眞蹤寂莫杳難尋, 欲抱虚懷歩古今。 碧水碧山何有我, 蓋天蓋地是無心。 依稀暮色月離草, 錯落秋聲風在林。 眼耳雙忘身亦失, 空中獨唱白雲吟。 |
******
無題
眞蹤(しんしょう)は 寂莫として 杳(えう)として尋(たづ)ね難(かた)く,
虚懷(きょくゎい)を抱(いだ)かんと欲(ほっ)して 古今を歩む。
碧水 碧山 何ぞ 我れ 有らん,
蓋天 蓋地 是れ 無心。
依稀(いき)たる 暮色 月は 草を離れ,
錯落(さくらく)たる 秋聲 風は 林に在り。
眼耳 雙(ふた)つながら 忘れ 身 亦た失はれ,
空中に 獨(ひと)り 唱す 白雲の吟を。
◎ 私感註釈 *****************
※夏目漱石:明治期の小説家。慶応三年(1867年)〜大正五年(1916年)東京出身。名は金之助。東大英文科卒。松山中学教諭、五高教授を経て、イギリスに留学、帰国後一高教授。『明暗』では、自我を越えた所謂「則天去私」の世界を志向した。後世にいわれる「則天去私」を、逃れがたい死を前にしての意識の帰結として考えて、この作品を次のように解釈した。
※無題:この作品には、仏教用語と思われるものが多く、難解な部分があるが、普通の語彙として解した。無に帰すという死を意識した者の作品と見ると理解しやすい。陶潜の『挽歌詩』其一「有生必有死,早終非命促。昨暮同爲人,今旦在鬼録。魂氣散何之,枯形寄空木。嬌兒索父啼,良友撫我哭。得失不復知,是非安能覺。千秋萬歳後,誰知榮與辱。但恨在世時,飮酒不得足。」 を聯想させる雰囲気がある。
※眞蹤寂莫杳難尋:まことの足取りは、ひっそりとしてもの寂しく、奥深くて、なかなか求めるのが難(むつか)しい。 *当時の漱石の立場で解釈すれば、学術的な到達というものは、なかなか得られないものだ、ということになる。 ・眞蹤:〔しんしょう;zhen1zong1○○〕まことの人の行いのあと。まことの足跡。 ・寂莫:ひっそりとして、もの寂しいさま。ここは仏教の「じゃくまく」と読んだ方がよいのか。 ・杳:〔えう;yao3●〕くらい。奥深い。遙か。遠い。 ・難尋:尋ねにくい。さがしにくい。求めるのがむつかしい。
※欲抱虚懷歩古今:心にわだかまることなく、古今の文化を渉猟した。 *漱石の立場で考えれば、倦(あ)くこともなく、古今(東西)の学問の世界を渉猟した、ということになる。 *漢語の語法では、「欲」は「抱」或いは「抱(虚懷歩古今)」にかかる。「歩」には、かからない。ここの詩意の展開は、論旨の展開に合致しないようにみえるが、似たものに白居易の「林間煖酒燒紅葉,石上題詩掃国ロ。」を、『和漢朗詠集』では「林間に酒を煖(あたた)めて紅葉を燒(た)く,石上に詩を題して国ロを掃(はら)ふ。」と読んでいるのがある。なお、白居易自身は「林間(欲)煖酒燒紅葉,石上(欲)題詩掃国ロ。」の意を、その強調したものとして「林間煖酒燒紅葉,石上題詩掃国ロ。」と詩句にまとめて表現したと謂える。 ・欲抱:持ちたいために。持とうとして。 ・虚懷:心にわだかまりのないこと。虚心坦懐。白居易の『潯陽歳晩寄元八郎中三十二員外』に「封事頻聞奏,除書數見名。虚懷事僚友,平歩取公卿。」とある。 ・歩古今:古今の文化を渉猟する。
※碧水碧山何有我:緑色に澄んだ水と緑の木々が茂った山といった自然の、どこにわたしがいようか。緑水緑山といった自然は、何もわたしがいても異としない。 *漱石の立場で見れば、山河などの自然には、わたしという個人の生命とは、どこも関係がない存在である、ということになる。 ・碧水碧山:緑色に澄んだ水と緑の木々が茂った山。 ・何有我:漢語としては「何有・我」だが、作者は「何・有我」と読ませたい。 ・有我:わたしというものがいる。 ・何有:何かあらん。何も差しつかえはない。
※蓋天蓋地是無心:天地を覆うものは、無心である。これと似たものに、天地を覆うものは正気であると、南宋末・文天祥の『正気歌』「天地有正氣,雜然賦流形。下則爲河嶽,上則爲日星。於人曰浩然,沛乎塞蒼冥。皇路當C夷,含和吐明庭。時窮節乃見,一一垂丹。… 」や、藤田東湖の『和文天正氣歌』「天地正大氣,粹然鍾~州。秀爲不二嶽,巍巍聳千秋。注爲大瀛水,洋洋環八洲。發爲萬朶櫻,衆芳難與儔。凝爲百錬鐵,鋭利可割。臣皆熊羆,武夫盡好仇。神州孰君臨,萬古仰天皇。皇風洽六合,明コr大陽。不世無汚驕C正氣時放光。」がある。 *当時の漱石の立場で見れば、天地を覆うものは「無」である、ということになる。 ・蓋天蓋地:天地を覆う。 ・是:…は…である。これ。述部の頭に附き、述部を明示する働きがある。〔A是B。:AはBである。〕。 ・無心:自然のままに虚心であるさま。心中に何もとらわれた心がないこと。虚心。一切は空であると観ずる心。陶潜の『歸去來兮辭序』には「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。乃瞻衡宇,載欣載奔。 僮僕歡迎,稚子候門。三逕就荒,松菊猶存。攜幼入室,有酒盈樽。引壺觴以自酌,眄庭柯以怡顏。倚南窗以寄傲,審容膝之易安。園日渉以成趣,門雖設而常關。策扶老以流憩,時矯首而游觀。雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。景翳翳以將入,撫孤松而盤桓。」 とあり、鄭谷の『贈日東鑒禪師』に「故國無心渡海潮,老禪方丈倚中條。夜深雨絶松堂靜,一點山螢照寂寥。」とある。
※依稀暮色月離草:ぼんやりとした、夕暮れの気配に、月は草の上に昇り。 ・依稀:はっきりしないさま。幽(かす)かなさま。また、よく似ているさま。ここでは、前者の意。晩唐の趙『江樓書感』では「獨上江樓思渺然,月光如水水連天。同來翫月人何處,風景依稀似去年。」とある。現代では、毛澤東の七律『到韶山』「別夢依稀咒逝川,故園三十二年前。紅旗捲起農奴戟,K手高懸覇主鞭。爲有犧牲多壯志,敢ヘ日月換新天。喜看稻菽千重浪,遍地英雄下夕煙。 」がある。 ・暮色:夕暮れの様子。夕暮れの景色。また、暮れ方の薄暗い色。 ・月離草:月は草むらの向こうから昇った。
※錯落秋聲風在林:入り交じった秋の気配を感じさせる物音があって、風の音は林に起こっている。 ・錯落:〔さくらく;cuo4luo4●●〕散り敷く。入り交じる。 ・秋聲:の気配を感じさせる音。ここでは、後出「風在林」の秋風の音になる。後出 蘇『汾上驚秋』の「心緒逢搖落,秋聲不可聞。」 に同じ。 ・風在林:風(の音は)林に起こっている。
※眼耳雙忘身亦失:眼で感じとることも耳で感じ取ることも、どちらもなくなってしまい、肉体の感覚も失われてしまって(魂は大空に漂い出して)。 *当時の漱石の立場で見れば、死んでしまえば、感覚は全て無くなってしまい、肉体も滅んでしまう、ということになる。『般若心経』に云う「是ゥ法空相,不生不滅,不垢不淨,不摯s減。是故空中,無色無受想行識,無眼耳鼻舌身意。」か。 ・眼耳:眼と耳。眼と耳で感じとる視覚と聴覚。 ・雙忘:どちらも忘れてしまった。 ・身:肉体。 ・亦:…もまた。 ・失:失われた。
※空中獨唱白雲吟:大空にひとりで、世外の心の歌である白雲の吟を唱っている。 *当時の漱石の立場で見れば、風だけが吹き抜けていくだけだ、ということになる。 ・空中:大空のうち。空(そら)に。空(そら)で。また、前出・『般若心経』青字部分とピンク字部分に基づけば「空(くう)に住(じゅう)する」こと。 ・獨唱:ひとりだけで唱(うた)う。 ・白雲:白い雲のことであるが、人間世界を離れた、超俗的な雰囲気を持つ語である。王維『送別』「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,白雲無盡時。」や、蘇『汾上驚秋』「北風吹白雲, 萬里渡河汾。心緒逢搖落,秋聲不可聞。」 がある。 ・白雲吟:白雲の歌。世外の心の歌。陸龜蒙の『奉和襲美贈魏處士五詩』「倚肩滄海望,鉤膝白雲吟。不是逍遙侶,誰知世外心。」に同じ。『穆天子傳』『古詩源』に『白雲謠』「白雲在天,丘陵自出。道里悠遠,山川阡V。將子無死,尚復能來。」があるが、こちらの場合は高遠なさまを表す。前出・陶淵明『歸去來兮辭序』では、青字部分になる。
◎ 構成について
韻式は「AAAAA」。韻脚は「尋今心林吟」で、平水韻下平十二侵。次の平仄は、この作品のもの。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●●○○●●,
●○●●●○○。(韻)
○○●●●○●,
●●○○○●○。(韻)
●○○◎○●●,
○○●●●○○。(韻)
平成17. 3.28 3.29 3.30完 平成18.11. 1補 平成22.11.13 |
メール |
トップ |