身殲固信百無知, 那有浮生一念遺。 目下除非存妹姪, 奈何歡笑永參差。 |
身 殲(ほろ)びて 固(もと)より 信ず 百(すべ)て 知る 無きを,
那(な)んぞ 浮生 一念の遺(のこ)る 有らんや。
目下 ただ 妹姪の 存するを 除きては,
奈何(いかん)せん 歡笑 永(とこしな)へに 參差(しんし)たるを。
◎ 私感註釈 *****************
※菅茶山:延享五年(1748)〜文政十年(1827)姓は菅波、名は晉師(ときのり)、字は礼卿、通称は太仲。茶山は、号になる。江戸時代後期の備後の人。菅茶山についてはこちらを参照。
菅茶山旧宅の門・廉塾(読者の方:撮影、提供)
※臨終訣妹姪:死を迎えるに際して、妹とメイと訣別する。臨終で、妹とメイと訣別する。この作品は、陶淵明の風韻を帯びている。また、盛唐の李白『擬古』「人非崑山玉,安得長錯。身沒期不朽,榮名在麟閣。」の風格がある。それに反して、語彙は唐詩よりも比較的新しいものが使われている。下記の〔白話〕とあるのは、本当の白話の意ではなく、盛唐の詩にはあまりなく、それよりも新しい宋詩の味わいが濃いという程度の表記。この作品は特に、陶淵明の詩句や序文を活かすことで、世話をしてくれた妹や姪への謝礼の辞とし、葬儀についても迷惑をかけないように、内輪の文人にのみ分かる形で、メッセージを伝え遺したかったのではないか。 ・訣:わかれる。
※身殲固信百無知:肉体が滅べば、もとよりわかっていることだが、全く知覚が無くなる。陶淵明の『挽歌詩』其一「得失不復知,是非安能覺」や、同、『飮酒』其十一に「死去何所知,稱心固爲好。」や、陸游の『示兒』「死去元知萬事空,但悲不見九州同。王師北定中原日,家祭無忘告乃翁。」がある。その詩の終わりの部分は、「客養千金躯,臨化消其寶。裸葬何必惡,人當解意表。」とあり、菅茶山は「裸葬何必惡,人當解意表。」と言いたいのだろう。 ・身:肉体。 ・殲:〔せん;jian1〕ほろぶ。ほろぼす。杜甫の「福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。」では、肉体をすり減らしてほろぼすことになる。 ・固:もとより。しっかりと。 ・信:信じている。ここでの「固信」は、挿入句になる。 ・百:〔白話〕全く。全然。すっかり。 ・無知:ここでは、知覚が無くなる意。
※那有浮生一念遺:どうしてこの世に思いを残すことがあろうか。 ・那有:〔白話〕どうして…があろうか。陶淵明の『挽歌詩』其三「死去何所道,託體同山阿。」に思いは同じか。 ・那:〔白話〕どうして…か。反語、反問。 ・浮生:はかない人生。 ・一念:深く思いこむ。一筋の思い。一心。 ・遺:のこす。
※目下除非存妹姪:(この世に思い残すことは)現在、妹とメイを除いては、外にはいない。 ・目下:今。ただ今。現在。 ・除非:其の外にはない。ただ、……だけ。…を除いては。…以外には。白居易の『感春』に、「巫峽中心郡,巴城四面春。草青臨水地,頭白見花人。憂喜皆心火,榮枯是眼塵。除非一杯酒,何物更關身。」と使われている。現代語に到るまで使われている息の長い語。 ・存:存在している。いる。 ・妹姪:妹とメイ。
※奈何歡笑永參差:どうしたらいいのだろうか、楽しみの笑いが永遠にずれてしまうことだ。 *生者と死滅した者との差異をいう。 ・奈何:どのようにしよう。いかに。いかんぞ。 ・歡笑:喜び笑う。陶淵明の『飲酒』の序に「余闍初ヌ歡。兼比夜已長。偶友名酒。無夕不飮。顧影獨盡。忽焉復醉。既醉之後。輒題數句自娯。紙墨遂多。辭無詮次。聊命故人書之。以爲歡笑爾。」とあり、恐らく「輒題數句自娯。紙墨遂多。辭無詮次。聊命故人書之。」と言いたかったのではないか。そして、その「故人」が「妹姪」になろう。 ・永:〔白話〕いつまでも。永遠に。とこしえに。 ・參差:〔しんし;cen1ci1〕(長短や高低の出入りがあって)不ぞろいなさま。
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「知遺差」で、平水韻上平四支。次の平仄はこの作品のもの。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●○○○●●,
●○○●●○○。(韻)
平成16.4.14 4.15 4.16完 平成18.1.28補 |
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