「貴族探偵」はいかに改造されたか?
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2017.11.14 by SAKATAM |
ドラマ「貴族探偵:第7話」と、原作「ウィーンの森の物語」(『貴族探偵』収録)のネタバレがありますので、未読・未視聴の方はご注意ください。 |
第7話 「ウィーンの森の物語」 | |||||||||||||||||||||||||||||||
放送日:2017年5月29日 ○あらすじ
高徳愛香は、師匠・喜多見切子が最後に扱った事件の報告書を読んでいる。貴族探偵が師匠の死に関わっているのか調べるために……。 ○登場人物・舞台・事件の概要
今回のドラマは、女探偵・高徳愛香が師匠・喜多見切子の残した報告書を読んで、“喜多見切子最後の事件”を回想する形で、一年前に起きた事件の顛末を描いた過去エピソードとなっています(*1)。ということで、愛香の出番は序盤と終盤の〈現在のパート〉と、〈過去パート〉で事件が解決された後の事務所での一幕のみで、原作には登場しない師匠・切子が〈過去パート〉の主役となります。貴族探偵とも面識があるのみならず、使用人に任せるスタイルまで知っている―― 対する貴族探偵の側は、一年前でもこれまでと同じように三人の使用人たちが揃って登場し、その中で原作と同じく執事・山本が推理を披露するのですが、再現ビデオについて執事・山本が貴族探偵に演技のダメ出しをされ、その様子を見てメイド・田中と運転手・佐藤が失笑をこらえるあたりが、ドラマの現在とは大きく違っています。執事・山本の常人にはわからない(苦笑)演技力の向上と、それに対する評価の劇的な変化(*3)を通じて、一年という時間の経過を浮かび上がらせているのが巧妙です。 また、原作の竹之内刑事が登場しないのは前回のドラマ第5・6話「春の声」と同様ですが、一年前のエピソードである今回はもちろん“マル貴”の面々もいない……はずが、第6話放送後の予告通りに鼻形雷雨警部補が交番勤務の警官として事件現場に登場し、さらに所轄署での一場面では捜査一課の刑事・常見慎吾と鑑識係員・冬樹和泉も顔を見せ、後の“マル貴”メンバーが総出演で視聴者に安心感を与えてくれます。 特に鼻形は、事件現場の前でゴルフのパッティング練習をしていたり、切子の顔を見た途端に態度を変えて勝手に現場に案内してみたりと、現在よりもさらに自由な振る舞いで楽しませてくれますが、その反面、現在とは立場が逆の常見刑事と顔を合わせた際に、捜査一課への強い憧れを口にするあたりは、その後の立場の逆転もあわせて印象深いものがあります。事件現場での切子とのやり取りで示唆されているように、今回の事件で手柄を挙げて(*4)捜査一課に配属される(と思われる)ところまで含めて、やけに鼻形に光が当てられている節がありますが、今にして思えばもちろん、続くドラマ第8話に向けた布石だったということでしょう。 さて、鼻形ら“マル貴”の面々が、一年前のエピソードにも登場して事件の捜査に関わっているにもかかわらず、ドラマ第1話「白きを見れば」では貴族探偵や使用人たちのことをまったく知らなかった――ということに矛盾なく説明をつけるために、“マル貴”と貴族探偵らが最後まで顔を合わせずに終わるよう、巧みに設定されているのが目を引きます。一つは、いつもと違って警察関係者がサルーンに招かれないことで、これには事態を穏便に済ませたい貴族探偵らの意向が反映されているとともに、(後述するように)原作と違って警察が自殺と判断したので捜査担当者がいないこともあるでしょう。そしてもう一つ、警察からの捜査情報の入手を担当させるために、新たな使用人・秘書の鈴木を初登場させてあるのも、もちろん効果的です。 ドラマオリジナルの使用人である秘書・鈴木は、貴族探偵に重要な役目を命じられて別行動していることが今回の結末で示唆され、これまで姿を現さなかったことにも納得させられますし、今回と第10・11話のみと直接の出番は限られているものの、愛香が使うスマホアプリ“ギリ”の“中の人”であることも含めて、インパクトのある存在といえるでしょう。 *
事件の舞台となる都倉家に目を向けてみると、その人間関係が原作とドラマで若干違っています。原作では都倉社長(*5)の姪だった江梨子が娘(忠仁の妹)に変更されているほか、都倉社長の後妻・光恵は新たな社長秘書として会社にも加わっています。さらに都倉社長の秘書で愛人、しかも原作では都倉社長の子を身ごもって強気だった旗手真佐子が、ドラマでは後妻・光恵の登場によって立場をなくしている元・内縁の妻で、忠仁らが幼少の頃には面倒をみていた様子まで描かれるなど、かつては家族同然の扱いだったことになっています。 その真佐子が、原作では都倉社長に続いて殺害されていたのに対して、ドラマでは生きて登場しているのが最も顕著な違いで、ドラマでは真佐子と光恵の“女の戦い”が原作よりも強調されている感があります。その一方、原作では若干とはいえ疑いが向けられていた忠仁(ドラマでは早々にアリバイが成立)、貴族探偵に口説かれていた江梨子(ドラマでの貴族探偵は光恵のケアに専念)、そして視点人物であり最後の決め手を提供することになった正津幸彦(ドラマでは謎解きが大幅に変更)と、いずれも原作に比べて影が薄くなっているのは否めませんが、これは致し方ないところでしょう。 また、原作での別荘から都倉社長の自宅へと犯行現場が変更されているのは、一見すると些細な改変ですが、おそらくはこれも“女の戦い”をクローズアップすべく、容疑者を二人に限定するためのもの。というのも、原作のようにわざわざ別荘を訪れたところから、友人と映画を観に行く(忠仁と江梨子)、あるいは急遽会社に戻って作業をする(正津)といったような、深夜まで現場を離れる行動を取らせるのが難しいからで、忠仁・江梨子・正津の三人を手っ取り早く(?)容疑者から除外するために、アリバイを用意できる状況に改変してあるということではないでしょうか。 *
原作は、正体不明の犯人が密室トリックを実行する途中で、回収しようとした糸が切れて失敗する場面から始まり、死体発見時にも、鍵に通されてポケットから垂れた
また、密室トリックに関わる現場の鍵の所在にも違いがあります。原作では、 さらにこの合鍵の所在に関連して、原作では真相解明の最後の決め手として伏せられている光恵と真佐子の【バッグの入れ替わり】が、ドラマでは早々に明かされているのも注目すべきところでしょう。原作と違って持ち主が二人とも生き残っているので当然ではありますが、少なくともこの改変によってはっきりと、原作とはまったく違った推理になることが“宣言”されているに等しいわけで、原作既読者に対する“挑戦状”といってもいいのかもしれません。 また原作では、バッグをめぐるトラブルの後に真佐子が自動車で帰宅したものの、江梨子が犯行時刻後の深夜二時頃に自動車が発進する音を聞いているため、真佐子にも疑いがかかる――ところが、その真佐子までが自宅で殺害されたことが発覚する、という展開がありますが、ドラマでは真佐子は帰宅することなく都倉社長宅にとどまり、“もう一つの殺人”が発生することもなく、前述のように真佐子は生きて登場することになっています。
*1: (読者からみて)“貴族探偵最初の事件”である原作「ウィーンの森の物語」が、ドラマでも“(時系列で)最初の事件”とされているのが心憎いところです。
*2: 貴族探偵に “女探偵さん”と呼ばれている愛香と違って、切子が “名探偵さん”と呼ばれるところからして違っています。 *3: ドラマ第5・6話「春の声」では、貴族探偵が “お前の演技がもっと見たい”と執事・山本を賞賛し、メイド・田中と運転手・佐藤も感服している様子です。 *4: しかし、最後の〈現在のパート〉でちらりと映る切子の報告書には、都倉社長が “病死として処理された”とあり、犯人逮捕についても “逮捕罪名:都倉光恵に〜”・ “現行犯逮捕”とされていることから、罪名は殺人未遂だけだと考えられるので、この一件だけで抜擢されるほどの大手柄とはいえないような……実は有能だった鼻形は、この事件の後も手柄を積み重ねて捜査一課の主任に上り詰めた、ということでしょうか(そう考えると、続くドラマ第8話への伏線のような気も)。 *5: ドラマではなぜか名前が“政一”から“健一”に変わっているので、この呼称で統一します。 *6: メイド・田中による捜査情報のまとめより。 ○原作のトリックと解決原作の冒頭では、正体不明の犯人視点で倒叙ミステリ風に、針と糸を使って“鍵のロープウェイ”で外部から密室内に鍵を送り込む陳腐な密室トリックが実行される――かと思いきや、いきなり糸が切れて密室トリックが失敗する場面が描かれ、発端からしてかなりひねくれた密室ものとなっています。都倉社長の死体が発見された際にも、鍵が通された三メートルほどの糸が、ジャケットのポケットを貫通して垂れ下がっている有様で、冒頭で描かれたそのままに失敗の痕跡が残っている……ように見える状態です。
この冒頭のトリック失敗の場面が、読者に対するトリックとして機能しているのが秀逸で、“結果”だけを見せられる作中の人物と違って失敗の“過程”まで知らされている読者としては、その“過程”から予想される当然の“結果”として現場に残された糸が、犯人の偽装工作だとはまったく考えられず、さりげなく書かれた糸の しかして執事・山本の推理では、貴族探偵に促されていきなり光恵が犯人と名指しされた後、事件の説明が(読者にもわかっている)密室トリックの実行と失敗から始まり、次いで現場に残った糸を回収するために真佐子を殺して合鍵を入手した――と、不意打ちを食らわせる手順が鮮やか。と同時に、犯人の当初の計画では事件が発覚した際に明かされるはずだった【バッグの入れ替わり】が、密室トリックの失敗による計画変更を受けて最大のサプライズに転じているのが面白いところです。 一旦は手放した合鍵が急遽必要となった結果としての、“殺してでも うばいとる”(*8)を地で行く直截的な犯行はなかなか強烈ですが、穏当な手段で合鍵を手に入れるのはまず無理なので、犯人としてはやむを得ないところでしょう。しかし、真佐子を殺してしまえば都倉社長の“自殺”も一気に怪しくなってしまうのは道理(*9)で、手元に合鍵が残ることも相まって計画変更を余儀なくされるというのも自然。かくして、“合鍵を持っていない”ことで疑いを回避する当初の予定から、逆に“合鍵を持っている”ことで容疑を免れるように、密室の意味が反転しているのが見どころです。 現場に残された糸の切り口で偽装工作が発覚し、さらに“光恵のバッグ”から検出された正津の指紋(*10)が決め手となって〈バッグの入れ替わり〉が証明されることになりますが、犯人に引導を渡す重い決断を迫られた正津の心理が描かれているのが印象的です。
*7: わざわざ
“バッグから”と書いてあるのは、合鍵とバッグを結びつけて、“【バッグの入れ替わり】=合鍵の移動”だったことを保証するためのものです。 *8: 「殺してでもうばいとる (ころしてでもうばいとる)とは【ピクシブ百科事典】」を参照。 *9: 都倉社長と真佐子の死亡時刻が近ければ、事件の順序を入れ替えて“都倉社長が真佐子を殺して自殺した”ように見せかける手もあったかもしれませんが。 *10: 前夜の出来事が説明される箇所で、真佐子に “バッグを拾って手渡した”とさりげなく書かれていますし、“光恵のバッグ”に付いた指紋の件で問い詰められた際に内面描写で “全く心当たりがない”とされているのも、信用できる記述といえます。 ○改変の連鎖ドラマでは、原作の重要なポイントである【密室トリック失敗からの偽装】と【バッグの入れ替わり】を生かしながらも、原作から犯人が変更されたのをはじめとして、真相と謎解きが大幅に改変されています。原作既読者に挑戦するような改変を重ねてきたスタッフのことですから、いつかは犯人も変えてくるのではないかと予想してはいたのですが、それらの改変が施された理由を考えてみると、行き着くところはやはりドラマ第2話「加速度円舞曲」と同様に、ドラマでの多重解決の必要性ということになると思われます。まずはそのあたりについて。
以上、ドラマを観てからの“後知恵”が多分に含まれていることはいうまでもありませんが、主立った改変は多重解決の必要性によって――とりわけそのために[真佐子が生きて登場]することを発端として、かなり合理的に導き出されている節があり、実によく考え抜かれているところに脱帽せざるを得ません。
*11: 忠仁は現場の鍵に関わる機会がないため、忠仁を“犯人”とする“誤った解決”では、密室については忠仁が“密室トリックを実行しようとして失敗した”という、見た目そのままの解釈をするよりほかありません。そしてそうなると、密室を作る手段や機会の有無から忠仁を“犯人”とすることができないので、犯人が忠仁を指し示す“偽の手がかり”を用意することになりますが、その場合、犯人としては忠仁をストレートに示す“手がかり”――例えばドラマでの、糸の切れ端に付着した光恵の口紅のような――が望ましいことは明らかです。結果として、忠仁を“犯人”とする“誤った解決”は、ほとんど推理する余地がないまま、犯人の偽装を鵜呑みにしたものにならざるを得ないでしょう。これは、忠仁ではなく江梨子や正津を“犯人”に仕立てようとする場合も同様です。
*12: これらを割愛すれば――例えば、光恵が合鍵を所持したままで、密室トリックは最初から偽装工作だとしてしまえば、光恵を犯人にすることもできそうですが、原作よりもかなり物足りなくなるのは否めません。 *13: 単純に、一年前の事件という設定から(原作と違って)事件の“その後”を描く必要があるため、真佐子が残っているよりも光恵が会社を引き継いでいる方が収まりがよかった、ということもあるかもしれませんが。 *14: “光恵が合鍵を持っている”のですから、“合鍵を探そうとする”こと自体が考えられませんし、そもそも(本来は)合鍵があるはずのない“自分のバッグ”の中を探すのは論外です。 *15: ご都合主義の何が問題かといえば、合理的な判断/行動の結果ではないため、推理できないおそれが出てくることです。 *16: 糸だけを考えるならば、“合鍵を持っていない犯人”が“合鍵を持っている人物”に疑いを向けるために、失敗することなく無事に糸を回収した後で偽装の糸を隙間から密室内に放り込んだ(原作ならば、回収の途中に手元で糸を綺麗に切った)可能性もないではないので、直ちに“合鍵を持っている人物が犯人”とはいえないように思います。 ○ドラマのトリックと解決
ドラマでは、[密室殺人が“成功”]して都倉社長の自殺と判断される中、現場を訪れて早々にトリックの痕跡に気づいた切子が、自殺ではなく密室殺人だと宣言します。明らかな痕跡としては、〈溶けたチョコレート〉と〈床のベタベタしたシミ〉がありますが、切子が鼻形に調査を依頼した三点――〈1.床のベタベタした物質〉・〈2.遺留品の糸に付着した物質〉・〈3.被害者のシャツのポケット上部の穴の有無〉のうち、〈2.〉に関する 一方、〈床のベタベタした物質〉は、秘書・鈴木を介してメイド・田中がまとめた捜査情報で〈アルカリ性の洗剤〉と判明し、また〈溶けたチョコレート〉については、冒頭の犯行直後の映像と今回の〈御前ヒント〉――リモコンに残ったエアコンの設定温度(30℃)――で、〈エアコンの温風〉によることが示唆されています。が、これら原作にない“余分な痕跡”はいずれも、“鍵のロープウェイ”と直接関係がないことは見るからに明らかなので、どのように使われるのか予想しづらくなっています(*18)。 つまるところドラマでは、“鍵のロープウェイ”による密室トリックが当初からあからさまになっている原作と違って、隠蔽された密室トリックを探偵が解き明かす形に改変されているにもかかわらず、探偵(切子)が“何に着目しているか”をはっきりと視聴者に知らせることで、あえて密室トリックをわかりやすくしてあると考えられます。これは、探偵による密室トリックの解明を追加しながらも、原作と同じような効果、すなわちに密室トリックよりも“その先”が重要であることを示唆すると同時に、現場に残された糸によって“合鍵を使えなかった人物が犯人”とミスリードする狙いがあるのではないでしょうか。 ということで、サルーンで披露される切子の推理では、まず“鍵のロープウェイ”による密室トリックから糸の回収が失敗したところまで解明された後、〈床のベタベタしたシミ〉や〈溶けたチョコレート〉といった“余分な痕跡”から、原作とはまったく異なる犯人のその後の行動――犯人が合鍵を入手して使った原作と違って、合鍵が使えなかった(ことになっている)(*19)犯人が、[密室外から失敗を隠蔽]したことが解き明かされるのが見どころです。 水鉄砲を使って飾り窓の隙間から糸に台所用洗剤を吹き付けることで、唾液中のDNAが検出されるのを防ぐ――というのは、実際にうまくいくのかどうかわかりません(*20)が、“犯人がそう考えた”といわれれば納得できる程度には説得力があると思います。また、吹き付けた台所用洗剤の水滴(?)をエアコンの温風で乾燥させるのも巧妙で、乾いた糸が壁際まで飛ばされるところもよくできています。そして冒頭の映像でのエアコンに加えて、小道具の水鉄砲と洗剤もまた、事情聴取の最中にさりげなくアップで映されている(*21)のがお見事です。 このように、ハウダニットがほぼ解き明かされたところで、犯行時刻にアリバイのある忠仁・江梨子・正津の三人が改めて除外され、アリバイのない光恵か真佐子が犯人ということになり、切子は〈遺留品の糸に付着した口紅(*22)〉の成分を調べればどちらが犯人かわかる、と推理を結んでいます。実のところ、フーダニットに関する切子の推理は、序盤にアリバイが確認されたところから一歩も進んでいない(!)のですが、ハウダニットがしっかりと解明されていることで“名探偵”の面目が保たれている感があります。
さらにいえば、事件が解決された後の結末では貴族探偵が、切子が犯人を見抜きながらも解決を中断したと指摘しています。これは、切子が関係者を集める際に *
切子の推理を受けて、光恵は自身の犯行を否定しないまま事件を自殺として処理するよう頼みますが、光恵が犯人だと思い込んだ忠仁や江梨子に責められることになります。このあたり、これまでの真佐子に対する信頼もあるのかもしれませんが、やはり“合鍵をもっていなかった”ことで光恵に疑いが向いている部分もあるように思います。そして注目すべきは、事態を静観しているように思えた貴族探偵が、真佐子が光恵に詰め寄ろうとした途端にそれを遮り、執事・山本に推理を始めるよう命じたことで、やはり貴族探偵は犯人がわかっていたのではないかと思わせる演出がよくできています。 かくして始まる執事・山本の推理では、まず真佐子が犯人と名指しされた上で、切子の推理の続きとして“その後に何が起こったか”が解き明かされていきます。“事件の前に光恵の鞄を書斎の都倉社長に渡した”という証言は真正面から否定され、真佐子が密室トリックの実行から失敗の隠蔽まで済ませて偽装自殺を完成させた後で、【鞄の入れ替わり】に――不要な合鍵の存在に気づいて途方に暮れた(*25)末に、合鍵を再びの“鍵のロープウェイ”で密室内に送り込んだという、原作の犯人・光恵の行動を裏返したような真相が非常に面白いところですし、偽装の糸を残す際に手元にある光恵の口紅を使うアレンジも巧妙です。 そして、文章よりも映像でこそ一目瞭然で納得しやすい、ドラマ独自の犯人特定の決め手が秀逸。実際に使用人たちによる再現ビデオでは、シャツの胸ポケットを狙った最初の“鍵のロープウェイ”に比べると、鞄を狙った二度目の“鍵のロープウェイ”はずいぶんやりやすそうな印象(*26)だったのですが、そこを逆手に取って(?)“犯人はなぜ、鞄ではなくポケットに鍵を戻そうとしたのか”という設問から、“飾り窓からの距離が近く開口部も広い鞄ではなく、遠くて小さいポケットを狙ったのは、そこに鞄がなかったから”という結論を導き出す推理が実に鮮やかです。
この推理について少し細かく考えてみると、“光恵が犯人”と仮定した場合、真佐子と違って本来は合鍵を持っているのですから、現場を密室状態にするとしても“合鍵をどう処理するか”を考える必要があります。ここでは[計画1:そのまま持っている](“鍵のロープウェイ”は実行する必要がない)/[計画2:密室内へ送り込む]の二択となりますが、どちらにしても書斎の施錠には合鍵を使うのが自然なので、遅くとも合鍵を使おうとした時点で【鞄の入れ替わり】に――(真佐子の証言が事実ならば)書斎の扉の脇に置かれた“真佐子の鞄”(実際には光恵の鞄)の中に合鍵があることに気づいて、[計画2]の場合には(*27)鞄を狙うよう変更することになるでしょう。 最終的には、現場に残されていた糸の〈両端の綺麗な切り口〉――メイド・田中による捜査情報まとめの写真で示されています――によって原作同様に偽装工作が発覚し、合鍵を使うことができた真佐子以外にはそれが不可能だったことが示されますが、これは最後のダメ押しといったところでしょう。
*17: いきなりの慧眼もさることながら、鼻形を実にうまく扱っているあたりにも、弟子・愛香との違いが如実に表れている感があります。
*18: 原作既読者からすると、(密室内にあるとはいえ)原作と同じように合鍵が存在するため、わざわざ[密室外から失敗を隠蔽]する必要性が見えなくなっているところがあるようにも思われます。 *19: 切子はここで、 “鍵は二つとも室内にあるため”と説明していますが、実際には合鍵は(この時点では)密室外の鞄に入っていたわけですから、最後に貴族探偵が指摘するようにすべての真相を見抜いていたのであれば、アンフェア気味とはいかないまでもやや微妙な表現ではないかと思います。単純に “鍵がないため”とした方がよかったのではないでしょうか。 *20: 台所用洗剤は切子がいうような “強アルカリ”ではないはずで、粘膜細胞のタンパク質が変性したとしても “分解”まではできそうな感じがしませんが、界面活性剤でもあるので細胞内部に浸透できる……のかどうか、恥ずかしながらさっぱりわかりません(苦笑)。 *21: 忠仁らの子供の頃の回想で使われていた水鉄砲が、“現在”に戻ったところでもおもちゃ箱(?)に入った状態で映され、真佐子の事情聴取の最中には、切子を映した手前の方で台所用洗剤がアップになり、さらに切子が一瞬そちらに目を向けているように見えます。 *22: 糸に付着していた物質は、メイド・田中によるまとめでも “合成ポリマー”とされているだけで、“口紅”とまでは明示されていませんが……。 *23: 両方の探偵に“傷”をつけないための唯一の手段ということでしょうが、麻耶雄嵩ファンからすると某作品へのオマージュのようにも思えてきます。 *24: 例えば、古野まほろ『セーラー服と黙示録』や青崎有吾『ノッキンオン・ロックドドア』など。 *25: ここでの、 “もともとの計画では、自殺の偽装が発覚した場合でも、疑われるのは合鍵を持っている光恵様になるはずでした”という執事・山本の台詞は、原作の内容を念頭に置くと逆ではないか、と引っかかりそうになりましたが、 “密室トリックが発覚”ではないので間違いではないでしょう。 *26: 真佐子自身が実行しやすい位置に鞄を置いたのですから、当然といえば当然ですが。 *27: [計画1]の場合でも、【鞄の入れ替わり】を経て一旦は書斎に置かれていた合鍵を、そのまま持ち続けるのは危険きわまりない――真佐子一人の証言ならば何とかなるかもしれませんが、【鞄の入れ替わり】を誰かに告げているおそれもあります――ので、やはり鞄の中に送り込むよう変更するのが無難ではないでしょうか。 *28: この場合、光恵は書斎に置かれているのが(正真正銘の)真佐子の鞄だと認識していることになり、その中に合鍵が入っているのは不自然なので、“鍵のロープウェイ”で鞄を狙わないのも妥当です。 ○ドラマの結末
師匠・切子の死に貴族探偵が関わっているのではないか――という愛香の疑念とは裏腹に、切子が残した報告書でも、また“その後”の光恵ら関係者(*29)の証言でも、貴族探偵と切子が対決した事件は平穏無事に解決されたことになっています。しかし視聴者には、前回放送時の予告で
はたして、事件が解決された後で他に誰もいなくなったサルーンの中、切子と二人なごやかに酒を酌み交わしていた貴族探偵は、切子が手帳に書いてみせた名前を目にして表情を一変させ、切子が立ち去った後で秘書・鈴木に何とも不穏な指示を出すことになります。 この結末は演出も実に見事で、照明が絞られて薄暗くなったサルーンの様子は前回のドラマ第5・6話「春の声」の結末――貴族探偵と桜川鷹亮の“黒い”密談を連想せずにはいられませんし、暗闇からゆっくりと姿を現してくる秘書・鈴木の迫力も印象的。そして、“過去”と“現在”を切り替えながら重ね合わせて、“過去”では燃え上がっていく手帳の頁に記され、“現在”では手帳に残った痕跡が浮かび上がってくる(*31)“政宗是正”の名前を、ほぼ同時に視聴者に明らかにする映像がスリリングです。 “政宗是正”という問題の名前はもちろん原作には登場しませんが、“貴族探偵の本名”といわれてもあまり違和感のない程度にはありきたりでなく古風にも感じられるもので、視聴者を惑わすには絶妙なネーミングといえるでしょう。
*29: 事件から一年後の“現在”は、忠仁も都倉電子で働いているようです(しかしドラマの忠仁は、“現在”でもまだ21歳では……?)。
*30: 前回の予告で新たな使用人の登場が明かされた段階で、“ギリ”役の仲間由紀恵ではないかと予想した方もいらっしゃるようです。 *31: ドラマ第4話「幣もとりあへず」での電話のメモを思い出した方も多いのではないでしょうか。 ○まとめ今回のドラマは、放送日にちょうど誕生日を迎えた原作者・麻耶雄嵩のために、エンドロールで名前の横に誕生ケーキ(*32)が表示されていたり、主演・相葉雅紀が所属する嵐のメンバーにちなんだ小ネタ(*33)が盛り込まれていたり、そして何より愛香の謎めいた師匠・切子が活躍する“喜多見切子最後の事件簿”だったりと、全体的にスペシャル感満載のエピソードとなっています。 原作のどのエピソードにも登場しない人物・喜多見切子を一方の探偵役に据えて、被害者も、犯人も、さらにトリックも推理も――という具合に、改変の限りを尽くしたといっても過言ではない内容ですが、その実は原作の重要なポイント(【密室トリック失敗からの偽装】と【バッグの入れ替わり】)とドラマの定型(貴族探偵対女探偵)とを両立させるための改変といっていいでしょう。しかも、原作で殺された真佐子を[生きて登場]する改変を前提として、ある種の歴史改変もののように“生かしておくためにどうするか/生かしておくとどうなるか”を入念にシミュレーションしていったような改変が全体に施され、あり得たかもしれない“もう一つの「ウィーンの森の物語」”として完成している印象を受けます。 さらに過去エピソードとすることで、主要な登場人物たちの造形に時間の経過による厚みを加えると同時に、全エピソードを貫く軸となる師匠の死と貴族探偵の謎――その発端をのぞかせ、前回に輪をかけて先の展開が気になる内容となっているのがお見事です。
*32: しかし、某作品をお読みになった方にはお分かりのように、麻耶雄嵩ファンにとっては誕生ケーキのロウソクにはトラウマのようなものが(苦笑)。
*33: 識者の情報によれば、以下の通りです。
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