すのものの「いろいろ」(その214)

回文「ari sa. hasira」(有りさ。柱)

最近は、「亜里沙」などと書く女性名もある。 前半はそれにしてもよい。

前に 《ローマ字回文>「Arisa bika, makibasira」(亜里沙美化、真木柱)》 を書いていた。

2009-11-28 (6) 23:46:29 +0900

回文「つまんねえ年末」(つまんねえねんまつ)

「つまんねえ」は「つまらない」の崩れた形。

2009-11-28 (6) 23:40:08 +0900

回文「おたんちん・青島」(おたんちんちんたお)

意味はない。 おたんちんは、チンタオを逆から読んでできた語、だったりしないだろうな。 (もしそうなら回文としての価値がゼロになるので。)

2009-11-28 (6) 22:51:36 +0900

帝国の逆襲>ベイダーはルークを追いつめすぎて逃がしてしまったと言えよう

最後、逃げ場がないところに追いつめたように見えたが、 実はルークはあの高さから落ちても死なないのだ。 それがベイダーにもわかっていたなら、 あそこまで追いつめないほうがよかったはずである。 回りにあった箱をフォースで動かしてルークにぶつける攻撃を始めたあたりで、 III のドゥークーがオビ=ワンにしたように、 フォースで首をつかんで気絶させれば、 確実に皇帝のもとへ運べたと思う。

さらに。 あの世界では手首を切断されても簡単に義手で元の機能が取り戻せる。 しかし、切り落とさずに済むなら、そのほうがよかっただろう。

2009-11-28 (6) 22:51:36 +0900

ファントム・メナス>母親は、最後までレースを見ていられないのが普通では

映画館で見たときから、あの母親につけた演技が、いまひとつだなと思っていた。 たとえば、「もう見ていられません」とか言って、 手にしていたテレビ(のようなもの)をパドメに渡し、 座り込んでしまうのが普通ではないかと思うのだ。

2009-11-28 (6) 22:46:17 +0900

ファントム・メナス>ポッドレースの最中に部品を盗むって案はなかったか

ワトーは店を空けてレースにいってしまうのだろう。 その間に、船からオビ=ワンが何人かの男を連れてきて、 ハイパードライブを盗んでしまうのである。

ジェダイが盗みをするのはまずいよな。

2009-11-28 (6) 22:14:09 +0900

ファントム・メナス>ダース・モールがナブーにやってきた船は残された?

おそらく、一人でやってきたのだと思う。 死後、その船が残されたと思うが、その中は調べたんだろうな。 ジェダイたちは。 そうすることで、あのシスについて何かわかるかも知れないから。

シディアスが遠隔操作で自爆させた、などとも考えられるが。

2009-11-28 (6) 22:12:20 +0900

ファントム・メナス>スピンするアナキンのポッドの表示板にうつるのは何?

ポッドレースの最中、片方のエンジンがはずれたアナキンのポッドは、 スピンを始める。その方向は、右ネジの方向、時計回りである。 一瞬、アナキンのポッドの操縦席から見た映像になり、 操縦席左側の表示板が映るが、そこに反射して見えているのはおそらく背景であろう。 表示板は静止しており、その地平線は、時計回りに回っている。 背景の地平線は、前方の地平線と常に平行である。 だから、これではアナキンのポッドが反時計回りに回っていることになり、 矛盾する。

裏焼きの可能性を考えてみた。 編集の際に、効果を高めるために裏焼きにすることがときどきあるからである。 セブルバがはずしかけておいた部品がはずれ、最後にエンジンがトラブルを起こすが、 そのとき、左右の表示板が映る。 どちらも、4時の位置に特徴があり、3時の位置に数字らしきものが出ることがわかる。 戻って、スピンするシーンでの表示板を見ると、やはり同じである。 つまり、最後のトラブルのシーンが裏焼きでなければ、 スピンするところも裏焼きではない。 やはり、回転方向が誤っているのであろう。 ただし、裏焼きにするかどうかを決めるのと、 文字盤に画像をはめ込むのと、どちらの作業を先にするのかわからないから、 本当に確かなことはわからない。

前々々項を書くため、DVD を見ていて気がついた。

2009-11-28 (6) 21:48:13 +0900

「水平線」と書き誤っていた二箇所を、「地平線」に改めた。

2009-11-30 (1) 01:04:03 +0900

ファントム・メナス>アナキンはジェダイの複数形を Jedis と言っている

アナキンの家での夕食の席で、クワイ=ガンに向かって 「Only Jedis carry that kind of weapons.」と言っている。 (英語の字幕もそう。)

前々項を書くため、DVD を見ていて気がついた。

手元にある、台本を本にしたものでは、Jedi となっている。 アナキン役の子が言い間違えたがそのままにしたか、 Jedi が単複同形であることがタトゥイーンでは知られていない、 あるいはアナキンはまだ幼くて知らない、ということにしたのか。

2009-11-28 (6) 21:14:37 +0900

ファントム・メナス>ジャージャーは台所でアナキンの母の手伝いをしている

ナブーから連絡があったとの報告を、 クワイ=ガンがオビ=ワンから受けるところの背後で。

前項を書くため、DVD を見ていて気がついた。

2009-11-28 (6) 21:03:51 +0900

ファントム・メナス>ハイパードライブの入手法は関係者だけの秘密、かも?

どうやって入手したのかを知っているのは、 砂嵐の晩にアナキンの家にいた、アナキン、母親、C-3PO, クワイ=ガン、パドメ、ジャージャー、R2-D2, それにクワイ=ガンと連絡をとりあっていたオビ=ワンだけ、とも考えられる。 (C-3PO はレースは観戦していたが、賭けのことは知らなかったかも。)

あの船の乗組員にも秘密、よってシオ・ビブルはもちろん知らない、 ということも考えられる。 それだと、最後に女王から“ごほうび”をもらわないことが納得できる。

しかし、 宇宙ステーションを破壊したことはパイロットたちからすぐに広まるだろうし、 アナキンが最後のお祝いの場面で舞台の上にいたこと、 パルパティーンから声をかけられたこと、を考えると、 よくわからない。

「秘密に」と言っておいても、 ジャージャーが話してしまうかも知れないしな。

映画館で見てから十年以上になるが、いままで一度も考えたことがなかった。

2009-11-28 (6) 20:53:51 +0900

ここ十数年注目しているが、岩波文庫「西洋道中膝栗毛」は復刊にならないな

差別用語であると言われることもある 「ばかちょん」の初出として辞書にあがっていたので、 職場の図書館で見てみたことがある。 確か、「馬鹿だのちょんだの」と言ってののしるのである。

1990 年代から、岩波文庫の一括復刊には注目しているが、 この本は一度も復刊されていないはず。

付) いま、 携帯電話版「広辞苑第六版」で「ちょん」をひいてみたら、 この本が出典としてあがっていた。

2009-11-28 (6) 20:45:46 +0900

2010 年は「'10年」と表したらどうか。一文字分に「'10」を詰め込むのだ

いよいよ 2010 年があと一カ月ちょっとに迫り、 朝日新聞紙上などで 2010 年を意味する「10 年」という書き方を目にするようになった。 前にも書いたと思うが、これは平成 10 年とカン違いされる可能性がある。 いままでの十年は、「00 年」「01 年」……「09 年」と、 「平成*年」ではありえない書き方がなされていたが、 来年はそうではないのである。 (それより前は「99 年」などで、これまた (現行の制度のもとでの)元号ではありえない書き方だった。)

ある人にこの話をしたところ、「'10 年」と書けばいいのではないか、とのこと。 なるほど、「'10」を一文字分のスペースに詰め込んだフォントを作ればいいのだ。 朝日新聞には「メートル」などを一文字分のスペースに詰め込んだフォントがある。 それと同じことであろう。

この案を聞いたのは何カ月か前のことだが、 いま、郵便受けに岩波書店「図書」 の 2009 年12月号がはいっているのを見て、思い出した。

2009-11-28 (6) 19:33:07 +0900

NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 26 日(木曜日)分

きょうから応用編のテキストは12月号にはいった。 発売日に職場の生協へ買いに行ったのだが、午後だったせいか、 もう一冊しか残っていなかった。

冒頭のごあいさつは前回と同じだったが、 「きょうも楽しく学んでいきましょう。お相手してくださるのは」 がなかった。 本来なら、先生がこれをおっしゃったところでミカエルさんが話し始めるのだが、 今回は、もしかして、ミカエルさんのフライング? (あるいは、 今回は接続法で、内容が多いので、急いだとも考えられる。)

それにしても、接続法を使う文ばかりが並んでいるな。 よくこういうディアローグを考えつかれたものだ。

本文最後の、 「Bon, et puis trois mois, c'est vite passé!」の後半の構文がわからない。

文法チェック。 ミカエルさんの読まれた 「Il faut que je réfléchisse bien ...」の réfléchisse の最後の音が [z] に聞こえるけど、[s] だよね?

「接続法はむずかしいと思われがちですが、 多くの場合、どういう動詞や表現のときは接続法になると決まっていて、 それに従えばいいので、そんなにむずかしくありません」とのお話だったが、 出会ったところで覚えようと考えると、 直説法と同じ形のときに見逃すことになる。 「接続法をとる主な動詞や表現は、 テキストの練習問題のページにあげておきました」。 なるほど。こういうのを利用して、一度、しっかり頭に叩き込めばいいんだな。

「ここに注意!」。 《接続法をとる動詞の場合、 主節の主語と従属節の主語は異なっていなくてはいけません》とあるが、 非人称の il と「彼」の意味の il とか、 別々の人物を指す il なら、いいんだろうな。

表現練習。 ミカエルさんは「prêt(e) à」を含む文章を二度ずつ読まれた。 それは、男性形で e がつかないときと女性形で e がつくとき、だろうと思うのだが、 男性形の場合もリエゾンするから、結局、音は同じになる?

最後の自由な会話で気づいたが、 ディアローグに出てくるラファエルも、ミカエルさんのミカエルも、 ユダヤ教の天使の名前に由来するのだった。 ラファエルは旧約聖書続編の「トビト記」に登場する。 この最後の自由な会話も、いつもより短めだった。

2009-11-26 (4) 23:47:09 +0900

ストリーミングでまた聞いた。

「Je suis prêt à tous les sacrifices ...」 の prêt と à の間。 ミカエルさんの発音でも先生の発音でもリエゾンがあったが、 最初のディアローグの人の発音にはリエゾンがなかった。 [t] を発音しなければ、je が男性だとはっきりするよね。 これは単なる想像だけど、そういう意識が働いた?

文法チェック。「ウーエル動詞」と、日本語風に発音されたように思う。 (フランス語の字母名で er を読んだのではなく、の意味。)

最後の自由な会話が始まるとき、まだ一分以上残っていた。 最後の音楽が始まり、終わりのごあいさつが終わっても、まだ15秒あった。 だから、「きょうも楽しく学んでゆきましょう。お相手してくださるのは」 がなかったのは時間のせいではない。

ディアローグの内容だけど、 フランスに置いてゆく彼女が心配なら、毎日メール送ればいいだろ。 それよりも、 日本に三カ月滞在する間に、出席する教会があるかどうかの心配はしないのか?

2009-12-07 (1) 00:13:20 +0900

冒頭のごあいさつで 「きょうも楽しく学んでいきましょう。お相手してくださるのは」 がなかったと書いたが、ミカエルさんが話し出したときに、 先生が話しだそうとしている音が聞こえるようにも聞こえる。

ディアローグを最初に聞く直前には、 「ラファエル」を「ファ」にアクセントを置いて発音しておられる。

「文法チェック」。 接続法現在形について、 「ウーエル動詞の場合、nous と vous のところ以外、 直説法現在形と同じ形です」の「以外」の「が」が鼻濁音だった。

最後にミカエルさんに話しかけるところでは、 「ラファエル」の「ラ」にアクセントを置いて発音された。

2011-06-13 (1) 00:31:56 +0900

NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 20 日(金曜日)分

今回のオープニングのあいさつは、 《NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 13 日(金曜日)分》 のときと同じ文面。 前日の分とは異なり、 「自分の気持ちなど」のところも普通に読まれていた。

ディアローグのカミーユの役の方。 「C'était délicieux!」を、感情をこめて読まれた際、 délicieux だけでなく C'était もゆっくり発音された。 ちょっと意外だった。

「emmener + 不定詞」と先生が言われたときの em- が鼻母音に聴き取れず、 辞書で確認してしまった。

「manger japonais」って、日本人を食べる、じゃないのか。(当り前だろ。)

「今晩、トマが私たちを日本料理を食べに連れて行ってくれた」という訳文だが、 私は、最後の「くれた」が出るまで、未来のことをいうのかと感じていた。 「今晩」と聞くと、未来のことのように思ってしまうくせがあるようだ。 広辞苑などを見たが、特にそういう決まりはない。 きょうの午後に属する夜のうち、すでに済んでしまった時間帯のことは、 私は「今夜は」と言っているようだ。

日本料理は脂肪分が少ないと言っているが、てんぷらやすき焼きはどうなんだろう?

「ここに注意!」。 《受動的代名動詞は、主として性質や特徴を述べるのに使うという性格上、 par 〜という特定の動作主をつけることはできません》と説明されているが、 あくまでも受動態ではないので、と理解したほうが理解しやすいような気がするな。

ミカエルさんとの自由な会話の中で、 すしについて、手で食べると言っている部分がなかなか聞き取れないと思ったら、 se manger avec les doigts, つまり、指で食べると言っていたのか!

ミカエルさんがおすしの中で特に好きというウニは、oursin というのか。 (このつづり字、英語なら「われわれの罪」だな。 (厳密にいえばそれを続けて書いたもの。))

付) テキストで変化形の元の形を示すとき、 「se mange < se manger」のように不等号を用いているが、 同じように見える記号が、前々回の文法チェックでは 「<助動詞の半過去形+過去分詞>」のように使われている。 JISには「〈」「〉」という記号がある。「山カッコ」というらしい。 これを用いて 「〈助動詞の半過去形+過去分詞〉」のようにしたほうが、 紛れが少ないと思うのだが……。

付) カミーユ役は、 テレビ「フランス語会話」に出ておられたジェニファー・ジュリアンさん。 九月 28 日のブログに、今回の「まいにちフランス語」について書いておられるが、 先生のお名前の漢字が違っている。 コメントで指摘したが、反応はない。

2009-11-26 (4) 00:39:20 +0900

ストリーミングで聞いた。

上に書いた「今晩」だが、私の感覚を述べた部分が、違っていた。 「今晩」にせよ「今夜」にせよ、単独で 「今晩、彼が私たちを〜」「今夜、彼が私たちを〜」 と聞くと未来のことのように感じる。 「今晩は」「今夜は」だと、過去も未来もあり得る。 ただし、「今晩は」は夜のあいさつと間違われるおそれもあるので、 「今夜は」と言ってしまうことが多いような。

文法チェックで、「洗濯機」を「せんたっき」と発音された。 先生はきちょうめんに、ていねいに発音されるので、 「せんたくき」かなとも思ったが、 もしもこの発音だと、「選択期」というような語が思い浮かんでしまう。

2009-11-29 (0) 03:08:28 +0900

manger de sushis の de は否定の冠詞だろう。 それから、sushi は男性名詞だと思う。 前に、日本語からはいった語は女性を指すもの以外すべて男性名詞、 と聞いた記憶があるから。

日本語で説明する中にフランス語の語句がはいる場合、 日本語からフランス語へ、あるいは逆に切り替わるところでは、 ポーズをおいて発音するのを原則としておられるが、 今回の“意味の確認”の 「pauvre en なになにで」の場合、 en と「なになに」に間にポーズはなしだった。 フランス語の鼻母音の直後に日本語の「なになに」を続けるのは、 正確に発音しようとすると難しそう。 「ça dépend de なになに」のときも同様。

今回の「いかがでしたか?」は12分20秒より前。

2011-06-05 (0) 21:47:21 +0900

和泉式部の名を見ると和泉雅子が思い出されてならなかった時期があった

単に、「和泉」のつく人物名をそれしか知らなかっただけだが。

2009-11-25 (3) 22:04:11 +0900

和泉式部の歌「立ちのぼる煙につけて思ふかな」は下の句がすごいと思う

上の句はタイトル行に引用したように「立ちのぼる煙(けぶり)につけて思ふかな」。 これは、火葬の煙をみてよんだもので、普通の人でもよめるだろう。 それに対し、下の句の「いつまたわれを人のかく見ん」はすごいと思う。 わかちがきしてみれば、 「いつ また われ を 人 の かく 見ん」と、八語になる。十四モーラに八語なのだ。 (いわゆる文法でいうところの単語レベルにまで分解すれば、 「見ん」は「見」と「ん」に分かれ、全部で九語となる。)

引用は、岩波文庫「和泉式部集 和泉式部続集」(1983 年)の、 和泉式部集によった。続集では最後の「見ん」が「せん」になっている。

2009-11-25 (3) 21:52:30 +0900

フランス語の quatre-vingts は「四つの二十」と説明すればいいんだな

「4×20」と説明すると、小学生にとっては 4 が二十個あることになる。 quatre-vingts は vingt が四つだから、これとは違う。 中学生以上になれば、 「一本 x 円の鉛筆を四本買うといくらですか」に 「4x」と答えることもあるわけで、被乗数と乗数の順序にこだわらなくなるのだが。

2009-11-25 (3) 21:43:08 +0900

「創」には「つくる」という訓はないのか? 新字源は載せていない

「創」の字について知りたいことがあり、 そういうとき、漢和辞典は訓読みでひくのが速いとわかっているので、 音訓索引で「つくる」を見たが、ない。 他の方法でひいたところ、「つくる」という訓はないようだ。 あるのは「きず」「はじめる」。

文語訳「創世記」冒頭にあっただろうにと見てみたら、 「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)給へり」 だった。

2009-11-25 (3) 21:23:08 +0900

ファントム・メナス>敵に捕まったことで玉座の間に簡単にはいれたわけだな

苦労してはいろうとしていた玉座の間にである。 かかること、世の中に多かり。

2009-11-25 (3) 20:16:36 +0900

ファントム・メナス>ジェダイは二人ともあごを突かれて危機に陥る

クワイ=ガンもオビ=ワンも、ダース・モールにあごを突かれて危機に陥る。 いや、よく見ると、クワイ=ガンはあげてしまった腕を突かれているのか?

2009-11-25 (3) 20:15:35 +0900

ファントム・メナス>パドメは、正体を明かしてからはアナキンと話さない

パドメが正体を明かしてから映画本編の終わりまで、 あと約30分あるが、その間ではアナキンとパドメは一切ことばを交わさない。

最後にことばを交わしたのはいつかと思って前のほうを見てみると、 タトゥイーンからコルサントに向かう船の中 --- ここでアナキンがお守りを渡す ---、 コルサントについてタクシーに乗るようパドメがアナキンにうながすところ、 最後は、これから修業にはいるのでお目にかかれなくなると報告にきたアナキンに、 元老院へ出席するため女王に扮したパドメが“パドメはいない、伝えておく” と答えるところ。

2009-11-25 (3) 20:14:06 +0900

すのものは絶対パス指定を思い出した! しばらく使っていなかったので。

Windows でも unix でも、 自分のファイル置き場はルートから二つ以上降りてきたところにある。 よって、最近は相対パス指定ばかりしていた。 sub1 に降りるときは「cd sub1」とし、 次に sub2 に用があるときは「cd ..\sub2」とするように、である。

ところが、リムーバブルディスクでは、ルート直下にフォルダを置くことがある。 「cd \sub2」で sub1 から sub2 へ移れるのに、 わざわざ「cd ..\sub2」と打っていた。 「cd \sub2」でいいことに気づいたので、タイトル行に書いた、 「すのものは絶対パス指定を思い出した!」となったのである。

2009-11-25 (3) 01:46:15 +0900

気象通報で、「ヘクトパスカル」だけを速く読んでいたので何かおかしい

きのうだったか、 NHKラジオ第二放送の「ラジオ英会話」 を録音したままほかのことをしていて止め忘れたので、 「ラジオ英会話」のあとに少しだけ録音された気象通報を聞いてみた。 ゆっくりと読み上げているだが、気圧の単位「ヘクトパスカル」にくると、 ここはゆっくり読んでもしかたがないので、ここだけ急に速くなる。 なんだか、おかしかった。

2009-11-25 (3) 01:43:08 +0900

勝手にウィンドウが手前にくる Vista では真のマルチタスクは不可能では?

手前である仕事をしていて、 そのウィンドウに対して「OK」の意味で Enter を押したのに、 下から出てきたウィンドウにそれが伝わってしまう、ということが、やはりある。 (「やはり」と書いたのは、前にこの話は書いた記憶があり、 最近の Windows では改善されているのかと思っていたのにそうでなかったからである。)

2009-11-25 (3) 01:39:43 +0900

学生が「プチ・ランチ=オフライン会」などと言っていたがフランス語では?

小さな昼食は朝食の意味になってしまうので。

2009-11-25 (3) 01:37:43 +0900

例外的な平年(1700, 1800, 1900 年など)では、何年間かを飛ばすと考えたら

記憶に基づいて計算するか、 《(international) week number で第 53 週まである年はどのように分布する?》 の表を見るかすると、次がわかる。

この 28 年で、カレンダーは一周する。 その間、規則的に四年に一度、うるう年がはいったからである。

1700 年の前後では、この順番が狂ってくる。 1700 年が平年だったからである。 前年の 1699 年が木曜日から始まるうるう年の前年、 翌年の 1701 年が土曜日から始まるうるう年の翌年であることを考えると、 上の箇条書きにあげた年でいうと、 2015 年の翌々年が 2005 年になったようなもので、 その間の 17 年を飛ばし、代わりに金曜日から始まる平年であるところの 1700 年を挿入した、ともみなせる。 その間に平年の金曜日は 2021 年、2027 年の二回。 このどちらかが 1700 年に当たると見ると、 2016-2020 年の 5 年と 2022-2004 の 11 年を飛ばしたと見るか、 2016-2026 年の 11 年と 2028-2004 の 5 年を飛ばしたと見ることができる。

1800 年の前後では、2020 年から 2008 年の 17 年を飛ばし、 代わりに水曜日から始まる平年を入れたとみなせる。 飛ばされた範囲の水曜日から始まる平年には 2025 年と 2003 年がある。 2020-2024 年の 5 年と 2026-2008 年の 11 年を飛ばしたと見るか、 2020-2002 年の 11 年と 2004-2008 年の 5 年を飛ばしたと見るか。

1900 年の前後では、2024 年から 2012 年までの 17 年を飛ばし、 代わりに月曜日から始まる平年を入れたとみなせる。 飛ばされた範囲の月曜日から始まる平年には 2001 年と 2007 年がある。 2024-2028 年の 5 年と 2002-2012 年の 11 年を飛ばしたと見るか、 2024-2006 年の 11 年と 2008-2012 年の 5 年を飛ばしたと見るか。

なぜこういうことを考えたかというと、 「13 日の金曜日」は、四年ごとにうるう年を入れていれば、 確率 1/7 で起こりうる。 それに対し、グレゴリウス暦では 400 年に 3 回、うるう年を省くので、 確率が変わってくる。 そのとき、 「ここからここまでの何年間が飛ばされた」 と考えて計算したほうが楽な場合があるのではと思ったからなのだが、 ……、そうではなさそうだ。

2009-11-25 (3) 01:10:03 +0900

「13 日の金曜日」の、年ごとの発生回数は?

日曜日から土曜日までを、数 0, 1, ..., 6 で表そう。 足し算は、7 以上になったら 7 を引いたものを答えとする。

一月 1 日が 0 である平年の、 一月から十二月までの 13 日の曜日は 5, 1, 1, 4, 6, 2, 4, 0, 3, 5, 1, 3 となる。 うるう年なら、三月以降は 1 を加えて、 5, 1, 2, 5, 0, 3, 5, 1, 4, 6, 2, 4 である。 平年なら「13 日の金曜日」が 2 回、うるう年なら 3 回、やってくる。 (うるう年の場合、一月・四月・七月なので、 カレンダー上の月の配置によっては、この三月(みつき)がならぶ。)

一月 1 日が 1 の年は、上の数列の各項に 1 を加えたものになるので、 上の数列で 4 の現れる回数が「13 日の金曜日」の数となる。 このようにしてゆくと、「13 日の金曜日」の数は次のようになる。

一月 1 日の曜日平年うるう年
023
122
221
312
432
511
611

三回の年があるのは意外だった。

今度は、三月 1 日の曜日と、その三月から始まる 12 カ月に何回 「13 日の金曜日」があるかを考える。 三月 1 日が 0 のとき、 5, 1, 3, 6, 1, 4, 0, 2, 5, 0, 3, 6 なので、 次のようになる。

三月 1 日の曜日平年
02
11
22
31
42
52
62

こちらだと、一回と二回しか現れない。

これを元に、 《(international) week number で第 53 週まである年はどのように分布する?》 のようなスタイルで、 連続する 400 年について、 各々の年の「13 日の金曜日」の回数を table の地の濃淡で表わすプログラムを書いてみたが、 どうも気力が続かないので、ここに載せるのはやめる。 最近、授業で教える範囲を越えたC言語のプログラムを書いていないようで、 少し忘れてきた部分がある。 (じゃあお前ふだんは何に忙しいんだ? と聞かれると、困る。)

ちなみに、 「13 日の金曜日」はキリスト教にはでてこない概念であり、 私はあまり興味はない。

2009-11-25 (3) 00:54:02 +0900

「スター・ウォーズ」は「鉄腕アトム」と違いドロイドはあくまでもドロイド

「鉄腕アトム」では、ロボットにも人間と同等の権利を認めるか、 が一つのテーマだったように思える。 しかし、「スター・ウォーズ」ではあくまでもドロイドはドロイド。 時代劇に登場する、最も下級の武士にあたる、と聞いたことがある。

2009-11-25 (3) 00:50:35 +0900

NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 19 日(木曜日)分

今回のオープニングのあいさつは、 《NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 13 日(金曜日)分》 のときと同じ文面。 ただし、「自分の気持ちなど」のところで、 妙に感情がこもっていたような気がしたので、別バージョン?

今回は「トマが話を続けます」とおっしゃった。 テキストには「トマの話は続きます」。

さし絵だけど、この位置だと、ずいぶんピアノの左に座って、 低音域を弾いていることにならないか。

表現練習。 「onze は母音で始まってはいますが」とおっしゃったが、 母音字で、の意味だろうか? 有音の h で始まる場合も、 発音は母音で始まるよね?

先生の「周りの」のていねいな発音で気づいたが、 私はときどきこの語を /ma:ri/ と発音していることがある。 気をつけよう。

フランス語とは関係ないけど: ディアローグに出てきたトマのように、 小さいときからピアノの練習をさせてもらった人は、 私には別世界の人のように思える。 私が小さかったころは、 うちにはピアノを買うお金はなかったし、 住んでいた家にはピアノを置くスペースなどなかった。

2009-11-24 (2) 23:54:08 +0900

ストリーミングで聞いた。

ディアローグを紹介するミカエルさんのことばの中で、 Thomas nous parle ... を ne と聞き違えそうになった。 フランス人は、nous と ne を聞き間違えることはないのだろうか?  ないんだろうな。

文法チェック。 「勉強が続けられた、という過去のできごとが複合過去形で表されています。 それに先立って、奨学金の延長を得たわけですね」との説明だったが、 とにかく勉強を続けていて、あとで奨学金の延長ができたとわかった、 という場合はどうなるんだろう?

日本語の「熊」には二通りのアクセントがあるが、 先生は「低高」型で発音された。

huit, onze は、発音を間違えやすいという理由で、これらを選ばれたんだな。

エンディングの音楽が流れ始めてから終わるまで1分以上ある。

2009-11-29 (0) 03:00:52 +0900

huit, onze は発音を間違えやすいと書いたが、これらの単語そのものではなく、 その前の語とのつながりの部分の発音を間違えやすい、の意味である。 と思ったが、いま念のため辞書をひいてみたところ、 huit は最後の [t] を発音するかどうかが、次にくる語によって違う、 という点にも注意が必要なのであった。

2009-12-31 (4) 22:54:57 +0900

「表現練習」が終わったあとの 「いかがでしたか?」が12分30秒より前に出て、 そのあとはミカエルさんに 「ピアノを習っていたことはありますか?」の質問。 ミカエルさんの答えがいつもより長い分だけ、 先生の解説も長かった(と思う)。

2011-06-05 (0) 20:55:58 +0900

スター・ウォーズ>オビ=ワンが師についていたのは25年間より短い

I でのオビ=ワンは25歳という設定だった。 ということは、どんなに長くても、彼が師についていたのは25年間だ。

私が大学で指導教官についてから、もう30年に近くなる。

2009-11-24 (2) 03:23:43 +0900

for %f in (*.*) do fc /b "%f" f:"%f"」と二重引用符で囲むほうがよい

最近は、ファイル名が途中にスペースなどを含む場合があり、 そのようなときに fc が正しくコマンドライン引数を認識しないから。

2009-11-24 (2) 03:19:48 +0900

ファイルの整理中、うっかりしてファイルを一つ失った

Windows Vista の仕様と呼んでいいのかどうかわからないが、 ファイルを移動するとき、同じ名前のファイルがすでにあると、 上書きする・しないのほかに、 ファイル名の拡張子の前に「(2)」などを付加して移動する、 というオプションがある。

とりあえず同じフォルダに移動すると、 cmd から fc などを使って違いを調べやすい。 そうやって整理していたときのこと。 実際の名前とは違うが、 091124.html, 091124b.html のあるところに、もう一つ 091124.html を移動しそうになり、091124 (2).html という名前で移動した、 と思ってほしい。 調べた結果、091124b.html は 091124.html と全く同一と判明した。 そこで、cmd から del コマンドで削除した。 どうやら、091124 (2).html こそが 091124b.html という名前にふさわしいファイルだとわかったので、 GUI のほうで改名した。 cmd からだと、 091124 (2).html は途中にスペースを含むので二重引用符で囲まねばならず、 面倒だからである。

その次の瞬間である! 次の作業に進もうと、 cmd で「↑」を押し、一つ前の dir コマンドを実行させたつもりが、 実際には一つ前は del 091124b.html だった! 091124 (2).html として移動したファイルを、 間違って削除してしまったのである。

2009-11-24 (2) 03:05:48 +0900

サザエさん>三年後、小1のタラちゃんは「家庭数」のプリントを持ち帰る?

「家庭数(かていすう)」とは、私が通っていた小学校で、 “児童ごとに一枚”ではなく、 “各家庭に一枚”だけ配布するプリントをそう呼んでいたもの。 兄または姉がその小学校に通っている児童は、 「家庭数」と言われて配布されるプリントは受け取らない。 その分だけ少なく、印刷されていたものと思われる。 すなわち、職員室には、各学級の人数のほかに、 「家庭数」のプリントを受け取る人数もまとめて書かれていたのであろう。 ネットで検索してみると、この制度はほかでもあったようだ。

さて、TVアニメの「サザエさん」では、 ワカメは小3、タラちゃん(タラオ)は3歳となっている。 あの作品は、 磯野家とフグ田家が諸事情あって一つの家で生活していたわずかな期間を永遠にくり返しているのだ、 と聞いたことがある。 そうだとすると、三年後には磯野家とフグ田家は別居しているのかもしれないが、 そうではなく、まだ一緒に生活していたとしよう。

すると、ワカメは小6、タラオは6歳で、おそらく小1だ。 サザエがタラオに“お受験”をさせるとは思えないので、 同じ学校に通っていることになろう。 さて、ここで気になるのは、磯野家とフグ田家が一つの家庭なのか、 それとも別々の家庭なのか、である。 それによって、タラオが「家庭数」のプリントを持ち帰るかどうかが変わってくる。 アニメで描かれるサザエは、カツオやワカメの母親の役目を、 実際の母親と分担してつとめている。 あのままなら、プリントは一枚でいいように思う。

しかし、叔父・叔母が同じ小学校に通っている、という子は、 私の小学校時代には聞いたことがなかったと思う。

付) 給食の献立表は、家庭数だったんだろうか? 思い出せない。 全校で同じ献立だから、一家に一枚でよかったはずだが。

2009-11-24 (2) 02:40:31 +0900

“月に水があった”と聞けば「月水」なることばが思い浮かぶ

ちょっと前のニュース。

「月水」は「がっすい」または「げっすい」と読む。月経のこと。 いま、携帯電話版の広辞苑第六版で確認した。 「障り虫」または「月水虫」と書いて「さわりむし」と読む語もあるのか。 意味は「月経で腹が痛むこと」。

私はこの語を「南総里見八犬伝」で覚えたとしか考えられないので、 調べてみたところ、第百五回にあった。 (犬江親兵衛の再登場後、 曳手・単節の不思議な懐妊が語られる部分。 最初は、雛衣のくだりを探したが、すぐには見つからず。)

2009-11-24 (2) 02:20:31 +0900

きょうの補筆箇所

2009-11-22 (0) 03:19:03 +0900

回文「ahuhi ihu ha」(葵言ふは)

これは、歴史的かなづかいのままつづったローマ字である。 現代かなづかいなら「葵(あおい)言うは」。

2009-11-21 (6) 22:14:57 +0900

うまく部分列をとると任意の実数に収束する(し±∞に発散もする)有理数列

まず、部分列全体は非可算無限濃度をもつので、 こういう数列があってもおかしくはない。

第 0 群は 0; 第 1 群は -1, 0, 1; 第 2 群は -2, -3/2, -1, -1/2, 0, 1/2, 1, 3/2, 2; 第 3 群は -3, -8/3, -7/3, -2, -5/3, -4/3, -1, -2/3, -1/3, 0, 1/3, 2/3, 1, 4/3, 5/3, 2, 7/3, 8/3, 3; ... となる有理数列を考える。 第 n 群は、-n から +n までで、1/n おきに増えてゆくのである。 この数列を {aj} と書こう。

これが、タイトル行に書いた性質を持っていることを示す。 任意の実数 x に対し、|x| <= m となる自然数 m が存在する。 さらに、m はそのうちで最小のものとする。 i >= m なる i に対し、第 i 群からは、 |aj - x| <= 1/(2i) となる aj のうち、 j が最小となるものをとればよい。

±∞に発散させるのは容易である。

2009-11-21 (6) 21:25:34 +0900

回文「ikasô, Ôsaki」(生かそう、大崎)

本文ナシ

2009-11-21 (6) 21:24:31 +0900

回文「ikisô, kôsiki」(生きそう、公式)

本文ナシ

2009-11-21 (6) 21:21:04 +0900

「それ以上でもそれ以下でもない」は変? 複素数に値をとるなら OK か。

ちょっと前に、確か芸能人の誰かと誰かがつきあっているという報道がなされ、 それに対して二人のうちの片方が、 相手は仲のよい友人の一人であってそれ以上でもそれ以下でもない、 と発言したとあったのを見て。

数学科の学生向けには「全順序集合でなければありえる」と言えばよい。

2009-11-21 (6) 21:15:39 +0900

回文「似たな、あなたに」(にたなあなたに)

本文ナシ

2009-11-21 (6) 21:13:48 +0900

「穴谷(あなたに)」という姓はあるか? 地名にはあるようだが読みは不明

もしあれば「あなたに (anata ni)」と同音、というだけだが。

2009-11-21 (6) 21:07:39 +0900

回文「問ひ:ルツ記書きつる人」(とひるつきかきつるひと)

本文ナシ

2009-11-21 (6) 21:05:47 +0900

「つる(鶴)」の逆読みが「ルツ」

南総里見八犬伝に登場する女性名「沼藺」が「いぬ(犬)」の逆読みだったように。

だから、もしかしたら、明治時代の人にとって、 「ルツ」という名はいまよりも受け入れやすい名前だったのかも。

2009-11-21 (6) 21:02:58 +0900

回文「enu hiku ukihune」(N - 浮舟)

フランス語入りローマ字回文>「Ukihune, menu hiku」(浮舟、menu 引く)》 とどちらがまともだろう?

2009-11-21 (6) 21:00:04 +0900

回文「Ôta, gira o arigatô」(太田、ギラをありがとう)

ギラは「ドラゴンクエスト」シリーズに登場する呪文名。 仲間の太田が、ギラを唱えたおかげで助かった冒険者のセリフである。

「ギラ」のアルファベットによるつづり字がこうなるのかどうかは、知らない。

2009-11-21 (6) 20:55:26 +0900

回文「Ihi sama to tamasihi」(飯様と魂)

「飯」は姓。この回文は歴史的かなづかいをそのままローマ字に写したもの。

2009-11-21 (6) 20:52:19 +0900

回文「Ii sama to tamasii」(井伊様と魂)

「井伊」は姓。

2009-11-21 (6) 20:51:24 +0900

回文「enisi ne」(縁(えにし)ね)

回文>Enisi sine(縁、死ね)》 よりは気持ちがよいか。

2009-11-21 (6) 20:48:39 +0900

回文「Uta si e, keisatu」(歌氏へ、警察)

前に 《回文>「Uta si sisatu」(歌氏視察)》、 《ローマ字回文>「Uta si zisatu」(歌氏自殺)》 を書いた。

2009-11-21 (6) 20:45:45 +0900

回文「iesô ya, tayôsei」(言えそうや、多様性)

本文ナシ

付) 考えてみたら、「回文」のあとの「>」は不要だった。 本項以降、いれないことにする。

2009-11-21 (6) 20:39:34 +0900

回文>「arahi, ana. Yanaihara」(洗ひ、穴。矢内原)

矢内原は姓。

2009-11-21 (6) 20:38:10 +0900

回文>「Ayanokôzi, hizô konaya」(綾小路、秘蔵粉屋)

本文ナシ

2009-11-21 (6) 20:35:25 +0900

回文>「Ayako uzi, Sizuoka ya」(綾子氏、静岡や)

「氏」は普通「し」と読むが、ローマ字論者の田丸卓郎は、 聞き間違われないため、「うじ」と読むことを提案していた。

2009-11-21 (6) 20:32:56 +0900

回文>「amayaka, Wakayama」(甘やか、和歌山)

「Amaya ka, Wakayama」(天谷か、和歌山)と姓に解釈することも可。

2009-11-21 (6) 20:31:37 +0900

回文>「ieta katei」(癒えた過程)

本文ナシ

2009-11-21 (6) 20:28:58 +0900

回文>「しないか、いなし」

「いなし」は「いなす」の連用形だが、「伊奈氏」と姓に解釈してもよい。

2009-11-21 (6) 20:23:11 +0900

回文>「するかイカルス」

本文ナシ

2009-11-21 (6) 20:22:31 +0900

ワルキューレ>フンディングに、ノートゥングの柄にもたれる癖があったら

フンディングとジークリンデの婚礼の日に、 旅人、実はヴォータンが現れ、フンディングの家のまん中にある、 トネリコの木に一本の剣を深々と刺してゆく。 それを抜き取ったものは、その剣を所有することができるのだが、 いままで、誰一人成功したものはいない。

……というわけで、フンディングには、何か考えごとをしたりするとき、 その柄にもたれかかる癖ができてしまった。 たとえば、第一幕で妻と旅人とが似ていることを一人つぶやくときなど。 ジークムントがノートゥングを抜きとり、 ジークリンデを連れて逃げた翌朝、 第二幕前奏曲の中で起きてきたフンディングは、 ノートゥングの柄にもたれかかろうとして身体のバランスを失い、ころびそうになる……。

それがどうした。

2009-11-21 (6) 20:14:05 +0900

「ワルキューレ」第二幕への前奏曲を、フンディングの目から描いたらどうか

最初のファンファーレ風の音形は彼のしかけたアラームの音。 それを聞くとすぐにベッドから飛び上がるフンディング。 それからあたりを見回し、だんだんと、 昨夜の旅人が妻を連れて逃げたことを知るのである。

2009-11-21 (6) 20:12:10 +0900

落語「鰍沢」を踏まえた「ワルキューレ」第一幕の演出はできないだろうか

前に 《ワーグナーの「ワルキューレ」第一幕と落語「鰍沢(かじかざわ)」の類似点》 をあげたが、では、逆に、 「鰍沢」をふまえた「ワルキューレ」第一幕の演出はできないだろうか。

ジークムントがジークリンデから最初にもらう酒にも、眠り薬がはいっている。 ジークムントはジークリンデに「味をみてもらえませんか?」といって、 毒のはいっていないことを確かめるが、 少量では効き目を発揮しないタイプの眠り薬、という設定である。

ジークムントはだんだん意識がもうろうとしてくる。 そのことは、舞台前面に紗をおろすことで表現する。 一方、フンディングは、 ジークリンデがジークムントのために用意した眠り薬入りの酒を勝手に飲み、 眠りこんでしまう。

愛の二重唱も、彼の妄想にすぎない。 紗のおりていないところで歌うジークリンデは、 あくまでも旅人をだます悪い女である。 ノートゥングをトネリコの木から引き抜いたのもジークムントの見た幻で、 第一幕の終わりから二つめの、苦しげな和音が響くとき、 紗は切って落とされ、そこには、 眠り薬のため倒れているジークムントの姿が現れる。

しかし、これじゃ第二幕につながらないじゃないかっ!

2009-11-21 (6) 19:57:14 +0900

スター・ウォーズ>アナキンを興行に連れ出す気は、オビ=ワンになかったか

ジェダイの修業はきびしいといえども、 現実の世界でいう日曜日のような日はあったであろう。 そういうときに、もしも、オビ=ワン・ケノービがアナキンを興行に連れ出したら、 それなりのお金になったのではあるまいか。 銀河の中では片田舎ではあるが、 タトゥイーンのポッドレースで優勝したアナキンである。 フォースを利用した何らかの芸をすれば、お金を稼ぐことができたであろう。

もちろん、 そのお金はアナキンの母親をワトーから買い戻し、 自由にするために貯金するのである。

オビ=ワンから見れば、せっかくの休日をアナキンのためにつぶすことになる。 でも、あのオビ=ワン・ケノービなら、そのくらいのことはしたと思うのである。 興行の司会ぐらいは。

付) 幼いころのモーツァルトやベートーベンと、 その父親のことが念頭にある。念のため。

2009-11-21 (6) 19:49:03 +0900

パンチョ伊東さんって、伊東マンショを踏まえていたのだろうか?

本名伊東一雄。

2009-11-20 (5) 00:49:48 +0900

「起こる」の代わりに「起きる」を使うことが増えているのか

前項で、「起こった」は「怒った」と同音になるので、というところを書く際、 岩波国語辞典第三版で「起こる」をひいてみたところ、 「起きる」に言い換えられるケースはそちらになることが最近は多い、 という趣旨のことが書いてあった。 「怒る」と同音であることを避けるためだろうか。

「国が興る」などの場合は「おきる」とすることはできないから、 当然、そのまま。

2009-11-20 (5) 00:45:14 +0900

NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 13 日(金曜日)分

いよいよ、いわゆる“自転車操業”になってきた。 あす朝の放送を録音するために先週の放送を聞く。

意味の確認(実質は和訳)の途中で、 「ラファエルの話は続きます」がなかった。 確か、これまでは、 ディアローグからモノローグに切り替わるところに書かれている、 この種の文章を先生が読まれたと記憶しているが。

説明はなかったが、 「partir à どこそこ」で「どこそこに行く」 の意味になることがあるのか。 見聞きすれば意味はわかるが、 自分が話すときは aller を使ってしまいそうだ。

日本語からはいった manga の発音がよくわからない。 an は鼻母音、g は [g] の音でよいのだろうか。 手元の仏和辞典には manga は載っていない。 似たつづり字の語で manganèse の発音記号を見ると、 そうなるような気がする。 先生はわざとガ行の鼻濁音を避けておられると思うので、 「日本のマンガはフランス語でもそのまま manga です」 と言われたのが、[g] の鼻濁音化を避ければそのままの意味なのか、 いま一つはっきりしない。

Les histoires の、リエゾンででてくる [z] の発音。 ディアローグを読んだ人の発音は理解できるが、 ミカエルさんの発音は日本語の「ジ」にも似ていて、 なんとなく違和感がある。私の感覚が間違っているのだと思うが。

文法チェックの訳文の一つ、 「彼女は、目に涙を浮かべて、起こったことを話しました」。 テキストなしで音だけ聞いていると「怒ったこと」ともとれる。 フランス語がわかっていればそうはとらないが。 四段動詞「起こる」の代わりに、 上一段動詞「起きる」を用いて、「起きたこと」とすれば紛れがない。

bouche bée について、 「bée はこの表現でしか用いられない形容詞です」と説明があった。 手元の仏和辞典では、bé は見出しになく、bée として載っていた。 自分ひとりで辞書をひいていたら、 見つけられただろうか? 先生が前によく言っておられた、 「もともと e で終わっている形容詞です」、 かもしれないと思ってさがせば見つかるか。 (ただし、辞書を見る限り、 bée の e は女性名詞 bouche にかかるためついたもののように思える。)

さし絵のマンガ本は、左とじのように見える。 左から右への横書きにするため、各ページの左右を反転した、そういう本もある。

表現練習の「マンションを買うために」が 「マンショを買うために」に聞こえる。 (マンショといえば、 少年使節の一人、伊藤マンショが思い出される。)

ミカエルさんの m'acheter は ch と t の間に母音が聞こえるが、 先生の説明の s'acheter ではほとんど聞こえない。

「彼が主演のその映画」が「彼が初演の」とも聞こえる。

最後のミカエルさんとの自由な会話の中で、 先生は「マンガ」を鼻濁音で発音しているところが何箇所かあった。 ちょっとリラックスされて、本来のご自身の発音が出たのではあるまいか。 そこでのミカエルさんの、フランス語としての manga の発音を聞いていると、 はっきり [g] の音が出ている。鼻濁音化はないことがわかる。

2009-11-19 (4) 23:12:26 +0900

冒頭の先生のごあいさつに、少なくとも二つの録音があることを発見!

前回は 「みなさまこんにちは。 『まいにちフランス語 応用編』、講師の杉山利恵子です。 この応用編は、初級文法を復習したり、中級文法を学んだりしながら、 日々のできごとや、自分の気持ちなど、 身近なことを自然なフランス語で表現できるように、ということをめざしています。 きょうも楽しく学んでいきましょう。 お相手してくださるのは」。

今回は 「みなさまこんにちは。 『まいにちフランス語 応用編』、講師の杉山利恵子です。 この応用編は、初級文法を復習したり、中級文法を学んだりしながら、 日々のできごとや、自分の気持ちなど、 身近なことを自然なフランス語で表現できるようになることをめざしています。 きょうも楽しく学んでいきましょう。 お相手してくださるのは」。

違いは次の部分のみ。

「ということを」は、「いう」にも「こと」にも意味があるんだけど、 重なるとちょっとくどいかな、と感じていたので、気がついた。

ミカエルさんの Les histoires のリエゾンだけど、 ストリーミングで聞いたらあまり違和感がなかった。

上で、「起こったこと」は「怒ったこと」ともとられるから「起きたこと」にしては、 と書いたが、これだと「朝、起きた」の「起きた」と誤解される可能性があるのだった。

2009-11-22 (0) 03:08:33 +0900

今回は「ラファエル」を「ファ」にアクセントを置いて発音しておられる。

2011-05-30 (1) 00:25:45 +0900

計算機内での符号なし・符号つき整数の格納法を上下移動式黒板で説明した話

二枚の黒板が上下に移動し、入れかわるタイプの黒板で、 計算機における符号なし・符号つき整数のメモリへの格納法の説明をしたことがあった。 まず、左のように、符号なしの、単に 0 以上の整数を二進表記に対応させる、 わかりやすいものを書き、 黒板の上下を入れ替えて

11111111255
11111110254
11111101253
11111100252
...
10000011131
10000010130
10000001129
10000000128
黒板の
上下を
---入れ替えて--->
赤字を
追加
01111111127
01111110126
01111101125
01111100124
...
00000011 3
00000010 2
00000001 1
00000000 0
01111111127
01111110126
01111101125
01111100124
...
00000011 3
00000010 2
00000001 1
00000000 0
11111111255 -1
11111110254 -2
11111101253 -3
11111100252 -4
......
10000011131-125
10000010130-126
10000001129-127
10000000128-128

としてから、赤字で示した、符号つき整数のときに対応させる負の数を書き足した。 パフォーマンス性を考えてやったにしては、ほとんどウケなかった。

2009-11-19 (4) 22:05:44 +0900

きょうの補筆箇所

2009-11-16 (1) 01:57:06 +0900

“ハングル講座”の終わりのあいさつが「止まんなよ」に聞こえる

「まいにちフランス語」の前に放送されている “ハングル講座”の終わりのあいさつに、「止まんなよ」と聞こえるのがある。 どういう意味なんだろ?

私が聞くのは木曜日と金曜日だけだが、 このあいさつがあるときとないときとがある。

2009-11-16 (1) 01:28:58 +0900

NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 12 日(木曜日)分

ディアローグで語られる、クララが再会したという高校時代の友人が、 二人とも女性である、という説明がなかった。 amies とあるから、初級文法を終えていればわかる。 そうでなくても 「秘密や恋愛や夢を打ち明けあった」とあるから、 女性どうしであろうと想像されるだろう。 最後が renouer les unes avec les autres となっているのは、女性どうしだったから、のはず。

文法チェック。不定詞複合形について。 「代名動詞は s'être プラス 過去分詞ですが、 s' の部分は必要に応じて変化します」。 ここの「s'」のところでは、はっきり母音が聞こえるのに対し、 ディアローグの意味の説明で代名動詞を紹介されるとき、 se の母音がほとんど聞こえないときがある。 なんだか、逆になりそうな気がするのだが。

表現練習。 「10 歳」は「じゅっさい」と発音された。「じっさい」でなく。

「ハムスター」という語の、日本語としてのアクセントが、 三省堂の「明解日本語アクセント辞典第二版」と違う。 私が「デス・スター」と発音するときと同じアクセントだった。

2009-11-16 (1) 00:58:32 +0900

ディアローグとモノローグの間の、 「クララの話は続きます」を先生が読まれなかった。 (カセットテープに録音したものを聞いたときはこの日は気づかず、 この翌日分を聞いたときに気づいた。 《NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十一月 13 日(金曜日)分》 参照。)

se confier を「お互いに打ち明けあう」と説明されたが、 この se は間接目的語だろうな。

une fois le lycée fini の構文の説明がなかった。

2009-11-22 (0) 02:56:30 +0900

「ラファエル」を「ラ」にアクセントをおいて発音された。

une fois はテキストに「いったん〜すると」と訳語だけがあがっているし、 意味を確認するところでも触れられた。 ただ、このあとに「名詞 + 過去分詞」が続くことの説明がなかった。 手元のクラウン仏和辞典では une fois marié のように過去分詞だけが続く例しか載っていない。

se perdre de vue の se は直接目的語、だろうな。

「『profiter de なになに pour + 不定詞』で、 なになにを利用してどうこうする、です」と説明されたが、 「どうこうする」が不定詞、という説明はなかった。 常識でわかるけど。

「文法チェック」で 「普通、不定詞とゆっているのは」と言っておられた。

テキストに 「<avoir + 過去分詞>または<être + 過去分詞> (どちらの助動詞をとるかによります)」 とあるが、複合過去形を作るときにどちらの助動詞をとるかによる、 の説明がなかった。 フランス語を学んでいればほとんど明らかなので省略されたのであろう。

テキストに 「助動詞として être をとる動詞では、 不定詞複合形の場合でも過去分詞の一致があります」 とあるが、「主語と性・数の」という説明がなかった。 フランス語を学んでいればほとんど明らかなので省略されたのであろう。

お礼やおわびは、済んでしまったことに対してゆうことが多いので」 と言っておられた。

partagions の不定詞は partager だが、 -ions の i はその前の g を [g] と読まないためについている、 とカン違いしていた。そうじゃない。これは半過去形なんだ。 そういう目的で挿入される文字は、 現在形 partageons の e がそうである。

ディアローグの続きのモノローグ部分の合字について。 終わりから2行目の profité では fi が合字になっているのに対し、 confié, fini ではそうなっていない。 「単語メモ」ではすべて合字。 (「単語メモ」というのはうまい命名だと思う。 これですべてがわかるわけでありません、 辞書をひいて調べましょう、という意味が込められている。)

2011-05-29 (0) 23:09:50 +0900

Windows デスクトップのアイコンを整列させると縦に並ぶが……

いまうちでメインに使っている Vista マシンで、 デスクトップにアイコンを並べる。 そして「名前」順に「並べ替え」とすると、縦に並ぶ。 ところが、つながった複数個を選択しようとすると、 横に並んでいると解釈され、選択される。 普通、これだと困らないか?

デスクトップにはものを置くなということか。 あるいは、複雑な操作をする際には、デスクトップそのものではなく、 C:\Users\username の下のフォルダ Desktop を見よ、ということか。

2009-11-16 (1) 00:27:09 +0900

広島か長崎に皇居を移せば、結果として米国大統領は被爆地を訪れるのでは?

米国大統領の被爆地訪問はなかなか実現しそうにないので、考えてみた。 しかし、これでは意味がない、という意見もあろう。

2009-11-15 (0) 21:25:39 +0900

天皇・皇后は、米国大統領とは握手をする

きょうづけの朝日新聞大阪本社版社会面、 「両陛下と昼食」の記事。 《大統領は御所の車寄せに到着すると、 玄関前で出迎えた両陛下と握手し》とある。 オバマ大統領と皇后が握手をしている写真も掲載されている。

2009-11-15 (0) 21:20:05 +0900

きょうの補筆箇所

2009-11-15 (0) 03:15:54 +0900

「赤→黄→緑→シアン→青→マゼンタ→赤」の色の一周を七等分してみると

赤、黄、緑、シアン、青、マゼンタと変化してまた赤に戻るまで、 255 * 6 = 1530 通りの色を経由する。 これを 7 で割ると、218 がたって 4 余る。 そこで、赤から始めて 219 ずつ変化させてみると、 次のようになる。この七色から色が変わって循環してゆく、 七組の gif ファイルを作りたい、とも思ったが、 ほかにやるべきことが……。








2009-11-15 (0) 02:24:00 +0900

「変わり玉 gif ファイル」に二組、追加

すのものの「変わり玉 gif ファイル」』 に二組、追加した。

2009-11-15 (0) 02:21:05 +0900

やっぱり DOS の fc は動作がおかしいか

ファイル a を

x
y
z
とし、ファイル b を
a
b
c
d
e
f
g
h

x
y
z
とする。 このとき、 「fc a b」をはじめ、 「fc /1 a b」、 「fc /2 a b」、 「fc /3 a b」、 ……、 「fc /12 a b」は
***** a
x
y
***** B
a
b
c
d
e
f
g
h

x
y
*****
と出力する。 (ファイル a の長さが 3 行だから、 /4 以上は意味がないと思うが、念のため試してみたもの。)

fc は、うまく比較に成功したときは、 相違した部分の前後に、一致した行を一行ずつ表示する。 だから、ここでは y は表示されないのが本来だと思うのだが。

いま、 この「いろいろ」(その214)に最初の短い記事を書き、 次に二つめの、やや長めの記事を前に追加したら、 fc は最初の記事の第一段落を一致するとみなさなかった。 オプションの / のあとに書く数をいろいろ変えてみても、だめだった。

付) この記事のうち、この「付」を除いた部分を追加したときは、 うまく比較に成功した。

2009-11-15 (0) 00:27:24 +0900

三叉路に 120 度をなして進入してくる三つの道に優先順位をつけると

自動車は左側通行であるとして議論する。

三つの道が、完全に 120 度をなしている三叉路があったとする。 三つの道から同時に自動車が進入してきても、 三台とも左折するなら、問題は発生しない。 しかし、同時に右折すると、ぶつかってしまう。 そこで、三つの道に優先順位をつける必要が生じる。

いま、三つの道を、「南の道」「北東の道」「北西の道」と呼ぶことにする。 もしも「南の道」が真に南を向いていれば、 「北東の道」は北東を向いていない。 真北から東へ 60 度なので、 45 度である「北東」よりは 67.5 度である「東北東」のほうが近い。 しかし、短くてすむ「北東」をここでは使おう。 「北西」についても同様である。

南の道から進入するのを最優先としよう。 つまり、左折も右折も、他の道からの自動車を気にせず行なってよいとする。

すると、北東の道からの自動車は、勝手に右折することはできない。 頭の中で図を書いて考えてみると、 南の道からきて左折または右折する自動車とぶつかることがわかるからである。 つまり、右折時には南の道からの自動車を優先させねばならない。

北西の道からの自動車は、左折も右折も、 むやみに行なうと、南の道から右折してくる自動車と衝突する可能性がある。

北東の道から進入して左折する自動車と、 北西の道から進入して右折する自動車とは、合流するから、衝突の可能性がある。 北東の道から進入して右折する自動車と、 北西の道から進入して右折する自動車とは、経路が交わるから、衝突の可能性がある。

ここまでを、表にしよう。「-」は互いに干渉しないことを示す。

南の道北東の道北西の道
左折右折左折右折左折右折
南の道左折-o--
右折-ooo
北東の道左折---?
右折xx-?
北西の道左折-x--
右折-x??

残った四つの「?」は、二つを決めれば残りの二つも決まる。 可能性は四つである。 表の右端の「?」が二つとも「o」のとき、 三つの道の優先順位は、南の道、北東の道、北西の道、の順となり、

       #### 北東の道
       ####
       ####
       ####
###########
北     ####
西     ####
の     ####
道     #### 南の道
の形の、大通りと脇道と同じ優先順位である。 (図の中に書いてあるのは、対応する三叉路の道である。 また、たとえば北東の道から左折して南の道にはいるのは、 上の図では大通りに沿って直進することにあたる、となる。)

よって、 《三つの道が平等な三叉路だと、同時に三方向から右折車がきたらどうなる?》 に書いたような心配を防ぐには、 完全に三つの道を平等でなく、ある二つを直進扱いとし、 残る一つの道を脇道とすればよいことがわかる。 この解決法が存在することは、 現実にその形の交差点が存在するのだから、当たり前か。

上の表に戻って、これ以外の 「o」「x」のとき、 それを実現する交差点の形は存在するだろうか?

2009-11-14 (6) 22:52:55 +0900

八月第二週のNHKラジオ「実践ビジネス英語」は第一週の再放送だった

ことしの八月12日(水曜日)、13日(木曜日)、14日(金曜日)は、 その前の週、八月5日(水曜日)、6日(木曜日)、7人(金曜日)の再放送だった。 これは第十課の一回目、二回目、三回目であり、 この課の四回目、五回目、六回目はその次の週に、一度だけ放送された。 ビニェットは一回目から四回目に渡って放送され、 五回目と六回目はまとめ・復習である。 だから、ちょっと変則的な感じである。でも、 《今年の四〜五月の連休は、NHKラジオ「実践ビジネス英語」に再放送週あり》 のときも同じパターンであった。

この番組には、三回で完結する、短い課も存在する。第五週がある月のためである。 そういう課にはまとめ・復習の回がないので、 ビニェットを聞く回数が一回だけ少ない。 そういう課を放送する方法もあると思うのだが。

付) 日曜日に、前の週の三回分をまとめて再放送する。 それも、八月16日(日曜日)は9日(日曜日)の再放送だった。

付) 講師の杉田敏先生は、日本語としては「ビニエット」と発音していると思うが、 テキストの表記に従って「ビニェット」と書いた。

2009-11-14 (6) 21:58:35 +0900


すのもの Sunomono