20世紀制服保護協議会 〜このサイトの趣旨


2. モデルチェンジブーム


すべては東京の私立から始まった


 80年代末、東京の私立高校でちょっとした試みがなされました。当時の高校制服というのは新型といえばグレーや青などのブレザー、ベスト&スカートタイプ、それ以外はほとんど紺サージのシンプルなブレザーかセーラー服でした。ここにタータンチェック柄を取り入れた制服が登場します。はじめに導入したのは、頌栄女子学院と言われており、これは大いに話題になりました。これにならって嘉悦など数校がチェック制服を導入します。しかし、当時はまだすべての学校が似たようなチェック制服に流れるほど画一的ではありませんでした。オリジナリティーのあるセーラー服を新規導入するくらい度量のある学校がたくさんあったのです。
 そのころ、森伸之さんという方の、ある本が登場します。『東京女子高制服図鑑』(1988年)。制服ファンの間では説明不要の有名な著作ですが、知らない方のためにあえて申し上げれば、これは東京中の私立高校の女子制服をイラストで図解する、という画期的な労作でした。おそらく制服マニアの男性が買うであろうという版元の見込みは外れ、当の女子高生や女子中学生が「かわいい制服の学校」を探すために買い求め、ちょっとしたベストセラーになります。当然、マスコミも制服メーカーもこれに注目しました。
 しかし、1つのバイブルによって作られた「制服ブーム」は、制服の画一化への布石となってしまいました。特に偏差値が10以上跳ね上がったという品川女子学院の伝説はそれに火をつけたと思われます。マスコミが「最新のかわいい制服の学校に生徒が集まる」という情報を流し、さらに学校もメーカーもそれに踊らされて、一気にチェック制服や派手な制服の導入に動いてしまったのです。地方でも少し遅れて同じ状況が展開しました。

品川女子学院の成功は本当に制服のせい?

 はっきり言って、その見方は一面的すぎます。マスコミや制服メーカーが煽ったせいで制服改定だけで生徒が集まったように錯覚されていますが、実態は、校名を変え(もとは品川高校)、校舎を建て替え、莫大な宣伝費を投じた結果でした。つまり、まるきり新しい学校を開校したようなものだったのです。制服は当時珍しかったキャメルブレザーを採用して、うまく目立ったというだけにすぎません。事実、その後まねをしてキャメルブレザーを採用した学校はたくさんありますが、特に地方では保守的な土地柄に合わず、ほとんど失敗に終わっています(いまや「葬式やマジメな場に着ていけない不便な制服」の代名詞)。
 派手な制服の導入は事実上の新規開校に一般の目を引くというきっかけの1つに過ぎませんでした。
 学校も経営が大事ですから、成功した時点で品川女子の戦略は評価できると思います。ただ、これをきっかけに華やかな制服に変えさえすれば生徒が集まる、などという大ウソの迷信が出来上がったことは、多くの学校にとってこの上ない不幸でした。冷静に考えれば、地方の公立校を選ぶ生徒たちに、そんな自由な選択肢があるわけはありません。しかし、実際に90年代に相次いでDCブランド制服が導入され、そしてあっという間に廃れていくことになります。





チェック制服の登場と流行。








マスコミとメーカーが後押しした制服の画一化。






品川女子学院にまつわる大いなる誤解。




華やかな制服に変えるだけで生徒が集まるという迷信。

そういえばDCブランドの制服ってとんと見なくなったけど…?

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