辛棄疾詞
擧頭西北浮雲, 倚天萬里須長劍。 人言此地, 夜深長見, 斗牛光焔。 我覺山高, 潭空水冷, 月明星淡。 待燃犀下看, 凭欄却怕, 風雷怒, 魚龍慘。 峽束滄江對起, 過危樓、 欲飛還斂。 元龍老矣, 不妨高臥, 冰壺涼簟。 千古興亡, 百年悲笑, 一時登覽。 問何人又卸, 片帆沙岸, 繋斜陽纜。 |
かうべ
頭を擧げれば 西北に 浮雲,
よ もと
天に倚りて 萬里に 長劍を須めん。
い
人は言ふ 此の地,
ひさ
夜 深くして 長しく
とぎう
斗牛の 光焔を。
おも
我 覺ふに 山は高く,
ふち
潭は空しくして 水は冷し,
あは
月 明るけれども 星 淡し。
さい(のつの)
犀を燃やすを 待ちて 下を看んとして,
よ かへ おそ
欄に凭るは 却って怕る,
いか
風雷 怒りて,
さん
魚龍 慘たるを。
峽は 滄江を 束みて 對起し,
よ
危樓に 過ぎれば,
飛ばんと欲して
元龍 老いたれば,
かうぐゎ
高臥するを
ひょうこ りゃうてん
冰壺と 涼簟に。
千古の興亡,
百年の悲笑,
一時に 登覽す。
なんぴと
問ふ 何人か又,
へんぱん おろ
片帆を 沙岸に 卸して,
ともづな つな
斜陽に 纜を 繋ぐを。
**********
私感注釈
※水龍吟:詞牌の一。詞の形式名。詳しくは下記の「構成について」を参照。
※過南劍雙溪樓:南剣(現・南平市)の双渓楼をよぎる。 *この詞は、いろいろな意味を重ねて、実に巧妙に作られている。初期や晩期の作品とは異なり、作者の鬱屈した感情が窺い知ることができる。上片は、地名とその典故に基づいて詞を展開し、下片は、目前の情景に思いを託している複雑な詞である。 ・南劍:南剣州のこと。現・福建省南平市で、福州の西北150キロメートルのところ。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社1996年北京)67−68ページ「南宋
福建路」に南剣州、剣浦がある。『輿地紀勝』に「劍溪環其左,樵川帯其右,二水交通,匯(匯:合流する)爲澄潭,是爲寶劍化龍之津。」(未確認)とあり、寶劍が龍となった渡し場である(後出)。 ・雙溪樓:南平(現・福建省南平市延平区江濱中路)の川の合流点の西北岸にある高殿。正式名称は、雙溪閣。双渓楼とは、双つの渓流に接した高殿(たかどの)の意。双つの渓流とは、剣渓(建渓)と樵川のこと。
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南平市:川の合流点の西北の岸 中央の東西の橋(玉屏橋)の西側の南たもとが 双渓楼(「友好医院」の「院」字の処) |
※擧頭西北浮雲:頭を挙(あ)げて(見上げれば)、西北方(の故知)に浮かんだ(白日を遮る)雲(がある)。 ・擧頭:頭をもたげる。 ・西北:金及び金によって占領された中原等の地域を指す。或いは、「白日を遮るもの」で、ここでは、南宋の皇帝の勢威を侵すものとも謂える。 ・浮雲:金によって占領された中原等の地域を指す。『古詩十九首』之一『行行重行行』に「行行重行行,與君生別離。相去萬餘里,各在天一涯。道路阻且長,會面安可知。胡馬依北風,越鳥巣南枝。相去日已遠,衣帶日已緩。浮雲蔽白日,遊子不顧返。思君令人老,歳月忽已晩。棄捐勿復道,努力加餐飯。」とあり、南宋・文天祥の『正気歌』に「哀哉沮洳場,爲我安樂國。豈有他繆巧,陰陽不能賊。顧此耿耿在,仰視浮雲白。悠悠我心悲,蒼天曷有極。哲人日已遠,典型在夙昔。風檐展書讀,古道照顏色。」 とある。前者の例は、「浮雲は、日を遮るもの」で、ここでは、南宋の皇帝の勢威を侵すもの意としても使われる。
※倚天萬里須長劍:天に依って万里に亘って、長い剣をもとめよう。 ・倚天…:この句は、宋玉の『大言賦」』「方地爲車,圓天爲蓋,長劍耿耿倚天外。」による。 ・萬里:極めて長いこと。ここでは雲を指すか。長劍を指す、という見方もあるが、「倚天萬里須長劍。」という文型からだと苦しいのではないか。 ・須:もとめる。(需)。待つ。 ・長劍:剣(武力)を以て金との戦いを行うという気概。また、南劍州という地名からもきている。
※人言此地-:人々は、「この地(=南剣)では……」と(以下のことを)言い伝えている。 *「人言此地,夜深長見,斗牛光焔」で一まとまり。(人々は、「この地では夜が更(ふ)けると、ずっと斗牛の間(=北東の空)で焔が見える」と言い伝えている)『晋書・巻三十六・張華傳』に「…,斗牛之間常有紫氣,(道術者皆以呉方強盛,未可圖也,惟華以爲不然。)……。華…乃要煥宿,…。煥曰:「僕察之久矣,惟斗牛之間頗有異氣。」…。煥曰:「寶劍之精,上徹於天耳。」…。煥到縣,…入地四丈餘,得一石函,光氣非常,中有寶劍,並刻題,一曰龍泉,一曰太阿。」この典故がある。(張華は、斗宿と牛宿の間に紫色の気を認めたが、(道術者たちはまだ呉國が強く、まだ立ち上がるときではないとみたが、張華は尚も不審に思い)そのわけを雷煥に尋ねた。雷煥は、それは宝剣の神光が天に当たっているのだと答えた。果たしてその通り、該当地の地中深くから石の箱が現れ、「龍泉」、「太阿」の宝剣が見つかった)という故事のある地方。 ・此地:南剣。現・福建省南平市。
※夜深長見-:夜が更(ふ)けると、ずっと…(斗牛光焔)…が見える。 ・長見:ひさしく見る。前出の「常有紫氣」のこと。長と常は、音が通じ、意味も近い。
※斗牛光焔:斗牛の間(=北東の空)で焔。 ・斗牛:「斗牛の間」(斗宿と牛宿の間)で、北東の方位。斗、牛は、二十八宿の星宿名で、斗宿と牛宿。二十八宿を二十八方位に当てはめて、方位を表す。ここでは「斗牛の間」(北東)の意。前出『晋書・巻三十六・張華傳』中の「斗牛之間」のこと。斗宿と牛宿の間に、神剣の紫色の剣気があがっていることをいう。 ・光焔:燃えさかる焔。遠くまできらきらした光を投げかけているさま。前出・「常有紫氣」を指し、『張華伝』中の神剣による紫色の剣気を謂う。更に、「光氣非常,中有寶劍」の雰囲気をも表している。
※我覺山高:わたしは山が高くて(…)と感じる。 *「我覺山高,潭空水冷」:のところは、辛棄疾の『水龍吟』(楚天千里清秋)や元好問の『水龍吟』(少年射虎名豪)では、対になっている。 ・覺:…と思う。…と感じる。自分の主観を述べるときに用いる。現代語の“覚得”と同様。 ・山高:山が高い、という情景の外に、辛棄疾にとって、当時の情勢が憂国の行動を採るのは障碍が多い、ということも表している。
※潭空水冷:淵(ふち)になにもいなくて、水が冷たく。 *「我覺山高,潭空 水冷、月明星淡」で、「期はまだ熟していない。」ことを謂う。 ・潭:淵。岸。 ・潭空:淵になにもいない。これも前出、『晋書・巻三十六・張華傳』の少し後に、煥の子に宝剣の一振りが伝わり、子がそれを帯びて延平津(=劍溪のこと)に行ったとき、剣が川中へ飛び込み、水中を探させたが見つからず、龍がいたという故事「煥卒,子華爲州從事,持劍行經延平津,劍忽於腰間躍出堕水。使人没水取之,不見劍,但見兩龍各長數丈,」に則った、宝剣も龍もいないことをいう。 ・水冷:水がつめたい。 *情景描写に借りて、当時の情勢が軍事行動を採るのは厳しい面が多い、ということを表している。
※月明星淡:月は明るいが、空に出ている星は少なくて(暗い)。 *ここも情勢の不利を表現している。曹操の『短歌行』の「月明星稀,烏鵲南飛。繞樹三匝,何枝可依。山不厭高,水不厭深。周公吐哺,天下歸心。」を踏まえているか。北宋・蘇軾の『前赤壁賦』に「客曰:月明星稀,烏鵲南飛,此非曹孟コ之詩乎。西望夏口,東望武昌,山川相繆,鬱乎蒼蒼。此非孟コ之困於周カ者乎。」とある。夜の情景であることを示唆して、後の「待燃犀下看」に続ける働きをする。
※待燃犀下看:犀の角を燃やして(照魔鏡の如く、妖怪を映し出して)照らして、下を見れば。 ・待:ここは領字(「待 ・ 燃犀下看」)で、熟語とならないで独立している。 ・燃犀:犀の角を燃やして明かりとすると、照魔鏡の如く、妖怪を映し出すことをいう。『晉書・温嶠傳』に「水深不可測,世云其下多怪物,嶠遂燃犀角而照之。須臾,見水族覆火,畸形異状」からきている。 ・下看:下を看る。前掲『晉書』の「…其下多怪物,…見水族覆火,畸形異状」のことで、暗に南宋の朝廷の様子を窺えば、という意味も含まれていよう。
※凭欄却怕:(窓辺の)欄干に寄りかかれば、かえって逆に(風雷怒,魚龍慘)をおそれる。 ・凭欄:欄干に寄りかかること。倚欄、憑欄。 ・却:逆に。かえって。 ・怕:おそれる。
※風雷怒:風が吹き荒れ、雷が鳴り響き。 *状況がひどくなって。
※魚龍慘:水の深いところの怪物群の魚龍がいかっているのを。 ・魚龍:水の深いところの怪物群の一一。前出・『晉書・温嶠傳』の紫字参照。南宋朝廷の対金和睦派のことを指しているといわれる。作者をして、前出の「山高、潭空、星淡」と謂わせた元凶。和睦派・媾和派は、漢民族の立場で謂えば、投降派となる。魚も龍も鱗獣として、同族になる。龍は皇帝とも読める。 ・慘:ひどい。詞語としては、怒る。
※峽束滄江對起:峡谷は青い川の流れを束して向かい合って聳え。*川の流れも作者の心も束縛されているというのを謂う。 ・峽束:峡谷の壁は川の流れを、束している。 ・滄江:青い川。滄の字の部分は、缺けている。「滄」や「蒼」とするのもある。 ・對起:向かい合って聳える。
※過危樓:高殿(たかどの)(=双渓楼)を通り過(す)ぎれば。 ・過:(…を)よぎる。通り過(す)ぎる。(…に)よぎる。 ・危樓:高殿(たかどの)。ここでは雙溪樓のことをいう。「危」は「高い」意。
※欲飛還斂:(水流は、二川合流のため)勢いを増すものの、(渓谷に阻まれているために)収まって緩やかに流れている。また、作者の心情としては、飛び立とうとするが、はばまれて飛び立てない、ということ。 ・欲飛:川の流れが、二川合流のため、勢いを増すこと。また、作者・辛棄疾の飛び立とうとする心情。 ・還:なおもまた。 ・斂:収める。収斂する。
※元龍老矣:(国士の)陳元龍(=陳登)は、年老いてしまった(ので)。 ・元龍:陳登の字。『三国志・魏書・巻七・臧洪傳』中の陳登傳では、高潔で救世済民を志した。広陵の人。ここでは、作者・「辛棄疾」の替わりとして使う。 ・老矣:年老いてしまった。『魏書』では、三十九歳で卒すとなっており、矣は文末の語気助詞で、完了や過去を表す。
※不妨高臥:隠遁生活をして(「冰壺涼簟(冷たい水を入れた壺と夏ござ)」に臥しても)構(かま)わないだろう。『三国志・魏書・巻七・臧洪傳』中の陳登傳では、「元龍無客主之意,久不相與語,自上大牀臥,使客臥下牀。」「君有國士之名,今天下大亂,帝主(帝王ではない)失所,望君憂國忘家,有救世之意,而君求田問舎,言無可釆,」。(『陳登傳』について) 不妨:〔ふはう;bu4fang2●○〕構(かま)わない。差し支えない。妨(さまた)げない。 ・高臥:俗世間を避けた隠遁生活。陳登傳では、「元龍無客主之意,久不相與語,自上大牀臥,使客臥下牀。」という具合に、自らが大牀(≒上座)に臥したことからきている。
※冰壺涼簟:冷たい水を入れた壺と夏ござ。 ・冰壺:氷をもった壺。清浄なことの形容。ここでは、壺に入った冷たい水または酒のこと。「冰」字は、「氷」の正字。 ・涼簟:夏ござ。竹や葦を編んで作ったたかむしろ。
※千古興亡:遠い昔から、(王朝が)興っては亡ぶこと。 ・千古:遠い昔。時間の無限なこと。永久。 ・興亡:興っては滅びること。意味の上では、「滅ぶ」の意味の方が強い。
※百年悲笑:何百年も、(人々は)悲しんだり喜んだりしたこと。 *個人の人生の集積を謂う。
※一時登覽:(「千古興亡,百年悲笑」を)一度に、高いところに登って(懐古しながら)眺める。 ・一時:ある時。いちじ。少しの間。ひとときの。その時限りの。同時に。一度に。北宋・蘇軾の『念奴嬌』「大江東去,浪淘盡、千古風流人物。故壘西邊,人道是、三國周カ赤壁。亂石穿空,驚濤拍岸,卷起千堆雪。江山如畫,一時多少豪傑。 遙想公瑾當年,小喬初嫁了,雄姿英發。註綸巾,談笑間、檣櫓灰飛煙滅。故國~遊,多情應笑我,早生華髪。人間如夢,一樽還酹江月。」とある。 ・登覽:高いところにのぼって、ながめる。
※問何人又卸:尋ねるが、誰が一体また荷揚げをしているのだ。 ・問:問いたずねる。ここは領字で独立して、「問 ・ 何人又卸」と切れるところ。 ・卸:(古・現代語)(荷物などのひもを)とく。(舟などから荷物を)おろす。(舟から)荷揚げをする。おちる。ここでは、(荷物などのひもを)とく。
※片帆沙岸:砂の岸辺に、片側に傾けて帆を張った船が。 ・片帆:一方に傾けて張った帆。真帆の逆。この片帆や、以下に続く沙岸、斜陽と、いずれも完全で、安定したというものではなく、独特の危うさを漂わせたものである。 ・沙岸:砂の岸。浅瀬。
※繋斜陽纜:傾いた夕日の中で、纜(ともづな)を繋(つな)いでいる。 *「片帆沙岸,繋斜陽纜」衰勢を象徴する光景。 ・斜陽:夕陽。衰勢の象徴である。 ・纜:ともづな。舟を繋ぐ縄。
◎ 構成について
水龍吟
双調。102字 仄韻一韻到底。韻式は「aaaa
aaaaa」。
○●○○,
○●○○●。(韻)
○●●,
○●●,
○●。(韻)
●○○,
○●●,
○●。(韻)
●、○●,
○●,
○○●,
○○●。(韻)
●○○●。(本来は、押韻)
●●○+ ○○●。(韻)
○●,
○●。(韻)
●○○,
○●,
○○●。(韻)
●○○+
●●○○●●,
●○○●。(韻)
となる。 脚韻は、「劍焔淡慘 斂簟覽纜」で第十四部去声。この作品は過片(換頭)の押韻がない。そのため、この作品の韻式は「aaaa aaaa」となる。詞中に対になっているところがあるが、一定でない。
2000.10.30 11. 1 11. 2 11. 5日 11. 6 11. 7完 11. 8 11.28 12. 9 2011.11.16 11.17 11.18 11.20 |
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