「貴族探偵」はいかに改造されたか?

ドラマ第9話 「こうもり」

2017.12.26 by SAKATAM

ドラマ「貴族探偵」第9話までと、原作「こうもり」『貴族探偵』収録)、及び「幣もとりあへず」『貴族探偵対女探偵』収録)のネタバレがありますので、未読・未視聴の方はご注意ください

第9話 「こうもり」

放送日:2017年6月12日
原作:『貴族探偵』の第3話「こうもり」

○あらすじ

 愛香は鼻形とともに、師匠・喜多見切子の遺体が発見された渓谷に花を手向けに行く。切子は上流の山道から転落して流された事故死とされていたが、遺体には目立った外傷がなかったというのだ。鼻形は近くのカフェに後輩の警察官を呼び出し、当時の資料を極秘に持ち出すよう頼む。
 そのカフェに、有名な作家の大杉道雄がいることに気づいた鼻形は、愛香が止めるのも聞かずにサインを求めに行くが、すげなく断られてしまう。そんな時、鼻形のもとに貴族探偵の執事・山本が電話をかけてきて、貴族探偵が森の中で珍しい蝶を探している最中に、愛犬・シュピーゲルが女性の他殺体を発見したという。
 殺害された水橋佐和子は、夫の洋一、姉の大杉真知子とその夫・大杉道雄、友人の堂島尚樹とともに近くのキャンプ場へ来ていたのだが、頭に花の冠をかぶせられたその世にも美しい遺体の姿に、貴族探偵は思わず目を奪われていた……。


○お知らせ

 今回は諸般の事情により、順序を変更して原作「こうもり」のトリックと解決の話から始め、ドラマの内容に触れるまでの“前フリ”が長くなっていますが、ご了承くださいませ。


○原作のトリックと解決

 原作のメイド・田中は、最初に大杉道雄が犯人と名指しした上で推理を始めます。最初の手がかりは、被害者・水橋佐和子の頭に載せられていた花の冠で、風媒荘にあったヒナギクの造花が使われていたことで容疑者は風媒荘の宿泊客に限定され、さらに佐和子が大杉の著書『花冠』の主人公に憧れていたことを知る機会がなかった*1松野彰が除外されて、容疑者は寺崎紀子・安永絵美・大杉道雄・大杉真知子・水橋洋一・堂島尚樹の六人に絞られます。

 しかるにこの六人は、全員がアリバイ成立しているように見えるのが難しいところですが、その中でメイド・田中は、園田警部補の“大杉が煙草を吸わない”という証言と、紀子の“(“大杉”が)ヤニ臭かった”という証言が矛盾しているとして、事件当日(と前日)のランチの席に現れたのは大杉本人ではなく替え玉だと推理し、アリバイが崩れる大杉が犯人と結論づけています。そして、ランチの際に絵美がくすねた“大杉”のコーヒーカップの指紋が証拠だと指摘するとともに、替え玉をつとめた人物として何年か前に“名前を騙って無銭飲食を繰り返して”捕まった大杉の偽者、こと貴生川敦仁の名前を挙げて、メイド・田中は推理を終えます。

*

 作中での謎解きはこのように、かなりシンプルで“簡単”といってもいいほど*2なのですが、原作の「こうもり」には以下のような三重のトリックが仕掛けられているため、読者が真相を見抜くのはまったく容易ではないでしょう。

[1]作中の、貴生川を替え玉にした大杉の〈アリバイトリック〉
 作中でメイド・田中が説明しているように、事件当日のランチの際に貴生川が替え玉となって大杉のアリバイを成立させるトリックで、事件の前日に周到に“予行演習”までしているところが目を引きますが、これは実は後述するように[2][3]のトリックの要請でもあります。そして、序盤に名前を明かすことなく“そっくりさん”の存在を示してあるのが、実にいやらしい手がかりとなっています。

[2]読者に対して[1]を隠蔽するための〈(逆)叙述トリック〉
 [1]のトリックはいうまでもなく陳腐なトリックですが、その割に小説では非常に使いにくいトリックでもあります。というのも、替え玉を(三人称の)地の文でどのように書くのかが大きな問題で、“地の文の嘘”を避けるために“彼”や“男”で通す(貴生川を大杉に見せかける叙述トリック)のは、不自然になって*3真相が露見しやすい――というのは結局のところ、ドラマ第4話「幣もとりあへず」の原作「幣もとりあへず」と同じ問題で、「こうもり」でも同じように*4、地の文には堂々と“貴生川敦仁”の名前を記しておいて、作中の登場人物が“貴生川を大杉だと思い込んでいる”ことを隠蔽する、いわゆる逆叙述トリックが仕掛けられています。

 アリバイトリックが実行される事件当日のランチの場面では、紀子と絵美が貴生川を“大杉”だと思い込んでいることを読者の目から隠すのはもちろんのこと、読者の視点からも“大杉がそこにいる”ように見えなければ肝心のアリバイが(読者に対しては)成立しないわけですが、その場の会話――絵美らの“大杉先生”という呼びかけや、真知子との夫婦らしいやり取り――によって“一人二役”の叙述トリックが成立し、読者にとっては大杉と貴生川の二人がそこにいるように思えてしまうのがうまいところです。

 読者が真相を見抜くための手がかりとなるのは、事件当日のランチの座席に関する記述です。“昨日と同じテーブル”はそもそも四人掛けのウッドテーブル”で、絵美・真知子・貴生川に加えて大杉もいるとすれば、“彼女(注:絵美)の横は空いている”はずがありません。また、“貴生川は今日は絵美の向かいに座っていた”にもかかわらず、絵美が“向かいのコーヒーカップ”をくすねた際に紀子が“それ大杉先生が使っていたカップじゃない”とたしなめていることに気づけば、貴生川が“大杉”と認識されていることに思い至るのも不可能ではないでしょう*5

[3]さらに読者に対して[2]を隠蔽するための〈叙述トリック〉
 [2]のトリック自体は効果的ですが、それだけでは読者にとって“貴生川が何者なのか”――他の登場人物とどのような関係にある人物なのかがさっぱりわからない、という問題が生じます。作中の登場人物は貴生川を“大杉”として扱っているわけですから、読者に対して貴生川を“紹介”してくれるはずはありませんし、地の文ではなおさらです。そこで、[2]のトリックを補助するために、貴生川を“遅れてやってきた絵美の彼氏=貴族探偵”だと思わせる叙述トリックが用意されています。

 事件前日のランチの場面で初登場する貴生川は、“高級ジャケットの彼”という絵美の彼氏のあだ名そのままに“常盤洋服店の高級ジャケット”を身に着け、絵美とも“最初から恋人二人で風媒荘にやってきたとしか見えない”親密な様子で、事件当日のランチでも貴族探偵を髣髴とさせる衒学的な話題を披露するなど、“貴生川=絵美の彼氏=貴族探偵”と見せかけるあざとい記述で一杯です。が、真相が明かされてから振り返ってみると、それが“大杉”だとしても意味が通るように注意深く書かれているのが見事で、とりわけ下に引用する絵美の台詞(事件前日のランチの後)は絶妙です。
「そうだ。彼にも大杉先生を紹介してあげよっと。彼も大杉先生の本を読んだことあるって前に云ってたし。まさか私が大杉先生と知り合いだなんて思ってもないだろうし……。しまった! ランチの時その話をすればよかったわ。彼、びっくりするだろうな」
 絵美がいう“その話をすればよかった”が、彼氏(貴生川)に“大杉先生と知り合い”だと話すことだと思わせて、実は“大杉”(貴生川)に“彼にも大杉先生を紹介”する了解を得ることだった、というダブルミーニングが秀逸です。しかも、ここで彼氏を大杉に引き合わせる話があらかじめ出されていることによって、大杉と貴生川が“同席している”(ように見える)事件当日のランチの様子が自然なものになっている*6ところもよくできています。

 前述した事件当日のランチの座席の問題に気づけば、貴生川が“大杉”のふりをしていることになるので、そこから貴生川が絵美の彼氏(=貴族探偵)ではないことまでわかりますが、さらによほどの甘党らしく、ソーサーにはシュガーの空袋が三本載せられている”という描写が、「ウィーンの森の物語」での“シロップは抜きでフレッシュだけで”という貴族探偵の言葉と矛盾することも、真相を見抜く手がかりとなり得るでしょう。

 以上のような三重のトリックが、真相そのものを強固に隠しているのはもちろんのこと、替え玉を見抜くための手がかりの隠蔽にも大きく貢献しているのが巧妙。すなわち、“ヤニの臭い”をさせた人物が貴生川だと地の文にはっきり示されている*7ために、読者はそれを“大杉がタバコを吸わない”という事実と結びつけることができず、重要な手がかりだと気づきにくくなっているのです。


*1: 実際には、紀子らの前で佐和子が憧れを口にした場に松野がいなかったというだけでなく、『花冠』“先週に上下巻で刊行されたばかり”の上に、水橋が“この三日間、佐和子が一人にならないようにずっとついて回っていた”という具合に、松野が佐和子から『花冠』の話を聞く機会が入念に排除されているのが周到です。
*2: もっとも、“大杉”がヤニ臭かったというのは事件前日の話なので、園田警部補がそこまで詳しく聞いているとは考えにくいものがありますし、逆に紀子も園田警部補から捜査情報を聞いているはずがないので、作中で謎を解くことができる人物はメイド・田中のみ、ということになりそうです(警察の質問と違って“ストーカー事件のことを詳しく訊かれた”という記述が、メイド・田中に事件前の出来事まで伝えたことを示唆しています)。
*3: 特にこの作品では、三人称の地の文が完全な客観視点ではなく、会話で“大杉先生”と呼びかける――その程度に大杉との関係が薄い――紀子に視点を据えてあるところもあるので、なおさら地の文での“彼”は不自然に映ることになります。
*4: もちろん、実際に発表されたのは「こうもり」の方が先で、「幣もとりあへず」はその“応用編”といった形になっています。
*5: もう一つ、“襟足の長い髪を掻きながら”という貴生川の動作は、よく考えてみると“TVでよく見る彼(注:大杉)の癖”を真似ている節があるので、これも手がかりとなり得るかもしれません。
*6: 紀子が――それなりに納得できる理由も用意されて――ランチに二日連続で遅刻したことで、どう考えても真相が露見するはずの(絵美と“大杉”の)最初の挨拶などが巧みにカットされているところも見逃せないでしょう。
*7: 地の文で貴生川のことを“彼”などとぼかして記述する一般的な叙述トリックであれば、大杉と“大杉らしき人物”との間の齟齬となるわけですから、手がかりと真相がかなりわかりやすくなると思われます。

○ドラマ放送前の注目ポイント

 〈(逆)叙述トリック〉が重要な役割を果たしているため、ドラマ化が発表された時点から“映像化困難”との評判が高かった原作「こうもり」ですが、実際にドラマ「貴族探偵」が始まって毎回の“お約束”を念頭に置いてみると、他にもドラマ化にあたって困難な部分があることがわかります。ということで、この第9話の放映前に個人的に注目していたのは、以下の三点です。

1.原作の〈(逆)叙述トリック〉はどのように処理されるのか
 これはいうまでもないことかもしれませんが、ドラマ第4話「幣もとりあへず」でも述べたように“小説の叙述トリックをそのまま映像に置き換えて再現するのは困難”なので、原作の〈(逆)叙述トリック〉がどのように処理されるのかが、原作既読者にとって最大の注目ポイントとなっていたのは間違いないでしょう。

 類似のトリックが使われた原作「幣もとりあへず」(ドラマ第4話)と同じように原作「こうもり」についても、ドラマの放送開始前にトリックの映像化に向けた改変を検討していたので、その後に考えたことも合わせてここに一応まとめておきます。

 まず、[3]の貴生川を貴族探偵だと思わせる〈叙述トリック〉は、どう考えても割愛するしかないでしょう。映像での人物誤認は外見に頼るしかなく、主演が相葉雅紀だとすでに発表されている以上*8[3]の人物誤認を映像で再現するためには相葉雅紀が貴族探偵と貴生川の二役……ではなく、貴生川が替え玉をつとめる大杉まで含めた一人三役をこなすことになります。しかし、顔の類似が“大杉≒貴生川”まででとどまればいいのですが、それが“≒貴族探偵”までつながっていくと、貴族探偵とは別人として大杉が登場した時点で“同じ顔の別人”の存在が明らかになるのですから、替え玉トリックが使われることが原作未読者にまで見え見えになってしまいます。

 実際のところ、原作での[3]〈叙述トリック〉は、前述のようにあくまでも[2]〈(逆)叙述トリック〉を隠蔽するためのものであって、相対的に作中での重要度が低い上に、原作で[3]のトリックの前提となっている[2]のトリックの一部――貴生川と“大杉”の“一人二役”の叙述トリックが、まず間違いなく映像では不可能だと考えられるので、ドラマでは[3]のトリックの必要性自体がなくなる、といってもいいのではないでしょうか。

 そうすると、事件前日のランチの場面は不要になるとして、肝心の事件当日のランチの場面はやはり難関です。そこで考えたのが、紀子と絵美に対しては貴生川を“大杉”に見せかけると同時に、視聴者に対しては別の人物を“大杉”に見せかけるトリック――すなわち、ランチの参加者を紀子・絵美・“大杉”(貴生川)の三人として(真知子は別行動でアリバイを確保*9)、“混んでいるので相席”とした上で下の図のように座席を配置して、〈【貴生川・絵美・紀子】/相席になった他人(男)〉の四人を、視聴者には〈相席になった貴生川/【絵美・紀子・“大杉”】〉に見せかけようというものです。

  紀子    絵美  
    テーブル    
  他人  “大杉”
[紀子らの認識]

 ←←← 
  紀子    絵美  
    テーブル    
  他人   貴生川 
[事実]

 →→→ 
  紀子    絵美  
    テーブル    
“大杉” 貴生川 
[視聴者の認識]

 貴生川は色の濃いサングラスなどで最低限顔を隠し、地の文の代わりにテロップで貴生川の名前を表示しつつ、貴生川がしゃべるところや貴生川の隣の席の“他人”は映さないよう、アングルやカットをうまく工夫すれば*10、貴生川との会話をその隣の“他人”との会話のように――その“他人”が大杉であるかのように、視聴者を騙すことができる……のは苦しそうですが、もし成功すれば原作の〈(逆)叙述トリック〉に近い雰囲気になるのではないかと思われます。

 ……と、おおよそこのようなことをドラマ開始前には考えていたのですが、このトリックでは原作既読者にはまったく通用しない――どころか、“貴生川敦仁”の名前が出た時点でそちらに注目される*11ため、“貴生川の隣に座る他人を大杉だと思わせる”トリックの存在自体に気づいてもらえない可能性すらあるのが致命的で、実際に始まったドラマ「貴族探偵」が原作既読者を強く意識したような内容となっていることを踏まえると、この手法はあり得ません。

 そもそも原作「こうもり」〈(逆)叙述トリック〉は、(「幣もとりあへず」のそれ以上に)“読者には登場人物の顔が見えない”ことを支えにしているのですから、登場人物の顔が見えるドラマでは無理があるのは明らかです。さらにいえば、ドラマでは登場人物と視聴者の間で“顔”に関する情報のギャップがほとんどないのですから、そこで視聴者に対してのみさらなる情報を与える〈逆叙述トリック〉は、(少なくとも「こうもり」については)“映像で再現できない”というよりもむしろ“映像では無用”に近い、とも考えられます。

 したがって、やはり「幣もとりあへず」をもとにしたドラマ第4話と同じように、無理に〈(逆)叙述トリック〉を“再現”しようとすることなく“そのまま”映像化するのが妥当なところでしょう。ただし「こうもり」の場合、「幣もとりあへず」よりもある意味で作中の謎が脆弱なので、〈(逆)叙述トリック〉を削るとあまり見るべきところのない、悪い意味で“わかりやすいミステリ”になりかねないのが難しいところです。

2.どのようにして多重解決に仕立てられるのか
 愛香が登場しない原作『貴族探偵』収録作は、原作の段階でほぼ多重解決といえる「トリッチ・トラッチ・ポルカ」(ドラマ第3話)を除いて、ドラマ化に際して多重解決形式とするための改変が大なり小なり必要となってきたわけですが、今回の原作「こうもり」に至っては(普通の意味での)多重解決が不可能といっても過言ではありません。その理由として、解決に至るロジックが恐ろしくシンプルにして強力であり、そこに“誤り”を組み込むのが著しく困難だということがあります。
 そこで結論として言えるのは、偽の解決が生まれる原因 (すなわち多重解決のテクニック) は、@証拠事実の取捨選択の誤り、A証拠事実それ自体の誤り、そしてB証拠事実の解釈 (推論) の誤りの3点 ――その中でも特に@とB――に集約される、ということである。(後略)
  (真田啓介「書斎の死体/「毒入りチョコレート事件」論」より*12
 多重解決のテクニックに関する優れた考察から一部を上に引用しましたが、これに原作「こうもり」での推理を当てはめて考えてみると、それを多重解決に仕立てる困難さがわかりやすくなるのではないでしょうか。

 原作「こうもり」で推理に用いられる証拠事実のうち、〈被害者がヒナギクの造花でつくった冠をかぶせられていたこと〉は犯人特定の前提として容疑者を限定するためのものなので別として、そこから犯人を特定するための証拠事実は、〈大杉がタバコを毛嫌いしている〉という園田警部補の証言と、〈“大杉”からヤニの臭いがした〉という紀子の証言のみ。しかもそれらの証拠事実を組み合わせると、[大杉と“大杉”は別人という以外にはほぼ解釈のしようがなく、そのまま[大杉のアリバイは成立しない]という結論に行き着くことになります。

 そしてここには、上に挙げられた【@証拠事実の取捨選択の誤り】も、【A証拠事実それ自体の誤り】も、また【B証拠事実の解釈 (推論) の誤り】も、いずれも組み込む余地がありません。別の“犯人”を指し示す“偽の手がかり”(証拠事実それ自体の誤り)を用意することも考えられるかもしれませんが、タバコの手がかりはドラマでは確実に原作よりも目立つことになる*13ため、それが見落とされること(証拠事実の取捨選択の誤り)はまずあり得ない*14――となれば、タバコの手がかりから別の解釈を導き出すこと(証拠事実の解釈(推論)の誤り)が困難である以上、“偽の手がかり”はうまく機能しないことになります。

 実のところ、「こうもり」のシンプルなロジックはトリックと表裏一体になっているので、ロジックだけ改変しようとしても無理があるのは確かです。替え玉トリックは、“大杉”(貴生川)が大杉とは別人であることを示す手がかり――“大杉”と大杉の違いがたった一つでもあれば、それが直ちに決め手となります。そして、容疑者の中で一人だけアリバイが崩れた大杉がほぼ自動的に犯人とされるのは、アリバイものの宿命のようなもの。というわけで、替え玉によるアリバイトリックを使った犯人を特定する推理は、どうしてもシンプルにならざるを得ないのです。

 極論すれば、そもそもアリバイ崩しを中心としたアリバイものは多重解決と相性が悪い、といってもいいように思います。アリバイ崩し自体は犯行の証明ではなく、あくまでも“犯行の機会があった”ことを証明するにとどまり、基本的には“めぼしい(蓋然性の高い)犯人候補が他にいない”という前提のもと、アリバイが崩された容疑者が犯人と見なされることになるのですから、多重解決で複数の容疑者のアリバイが崩されるとそれだけでは犯人が特定できず、困ったことになりやすい*15のは明らかでしょう。

 ドラマ第2話「加速度円舞曲」ドラマ第3話「トリッチ・トラッチ・ポルカ」のように、アリバイものでも多重解決を実現できる場合もあるのですが、一口にアリバイトリックといっても「こうもり」とはトリックの性格が違うので、同じようにはいかないところがあります。……ということで、ついでにここで少々脱線して簡単なアリバイトリックの分類――ちょっとした【アリバイ講義】をやってみますので、興味のない方は飛ばしていただいて結構です(←古来からのお約束*16)。

【アリバイトリックの定義】
 犯人と被害者が、犯行時刻にそれぞれ別の場所にいた(もしくは、犯行時刻までに合流できない)ために、犯人には犯行が不可能だった――ように見せかけるトリック。
 この定義は、アリバイ成立の条件をもとにしたものなので、おそらく漏れはないのではないかと思われます。容疑者が“犯行時刻に別の場所にいた”というのがアリバイの基本ですが、犯行時刻ちょうどの容疑者の所在が不明であっても、その所在が確認された時刻と場所から“犯行時刻までに合流できない”(間に合わない)と考えられる場合には、通常はアリバイ成立と見なされることになります。そのようなアリバイ成立の条件、すなわち上の定義で“――ように見せかける”より前の部分の少なくともどれか一つを偽装することによって、アリバイトリックが成り立っています。

 そして上の定義から、トリックを成立させるために犯人が偽装可能な対象として、【人物】(犯人と被害者)・【時刻】【場所】【移動時間】(合流できない)・【犯行手段】(犯行が不可能)の五種類の要素を抽出することができます。最後の【犯行手段】について補足しておくと、実際にはアリバイが成立した状態での犯行、すなわち犯人が遠く離れた場所から犯行に及んだにもかかわらず、“現場にいなければ犯行が不可能”と誤認されるもの(例えば遠隔殺人など)で、上の定義で“犯行が不可能”の箇所だけが偽装されるものです。ということで、アリバイトリックはその対象によって、【人物の偽装】【時刻の偽装】【場所の偽装】【移動時間の偽装】【犯行手段の偽装】五つに大別できると考えられます。

 さらにもう一つ、犯行の際には犯人が被害者の側に向けて移動するだけでなく、被害者が犯人の側に向けて移動してもアリバイに関しては同じなので、上の定義では“犯人と被害者が……”と並列的に書いていますが、実際にはアリバイにおいて犯人と被害者は“非対称”となります。というのは、犯行時刻と犯行現場、すなわち被害者側の時刻と場所がアリバイの基準点となるからで、犯人側でアリバイが“確認”されるべき時刻と場所はその基準点によって定まります。したがって、アリバイトリックの所在、すなわち偽装の対象が【犯人側】【被害者側】のどちらなのかによって、トリックが大きく異なってくることになるでしょう。

[アリバイトリックの分類]
トリックの対象トリックの所在
犯人側被害者側
人物の偽装確認された犯人が偽者確認された被害者が偽者
(→犯行時刻/犯行現場の偽装)
時刻の偽装犯人が確認された時刻の偽装犯行時刻の偽装
場所の偽装犯人が確認された場所の偽装犯行現場の偽装
移動時間の偽装移動経路の盲点移動経路の盲点
(→犯行現場の偽装)
犯行手段の偽装遠隔殺人・誘導自殺など

 トリックの対象(五通り)とトリックの所在(二通り)で合計十通りになる……わけではなく、【人物の偽装/被害者側】は被害者の偽者の効果を考えれば犯行時刻/犯行現場の偽装のための手段ということになりますし、【移動時間の偽装/被害者側】は被害者が移動したわけですから犯行現場の偽装に含まれます。また【犯行手段の偽装】は、成立した犯人のアリバイに関しては何もトリックがなく、アリバイに意味があるように見える被害者側の状態がトリックとなるので、【被害者側】のみのトリックといえます。この分類でいえば、ドラマ第2話のアリバイトリックは【場所の偽装/被害者側】に、ドラマ第3話のアリバイトリックは【時間の偽装/被害者側】に、そして「こうもり」のアリバイトリックは【人物の偽装/犯人側】にそれぞれ該当します。

 もうお分かりの方もいらっしゃるかと思いますが、【被害者側】のトリックは――【時間の偽装】【場所の偽装】は犯行時刻または犯行現場、すなわちアリバイの基準点をずらすトリックであり、また【犯行手段の偽装】はアリバイの基準点を無効化するトリックであるため――容疑者全員のアリバイに影響するトリックなので、比較的多重解決に仕立てやすいところがあります。特にドラマ第2話と第3話のような【時間の偽装】【場所の偽装】の場合、トリックによって生じた“見かけの基準点”と“真の基準点”のそれぞれについてアリバイが崩れる容疑者を用意すれば多重解決ができますし、【被害者側】なのでトリックが実行された痕跡が犯行に直結するため、アリバイ崩しが犯人の特定につながりやすいのも大きいでしょう。

 一方、【犯人側】のトリックは犯人のみのアリバイを左右するにとどまる上に、トリックが実行された痕跡があっても犯行に直結しないのが難しいところ。「こうもり」の場合で考えてみると、もし水橋や堂島にアリバイがなかったとすれば、ランチの際の替え玉が判明してもなお、例えば“ランチの約束をした後で急ぎの締め切りがあったことを思い出したが、ドタキャンは絵美と紀子ががっかりすると思ったので、貴生川と真知子に協力してもらって代役を立て、自分は部屋にこもって執筆に励んでいた”*17といった言い逃れも可能……かもしれません。

 原作「こうもり」ということで替え玉トリックは動かせないでしょうから、大杉を犯人から被害者に変更して【被害者側】のトリックに切り替えれば、多重解決に仕立てやすくなるかもしれませんが、いずれにしてもトリックから根本的な改変を加えない限り、別の“犯人”に至る“誤った解決”を用意するのは不可能といえるのではないでしょうか。

3.使用人たちによる再現ビデオでは何が再現されるのか
 ドラマでは使用人たちによる再現ビデオが毎回の恒例となっていますが、原作での事件をよく考えてみると、わざわざビデオで再現すべきものがないのが困ったところ。というのも、犯人が佐和子を殺害する瞬間にはビデオで解説すべきトリックも何もなく、さりとてアリバイトリックの方は大杉と替え玉(貴生川)の入れ替わりそのものが眼目であって、“どうやって入れ替わったか”は基本的にどうでもいい話にすぎないからです。

 このあたりの問題は、一般的なカットバックによる再現映像でも同じことですが、それでも――あまり意味はないとしても慣例(?)として――大杉と貴生川の入れ替わりから佐和子殺し、そして犯行後の再度の入れ替わりまでを映像で再現しようとした場合、少なくとも(原作未読の)視聴者に対して替え玉の発覚を避けるべく、大杉と貴生川はまず間違いなく同じ俳優の一人二役とされるため、入れ替わりの場面は絵面として“同じ顔の二人がごちゃごちゃやっている”だけという印象になりかねません。それを“大杉(役)の顔”から切り離された使用人たちが演じるとなれば、なおさらでしょう。

 つまり、原作での事件の真相には、わかりやすく説明するために映像を必要とする要素がなく、それどころか、替え玉トリックの性質からすると入れ替わる二人が外見で区別できない*18ため、文章や台詞での説明に比べて映像の方がわかりにくいものになるおそれさえあるわけで、“使用人たちによる再現ビデオをどのように処理するのか”は思いのほか難しいのではないかと思われます。

 脱線したのでかなり長くなってしまいましたが、「こうもり」のドラマ化にはこのような三つの難題があり、全エピソードの中でも最大の難関であったことは確実です。これら三つの難題が、実際のドラマではどのように解決されたのか――ということを念頭に置きながらドラマを見返してみると、より楽しめるのではないでしょうか。

*8: 現実的にはまったくあり得ない話ですが、貴族探偵役の俳優が誰なのかドラマ放送開始まで伏せられたままで、なおかついきなりドラマ第1話として「こうもり」をやる場合には、貴生川が貴族探偵だと思わせることも不可能ではないかもしれません。しかし、本文で指摘している問題が生じるのは同じです。
*9: 【大杉・真知子・紀子(もしくは絵美)】の組み合わせでは、真知子が“大杉”の隣に座らないのは少々不自然に映るのではないかと思われるためです。
*10: このあたり、映像で“嘘がつけない”実写映像化ではなく、漫画やアニメであればまだごまかしが効きやすいかもしれません。
*11: ……と思ったのですが、(実際にドラマでそうなったように)原作の松野彰の出番をなくして、大杉の替え玉の役名として“貴生川敦仁”の代わりに“松野彰”を使えば、違った意味で原作既読者の注意を引いて多少は攪乱できるようにも思われます。
*12: リンク先の文章には、アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』ネタバレがありますので、未読の方はご注意ください。
*13: 原作では、貴生川からヤニの臭いがした〉 ことが 地の文にさらりと書かれており、逆叙述トリックによってそれを大杉と結びつけるのが困難になっています。しかしながら、ドラマで同じ手がかりを使う場合には、前述のように逆叙述トリックの再現が困難である上に地の文も存在しないので、紀子が大杉(らしき人物)からヤニの臭いがした〉とはっきり台詞で説明せざるを得ず、タバコに関する矛盾があからさまになります。
*14: 〈タバコを吸わない〉〈ヤニの臭いがした〉のいずれか一方を愛香に対して伏せておくことで、“正しい解決”に到達するのを妨げる――という手もありますが、当然ながら視聴者には両方を知らせる(しかも前述のように目立つ)ことになるので、愛香の推理の誤りとその原因が見え見えになってしまい、多重解決の面白味が薄くなります。
*15: アリバイが崩されたところから新たに犯人特定の決め手を探すことになれば、多重“解決”ではなく解決の前段階の検討に近くなります。一方、決め手となる手がかりがすでに示されているのであれば、アリバイ崩しよりも先にそれで犯人が特定されてしかるべきですし、そうなると(特に“誤った解決”の方の)アリバイ崩しの重要性が低下するのは避けられないでしょう。そして決め手がない場合には、アリバイトリックの蓋然性の勝負となり、場合によっては解決がすっきりしないものになりかねません。
*16: ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』での有名な“密室講義”に倣って。
*17: ランチの席に真知子がいなければ、それこそ“真知子の目を盗んで(佐和子以外と)浮気をするためのアリバイ工作”といった口実も使えるでしょう。
*18: 使用人たちはもちろんいつもの揃いのジャージを着るでしょうし、大杉と貴生川が登場する再現映像でも、入れ替わりのためにほとんど同じ服を着ているはずです。

○登場人物・舞台・事件の概要

[主要登場人物対照表]
原作ドラマ
高徳愛香(武井咲)
大杉道雄大杉道雄(小市慢太郎)
大杉真知子本宮真知子(高岡早紀)
水橋佐和子水橋佐和子(田中千絵)
水橋洋一水橋洋一(山中崇)
堂島尚樹堂島尚樹(中村俊介)
貴生川敦仁貴生川敦仁(小市慢太郎)
寺崎紀子
安永絵美
松野彰
園田政義警部補
柴田刑事
鼻形雷雨(生瀬勝久)
貴族探偵貴族探偵(相葉雅紀)
執事・山本(松重豊)
メイド・田中メイド・田中(中山美穂)
運転手・佐藤(滝藤賢一)
シュピーゲル(犬)

 前々回のドラマ第7話「ウィーンの森の物語」、そして前回のドラマ第8話「むべ山風を」と大きな改変が続きましたが、今回のドラマ第9話は原作「こうもり」表面的には別物といっても過言ではありません。それほどまでに、基本設定からしてがらりと変わっているわけですが、それら数々の改変のほとんどがドラマ化による必然――とりわけ、映像で再現できない〈(逆)叙述トリック〉が潔くカットされたことによる、といってもいいでしょう。

*

 まず、原作の舞台は老舗の格式ある温泉旅館・風媒荘ですが、ドラマではキャンプ場の周辺に舞台が変更されています。これは、温泉旅館のままではドラマ第4話「幣もとりあへず」とかぶってしまうこともあるでしょうが、原作では〈(逆)叙述トリック〉の“仕込み”(事件前日のランチなど)もあって三日目にようやく事件が起きるのに対して、ドラマでは事件発生まで何日もかける必要がないので、より手軽な(?)舞台が採用されたということではないでしょうか。そして温泉旅館とキャンプ場の違いとしてもう一つ、激情に駆られた犯人が凶器を手にする機会の有無も重要になってきます。

 また、原作の“蝶陣祭”(鍾乳洞で焚かれる護摩の灰を蝶に見立てた行事)が、ドラマではキャンプ場近くの森でのみ見られる珍しい蝶・“あかね古式蝶”*19へと、“蝶つながり”の改変が施されています。どちらも“カップルが永遠に結ばれる”という御利益があるとされるもので、灰をかぶるよりも美しい蝶を追いかける方がビジュアル的に映えるという意図もありそうですが、後述するようにこの改変で容疑者のアリバイが変わってくるのが見逃せないところです。

*

 原作の登場人物のうち、大杉道雄・真知子夫妻、水橋洋一・佐和子夫妻、堂島尚樹、そして貴生川敦仁の六人(及び貴族探偵とメイド・田中)が引き続いてドラマにも登場しますが、堂島が大杉と同じ作家からミュージシャンに変更されているほか、佐和子がジャズシンガーに、そして真知子が元女優に変更されています*20。その一方で、原作の刑事たちの代わりに“マル貴”が登場するのはもちろんとして、原作に登場した寺崎紀子安永絵美松野彰三人が削られているのが目を引きます。

 主に視点人物となっている紀子と、その友人で貴族探偵の恋人である絵美――原作でそれぞれに重要な役割を果たしている女子大生コンビの“退場”は大きな改変ですが、ドラマで視点人物に近い立場としては女探偵・高徳愛香がいますし、貴生川を貴族探偵と見せかけるトリックが割愛されて貴族探偵の恋人は不要となり、さらに犯行時刻のアリバイの証人だけならば大杉と初対面の目撃者でも十分ということで、原作での紀子と絵美の役割は愛香と“相棒”の鼻形警部補に割り振られています*21

 実際に愛香と鼻形は、大杉らとはまったく関係のない別件でキャンプ場の近くを訪れ、立ち寄ったカフェでたまたま“大杉”を目撃しており、原作の紀子と絵美――早めの卒業旅行で訪れた風媒荘で大杉らと出会い、滞在三日目に“大杉夫妻と一緒にランチ”でアリバイの証人となる――とは大きく異なっています。ここでは、鼻形が女優時代の真知子のファンで結婚した大杉のことにも(愛香より)詳しいという設定が効いていて、“大杉”の存在にいち早く気づいた鼻形に教えられて愛香が“ギリ”で調べた結果、貴生川敦仁無銭飲食事件”といった重要な情報がスマホの画面にさりげなく示されている*22のが巧妙です。また、鼻形がサインをもらおうとしてペンと色紙を“大杉”に渡しているのも、原作の巧みなアレンジといえるでしょう。

 原作から削られたもう一人の松野は、(堂島とともに)佐和子のかつての浮気相手であるとともに、大杉らが風媒荘に滞在していることを紀子と絵美に教え、その“裏事情”をある程度知らせる役割を果たしていますが、容疑者としては早々に嫌疑が晴れる立場にすぎませんし、捜査に加わっている愛香と鼻形にわざわざ情報提供する必要もないので、ドラマではその存在が不要になったのではないかと考えられます。原作よりもすぐに事件が起きるドラマでは、登場させる機会を作るのが難しいということもありそうです。

 また、原作に登場する刑事たちはもちろん“マル貴”に置き換えられていますが、その中にあって鼻形は事件の捜査だけでなく、師匠・喜多見切子の死の真相を調べる愛香に同行し、以前に世話をした(してない)後輩警察官に捜査資料を持ち出させるなど、もはや完全に愛香の“相棒”となっている感があります。前回のドラマ第8話「むべ山風を」では、貴族探偵その人を“犯人”と指摘して“マル貴”の腕章も外してしまったので、鼻形も貴族探偵と対立する側に回ったのか――と思いきや、意外にあっさりと*23“マル貴”に復帰しているのが鼻形らしいところですが(苦笑)、事件現場近くで愛香と何をしていたのか貴族探偵に尋ねられて動揺する場面が愉快です。

 その貴族探偵は、原作ではトリックの都合上出番が遅い上にだいぶ少なくなっているのですが、ドラマの方では終始大活躍といっていいのではないでしょうか。“あかね古式蝶を愛でる”という名目で事件の前からキャンプ場近くを訪れ、シュピーゲルの活躍で事件の第一発見者となり、執事・山本が鼻形に連絡*24する間に美しい死体を眺めている場面が鮮やかな印象を残します。さらにその後はサルーンで愛香と鼻形を相手に渾身のボケ(アヴァンチュール(笑))をかまし、妹を失った真知子のケアにも余念がなく*25、後述するように〈御前ヒント〉もいつになく豊富。そして事件の真相が判明した後の、相葉雅紀ファンを卒倒させた(?)あれやこれはいうまでもないでしょう。

 原作に登場する使用人はメイド・田中ですが、ドラマでの推理当番は運転手・佐藤に変更されています。ドラマ第2話「加速度円舞曲」をメイド・田中に譲ったための当番数の調整(?)でしょうが、ドラマ第4話「幣もとりあへず」に続いて“飛び道具系”の事件を担当することになり、使用人たちにも謎解きの得意分野があるのかも……と思わされるのが面白いところです。そして残る執事・山本とメイド・田中は、事件の捜査の間は顔を見せないものの、実に意外な形で再登場してくるのが見どころです。

*

 佐和子が“蝶陣祭”の最中に殺されて近くの茂みの中に横たえられていた原作の事件と違って、ドラマでは佐和子が森の中で犯人と“アヴァンチュール”を楽しもうとしたところを殺された様子で、現場にはレジャーシートが敷かれてワインが派手にこぼれた中で、佐和子の死体は美しく整えられています。また、大杉の著書『花冠』にちなんだ花の冠が佐和子の頭に載せられていた点は共通していますが、原作では風媒荘にあったヒナギクの造花で冠が作られていたのに対して、ドラマでは現場周辺に自生していた千日紅の花*26で作られています。

 原作では、園田警部補が死体のそばに落ちていたタバコの吸い殻を重視した割に、最終的には事件と無関係だったことが明らかになっていますが、これは事情聴取で“大杉がタバコを毛嫌いしている”という証言を引き出すために、作者が用意した小道具だと考えられます。しかしドラマではその代わりに、早い段階から貴族探偵が事件に介入することを利用して、貴族探偵が葉巻を吸おうとしたところで真知子に止められるという〈御前ヒント〉で、自然に手がかりが示されています。

 また容疑者たちのアリバイについて、原作では松野を除いた容疑者六人の全員がアリバイ成立しているのに対して、ドラマでは大杉と真知子のみアリバイがあり、水橋と堂島はアリバイなしに改変されているのが大きな違いです。これはおそらく、原作での――〈(逆)叙述トリック〉が仕掛けられているがゆえの――推理の少なさを補うことを意図した改変で、アリバイがなくなった代わりに新たな手がかりが追加されて、水橋と堂島の容疑はアリバイではなく愛香の推理によって晴らされることになります。

 原作で水橋と堂島のアリバイが成立しているのは、姿を消した佐和子が“浮気相手(松野)と一緒に“灰かぶりの場所”にいる”と考えてなかなか探しに行こうとしなかったから*27で、“蝶陣祭”の設定がうまく生かされているといえます。対するドラマでは、“あかね古式蝶”を探しに(という口実で)出かけた森の中で佐和子が消えたため、原作と違って佐和子の所在に心当たりがない水橋と堂島は手分けして探さざるを得ず、結果としてアリバイ不成立となる――ということで、“蝶陣祭”から“あかね古式蝶”への改変が効果的です。

 アリバイが成立する“大杉”(実際には貴生川)と真知子についても、原作では二人揃って紀子・絵美とのランチがアリバイとなっているのに対して、ドラマでは真知子がキャンプ場に残って他の利用客に目撃される一方、“大杉”は一人で現場から離れたカフェに行って愛香・鼻形と出会う形になっています。これはちょうど原作での“予行演習”のような状態で、犯人たちとしては(原作でメイド・田中が推理しているように)“大杉”が偽者だと見抜かれる危険性を考慮したということで説明がつきそうですが、制作スタッフの狙いは“大杉”と真知子を切り離しておいて(原作未読者に対して)共犯者の存在を隠すところにあるのではないでしょうか。

 さらに、原作では事件前日のランチの場面、地の文で貴生川の“ヤニの臭い”として示されていた手がかりが、ドラマでは愛香の視線の先で“大杉”がうっかりポケットからタバコを取り出してしまうという、何ともあからさまな手がかりに変更されています。原作そのままの“ヤニの臭い”でもドラマではどうしても目立ってしまうのは前述の通りですが、あえて開き直ったかのように堂々と見せてある*28のは、原作未読者に対しても“真相がわかるがゆえの衝撃”を与えようとしたためではないか、とも思われます。

 その他の改変については後述します。

*19: 冒頭のLINE風(?)のやり取りで名前が出たきり、特に説明がないまま進んでいきますが、事件関係者は全員知っている話なのでこれは当然。その後に満を持して(?)、話の長い執事・山本が鼻形らに説明する流れがよく考えられています。
*20: 堂島と佐和子の変更には特に意味はなさそうで、真知子に合わせたということかもしれません。
*21: 余談ですが、ドラマで愛香の過去としてストーカー関連の話が追加されている(→ドラマ第3話「トリッチ・トラッチ・ポルカ」ドラマ第8話「むべ山風を」)のは、この原作「こうもり」で紀子がストーカー被害に遭っていたことをヒントにしたものでしょうか。
*22: 愛香の台詞は作家のふりした人が食い逃げしてつかまった事件”という程度ですが、スマホの画面には“小説家・大杉道雄氏に瓜二つの貴生川敦仁”そっくりさんによる大胆な犯行!”といった重要な手がかりが示されています。
*23: もちろん前回の最後の時点で、すでに使用人たちには許された様子もあるのですが。
*24: この場面、執事・山本がなぜ(本来は近くにいないはずの)鼻形に連絡したのかと考えてみると、やはり“ギリ”(秘書・鈴木)を介して愛香の動向を把握していた、ということでしょうか。
*25: 熱烈な真知子ファンである鼻形の、御前をも恐れぬ大胆な所業にも注目です。
*26: “マル貴”の冬樹和泉による捜査情報まとめ(ホワイトボード)を参照。
*27: 互いのアリバイを証明できるのみならず、二人でじっと待っていたために目撃者まで出現するというおまけつきです。
*28: しかしその実、ドラマの中でこの手がかりを知っているのは愛香ただ一人だと考えられるので、(登場人物が認識できない)“地の文での手がかり”に近いところがあるようにも思われます。

○ドラマのトリックと解決、そして結末

 愛香の推理はまず、(原作のメイド・田中の推理と同じく)花の冠をもとに容疑者を限定するところから始まります。〈佐和子の話を聞いた人物〉という条件を導き出す推理は、原作に比べると多少甘くなっている感もあります*29が、まあそこはそれ。容疑者が大杉・真知子・堂島・水橋の四人に絞られたところで、鼻形がアリバイのない堂島と水橋を疑いますが、それを受けて愛香が原作にない推理を展開するのが一つの見どころです。

 すなわち、現場で派手にワインがこぼれていたことから、犯人の服にワインのシミが残ったはずだと推理し、にもかかわらず四人の容疑者が着ている服にワインのシミがないことから、ドラマの序盤で堂島のいたずらによって全員の服についた緑色のスムージーのシミ*30を手がかりに、それが残ったままの服を着ている堂島と水橋は着替えていないので犯人ではなく、服に緑色のシミがない――服を着替えた大杉と真知子のどちらかが犯人と推理しています。この部分、犯人の服にワインがこぼれたとまでいえるかどうか微妙なところもありますが、事件前に容疑者たちに会っていない愛香が“着替えたかどうか”を推理可能としている、スムージーのシミの使い方が絶妙です。

 そして愛香は、アリバイがある真知子を除外する一方、同じくアリバイがあるはずの大杉が犯人と指摘して、原作よりもあからさまに示されているタバコの矛盾――タバコを吸わないはずの大杉が、カフェでポケットからタバコを取り出したこと――を取り上げ、原作のメイド・田中と同じく替え玉によるアリバイトリックを看破してしまいます。さらに証拠として、鼻形が“大杉”に渡した色紙とペンに残った指紋を持ち出すところまで、原作でのコーヒーカップの指紋をうまくアレンジしつつ、メイド・田中の推理をなぞる形になっています……が、そこで愛香の目算が狂い、カフェにいた“大杉”とキャンプ場に戻ってきた“大杉”の指紋が一致してしまうという大逆転。

 かくして、運転手・佐藤による愛香の“尻拭い”*31が始まりますが、まずは“大杉が佐和子殺しの犯人”という愛香の推理を肯定しておいて、指紋の一致によって明らかになった“同一人物”が事前に推理可能だったことを示す手順がお見事。すなわち、本日のリンゴのタルトの味”についての“大杉”の“ずいぶん洋酒が効いてましたけど”という言葉を手がかりに、(“いつものリンゴのタルト”といいながらも)カフェ店員の今日は(中略)洋酒をふんだんに使って”という言葉で“日替わり”であることが示唆されているタルトを、キャンプ場に戻ってきた“大杉”がカフェで食べていた――まさに“The proof of the pudding is in the eating.”*32だったという推理がよくできています。

 実をいえば、今回の運転手・佐藤の推理には手がかりの入手に関して危ういところがあります。タルトについてのカフェ店員の言葉も、また“大杉”がタバコを取り出したことも、愛香と視聴者には示されている一方で、(原作と違って)少なくとも愛香からは運転手・佐藤に伝えられていない様子*33なので、そのままでは重要な手がかりを欠いて推理不能となるはず。他の使用人がカフェへ捜査に行ったとも考えられます*34が、カフェ店員に聞けばわかるタルトの味はともかく、タバコの方は一瞬のことなので他に目撃者がいたかどうか疑問です。

 もっとも、愛香が真相に気づいた様子を見れば、運転手・佐藤の知らない手がかりを愛香が入手していることは見当がつくでしょうし、それが(佐藤自身がその場にいなかった)カフェで得られたこと、したがって(タバコとはわからないまでも)“大杉”に関する手がかりであることまで予想できそうです。そうすると、知られている“貴生川敦仁無銭飲食事件”と考え合わせて、替え玉トリックに思い至ることも不可能ではないように思われます。このように、今回の運転手・佐藤は致命的な手がかりの不足を、“愛香が何を考えているのか”を推理することで補っている、ということかもしれません(後述するように、他の使用人から別の情報がもたらされている可能性はありますが……)。

 さて、サルーンにいる“大杉”が替え玉の貴生川だと明らかになり、今度は本物の大杉の所在が問題になったところで、執事・山本とメイド・田中によるまさかの生中継*35という趣向が用意されているのに仰天。サルーンにいた“執事・山本”と“メイド・田中”は“そっくりさん”の代役ということですが、これはあえて“そっくりさん”を何組も登場させることによって、大杉の“そっくりさん”(貴生川)の存在に説得力を与えようとしたものではないかと思われます。いずれにしても、“入れ替わりポイント”からの生中継の末には、シュピーゲルが今度は大杉の死体を発見する驚愕の展開が待ち受けています。

 この部分、使用人たちが“入れ替わりポイント”をどうやって見つけたのかが気になるところですが、メイド・田中がまとめた地図を見る限り、犯行現場とカフェの間で人目につかずに入れ替わることができそうな場所はあの林道しかない*36ようなので、“入れ替わりポイント”としてそこに目をつけるのは妥当だと考えられます。そして再現ビデオの内容を考えれば、使用人たちは生中継よりも前に大杉の死体を発見していた可能性が高く、生中継でシュピーゲルに死体を“発見”させたのは演出ではないでしょうか。さらにいえば、大杉が殺されたという情報は運転手・佐藤にも伝えられたと考えるのが自然で、佐藤は愛香や視聴者の知らない情報をもとに推理したということになりそうですが、前述のようにタバコの手がかりを入手できない(と思われる)ことと合わせれば、“五分五分”といってもいいように思います。

 大杉が入れ替わりの際のトラブルで貴生川に殺されたのならば、貴生川は“とっくに逃げてるはず”――ということで共犯者の存在が浮かび上がり、共犯者による大杉殺しを再現した使用人たちの再現ビデオを経て、“偽者とずっと一緒だった”*37のに気づかなかったこと、服を着替えていること、そしてトレーラーハウスのキッチンから消えたナイフを手がかりとして、真知子が犯人という結論に至ります。原作と違って替え玉のアリバイ工作が“大杉”一人なので、愛香の推理の段階では真知子が佐和子殺しの共犯だとわからず、大杉殺しが発覚して初めて疑いが向けられるところがよく考えられています。

 真知子に対して貴族探偵は、大杉殺しは当初からの計画ではなく、佐和子の頭に載せられていた花の冠が引き金になった衝動的な犯行だとしています。大杉の死体がしっかりと隠されてはいないので、第二の事件は遅かれ早かれ発覚したはずですが、凶器のナイフも処分することなくバッグの中に隠し持ち、それで自ら命を絶とうとするような後先考えない犯行であれば、それなりに納得できるところではないでしょうか。そしてこの事件は、原作で解決後に真知子が口にした“あなたが情をかけて花冠なんかかぶせるから”という言葉の“延長線上”にあり、無理なく組み立てられているといえるでしょう。

 犯行を見抜かれたためではなく、貴族探偵が言うように“最愛の人を二人同時に失う道を選んだ”末の絶望から自殺しようとした真知子を、“逃げるなんて許しませんよ”と背後から抱き止めて懇々と諭す場面は、相葉雅紀ファンならずとも凄まじい衝撃。正直なところ、いくら何でも犯人のケアに熱を入れすぎではないかと思わないでもないのですが(苦笑)、この熱演が、愛香を相手にした今回の結末につながる――と同時に、最終話に備えて犯人のケアを強調する伏線にもなっている――ところがよくできています。

 今回の〈御前ヒント〉は大盤振る舞いで、前述の葉巻の一幕のほか、リンゴのタルトに目をつけたことがタルトの味についての“大杉”(貴生川)の発言と消えたナイフの手がかりにつながっていますし、愛香の“旦那様がいるんですよ”という注意に誰がいようが関係ありませんよ”と応じたり、佐和子の死体を発見した後には男の遺体がいくつあろうが気にも留めないが”と口にしたりと、事件の真相を匂わすような際どい発言が目につきます。真知子から佐和子の話を聞いて“何とも美しい姉妹愛だ”と述懐しているのも、真相を見通した上での皮肉なヒントなのかもしれません。

*

 さて、ドラマのトリックと解決は以上のように改変されましたが、先に注目ポイントとして挙げたドラマ化の三つの難題は、原作にない大杉殺しを追加することによって、いわば“一石三鳥”の解決になっているのがお見事です。

1.原作の〈(逆)叙述トリック〉はどのように処理されたのか
 ドラマ第4話「幣もとりあへず」と同じように原作の〈(逆)叙述トリック〉はカットされましたが、第4話では推理を大幅に充実させる方向へ舵が切られたのに対して、今回の第9話は前述のように推理も追加されているものの、ある意味で原作の〈(逆)叙述トリック〉に通じるサプライズ*38が用意されているのが秀逸です。

 まずはやはり、これまで何度も推理を外してきた愛香がついに“正解”してしまったことが大きな衝撃。原作よりもタバコの手がかりが露骨で、なおかつ推理のロジックがかなりシンプルなので、原作を未読でも愛香が“正解”に向かっていることが予感できた――そして、愛香の推理は間違っているはずなのに“正解”らしく思えることに困惑した、という方も多いのではないかと思いますが、それが“正解”だと“わかっている”原作既読者にとっては衝撃もひとしおです。ということで、視聴者が知っているドラマ第9話の“枠外”の情報――原作未読者にとっては“愛香の解決は誤り”というドラマの定型、そして原作既読者にとっては原作の内容――がサプライズに大きく貢献しているところが、実に「こうもり」らしいといえるでしょう。

 そして“大杉”の指紋の一致により、謎解きは原作既読者にとっても完全に未知の領域へ突入していきます。実をいえば、運転手・佐藤が指摘したものよりもわかりやすい視聴者のみに向けた手がかり(後述)によって、キャンプ場に戻ってきた“大杉”が貴生川であること(したがって、指紋の一致によって愛香の“誤り”が露呈すること)まで予想できるようになっているのですが、運転手・佐藤の解決がそれだけでは――佐和子殺しの犯人を明らかにした愛香の“解決”に比べて――明らかに“力不足”*39で、しかも原作が“ここで終わり”ということもあって大きくひっくり返す余地が見当たらず、先が読めなくなっています。

 そこで、ドラマで追加された大杉殺し――隠されていた第二の事件が飛び出してくるのが圧巻。替え玉トリックの再利用という点で第一の事件との組み合わせがスムーズですし、何よりサルーンにいるのが大杉ではなく貴生川であることがうまく説明できるのは確かなのですが、視聴者がそこに思い至るのは難しいでしょう。というのもドラマでは毎回、“推理を披露する場”であるサルーンへの移動が“読者への挑戦状”よろしく“問題篇”と“解決篇”の区切りとして機能してきたため、その定型にとらわれることで、“解決篇”が始まってから新たな事件が明るみに出るとは想定しがたくなっているからです*40。これもまた、ドラマの定型という“枠外”の情報を利用したトリックといえるのではないでしょうか。

 さらに、視聴者のみに向けた手がかり――貴生川の左耳を触る癖が用意されているのも、ドラマ第4話と同じように原作へのオマージュといえるでしょう。視聴者に対しては、〔1〕カフェで鼻形にサインを求められて断った後、〔2〕“入れ替わりポイント”で待機中の車内、〔3〕事件発覚後のトレーラーハウスの中、と三度にわたって示されて、カフェと事件後の“大杉”が同一人物であることを示唆する手がかりとなっています*41が、運転手・佐藤に〔1〕を見る機会がなかったのはもちろん、愛香も鼻形を引っ張って席に戻る途中なので〔1〕を目にしていないと考えられます*42

 このように、原作の〈(逆)叙述トリック〉はカットされたものの、その代わりとして原作を下敷きにした仕掛けや“枠外”の情報を利用したトリック、さらに登場人物の知りえない視聴者への手がかりなどが盛り込まれ、原作と違っているのに似ている作品に仕上がっているところに脱帽です。

2.どのようにして多重解決に仕立てられたのか
 先に検討したように、原作の佐和子殺しを多重解決に仕立てるのはどうしても無理があるので、そちらについてはあえて愛香に“正解”させておく一方で、新たに大杉殺しを追加することによって、愛香の推理を“部分的に正解”であっても“全体としては誤り”という状態に持ち込んであるところが実によくできています。

 つまり、追加された大杉殺しが愛香のまったく知り得なかった別個の事件ではなく、佐和子殺しにも関わる手がかり(本日のリンゴのタルト)を出発点として推理可能とされていることで、愛香の推理が先に引用した真田啓介「書斎の死体/「毒入りチョコレート事件」論」でいうところの【@証拠事実の取捨選択の誤り】に該当するようになっているわけで、多重解決への改変として非常に巧妙といっていいでしょう。

3.使用人たちによる再現ビデオでは何が再現されたのか
 恒例の使用人たちによる再現ビデオでは、原作でメインの事件であった佐和子殺しはスルーされ、その後の大杉殺しに焦点が当てられています。大杉殺しには何もトリックが仕掛けられていないとはいえ、視聴者はもちろん登場人物の大半も直前まで事件の存在すら知らなかったわけですから、佐和子殺しを再現するよりも大きな意味があるのは間違いありません。

 注目すべきは、(愛香が推理を披露した際の再現映像でもそうでしたが)貴生川(役)のサングラスに加えて、堂島と水橋の容疑を晴らす手がかりとして使われたワインのシミが大杉(役)と貴生川(役)を識別する目印として機能している点で、真知子役の執事・山本も含めて出演者が揃いのジャージを着ている再現ビデオでは特に効果的です。また、メイド・田中が貴生川役の方では左耳を触る癖までコピーしている*43のが、さすがというべきでしょうか。

*

 以上のように、ドラマでの大杉殺しの追加という改変は非常によくできているのですが、事件の発覚から事情聴取まではドラマでばっさりカットされているので、一部で指摘されているように“真知子が大杉を殺すことができたのか”が少々気になるところではあります。

・大杉による佐和子殺害後警察が到着してから花冠のことを知った真知子が、なぜ大杉と貴生川の入れ替わりのタイミングに間に合ったのか?
・そもそも既に警察が佐和子の死体を発見しているのに、真知子がキャンプ場を離れて大杉を殺害してくる時間的余裕はあったのか?
・真知子は大杉殺害現場までの往復の移動にどれくらいの時間を要し、なぜその間、警察に見咎められずに済んだのか?
・というかそもそも現場で堂島が真知子に電話した時点で警察が水本(注:正しくは水橋)か堂島から真知子がキャンプ場にいることを聞いて誰かそちらに向かったはずでは?
  浅木原忍さんのツイートより)

 これらの疑問は、[時間の問題][警察の問題]の二点に集約できると思われるので、事件の再現映像とメイド・田中によるまとめ地図を参考にしながら、少し考えてみます(下のタイムテーブルは、時刻がほぼ確定しているものは青字で、それ以外は推測です) 。

 
[事件のタイムテーブル]
時刻大杉真知子その他
 11:00 キャンプ場出発キャンプ場 
 11:20 入れ替わり
ポイント到着
 
 12:00 佐和子姿を消す
 12:05 犯行現場到着
 12:25 犯行現場出発
 12:30  死体発見
鼻形に連絡
 13:00  愛香ら/堂島ら
犯行現場到着
 13:05  堂島から連絡 
 13:10 入れ替わり
ポイント到着
 
 13:20 入れ替わり
ポイント到着
 

 [時間の問題]について、まず犯行前の大杉の足取りから検討してみると、キャンプ場から“入れ替わりポイント”まで車でおよそ20分として、そこから犯行現場まで40分以上かかっているのが目を引きます。そこまで距離があるようには見えないので、これは事前に花の冠を作っていたから……ではなく*44、人目を避けながら(道路ではなく)森の中を歩いたためではないでしょうか。
 そうすると、犯行後には花の冠を作るなどそれなりに時間がかかったはずなので、現場を離れたのが12時30分ぎりぎりだとして、帰り道も同じ程度の時間がかかったとすれば、大杉の“入れ替わりポイント”への到着は早くても13時10分過ぎとなります。12時30分にはまだカフェにいて、大杉のアリバイを確実にするためには13時頃まで残っていた方がいいと思われる*45貴生川の方が、大杉よりも先に“入れ替わりポイント”に着いているのですから、この到着時刻の見積もりはまずまず妥当だと思われます。
 一方、12時30分にカフェで執事・山本から連絡を受けた鼻形らが、(サルーンを経由して)現場に到着するのは早くても13時頃。その直後くらいに堂島らが現場に現れているので、真知子への連絡は13時過ぎとなります。
 そして、キャンプ場から“入れ替わりポイント”まで、道路沿いに歩けばかなりの時間がかかりますが、トレーラーハウスから向かいの公園などの裏へ抜けて林道に入れば、真知子は15分程度で“入れ替わりポイント”に着くことができるでしょう。
 というわけで、単純計算ではとりあえず左のタイムテーブルのようになりましたが、推測の部分が多いので10分程度は誤差の範囲でしょうし、真知子から大杉(もしくは貴生川)に連絡して待たせておくこともできるので、[時間の問題]については不可能とはいえないように思います。

 次に[警察の問題]ですが、物理法則にも関わる[時間の問題]はまだしも、“ありえないことがいっぱいのファンタジードラマ”で捜査手法にツッコミを入れるのはあまり意味がないのではないかと思いつつ、あくまでも現実の捜査を知らない素人の考えとして少し。
 まず、被害者の肉親である真知子に(遠方であればともかく近くにいながら)遺体の確認もさせずに事情聴取をするとは考えにくく、“もうすぐ大杉が戻ってくるはずなので、それを待って*46一緒に現場に行く”と真知子が言えば、警察がキャンプ場へわざわざ迎えをよこすこともないのではないでしょうか*47
 また、原作と違って“アヴァンチュール”の最中の犯行であることが明らかな現場の様子から、当初の時点で警察からみて有力な容疑者は、正体不明の浮気相手と現場近くにいた堂島・水橋*48であって、姉の真知子とその夫・大杉は相対的に容疑が薄いと考えられますし、どちらも有名人で逃亡の可能性も低いことから、事情聴取の優先度は低いでしょう。
 そう考えれば、[警察の問題]意外と何とかなりそうな気がするのですが……。

 大杉を殺害した後の真知子が返り血で着替える必要があったとすれば、人目につく姿で歩いてキャンプ場に戻ってから着替えたはずはないので、返り血を想定してあらかじめ着替えを持参していたか、あるいは“大杉”(貴生川)と一緒に車で“入れ替わりポイント”を離れたと考えられます。着替えを持参していれば“入れ替わりポイント”から直接現場に向かうことも可能で、キャンプ場とは逆方向から来たことを現場付近の警察に見とがめられた場合には、“大杉と連絡がついて(“入れ替わりポイント”である)途中の林道で待ち合わせた”と公言しても差し支えないのではないでしょうか。

*

 事件が解決された後、貴族探偵が一人サルーンに残って花の冠を作っているところへ、愛香が入ってきて*49貴族探偵と“対決”する結末もスリリング。切子が命を落としたとされる場所に置かれていた月見草の花束から、真知子への“これから一生後悔の念を抱え、償っていかなければならない”という言葉を貴族探偵自身に突きつける鮮やかな流れを経て、ついに“喜多見切子はあなたが殺したんですね、政宗是正さん”と告発する愛香。対する貴族探偵は、これまでになく怖い表情で立ち上がり、無言のまま近づいてきたかと思えば、おもむろに愛香の頭に花の冠をかぶせる――という、美しくも謎めいたラストシーンが絶品です。

*29: 原作では大杉の『花冠』“先週に上下巻で刊行されたばかり”など 佐和子が他の人物に話す機会がなかったように見受けられますが、ドラマでは冒頭のテレビ番組でも最新刊として紹介されているとはいえ、いつ刊行されたのかは不明(ただし、キャンプ場に残った真知子がまだ『花冠』を読んでいる途中の様子から、刊行されたばかりと考えてもいいかもしれません)。しかしそれ以上に、花の冠の材料(千日紅)が現地調達のため、風媒荘にあった造花が使われた原作と違って、材料で容疑者が限定されないのが苦しいところです。
*30: ワインとは全然違う色で一目瞭然となっているところもよくできています。
*31: 貴族探偵の決め台詞まで、尻拭いなどという雑事は、使用人に任せておけばいいんですよ”と変更されているのにニヤリとさせられます……が、これは運転手・佐藤の解決が“ゼロからの推理”ではないこと――愛香の“解決”がほぼ正解であることを暗示しているようにも思われます。
*32: “プールサイドでプリンは絶対食べちゃダメだ”(笑)。
*33: タバコの手がかりを伝えることは替え玉の真相を明かすに等しいので、事前に運転手・佐藤に伝えていたとは考えにくいものがあります。また、鼻形が色紙を買いに行っている間の出来事なので、鼻形から佐藤に伝えることもできません。
*34: ドラマ第3話「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の“バラばんばら”を考えれば執事・山本か、それともドラマ第7話「ウィーンの森の物語」の再現ビデオでのチョコレートをみればメイド・田中か――どちらも譲らなさそうなので(苦笑)、二人で行った可能性が高いでしょうか。
*35: 運転手・佐藤はサルーンにいるので、誰が撮影を担当しているのか気になるところですが、もう一人の使用人である秘書・鈴木はシンガポールにいるはず(次回第10話の内容から)なので、余っている(?)と思われる運転手・佐藤の“そっくりさん”かもしれません(シュピーゲルの後を追う際にカメラが揺れているのが、素人らしさを表しているようにも思われます)。
*36: 愛香が“キャンプ場近くの林道で入れ替わったと推理したのも、同じ理由でしょう。
*37: 偽者に気づかなかった堂島と水橋は、仮の捜査本部が置かれたと思われるコテージ(メイド・田中のまとめ地図を参照)の方で事情聴取を受けていて、トレーラーハウスにいた“大杉”(と真知子)とは、サルーンまであまり顔を合わせる機会がなかったのではないかと考えられます。
*38: 千街晶之「原作と映像の交叉光線{クロスライト}・出張版8/探偵と呼ばれる資格――『貴族探偵』」(探偵小説研究会「CRITICA vol.12」でも、“映像化不可能な趣向は潔く捨て、それでいて「こうもり」という作品が与える効果を別のかたちで再現したドラマになっていた”とされています。
*39: 原作と同じように真知子が佐和子殺しの共犯だとしても、原作と違って大杉のアリバイ工作に直接関わっていない点で事件への関与が薄いため、やはり“力不足”に感じられるのは否めません。
*40: もう一つ、テレビ放送の場合には読書と違って立ち止まって考える時間が作れないので、サルーンの“大杉”が貴生川であることが明らかになっても、本物の大杉の所在にまで思い至ることができない部分があるように思います。
*41: 貴生川が白状した際の、真知子の“耳を触るのやめなさいって言ったでしょ! あの人にはそんなみっともない癖はないのよ”という台詞は、貴生川の癖を強調してそれが手がかりだったことを視聴者に知らせるためのものでしょう。
*42: 鼻形の方は愛香に引っ張られながら“大杉”の方を振り返っているので、ぎりぎりで〔1〕が目に入っている可能性もありますが、逆に〔3〕を見ているかどうか怪しいところがあります。
*43: 運転手・佐藤はカフェでの“大杉”(貴生川)は目にしていないものの、キャンプ場に戻ってきた“大杉”(貴生川)の癖を見る機会はあったはずで、(推理の手がかりとしては使えないものの)再現ビデオに反映されても不思議はないでしょう。
*44: 再現映像でも大杉が花の冠を持っている様子はありませんし、佐和子に見つけられたら確実に怪しまれるので、事前に作っていたとは考えにくいものがあります。また、和泉による捜査情報まとめで“現場周辺に自生していた千日紅”とされているのは、現場に花をちぎった痕跡が残っていたからだとも考えられます。
*45: シュピーゲルの活躍で死体発見が早まりましたが、堂島と水橋は13時になっても佐和子を見つけていなかった――佐和子と犯人の“アヴァンチュール”の予定を念頭に置けば、現場はかなり見つけにくい場所だと考えられます――ことから、犯人の想定では犯行時刻がもう少し広がっていた可能性が高いのではないでしょうか。
*46: “大杉が車の運転中ですぐに連絡がつかない”という口実もあり得るかもしれません。
*47: 一つ気になるのが、林道で待機中の貴生川が目撃したパトカーですが、地図を見る限り林道からキャンプ場へ乗り入れるのは無理なので、あれは何かの間違いでしょう。
*48: この二人は原作と違ってアリバイもないので、もう少し厳しく取り調べられていてもおかしくないように思いますが、トレーラーハウスではなくコテージの方で事情聴取を受けているのがその表れでしょうか。
*49: まさかの自動ドア……ではなく、脇に使用人が立っていて開けているんですよね?

○まとめ

 今回の第9話、最もドラマ化困難な原作であることは衆目の一致するところで、それをドラマとして成立させるために設定から謎解きまで過去最大の改変が施された……にもかかわらず、しっかりと「こうもり」らしい”ドラマに仕上がっていたのがすごいところで、もはやこれ以上の「こうもり」映像化はあり得ない、と断言してもいいでしょう。

 そして見逃せないのが、第9話放送直前のtwitterでの“「こうもり」読もうキャンペーン”*50で、結果的に原作を下敷きにしたトリックの“被害者”を大幅に増大させたのはもちろんのこと、“私トリックに使われたの初めて”*51という名言を生み出すなど、視聴者参加型トリック(?)ともいうべきメタ的な仕掛けが炸裂することになったのが、また「こうもり」らしいところです。

 放送時の、twitterでのリアルタイム実況の盛り上がりも含めると、一夜限りの――空前にして絶後「こうもり」だったことは間違いありません。本当に楽しかったですね……。

ドラマ第8話 ←   → ドラマ第10・11話


黄金の羊毛亭 > 雑文 > 「貴族探偵」はいかに改造されたか? > ドラマ第9話 「こうもり」