「石狩挽歌」は北原ミレイの歌です。作詞はなかにし礼、作曲は浜 圭介。
北原ミレイは他に「ざんげの値打ちもない」(阿久悠作詞)も歌っていますが、実はこの2曲しか知らないのです。
北原ミレイの少々鼻にかかった、投げやりな歌い方がこの2曲にはピッタリで、一度耳にしたら忘れることができない
ほど鮮烈な印象が残ります。
序奏の入り方が浜圭介独特のドラマティックな旋律で、そこへ「海猫(ごめ)が泣くからニシンが来ると」って北原ミレイの歌が
始まります。この(ごめ)という言葉と次の節の「赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ」で、ぐっと気分が高揚します。あえて言えば、「男の血」が騒ぐ。海猫(ごめ)、赤い筒袖(つっぽ)、ヤン衆等の「風俗語」が、男衆の肌に躍る刺青をさえ思い起こさせるのです。
次に「雪に埋もれた番屋の隅で わたしゃ夜通し 飯を炊く」と、活気に満ちた漁港でのニシン大漁のお祭り気分を、ぐつぐつと白い
水蒸気を噴出して飯が炊き上がる番屋の光景が否が応でも助長します。
しかし歌の後半、この祭り気分の大漁のイメージは空中楼閣であったかのように一気に瓦解します。
破れた網から大漁の魚群が抜け出してしまうように、掴みかけた夢は、一炊の夢のように消え去ります。
「今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロロー」と昭和一炊のバブリーな夢は「オタモイ岬のニシン御殿」の
残骸と化してしまいます。
サントリー角をオンザロックで飲みながら歌っていると、あの頃、「高度成長に酔った昭和時代」の蜃気楼が、ほら、遠く海の水平線に揺らぎます。
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