8日づけ大阪本社版生活面の、中高年のボウリングに関する記事。 終わりのほうに「マイシューズ」「マイボール」なる語がでてくるが、説明がない。 確かボウリング場では靴もボールも貸してくれる。 そうではなくて自分のものを持ち込む、という意味だと思うが。
「桑山朗人」と署名あり。
2005-03-10 (4) 02:54:43 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、
看護師、鈴木洋子さんの投書「面接の問題がネットで流出」。
高2のお嬢さんが受けられた英検2級の試験のことで、
《テレビのニュースで、
2次試験の問題が先に面接を終えた人によってインターネット上の掲示板に書き込まれていたという。
流出後に面接に臨んだ人は、出題内容を事前に知ることも出来るだろう
》
という趣旨である。
大学入試で面接試験が課される場合は、 まず大きな部屋に受験生が全員集められる。 その時点から試験は始まっているので、携帯電話などを使うことはもうできない。 そして一人ずつ別室へ連れていかれて面接され、 済んだら帰らされる。 最初の部屋には戻れないので、 まだ面接を受けていない受験生に情報を伝えることはできない。 最後の受験生が面接を受ける前にインターネットの掲示板に聞かれたことを書いても構わない。 あとから面接を受ける受験生はそれを見ることができないのだから。 英検もこのようにやっていれば問題はない。 (そうだとすると、上の引用の最後の部分は当たっていないことになる。)
また、英検の面接では、出る問題のタイプはすでにわかっており、 そのうちのどれかが出る、と聞いたことがある。 そうなら、済んだ人からまだの人に情報を伝えてもほとんど意味がない。
もう一つ。 数学の大学院入試の場合、 先に受けた人が何を聞かれたかを知ってもそれからではどうしようもないことが多い。 また、質問はそれまで勉強してきた分野に応じてなされるので、 一人一人違うこともある。
付) さらに厳密なやり方だと、 先に済んだ受験生を全試験が終わるまで “閉じ込めて”おく部屋が別に用意されるようである。
2005-03-10 (4) 02:47:52 +0900
上で 「また、英検の面接では、出る問題のタイプはすでにわかっており、 そのうちのどれかが出る、と聞いたことがある」と書いたが、 どれが出るかは受験生ごとにばらばらである、の意味である。
2009-04-05 (0) 02:03:31 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、
大学教員、堀内泰紀氏の投書「電子辞書普及 語彙力が心配」。
どうやら、第二外国語を教えておられる方のようである。
《ワープロの発達にともない、
読めても書けない漢字が増えてきたのと同じように、
便利な電子辞書検索に頼り切ってしまうと、
確実に単語を覚えなくなってしまうのではないか
》
という趣旨であるが、どうしてそうなるのかという説明がない。
紙の辞書だとひくのがめんどうだから一度ひけば覚えた、
ということなのだろうか。
本当にそうなら、電子辞書にしかけをし、 直前にひいた語をまた検索すると時間がかかるモードをつけるとか、 そういうことで防げるかもしれない。
また、こまめに小テストなどをするようにすれば、 学生は覚えるのではあるまいか。 普通は辞書持ち込み不可だろうし。
紙の辞書と電子辞書とで学習効果がどのくらい違うか、 誰かきちんと研究しないかな。 語学教育の分野では業績にカウントされるだろうに。
便利なものを与えると学習効果が下がるというなら、 紙の辞書を持たせることの是非も議論すべきではないか。 辞書の入手が困難だった時代の学習者のほうが単語をよく覚えたかもしれない。 「あとで辞書をひけばいいから」と油断することがないので。
付) 電子辞書だと、 動詞のすべての変化形がはいっていて、 どの形で検索しても OK, とすることも可能だろう。 そうすると変化をきちんと覚えなくなるおそれがある。 でも、そういうことを言っているのではないようだ。
2005-03-10 (4) 02:23:48 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版の、
《森林浴を科学する / 「国民参加の森林づくり」シンポ》の面の、
山折哲雄氏の基調講演「日本人の心 育んできた森と山」に
《インド仏教では、人間は死後、
西方十万億土という無限のかなたにおもむく。
しかし日本の仏教では、魂がおもむくのは森のこずえであり、
山の頂だという
》とある。
「南総里見八犬伝」で悪人が人を殺すときにはよく 「十万億土へ走りね」と言っていたと思うし、 今でいう死出の旅に近い考え方も出てきたように記憶している。
2005-03-10 (4) 02:13:30 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版の、
《森林浴を科学する / 「国民参加の森林づくり」シンポ》の面の、
山折哲雄氏の基調講演「日本人の心 育んできた森と山」に
《お祭りのダシは山車と書く。山が中心なのだ
》とある。
平凡社大百科事典には
《〈山車〉という当て字は、
祭りの場に神霊を招くために設置された〈作り山〉に由来するものであろうことは、
ほぼまちがいがない
》とあった。
新字源で「山車」をひくと「さんしゃ」という読みも載っており、
《もと、車の上にやぐらを設け、
いろどりのある幕を張り山林の形を作ってあった
》と解説がある。
日本語としてのみの用法、というマークはついていないし、
「通鑑」(この字典における「資治通鑑」の略記)がついているところからすると、
それに用例があるのであろう。
そうだとすると、山折氏の言おうとしている、 日本人固有の山との交わり方を裏づけるものではなくなるような気がする。
2005-03-10 (4) 01:47:26 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の、阪神と西武のオープン戦の結果。 阪神が指名打者を使っているのに対し、西武は使っていない。
しばらく考えてしまったが、 今年から、シーズン中に相手リーグのチームとの試合が行なわれ、 その成績もペナントの行方に関係してくるのではなかったか。 その試合が指名打者なしのルールで行われる?
付) 8日づけに掲載された中日と西武の試合も同様。
2005-03-10 (4) 01:44:05 +0900
本文ナシ
2005-03-10 (4) 00:34:14 +0900
2004年12月31日づけ朝日新聞大阪本社版
「紀宮さま・黒田さんご婚約 Q&A」の中に
「紀宮さまの和歌」として
「幼らのあやとりの輪に加はりて毛糸の橋に指を添えゆく
」があがっているが、
「加はりて」は歴史的かなづかい、
「添えゆく」は現代かなづかいだろう。
(歴史的かなづかいなら「添へゆく」。)
2005-03-10 (4) 00:32:41 +0900
六日目に二倍集め、七日目の安息日にはなかった、と第 16 章にある。
でも、そうだとすると、前半で民がつぶやくのも安息日となりそうだ。
2005-03-09 (3) 23:13:26 +0900
ちょっと前に、朝日新聞の「青鉛筆」で見たような記憶があるのだが、 どこかの地方都市で町中に私服警官を立たせてみたら、 信号無視の自動車運転者がかなり捕まった、という話。 そこに「赤信号無視」と書いてあったような気がして、ふと思った。
だから、「信号無視」でいいのでは、と言いたいのだが。
2005-03-09 (3) 22:34:02 +0900
本文ナシ
2005-03-09 (3) 22:29:34 +0900
むかし英会話番組で聞いて覚えたのだが、 hot には「熱い」と「辛い」の両方の意味があるので、 区別する必要があるときには前者を hot-hot, 後者を spicy hot と言って区別するのだそうだ。 (正式な言い方ではないのか、辞書には載っていないが、 google でこの二語を検索するといくつかのページが見つかるから、 私の記憶違いではないようである。 ただし、 「hot-hot」と間にハイフンを入れるのかどうかは定かでない。)
一方、 日本語の「はやい」には「早い」と「速い」の意味があって、 漢字で書かないと区別できないのは不便である。 区別したいときに、 漢字を持ち出さなくても区別できる方法を考えたい。 「速い」のほうは「足が速い」をつづめて「足速い(あしばやい)」 はどうだろうか。 (「足早(あしばや)」という語は現にある。 しかし、「早」のほうを使うのは不思議である。)
一つの思いつきに過ぎない。念のため。
付) 漢字一つ一つに呼び名があれば、 「早」「速」の名前を添えて区別する方法があるのだが。 (「『さっそく』のあの字を書くほうのハヤイです」ではだめである。 「さっそく」は「早速」と書くので。)
付) 外国語を添えて「early の意味でのハヤイ」「rapid の意味でのハヤイ」 とするのが最も現実的かもしれない。 エスペラントだと frua と rapida か。
2005-03-09 (3) 21:33:46 +0900
インスタントコーヒーとクリープをカップに入れて上からお湯を注ぐ人と、 とりあえずブラックコーヒーにしてから入れる人といるようである。
このあいだ、気がついた。 私はいまはコーヒー断ちをしているし、その前もブラックで飲んでいたので関係なし。
注)クリープは商品名だが、こういうのが一番わかりやすいと思うので、使った。
2005-03-08 (2) 23:52:04 +0900
本項は 《フランス語講座応用編>2004 年九月 24 日(金)分》 に書いたことを単独でとりあげて発展させたものである。
日本語でフランス語を教えている際、問題番号の 1, 2, 3, ... は「いち」「に」「さん」と読むであろう。 では、a, b, c, ... はどうするか。 日本語では「エー」「ビー」「シー」というのだ、というなら、 そう読めばよいだろう。 だが、現実には「ア(ー)」「ベ(ー)」「セ(ー)」のように読む先生が多い。
英語からの借用でない、日本語としての字母名が確立していれば、 なに語について語るときもそれを使えばよいと思う。 いま慣用になっている名称は英語からはいったものだとの意識が強く働くため、 英語以外の言語を教える際には避けたくなってしまうのではあるまいか。
付) 《日本語>アルファベットに、英語だけに依存しない呼び名をつけよう!》 参照。
2005-03-08 (2) 23:45:13 +0900
「セミに見せ」のまん中に「人間、現に」を入れたもの。
2005-03-08 (2) 23:29:12 +0900
最後だから何かしんみりしたお話があるかと思ったら、なかった。 おまけとして、 きのうきょうとお話を聞かせていただいたシェフのオリジナル・レシピの紹介があって、 普通におしまい。
2005-03-08 (2) 22:34:52 +0900
《フランス語講座応用編>九月 18 日(土)分》 まで書いて続きがなかったので、 どうしたのかと思われたかたもおられるであろう、 と考えているのは私だけの気もするが、英語番組のテープに一緒に録音し、 そちらはずっと遅れて聞いていて、 それにつられてきょうになってしまったのであった。
練習1は、
「各項目の 1, 2 と a, b
のどちらかを選んで内容に合った組み合わせを作りましょう
」
というものだが、歌子先生は
「1」「2」を日本語で「いち」「に」と読まれ、
「a」「b」はフランス語で発音されたので、なんだか変だった。
(「ア」「ベ」とフランス語風に日本語で読まれたのではなく、
フランス語として読まれたのである。)
2005-03-08 (2) 22:16:35 +0900
歌子先生のお話によると、 Adriana さんの家へ呼ばれると料理を作っているのはいつもご主人だ、 とのことだった。 《NHKフランス語講座>六月 17 日(木)分》 がふと思い浮かんだ。
2005-03-09 (3) 22:10:24 +0900
「腐ってしまえ」はコーラン第 111 章のタイトルの日本語訳。 井筒俊彦訳「コーラン下」(岩波文庫、1958 年、1964 年)。
2005-03-08 (2) 20:51:26 +0900
本文ナシ
2005-03-08 (2) 20:50:11 +0900
本文ナシ
2005-03-08 (2) 20:49:09 +0900
「ウルトラQ」の主人公の姓である。 実際には「マンジョーメ」と発音されるが、 カタカナで「マンジョウメ」と書かれるとカン違いしやすいような。
2005-03-08 (2) 20:45:29 +0900
シャープがつく音は順に F, C, G, D, A, E, H である。 その次は Fis になるわけだが、 だったら最初の F につけたのをダブルシャープに変えるほうがいいのかも。
こんな調号つかうやつはまずいないから考えても意味ないのだが。
2005-03-08 (2) 20:43:48 +0900
同音にはならないであろう。 普通に発音すれば、「ドレイ」でなく「ドレー」となるからである。
2005-03-08 (2) 19:09:21 +0900
2005-03-07 (1) 01:44:21 +0900
6日づけ大阪本社版社会面の、土佐くろしお鉄道の事故の記事に、
運転士が
《何らかの理由で正常なブレーキ操作をできない状態に陥った人為的な原因との見方を強め
》
とある。
《「人為的ミス」って言い方があるのか……》 では「人間が犯したミスのことをこういうらしい」と書いたが、 それとも違う。 機械の欠陥ではなかった、ということか。
ところで、最初の記事からずっと、 事故の起きた宿毛駅がこの線の終点だということが書かれてないようである。 終着駅でなくても行き止まりで車止めがついていることはありえるが……。
2005-03-07 (1) 01:29:59 +0900
飛行機で運ぶのである。
2005-03-07 (1) 01:27:50 +0900
6日づけ大阪本社版掲載分の第 168 回。
まん中あたりには「エレーナ・ディミトリウス
」、
終わり近くには「エリーナ・ディミトリウス
」とある。
登場したのは一人だと思ったが……。
2005-03-07 (1) 01:25:58 +0900
豪雪地・金沢」って冗談でしょ?
6日づけ大阪本社版 Science&Technology 面「桜前線異状アリ」に
《豪雪地・金沢の方が南国・鹿児島より早く咲いた年が10年間に2回
》とある。
金沢は、確かに雪は降るが、豪雪地ではない。
ところで、ソメイヨシノは江戸時代末にできた品種で、 すべて接ぎ木で増やしているので日本中にあるのがクローンなんだそうだ。 何年か経つと一斉に歩き出す、なーんてことが起こると怖いな。
2005-03-07 (1) 01:17:50 +0900
6日づけ大阪本社版国際面。
《調和のとれた発展を表す「和諧社会」をキーワードに
》などとある。
普通の読者も知っていると考えて使っているのか、 それとも新語だから知らなくてよいのか。 西洋語だったら訳されるところか、カタカナ書きでそのままか。 訳した結果がこれではあるまい。
2005-03-07 (1) 01:12:30 +0900
2004年7月26日づけ大阪本社版社会面、 「滋賀の川増水 / 17人一時孤立」に出てくる地名。 「杠葉」が行末にあり、次の行の頭に「尾」なので完全に均等とは言えないが、 たぶん間違いなくそうである。
「尾」は「お」だろうから、「杠葉」に「ゆずり」と振るかと思ったのだが。
そう考えるのが誤りか。 「尾」が「お」だから残りのカナは残りの漢字につくと考えることが、である。
2005-03-06 (0) 23:25:14 +0900
2004年7月26日づけ大阪本社版スポーツ面。 《朝日新聞>プロ野球>一文字姓の選手が三つの守備位置についた例があった》 に書いたのと同様である。
2005-03-06 (0) 23:23:39 +0900
けさの朝日新聞大阪本社版「天声人語」冒頭。
《あなたの学校では卒業式に何を歌いますか。
音楽之友社が、全国の音楽教諭230人に尋ねたら、
意外な結果が出た
》というのだが、
「歌」と答えた人はいないだろうな。
キリスト教(プロテスタント)系の学校なら当然のこととして讃美歌を歌うだろうが、 そのことには全くふれられていない。
私の出身高校では、学校の歌を歌ったことは覚えている。ほかには?
2005-03-06 (0) 20:09:29 +0900
2月28日の朝日新聞にはさまってきた、ユーキャンの通信講座広告特集。
その「パソコン入門」のページに
《完全セット! 講座をお始めいただくにあたり、
この他に何も買い足す必要はありません
》とあるが、
電気がひいてある必要があるのではあるまいか。
インターネットも習うそうだが、それには電話も必要?
2005-03-06 (0) 20:08:45 +0900
2004年12月30日づけ大阪本社版社会面「親パチンコ中、乳児死亡」。
《同市内の会社員(29)の長女(6カ月)
がぐったりしているのを会社員と妻(36)が気づいた
》
の二度目の「会社員」は“代名詞”で、前に出た「会社員」を指すのであろう。
次の文章
《会社員らは自分の車で長女を同市内の病院に運んだが、
すでに死亡していた
》の冒頭の「会社員らは」を読んですぐに
「この夫妻は」の意味だとわかる人は、かなり朝日新聞に毒されていると思う。
私はとおりかかった会社員かと思った。
以下には「両親は」「両親から」が出てくるが、 これは死亡した長女からみた両親であって、会社員たちの両親ではないと思われる。
……って、前にも似たことを書いたような気がする。
2005-03-06 (0) 16:56:46 +0900
靖国神社参拝をヒトラーの墓参りにたとえる意見をときどき見るので。ふと。
2005-03-06 (0) 16:49:36 +0900
2004年12月30日づけ大阪本社版「2004 そのとき」。
「アラファト議長死去」と題された写真に
《花で覆われたアラファト議長の墓で祈るパレスチナの兵士たち
》とある。
確かに目に指をあてて泣いている兵士が三人ほど写ってはいるが、
ほかの兵士たちはただしゃがみこんでいるだけである。
「墓に参る」「墓参りをする」 はイスラム教徒に対しては不適切な表現だと思うが、 これも変だ。
2005-03-06 (0) 16:44:15 +0900
2004年12月30日づけ朝日新聞大阪本社版の中ほどの、 新潟中越地震の面の写真。 お腹の大きなお母さんに2歳の子が向かい合っているが、 お腹の前にかざしているのは、よく見ると携帯電話である。
2005-03-06 (0) 16:40:11 +0900
いれば「鷹賀選手が〜」となるな、と。
それだけ。
2005-03-06 (0) 16:36:24 +0900
ちょっと前から気になっていた。 たとえば、2004年12月29日大阪本社版文化・芸能面の 『ナイロン100℃が新作「消失」』の、タイトルではなく本文。
付)一瞬、ABC文体で「おかC」としようかと考えたが、やめた。
2005-03-06 (0) 16:30:37 +0900
載るとしたら、2004年12月29日づけ石川面掲載分の「下」だったのだが。
《朝日新聞石川面>北鉄バスの実質的値上げについて全く記事にしていない》 参照。
2005-03-06 (0) 16:26:13 +0900
2004年12月29日づけ朝日新聞大阪本社版 「科学・医療」面のスマトラ沖地震の記事。
スマトラ沖大地震では海岸で津波が足元まで来て、 ようやく逃げる人の映像がテレビで放送された。 「あの程度のものかと思われるのが怖い。 10メートルの津波が押し寄せる様子を想像してほしい」と、 東海地震を警戒する静岡県防災情報室の担当者は話す。
津波の体験ができる施設はないのだろうか? 透明なドームの中から見るとか、 小高くなっているところから見るとか。
被害にあったかたには不謹慎に聞こえるかもしれないが、 アトラクションとしての使用も考えられよう。
地震そのものについては、床を揺らして体験させる装置が現にある。
2005-03-06 (0) 16:21:34 +0900
2004年12月29日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面「ハーフタイム」に
2005 年のシーズンからの読売ジャイアンツの新ユニホームについて
《グレー地に、左胸に帽子と同じ「YG」マークをあしらったデザイン。
胸の文字が1文字になるのは、「巨」の1文字だった時以来で61年ぶりだ
》
と書かれている。
確かに「Y」と「G」を完全に重ねて一文字のように見せているが、
文字の数は二であろう。
筆記試験に「**字以内で述べよ」というのがあるが、 そこにこの“テクニック”が使えないかと思って。
2005-03-06 (0) 16:12:39 +0900
軽はずみで、水をはるかかなたにまでまいてしまった、と。
2005-03-06 (0) 16:07:25 +0900
記述問題解く教室に」
2004年12月29日づけ大阪本社版掲載分は
林泉氏の歌「鉛筆の音が隊列なしてくる記述問題解く教室に
」。
大岡信氏は
《試験監督の感じがよく表現されている。
その問題が記述問題であるのが実感を強める
》と書いておられるが、
数学の試験なら、たとえ穴埋め問題でも選択式問題でも、
「鉛筆の音が隊列なしてくる
」ことに変わりはないと思うのだが。
2005-03-06 (0) 15:37:01 +0900
「浜崎憲孝」は「ちびまる子ちゃん」に登場する「ハマジ」の本名。 《ちびまる子ちゃんの「ハマジ」は新八犬伝の「浜路」からじゃないのか……》 参照。
モデルとなった人物が出した本のタイトルなどもそこにあげておいた。 その人の本名もこの通りだとすると、 子どものころ、 自分の名前をひらがなで書いていたときに気づいた可能性もある。 しかし、Google で「浜崎憲孝 語り 回文」を検索しても 0 件だった。
2005-03-06 (0) 15:27:47 +0900
縦書き、見開き二ページ分の注を左ページの左端につけているが、 451 ページは列王記上の最後のページで本文がなく、注のみである。 しかし、running head は 450 ページのものをそのまま載せている!
2005-03-06 (0) 01:31:47 +0900
本文ナシ
2005-03-06 (0) 01:22:53 +0900
音という姓はあるし、シモンは聖書に由来する名前。
2005-03-06 (0) 01:20:59 +0900
本文ナシ
2005-03-06 (0) 01:18:21 +0900
さてその「×××」とは? 答え:つくし。
普通、「売り×××」とあれば売り物の×××だと思うだろう。 しかし、この人が見たのは「売りつくし」での貼り紙で、 もちろん「売り物のつくし」の意味ではなく、 「売りつくしセール」のことだった、というオチ。
2005-03-06 (0) 01:17:03 +0900
Wizardry の Diadem of Malor か? 香林坊大和7階で武者人形を見て。
2005-03-06 (0) 01:11:26 +0900
香林坊大和6階でステンドグラスの展示即売を見て、 コンピュータ画面で済ませられれば場所を食わないし、 安上がりにできるだろう、と思ったのだった。
黒いところがまっ暗にならなくてうまくゆかないような気もする。
2005-03-06 (0) 01:08:35 +0900
職場からの帰り、学生が頼んで両替してもらっているのを見た。
IC カードが導入され、 前は回数券を使っていた人でこれに切り換える人が増えている。 IC カードは車内でも運転手にお札を渡せば積み増しできる。 よって、運転手はかなりの額の五千円札・千円札を持っているものと思われる。
そのお金を狙った強盗が現れなければよいが。
付) 一万円札を両替してもらえたとしても、 それはあくまでも運転手の好意であると思われる。 旅行で金沢にこられてバスに乗られる際は小銭を用意されたい。
付) 以前から車内売りの回数券もあったが、 もっと割引率のよい回数券があったので、それほどは売れていなかった。 《朝日新聞石川面>北鉄バスの実質的値上げについて全く記事にしていない》 に書いたように、 IC カード導入と同時に割引率のよい回数券は廃止されたので、 割引率は下がっている。
2005-03-06 (0) 00:59:25 +0900
「ウルトラマン」「ウルトラセブン」以来、 超人に変身する本人以外の劇中の人物は誰も超人の正体を知らない、 というのがお決まりになっている。 では、逆転の発想で、 「本人以外はみんな正体を知っている」というのはどうだろうか?
説明のわかりやすさのため、人間側の組織は「ウルトラマン」の科学特捜隊とする。 そして、イデ隊員が第一回でウルトラマンと衝突したとしよう。 ほかの隊員たちの前にウルトラマンが現れ、申しわけないことをした、 代わりに私の命をこの男にあげよう、などと言う。 君の命を? 君はどうなるんだ? というハヤタの問いに、 ウルトラマンはこの男と一心同体になるのだと説明する。 そして、以後、イデ隊員がピンチになって意識を失うと、 代わりにウルトラマンが登場する。 他の隊員たちはそのことを知っているが、 イデだけは全く気づいていない。---
イデ隊員は、 怪獣にやられたと思っても死なないし、 自分が意識をなくしている間にだけウルトラマンが登場するので、 「オレ、本当にウルトラマンじゃないのかなあ?」 などと言いそうである。 (実際には、ハヤタについてそうつぶやくシーンがある。)
又。 ほかの隊員たちも視聴者も、 ウルトラマンを登場させるにはイデを気絶させなくては、 ということを理解している。 それは、本当の「ウルトラマン」 でハヤタとほかの隊員が一緒に行動していてピンチに陥ったとき、 ハヤタや視聴者が “彼(あるいは彼女)が気を失えばウルトラマンに変身できるのに!” と思うのと同一である。
又。 ほかの隊員たちは、 早く怪獣を倒して帰るにはイデを気絶させるのが一番だ、 とわかっている。 だから、怪獣退治がめんどうになると、 たいしたピンチでなくてもムラマツが目くばせをするだけで、 アラシは用意しておいた金だらいでイデの頭を殴って失神させる。 そのとたんウルトラマンが現れ、 ほかの隊員たちはほっとする。 「やれやれ、これであと3分たったら帰れるぞ」。
又。 イデ隊員が「小さな英雄」の回のように、 「ウルトラマンさえいればおれたちはいらないんじゃないか?」 と考え始めたらどうする? もしも彼が科学特捜隊をやめてしまったら、 科特隊のピンチの際、ウルトラマンが登場しなくなってしまうのである!
2005-03-04 (5) 20:55:31 +0900
「来いよ」はやや乱暴なことばづかいであるから、 「よいこ」に向かって発するのは不適切かも。
「宵子は故意よ」なんてのもできるな。彼岸過迄ネタ。
2005-03-04 (5) 20:30:37 +0900
2005-03-04 (5) 01:18:26 +0900
鴬谷で何かを煮出したらいい匂いがしたのか、胃がグウと鳴った、と。
きょうは回文ビームが山手線を回っているらしい。
2005-03-03 (4) 22:34:23 +0900
秋葉原で、騾馬(らば)は木につないだ、と。 「騾馬破棄秋葉原」とか「騾馬吐き、秋葉原」なども可。
2005-03-03 (4) 22:30:08 +0900
高田馬場にある野田さんちに住んでいる、と。
2005-03-03 (4) 22:23:15 +0900
「おお」は感動詞。
2005-03-03 (4) 22:19:58 +0900
品川さんが私の名は品川だと言っている。
2005-03-03 (4) 22:18:26 +0900
新橋さんが牛の番をした、と。
2005-03-03 (4) 22:16:42 +0900
「ちまたでは左派で田町」なども。(この場合の田町は人名。)
回文ビームを浴びた某氏の某サイトで見た某回文を少し長くしてみたもの。
2005-03-03 (4) 22:14:43 +0900
下見するから休みたい、と。
2005-03-03 (4) 22:11:23 +0900
本文ナシ
2005-03-03 (4) 22:09:15 +0900
2月27日づけ大阪本社版掲載分の第 161 回分。
《日本人が感動するクラシックは未だに大正音楽なのよ。
宵待草と枯れすすき。ビブラートとポルタメントをだらだらに使った、
センチメンタルな演奏。
そうすれば感動させられることくらいわかっているけど、
プロの演奏家なら恥ずかしくて、そんなでたらめな演奏できないわ
》
と、音大卒のAD、神田は園子のビオラ演奏について語る。
これまで、この小説の中で、 なぜ園子のビオラ演奏がそれほどまでの喝采を日本中にひきおこしたかの説明は、 確か、書かれていなかった。 これが真実の理由なら、 すでに登場した、 辛辣な批評を浴びせるので有名な批評家などの口から、 これが聞かれていて当然だった。
そう思ったら、急にしらけた。 前から少しずつしらけているけど。
2005-03-01 (2) 20:39:11 +0900
二、三日家計助かる二月行く」の選者の解釈は正しいか?
2月27日づけ大阪本社版オピニオン面。
タイトル行の引用は姫路市の河合睦子氏の作。
私は、二月は日数が二日ないし三日短くて家計が助かるが、
その二月ももうじき行ってしまう、という意味だと思ったが、
選者の大田絡人氏の解説は「再会は来年
」だけである。
確かに、二月がまたくるのは来年だが……。
選者が意味を取り違えているということはないのだろうか。
私なら「日数が短い」とするところ。 これで同じ五文字だ。
句そのものについていえば、私の解釈だと「行く」が無意味になってしまう。 その手前で意味が完結してしまうからだ。
2005-03-01 (2) 20:24:25 +0900
2月27日づけ大阪本社版社会面 「日本人客おいで〜 / インド洋大津波2カ月」の中に。
2005-03-01 (2) 20:16:52 +0900
(たぶん)架空のバス会社名。
2005-02-28 (1) 21:15:48 +0900
髪粉が流行していた時代に、 理髪店の会計で明細を見た人がつぶやいた言葉。
2005-02-28 (1) 21:12:47 +0900
本文ナシ
2005-02-28 (1) 21:10:15 +0900
2005-02-27 (0) 22:42:45 +0900
「問題を作れ」という問題に「問題を作れ」と答える、 というのは聞いて知っていたが、 「問題を作れ。それを解け」という問題に
中学生に連立一次方程式を教えたあと、 「連立一次方程式を使って解く文章題を作れ。それを解け」 というような問題を出すのにはそれなりの意味があると思うが、 一般にしてしまうとこうなってしまうのである。
2005-02-27 (0) 22:39:39 +0900
…もいるかもしれない。 ポルターガイストで皿が飛びかかってきたりすると恐いだろうな。
2005-02-27 (0) 21:53:11 +0900
続けると「賞味期限」と同音になる、というだけの話だが、 「賞味期限」は「しょうみ・きげん」なので切れ目が違うのがおもしろい(かも)。
2005-02-27 (0) 21:52:03 +0900
数学の入試問題のひとつもしくはいくつかが小問に分かれていることはよくある。 (1) が「V を x の式で表わせ」であり、 (2) が「V を最大にするような x の値を求めよ」であったとしよう。 このとき、(1) で間違えたが (2) は正しく計算できた答案はどう採点されるのか、 は受験生にとって大きな関心事だろう。 予備校の模擬試験の採点アルバイトをしていたときは、 特に指定されていない限り (2) は零点にしたと記憶している。
もしもそうでないとすると、 ある受験者が (1) の間違った結果を使って (2) を“正しく”解いて (2) で満点をとった場合、 問題によっては著しい不公平を生ずる。 たとえば、(1) の配点が 10 点、(2) が 40 点で、 (2) がむずかしくて完全に解けるものがほとんどいない場合、 (1) をわざと間違えて V の式をやさしくすることで、 (1) の 10 点は落とすが (2) の 40 点をそっくりいただき、 ほかの受験生に大きく差をつけることが可能になるからである。
この方法は (2) が証明問題のときは使えないと思っていた。 しかし、次のようにすればいいのであった。 まず、(1) をわざと間違えるところは同様である。 次に、(2) の解答の中で (1) を正確に解く。 そして、「(1) の結果より」として合わせると、 矛盾を含んだ数式が出るはずである。 それから等式「0 = 1」を導く。 「0 < 0」は偽であるが「0 < 1」は真である。 そしていま「0 = 1」が出たのだから「0 < 0」も真となる。 ある命題とその否定命題がともに定理であるとき、 任意の命題が定理となるから、(2) で証明すべき命題も真となる。---
付) 最後の部分の証明は自力でできず、 坂本百大・坂井秀寿「新版 現代論理学」(東海大学出版会、1971 年) 99 ページを見た。だいたい次のようになる。 「(A かつ ~A) ならば ((A かつ ~A)) または q)」 は A, q がどんな命題であっても定理であり、置き換えたりして 「(A かつ ~A) ならば ((~(A かつ ~A)) ならば q)」、 「(A かつ ~A) ならば ((A または ~A) ならば q)」 となる。 いま「A かつ ~A」が定理だから 「(A または ~A) ならば q」が定理。 「A または ~A」は定理だから、q が定理となる。
付) 実は、あとの小問 (2) が計算問題の場合も、この手法でよい。 たとえば「V を最大にするような x の値を求めよ」だったとしたら、 「x は 0 に等しい」という命題を q とするのである。
2005-02-27 (0) 00:12:16 +0900
次のようにすればもっとわかりやすくなるのだった。 (1) の計算問題をわざと間違えるところは同様。 (2) では、証明すべき命題が成り立たないと仮定する。 そして、(1) を正しく解く。 すると (1) の結果と矛盾する。 この矛盾は証明すべき命題が成り立たないと仮定したためである。---
高校生でも気づきうる論法である。 もうとっくに広まっているのかも。
2005-02-27 (0) 07:31:55 +0900
補) 第一段落で「(1) で間違えたが (2) は正しく計算できた答案」 と書いたのは、(1) の間違った結果を元に (2) を解いた答案、の意味である。
「(2) は零点にしたと記憶している」と書いたのも不正確で、 (1) の間違った結果を利用したところ以降は採点の対象としない、 だったような気もしてきた。 そういう方針を採用していることもありえるから、 受験者としては、前の小問の結果を使うのはなるべくあとにすべきである。 そうすれば、採点してもらえる範囲が広くなる。
上とは別の具体例で説明しよう。 (1) が「これこれとなるような a の値を求めよ」、 (2) が「a が (1) で求めた値であるとき、これこれを計算せよ」 だった場合。 a に (1) の結果を代入しなくても計算が進むならなるべくそのまま進み、 最後に代入するようにする。 ただし、a に値を代入してしまえば簡単になるものを、 そのまま進んだために計算が複雑になって間違えることもありえる。
2005-03-06 (0) 17:18:34 +0900
(1) の答えを間違えるのは、最後の最後にする。 たとえば「よって a = ... = 3 + 1 + (-2) = 2」まで正しく書いておいて、 最後に「答え a = 2」と書くところでわざと間違えて「答え a = 3」と書けば、 (1) の減点はごくわずかで済む。
2005-10-24 (1) 03:16:29 +0900
菅野は姓。
2005-02-26 (6) 23:47:44 +0900
大岡裁きを見た架空の人物、牙坂氏が「おおお」と感嘆の声をあげた、と。
どうせ架空の姓だから、 「大岡裁き、秋葉坂「おおお」」(おおおかさばきあきばさかおおお)とするか。 このほうが一文字だけ長い。 「大岡裁き、軒端坂「おおお」」(おおおかさばきのきばさかおおお) も書いておこう。
2005-02-26 (6) 23:44:23 +0900
本文ナシ
2005-02-26 (6) 20:42:04 +0900
後半は完全なこじつけ。伊勢さんが桑の木に乗る、と。
2005-02-25 (5) 22:13:17 +0900
「船山しげ」さんならいそうだ。「不悩ましげ」みたい。
2005-02-25 (5) 22:11:30 +0900
本文ナシ
2005-02-25 (5) 22:07:05 +0900
昨日、 『すのものの「日本における夏時間導入を反対の立場から検討する」』 と改称したが、さらに 『すのものの「夏時間(サマータイム)導入に反対です」』 とした。 「サマータイム」と呼ばれることも多いようなので。
2005-02-25 (5) 01:55:59 +0900
「共軛」はいまは「共役」と書き換えることが一般となっているが、 仮に、元のまま使われていたとしよう。 この字は当用漢字・常用漢字にはいっていないのだが、 複素数の conjugate を教える際に「軛」の字も教えたらどうだろうか、 と考えてみよう。 この新しい術語を覚えると同時に漢字も一つ覚えるのである。
漢字制限が “印刷所で用意しておく字の種類を減らそう” というねらいだった時代にはこれではだめだが、 現代ではどうせJISにはいっていてどんなパソコンでも使えるのだから、 その点では困らないだろう。
これは、「軛」の字を制限せずに使おう、という意見とは異なる。 「共軛」という書き方を教えてある相手に対し、 「共軛」として使うときには使おう、というのである。
2005-02-25 (5) 01:26:32 +0900
桜井は姓。
2005-02-25 (5) 00:37:01 +0900
「冥王星」という語は知らなくても日常生活に全く問題がない。 つまり、こう書かれていて「メイ王星」のことだとわからなくても、 何ら困らない。 役所から 「冥王星にお住まいの方は*年*月*日までにこれこれの届けを出してください」 などといった通知がくることはありえないからである。
2005-02-24 (4) 23:30:29 +0900
『「名前」と書かずに「名まえ」』だったような気がするのだが、 まさか、という気も。 小学校低学年で習うことばである。
漢字で書かないのは漢字制限をするからである。
2005-02-24 (4) 23:18:38 +0900
「時計」だったかもしれない。
2009-04-05 (0) 02:19:29 +0900
これだけ導入をめざしている人たちがいるんだから、 その人たちのページがもっと上にくると思っていたのに。
私のページというのは 『すのものの「日本における夏時間導入を反対の立場から検討する』 のこと。 まだ改名前の名前になってるってことは数年前のままと認識されて 6 番目。 その下にあがっているページはいつごろの更新なんだ?
2005-02-24 (4) 23:14:46 +0900
ほとんど同一とみなす解釈もあるようだが、 広辞苑第五版、新明解国語辞典第五版の説明を私なりにまとめれば、 時間を直線とみなしたときのその中の一点が「時点」であり、 一つの時点を原点に選び、 単位時間の長さを決めることで時点を数値に変換したものが「時刻」である。
だから、夏時間に移行する際には時刻は“跳ぶ”し、 夏時間終了時には時刻は“戻る”。
付) 時間を一次元多様体だと思うなら、 その中の点が「時点」であり、 一つの局所座標である時点に対応した実数が「時刻」である。
2005-02-24 (4) 22:33:37 +0900
本編に登場したのとは別の、 アトラク(<アトラクション)用に作られた怪獣・宇宙人の着ぐるみがある。 そのようなバルタン星人の写真があったので「アトラク・バルタン」 と呼んでみたところ、「メロダク・バラダン」(イザヤ第 39 章) と響きが似ているな、と。
2005-02-24 (4) 21:30:48 +0900
……機密保持のため、 作戦司令室ごとフロアからフロアへ移動すると考えればいいのではあるまいか。 (実際は撮影時に生じた不統一にすぎないと思われる。)
2005-02-24 (4) 20:36:45 +0900
「日本における夏時間導入を反対の立場から検討するページ」 は3ページに分かれていたが、1ページにまとめ、 タイトルを 『すのものの「日本における夏時間導入を反対の立場から検討する」』に改めた。 (分割したのは、「メモ帳」で編集する都合だったように記憶している。)
ほんの少し、追加・訂正など。
2005-02-24 (4) 01:49:47 +0900
田中美知太郎・松平千秋「ギリシア語入門 改訂版」(岩波書店、1962 年)の話。 1977 年の第 16 刷では §671 で単数与格 πολλω にアクセント記号がついていなかったが、 1985 年の第 24 刷ではついている。 下書きのイオータも落ちていたのか。
2005-02-23 (3) 23:36:14 +0900
24時針は、 北半球において南を向いて立ったときの太陽の位置を示しているとも思える。 (普通の24時針は0時に真上を、12時に真下を指すので向きは逆になるが。)
では、月の位置を示す針のついた時計はあるのだろうか? 月の満ち欠けについての基本事項が頭にはいっていれば、 24時針とそれを合わせて見ることでだいたいの月齢もわかる。 月の入りの時刻は毎日少しずつ遅れ、約 29.5 日で元に戻るから、 月の位置を示す針は 29.5 日に文字盤を 28.5 周するように作っておけばよい。
ムーンフェイズがそういうものだと読める解説を見たことがあるが、 それは違うような気がする。
付) ものすごく複雑な時計にはついているのを見たことがある。
2005-02-23 (3) 23:14:27 +0900
第四楽章の雷雨は神の怒りであるとの解釈もあるようだが、 もしそうならニ短調が選ばれたのではあるまいか。 ヘ長調の並行調だから、全く不自然ではない。
2005-02-23 (3) 21:08:36 +0900
見落としていたが、もし第四楽章がニ短調だったら、 第三楽章から第五楽章までホルンをずっと F 管のままで吹かせることはできず、 持ち替えの時間を考慮しなければならなかっただろう。 (トランペットは楽章ごとに C 管、Es 管、C 管と持ち替えるようになっている。)
2010-05-03 (1) 23:37:33 +0900
いわゆる標題音楽ではないのだが、 続けて演奏される第三楽章から第五楽章にはストーリーがあると言ってよいだろう。 第四楽章では終わりに近づくに従って雨が小降りとなり、 フルートが上昇音階を吹く最後の二小節では完全にやんでいるように思われる。 では、雨が降り出すのはどの時点だろうか?
第三楽章のスケルツォがぶつっと切られて第四楽章に移るが、 第四楽章の始まりは「雲行きが怪しくなってきたな」という感じの音楽である。 第 21 小節でフォルティシモに達したところではかなりの雨が降っているのだろう。 盛り上がっていた人々の集まり --- ダンスを思わせる --- が雲行きが怪しくなってきて突然解散した、と考えるべきなのだろうか?
それとも、雨の降り出しかたが、日本とは違うのだろうか?
音楽による描写をよりリアルにするには、 いきなり雷雨になって第三楽章の音楽が打ち切られるとか、 怪しい音楽が第三楽章の音楽を徐々に圧倒していって第四楽章に移るとかが考えられる。
ベートーベンはあくまでも絶対音楽を書こうとしたのであって、 「どこから雨が降り始めたのか」などと考えるのは愚問なのかもしれない。
付) スケルツォの再現部は冒頭と同じように始まるが、 第 216 小節あたりで、ニ長調に移ることに失敗する。 ここで雨が降り始めたことに気づき、早めに切り上げて解散した、 と考えることもできよう。 子どものころの私はそう理解していたようだ。
2005-02-23 (3) 20:32:15 +0900
子どものときに「ニ長調に移ることに失敗する」と思っていたわけではない。 聞いていて音楽に混乱・混迷が感じられるので、 そういう意味かなと想像していただけである。
2005-03-06 (0) 19:15:20 +0900
一つめのは、いま愚痴を言う愚妹、の意。 二つめは、今口さんが愚昧だ、という意味。
2005-02-23 (3) 20:20:38 +0900
本文ナシ
2005-02-23 (3) 20:19:09 +0900
「半導体□いたうどん派」(はんどうたい□いたうどんは)の □に一文字をいれたものは、すべて回文になる。
2009-04-05 (0) 01:43:58 +0900
本文ナシ
2005-02-23 (3) 20:18:11 +0900
「タデマサ外科」は架空の外科医院名。 最後の「お」は感動詞。
2005-02-23 (3) 01:23:21 +0900
後半は文章になってないな。
2005-02-23 (3) 01:18:43 +0900
Google で数件みつかるが。
2005-02-23 (3) 01:17:55 +0900
2005-02-23 (3) 00:51:34 +0900
2005-02-22 (2) 00:58:00 +0900
2004年11月22日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、
会社員、泉沢宗史さんの投書「音楽普及した役割も考えて」。
《そんなジャスラックが、
新潟のジャズ喫茶に著作権使用料として、
過去10年にさかのぼって数百万円を請求し、
店が存亡の危機にあるそうだ
》、
それから、かつて同氏がジャズ喫茶でたくさんのレコードを聴いたという話があり、
《著作権を守るということは確かに正しい。
そのためにジャスラックが払った努力には敬意を表したい。
だからこそ、ジャズ喫茶などが、
音楽普及に果たしてきた役割にも気遣うというおおらかさを求めたい
》。
過去十年分をさかのぼって請求するに至るまでの経緯がわからないのでなんともいえないのだが、 こんなふうに考えてみることを思いついた。
仮に、それらのレコードが、すべて万引きされたものだったとしてみよう。 そして、そのことが見つかり、レコード店から代金を請求されたとする。 そのときには、 「音楽普及に果たしてきた役割にも気遣うというおおらかさを求めたい」 と弁護する人は誰もいないだろう。
(それと同じことだと言っているのではない。 同じことだと考える人にはこんな風に見えるかも、 と言っているのである。)
2005-02-22 (2) 00:54:53 +0900
ときどき新聞で見かける航空写真で、 何箇所かを白丸で囲んで位置を示したものがあるが、 白丸は写真に写ったのではなく記事にするときつけた印である、 と断らなくていいんだろうか?
2004年11月22日づけ大阪本社版社会面の、
「奈良・女児殺害」の記事に添えられた写真には白丸が二箇所についているが、
なんの説明もない。
《女児の自宅周辺(手前)と、通学していた富雄北小
》とあるだけだ。
もちろん、その二箇所を囲みました、という意味なのだろうが。
2005-02-22 (2) 00:36:50 +0900
2004年11月22日づけ大阪本社版社会面の、
「奈良・女児殺害」の記事。
《約15年前から女児の自宅近くのマンションに住む男性(44)によると、
今年9月、付近では女児が不審な男に声をかけられたり、
抱きつかれたりする被害が3件あったという
》とあるが、
最初の「女児」は、
その前の部分からのつながりにより、
遺体で発見された「その女児」の意味なのが明らかである。
しかし、二つめの「女児」は一般の女児であるような気がする。
そうでないとすると、
殺害された女児が前から狙われていたという意味になり、
かなり話は変わってくる。
このあとの部分でまた、
「女児」が「その女児」の意味で使われているので、
意味をとるのも大変である。
2005-02-22 (2) 00:27:47 +0900
たとえば2004年11月17日づけ朝日新聞大阪本社版第2石川面にも載っている。 「自分の子どもを」の意味だろうと思って読んでいたが、それであっているだろうか。 どこにも書いてないので、 道で出会った子どもも抱きしめてあげてくれ、 と言っているのかもしれないのだ。 でも、そんなことをしたら変質者にされてしまいそうだ。
2005-02-22 (2) 00:18:51 +0900
2004年11月20日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、
京都府長岡京市の 36 歳の主婦、辻本佳代さんの投書「節電試したら最高で5割減」。
《クーラーを入れずに換気を励行、
電気炊飯器をやめて圧力鍋でご飯を炊いたり、
見ていないテレビや不必要な照明を消したりと
》
と節電法は述べられているが、
(たとえば)一カ月あたり何キロワット時の節電になったかが書かれていない。
家族の人数、家の面積も必要だろう。
それがないと、5割減ったと主張しても、
「元が無駄づかいしていただけじゃないの?」と言われるのではないか。
付) 「クーラーを入れずに換気を励行」ということは、 外の温度まで下がれば十分な場合でもクーラーを入れていた、 ということだろう。 私も、そのような使い方をすることがある。 その場合、実はクーラーは必要でなく、 窓を開けずに室内外の空気を入れ換える装置があれば十分なのだが。
2005-02-21 (1) 23:59:32 +0900
“何キロワット時の節電になった”だけでなく、 “元は何キロワット時、それが何キロワット時まで節電できた” と言わなければ、やはり 「元が無駄づかいしていただけじゃないの?」と言われかねないのであった。 訂正します。
2005-02-23 (3) 00:49:24 +0900
2004年11月20日づけ朝日新聞大阪本社版文化芸能面の、
関西大学長河田悌一氏の「中国で進む儒教古典の暗記」に
《中華孔子学会が編集した試行本の
「中華文化経典基礎教育叢書」(高等教育出版社)が刊行された。
横書きで、ローマ字発音記号であるピンインが付されたその叢書は
》
とあるのを見て。
2005-02-21 (1) 23:46:51 +0900
それだけ。
2005-02-21 (1) 23:42:12 +0900
きょうづけ大阪本社版掲載分。
《そんな流れの中で昨年、
日本料理の英語本がロンドンで出版された。
栗原はるみさんの『はるみのジャパニーズ・クッキング』である
》。
《海外メディアもいろいろ取り上げた。
「仏教で肉食が禁じられてきた日本だが、はるみは楽しく肉を使う」
といった紋切り型の誤解はあるものの
》とあるが、
これは誤解と言い切れるだろうか。
仏教で肉食が禁じられてきたことは確かだ。
「仏教で肉食が禁じられている日本だが」なら明らかに誤解だが。
それとも、「楽しく肉を使う」が誤解?
付)英語本なのにタイトルは日本語なのか?
2005-02-21 (1) 23:26:09 +0900
日本語 の 漢字かなまじり 表記 で は 普通 わかちがき を 行なわない。 そこ で、 ひらがな が 続いて 単語 の 切れ目 が わかりにくく なりそう な 場合、 本来 は 不要 な 読点 を 入れたり、 使いたく ない の に 漢字 を 使ったり する こと が ある。 わかちがき を すれば それ は 避けられる の だ が、 その 実験 すら、ここ で 試みた こと は なかった よう だ。
…… と いう わけ で 試して みた。 本項 その もの が そう で ある。 タイトル も そう して みた。 空白 に は 半角 スペース を 用いて いる。 「メモ帳」 と MS-IME97 を 用いて 書いて いる が、 ふだん は スペース バー を 押す と 全角 スペース が 入力 される よう に して いる の を、 オプション で 半角 スペース に 切り換えて 打って みて も ……、 あまり 打ちやすく ない。 変換 も スペース バー で 行なって いる ため、 頭 が 混乱 する の だろう。 わかちがき せず に 打って あと から スペース を 入れる ほう が 楽 みたい だ。 慣れれば なん で も ない の か な。
わかちがき の 流儀 に ついて は 機会 を 改めて 述べよう と 思う。
2005-02-21 (1) 23:19:45 +0900
そのあとの「ウルトラマン」「ウルトラセブン」は本放送で見た。 そして、あれを見たことで人生が変わったと思う。 「ウルトラQ」も本放送で見ていれば。
もちろん、あとから再放送やビデオなどで見ることはできた。 しかし、予告編を見て「次回はどんな話なんだろう?」 と一週間わくわくしながら待って見るのとでは、絶対に違うと思うのだ。
2005-02-21 (1) 22:29:51 +0900
位数は数学用語。 だから、全体では何の意味もない。
2005-02-21 (1) 21:11:02 +0900
職場の生協食堂では毎日、複数の丼(どんぶり)ものが、 普通サイズのMと小盛りのSとで提供される。 注文を受けたカウンターの人は隣のご飯担当の人に「M丼」あるいは 「S丼」との声をかける。 ご飯が渡されると、上にかけるべきものをかけて、 私たちに出してくれるのである。
そういう状況の元で、 「これはS丼です」と京都出身の人が言っているさま。
2005-02-21 (1) 18:59:18 +0900