ミステリ&SF感想vol.76

2003.11.25
『江戸忍法帖』 『自宅にて急逝』 『忘却の船に流れは光』 『島』 『ホック氏の異郷の冒険』



江戸忍法帖  山田風太郎
 1960年発表 (講談社ノベルススペシャル)

[紹介]
 時の将軍・徳川綱吉の側用人として権勢をほしいままにする柳沢吉保。その彼を愕然とさせたのは、前将軍・家綱の落とし胤である葵悠太郎の存在だった。三人の忠臣にかつぎ出され、今にも水戸光圀公に目通りしようとする悠太郎に対して、吉保は配下の甲賀忍者から選りすぐった“甲賀七忍”を放ち、その抹殺を図る。いずれも強力な忍法を操る甲賀七忍の前に三人の忠臣は相次いで倒れるが、自身は世に出ようという野心を持たない悠太郎は、平然と構えて動かない。しかし、甲賀七忍の魔手がさらに近づいてきた時……。

[感想]

 『甲賀忍法帖』に次いで書かれた(雑誌掲載は1959〜1960年)、忍法帖シリーズの第2作です。十人対十人のチーム戦だった『甲賀忍法帖』に対して、本書では一人(+α)対多人数という形式になっているのが興味深いところです。いわば本書は、『甲賀忍法帖』で確立された“忍法”を、はっきりした主役が存在するオーソドックスな物語に導入する試みなのではないでしょうか。『甲賀忍法帖』では見られなかった“善対悪”という構図が打ち出されていることも、オーソドックスな勧善懲悪を意識したものであるように思います。

 とはいえ、本書が単純な物語だというわけではまったくありません。もちろん、前面に押し出されるのは葵悠太郎と柳沢吉保・甲賀七忍との争いであり、葵悠太郎の剣術と甲賀七忍の(例によって)奇想天外な忍法による戦いであるのですが、もう一つ忘れてならないのが影の主役ともいえる女性たちの動きです。それぞれの事情で事件に関わることになった、葵悠太郎と同じ長屋に住む獅子舞の娘・お縫、柳沢吉保の娘・鮎姫、そして甲賀忍者の頭領の孫娘・お志乃の三人をめぐって、葵悠太郎・柳沢吉保・甲賀七忍の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、さらにその三人がそれぞれに抱える葵悠太郎への想いが絡み合うことで、事態が一層複雑なものになっているのです。このあたりはなかなかよくできていると思います。

 しかし、主人公である葵悠太郎の造形・行動とプロットが相まって、全体的に中途半端な印象が拭えないところが大きな難点です。これは、後に書かれた他の作品と比べてみるとわかりやすいでしょう。例えば、はっきりした“善対悪”という構図の上で、女性たちを守ることを第一義とする柳生十兵衛のヒーロー性が強調され、十分なカタルシスを感じさせてくれる『柳生忍法帖』。あるいは、善悪の観念を超越したところで物語が進行し、一応は味方であるはずの女忍者たちとの間に厳然たる一線を画す無明綱太郎を主役とした、全編を貫く虚無感が印象的な『忍法忠臣蔵』。一人の主役+複数の女性と多人数の敵との対決という基本的な図式は共通していながら、それぞれ逆方向に“突き抜けた”感のあるこれら両作品に対して、本書はいかにもどっちつかずです。

 命を落とした忠臣の行動を“おのれの立身のため”と断じて突き放す一方で、同じ長屋のお縫・丹吉姉弟に対しては情を示し、かと思えば女たちを戦いに巻き込んで人質とすることもいとわないという葵悠太郎の言動は、全体的にみて首尾一貫しないように感じられます。主人公としての魅力がないわけではないのですが、柳生十兵衛のようなヒーローにも、また無明綱太郎のようなアンチヒーローにもなり得ない、中途半端な人物像には引っかかりを覚えます。また、プロットもどこかそれに引きずられているようで、特に結末などは釈然としないところがあります。十分な面白さは備えているものの、作者自身がさほど高く評価しなかったのも納得できる、そんな作品です。

2003.11.06読了  [山田風太郎]



自宅にて急逝 Suddenly at His Residence  クリスチアナ・ブランド
 1947年発表 (恩地三保子訳 ハヤカワ・ミステリ492)ネタバレ感想

[紹介]
 白鳥の湖邸では今年も、邸の主であるサー・リチャードの亡くなった前妻を偲ぶ行事が行われようとしていた。だが、次々と集まってきた親族たちの言動に機嫌を損ねたサー・リチャードは、遺言状を書き換えると言い残してロッジに引っ込んでしまう。そして翌朝、彼は死体となって発見されたのだ。心臓の弱った老リチャードにアドレナリンを投与し、ショック死に追い込んだのは、一体誰なのか? そして、消え失せた遺言状の行方は……?

[感想]

 親族一同が集まる中、遺言状を書き換えようとした主が殺されるという、ミステリでは定番の一つともいえる状況である上に、(足跡の謎こそあるものの)殺害手段そのものもかなり地味であるため、序盤はやや面白味に欠ける印象を受けます。しかし、コックリル警部が登場し、捜査が始まってからの展開が本書の最大の見どころです。

 全員に動機があり、状況からは誰が犯人であってもおかしくない中、容疑者である親族たち自身がコックリル警部そっちのけで犯人探しを始め、結果として全員が一度は犯人との指摘を受けることになるのです。A.バークリー『毒入りチョコレート事件』などのような多重解決形式にも通じるところがありますが、容疑者たちが総出で推理を繰り広げるというのは非常にユニーク。しかも、遠慮なくお互いを犯人として指摘しながら、ぎりぎりで殺伐とした雰囲気になることはなく、和気藹々とはいかないまでも、親族としてどこか一致団結したところを保っているのが、何とも不思議な感覚です。暴君(というほどでもないのですが)として君臨していたサー・リチャードが亡くなったことで、逆に一族にまとまりが生じた、といったところでしょうか。その推理も、“誰それが犯人であってくれれば一族にとって都合がいい”というところから出発しているものが多くなっています。

 完全に脇役に追いやられている感がありますが、最後に謎を解くのはやはりコックリル警部。解決の場面には思わぬアクシデントが重ね合わされて、劇的な演出が施されているのも印象的です。最後の最後で明かされるトリックについては、何というか、思わず笑いを禁じ得ませんでしたが、まずまずよくできていると思います。

2003.11.14読了  [クリスチアナ・ブランド]



忘却の船に流れは光  田中啓文
 2003年発表 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)ネタバレ感想

[紹介]
 かつて悪魔の襲来によって滅びかけた人々は、主の導きによって、悪魔の侵入を食い止める〈壁〉の内側に築かれた、5つの階層からなる都市で暮らすようになった。主はまた、〈耕作者〉や〈保育者〉など、それぞれの役割に特化した肉体を持つ人々を生み出し、階級が作り上げられていた。その中の一つ、都市を統べる〈殿堂〉に連なる〈聖職者〉階級の若者ブルーは、悪魔崇拝者の摘発に参加し、世界の真理を探求する〈修学者〉のヘーゲルと出会ったことから、世界のあり方に疑問を覚えるようになっていったのだが……。

[感想]

 SF(『銀河帝国の弘法も筆の誤り』など)・ホラー(『三人のゴーストハンター』など)・ミステリ(『鬼の探偵小説』など)と幅広いジャンルにわたって活躍しながら、グロテスクな描写とダジャレの二本柱で独自の色を強く主張する田中啓文。本書も例によって“田中啓文テイスト”満載(ただしダジャレは控えめ)ですが、その奥から姿を現してくるのは非常にオーソドックスなSFです。

 現実を離れた架空の世界を創造することは、SFの本質的な魅力の一つといえるでしょう。そしてその際に、作者がその世界を生み出したプロセスを、主人公が最終的に到達すべき世界の秘密として作中に盛り込むことも、SFでしばしば用いられる手法です。その意味で、本書はSFの王道といってもいい作品になっています。ただし、その世界が独特の奇怪で猥雑なものになっているところは、やはり田中啓文ならではというべきでしょう。

 例えば、プロローグの途中までは田中啓文の作品とは思えない(?)シリアスでストレートな冒険SFの雰囲気なのですが、17頁に登場する〈踊り子{ダンサー}〉の歌でいきなりずっこけそうになってしまいます。その後はもう田中啓文テイストが全開。しかし、そのグロテスクで下品な描写の中に、少しずつ世界の真実へとつながる手がかりが散りばめられていきます。

 正直なところ、世界の真の姿は先例のある“アレ”かと思っていたのですが、いい意味でこちらの予想を裏切ってくれました。しかも、そこから導き出される結末がまた見事。もう一つ仕掛けられたミステリ的なネタには今ひとつ釈然としないところもありますが、本格的なSFを骨格に、ホラー(スプラッタ)やミステリの要素も加えて肉づけした、(前述のようにダジャレこそ控えめですが)田中啓文の様々な資質が存分に発揮された現時点での集大成ともいえる傑作です。


 ところで、田中啓文が山田正紀のファンである(例えば、山田正紀『地球・精神分析記録』(徳間デュアル文庫版)に寄せた解説や、『蹴りたい田中』に収録された「やまだ道 耶麻霊サキの青春」を参照)ことを念頭に置いてみると、本書はなかなか興味深い作品といえます。たとえば、ダンテの『神曲』をモチーフにしている点は『神曲法廷』に通じるところがありますし、世界の秘密に関わるネタも山田正紀のある作品(これは伏せておきます)を踏まえたもののように思えてきます。そして、物語全体の構造や世界の描き方、ひっくり返し方から想起されるのは、田中啓文自身が衝撃を受けたという『宝石泥棒』です。雰囲気は大きく異なるのですが、本書はやはり田中啓文なりの『宝石泥棒』への、ひいては山田正紀へのチャレンジといえるのかもしれません。
 ……と思っていたのですが、機会を得てご本人に尋ねてみたところ、山田正紀『宝石泥棒』ではなく荒巻義雄『神聖代』を意識した、とのことでした。

2003.11.15読了  [田中啓文]



 Delirium  ボアロー/ナルスジャック
 1969年発表 (山根和郎訳 ハヤカワ・ミステリ1137・入手困難ネタバレ感想

[紹介と感想]
 中編2作を収録した作品集です。どちらの作品も、『影の顔』『死者の中から』、あるいは『悪魔のような女』といった代表作と同様に、正気と狂気の狭間で揺れ動く主人公の心理を丹念に描くという、ボアロー/ナルスジャックお得意の手法によるものです。

「譫妄」 Delirium
 日々酒に溺れるシャルモンは、愛人の夫サン・ティエリを殺してしまい、物盗りの犯行に見せかけて逃げ帰った。だが、予想に反して事件は発覚しなかった。なぜか死体が消失してしまったのだ。のみならず、サン・ティエリは義兄とともにミラノへ旅立ったという。疑念に駆られたシャルモンが現場を再訪してみると……。
***
 犯人の心理描写を中心とした倒叙形式のミステリ、かと思いきや、なぜか事件は発覚しません。それはそれで好都合なはずですが、主人公のシャルモンはいつしか、事件を露見させようと苦労する羽目になってしまいます。結末はある程度見えていますが、そこへ至る皮肉な展開が楽しめる秀作です。

「島」 L'ile
 岩だらけの土地に、わずか300人ばかりが暮らしている。その由緒ある家系・マンギー家の一員でありながら、幼い頃に父に連れられて島を離れたジョエルは、長くみじめな放浪の果てにようやく故郷へと戻ってきた。ここでもう一度、人生をやり直すのだ。だが、彼を待ち受けていたのは、ある一つのだった……。
***
 主人公であるジョエルの心理が印象的な作品ではありますが、ミステリのネタとしては「譫妄」に比べるとやや落ちます。

2003.11.18読了  [ボアロー/ナルスジャック]



ホック氏の異郷の冒険  加納一朗
 1983年発表 (角川文庫 緑519-5)ネタバレ感想

[紹介]
 1891年、東京。医師の榎元信はある夜、診療をきっかけとして親しくなった農商務大臣の陸奥宗光から、急な呼び出しを受けた。鹿鳴館で催された晩餐会の際に、宗光の鞄から盗み出された、日本と英国との間に秘密裡に交わされた重要書類を取り返してほしいというのだ。榎は、その場で引き合わされた英国公使館のサミュエル・ホックと名乗る紳士とともに、極秘の捜査にあたることになった。優れた観察力と推理の才を持つホック氏は、英本国で探偵として警察に協力しているらしい。やがて二人は犯人を探し当てるが、肝心の書類の行方は……?

[感想]

 作中でこそはっきりと示されてはいないものの、解説でも触れられているように、明らかにシャーロック・ホームズパスティーシュです。しかも、ライヘンバッハの滝にてモリアーティ教授との格闘の末に消息を絶ったホームズが、復活を遂げる前に密かに日本を訪れていたという、日本人にとっては非常に興味深い作品といえるでしょう。当然ながら、作中の“ホック氏”が見せる言動の随所に、ホームズの物語を読んだことのある人ならニヤリとさせられるところがあり、パスティーシュとしてかなり質の高いものになっています。

 個人的に、ホームズものの最大の魅力は、謎そのものよりもホームズの華麗なる活躍にあると思っているのですが、この作品では慣れない異国の地で奮闘する“ホック氏”の姿が一際印象深く描かれています。ホームグラウンドである英国でのホームズは、例えば天文学に無知といった弱点もないではないものの、やはりその活躍は常人離れしているため、時にややとっつきにくい印象も受けるのに対して、本書では異国の文化の中でなかなか謎が解けずに苦悩する場面もあり、“原典”で描かれたホームズ像よりも人間味が増している印象を受けます。もちろん、お約束ともいえる鋭い観察眼は健在ですし、活劇方面の活躍も盛り込まれているなど、ヒーローとしてのホームズ像を崩すことなくより親しみの持てるキャラクターとしているところは好印象です。

 また、本書がその設定上、明治時代を舞台とした時代ミステリの性格を備えているところも見逃せません。急速な西洋化・近代化の流れに対して、それに抵抗する勢力が台頭し、せめぎ合うという当時の世相が鮮やかに活写されているだけでなく、後の外務大臣・陸奥宗光を重要な役どころに据えて国際情勢にまでも踏み込むという、非常に意欲的な作品となっています。そして、そのような時代背景と事件との絡みも、十分によくできていると思います。

 一つ一つの謎はさほどではないものの、機密文書の盗難事件、密室殺人事件、そして暗号と盛り沢山で、ミステリとしてもまずまずといっていいでしょう。シャーロック・ホームズのファン以外にもおすすめの佳作です。

 なお、『ホック氏・紫禁城の対決』・『ホック氏・香港島の挑戦』(いずれも双葉文庫・入手困難)という続編が書かれているようです。

2003.11.20読了  [加納一朗]


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