松蘿本要結綢繆, 豈謂王孫愛遠游。 芳草萋萋春又去, 傷心不復上高樓。 |
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春閨怨
松蘿(しょうら) 本と 要す 綢繆(ちうびう)を 結ぶを,
豈に 謂(おも)はんや 王孫 遠游を 愛すと。
芳草 萋萋として 春 又た 去り,
傷心 復た 高樓に 上らず。
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◎ 私感註釈
※友野霞舟:江戸時代後期の詩人、儒者。寛政三年(1791年)〜嘉永二年(1849年)。名は。字は子玉。通称は雄助。霞舟は号。
※春閨怨:春の女性の部屋での怨み言。女性をとり残して、過ぎゆく春への怨み言。この作品は『無題』「鴛衾暖透更怡融」同様、香奩体(婉約詩)の詩。本サイトでは、婉約体の詩詞は晩唐五代の『花間集』、宋の婉約詞集、(漢魏)六朝の艶体詩『玉台新詠』集、個人では南唐の李U集等がある。この作品は、上記中国の作品の多くと同様、女性の身になって詠われている。
※松蘿本要結綢繆:松の木に絡み付いているつたかずらは、本来、絡み合うことが必要である。 *松の木のような男性に絡み付いているつたかずらのような女性は、本来、相互に絡み合って、(助け合う)ことが必要である。男女ともに、片側だけでは自立し得ないことを謂う。 ・松蘿:〔しょうら;song1luo2○○〕松の木に絡み付いているつたかずら。 ・蘿〔ら;luo2〕つた。かずら。ツル性の植物をいう。 ・本:もともと。本来。 ・要:必要である。要する。 ・結:結びつく。結びあう。 ・綢繆:〔ちうびう;chou2mou2○○〕感情が絡み合って細やかなこと。「綢繆義切,宜室宜家。」夫婦の情が細やかで、…」という風に使う。本来は『詩經』「國風・風」の「綢繆戸。…予未有室家。…予室翹翹,風雨所漂搖。」や、『詩經』「國風・周南」にある『桃夭』「桃之夭夭,灼灼其華。之子于歸,宜其室家。」から来て、艶体詩で多用される語。
※豈謂王孫愛遠游:王孫(男性)は、遠くへ旅をすることが好きであると、どうして言い訳できようか。 *「王孫遊」(愛しい男性が、離れたところ(に居る/へ行ってしまう))は、中国抒情詩の永遠のテーマの一。南齊の謝の『王孫遊』「国蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」 や、韋荘の『C平樂』「春愁南陌。故國音書隔。細雨霏霏梨花白。燕拂畫簾金額。 盡日相望王孫,塵滿衣上涙痕。誰向橋邊吹笛,駐馬西望消魂。」 や、詞牌になるが、李清照の『雙調憶王孫』「湖上風來波浩渺,秋已暮、紅稀香少。水光山色與人親,説不盡、無窮好。 蓮子已成荷葉老,C露洗、蘋花汀草。眠沙鴎鷺不回頭,似也恨、人歸早。」 等がある。これらは、『楚辭』の招辞の一種である『招隱士』に「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。」に由来する。 ・豈:どうして…だろうか。あに。反語。 ・謂:いいわけをする。いう。おもう。 ・王孫:王族、貴族の子弟。ここでは、男性。 ・愛:すきである。 ・遠游:遠くへ旅をする。
※芳草萋萋春又去:春のかぐわしい草花草が茂って伸びて、春は、またしても過ぎ去ってゆく。 *女性をとり残して、過ぎゆく春の情景。人生の春も過ぎて去って行こうとしている女性の身。変化していく人間と、永遠に変わらない姿を持った自然との対比、等を詠っている。前者は、婉約の詩詞での常套表現で、後者の意では、唐の劉希夷『白頭吟(代悲白頭翁)』「洛陽城東桃李花,飛來飛去落誰家。洛陽女兒惜顏色,行逢落花長歎息。今年花落顏色改,明年花開復誰在。已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。古人無復洛城東,今人還對落花風。年年歳歳花相似,歳歳年年人不同。寄言全盛紅顏子,應憐半死白頭翁。」が有名。 ・芳草:かぐわしい草花。春のかぐわしい草花。馮延巳の『南ク子』「細雨濕流光,芳草年年與恨長。煙鎖鳳樓無限事,茫茫。鸞鏡鴛衾兩斷腸。 魂夢任悠揚,睡起楊花滿繍床。薄倖不來門半掩,斜陽。負殘春涙幾行。」 の外、本サイトでも用例は極めて多い。 ・萋萋:草が生えそろっているさま。草が茂って伸びているさま。崔(さいかう:cui1hao4)の『黄鶴樓』「昔人已乘白雲去,此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返,白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹,芳草萋萋鸚鵡州。日暮ク關何處是,煙波江上使人愁。」や、唐・温庭の『菩薩蠻』「玉樓明月長相憶。柳絲娜春無力。門外草萋萋。送君聞馬嘶。」がある。 ・春又去:春は、またしても過ぎ去ってゆく。
※傷心不復上高樓:心を傷めるので、二度とは高殿に上らない。悲しい思いをするだけなので、もう二度とは高殿に上って、男性の帰ってくるのを待ち侘びたりしない。(あの男性のことは、あきらめましょう。) ・傷心:心を傷める。悲しい思いをする。 ・不復:二度とは…しない。燕の荊軻『易水歌』「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」 や、楚辞『漁父』「漁父莞爾而笑,鼓竡ァ去。乃歌曰:『滄浪之水C兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。』遂去,不復與言。」 など、本サイトでも極めて用例が多い、漢語の基本的な表現法の一。なお、「復不…」であれば、「(この前も……だったが、今度も)また、…でない」となる。 ・上:のぼる。建物などの上の方へ行くこと。「登」「昇」「攀」…などとともに「のぼる」と読むが、それぞれ意味が異なり、他の語とは置き換えられない。 ・高樓:たかどの。馮延巳の『三臺令』に「南浦,南浦,翠鬢離人何處。當時攜手高樓,依舊樓前水流。流水,流水,中有傷心雙涙。」とある。「傷心」と「高樓」が、どうして結びつくのかというと、中国の婉約の詩詞では、とりわけ宋詞では「(女性が)高殿に登って手すりに寄りかかり、窓の外の遙か彼方を眺めやりながら、思いに耽りながら、(男性の)帰ってくるのを待っている」というのが、屡々詩詞のモチーフとなっていることによる。倚遍欄干である。 。李白の『菩薩蠻』「平林漠漠煙如織,寒山一帶傷心碧。暝色入高樓,有人樓上愁。玉階空佇立,宿鳥歸飛急,何處是歸程,長亭更短亭。」 など、また、温庭の『登李羽士東樓』「經客有餘音,他年終故林。高樓本危睇,涼月更傷心。此意竟難折,伊人成古今。流塵其可欲,非復懶鳴琴。」等もある。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「繆游樓」で、平水韻下平十一尤。次の平仄はこの作品のもの。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●○○○●●,
○○●●●○○。(韻)
平成16.4. 5 4. 6 4. 7完 4.23補 |
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