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2006 Spanien/UK/Schweden 95 Min. 劇映画
出演者
Peter Mullan
(Brookes - 貨物船の船長)
Daniel Brühl
(Chris - ドイツ人の密航者)
Luis Tosar
(Baptist - 船員、コック)
Samuli Edelmann
(Rhombus)
Gary Lewis
(Herman - 発狂する船員)
Nikki Amuka-Bird (Subira)
Ricky Grover (Elvis)
Koen Balcaen (Spike)
Christopher Fairbank (Ralph)
Carlos Blanco (Sasha)
Lois Soaxe (Orlando)
Jan Willem (Luis)
Pere Eugeni Font (Frank)
Gonzalo Cunill (Frank)
Kwaku Ankomah (Abrahim)
見た時期:2006年8月
まずはストーリーから。ドイツ人の若者クリスがアフリカで立ち往生しています。お金もほとんど残っていない様子ですが、警官にパスポートを取られてしまいます。とっさに思いついて欧州行きの貨物船に密航。取り敢えずヨーロッパ大陸のどこかにたどり着けば、後は何とか、そんないい加減なツーリストです。都合のいいことに船はマルセイユに向かっていました。心掛けのゆる〜い、先の事をあまり計画しない青年にとっては、これは《しめしめ、大成功》です。
キーキー鳴くアフリカの鳥を積んだ船倉に隠れていますが、見つかってしまいます。船長の所へ連行され、決まったのはコックの手伝いをすること。こき使われる上、クルーは乱暴者が多く、にこやかに付き合ってくれる人は1人もいません。無賃乗船という自分の立場をわきまえ、クリスは我満することに決めます。無口、目だけで物を言っているらしき船長、誰か、あるいは何かに束縛されほとんど物を言わない船員、楽しい旅行というわけには行きません。
普通の船に普通の密航者という関係で無いことに気づき始めたクリス。好奇心や単純な人助けでやり始めた事が、彼の命を左右するようにエスカレートして行きます。何と言っても公海上はドイツの法律もアフリカの法律も届きません。
この作品が目指した所は高度なモラルと政治の批判、たどり着いた所は神経を逆撫でする鳥の鳴き声と、あまり何も起きないための退屈。短くまとめるとこんな感じです。
ブロック・バスター無し、スターの少ない2006年のファンタでは、Cargo はスターが出ている作品と言えます。船長のピーター・ムーランは欧州では高く評価されているベテラン。有名な賞に数々のノミネートを受け、もらった賞もカンヌ、ベネチアなど一流どころ。ラジー賞にはノミネートされたことすらありません。自分で作った作品もあります。
スペインからは月曜日にひなたぼっこ、クイーン&ウォリアー に出ていたルイス・トーサーも。
ダニエル・ブリュールは今飛ぶ鳥を落とす勢いのドイツの若手大スター。本人はスターは目指しておらず、俳優を目指しているのですが、何しろ才能が溢れているので、評判になってしまいます。ドイツ国内の重要な賞は総なめ。私も数本見ていますが、彼の下手な演技というのはまだ見たことがありません。監督が彼を上手に使えたかどうかだけの問題です。顔で持っている俳優ではないので、本当の実力派と言っていいでしょう。まだ28歳です。
彼はティル・シュヴァイガーやフランカ・ポテンテがハリウッドに行っている間、そういうのは目指さず、ほとんどずっとドイツで働いていました。その気になれば彼はスペインでもスターになれるかも知れません。スペイン語は上手です。生まれはスペイン。本名 Daniel César Martín Brühl González Domingo といい、名前にドイツ語の特殊記号とスペインの特殊記号が入っている生まれた時から国際的な人です。お母さんはスペイン人ですが、ケルンで育ったのでメンタリティーはドイツ的です。外見だけを見るとあまりゆったりした所や陽気な所が感じられないのですが、その代わりにかなりプロフェッショナルな人で、徹底的にやるという気迫が感じられます。役になり切るのはお手のもの。ですから俳優という仕事に向いています。どうやら仕事と私生活のメンタルな面は上手に分ける事ができるらしく、見ていて危なっかしく感じたことがありません。
もう1人の天才スター、ユルゲン・フォーゲルと同じで、演劇学校とはそりが合わず、結局学校へは行っていません。天賦の才能の持ち主。演技はポテンテやシュヴァイガーより上手いです。
この種の映画では、船という場に登場人物が恐怖と共に閉じ込められるので、閉所恐怖症的な雰囲気が漂うものです。私などはそういう雰囲気は好きではありません。それを上手に誤魔化したのは監督の手腕でしょう。確かにクリスは船に閉じ込められていますが、船がかなり大きく、彼が最初に閉じ込められている場所だけでもかなりの大きさ。船員がいないと自由に歩き回れます。船はなぜかガラガラなのです・・・。
船上の雰囲気はゴースト・シップに似ていますが、幽霊は出ず、怖いのは人間の方・・・という路線を狙ったようです。しかし監督・脚本の意図は虻蜂取らずに終わっています。船員数人のキャラクターをエキセントリックにしたかったのでしょうが、焦点がきっちり合わず、「長い間船で働いているとこういう事もあるさ」と、観客は本当の船の生活を知らないまま感じてしまうのです。それではサスペンスは盛り上がらず、船の生活をする人についても、現実を知らないままイメージができてしまいます。船上で唯一まともなのは実はクリスなのですが、先に彼のいい加減な暮らしぶりを見せられているので、観客が彼を一般人、普通の人ととらえる余裕がありません。逆に「自分ならあんないい加減な事はしない」と、彼に距離を置いてしまう観客も多いでしょう。そのため船員のエキセントリックさと彼のまともさの差が見えて来ません。
余談ながら後で考えると比較的まともな船員バプティストを演じているのは、マイアミ・バイスでは1番の悪人でした。
「後で考えてみると・・・」というシーンがたくさん出て来るのですが、その中で1番重要なのが、船員や船長の忠告。「船の事に首を突っ込むな」とか、「用の無い時は部屋を出るな」、「・・・に食べ物をやるな」などといった事です。アフリカのシーンで分かるように、クリスはまだ人生をまだ1回切りのかけがえのない物だと考えていません。ドイツの親の世代は日本より早く、子供に嫌われないために物事を口うるさく言うのを止めてしまっています。ですからクリスの年齢の青年がちゃらんぽらんになっていても不思議ではありません。日本もその10年、15年後にこの方針を追ってしまいました。ですからクリスのようなタイプの青年を見ても日本人も《ああいうの、よくいるよ》となってしまうでしょう。・・・それが災いの元になってしまうのですが。
・・・といったように《後の祭り》シリーズなのですが、困ってしまうのは見終わって映画の印象が強く残らないこと。「怖い船はどれ」と聞かれたら私は「ゴースト・シップ」と答えてしまいます。
妙に押し黙ったような船員、クリス以外の密航者発見、その行方は・・・。しかしミステリーは盛り上がりません。観客は船倉に積んである珍種の鳥の叫び声にイライラさせられるばかり。
Cargo はブリュールを使い間違えた作品。と言うか、彼の良い所が全然見えない作品です。役を良く解釈して完璧な演技。その完璧さも鼻につくわけではありません。窮地に追い込まれたドイツ人の若者はきっとこうだろうと考え、そういう風に演じています。説得力十分。見ていて私が嫌悪感を抱くのは、ブリュールという俳優に対してではなく、そういう境遇になってしまうことに対する恐怖が理由でしょう。彼はリアリティーたっぷりに演じているのです。
ドイツにいて「アフリカに旅行」などと聞くと、旅行会社が世話をしたバンガローなどに2、3週間滞在し、車で猛獣を見に行って写真を撮ったり、現地の洋服やアクセサリーを買ったりという想像をします。お金がほとんど無く、パスポートを取られて国に帰れないなどという想像はしません。ですからそういう思いがけない出来事だけで十分ホラーになり得ます。
次のホラーは、船に乗り込んでから。人相の悪い男たちががらがらの船の上を時々歩き回っています。ブリュール演じるクリスがいつ見つかってしまうか、食べる物が十分あるのか、どこかに閉じ込められてしまうのではないか、そう想像しただけで怖くなります。ゴースト・シップとは全然違う展開なのに、ゴースト・シップと同じぐらい怖い雰囲気になって来ます。ところが逆に後で考えると「何であんなシーンを撮ったんだろう」と思うような場面もあります。
それに音響効果が加わります。ズン!などと人を脅かすような音は一切使いません。そうではなく、音の出所はクリスが隠れている船室に置いてある鳥籠。この船は貨物船なのですが、貨物らしい貨物はほとんど積んでいません。がらんとした船倉には人も入れるぐらいの大きな檻があって、中には鳥が入っています。船員はその鳥に水や餌をやるために時々降りて来ます。会話を全部集中して聞いていられなかったので良く分かりませんが、輸出していい鳥なのか、国際的に移動を禁止されている鳥なのか、ちょっと気になりました。確かワシントン条約とかいう国際条約があったっけ、などとぼんやり考えていると、その鳥がヒステリーのようなキーキー声で鳴くのです。それが映画全体のかなりの時間になるので、見ていて(聞いていて)イライラして来るのです。
やがてクリスは船員にとっ捕まってしまいます。船長の前に引っ立てられ、お裁き。密航はEUのどの国でも刑になります。しかし妙な雰囲気になって来ます。クリスが乗っていることが《悪い》のではなく、《困る》という雰囲気なのです。公海の船の上の船長にはかなりの権限があります。ですからこういう時は船長は警察のような役をし、クリスは無賃乗車で捕まった客のような立場になります。そこに国境問題が絡んでちょっとややこしくなるだけです。ところが船員と船長は妙な目配せ。処遇に困っています。
厚かましさと甘えでは他の人に引けを取らないクリスは、不快ではあるけれど、なんとかなるだろうと踏んでいます。結局お裁きは、「コックを手伝え」となります。後から考えるとこれはお目こぼしみたいなものです。楽して暮したい甘えだらけのクリスですが、それでもこの状況でコックの手伝いだったら、まあ良い待遇と感じた様子。船室ももらえます。
誰も彼に同情したり親切にしてくれないので、楽しい雰囲気ではありませんが、兎に角これから欧州につくまでの寝床と食料は確保できたわけです。自分の手で努力して稼がなければ行けないなどと思っている若者は昨今天然記念物と同じぐらい珍しくなっていますから、ブリュール演じるクリスは一般人を代表したようなもの。要領良くいい待遇を受けてもそのありがたみがちゃんと身にしみていない様子を上手に演じています。
これですとなぜ Cargo がファンタに来たのかが分かりません。癇に触る鳥の声も別に意味があるわけではありませんし、殺人事件があるわけでも無いし・・・。となるわけがありません。殺人事件はあるのです。それも複数。クリス以外にも密航者がいたのです。そしてその人たちは船員全員の手で大洋の真っ只中、海に突き落とされてしまうのです。これは何を意味しているか。
クリスが同じ運命をたどっても全然おかしくないのです。自分の受けている待遇を当然のこととして受け入れていたクリス、不満すら覚えていたクリスと、情け容赦無く海に突き落とされてしまう人たちの差は?監督は皆まで言いませんが、Cargo を見ていると一目瞭然。
男が海に突き落とされてしまう原因を作ったのは実はクリスでした。彼は船室に誰かがいることに気づき、こっそり食料を置いていたのです。それを他の船員に見つかって男が捕らえられてしまったのです。その男には妻がいて、その場は妻1人逃れます。それを知っていたクリスはさらに危険を犯して食料を運びます。
後半になると船員の中にも意見が違う人がいて、他の乗組員がやっている事を良く思っていない人もいることが分かって来ます。しかし長年の経緯からずっと口を閉ざしていました。それがクリスの登場で徐々に表面化し、最後のクライマックスには大きな対立に発展します。そしてクリスは海へ。
船長はそれまでポツリと口を開くことはあっても、普段は黙って見つめています。船員とも長い付き合いで、いちいち口を開かなくても何をどうするかはほぼ決まっています。船員も特に何も言わずいつも通りの行動をしていました。一種のハーモニーをクリスが引っ掻き回してしまったのです。引退間近の年齢の船長は、クリスを息子のような目で見ます。ピーター・ムーランの演技が光りそうになりますが、不発。
ここで普通の映画ならムーランが死に、ブリュールがかろうじて生き残ります。ところがそんな期待は簡単に潰されてしまいます。ついに発見されてしまった死んだ男の妻、彼女を殺すことに反対のクリス、反対するのならとクリスも妻も殺さなければ行けないはずの船長と船員。
残念ながらヒットは無理そうです。現代の問題がてんこ盛りしてあり、その1つ1つがそれだけでも映画を撮れそうなテーマ。主演のピーター・ムランのメイクがそっくりさん風で、その彼が上に立つ者の苦悩を表わしているのだとしたら、賛否は分かれるでしょう。目標は高かったと思います。しかし焦点が定まらず、腰砕けの結末になります。
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