445(よし子)のページ「今日という日」日高よし子更新2009年4月27日 1:32 445TOPへ 今日という日TOPへ 詩歌集『夢幻』へ マイメードソングへ
      『いつまで日本を貶(おとし)めるのか』
  中国で映画「南京、南京」というのが上映されその表現がエゲツナク観客から悲鳴が上がる程だそうである。ドキュメンタリー風に見せる為かモノクロ映像仕上げにしてある
という。言論や表現活動に厳しい中国当局がそれを放映させるという事は、国のお墨付きであるといえる。何故この時期に放映か、という事も日本人は一考すべきだろう。何かの狼煙ではないか?
 日本ではこの南京事件を徹底的に精査した人の書籍が出版されているが、この南京事件は東京裁判という戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた時の
「敗戦国悪虐」烙印の為の象徴的なものだった。<ザ・レイプ・オブ・南京(アイリス・チャン著)」の研究」(中国における情報戦の手口と戦略)』藤岡信勝、東中野修道氏著>
この本にもその事が書かれてあるので是非一読されたい。
東京裁判でこの事件が取り上げられたのは戦時下アメリカの支援を仰ぎたくてブロバガンダ的に作成した写真等を蒋介石がアメリカに提示したという経緯があり、その一方的な主張の下に東京裁判でも扱われた。しかし、この東京裁判でさえ当時の日本軍が処刑したとされたのは2万人だった。
 実際の公的記録で残っているのは掠奪10件、処刑3名であり、その被処刑者は軍服を脱いで一般市民の逃避場所安全地帯へ武器を隠し持ち紛れ込んでいたのを日本兵が見つけ処刑した。軍規が厳しい日本であった事は誰もが認める処だろう。
「戦時日本」を考える上でこの事は念頭に置かれなければ、本当の判断成否に毀損を生ずる。
 敗戦国であったばかりに戦後の日本は戦勝国の戦争史観に一切異論を唱えずに来てしまった事が(独立回復後も)この様な中国の南京虐殺資料館や今回の映画迄作らせる結果をもたらした。
 中国に対しては「そちらにだけは言われたくない」、過去という幻の事ではなく現在進行形でチベット自治区に於いて独立を主張する人たちに対する弾圧の酷さの手法などは、それを行なえる人間(国)にしか想像出来ないものだと思う。
又、共産主義の旧ソ連のスターリンや中国の毛沢東のやってきた自国民への粛清の為の弾圧や殺戮は1000万から3000万人という膨大な数である。先ずは、自国のやってきた事を「棚に上げないで」欲しいものである。

 酷いと言えば、私は見逃したが先日のNHKTVでの『日本の台湾植民地統治』放映は余りにも事実に反して酷いとインターネットのブログや、今日の『そこまで言って委員会』のコメンテーター氏も発言されていた。この『台湾』に関しては杉本信行氏の「大地の咆哮」の中にも台湾の記述がある。杉本氏は1993年から3年間財団法人交流協会台北事務所の総務部長として赴任している。その中に【どの赴任地より台湾ほど親日的な場所はない日本統治50年に依る文化的繋がりが深く、日本の風俗、習慣が浸透している。台湾はスペイン、オランダ、鄭成功(明の遺臣)に支配され、その清朝が版図に入れ開発を試みようとしたが10年も経たずに日清戦争が勃発し、1895年勝利した日本に割譲された。その時台湾人には、日本の統治下に入るか、中国大陸に戻るか、の選択の自由に依り大半は台湾に残り「日本人」になったが、元々には中国から渡った人が多かった。台湾は、中国から「化外の土地」として見捨てられていた島に、日本がゼロから近代都市を建設した。土地開拓、ダム、潅漑(八田與一参照)、インフラ、学校建設、農場等、日本からその指導者をどんどん送り込んだ)就学率は0から70%以上となった。】以上抜粋。又、元台湾の総統李登輝氏や評論家の金美麗氏が日本統治時代を、『日本精神』という基盤(教育)を植え付けられた事が台湾の近代化発展をもたらした、と称えてくれている。この言葉は台湾のその当時の年代の人達の代弁と言えるほどに愛日家が多い。現在でも短歌愛好会があると言う。
 朝鮮半島も同じ様な統治だと思うが、両極端に「反日」なのは、戦争で敗れた日本が去り、次に台湾にやってきたのは中国共産党に追われた国民党の蒋介石軍一行で、以後40年間戒厳令下で私利私欲を貪り、台湾人への殺戮の状態が続いた。
司馬遼太郎氏の「台湾紀行」には【日本の憲兵は拳銃を持っていたが50年間撃ったことがなかった。官吏で汚職する者もなかった。と日本を懐かしむ声も出た。】とある。
朝鮮半島との違いはこの差<日本の後の蒋介石軍の台湾統治>があった分『日本の方がまだ良かった』と思わせたのだろう。
                     ◎
 『国破れて山河あり』(由来は中国の漢詩だろうが古の支那には賢人が多かった)
この詩も含めて漢字文化を自分のものとして消化し、『ひらがな』等新しい文化を創出してきたのが日本民族だろう。
 小椋佳氏の歌に『山河』というのがある。著作権に関わるので少しだけ引用すると、

♪人は皆 山河に生まれ 抱かれ 挑み 
人はみな 山河を信じ 和み 愛する 
そこに 命を刻み 命を継なぎ そして 終には 山河にかえる
 顧(かえり)みて 恥じることない足跡を 山に築けたろうか・・・・・(略)・・・
 愛する人の瞳(め)に 俺の山河は 美しいかと 美しいかと・・♪

 日本民族というのは緑深い森のその頂にある山を御神体として崇めてきた。
『山から生まれ山へかえる』という死生観と、火山地震列島である『天然の無常観』(寺田寅彦氏の言葉)、それらを総じて自然界への『畏怖』を第1に生きた来た民族である。それゆえに小椋佳氏のような歌も生まれる分けだ。
 『時代背景』が変わっても、この風土、日本の山河が存在(ある)限り、この精神を引き継いでゆく限り、『自然界』は決して日本民族を見捨てはしないと思う。
 四季ある日本は地球の臍(ヘソ)、命の中心であるから美しい。
 『現在』、時代は真に地球温暖化抑制の時でもある。
この世界が人間だけで成り立っていると思ったら大間違いなのだ。
 このことを忘れまい

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