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                       竹溪閑話


****平成二十七年(2015年)度****





平成二十六年度(2014年度)はこちらです。)

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    虎關師錬の『蚊』

  
  鎌倉末期の禅僧・虎関師錬に、『蚊』「齊嘴頭尖頴錐。殷殷雷聲繞閤閨。自一羅穀隔透過,鐵牛背上爛如泥。」という作品がある。

 この作品、今まで填詞とはされていなかったようだが、(『蚊』とのみされていた。)これは填詞の『搗練子』ではないのか。この詩体について:「□□□□□,□□□□□□。□□□□□□□,□□□□□□。」の形式に似たものは填詞(≒宋詞)にある。

  填詞は宋代に発達した長短句が織り交ぜられた詩形。単調、二十七字で、三平韻で、「□□□,□□。□□□□□□。□□□□□□□,□□□□□□。」といった節奏は、『搗練子』(『搗練子』の作品例:
)や『桂殿秋』『解紅』『赤棗子』(これらは詞牌)等がある。『搗練子』は詞調○●●●○○(平韻の押韻)。●○○●○(平韻の押韻)。○○●●●●○○(平韻の押韻)」。
  蛇足になるが、もしも最初の六字句の部分が三字句の畳韻(=繰り返し)だと『瀟湘~』となる。なお、この作品が填詞『搗練子』ならば詩題の標記は、『搗練子 蚊』とするのが普通。
似たものに漢・樂府の『蒿里曲』に「蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。」(二十六字)とあるが…。
  この詩、或いは、七言絶句で、第一句(=起句)が缺けただけかも知れない。その場合は平仄や節奏や意味から考えて、「
齊嘴頭尖頴錐。殷殷雷聲繞閤閨。自一羅穀隔透過,鐵牛背上爛如泥。」となるか。平仄は「◎●○●●○。●●○○●●○。●●○●●●◎,●○●●●○○。」なので、どうとらえるか。
  また、「斉嘴頭,尖頴錐」の部分の節奏は「斉・嘴頭,尖頴・錐」と見られている。
  しかし、この詩を填詞として見た場合、「斉・嘴頭,尖・頴錐」としたほうが形が整い、意味も通りやすい…。今までは「斉嘴頭尖頴錐」を一句としていたので「嘴頭の尖頴は錐に齊し」と読み下していた。その場合、節奏は「斉・嘴頭・尖頴・錐」となるが、このような節奏の詩歌は(『楚辭』を除いては)無い。ここは「嘴頭を斉くし、頴錐を尖らす」とすれば、どのようなものか。
              (平成27.1.22完2.14補)
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正岡子規の『舟過八島』について

  正岡子規の肉筆になる『東海紀行』が国立国会図書館ウェブサイトにあり、閲覧することが出来る。その『東海紀行』中にある『舟過八島』は、「萬里吹來破浪風,追思往事已成空。青山一帶無人見,唯有淡濃烟霧籠。」(本サイトの当該ページの底本)となっている。その第三句(=転句)は「青山一帯
無人見」であるが、「無人見」の部分が流布本では「人不見」となっている。平仄的には原本の「無人見」は○○●)で、流布本の「人不見」は(○●●)となる。本来、この句は「○○●●○○●」とすべきところなので、平仄上は肉筆・『東海紀行』の「無人見」(○○●)の方がよい。

  ただし、「無人見」の「無人…」の意は「誰も…ない」「だれにも(見て)もらえない」の意で、詩意と合わない。「無人見」の色々な用法は:盛唐・劉方平の『春怨』は「紗窗日落漸黄昏,金屋
無人涙痕。寂寞空庭春欲晩,梨花滿地不開門。」(誰も人がいないので、(涙を流した痕(あとかた)を(気に留めることもなく))見せている。)であり、晩唐・司馬扎(司馬礼)の『宮怨』に「柳色參差掩畫樓,曉鶯啼送滿宮愁。年年花落無人,空逐春泉出御溝。」(だれにも見られることもなく)である。「無人見」は(だれにも見てもらえない)となろう。

  それ故、意味の上からは「人不見」(人影が見あたらない、顔を見ない)の方が適切と謂える。
                 (平成27.1.29)
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夫婦別姓

  清末・龔自珍の『己亥雜詩・其十六』に夫婦について考えさせられる詩がある。「棄婦丁寧囑小姑,姑恩莫負百年劬。米鹽種種家常話,涙濕紅裙未絶裾。」だ。詩には「有棄婦泣於路隅因書所見」(離縁(=離婚)されて)棄てられた妻が道端で泣いていたので、感じたことを書いた。)と添えられている。

  感想になるが:中国の伝記や長篇の小説には屡々家系図が添えられている。主人公の家系図である。主人公(男)の姓が王(おう/ワン)とすれば、子供(男・女)も王(姓)。孫(男・女)も王(姓)。曾孫(ひまご)たちも王(姓)……と四世同堂で、王家ますます盛んなところである。ただし、王家の男の配偶者は、他の血筋(例えば李の血筋(李氏)の女性、張の血筋(張氏)の女性)の者である。大家庭の王家に嫁いできた女性のみは(この家の姓の王とは)異なる姓(李氏・張氏…)である。自分の生んだ子供らも男女を問わず全て王姓である。この家族を縦軸(=世代・時間・歴史的)にながめていけば、その中の人物の殆どの名前は:王□□、王□□、王□□、王□□、王□□、王□□、王□□、王□□…となる。その中で、外部から嫁いできた女性のみが異なる姓である。「女(嫁)の腹は借り腹」といわれてきた言葉の意味がよく分かる事例である…。(このことは、横軸の夫婦間に限って謂えば「夫婦別姓」の一形態?)

  この泣いている女性の産んだ子どもたちは、恐らく家の中にいることだろう。一家の主人(男)の姓を受け継いで、この女性とは異なった姓の子供達だ。


  この詩が生まれた背景にはこのような家族制度があったことだろう。
                (平成27.2.24記)。

  上記の部分を読んだ読者から感想をいただいた。日本での「夫婦別姓」とは異なった観点なので紹介したい。(その人に掲載の可否について確認を取ったところ、ここへの掲載可とのことだったので、(読みやすいように繁体字(=旧字体)に文字を換え)その一部を紹介する:
  「…在中國,女性婚後不隨夫姓,祭祀祖先時也被視爲“外姓人”而排斥於祠堂外。。。大概是上古時期,父權強盛,女子通常來自戰敗部落。 我感覺人們常常忽視母系基因的影響。。。我是聯想到一些女性的出身(・喜、妲己、褒姒。。。她們來自戰敗或弱勢部落)而説出來的,並沒有進行嚴謹的考證…」。
  論点を整理すると:
@伝統的な中国では、「姓が異なる嫁」は、先祖をまつる祭祀から除外され、その建物に入れなかったという事実。
A父権が強く、母系が軽視されてきたのは、上古以降、女性は戦争で敗れたところや弱小の部族から得た(例えば、・喜・妲己・褒姒……)のではないかということ。

  日本のように「夫婦問題」といった「横軸」の考え方ではなく、歴史的な時間の中の「家族制度」といった「縦軸」の考え方である。
  日本の「夫婦別姓」は、「親子問題」(家庭内の親(父・母)・子(長女・次男…)・孫…の姓の問題)をどう処理していこうというのか。

                  (平成27.3.8)

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倭寇の「不縫衫」とは

  明・徐渭は曽て倭寇とも戦い、倭寇を詠った詩に『龕山凱歌』があり、『其五』に「夷女愁妖身畫丹,夫行親授不縫衫。今朝死向中華地,猶上阿蘇望海帆。」があり、その中に「不縫衫」というものが詠われている。

  「倭寇の妻は、赤い入れ墨を施しており、夫の倭寇が出で立つ時には、妻から夫に「不縫衫」と謂う物を手ずから渡す」という。その「不縫衫」とはどのような物なのだろうか。

  「不縫衫」を言葉(≒単語)通りみると:「縫(ぬ)い目の無い肌着(はだぎ)」「縫(ぬ)っていないシャツ」(「衫」:〔さん;shan1○〕袖無しの襦袢(じゅばん)。肌着。シャツ。) になる。これは、腹に巻いた「さらし」のことではないのか。もしや、倭寇は、戦闘前には、妻から授かった新しい晒(さらし)を巻いたのではなかろうか。或いはこれは、「千人針」の祖型というべきものなのか。(・妻…赤い入れ墨 ・夫…「不縫衫」を身に着ける………とすると、夫は黒い入れ墨では…?とも思いたくなる…)明末の『學府全編』には、「日本國」との見出しで、両肌(もろはだ)を脱いで、上半身裸になって、裸足(はだし)で長大な日本刀の抜き身を担(かつ)いだ月代(さかやき)を剃(そ)った倭寇の姿が描かれている。(イメージで謂えば、日本の絵本の赤鬼、青鬼…の姿?)。

作者・徐渭の活躍した時代は、明代の正コ十六年(1521年)〜萬暦二十一年(1593年)で、日本では戦国・安土・桃山時代に当たる。この時代の倭寇(=中国大陸の沿岸や内陸、朝鮮半島及び南洋方面で行動した日本人を含む海賊的軍事貿易集団に対して、中国側からの呼称。「日本(人)の寇賊」という意味)として、日本人が描かれたわけだが、この姿、何かに似ていないか。 そう、映画の中の高倉健や藤純子の姿---任侠の徒の姿だ。入れ墨にさらしを巻いた…。
                 (平成27.2.27)

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