竹溪閑話
(平成二十七年度(2015年度)はこちらです。) ------------- 立馬郊原看菜花 幕末の豪雄・土佐藩主山の内容堂の詩に『逸題』「風捲妖雲日欲斜,多難關意不思家。誰知此裏有餘裕,立馬郊原看菜花。」がある。 この詩は、普通「情勢が険悪になって、世の中を揺るがす事件が多く起こってきていることに関心を払っているが、身内を思う私的なことはしない。このような情況下でも(わたしは)ゆとりをもって、郊外で馬を停めて菜の花を見ていることを誰が分かってくれようか」と理解される。英雄にも閑日月がある、ということだ。 しかし、この結句「立馬郊原看菜花」は、金・完顏亮の『呉山』「萬里車書盡混同,江南豈有別疆封。提兵百萬西湖上,立馬呉山第一峰。」の結句「立馬呉山第一峰。」を想起させる。完顏亮の詩意は、「乱れた世に、分裂している国。多数の軍勢をもって、対立勢力の本拠地を押さえてやろう」ではないか。 あの時代、詩に詠み込んで暗にいいたかったのか、如何。 (平成28.1.22) ----------------- 漱石の「莫道風塵老」 夏目漱石に『春日偶成』「莫道風塵老,當軒野趣新。竹深鶯亂囀,清晝臥聽春。」がある。 この詩を初めて見た時、「えっ?『莫道老風塵』ではないの? 『塵』は、ここでは立派な韻脚となるし(平水韻上平十一真『塵・新・春』)…。このままだと、冒韻だし…」と。 或いは、作者は一旦「莫道老風塵」として完成させたが、推敲して「莫道風塵老」としたのか。まさか、誤植が定着したのではあるまい…? 盛唐・高適の『人日寄杜二拾遺』に「人日題詩寄草堂,遙憐故人思故ク。柳條弄色不忍見,梅花滿枝空斷腸。身在南蕃無所預,心懷百憂復千慮。今年人日空相憶,明年人日知何處。一臥東山三十春,豈知書劍老風塵。龍鐘還忝二千石,愧爾東西南北人。」とある。 (平成28.2.1) -------------------------- このページのトップへの 平成二十七年度(2015年度)はこちらです。 |
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