十三の呪 死相学探偵1
[紹介]
拝み屋として知られる祖母の影響か、幼い頃から他人に現れた死相を視ることができた弦矢俊一郎は、その能力を生かそうと探偵事務所を開く。やがて訪れた最初の依頼人・内藤紗綾香は、結婚直前に相手の青年実業家・入谷秋蘭が急死するという不運に見舞われ、葬儀の後にそのまま滞在中の入谷家で嫌な予感に怯えているというが、俊一郎の目には死相は視えなかった。しかし数日後、入谷家で怪異現象が起こり始めたことで再び事務所を訪れた紗綾香は、体のあちこちで蠢く不気味なものに取り憑かれていたのだ……。
[感想]
ホラーとミステリの融合を試み続ける三津田信三の新シリーズは、人に取り憑いた死の影を視ることができる“死相学探偵”弦矢俊一郎を主人公とした、作中でも言及されているウィリアム・ホープ・ホジスン『幽霊狩人カーナッキ』(『幽霊狩人カーナッキの事件簿』)などのようなゴーストハンター/オカルト探偵ものとなっています。
今までの作品(*1)に比べるとやや軽めの雰囲気になっているのも目を引きます。実のところ、“ホラー”といえるほどの怖さが感じられるのは序盤のごく一部、主人公が自身の能力に気づいた幼い頃を回想する場面にほぼ限られており、他の作品のようなホラーテイストを期待すると肩すかしを食うことになるでしょう。それは一つには、依頼を受けて事件を解決する“探偵”であるという主人公の位置づけによるもので、事件の当事者――怪異の標的――ではなく直接危険が及びにくいという立場上、その恐怖もさほどのものとはなり得ません。
そしてもう一つ、死相が視えるという主人公の能力も微妙なところで、常人離れしたものとはいえあくまでも“視える”というだけなのですから、あまりに強大な怪異は手に余ることになってしまいます(*2)。本書で大量に発生している怪異現象の大半が比較的“軽い”ものになっているのは、主人公の限定された能力との兼ね合いとみることもできそうですし、怪異の背景にあるのが(『十三の呪』という題名からも明らかなように)呪術、すなわち人の意思であることも、“視える”だけの主人公でも対処可能な程度に事件をとどめる上で重要だといえるかもしれません。
このように、一貫して怪異が前面に出されていながら恐怖が伴っていないのは、主人公の造形からして必然といえるもので、もちろん作者としても織り込み済みだと考えられます。結局のところ本書は、怪異(オカルト要素)を題材として扱ったミステリ――オカルトミステリとして読むべきなのでしょう。そしてミステリを軸として考えれば、死相を視ることができるゆえに“死を未然に防ぐ”可能性を持つ探偵(*3)のユニークさが浮かび上がってきます。
ミステリとしては、怪異の元凶である呪術の“仕掛け人”(犯人)を探すフーダニットもさることながら、間近に迫った死を止めるべく“呪術の論理”を理解する――様々な怪異の中に法則性を見出していくことに重点が置かれており、さながらミッシングリンクものの様相を呈しています。そして、オカルト要素であるだけに求められる合理性のハードルが下がり、いわば自由度が高くなっている感があるのが面白いところで、ついに見出された法則とそれを逆手に取った“解決”は、かなりバカミスに近い味わいをかもし出しています。
シリーズ第一作だけに、キャラクター紹介に分量が割かれているのは否めませんが、作者らしからぬ緩さ/軽さも含めてまずまず満足といったところで、今後の展開が大いに楽しみです。
*2: その意味で、いずれは拝み屋である祖母の助力を求めるという展開も十分に予想されるところです。
*3: その弦矢俊一郎自身が、作中で
“本当に必要なのは、それこそ殺人事件を未然に防げる小説の中の名探偵ですよ”(68頁)という台詞を口にしているのがおかしいところです(このあたりについては、「『十三の呪 死相学探偵1』(三津田信三/角川ホラー文庫) - 三軒茶屋 別館)」もぜひご参照下さい)。
2008.07.07読了 [三津田信三]
ハローサマー、グッドバイ Hello Summer, Goodbye
[紹介]
政府高官を父に持つ少年ドローヴは、今年も夏休暇を過ごすために両親とともに港町パラークシを訪れ、密かに思いを寄せていた宿屋の娘ブラウンアイズと念願の再会を果たす。他の少年少女たちも交えて一緒に遊びながら、ドローヴとブラウンアイズは少しずつ交流を重ね、互いに愛情を深めていく。だが、隣国との間で続く戦争がパラークシにも次第に影を落としていき、ついに到来した“粘流{グルーム}”――太陽に熱せられて高濃度になった海水の流れ――が、やがて訪れる夏の終わりを告げる中……。
[感想]
かつてサンリオSF文庫で刊行され、長い間入手困難となっていた幻の名作。巻頭に掲げられた“これは恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説であり、さらにもっとほかの多くのものでもある。”
という作者の言葉の通り、様々な要素が入り混じりながら、それらが見事に一つの物語としてまとまった、SFファンならずとも必読の傑作です。
地球とは別の惑星を舞台とし、登場人物たちも(ヒューマノイドとはいえ)すべて異星人でありながら、どちらも意図的に地球に似せてあるのが目を引きますが、これは読者を物語に引き込みやすくしているだけでなく、一種のミスディレクションとして機能している部分もあるかと思われます(*1)。作中に登場する地名があまり英語っぽくない(*2)にもかかわらず、人名は軒並み英語そのままに近いものが採用されている(*3)ことも、同様の効果を狙ったものといえるのではないでしょうか。
さて、夏休暇を迎えたドローヴ少年が両親とともに港町パラークシへと出発するところから始まる物語は、主人公の日常を完全に削ぎ落として非日常だけを切り出し、その中に少年を成長させるに足るイベントを詰め込んだ“夏休み小説”となっています。どちらかといえば理屈っぽい少年であるドローヴの語り口は比較的落ち着いてはいるものの、ブラウンアイズとの再会への期待に代表される高揚感のようなものが透けて見える感がありますし、少なくとも序盤は隣国との戦争も別世界の出来事であるかのような印象を与えています。
もちろんドローヴの関心の大半は愛するブラウンアイズに向けられているわけで、それ以外のすべてが背景めいたものになってしまうのも当然といえるでしょう。しかし、(とうに青春を過ぎた人間(苦笑)にとっては)ステレオタイプともいえる“若さ”が目について少々気恥ずかしいものにも感じられる二人の恋愛が、同時にドローヴの成長――二人を取り巻く状況に対する視野の広がり――のきっかけともなっているところがよくできています。
時を同じくして、何の変哲もない港町だったはずのパラークシの情勢も大きく変化していき、それまで青春小説/恋愛小説の陰に隠れてきた別の“顔”が前面に出始めます。とりわけ、序盤から中盤までかなり目立たなくなっているSF小説の要素が、終盤になって突如大きくクローズアップされ、一気にスケールの大きな物語に変貌するのが見どころ。かくして、白日の下にさらされた“真実”が、それまでの物語を通じて読者がそれぞれに親しみを覚えた(であろう)人々を容赦なく翻弄し、ドローヴとブラウンアイズもそこから逃れることはできません。
しかし、最後の最後に用意されているのは、山岸真氏が「訳者あとがき」でいうところの“SF史上有数の大どんでん返し”
。サプライズもさることながら、数々の伏線が一つにまとまるカタルシスが強く感じられる静かなる“最後の一撃”は、“いかにしてひっくり返すのか?”という興味にもしっかりと応えるとともに、読者が“その後”に思いを馳せずにいられない鮮やかな余韻を残す、非常に秀逸なものといえるでしょう。
2008.07.16読了 [マイクル・コーニイ]
【関連】 『パラークシの記憶』
グリンドルの悪夢 The Grindle Nightmare
[紹介]
片田舎の村グリンドルではこのところ、家畜やペットが行方不明になったり殺害されたりするという変事が相次ぎ、不穏な空気が漂っていた。村人たちの疑惑の矛先は、動物実験を行う医師にまで向けられる始末で、大学病院に勤務する病理学者スワンソンも肩身の狭い思いを余儀なくされていた。そんな中、幼い少女が失踪する事件が起こってしまう。動物殺しの犯人が、動物では飽き足りなくなってついに人間に手を出したのか? やがて、スワンソンに何かを告げようとしていた少女の父親が、水死体となって発見され……。
[感想]
リチャード・ウィルスン・ウェッブを中心とした二人組の作者“パトリック・クェンティン”の、“Q.パトリック”名義で発表された第五長編である本書は、“読者への挑戦”も盛り込まれたパズラー色の強い第三長編『死を招く航海』と同じコンビ(*1)によるものでありながら、そちらとはまったく違った何ともいいようのない作品となっています。
まず冒頭では、幼い少女の失踪事件が起きていますが、懸命に捜索する村人たちの間にはいきなり異様な緊張が漂っています。それもそのはずで、以前から村で相次いでいた動物たちの惨殺が強力な伏線となって、殺害の快楽を求める犯人の狂気がエスカレートした末の犯行という構図が、当初からあからさまに示唆されているのです。それでいて、その少女が発見されないまま物語が進んでいくことで、登場人物も読者も宙ぶらりんにされたかのような不安定な感覚を抱かされるのがまたうまいところ。
くせの強い登場人物たちが互いに互いを疑い疑心暗鬼にとらわれる中、正体不明の犯人による不条理な犯行は続いていき、サスペンス――というよりもサイコスリラーに近い雰囲気がほぼ全編を覆っています。しかしその一方で、中盤のアライグマ狩りの顛末など、見方によってはブラックな笑いを誘うような場面もあり、全体としてとらえどころのない物語という印象を受けます。このようなとらえどころのなさも含めて、題名に含まれた“悪夢”という言葉は本書の内容を的確に表しているように思われます。
そのあたりをさらに強調しているのが、一人称の語り手である病理学者スワンソンがしばしば発揮する不自然なまでの鈍感さで、わかっててとぼけているのか度外れた天然ボケなのか判然としないその言動は、いわゆる“信頼できない語り手”に通じるものになっています。(一応伏せ字)スワンソン自身に疑念を向けるにはあまりに露骨すぎる(ここまで)ものではあるのですが、それでも読者としては、どこまで信用できるのかわからない不安感を覚えずにはいられないのは確かです(*2)。
終盤には、一見するとタイムリミットサスペンス的な展開も用意されてはいるのですが、これも“信頼できない語り手”ゆえか、直線的にゴールへ向かうサスペンスではなく当てのない迷走という様相を呈しており、オフビートとさえ感じられる味わいが何ともいえません。
森英俊氏の解説では、“Q.パトリック”初期作の特徴として“だれが真犯人でだれが真の探偵なのか最後の最後までわからない”
点が指摘されていますが、少なくとも本書では犯人も探偵もある程度見当をつけやすくなっている感があり、真相の意外性という点ではやや物足りないのが残念。とはいえ、その後に待ち受けるすっとぼけた結末こそが、本書の最大の見どころといえるのではないでしょうか。
2008.07.29読了 [パトリック・クェンティン]
聯愁殺
[紹介]
OLの一礼比梢絵はその夜、マンションの自室に帰ってきたところに押し入ってきた少年に殺されかけるが、必死に抵抗して相手を撃退する。その場に残された生徒手帳に記されたリストから、近所で発生していた連続無差別殺人の犯人だと断定された少年は、自宅を出たまま消息を絶っており、事件は結局迷宮入りしてしまった……。
……そして数年後、心に癒えない傷を負ったままの梢絵は、少年が自分を襲った理由をはっきりさせるため、ミステリ作家らによる会合〈恋謎会〉に事件の謎解きを依頼する。〈恋謎会〉の面々は、持ち寄った資料をもとに、夜を徹した推理合戦を開始した……。
[感想]
ミステリ愛好者の会合に未解決事件が持ち込まれ、素人探偵たちがその謎解きに挑むという、アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』の形式――メンバーがそれぞれ独自の“解決”を披露する“多重解決”ではありませんが――を踏襲した作品です。事件の顛末が直接描かれるのは冒頭の20頁弱にすぎず、〈恋謎会〉の面々による“推理合戦”が大半を占めるという、まさに“推理に淫した”ミステリとなっています。
目を引くのが、毒殺事件の犯人探し(フーダニット)である『毒入りチョコレート事件』と違って、本書では推理開始時点ですでに犯人が特定され、“犯人はなぜ一礼比梢絵を殺そうとしたのか?”というホワイダニットが中心に据えられている点です。もともと蓋然性の程度でしか勝負できないホワイダニット(*1)では、推理の厳密性が期待できない反面、(容疑者が限定されたフーダニットと比べて)推理の自由度が高い上に求められる説得力の“ハードル”は低い――つまりは推理の風呂敷を広げやすい(*2)傾向があり、本書のような構成には最適だと思われます(*3)。
そしてその推理は、『毒入りチョコレート事件』のような一人ずつ順番の“発表会”ではなく、個々の推理を叩き台にディスカッション――仮説の構築と破棄――を重ねていく、例えば作者自身の『麦酒の家の冒険』などに近い形になっています。それにより、“解決”(結論)のみならずそこに至る一つ一つのステップ(解釈や仮定など)にもしっかりとスポットが当てられているのが見逃せないところで、思わずうならされるものからかなり無理のあるものまで玉石混交とはいえ、総体的に見ごたえのある推理が展開されています。
連続無差別殺人(未遂も含む)の様相を呈する事件についてのホワイダニットということで、必然的にミッシングリンク探し(*4)に重点が置かれることになりますが、決してミッシングリンク一辺倒になっていないのが意外なところで、事件の全体像を掘り下げていく過程においてミステリの様々な趣向が次々と顔を出しています。“安楽椅子探偵”の形式に近い“推理合戦”に分量が割かれた構成は、どうしても地味な印象を与えがちですが、作者の旺盛なサービス精神(?)がそれを十分に補っている感があります。
それどころか、当初からは予想もしなかったアクロバティックな“解決”が示される終盤のインパクトは強烈で、派手さのない展開がそれまで続いていただけに衝撃が一層際立っています。と同時に、そこにつながる伏線がきっちり張られているにもかかわらず、強力なミスディレクションによってそれを伏線だと気づかせない、作者の優れた技巧には脱帽せざるを得ません。
読後に何ともイヤなものを残す作者の持ち味が、存分に発揮された結末もまた衝撃的。好みは分かれるところかもしれませんが、例を見ない実験的で大胆な試みを見事に完成させているという点で、やはり傑作というべきでしょう。
“厳密に言えば少年の動機なんて本人に訊きでもしなければ判りっこない。”(228頁)とされているように、推理で動機を厳密に“特定”することは不可能で、ひたすら蓋然性の高い解釈を求めていくことしかできません(拙文「ロジックに関する覚書」#[謎とロジックの対応]も参照)。
*2: 一般的に“推理=限定(絞り込み)”となるフーダニットに対して、ホワイダニットでは“推理=創造”という性格が強く、新たな推理の材料を次々と補充していくことで、延々と推理(仮説の創造)を続けることも可能となります。
*3: 『毒入りチョコレート事件』(に限らずバークリー作品の多く)では、いわば様々な条件を“緩和する”ことで多様な推理を可能としているのですが、フーダニットにしては推理の厳密性が(標準よりも)低く感じられるのは否めません。
*4: もはやミッシングリンクと不可分(常に併せて検討せざるを得ない)ともいえる、定番の“アレ”も含めて。
2008.07.31読了 [西澤保彦]
逆説的 十三人の申し分なき重罪人
[紹介と感想]
綾鹿署の刑事・五龍神田は様々な事件に遭遇するたびに、西野中央公園に住む顔なじみのホームレス“たっちゃん”に情報を求める。そして、公園のホームレスたちをまとめる“たっちゃん”に紹介された、新入りの“じっとく”こと十{つなし}徳次郎から思わぬ解決のヒントを得て、五龍神田は様々に推理を繰り広げるのだが……。
『逆説探偵 13人の申し分なき重罪人』を文庫化にあたり改題したもので、『○○的 (+副題)』で統一された作品及び『太陽と戦慄』と同じく、架空の地方都市である〈綾鹿市〉を舞台とした作品です。
綾鹿署の刑事といえば谷村警部補と南巡査部長のコンビが定番ですが、本書で主役を張っているのは五龍神田巡査部長。上司である谷村警部補に密かな対抗意識を燃やし、ホームレスの“じっとく”から得たヒントをもとに独自の推理を披露するのですが、功を焦ってヒントの解釈を誤っていたことが最後に判明するという、少々情けない役どころになっています(*1)。
というわけで本書は、書き下ろしの最終話を除いて十二の異なる犯罪を扱い、それぞれの謎に対して二通りの解決を用意する――しかもそれらが同じ一つのヒントに基づいている(*2)――という、二重三重の“縛り”が課せられた連作短編集で、マゾヒスティックにも感じられる作者のこだわりには頭が下がります。後半になってくると定型からの逸脱も見受けられますが、それはむしろ積極的に定型に加えられたひねりだといえますし、同時に(一応伏せ字)連作としての趣向の“仕込み”(ここまで)でもあります。
どちらかといえばトリックよりもロジック、しかも題名の通り“逆説的”なロジックに重点を置いた、奇妙な味わいが楽しめる作品集です。
- 「獅子身中の脅迫者」
- 綾鹿署暴力犯係の月俣警部補が、射殺死体となって発見された。朝岡組と山ノ井会という地元暴力団が激しい抗争を繰り広げる中、月俣は朝岡組との癒着を疑われ、実際に何者かに脅迫されていたというのだが……。
- “誰が脅迫者なのか?”というフーダニットでもありますが、むしろその動機の方が見どころであるように思います。もっとも、
“獅子身中の虫!”
という“じっとく”の警句めいたヒントを考えれば、ある程度真相は見えやすいかもしれませんが。
- 「火中の栗と放火魔」
- 火災保険を扱う損保会社の本社ビルが、何者かに放火される事件が起きた。出火したのがよりによって避難訓練の最中だったため、社員や客には被害はなかったのだが、状況から内部の者による犯行が疑われて……。
- 避難訓練の最中に放火事件が起こるという状況そのものが逆説的で面白いのですが、結末には少々疑問が。
- 「堕天使はペテン師」
- エンジェル友清という名の知れた芸術家が何者かに撲殺されたが、死に際に“ペテンなんかじゃない”という言葉を残したという。その奇抜な作風から、被害者は実際に詐欺師呼ばわりされることもあったらしいのだが……。
- 後の『爆発的 七つの箱の死』に通じる、奇矯な芸術家(芸術作品)を描いたエピソード。ダイイングメッセージの解釈が中心かと思いきや、思わぬところでの鮮やかな逆転が光ります。
- 「張り子の虎で窃盗犯」
- 綾鹿市で行われる高校野球大会の決勝戦。球場の来賓室には市長夫妻らが招かれていたが、試合の最中に市長夫人の高価なペンダントが盗難に遭ったというのだ。現場にいたのはお偉方ばかりで、捜査は難航し……。
- 本筋とは(あまり)関係ない高校野球大会の経緯にまず苦笑。そして示される解決は、よくできているようでいて脱力を余儀なくされるという、ある意味作者らしいものになっています。
- 「ひとりよがりにストーカー」
- ストーカーによる被害を訴えてきた男前のサラリーマン、利根英作。事情を聞いた五龍神田は“たっちゃん”に利根の尾行を依頼するが、利根の妻が何者かに殺されてしまう。犯人は利根を悩ませるストーカーなのか……?
- 事件の真相そのものはありきたりといえばありきたりなのですが、作中に仕掛けられたミスディレクションの一つがなかなか面白いと思います。
- 「敬虔過ぎた狂信者」
- 綾鹿教会の神父が殺害され、異様な死体となって発見された。手足を釘で打ち付けられ、脇腹には錐が突き刺されるなど、キリストの磔刑を再現したような状態だったのだ。狂信者による異常な犯行だと思われたが……。
- 見立て殺人が扱われていますが、見立ての対象は他に解釈しようのないはっきりしたもの。ということで、ポイントとなるのは見立ての理由なのですが、そこからさらに意表を突いてくるところがさすがです。
- 「その場しのぎが誘拐犯」
- 県警の杉尾警視の愛娘が誘拐される。犯人はかつて杉尾が逮捕した人物で、逆恨みから犯行に及んだらしい。厳重な警備にもかかわらず、用意された身代金はまんまと奪われてしまったのだが、そこで思わぬ事態が……。
- 次から次へと予想を裏切る展開が見どころで、真相もかなり意外。
- 「目立ちたがりなスリ師」
- 年の瀬の綾鹿市を騒がすスリ師“怪盗おすぎ”。ペンダントやクレジットカードなどを鮮やかな手口で盗み、“杉卓郎”という名前が記された犯行声明文を残していくのだ。そして今、五龍神田が向かう新たな犯行現場は……。
- 犯行声明を残していくスリ師という発端からして奇妙な味わいですが、そこから先の展開もかなり風変わり。もっとも、真相はある程度見え見えではあるのですが……。
- 「予見されし暴行魔」
- “オレオレ詐欺”さながらの手口で女性宅に侵入し、犯行を重ねている暴行魔。五龍神田が情報を求めて“たっちゃん”を訪ねてみると、公園を去った“じっとく”からの年賀状がちょうど届けられた。そこに記されていたのは……。
- 推理がそぐわなさそうな犯罪を扱いながら、(かなりアンフェア気味とはいえ)ユニークなフーダニットに仕立ててあるのがうまいところですし、“じっとく”の絡み方にも工夫が凝らされています。しかし、事件の内容が内容だけに、どうしても後味の悪さが残ってしまうのが残念。
それにしても、雑誌掲載時の読者はこの結末で途方に暮れてしまったのでは……?
- 「犬も歩けば密輸犯」
- 沖合で座礁したフィリピン船籍の貨物船。救命ボートで脱出して行方不明となった船長とコックは、どうやら薬物の密輸を企んでいたらしい。やがて船長が死体となって発見されるが、肝心の密輸品は発見されないまま……。
- 文句のつけようのない見事なバカミス。思わず苦笑してしまう真相が明かされてみると、意外な伏線(?)が浮かび上がってくるところもよくできています。
- 「虫が好かないテロリスト」
- “たっちゃん”のおかげで市役所の爆破テロを未然に防ぎ、その犯人を逮捕した五龍神田。取り調べの結果、犯人の背後にとあるカルト教団の存在が浮上し、さらに無差別テロが計画されている可能性まで出てきたのだ……。
- テロという“お題”を逆手に取ったような、プロットのひねくれ具合が逆説的。
- 「猫も杓子も殺人鬼」
- “たっちゃん”の住む西野中央公園で、立て続けにホームレスが殺害される事件が発生した。警察の捜査が完全に暗礁に乗り上げる中、五龍神田のもとにかかってきた一本の電話が、思いもよらない事態の発生を告げる……。
- ……と、もったいぶって書いてみたものの、本篇はその電話から幕を開け、いきなり混沌とした状況に突入します。解決は意外なようでいてそうでもない部分もありますが、手がかり(?)には脱力。雑誌連載はここまでだったようですが、これで締めても悪くはなかったかもしれません。
- 「申し分なき愉快犯」
- ――内容紹介は割愛させていただきます――
- 連作の“締め”として書き下ろされた最終話。ある部分のひっくり返し方はよくできていると思いますが、(特に「猫も杓子も殺人鬼」との関係で)全体としてはこれも意外なのかどうか何ともいえないものになっているところがご愛嬌。
*2: 当然ながらかなり曖昧なものではあるのですが、それでも、解決への手がかりであるとともに“偽の解決”への“偽の手がかり”にもなるという、二重の機能を担っているのが面白いところです。
2008.08.09読了 [鳥飼否宇]
【関連】 『本格的 死人と狂人たち』 『痙攣的 モンド氏の逆説』 『爆発的 七つの箱の死』 / その他〈綾鹿市シリーズ〉