石州慢
　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　両宋　張元幹

　　　　　　　　　　　　　　　己酉秋呉興舟中作

雨急雲飛， 瞥然驚散， 暮天涼月。 誰家疏柳低迷， 幾點流螢明滅。 夜帆風駛， 滿湖煙水蒼茫， 菰蒲零亂秋聲咽。 夢斷酒醒時， 倚危檣�C絶。 心折， 長庚光怒， 群盗縱横， 逆胡猖獗。 欲挽天河， 一洗中原膏血。 兩宮何處？ 塞垣只隔長江， 唾壺空撃悲歌缺。 萬里想龍沙， 泣孤臣呉越。

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　　　　　　石州慢
　　　　　　　　　　　己酉秋　呉興の　舟中にての作

雨　急に　　雲　飛ぶも，
瞥然として　　驚き　散じ，
暮天の涼やかなる月。
誰が家の疏柳ぞ　　低迷し，
幾點かの流螢　　明滅す。
夜帆　風駛し，
滿湖の煙れる水　　蒼茫として，
菰蒲　零亂して　　秋聲　咽ぶ。
夢は斷つ　　酒　醒めし時，
危檣に 倚れば　　�C絶たり。


心　折れ，
長庚　　光　怒らせ，
群盗　　縱横にし，
逆胡　　猖獗す。
天河を 挽き，
中原の膏血を　　一洗ひせんと欲す。
兩宮　　何處（いづこ）にか　おはさん？
塞垣は　只だ　長江を　隔つのみ，
唾壺　空しく撃ちて　悲歌に 缺く。
萬里　　龍沙を想ひて，
孤臣　　呉越に泣く。

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私感訳註：

※石州慢：詞牌の一。詞の形式名。仄韻一韻到底。詳しくは「構成について」を参照。

※張元幹：両宋期の豪放な作風の詞人（１０９１年〜不明）字は仲宗、号は葦川居士。長楽（現福建内）の人。対金主戦論者で、媾和に反対し、やがて退けられる。

※己酉秋呉興舟中作：己酉年（建炎三年（１１２９年）、北宋滅亡後二年目で高宗は江南に逃れた年）に、太湖の舟の中で作る。　・己酉：つちのととり。ここでは、建炎三年（１１２９年）のこと。この二年前、靖康之変があり、北宋は滅んだ。２９年は、金の南征の軍のために、高宗は江南に逃れた、そんな年である。　・呉興：現在の浙江省湖州。江寧（南京）の東南、太湖の南岸にある。『中国歴史地図集』第六冊　宋・遼・金時期（中国地図出版社）２４−２５ページ「北宋　両浙路江南東路」では見つからない。『中国歴史地図集』第五冊　隋・唐・五代十国時期５４ページ「唐　淮南路」でも無い。湖州、長興、宜興…はあるが…。ここで作者は、夜に舟に乗って、この詞を作った。

※雨急雲飛：雨がきつくなり、雲も速く流れて（いたが）。

※瞥然驚散：（雨雲が）急に驚くように散ってしまって。　・瞥然：〔べつぜん；pie1ran2●○〕（白話）突然に。急に。

※暮天涼月：夕暮れの空に、涼やしげなかな月影（があらわれた）。　・暮天：夕暮れの空。　・涼月：涼やかな月影。くっきりとした月影。

※誰家疏柳低迷：どこの家のまばらな柳だろうか、薄暗くて、ぼんやりと霞んでいるのは。　・疏柳：まばらに見える柳。疎柳。　・低迷：詞語としては、薄暗くて、ぼんやりと霞んでいるさまをいう。低く霧などがたれ込めたように、ぼんやりと霞んでいるさま。中天の月がはっきりとしているのに対して、地上の宵闇の朧気な様子をいう。

※幾點流螢明滅：いくつかの螢のともしびが、明るくなったり、暗くなったりしている。　・幾點：いくつか。螢のともしびが、点々と見えることからいう。　・流螢：飛んでいる螢。　・明滅：螢のともしびが、明るくなったり、暗くなったりすることをいう。唐・温庭の『菩薩蠻』に「小山重疊金

，鬢雲欲度香顋雪。懶起畫蛾眉。弄妝梳洗遲。　　　照花前後鏡。花面交相映。新帖刺綉羅襦。雙雙金鷓鴣。」は、きらきらとした表現。宋・陸游の『水調歌頭』多景樓に「江左占形勝，最數古徐州。連山如畫。佳處縹渺著危樓。鼓角臨風悲壯，烽火連空明滅，往事憶孫劉。千里曜戈甲，萬竈宿貔貅。露霑草，風落木，歳方秋。使君宏放，談笑洗盡古今愁。不見襄陽登覽，磨滅遊人無數，遺恨黯難收。叔子獨千載，名與漢江流。」 とある。これは、ちらちらとした感じの描写。

※夜帆風駛：夜に舟を出せば、風に疾走し（はじめ）た。　・夜帆：夜に出航する舟。　・駛：〔し；shi3●〕疾走する。

※滿湖煙水蒼茫：湖一面、霞んで水面は果てしなく広がっている。　*宋・陸游の『謝池春』「壯歳從戎，曾是氣呑殘虜。陣雲高、狼烽夜舉。朱顏��鬢，擁雕戈西戍。笑儒冠、自來多誤。功名夢斷，卻泛扁舟呉楚。漫悲歌、傷懷弔古。煙波無際，望秦關何處。歎流年、又成虚度。」とある。 　・滿湖：湖一面に。　・煙水：霞んでいる水面。靄が立ち籠めている水面。　・蒼茫：広々として果てしない様、青々として広い様をいう。後世、明・高啓の『登金陵雨花臺望大江』「大江來從萬山中，山勢盡與江流東。鍾山如龍獨西上，欲破巨浪乘長風。江山相雄不相讓，形勝爭誇天下壯。秦皇空此黄金，佳氣葱葱至今王。我懷鬱塞何由開，酒酣走上城南臺。坐覺蒼茫萬古意，遠自荒煙落日之中來。石頭城下濤聲怒，武騎千群誰敢渡。黄旗入洛竟何��，鐵鎖��江未爲固。前三國，後六朝，草生宮闕何蕭蕭。英雄乘時務割據，幾度戰血流寒潮。我生幸逢聖人起南國，禍亂初平事休息。從今四海永爲家，不用長江限南北。」、と使う。

※菰蒲零亂秋聲咽：マコモやガマが乱れとり散らかされて、秋の物寂しい風の音が咽（むせ）んでいる。　・菰蒲：〔こほ；gu1pu2○○〕まこもとがま。水辺の草本。　・零亂：（白話）とり散らかしている。乱れている。　・秋聲：秋の物寂しい風の音。　・咽：むせぶ。

※夢斷酒醒時：酒が醒めたので、夢も断ち切られた。　・夢斷：夢が断たれる。陸游『訴衷情』でも「當年萬里覓封侯，匹馬戍梁州。關河夢斷何處？塵暗舊貂裘。胡未滅，鬢先秋，涙空流。此生誰料，心在天山，身在蒼洲！」や、前出・陸游の『謝池春』「功名夢斷，卻泛扁舟呉楚。」 とある。　・酒醒：酒が覚める。

※倚危檣�C絶：高い帆柱に寄りかかって（物思いに耽りながら景色を眺めていれば）寒々として、うすら寂しくなる。　・倚：よる。詞では、よりかかって、風景を眺め、物思いに耽る時によく使う。　・危檣：高い帆柱。 ・危：高い。　・�C絶：寒々として、うすら寂しい。　・倚危檣�C絶：ここの節奏は、「倚＋危檣�C絶」か、「倚危檣＋�C絶」となるところ。

※心折：心が押しつぶされる。

※長庚光怒：兵事を司ると謂われる金星が妖しい光を放っている。　・長庚：〔ちゃうかう；chang2geng1○○〕金星のこと。兵事を司ると謂われる。　・光怒：妖しい光を放つ。

※群盗縱横：群をなす盗人が縦横に跋扈して。　・群盗：群をなす盗人。　・縱横：縦横に跋扈すること。ほしいままにすること。横行すること。

※逆胡猖獗：反逆する異民族（金）は、猛り狂って、暴れ回っている。　・逆胡：逆らう胡（えびす）。反逆する異民族。ここでは金を指す。　・猖獗：〔しゃうけつ；chang1jue2○●〕猛り狂って、暴れ回るさま。勢い盛んで荒れ狂う。

※欲挽天河：天の川を引き曲げて…たい。。　辛棄疾は『水調歌頭』壽趙漕介庵「千里渥種，名動帝王家。金鑾當日奏草，落筆萬龍蛇。帶得無邊春下，等待江山�ｷ老，�ﾍ看鬢方鴉。莫管錢流地，且擬醉黄花。　　　喚雙成，歌弄玉，舞�拷ﾘ。一觴爲飮千歳，江海吸流霞。聞道�C�ｷ帝所，要挽銀河仙浪，西北洗胡沙。囘首日邊去，雲裏認飛車。」で同様のことを「銀河仙浪…」と詠っている。これは、杜甫の「安得壮士挽天河，浄洗甲兵長不用，」の詩を踏まえている。南宋・陸游の『聽雨』では「髮已成絲齒半搖，燈殘香燼夜迢迢。天河不洗胸中恨，却頼檐頭雨滴消。」 と使う。宋代の無名氏の水調歌頭でも「浄洗胡塵千里，不用挽天河」と使われている。 敵に侵された神聖な郷土を浄化することを表す一種の常套表現。　・挽：〔ばん；wan3●〕ひっぱる。ひく。　・天河：天の川。銀河。

※一洗中原膏血：（漢民族の故地である）中原で流されたあぶらと血を洗い流し（たい）。　・一洗：ひとすすぎする。南宋・陸游の『村飲示鄰曲』に「七年收朝迹，名不到權門。耿耿一寸心，思與窮友論。憶昔西戍日，孱虜氣可呑。偶失萬戸侯，遂老三家村。朱顏捨我去，白髮日夜繁。夕陽坐溪邊，看兒牧鷄豚。雕胡幸可炊，亦有社酒渾。耳熱我欲歌，四座且勿喧。即今黄河上，事殊曹與袁。扶義孰可遣，一戰洗乾坤。西酹呉玠墓，南招宗澤魂。焚庭渉其血，豈獨�C中原。吾儕雖益老，忠義傳子孫。征遼詔儻下，從我屬櫜鞬。」とあり、秋瑾も『寶刀歌』で「一洗數千數百年國史之奇羞」と使っている。　・中原：黄河の中流から下流にかけての平原で、古代の周の地域を謂うが、ここでは、漢民族の故地として使っている。　・膏血：あぶらと血。血あぶら。

※兩宮何處：（金に拉致された北宋末の徽宗と欽宗の）両帝はどこに（おわしますのか）。　・兩宮：金に拉致された北宋末の徽宗と欽宗の両帝を指す。

※塞垣只隔長江：（今や南宋の）国境は、長江を境目とするようになった。　・塞垣：〔さいゑん：se4yuan2●○〕国境。万里の長城を指す場合もあるが、ここでは国ざかいの意。

※唾壺空撃悲歌缺：（晋の王敦は、亡国を慷慨して）空しく唾壺を叩いては、悲憤したので（唾壺）は欠けてしまった。　・唾壺：〔だこ；tuo4hu2●○〕唾を入れる壺。痰壺。王敦（字・處仲）は、酒を飲む毎に、悲憤慷慨して、持っている鉄の如意で唾壺の口を叩いて調子をとったため、壺の口は、欠けてがたがたになったという『晋書巻九十八・列伝第六十八・王敦』にある故事による。原文は「毎酒後輒詠魏武帝樂府歌曰：『老驥伏櫪，志在千里。烈士暮年，壯心不已。』以如意打唾壺爲節，壺邊盡缺。」とある。韓世忠は『滿江紅』で「把唾壺敲碎問蟾蜍」と使っており、抵抗の意気を表す際には、よくこの故事が使われる。また、『世説新語』にもある。　・空撃：むなしく　うつ。　・缺：かける。一部分だけ砕けて取れてしまうこと。

※萬里想龍沙：万里の彼方の白龍堆砂漠（におわします徽宗と欽宗の両帝）を想い。　・萬里：遙か離れていることをいう。　・龍沙：白龍堆砂漠。甘粛省と新疆の間にあるが、ここでは、金に拉致された徽宗・欽宗の両帝が囚われている所として使っている。龍は皇帝を象徴するものとして使われる。「資治通鑑・巻第一百九十七・唐紀十三」には次の「夫龍沙以北，部落無算，匈奴庭謂之龍城，無常處，故沙幕（「漠」ではない）因謂之龍沙。」（資治通鑑の文字の一部が小さいのは原本通り。）と、匈奴と関係がある名称となっている。

※泣孤臣呉越：一人取り残された家来は呉越（江蘇省と浙江省）にいて涙を流して泣いている。　・孤臣：一人取り残された家来。作者のことか。『晋書巻四十八列伝第十八』に「孟軻有云，『孤臣子，其操心也危，慮患也深』，故多善功。」とある。　・呉越：当時の南宋の本拠地。現在の江蘇省と浙江省に当たる。　・泣孤臣呉越：ここの節奏は「泣＋孤臣呉越」か、「泣孤臣＋呉越」となるところで、前者がこの詞の場合相応しい。





◎　構成について
詞調：双調。１０２字。　脚韻は、仄韻一韻到底。韻式は「aaa　aaaaa」韻脚は「月滅絶　折獗血缺越」で、第十八部入声。

　　　●○○，
　　　○●●○，
　　　○●○●。（韻）
　　　○○●○○，
　　　●○○○●。（韻）
　　　○○●●，
　　　●●●○○，
　　　○○●○○，
　　　●●○○，
　　　●○○○●。（韻）


　　　○●，（韻）
　　　○●，
　　　●○○，
　　　●○○●。（韻）
　　　●○○，
　　　●○○○●。（韻）
　　　○○●●，
　　　●●●○○，
　　　○○●○○●，（韻）
　　　●●○○，
　　　●○○○●。（韻）

となる。

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