すのものの「いろいろ」(その135)

準・近親婚の場合の「何親等」の数え方は?

前項の問題を考えようとして、 たとえばいとこ婚で生まれた子とまたいとことの間の “血”の濃さはどのくらいというべきなのか、 わかっていないことに気がついた。

    M ================= F
       |   |         | 
 M === F   M === F   M === F
    |         |         |
    M ======= F   M === F
         |           |
         M           F
普通に数えれば六親等だが、普通の六親等よりは血のつながりが濃いと思う。

子は父親と母親から半分ずつを受け継ぐと言ってよいだろう。 父親を M, 母親を F としたら子は (M+F)/2 だろうか? もしそうなら、 兄弟姉妹はみな同じになってしまう。 父親から何を受け継ぐかはそれぞれ違うと考えるか。 これだと、非常に多くのものからランダムに半分を取ると考えて、 兄弟姉妹である二人が父親から受け継ぐ M/2 のうち半分が共通であり、 残りの半分は共通でない、と考えるのが妥当だろうか。 母親からも同様だから、(M+F)/4 が共通と考えてみよう。

……というところまでしか考えていない。

2005-10-30 (0) 01:41:49 +0900

安全に準・近親婚をくり返し、“血”が薄まらないようにすることは可能?

ある特定の人物の子孫がその地位を継承してゆく場合、 代が下るにつれて“血”が薄まってゆくと考える見方もある。 (仮に初代の人物が男性だとした場合、 “血”は父親から100%受け継ぐんだ、と考えればそうではなくなるが。)

では、どのようにしていったら“血”が薄まらないだろうか? もちろん、 その人物の子孫の間だけで近親婚をくり返せばいいのであるが、 これでは遺伝的な問題が発生するだろう。 たとえば初代の人物のほかに7人の男女を用意し、 その子孫だけが計画的に交配をくり返すことで、 近親婚のおそれなく、 “血”が薄まらないように代々継承してゆくことは可能だろうか?

2005-10-30 (0) 00:35:30 +0900

「ジョルダンの曲線定理」の「直観抜きの完全証明」ってどういう意味で?

けさの朝日新聞大阪本社版科学面に、 『数学「ジョルダンの曲線定理」』『直観抜きで完全証明』という記事が出ている。 「内村直之」と署名がある。

きちんとした証明が難しいことで有名な 「ジョルダンの曲線定理」を14年がかりで完全に証明したと、 信州大の中村八束(やつか)教授(数理情報学) らとポーランド・ビアリストーク大の共同研究チームが発表した。 最終的に20万行にも及んだ膨大な論理の流れをチェックしたのは、 「人間の直観」に左右されないコンピューターだった。

ジョルダンの曲線定理とは 「平面内の閉じた曲線は、その平面を内と外の二つに分ける」 というもの》。 ジョルダンが著書で発表したのだが、

だが、その証明は厳密に言うと欠陥があった。 彌永昌吉・東京大名誉教授の著書によると、 ジョルダンの証明は「多角形の場合には成り立つ」ということを仮定しているが、 図の下のような入り組んだ多角形や複雑な閉曲線での証明は、 なかなか直観の通りにいかない。

(図の引用は省略した。)

私には完全だと思えた証明を、 Stillwell: Classical Topology and Combinatorial Group Theory (Springer Verlag) で読んだ記憶がある。 まず有限個の折れ線からなる閉曲線について証明し、 それを元にして一般の場合を証明するのだったと記憶しているが、 前者の証明だけは覚えている。

[証明] 頂点(=曲がる点)は有限個だから、 そのうちのどの二つを結ぶ直線とも異なる方向がある。 その方向を“水平”とみなすことにし、 水平な直線をうんと上から徐々に下げてくると、 有限個の瞬間に頂点を通り、それ以外のときは通らない。 うんと上では、その直線全体が「外部」にある。 その直線の上だけで「外部」「内部」の別に注意しつつ、 その直線をだんだんに下げてゆく。直線が頂点を通るときは、

  1. 「外部−内部−外部」(resp.「内部−外部−内部」)と隣り合っていたのが 「外部」(resp.「内部」)になる、
      \   内   /
       \  部  /
     外部 \   / 外部
         \ /
    −−−−−−・−−−−−−−−
    
         外 部
    
    
  2. (ある意味で)何も変わらない、
              /
       外部    /
            /  内部
           /
    −−−−−−・−−−−−−−−
          |
          |
      外部  |  内部
          |
    
  3. 1 の上下を反転したもの、
の三通りしかない。 だから平面全体が矛盾なく「外部」と「内部」とに分かれた。 [Q.E.D.]

(もう少しきちんと言うなら、うんと右あるいは左に垂直な直線をひいておき、 そこから水平に進んで、 奇数回だけ曲線を横切って到達する点は「内部」、 偶数回だけ曲線を横切って到達する点は「外部」 と定義すると平面全体が矛盾なく 「内部」と「外部」とに分かれる、と言えばよい。)

Stillwell の後半の証明は忘れてしまったが、 使うのは連結性に関する基本事項だけで、 長さとしては前半よりも短かったと思う。

だから、おそらく、 この記事にある「完全証明」というのは数学基礎論などの見地からのものであろう。

2005-10-29 (6) 23:43:21 +0900

ここまでローマ字が日本語を打ち込むのに使われると予想されていただろうか

「カナなら一文字で済むところをローマ字は二文字になるから、 ローマ字には無駄が多い。 ローマ字が使われるようになるはずがない」という議論があった。 「せめて、『です』を des とするように、ウ段の u を省くなどしないと」 という意見も読んだことがある。 確かに、読み書きには使われていない。 しかし、ワープロやパソコンを使う人のほとんどはローマ字入力だ。 ここまで使われるようになると予想されていただろうか?

2005-10-29 (6) 22:43:43 +0900

「楽しくお店を創ってゆきましょう」が社会主義圏のキャンペーンだったら

サイゼリヤの入り口には無料の求人情報誌が置いてあり、 はいるときは「こんなのいらないや」と思うものの、 ほろ酔いで出てくるときにはついつい取ってきてしまう。

「一緒に楽しくお店を創っていきましょう」などといったコピーを見ると、 旧・社会主義圏でこれと似たキャンペーン --- 一緒に楽しく社会を創ってゆきましょう --- を見たら 白けて思わず笑ってしまうだろうに、 どうしてお店だと許されるのだろう? と考えてしまうのだった。

2005-10-29 (6) 22:22:30 +0900

新たなる希望>いま撮るならアレック・ギネスの剣さばきはどんなものに?

IV でのアレック・ギネス演ずるオビ=ワンの剣さばきは、 かつては強かったが力の衰えた老人のものだった。 そういう役柄だったからだが、 確か、スタントを使わず、すべてアレック・ギネスが演じていたと思う。

II でクリストファー・リーが演じたドゥークー伯爵の戦闘シーンは、 単なるスタントを使うだけでなく、 最新の技術で顔だけを入れ換えたりもしたそうだ。 ああいうのがあったら、どんな戦いになっていたのだろうか。

2005-10-29 (6) 22:07:54 +0900

DOS プロンプトに「grep 々 ...」と打ち込む方法がわからずあせった ^^;

前項に関連。 行の中でのエディットが自由な unix のシェルに慣れてしまったせいか、 「grep 人々」と打ってから戻って「人」を消そうとし、 これでは「々」も消えてしまうと気づいてしばらく考える。

「すのものはテンプレートを思い出した!」

とりあえず「grep 人々」を実行し、 ファイル名を指定しろとのエラーメッセージが出て止まったところで CA, Backspace, Backspace, S1, CA だ!

あとになって、「NWL」を使う方法を思い出した。 コマンドを実行せずにテンプレートの内容をいまのものに変更するキー。

2005-10-29 (6) 19:40:39 +0900

「加賀美・美子」さんを「加賀美々子」と書いてもよいか? (たぶんだめ)

「かがみ・よしこ」さんなのだが、 姓の最後の文字と名の最初の文字が同一なので後者を「々」に変えてもよいか、 と考える人がいてもおかしくない。 でも、たぶん、しないのが普通だろう。 すれば「かが・みみこ」と読まれると思うぞ。

2005-10-29 (6) 19:37:35 +0900

泉井久之助「ラテン広文典」(白水社)を購入

限定復刊。奥付を見ると「新装復刊」となっていて、元の出版年が書いてない。 「序」にも日付がなく、「重版序」に「54 年 12 月」とあるのみ。

ちょっと意外だったのは、入門書としても使えることだ。 田中美知太郎・松平千秋「ギリシア語文法」(岩波書店、1968 年)のような、 初級文法を終えた人を対象にした本かと思っていた。

付)最初、泉梅之助とごっちゃにしてしまった。 「ウルトラマン」のラゴンやマグラを演じた人。

2005-10-29 (6) 02:01:33 +0900

朝日新聞>長根英樹氏の「現制度の方が皇室安定」論

28日づけ大阪本社版オピニオン面「三者三論」は「女性天皇どう考える」。 そのうちの一人、「きもの和文化プロデューサー」の長根英樹氏の意見には 「現制度の方が皇室安定」との見出しがついている。 《聞き手・松田史朗》。

前半は、冒頭の 《日本の皇位継承の特徴は「直系優先ではない」という点にある》 の説明に当てられているようだが、 現制度も先日の会議の結論も、「直系優先」に変わりはない。 議論になっているのは「女子・女系にも継承権を認めるか」 「認めるとしたら男女に関わらず長子優先とするか」の二点である。

秋篠宮殿下より敬宮愛子さまが皇位継承順位で上位にくるような議論を進めていることも問題だ。 生まれたときから継承順位第2位の立場にあり、 いつ何時、皇位を継ぐかもしれぬ覚悟と重責を背負ってきた秋篠宮殿下と、 またそうした期待のもとに何十年もの歳月を経てきた皇室と国民の営みをないがしろにする》。 はて。 私が高校生のとき使っていた日本史年表の巻末の系図では

- 今上天皇 -+- 明仁親王 -+- 徳仁親王
  (裕仁)  |        |
        +- 正仁親王  +- 文仁親王
          (常陸宮)
となっている。この時点で継承順位第3位のはずである。 それはともかく、 上の引用部分の後半の文章は前半の理由づけであろう。 この議論は、皇太子に男子が誕生した場合にも完全にそのまま当てはまるのではあるまいか。 その場合でも、 《生まれたときから継承順位第2位の立場にあり、 いつ何時、皇位を継ぐかもしれぬ覚悟と重責を背負ってきた秋篠宮殿下》が、 生まれたばかりの子に順位で上位にたたれてしまい、 《いつ何時、皇位を継ぐかもしれぬ覚悟と重責を背負ってきた秋篠宮殿下と、 またそうした期待のもとに何十年もの歳月を経てきた皇室と国民の営みをないがしろにする》 ことになってしまうのである。 男子よりも女子が上位にくることが、あるいは女子に継承権があることが問題だ、 というのなら、「直系 vs 傍系」の議論よりもそちらの理由づけに重点を置くべきだろう。

同氏は直系でない継承に意義を見出しておられるようだし、 上の議論の趣旨を合わせれば、 同氏の結論とは異なり、 「現制度を改め、生まれたときの継承順位が下がらない継承法が望ましい」 という結論になるのではないか。 このような継承法は一通りではないと思うが、 一つの方法は、継承権のある人の範囲を確定しておき、 その中では年長の順、とするものである。 これなら、絶対に継承順位が下がることがない。

付) 生まれたときの順位よりは下がらない、というだけの条件なら、 継承権のある子が生まれた場合、 「いまより順位を下げても生まれたときの順位より下にならない人」 のうちの何人かの継承順位を下げ、空いたところに入れる、という方法がある。 別の言い方をすれば、 生まれたときに与えられた継承順位は死ぬまで変わらないとする。 すると、たとえば「第3位の人はいない」という状態もありえるが、 そのときは実質的には第4位の人が第3位となる。 生まれた子は空いている順位に入れればよい。

付) 同氏の議論に混乱があるとしたら、 それは先日の会議が直系に女子がいるにもかかわらず傍系男子が継承することを 「安定しない」と表現したことに由来するのかもしれない。

2005-10-29 (6) 01:11:44 +0900

付) 系図の中の半角スペースのうちのいくつかを全角スペースで置き換えた。 見る人が用いているフォントによっては、 こうしたほうがよりよくそろうと気づいたからである。 (半角二つを全角一つで置き換えたことは言うまでもない。)

付) 同氏のサイトにはこの記事が全文掲載されていた。 (ただし、ほかの二人の発言は掲載されていない。)

2005-10-29 (6) 22:35:51 +0900

帝国の逆襲>もしもベイダーが本当に「オビ=ワンが殺したんだ」と言ったら

旧三部作でベイダーのコスチュームをきた役者さんの話として聞いたんだと思うが、 V の「No, I'm your father.」のシーンは、 演じたときは「オビ=ワンが殺したんだ」となっていたのだそうだ。 つまり、ストーリーがもれないよう、役者をもあざむいて撮影したというわけだ。

だが、もしも本当にベイダーが「オビ=ワンが殺したんだ」 と言っていたらどうなったか。 VI で再会したオビ=ワンは「それも見方の問題だ」 とあっさりかわすような気がしてならない。

2005-10-29 (6) 00:53:32 +0900

コンピュータ画面上での濁点と半濁点との違いは小さすぎないか

前項に関連して。 手元のパソコンで Google の検索用フォームに書き込む際のフォントでは、 濁点と半濁点は

□□■□ □■□
■□□■ ■□■
□■□□ □■□
の違いしかない。 「メモ帳」の使っているフォントでも半濁点の表現は同じだった。 これを濁点と誤解するケースがあるのではなかろうか。

2005-10-29 (6) 00:28:35 +0900

朝日新聞>『ラテン語の自由曲「ミサ・プレヴィス」』

24日づけ大阪本社版の、全日本合唱コンクール全国大会の面。 大分市民ウイステリアの記事の冒頭に 《ラテン語の自由曲「ミサ・プレヴィス」》とある。 「ミサ・ブレヴィス」missa brevis と呼ばれる曲は知っているが、 これは初耳だ。 Google で検索したところ、 前者が 179 件、後者が 869 件。両方を含むのは 35 件。

記事には「安田桂子」と署名あり。

2005-10-29 (6) 00:26:04 +0900

「コンパイラが賢いと自分で判断して」の二つの意味

七月ごろのメモに書いてあったもの。 学生のレポートに返事を書いていたときのものだろう。 そういう文章を思いついたが意味がはっきりしないので変えた、 ということだったか。

2005-10-28 (5) 02:00:25 +0900

a name タグは“見える”ように置いたほうが親切かな?

この項目の前には <a name="20051027145649"></a> というタグが置いてあるので、この項目にリンクを張りたい場合は <a href="(このページの URI)#20051027145649">...</a> と書いてもらえばよい。 しかし、リンクのはり方を知っている人のうち、 ソースを見てこのタグを見つけることを知っている人はどのくらいいるのだろうか?

“見える”ようにタグを置くほうが親切だろうか?  たとえば a name タグのすぐわきに #20051027145649 と書いておくとか。 でも、何の意味かわからなければおしまいだ。 直接ソースをエディットするのではなく、 ホームページ作成のソフトを使っている人がどうやってリンクをはるのかも知る必要あり。

タグを置いていることは目次のページには書いてあるが、 各ページの先頭にも書こうか。

2005-10-27 (4) 23:56:49 +0900

阪神と楽天はどちらが弱かったのか?

今シーズンの楽天の対ロッテ戦で、 三試合連続して10点とられたことがあったかとか、 調べている人はいるだろうなあ。

私は、第3戦を終わったところでロッテの選手が 「阪神は楽天より弱い」とコメントし、 それをきっかけに阪神の4連勝、というシナリオを想像していたのだが。:-)

2005-10-27 (4) 23:24:17 +0900

きょうの補筆箇所

2005-10-27 (4) 02:42:17 +0900

朝日新聞「歌壇・俳壇」>共選作がないときは共選作マークの説明をやめた?

朝日新聞「歌壇・俳壇」>共選作マークの説明は共選作のない週も載せる》 に書いたように、昔はあった。

2005-10-27 (4) 02:32:26 +0900

世間では「知らない」と言ってる人が本当に「知らない」とは限らないわけで

教師をしていると、 学生が「わかりません」「知りません」と言ったら本当にわからない、 知らないのだと思い込むくせがつくようだ。 知っているかどうかで成績に差がつくわけだから、 学生はなかなか知らないと言いたがらない。 だから、「知らない」と言ったら本当に知らないのだ。

しかし、学校の外に出れば、「知っている」ことは決してもうけにつながらない。 たとえば、 バーで“女の子”相手に知識をひけらかして得意になっている男がいたとしよう。 “女の子”からすれば、「これこれは知ってるか?」と聞かれたときに「知ってる」 と答えても一銭の得にもならない。 むしろ、「知らない」と答えて客が lecture を始めれば、 自分は聞き役に回っているだけで、 長居してお金を“落として”いってくれるかもしれないわけだ。

付) 私はそういう店にはほとんど行ったことがない。 二次会などで連れられていった店の中にそうだったのかなと思うのがあるのみである。 よって、上に書いたことは想像である。

2005-10-27 (4) 01:59:05 +0900

同類を代表する言葉」の意味でもない「代名詞」なる語の用法

23日づけ朝日新聞大阪本社版生活面、 猪野修平氏の「地球に暮らす」は「上海蟹、何杯食べた?」。 冒頭に 《上海の秋の代名詞はなんといっても「上海蟹(がに)」だ》とある。

「彼の名は金持ちの代名詞となった」の「代名詞」は英語では pronoun か?》 に書いたように ---、 いや書いていなかったが、 日本語の「代名詞」の中には「同類を代表する言葉」 (プログレッシブ和英中辞典第二版) の意味で使われているものがある。 それとも違う。

付) 『上海の秋を象徴するのはなんといっても「上海蟹」』 と言う人もいるような気がする。

2005-10-27 (4) 01:48:57 +0900

朝日新聞>日本シリーズの個人成績でサブローとフランコだけ少しずれている

たとえば23日づけ大阪本社版スポーツ面。 三文字分のところに四文字詰め込んでいるからだが、 急に来日した選手じゃあるまいし、情けない。

2005-10-27 (4) 01:46:25 +0900

「オセロ」のつもりだろうけど「オセ口」(おせぐち)に見える広告

23日づけ朝日新聞大阪本社版読書面の下の、マガジンハウス社の広告の、 唯野未歩子「三年身籠る」。 映画化されるらしいが、 《主演:中島知子(オセロ)、西島秀俊》とある 「オセロ」が「オセ口」(おせぐち)に見える。

朝日新聞のフォントではないので確実なことは言えないが。

2005-10-27 (4) 01:40:39 +0900

日本シリーズ>久しぶりにダメ虎復活でちょっとうれしかったりする私 ^^;

これで「ファンの数・日本一」でなくなるのではないかとも期待している。

2005-10-26 (3) 23:26:34 +0900

都営地下鉄大江戸線「六本木」駅は上下式だが「内回り」「外回り」と呼ぶ…

…らしい。 その駅の構造と、大江戸線の路線図が与えられても、 どちらが内回りでどちらが外回りかはわからないはずだ。 この駅以外で右側通行か左側通行かを知らないと。

環状線に神楽坂のような上下式の駅があったら「外回り」「内回り」の区別は》 参照。

2005-10-26 (3) 23:22:38 +0900

本名「留子(とめこ)」であだ名が「コメットさん」って人もいるかもね

「とめこ」を逆から読むと「こめと」、というだけ。

2005-10-26 (3) 23:08:44 +0900

マタイ 4,4 を「人はパンのために生きるのではない」と訳した聖書がある?

普通は、「人はパンだけで生きるのではない」と訳す。

Google で 「人はパンのために生きる」22 件。 「人はパンのためにのみ生きる」6 件。 「人はパンのみのために生きる」14 件。

原文 επ’ αρτωι の επι を「のために」と訳したわけだが、 古川晴風「ギリシャ語辞典」(大学書林)によると、 同じく与格支配で「夕食のために」という用例もあがっている。 大貫隆「新約聖書ギリシア語入門」(岩波書店, 2004 年) の §609 には「〜の目的で」の意味も載っている。 例は エペソ 2,10 で、「善いわざのために」と訳してあるが、 「パンのために生きる」とはニュアンスが異なる。

岩波版のこの箇所の注は申命記 8,3 をふまえているということのみ。 Septuaginta のそこを見るとやはり επι だ。

この箇所には異なる原文はないようだ。 家にあって思い当たるだけの翻訳を見たが、「ために」と訳したものはなかった。

並行箇所であるところのルカ 4,4 を合わせて見るのを忘れていたので、 いくつかの翻訳と原文のみ当たってみたが同様。

Google で見つかる例は書いた人の思い違いなのだろうか。

付) 「αρτωι」の ι は iota subscriptum なのだが、 <sub>ι</sub> と書いてみた。冗談で。

2005-10-25 (2) 02:15:00 +0900

電波時計のカタログ写真って、裏で回路をいじって調整してるんだろうな

SEIKO のは 10 月 25 日 --- あっ、あしただ --- の土曜日の午前 10 時 08 分 59 秒と決まっているようだ。 最近では 2003 年がそうだったんだけど、 受信完了マークがついた状態でこの時刻を表示させるには、 実験室の中にだけニセの電波を流す、などしないとむずかしいだろう。

回路のどこかに“秘密のコマンド”が隠されていて、 それをどうにかするとこの表示になって止まるとか。

2005-10-24 (1) 23:54:51 +0900

Phinloda 氏がご自身のサイトに“撮影後に画像を修正しているのではないか” という趣旨のことを書いておられる。 いまの画像修正ソフトが優れていることは知っているが、 合成(?)は合成と書かないとうるさい時代である。 やはり、これは実物に細工をしているのではないかと思われる。 根拠はないのだが。

この機会に書いておくと、 私の買った SEIKO SQ648S の場合、 ネット上のカタログ写真と実物とで、 下段のカレンダーや温度の表示と枠との距離にはっきりわかる違いがある。 実物のほうが狭く、真っ正面から見るとぎりぎりなのだ。 落ち着いたよいデザインなのだが、 文字と枠が近いのが(デザイン上に限った場合の)唯一の欠点である。

2005-10-27 (4) 00:58:49 +0900

きょうの補筆箇所

2005-10-24 (1) 03:19:35 +0900

昔のタイプライターの数字キーの配列は?

「十個の数字を全部書いてください」と言われたら 「1234567890」と書くだろうか、それとも 「0123456789」と書くだろうか。 理論的には後者に分があると思うが、 前者のように書く人も多いのではなかろうか。 0 は最小の数字だが、ある場合には最大の数字と思うことも容易なのである。 タイプライターのキーボード、 およびそれから派生したコンピュータのキーボードでも、 数字キーは最上段に前者の配列で並んでいる。 ---

というような話(の一部)を 「Phinloda の裏の裏ページ」 にコメントとしてつけたら、 Phinloda 氏から、昔のキーボードには数字キーは 2 から 9 までしかなく、 1 は L の小文字 l で、0 は o の大文字 O で代用されていた。 それを左右に拡張したためこの配置なのではではないか、 というような趣旨のコメントをいただいた。

Google のイメージ検索で「keyboard old typewriter」を調べ、 http://home.earthlink.net/~dcrehr/whyqwert.html にある図を見つけた。 数字キーは 2 から 9 までだが、いまのキー配列と比べ、 一つずつ左へずれている。 この配列がどのくらい普及していたのかはわからないが、 もしもこれに慣れ、数字の段まで手元を見ないで打てる人がいたとしたら、 いまのキーボードは一つずつずれていて打ちにくいことになろう。 しかし、数字の段は見て打つことも多いし、 私はTコードを覚えた際に最上段の指使いを容易に変更できた。 これらのことから考えると、ほんとうに 「0123456789」と認識されていたら、 キーをずらしてでもこの配置にしたのではあるまいか。

付) http://www.typewritercollector.com/timeline.html にも同様の配列の図が載っている。このサイトの最初のページ http://www.typewritercollector.com/ にはタイプ打ちのような文字も使われていてちょっと楽しい。

なお、 古いタイプライターにはキーが三段しかない代わりにシフトが三段になっているものもある。 http://www.flickr.com/photos/zen/1585255/in/set-62566/ の写真がそうで、CAP と書かれたキーを押せば大文字に、 FIG と書かれたキーを押せば数字や記号になるものと思われる。 (このページは google のイメージ検索で「old typewriter」 をキーワードに見つけたもの。 よく見ると L の右、ピリオドの右にはキーがないので、右手の小指が余りそうだ。 しかし、FIG キーは A の左に、CAP キーは Z の左にあるので、 キー一つ分だけずらして指を置いたのかもしれない。 あるいは、このころには手元を見ないで打つ習慣がなかった、 ということも考えられる。 左手の親指以外の全ての指を使い、 キーボードを見ないで打つようになったのはタイプライターができてしばらく経ってから、 という話を聞いたことがある。)

2005-10-23 (0) 23:29:38 +0900

秋茄子を見てトマス・アクィナスを読もうとしたが歯が立たず

少し前のこと。 どこかに秋茄子(あきなす)うんぬんと書かれているのを見て、 ふとトマス・アクィナスを読もうと思い立った。 聖トマス「形而上学叙説(有と本質とに就いて)」(岩波文庫) を出してきて読み始めてみたが、 アリストテレス「形而上学」を読んでいることは仮定して注がつけられており、 まずそちらを読まないことには歯が立たないと悟った。

アリストテレス「形而上学」は大学初年級のころに買ってあったんだけど、 読んでいなかった。読んでみるとおもしろい。 紀元前にこれだけのことを考えていた人がいたんだなあ。 (←素朴な驚き)

でも忙しいので読むのはいったん中断する予定。

2005-10-23 (0) 22:41:59 +0900

「こち亀」があるので「クローンの攻撃」を見てテープを空けた

ことしの7月8日(金曜日)に放送されたもの。

吹き替え版を通して見たのは初めてかもしれない。 パドメとアナキンがお互いを呼び合う代名詞をどこで変えるかは、 字幕作りの人にとってむずかしいところだろう。 ドイツ語やフランス語だと Sie や vous から du や tu に変わるところ。

2005-10-23 (0) 22:37:52 +0900

ファントム・メナス>カツオとアナキン、うきえさんとパドメは同い年?

TVアニメ「サザエさん」。 カツオは小学5年生だから誕生日がきていれば11歳、まだなら10歳。 うきえさんは高校生だが、 浪人している兄と一緒に大学受験するという話題が出ないところをみると3年生ではない。 15〜17歳であろう。

2005-10-23 (0) 22:29:42 +0900

クローンの攻撃>湖畔地方に隠れたパドメはなぜこの機会に静かに読書しない?

本文ナシ

2005-10-23 (0) 15:09:08 +0900

クローンの攻撃>チャートが改ざんされているのにワープして大丈夫なのか?

オビ=ワンの乗った戦闘機がハイパースペースから出たとたんカミーノにぶつかって、 という心配はないのか?

2005-10-23 (0) 15:06:34 +0900

ドラクエ VI>オートバトルはそのターンの最後まで読み切ってから始まる?

相変わらずドラクエ VI をやっているのだが、オートバトルに珍しい現象が発生した。 レベル 99 でパラディンのカダブウは、 せいけんづき一発でキラーマジンガを倒せることもあるし倒せないこともある。 三匹組に対し、二匹に一発ずつをいれてどちらも倒せなかったが、 そのあとそのターンに主人公のパルプンテで“まじん”がやってきて、 40ポイントぐらいずつを敵全員に入れたら、二匹とも倒れた。 カダブウが二匹目にせいけんづきを出した時点で、 このことが“読めて”いたのではあるまいか。 そうでなければ二度目の攻撃ではビッグバンなどの全体攻撃をするのが普通である。 そうすれば一匹倒せて、残り二匹にもそれなりのダメージが入れられるから。

2005-10-23 (0) 14:59:35 +0900

クローンの攻撃>ナブーの宇宙港に誰かアミダラを迎えにきてもいいだろうに

暗殺者の目をごまかすために難民に扮してコルサントから戻るわけだが、 宇宙港には迎えがきてもよさそうなものだ。 変装して、離れたところから見守っているのでもよい。

2005-10-23 (0) 14:57:55 +0900

クローンの攻撃>ニーモディアンはアナキンがあの時の少年だと知っている?

あのとき、通商連合の宇宙ステーションを破壊した少年だと。

たっぷり時間がある続き物のテレビ番組だと、 彼らがそのことを話し合ったり、 アナキンに「あのときはよくも……」などと言ったりしそうである。

2005-10-23 (0) 14:55:58 +0900

「言い暮らす」と「いいクラス」、(英語読みした)「Eクラス」は同音だ

「言い暮らす」は岩波国語辞典第三版をぱらぱらとめくっていて知った語。

2005-10-23 (0) 02:58:39 +0900

「見せびらかす」と「店開き」はどのくらい関係している?

「店」は「見せ」からきているわけだが。

2005-10-23 (0) 02:55:25 +0900

日野原重明氏は図書館でおしゃべりしている人がいても原稿が書けるか?

22日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の e5 面、 日野原重明氏の「94歳・私の証 あるがまゝ行く」は「集中力と速読で学ぼう」。 《私の特技の一つに集中力があります。 書斎で1人きりにならなくても、どこでも原稿が書けるのです》とあるが、 挙がっている例は 《運転手つきの自家用車に乗っている間》、 《喫茶店の中で音楽がやかましく聞こえ、隣のテーブルの人ががやがやしゃべっていても》、 《グリーン車》の三つ。 いずれも、静かであることが期待できるとは限らない、という点では共通している。 では、図書館の閲覧室などの、 静かであることが期待されているところでおしゃべりをしている人がいたら?  私はこれは全く別だと思うのだが。

付) 「運転手つきの自家用車」というのは、 ある程度以上の水準の生活をしている人なら当然であろう。 自分で運転するのは時間がもったいないし、 プロにまかせるほうが安全である。

2005-10-23 (0) 02:29:18 +0900

「浅香裕香(あさか・ゆうか)」って名前の人いるかな / 「朝か夕か」

……と同音。いまそう変換された。

2005-10-23 (0) 02:26:41 +0900

電車に、人をかばって乗ったら後ろの人にぶつかられた、という投書について

22日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「言いたい」の、 高等学校3年生、小屋沙幸さんの投書「朝は時間と心にゆとりを」。 短いので、全文を引用する。

先日の通学時、私はおばあさんの後ろに並んで電車を待っていました。 電車に乗るとき、その方は足が思うように動かないようで、 車内に入るのに少し時間がかかりました。

後ろの人たちはいらいらした様子で勢いよく車内へ入り、 私はかばうような形になって多くの人やかばんに当たりました。 おばあさんに当たってバランスを崩してしまったらとても危ないのに。 朝が忙しいことはわかりますが、 もっと時間と心にゆとりをもって下さい。

私も似たような経験がある。 共感してよく考えていたら、気になる点が出てきた。

足が思うように動かない》《おばあさん》 が投書者の前にいることが、 後ろの人にも見えたのかどうか。 この投書者のかげになって見えないことも考えられる。 後ろの人が 「なぜこの健康そうな高校生は人の流れに乗ってすっと乗車しないんだろう?」 と考えた結果、身体やかばんが当たったことも考えられる。 もちろん、それも困ったことであるが、 足の不自由なおばあさんに当たったら危ない、 ということを後ろの人に期待することはできなくなる。 「乗車の際に前の人にぶつかるのはやめてください」 というより一般的な主張になろうか。 (いまの場合、「前の人」はこの投書者自身である。)

よくわからないのは、乗車の際にほかの乗客が《いらいらした》のはなぜか、 である。 降車の際は、次に乗り継ぐ電車に遅れないため、 あるいは目的地に早く着くため、急ぐことがありえる。 しかし、乗車の際に急いだところで、電車は定刻までは出ないだろう。 席に座りたくて急ぐのだろうか。 もしそうなら、ラッシュ時の電車の混雑が問題なわけで、 「時間と心にゆとりをもって下さい」とは少々違ってくる。 あるいは、 待っている人全員が乗りきる前に発車しそうなのだろうか。 この場合、よその列に並び直すわけにはゆかないし、 もたもたしているうちに隣の入り口からはいった人たちで車両がいっぱいになり、 乗れると思っていたのに乗れないこともありえる。 これも、電車の混雑が原因である。

又。 もしもこの投書者がこのおばあさんをかばっていなかったら、 後ろの人たちはこのおばあさんにぶつかっただろうか? そうかもしれない。 しかし、別の人がこの投書者のした役割を果たしていたかもしれない。

最後に念のためくり返して書いておくが、私はこの投書に共感する。 この欄は「声」よりも字数が少なく、 事情をよく説明しきれていないこともあろう。 共感するけれども、 「ゆとり」を期待することで解決できる問題なのかどうか、 私にはよくわからなかったのである。

付) 冒頭に「通学時」とあるが、朝か夕かはわからない。 最後で朝だとわかる。 夕方の帰宅時も「通学時」にはいると私は思っているが、 最近ははいらない? (いくら私でも、 “深夜制”の高校で帰宅するのが朝なのかもしれない、 とは考えないぞ。:-))

2005-10-23 (0) 01:12:23 +0900

もう暖房してもいいぐらい室温は低いのか……。

18 ℃を割っているのは気づいていたが、 「暖房温度は 18 ℃に」と言われているのだからもう暖房してもいいわけだ。 こっちはなかなか気づかなかった。

2005-10-23 (0) 00:52:22 +0900

スター・ウォーズには南京玉すだれみたいな大道芸人は出てこなかった

I, II や IV のタトゥイーンの街にはいても不思議はないような。 手が二本より多くあれば人間にはできないこともできる。

2005-10-23 (0) 00:42:29 +0900

コープの石けんシャンプーの詰め換え用箱入りをびんに移した際の物語

ちょっと前にきていたのだが、家に持って帰るのを忘れ、 金曜日の夜から使い始めた。 前にも、袋入りのは使ったことがある。 これは一袋が一びんにはいるから問題ない。 今度買ったのは箱入りで、ちょうど二びん分あるのだ。 空いた石けんシャンプーのびんが二つあったので、 両方にあけて箱は空にして捨てることをもくろむ。 風呂場の床にびんを置いて、作業を始めた。 ところが、一びん目の途中でこれは失敗だったと悟る。 かなり粘性があって時間がかかり、手が疲れるのだ。 手だけではない。あふれないようにびんの中を見ていなければならない。 それには顔を低くしておかなければならないので、身体全体が疲れてくる。 「国盗り物語」の油売りの口上だったと記憶しているけど、 「枡は天竺、須弥の山」というのが口をついて出る。 なぜかついでに「さては南京玉すだれ」も。 二つのびんにだいたい半分ずつ入れたつもり。 でもちょっと差があるか。 ふたをしようとしたら、 ふたの裏についているポンプに結構かさがあることに気づく。 ふたをしようとすると、多くはいっているほうはシャンプーがあふれてしまう。 かといって、もう一方へ移すのも大変。 まあ適当にやって、最後はえいやっとふたしてしまった。 少々回りにこぼれたけどいいか。

リンスは前に買っておいた袋入りを出してびんに。 こちらも少々こぼした。

もったいないので、予定を変更して即・入浴。 びんの回りをこすってシャンプー・リンスするというのはかなりケチくさい。 実際にはそれでは量が少なすぎて、 あけたあとの袋に湯を入れて振り、それを使った。 (箱入りも中にはビニール袋がはいっている。)

付) 「枡は天竺、須弥の山」 は Google で検索したけど見つからないのでちょっと自信がない。 原作本は手元にあるのだが見るのがめんどうなので。

2005-10-23 (0) 00:20:15 +0900

ジージャンのポケットにマフラーと手袋が突っ込んであるのを忘れて着ていた

おとといまでワイシャツだけで出かけていたが、 寒くなってきたのできのうはジージャンを着ることにした。 が、あわてて出かけたのでポケットにマフラーと手袋が無造作に突っ込んであったのを忘れていた。 スター・ウォーズ「エピソード III」を見にいったとき持っていったコートのポケットにはいっていたのをここへ移したのであろう。

職場の食堂についてから気がついた。 落とさなくてよかった。って、落としたものがないとは限らないんだけど。

2005-10-23 (0) 00:13:35 +0900

自公連立政権は「違憲行為は行なわない」という合意はしていない?

18日づけ朝日新聞大阪本社版総合面の小泉首相の靖国神社参拝関連の記事 『「誠に残念」 / 公明・神崎代表』に 《ただ、連立政権への影響については 「連立の合意に靖国問題は入っていない。 連立を解消することはない」と明言した》 とあるが、 もしも首相の靖国参拝を公明党が違憲と考えていて、 かつ「違憲行為は行なわない」が連立の合意に含まれていれば、 連立解消となるのではないか。 (だからどちらかの仮定が成り立っていないのである。)

2005-10-21 (5) 02:43:27 +0900

首相靖国参拝>「国民と同じように」参拝すれば私的だから違憲でない?

17日の小泉首相の靖国神社参拝について、朝日新聞を読んでいるのだが、 18日づけ大阪本社版第一面から。 《過去4回と異なる「簡略式」の参拝をした理由について首相は同日夕、 記者団に「今までは総理大臣として特別に昇殿を許されて参拝していたが、 総理大臣になる前は今日のような参拝をしていた。 総理大臣である小泉純一郎が、 一人の国民として参拝する。総理大臣という扱いより、 普通の一般国民と同じように、ということがいいと思った」と説明した。 そのうえで、 「総理大臣の職務として参拝したんじゃない」と強調した》。

今までは総理大臣として特別に昇殿を許されて参拝していた》ということは、 これまでの参拝は総理大臣としての参拝だったということになるのかどうか。 総理大臣を特別扱いする宗教だが、 総理大臣としてではなく私的な参拝ということも考えられるか。

普通の一般国民と同じように》参拝しても、 総理大臣として参拝すれば私は政教分離に反すると思うから、 参拝の形式を変えることには意味がないと思う。 (たまたま靖国神社で戦没者に敬意を表しただけで参拝はしてはいない、 というのなら話は別。)

社会面の記事によるとこの日はかなりの警備がなされていたらしいが、 《総理大臣になる前は今日のような参拝をしていた》というのは、 このように警護されることもこめてだろうか? 一面の記事には 《首相は公用車で神社を訪れた》とあるが、これも?

総理大臣の職務として参拝したんじゃない》 が万人の認めるところだとしても、 「総理大臣として参拝した」とみなされる可能性があると思う。 教師をしていると卒業式のシーズンに謝恩会に招かれることがある。 あれは「教師の職務として出席する」のではないが、 「教師として出席する」ものである。 (卒業生の保護者も出席する謝恩会の場合、 教師でもあるが卒業生の保護者でもある、ということがありえる。 そのときには、「保護者としての出席ですか、 教師としての出席ですか」という質問をされることもあるだろう。)

「政治・総合」面の「靖国神社参拝後の首相発言(要旨)」によると、 《私的参拝ですか》との質問に首相は 《総理大臣の職務として参拝したのではない》とだけ答えている。

2005-10-21 (5) 02:41:15 +0900

ファントム・メナス>ダース・モールをああやって倒して危険はないか?

オビ=ワンがダース・モールを倒すシーンは VI のジャバ・ザ・ハットの砂漠船のシーンの“リメーク”と言えるだろう。 あそこではルークが甲板に足をつけてから、 落ちてくる剣を手に取る。どうして宙で剣をつかみ、 降りたときには二三人斬り倒していないのかと思っていたが、 それをここでやってくれたわけで、映画館で見たときは非常にうれしかった。

しかし、DVD をスロー再生したりして計ってみると、 オビ=ワンがダース・モールを飛び越えるのに 2 秒弱かかっているのだ。 この間に斬られる心配はないのか。 (ダース・モールの上を飛び越えるのだから、 床から 2 メートルぐらいの高さまで上がって下りると考えてよいだろう。 x = gt²/2 で地球上と同じく g はおよそ 9.8 [m/s²] とし、 x = 2 [m] とおけば t = ± 0.63... [s] だからほぼあっている。)

特に、頂点では垂直方向の速度はゼロになるので狙われやすい。 この危険を避けるには、 フォースを使って上昇している間にダース・モールを斬ることだ。 オビ=ワンの肩がダース・モールの足あたりにきたときに足を狙えば、 ダース・モールでも防御が間に合わないのではないか。 下りるときに念のため別の箇所も斬っておく。

付) もう一つ、 非常に高速度で上昇し、 ダース・モールの上まであがったところでフォースを使って急激に方向転換し、 高速度で降下する、という方法もある。 ただ、あまりに不自然な動きになるので、映像としてはおもしろくないだろう。 非常に高速で天井まで上昇し、天井を蹴って高速で着地、ならいいか。

2005-10-21 (5) 02:13:04 +0900

ファントム・メナス>アナキンはいんちき賭博をしたらお金がもうかったかも

ジェダイ評議会でのテストで透視能力があることがわかる。 あの能力をいんちき賭博に使っていたら、お金がもうかったのではないか。 単純な丁半ばくちでもポーカーでもよい。

そうやって自分でかせいでも奴隷の身分からは解放されないんだっけ?

2005-10-20 (4) 00:53:45 +0900

「お〜いお茶」のおまけマスコットで「お茶猫」が出たっ!

5つ並んでいたので、 ジェダイ評議会でテストされるアナキン・スカイウォーカーのように“透視”して、 猫が見えたような気がしたのを買ったら当たり! ジャスミン茶ネコ〈ミン〉だ。 私にもフォースがあるのか?

「お〜いお茶」を買ったらおまけのマスコットは黄色のお茶猫でやったー!》 で書いたのは陶器製。こんどのはプラスチックだが、 「お〜いお茶」の缶に抱きついていて、ちょっとかわいい。 しまった、ホームページのチェックもせねば。

付)お茶猫は一種類だけで、 お茶犬とは形が違うので袋のうえからよくさわればわかるはずだなあ、 考えてみれば。

2005-10-20 (4) 00:48:32 +0900

「午前12時か午後0時か」なんて言ってないで真夜中には寝てればよろしい

そうすれば何の問題もなくなる。かも。

2005-10-20 (4) 00:40:30 +0900

カナ漢字変換のようにして英語を入力するパロディーソフトってないのかな

[rait] と音を打ち込むと right とか write とか wright とかの候補が出てきてその中から選んで入力する。 英語の同音異義語は必ずしも多くないから、これだけではあまりおもしろくないか。

付)日本語のカナ漢字変換による入力ソフトで、「らいと」を変換すると 上に挙げた英単語のほかに light にもなる、というのはある。

付) フランス語なら、動詞の活用形などで同音の単語がたくさんあるから、 意味があるかも。って、この話、前に書いたような気がしてきた。

2005-10-19 (3) 20:41:55 +0900

プロ野球>引き分けはあるが、「これが最終回」とはわからなくしてはどうか

プロ野球>引き分けをなくし、これが最終回とわからないようにすると》 のように考えていたが、 《パ・プレーオフ>最終戦の最終回裏では同点の走者はサヨナラの走者でもある》 のように頭が混乱するので、 「引き分けはあり」とし、 選手に最終回とわからないようにするため 「ある回以降はコイントスで次の回にはいるかどうか決める」 のはどうだろうか。

……と思ったら、 《プロ野球>延長戦>コイン投げで「次の回へはいるか」を決めるとしたら?》 にすでに書いていた。 「引き分けあり」も一つの選択肢として。

付) あとは、勝率による比較をわかりにくく感じる人がいるのも事実なので、 「ゲーム差」をより現実的なものにすることだ。 このことは 《プロ野球>「ゲーム差」の改良を考える》 に書いた。

付) コイントスではなく、 ゲームが始まる前に何回でやめるかを決めておくがそのときまで誰にもわからない、 というやり方もある。 たとえば、 機械の中に何個かの玉がはいっていてレバーを操作すると一つだけ出てくるとする。 ある回以降、各回の終了時にアンパイアがこれを操作して玉を取り出す。 玉が出てくれば次の回に進むが、玉が切れればその時点でゲームは打ち切り、 すなわち引き分けとなる。 普通に勝負がつけば、この機械は全く関係なくなる。

2005-10-19 (3) 20:20:20 +0900

ことしのパ・リーグはプレーオフなしでも十分に盛り上がったのではないか

プレーオフ制度の導入は、早くから優勝チームが決まって白けるのを防ぐためだが、 ことしは5ゲーム差未満で終わったのだから、 プレーオフなしでも十分に盛り上がっただろう。

2005-10-19 (3) 20:15:44 +0900

Phinloda 氏が、ご自身のサイトに、 あれだけ首位から引き離された3位や4位のチームまで盛り上がったのはプレーオフのおかげだろう、 という趣旨のことを書いておられます。 その通りでした。 ただ、一番の盛り上がりはなんといっても首位争いだと思うので、 上のような発言になりました。

2005-10-27 (4) 00:52:10 +0900

もしも人肉がうまいなら、火葬場の“裏方”に食われる事件が起きているはず

もしも人肉がうまいなら、食っている人がもっといるはずだ》 でも考えたように、 もしもうまいなら今とは違う何かが起こっているであろう、 それは起こっていない、だから人肉はうまくないはずである、と考えているのだが、 また、その一つを思いついた。

火葬場ではどうせ骨にしてしまうわけだから、 肉を食っても誰にも気づかれない。 それがうわさになって、 “裏方”としてもぐり込んで肉を食う奴がでてきそうな気がするが、 そういう事件は全く聞かない。 さらに、 火葬場の人が病死かどうかを知りたがったり、 葬儀屋にも手を回してなるべく食べごろな時分に火葬場へ持ってくるように言ったりするだろう。 そういうことも全く聞かない。

付) 実際に裏で焼いている人の仕事は大変だと聞きます。

2005-10-19 (3) 20:02:26 +0900

「頑張れば報われる」と言っている人は「頑張った、報われた」のことが多い

6月24日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の、 プロ野球広島カープの野村選手の 2000 本安打の記事に 《「頑張れば、報われる」》という見出しが見える。 それを見て思っただけだが、 《背理法を理解できない人の中に「ならば」が理解できていない人がいるようだ》 と関連する。

2005-10-19 (3) 02:29:31 +0900

首相靖国参拝>特定の宗教施設への参拝を公約にする国ってどのくらいある?

本文ナシ

2005-10-19 (3) 02:28:36 +0900

「森」を「もり」と読むのは国訓だったのか……。

こっくんとうなずいたやつ>自分

2005-10-19 (3) 02:22:56 +0900

小泉首相靖国参拝>月曜日19時からのNHKラジオニュースが十分延びた

パ・リーグのプレーオフを中継していたが、 いつも通りに19時からのニュースなどのため中断。 普通は20分から再開だが、30分まで続いた。 いま事件が起きているとかいうわけでもないのに。

2005-10-19 (3) 02:17:42 +0900

「“It”と呼ばれた子」の原題は A Child Called "It" か…。

「一人の子が“それ”を呼んだ」とも訳せるな。 ……ということが言いたいんじゃなくて、 代名詞の it が補語になれるんだろうかと気になっていたのだった。 名詞の it と考えるべきか。

2005-10-19 (3) 02:00:57 +0900

スーファミ版ドラクエVの究極の(?)裏技を知ったので試してみた

VIの「ランプの魔王」 の2匹目以降はどんな名前だったかなとネットで調べていたら、 Vの究極の(?)裏技が書いてあるページを複数発見。 主人公が

のみをこの順にもち、一切「そうび」はしないでいると、 パーティーの全員が「会心の一撃」を出し、 仲間になるモンスターは必ず仲間になるというもの。 最初の二つは幼年時代のサンタローズでしか買えないので、 妖精の城へ行って子ども時代に戻るしかない(と思う)。 ああ驚いた。

6つのアイテムの最初の文字を縦に読むと「ひとしこのみ」となるが、 意味があるのかな? 「ひとし」と「このみ」という人名? 「ひとし」さんの好み?

2005-10-18 (2) 23:39:58 +0900

江戸時代の識字率は意外と低かった?

6月25日づけ朝日新聞大阪本社版 be の e5 面「昔も今も」は 「子育て」の3回目、『「識字」支えたこの100年』。 筆者は茨城大助教授の磯田道史氏。

江戸時代には識字調査はないが、明治の初めには行われている。 長野県北安曇野郡常盤村(現在の大町市常盤) では明治14(1881)年に満15歳以上の男子のみ882人の「識字調」が行われた。 国語学者の徳川宗賢氏が雑誌「国語学」にその結果を紹介している

これによると、 「数字も名前も自分の村の名前も書けない」35%。 「それぐらいは書ける」41%。 さらに進んで 「出納帳がつけられる」15%。 「手紙や証書が書ける」4%。 「公文書に差し支えない」2%。 「法令布達が読める」1%。 「法令布達が読め新聞論説を理解できる」2%。 つまり、自分の名前が書ける程度の識字率で65%。 新聞を読んで政治論争が理解できる人は2%であった。

江戸時代から日本は識字率が高かったという話をよく聞くのだが、 これを見ると意外と低い。 日本語は漢字かなまじり文が普通だがカナだけで書くこともできるので、 カナで自分の名前だけを書ける人を文字の読み書きができるとみなすかどうかで結果は変わってくる。

2005-10-18 (2) 22:47:41 +0900

パ・プレーオフ>最終戦の最終回裏では同点の走者はサヨナラの走者でもある

パ・リーグのプレーオフは昨夜、2勝2敗で最終戦を迎え、 ロッテが9回まででソフトバンクを下して優勝を決めた。

たしか延長は12回で打ち切りと決まっており、 引き分けた場合はレギュラーシーズンで上位だったソフトバンクの優勝となるところだった。 ということは、もしも12回表にロッテが1点をあげ、 その裏にソフトバンクがランナーを出した場合、 それは「同点のランナー」だが「サヨナラのランナー」でもあったわけだ。 同点になった時点でゲームを打ち切るのかどうかはわからないが。

実は、このこととカン違いしていたので、 8回裏あたりで出たソフトバンクのランナーをNHKのアナウンサーと解説者が 「同点のランナー」「逆転のランナー」 と区別していたのを不思議に思ったのだった。 この回ではもちろん区別することに意味がある。 《85 年、阪神が引き分けで優勝を決めた試合、九回裏終了時にテープが飛んだ》 と似た間違いだな。

2005-10-18 (2) 01:42:40 +0900

郷富佐子氏>いきなり見えない定冠詞つきの名詞で始まる文章

7月5日づけ朝日新聞大阪本社版「惜別」面の、 指揮者カルロ・マリア・ジュリーニ氏の追悼記事。 筆者は郷富佐子氏であるが、冒頭の 《20世紀を代表する指揮者は、「すべてを、さもなくば無を」の人だった》 でつまづいた。 誰のことを指しているのかわからなかったからである。 普通に考えればフルトヴェングラーかカラヤンが浮かぶのではないか。

古風な書き方をする人だと思っていたので、ちょっと意外だった。

2005-10-18 (2) 01:24:18 +0900

朝日新聞>その大学院生の英語でのつたない発表って、抜き打ちだったのか?

8月24日づけ朝日新聞大阪本社版科学面「新科論」は「英語でどうぞ」の「上」。

「セルス、えーと、キャンノット・リブ、えーと、ディーズ・セルス、 えーと、ゴー・トゥー・アポトーシス……」(細胞群は生き残れず、計画的な死に至る……)

京大の大学院生が大学を訪れた外国人研究者に自分の研究結果を英語で発表しているところなのだが、 教授にいきなり抜き打ちでやらされているのか、 それとも準備する時間があったのか、が全く書かれていない。

英語での発表は、 慣れないうちは完全な原稿を用意してきてほとんど読むものだ。 小学校低学年のころ、みんなの前で何かを発表するときも、そうだったではないか。 (そのときは日本語だったけど。)

この連載は、田村建二が担当します》とあり。

付) 《朝日新聞>英文をカタカナ書きすることにどういう意味がある?》 で「下」を先に取り上げた。 8月31日に「中」があったのかも知れない。

2005-10-18 (2) 01:04:59 +0900

自転車が通行できる歩道でも走れるのは車道側の半分だけのはず

2004年11月6日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「言いたい」の、 渡辺敏昭さんの投書「自転車は車道へ」。 この方は、 自転車が通行できる歩道でも走れるのは車道側の半分だけだということを知っておられないようだ。 それはともかく、編集部はコメントなしで載せるのか。

2005-10-18 (2) 00:56:13 +0900

「クラブサン」を「クラブの3」と誤解している人はいないか

本文ナシ

2005-10-18 (2) 00:54:46 +0900

朝日新聞>「??」という活字もあるの?

半角の疑問符を横に二つ並べた、縦書き用の活字。 2004年11月6日づけ大阪本社版生活面「疑問解決モンジロー」 で使われている。 不思議なことに、前の文字との間が活字半分ぐらい空いている。

2005-10-18 (2) 00:50:25 +0900

朝日新聞>日米野球の個人成績で一部の選手の数字が縦にそろっていない

2004年11月6日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の、 日米野球第1戦の結果。 大リーグ選抜の選手で、 名前がカナで6文字以上になるため特別に細い活字を使っている選手のみ、 成績の数字がほかとそろっていない。

2005-10-18 (2) 00:46:05 +0900

「しるし」ぐらいの意味にすぎない「象徴」の用法

2004年11月6日づけ朝日新聞大阪本社版「政治・総合」面 「岡田代表 / 自衛隊観閲式出席へ / 「現実政党」をアピール」に 《防衛庁幹部は「防衛政策に野党が目を向けてきた象徴」と歓迎》 とある。 この「象徴」は「しるし」ぐらいの意味か。

2005-10-18 (2) 00:41:34 +0900

朝日新聞>「打ち消せられる」ってどういう形だろう?

17日づけ大阪本社版スポーツ面の、パ・リーグのプレーオフの記事。 ロッテの側から見た記事に 《前日に4点差を逆転されたショックを、 あと一歩のところで打ち消せられるはずだった》とある。

「打ち消す」は五段動詞で、 「打ち消せ」はその已然形または命令形、と解釈すると「られる」が続かない。 だからこれは可能動詞「打ち消せる」の未然形であり、 それに助動詞「られる」が続いているのだろう。

で、どういう意味になるの? 由利英明と署名あり。

2005-10-18 (2) 00:30:35 +0900

朝日歌壇>「数列にリリリリリリと虫の音まじる」の「数列」は数学用語?

17日づけ朝日新聞大阪本社版「歌壇」に載った、 武蔵野市の中山真彩子さんの 「徹夜する耳のみ冴えて数列にリリリリリリと虫の音まじる」。 四名の選者のうち三名がこれを選んでいる。 それのみならず、三名ともこの歌を「評」でとりあげているのだが、 三名とも「数列」を数学用語と解釈している。 「いくつかの列」という意味の「数列」という語もあるのだが。

その評の一つによると、作者は高校生だそうだ。

2005-10-18 (2) 00:23:30 +0900

郷富佐子氏>『イタリア語では団結、連合を意味する「ウニオーネ」』は簡潔

17日づけ朝日新聞大阪本社版国際面『予備選で「首相候補」 / イタリア中道左派連合 / 国政レベルでは初』。 郷富佐子氏。 《中道左派9政党は2月、 「ユニオン」(イタリア語では団結、連合を意味する「ウニオーネ」) を立ち上げた》とある。 ここで「ユニオン」と呼んでいるのは「ウニオーネ」を日本語に訳したもので、 その際、外来語を訳語に選んだということなのだろう。 この説明は簡潔でうまい。

2005-10-18 (2) 00:16:15 +0900

朝日新聞>「大仏様も酔った?」ってどういうつもりで書いている?

17日づけ大阪本社版第一面「フルオケの響奏 / 大仏様も酔った?」。 東大寺の大仏殿でオーケストラによる奉納演奏があったというのだが、 「大仏様も酔った?」というのはどういうつもりで書いているのだろうか。 大仏が信仰の対象であることを考えたら、 このような面白半分の見出しはつけるべきでないと思うのだが。

2005-10-18 (2) 00:11:53 +0900

「古書」は確かに古い書物の意味だが、どのくらい古いものを指す?

16日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、 17 歳の高校生、鳶野記子さんの投書「漱石の作品はお堅くないよ」。 《私と同年代で「古書は難しくて自分には理解できない」 と思っている人が多いようだ》、 《私と同年代の人も、古書を「自分とは縁遠い」と決めつけないでほしい》 とある。

私は漱石の著作は古書にははいらないと思っていたので意外だった。 広辞苑第五版を見ても、 どのくらい古かったら「古書」と呼ばれるのかは書かれていなかった。 (この語には「古本」の意味もある。)

2005-10-18 (2) 00:04:23 +0900

NHKラジオ「英会話上級」>大学図書館の端末室でおしゃべりするシーン

きょうの放送分は主人公の青年とその girlfriend が大学図書館でコンピュータ端末を前におしゃべりをするシーンだった。 ほかの学生が三回「しーっ」を発し、主人公たちが Sorry と言うのだが、 心から謝罪していないことは声の調子から明らか。

なんだってこんな不快な内容にするんだろう?  先週分で大学教授が日本ではサービス残業が行われていると講義するシーンでは 「これは違法です」との先生のコメントがはいったが、今回は何もなかった。 講師は高本裕迅氏。

付) girlfriend と書いたのは、英語のト書きでそうなっていたから。 日本語訳でも「ガールフレンド」となっているのは girlfriend という語に対する誤解を招くからよくないと思う。

2005-10-17 (1) 23:48:53 +0900

きょうの補筆箇所

付)この「きょうの補筆箇所」に「きょうの補筆箇所」が載るのは初めてか!?

2005-10-17 (1) 02:24:59 +0900

幼稚園児のころ「任意の置換は巡回置換である」と思い込んでいた話 ^^;

幼稚園では、クレヨンでお絵描きをした。 いろいろな色を使っているうち、全部のクレヨンを机の上に出してしまう子、 使ったクレヨンは必ず箱の中の元の位置に戻す子、さまざまだったと思うが、 私はその中間だった。 ときどき、空いているところに適当にクレヨンをしまう。 よって、 お絵描きの時間が終わるころには箱の中のクレヨンはめちゃめちゃな順番に並んでいる。

片づけるときには、それを正しい順に戻すようにしていた。 その際、正しい位置に置かれていないクレヨンの一本をまず手にとる。 それを正しい位置に収める。代わりにそこにあったクレヨンを手にとる。 これのくり返しで必ず正しい位置に全てのクレヨンが収まる、 と理解していたはずである。

「はずである」というのは、大学一年で 「任意の置換は共通な要素を含まない巡回置換の積で書ける」と習ったとき、 「幼稚園のときには『任意の置換は巡回置換である』と思い込んでいたんだ」 とはっとした記憶があるからである。 幼稚園のお絵描きの時間のクレヨンの置換がいつも巡回置換であったとは思えない。 おそらく、 一つの巡回置換に沿っての操作を終えても正しい位置に収まっていないクレヨンがあった場合は、 そのクレヨンを手にして同じプロセスをくり返していたものと思われる。

2005-10-17 (1) 02:04:54 +0900


すのもの Sunomono