものの、そこで物語が終わることなく、最後には“主人公自身の物語”に回帰して印象的な結末を迎えるところにも、それが表れているといえるでしょう。つぎはぎ状態でミステリとしては型破りのプロットも、主人公が異なる“世界”を移動しながら冒険するととらえれば、許容しやすいのではないでしょうか。
また、本筋からやや遠い部分(*2)にまで妙に(?)筆が割かれているあたり、話の焦点をぼやけさせているきらいもありますが、しかしこれはやむを得ない部分を除いて(*3)ご都合主義を避けるべく、意図した方向へ物語を動かすためのエピソードを律儀に積み重ねてある節もあります。そして結末から振り返って考えてみると、思いのほか不要な部分が少ないというか、物語が進むにつれてそれらが次々に思わぬ伏線として回収されていく(ただし真相につながるという意味ではない)ところなどは、意外に(?)よくできているように思われます。冒頭から結末までの“飛距離”もあって、今ひとつうまくつながっていない感もありますが……。
終盤に明らかになる真相について、読者が推理できるように書かれているとはいえませんが、一応は納得せざるを得ない伏線が用意されており、とりわけ大胆な伏線に支えられた豪快な密室トリックには、さすがに苦笑を禁じ得まないものがあります(*4)。しかして、本書の最大の見どころはやはり真相が明らかにされた後、ピーターズ自身の物語が展開される最後の二章で、皮肉に満ちた冒険の締めくくりとして用意されている、実に魅力的な余韻を残す結末が秀逸です。手放しではおすすめしがたいところもありますが、およそ例を見ない怪作であることは間違いないので、その意味で一読の価値はあるといってもいいかもしれません。
“『死の相続』を超える、アメリカ黄金時代の最大の怪作!”と記されています。また、巻末の森英俊氏による解説でも、本書と同類(?)のB級ミステリとして『死の相続』などが挙げられています。
*2: 例えば、ピーターズが刑務所長を辞めてギャングのボスに接近する過程など。
*3: 本書で最もご都合主義だと感じられるのは、「第18章」で唐突に出てくる手がかりではないかと思われますが、これはその直前の出来事からすると唐突になるのも致し方ないところでしょう。
*4: 解説で言及されている、同じように密室内の溺死体が扱われたフィリップ・マクドナルド『フライアーズ・パードン館の謎』(こちらもかなりのバカトリックが用意されています)と読み比べてみるのも一興かもしれません。
2015.11.13読了
五十坂{いさか}家の百年
[紹介]
非情な取立てで“人喰い”と呼ばれた高利貸しを先祖に持ち、古めかしい武家屋敷で暮らしてきた五十坂家の人々。ある日、朝早く出かけた双子の老姉妹・蘭子と蝶子が、手に手を取って崖から飛び降り自殺してしまう。葬儀のために集まった一族は、老姉妹が不可解な自殺を遂げた理由を探るうちに、五十坂家に長年隠されてきた秘密を掘り起こすことになる。そして屋敷の床下からは、四体の人骨が発見された……。。
[感想]
翻訳小説好きであればご存知の方も多いと思われるサイト「すみ&にえ「ほんやく本のススメ」」の管理人であり(*1)、2008年に第九回小学館文庫小説賞を受賞してデビューした作家・斉木香津。本書はその最新刊である第五作で、武家屋敷で暮らしてきた一族の四世代にわたる物語(*2)であり、隠されていた過去の殺人事件が掘り起こされる“スリーピング・マーダー”が扱われたミステリとなっています。いわゆる“イヤミス”のような部分もありますが、それだけではなく様々な魅力のある作品です。
作中の時系列ではかなり後の、屋敷の床下から四体もの人骨が掘り出される場面が冒頭に置かれ、(作中のその時点で登場人物たちにはわかっているらしい)被害者たちの身元が伏せられて、読者を引き込む発端の謎とされているのがまず効果的。続く物語本篇は、双子の老姉妹・蘭子と蝶子の謎めいた自殺に始まり、それをきっかけとして五十坂家の秘密に目が向けられる……のですが、その一方で、現在のパートを脇に追いやるかのように、物語は蘭子と蝶子の父・公一郎が生まれた百年近く前まで遡り、そこから“五十坂家年代記”が語られていく、という構成がユニークです。
本書前半の過去パートでは、その公一郎と妹の璃理子、そして公一郎の妻となる弥生の三人が主役ですが、中でも璃理子の存在感が強烈。少女趣味に満ちた自分だけの世界を作り上げて維持するために、他者を思い通りに“操る”その姿は怪物的といっても過言ではなく、彼女を中心に不穏な空気が高まっていく様子は見ごたえがあります。一方、昭和四十年代まで時代が下り、蝶子の息子・二葉と双子の兄・一枝、蘭子の娘・公子の、同い年の三人が中心となる後半の過去パートは、子供から大人になっていく過程を振り返るノスタルジックな回想の趣で、前半とはまったく違った味わいになっています。
現在のパートをみれば“スリーピング・マーダー”ものであるにもかかわらず、それと並行して過去に何が起きたのかがある程度直接描かれていくために、半ば倒叙ミステリ風になっている部分もあるのが非常に面白いところで、“犯人”が人を殺すに至る経緯がしっかりと描かれているのが印象的。また、倒叙ミステリ風とはいえすべてが語られるわけではないので、わかりやすい部分に気を取られて油断していると、物語の中に巧みに埋め込まれた謎に足元をすくわれることになるのがうまいところで、とりわけ終盤になってようやく見えてくる(*3)(一応伏せ字)本書の構成を生かした(ここまで)謎がお見事です。
読者が推理できる部分がやや少ないきらいはあるものの、最後に明らかになっていく真相とそれを支える伏線は、なかなかよくできていると思います。と同時に、真相が明るみに出されるにつれて、内面が直接描かれることのなかった蘭子と蝶子の心情が浮かび上がってくるのが秀逸。そして、五十坂家で密かに続いてきた事件の連鎖が断ち切られる結末には、“イヤミス”らしからぬ(?)前向きな明るささえ漂い、何とも感慨深いものがあります。最初から最後まで、作者の確かな筆力に満足させられる一冊です。
2015.11.24読了
十二の贄 死相学探偵5
[紹介]
中学生の悠真は、莫大な資産を持つ大面グループの総帥・幸子に引き取られ、七人の異母兄姉と五人の叔父・叔母とともに暮らすことになった。奇妙な同居生活は平穏に過ぎていったが、やがて幸子が死亡し、不穏な遺言状が発見されて事態は一変する。総勢十三名の遺産相続人それぞれの生死に応じて、呪術めいた奇怪な条件によって生き残った相続人の遺産の取り分が増減するというのだ。果たして、遺言状が披露されて早々に事件が発生し、大面家の顧問弁護士に依頼を受けた死相学探偵・弦矢俊一郎は、死相を手がかりに解決を目指すが、次々と犠牲者が……。
[感想]
他人の死相を視ることができる“死相学探偵”・弦矢俊一郎を主役とした、ホラーミステリのシリーズ第五弾。俊一郎らシリーズキャラクターが登場するのは物語中盤で、それまでは舞台となる資産家・大面家の事情が描かれていきます。中学生の悠真少年が真夜中に墓所へ遺言状を探しに行かされる、三津田信三お得意の少年視点のホラー風の一幕が大きな見どころですが、メインとなるのはミステリで定番の遺産相続をめぐる事件で、全体としてかなりミステリ寄りの内容になっています。
問題となる遺言状は、十三人もの相続人たちに大なり小なり不満を抱かせて殺し合いを誘発するかのような、横溝正史『犬神家の一族』どころではない不穏な内容で、いくら何でも現実的でないといえばその通りなのですが、そのあたりが本書ではうまく処理されているように思います。特殊な家族関係(*1)もありますが、相続人たちの星座(黄道十二宮)(*2)に基づく複雑怪奇な相続の条件それ自体が呪術のような印象を与えるのがポイントで、呪術を駆使する“黒術師”が敵役として暗躍するこのシリーズであればおかしくない状況、といえるのではないでしょうか。
事件はまず、遺言状の中で特殊な立場を与えられている悠真少年の誘拐から始まります。遺産をめぐる事件では、“誰が得をするのか?”に着目するのがセオリーともいえますが、本書では遺言状の中に、悠真の生死に応じて他の相続人の損得が逆転するという条件が用意されており(*3)、悠真が誘拐されて生死不明の状態では誰が得をするのか判然としないのが巧妙。その中で発生するのが呪術による殺人ですが、“黄道十二宮殺人事件”らしく(律儀に?)被害者の星座にちなんだ怪異が襲い来る様子は、“恐怖”というよりもどことなくシュールな味わいがあります。
依頼を受けて事件解決に乗り出した俊一郎による“死視”でも犯人は不明なまま、犠牲者だけが増えていきますが、残りの頁も少なくなったところでついに始まる恒例の“一人多重解決”――仮説を一つ一つつぶしながら、徐々に真相に迫っていく過程はやはり見ごたえがあります。思わぬ仮説が示されるのも面白いところですが、強力なミスディレクションによって隠蔽されていた真相が最後に明らかになるところが実に鮮やか。後半がやや駆け足に感じられるのは否めませんし、少々すっきりしない部分も残るのも確かですが、安定のクオリティといっていいでしょう。
2015.12.10読了 [三津田信三]