我が家に犬が来て、この十二月で一年になる。
すっかりと我が家の暮らしに融け込み、毎日を楽しく送っている。
この犬の姿を見ていると、ふと、この前読んだ中野孝次著『犬のいる暮し』(岩波書店)の中で、歌人・平岩米吉の作品が紹介されていたのを思い出した。感じるところがあり、ここに掲げる。
わが庭に 一生をすごす 生命ゆゑ 時の間惜しみ 共にあそばむ |
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大いなる 虚の想ひ 常にあり おのれを犬と いとほしみつつ |
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新開の 宅地にいこふ 冬の日を わが生の老の 幸せとせむ |
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犬は犬、我は我にて 果つべきを 命触りつつ 睦ぶかなしさ |
(平岩米吉著:歌集『犬の歌』(動物文学会) |
(平成20.12.7)
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(附記:全くの蛇足になるが、中野孝次氏の『ハラスのいた日々』だったろうか、犬が大事に骨を隠しているのを「私有財産の発生」と書かれていたのが印象的だった。我が家でも、似たことが起こっていた。
清正が来て間もなくの頃のことだった。清正は「ここを開けて。」と障子を指さした。当然のことながら、大きな穴がブスッとあいた。家内は「キャー!」と反射的に悲鳴をあげ、その後「駄目でしょ…」と注意していた。その後すぐ、清正は家内の前に、自分の大切な茶色の熊さんの人形とボールを持ってきて、並べた。
わたしには、それが清正にとって、かけがえのない財産を、家内にお詫びとして差し出したように見えた。「お詫びのためのプレゼント」というか、貢ぎ物というか……。驚いた。 (平成22.3.9)
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