青青校樹 | |
青青校樹,萋萋庭草,欣霑化雨如膏,
筆硯相親,晨昏歡笑,奈何離別今朝。
世路多岐,人海遼闊,揚帆待發清曉,
誨我諄諄,南針在抱,仰瞻師道山高。
青青校樹 ,萋萋庭草 ,欣霑化雨如膏 ,
筆硯相親 ,晨昏歡笑 ,奈何離別今朝 。
世路多岐 ,人海遼闊 ,揚帆待發清曉 ,
誨我諄諄 ,南針在抱 ,仰瞻師道山高 。
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青青たる校樹
青青 たる校樹 ,
萋萋 たる庭草 ,
欣霑 雨と化 して膏 の如し,
筆硯 相 ひ親しみ,
晨昏 歡笑 す,
奈何 せん 離別するを今朝 に。
世路 多岐 に,
人海 遼闊 たり,
帆 を揚げ清曉 を待ちて發 たん,
我を誨 ふること諄諄 たれば,
南針 抱 き在り,
師道の 山のごとき高きを仰瞻 す。
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◎ 私感註釈
※青青校樹:青々と茂った学校の木。 *日本の文部省唱歌『仰げば尊し』(明治十七年(1884年)発表の文部省唱歌で、卒業式で広く歌われている歌)。この詞は台湾で唱われているもの。日本語の一音節に漢字一字(=一語)を充てたもので、日本語の定型詩「四四六調」に合わせ、同時に、押韻や平仄の配列は、伝統的な形をとっている。
※青青校樹:青々とした学校の木に。 ・青青:青々と。青々として。『古詩十九首』之二に「青青河畔草,鬱鬱園中柳。盈盈樓上女,皎皎當窗牖。娥娥紅粉妝,纖纖出素手。昔爲倡家女,今爲蕩子婦。蕩子行不歸,空牀難獨守。」とあり、中唐・劉長卿の『送李判官之潤州行營』「萬里辭家事鼓鼙,金陵驛路楚雲西。江春不肯留行客,艸色送馬蹄。」とある。 ・校樹:学校にある木の意。
※萋萋庭草:繁っている(校)庭の草。 ・萋萋:〔せいせい;qi1qi1○○〕木や草の繁っているさま。月日が過ぎて春になり、新たに草が生えるようになったさまから、旅先で月日が過ぎるさまを謂う。『楚辞・招隱士』に「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。」とあり、漢・王昭君の『昭君怨』(『怨詩』)に「秋木萋萋,其葉萎黄。有鳥處山,集于苞桑。養育猪ム,形容生光。既得升雲,上遊曲房。離宮絶曠,身體摧藏。志念抑沈,不得頡頏。雖得委食,心有徊徨。我獨伊何,來往變常。翩翩之燕,遠集西羌。高山峨峨,河水泱泱。父兮母兮,道里悠長。嗚呼哀哉,憂心惻傷。」とあり、盛唐・崔の『黄鶴樓』「昔人已乘白雲去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡洲。日暮ク關何處是,煙波江上使人愁。」や、温庭の『折楊柳』に「館娃宮外城西,遠映征帆近拂堤。繋得王孫歸意切,不關春草萋萋。」とあり、晩唐・温庭の『菩薩蠻』に「玉樓明月長相憶。柳絲娜春無力。門外草萋萋。送君聞馬嘶。 畫羅金翡翠。香燭消成涙。花落子規啼。坂x殘夢迷。」とある。 ・庭草:(校)庭の草花の意。
※欣霑化雨如膏:(これらの植物にとって、)喜ばしい湿りは雨となって、脂(あぶら)のように貴い。 *盛唐・王維の『送元二使安西』に「渭城朝雨裛輕塵,客舍柳色新。勸君更盡一杯酒,西出陽關無故人。」とある。 ・欣霑:〔きんてん;xin1zhan1○○〕喜ばしい湿り。 ・化雨:雨となる。 ・如膏:脂(あぶら)のように貴い。
※筆硯相親:ふでとすずりのように共に親しんで、学業に勤(いそ)しみ。 ・筆硯:〔ひっけん;bi3yan4●●〕ふでとすずり。転じて、文筆に勤しむ。
※晨昏歓笑:朝夕に(打ち解けて)楽しく笑って(来たが)。 ・晨昏:〔しんこん;chen2hun1○○〕朝夕。朝晩。明・文嘉の『明日歌』に「明日復明日,明日何其多。日日待明日,萬世成蹉跎。世人皆被明日累,明日無窮老將至。晨昏滾滾水流東,今古悠悠日西堕。百年明日能幾何,請君聽我明日歌。」とある。 ・歓笑:(楽しくて口を大きく開けて)よろこび笑う。打ち解けて楽しみ笑う。
※奈何離別今朝:今日、別れるのを、どうしようもない。 ・奈何:〔nai4he2●○〕どうしようか。どうしたものか。(…を)いかん(/に)せん。しかたがないことを表す。東晉・陶潛の『雜詩十二首』其六に「昔聞長者言,掩耳毎不喜。奈何五十年,忽已親此事。求我盛年歡,一毫無復意。去去轉欲速,此生豈再値。傾家時作樂,竟此歳月駛。有子不留金,何用身後置。」とある。 ・離別:別れる。動詞。 ・今朝:この朝。けさ。今日。
※世路多岐:人生行路は、道筋がいくつにも分かれており。 ・世路:〔せいろ/せろ;shi4lu4●●〕処世の道。世の中を渡って行く道。世渡り。 ・多岐:道筋がいくつにも分かれていること。
※人海遼闊:人の世は、果てしなく広く。 ・人海:人の世。社会。人生。また、人込(ご)み。 ・遼闊:〔れうくゎつ;liao2kuo4○●〕果てしなく広い。現代・毛沢東の『沁園春・長沙』一九二五年に「獨立寒秋,湘江北去,橘子洲頭。看萬山紅遍,層林盡染;漫江碧透,百舸爭流。鷹撃長空,魚翔淺底,萬類霜天競自由。悵寥廓(れうくゎく;liao2kuo4),問蒼茫大地,誰主沈浮? 携來百侶曾游。憶往昔、崢エ歳月稠。恰同學少年,風華正茂;書生意氣,揮斥方遒。指點江山,激揚文字,糞土當年萬戸侯。曾記否,到中流撃水,浪遏飛舟?」とある。
※揚帆待発清暁:(そこに向かって)帆を揚げて、清らかな朝を待って出発する。 *晉・陶靖節の『歸去來兮辭』に「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以輕颺,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。」とある。 ・揚帆:帆を揚げる。中唐・賈島の『憶江上呉處士』に「閩國揚帆去,蟾蜍虧復團。秋風生渭水,落葉滿長安。此地聚會夕,當時雷雨寒。蘭橈殊未返,消息海雲端。」とある。 ・清暁:〔せいげう;qing1xiao3○●〕清らかな朝。=清朝。晩唐/蜀・韋莊の『浣渓沙』に「C曉妝成寒食天,柳球斜裊間花鈿,捲簾直出畫堂前。 指點牡丹初綻朶,日高猶自凭朱欄,含顰不語恨春殘。」とあり、五代・牛希濟の『生査子』に「春山煙欲收,天澹稀星小。殘月臉邊明,別涙臨清曉。 語已多,情未了,迴首猶重道。記得緑羅裙,處處憐芳草。」とある。
※誨我諄諄:わたしに叮嚀に繰り返し教えさとして(下さった)。 ・誨:〔くゎい;hui4●〕おしえる。叮嚀におしえさとす。教え導く。 ・諄諄:〔じゅんじゅん;zhun1zhun1○○〕ていねいに教えるさま。叮嚀に繰り返し教えさとすさま。真心があってつつしみ深いさま。
※南針在抱:ご教訓は、心に(ずっと)抱き続けており。 ・南針:本来は「指南針」で、羅針儀・羅針盤・方位磁針の意であり、転じて、指南・指導。ここは、後者の意で使われる。 ・在抱:心に抱いている。「在-」は「…ている」。【在+動詞】で、持続状態(…ている)を表す。
※仰瞻師道山高:人の師となる道の崇高さ仰ぎ見ている。(=仰げば尊し我が師の恩)。 ・仰瞻:〔ぎゃうせん●○yang3zhan1〕仰ぎ見る。あおぎとうとぶ。うやうやしく眺める。=瞻仰〔せんぎゃう;zhan1yang3○●〕。 ・師道:人の師として守り行うべき道。蛇足になるが、文化大革命の頃、「師道尊厳」ということばが流行ったのを思い出す。(その場合は「教師が権威ぶって威張る」といった意で使われている。教師等は“臭老九” に分類された時代だった。本来、「師道尊厳」は「師道山高」と同じで、人の師となる道の崇高さを謂う)。 ・山高:山のように高い意。崇高である意。
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◎ 構成について
韻式は、「AAaA」。韻脚は「膏朝曉高」で、平水韻下平二蕭(朝)、下平四豪(膏高)。なお、「曉」は上声十七篠(曉)。(青字部分は韻脚とするつもりだったのか?)。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●,○○○●,○○●●○○,(韻)
●●○○,○○○●,●○○●○○。(韻)
●●○○,○●○●,○○●●○●,(韻)
●●○○,○○●●,●○○●○○。(韻)
2013.9. 9 9.10 9.11 |
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