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8月31日(木曜日・休診日)
8月の最後の日も、残暑でありました (^^ゞ
午前7:30。
叔母さまからのTelがあったとき、意外にも早起きなおかあさんは、すぐに受話器を取りました。
“ガスこんろの火の付きが悪いの (`_´)”
・・Telなくも、わたしたちは叔母さまのところへ行く予定を入れていましたけど f(^ー^;
休診日のこととて、“ちょっと”のつもりで、午後になって叔母さま宅へ行きました。
ガス台はおかあさんにも解決できなかったので、ガス屋さんに、とりあえずは“修理依頼”のTelをかけ、明日に持ち越しました f(^ー^;
パロマの湯沸かし器についても伺っていましたが、瞬間湯沸かし器ですので、クレームの必要はなかったようです (汗)
わたしは、本日の訪問にては、お留守番は覚悟でいました。
叔母さまを連れて、おかあさんは郊外の文房具屋さんに行く予定だったのですし、“ついでに”という程度にステラタウンくらいに叔母さまをお連れする、というように聞かされていましたから (・_・、)
ところが! であります。
叔母さまの耶蘇のおともだちの来訪がありました。
暑いこととて、待合い室にて、アイスコーヒーで接待があったものです。
わたしもごあいさつに出、
“まぁ! すてきな猫ちゃん!! (^・^)”
と評してくださいました。叔母さまのいつものおともだちより、ずっと若い60代の未亡人でありました。
(60代を“若い”と感じるのであります (^^ゞ)
話題は神のことだったりしたので、わたしは風の通りのよいお縁に聞き耳のみでおりました。
しばしのち、叔母さまが、
“私たち、ステラタウンに行くのですけれど、ごいっしょなさる?”
・・わたしはどーせお留守番の覚悟だったのだけれど(嘆)
もしかしたら、いっしょに行けるのかとも思っていました。
(ステラタウンは、ペット可の場所があります)
“うれしいわー、行ったことがなかったの!! (^・^)”
ということで、3人で出かけて行ったものです(嘆)(嘆)(嘆)
お誘いして断られるより、おかあさんのお言いつけのお留守番をしている方がわたしはいいんだけどね =^_^=
わたし的には憤慨なのだけれど、おかあさんは、叔母さまのおともだちには、
“いつもお世話になって m(__)m”
という姿勢です(嘆)
戻ったおかあさんと叔母さまは、わたしの大好物のハーゲンダッツのアイスクリームの匂いがしました (・_・、)
文房具屋さんのおみやげは、先週のもの、万年筆でありました。
おかあさんは、ファウンテンペンが好き、みたい (^・^)
しかし、わたしへのおみやげもなく、お留守番しただけでわたしは帰途につきました。
帰宅すれば、おかあさんは大あわてで夕ごはんの準備! の時間でありました。わが社のごはんは、作り置きからなんとかできちゃうものなのですけれど (^+^)
マチコさんへも、タッパー運びするのがわたしにはなんとも納得できないけど (--#)
おにーさんは、既に缶ビールを開けていましたもの、わたしだって、“ごはんー!”コールをしました (`_´)
わたしの特急のごはんは、昨日の高島屋のものが繰り返されましたが、美味 (#^.^#)
人間のごはんのあとには、おにーさんは、“梅酒!”の次に“チョコレート!”と必ずいうのです。
おかあさんは、わたしに供したくないらしいけど、くほ!
ちゃーんと着席しちゃうぞ =^_^=
TVでは、次郎長と吉良の仁吉の決闘が実況中継けれていましたし、麦とろごはんとおそうめんも決闘していました。
冥王星は惑星から降格され、ミッキーマウスのプルートーくんは気の毒です。
“ディズニーは金曜日で、プロレスと交互だったわ”
と、同じ次元でしょうか?
おかあさんが、
♪ららみー ららみー 白い雲が 飛んでゆく〜
とハムと、おにーさんが、
♪ここは 西部 田舎町〜
と、つづけていました。
あ゛ーヤダ!進駐軍の占領下のこどもって(嘆)
鍛え直すべくわたしは生まれたのかもしれないです (^+^)
8月30日(水曜日)
終日の曇天でありました。
おにーさんへの昼の給餌を終え、叔母さま宅に向かうときには、先週のごとき雨の予感がありました。
ンなことはなかった、のだけれど f(^ー^;
車中、エアコンが効きすぎて寒いくらい、とビミョーな気温でありました。
おかあさんは、昨日入手したばかりの靴を佩用し、わたしとしても、なかなか乗りごこちのよいものでありました (^・^)
叔母さま宅へ荷物を搬入すれば、わたしは家中を点検 =^_^=
おかあさんが時間貸しの駐車場を求めているあいだに、叔母さまは、残業の宿題の点検をしておりました。
宿題とは、次回の句会の試作品 (^+^)
お題は『野菜』で、季語重ねの懸念されるものでありました。
おかあさんはネットにて季語を調べつつ、苦肉の作なのであります(失笑)
お野菜といへば、調理しか思い浮かばないのでありますから (^+^)
ブルーブラックのインクで縦書きという、おかあさんに馴染まぬペーパーを見つつ、叔母さまは、
“ふむふむ”
とか云っておりましたが、おかあさんは、
“ヘタ、だよ m(__)m”
と申していましたが、そのとおり!!(爆)
原稿が手許にないので、うろ覚えではありますが、
茄子紺の 衣行き交う 花火会
・・・季語回避(汗)
もろこしは ひとつぶひとつぶ 甘きなり
・・・かわいい老女を気取る(失笑)
あとは、茗荷の千切りをガラスの器にとがらせてみたり、きゅうり揉みで暑さを凌いだりと(失笑)
“え゛ーい!
どんどんパクって、もっともらしいものにしておくれ!”
てへ (;^^)ヘ..
一連の家事が終了すると、ふたりは至近なる大宮高島屋に出向きました。
おかあさんが、
“ちょっと行って来ようかな・・”
と云へば、“わたしも!”というように、突如の行動なのでありますけれど (--#)
待つこと1時間ばかりで、ふたりは戻ってまいりました。
わたしへのおみやげの、鹿児島地鶏もも肉というものは、後刻、たいへんおいしゅうございました )^o^(
ちょっと聞き捨てならなかったのは、“おいちかったわね〜”と口々に云っていたことであります。
果物屋さんのジューススタンドで、パパイアマンゴーと、どちらもわたしの大好物のものを飲んで来たようなのです、おみやげもなしに!!
(`_´)
もうひとつあった袋は、主たる目的のようです。
ミヤオカさんへのバースデープレゼント (^+^)
同じコーナーにあったハンカチを、叔母さま、従姉のえいこちゃん、おかあさんとおそろいで求めておりました。
『ATSUKO MATANO』とタグにありました =^_^=
わたしの認識では、“一生分のハンカチ”が引き出しにあるよーなんだけれども ^_^;
『防災の日』を控えて、そんなコーナーもあったそうです。
“犬用、猫用のものがあるのね〜 (^・^)”
叔母さまは感心(?)していましたが、新聞でも報道されていました。
震災が起きたら、当院スタッフと患者さんの安全を確認したのち、わたしはリュック型のペットキャリアに入り、おかあさんと自転車で中山道伝いに叔母さまを迎えに行き、
“あ゛ーら!
女学校の時、毎週のように訓練していたものだわ (^・^)”
・・サバイバル教育は、戦中に敵わないかも f(^ー^;
叔母さまは、大宮の自宅からマイ鍬を担いで電車で浦和の女学校まで行き、農村奉仕で秋ヶ瀬あたりまで行軍するのが学科の替わりだったそうなのです。軍国少女ですにゃ (ロ_ロ)ゞ
でも、終戦の日には、“これから、夜眠れる”と思ったそうです。
こんなことこそ、語り継ぐべきことではないでしょうか?
叔母さまより12才上のママさん、わたしの知らないそれより10才上のパパさんとは、またニュアンスの違う感想の聞けたことでしょう。
・・・でも、語りたがらないことが多すぎたのかもしれないにゃ (・_・、)
叔母さま宅に行くと、おかあさんは多忙そうだけど、わたしは和の暮らしになじむのにゃ =^_^=
そう易々とは終わらない残暑であります (~Q~;)
おかあさんがフライパンと何度も格闘すれば、室温上昇(嘆)
君子は危うきに近寄らず、ましてやねこをや (~v~)
わたしはエアコンの有効なる場所におりました。
一段落したところで外出し、まず赤ちゃんがきたのお店を検分すれば、皮靴までも売っておりました (○_○)
売れるものなら何でも売るにゃ f(^ー^;
“\1000のものは履きたくない・・ -.-#”
でありますが、ヒールのある茶色のローファー、Asicsのものであります。おかあさんの好み (^^ゞ
やっぱり! おかあさんは1足買うのでした (^・^)
イハラ屋さん経由(また!! 生揚げのおまけをいただきました m(__)m )で洋々堂に行き、カヨコさんに靴を見せ、しばらく立ち読みなぞしておりました。
『UDON』という映画の本を見、週刊誌で“直木賞作家の猫捨て”をぱらぱらと見ていると・・
“あ゛、コレ、サイズちょうどいい (^・^)
履き心地もグー! (^_^)v”
と、いつのまにかカヨコさんのものとなりました (^^ゞ
カヨコさんのお気に召すなら、おかあさんにも好都合であります。
再び、赤ちゃんがきたにお店に行けば、さきほどとの変化、
“さっきの靴をおとうふと交換したんぢゃなく〜“
と言い訳から始め(汗)、もう1足を調達しました。
店員さんは、
“もう一度いらっしゃると思ってましたー (^・^)”
って、読まれてるにゃ〜
古代より、“靴の値と娼婦のそれとは同一”だそーです。
女物の靴への箴言は聞いたことはないけど =^_^=
あ゛ーんなにたくさんのディッシュを拵えていたのに、“今夜は肉の日(29日) (^・^)“と、おにーさんはスタッフと焼き肉屋に出向いていました。
“チカコさんもいっしょに行こうよ!”
って、おかあさんは残業で忙しいのであります (^+^)
わたしとお食事しつつ、
“ねぇ、ホントーに知らない?”
おかあさんがくどくしつこく聞くのは、昨日のアゲハチョウのことであります。彼女には、いくらおそうじをしても見つからないのです。
ないしょ =^_^=
8月28日(月曜日)
♪みぃーんみぃーん ♪じーじー
蝉がにぎやかです。夕方になると、虫の音と重なり、やがて虫主導になっていました。秋です =^_^=
朝の椿事!!
昨日の桑の木は、おどろいたことに!!!
おにーさんが切ってくれました。
用意してあった小のこぎりを使わずに、
“へし折った!! (^・^)”
だそーです、お、男らしいや f(^ー^;
おさんぽに出れば、ややこどもの姿が減ったよーな気がしました。夏休みカウントダウン寸前であります。
HOPビルあたりでわたしに話しかける少女たちに、
“宿題は?!! (`_´)”
と問へば、
“やった!! ( ̄^ ̄)”
と返ってきました (^^ゞ
さくら屋では、どーしたことか!!
天井を黒いアゲハチョウが飛翔してをるのでありました。
“取りましょうか?”
いともカンタンに社長夫人とイガラシさんが云うのです (○_○)
夫人はガーゼの手拭いを振るも敵わず、イガラシさんが脚立を持ち出せば、
“あらよ!”
とばかり、あわれアゲハはお店の袋に入れられ、おかあさんのバッグに入れられました!! オドロイタ (@_@;)
洋々堂にて、冥王星人のない細木数子御大の人気本の枠のひとつに『猫の母子手帳』を発見!!
“気がつかなかったみたいだったから入れてみた (^・^)”
無論、わたしたちは購入しましたが、本屋さんはそんな並べ方でいいのか? f(^ー^;
至近の餅菓子屋さん・若柳さんでは、来る9月1日の、9回目となった当院開院記念日に、恒例のお赤飯配布の注文をしました。
“つい、こないだみたいですけどね〜 (^・^)”
と、ご主人が目を細めてくれました (#^.^#)
帰宅すれば、おかあさんはキッチンに入りますし、やがてゆうごはんともなれば、わたしがカナリアとなって、本日のお刺身をいただきました。
白焼きしたものは上等の味だったので、
“るうちゃまがよく召し上がったお刺身よ (^・^)”
と、おかあさんはおにーさんにお箸を勧めるのであります =^_^=
わたしは人間のテーブルになぞ興味はなきも、ふたりがリビングに移動して、デザートと称する、しばしばチョコレートの出る場面となると、黙ってはいられません (^_^)v
と、そのときでありました、さくら屋の袋から! 蝶が飛翔したのは!!!
そも、いただいた時、蝶の生命についておかあさんは思いを馳せたでせうか?
“困るちゃったなー (・_・、)”
と、脱脂綿にお砂糖水を含ませたものをテーブルにおいていました。
くふ、わたしは、ずーーーっと壁にあるアゲハを見据えては、しばしばおかあさんをコールしました。
ハンターの血の騒ぎよ!!
われの胸に起これば、皇帝の意志を僕は叶えよ!!
何故採らぬ!!
おかあさんは、“困っちゃったな〜”としか云わぬが =^_^=
8月28日(日曜日)
暑くはない日でありました。
ただ、おかあさんのみ汗だくで、草取りをし、荷物を搬入していましたけれど f(^ー^;
指の怪我、またそれ以前からの草の生長は目を見張るものがありました。
建坪率だけの場所でも、ポリ袋がいっぱいになっていましたし、裏には桑とおぼしきものが樹木となって (@_@;)
草取りのあとは、いつものファームランドみぬま経由、角上魚類と、さらにはホームセンターと、食物と生活の必需を求めに出ていました。
ファームランドみぬまを出て、至近の『浦和くらしの博物館民家園』に立ち寄ってみました。
民家って、涼やかそ (^・^)
(http://www.city.saitama.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020046&WIT_oid=saitama::Contents::44539 参照)
とてもひさしぶりだったせいか、ようすが変わっておりました。
中庭にテントが設けられ、『安来節』と『見沼太鼓』と書かれた横断幕が張られていました。祭りの後、だったようです。
そのせいならず、わたしの知る以上の人出でありました。
中山道にあった高野煎餅と綿貫商店の建物が移築していました。
旧家からマンションの波と変貌した旧中山道のお店2軒と再会できて感涙でありました。
ほんの数年前まで現役だった建物の内部は、さらに復元が施されていたのでしょう。
古い古い暮らしぶりからは、当時に生きた人々の心が偲ばれました。
開放した窓からは、竹藪が望めるように新たに設えられていました。
それでも殺風景。
当時の民は、季節の暮らしを楽しみ、工夫していたことでせう。
そんな作りを再現してくれたらいいのに (^・^)
わたしたちは、たまたま浦和に在するので、ここが身近ですが、もっと全国区で見てみたいものです。インタネなら、居ながらにして飛べるのににゃ =^_^=
わたしたちがお話をしたのは、清掃の係の方のみでありました f(^ー^;
市の職員ぢゃなさそうだけど、解説巧みでありました。
大勢さんは、JRの『歩こう会』に参加した方たちだそうで、彼女が交通説明をしていました。
角上魚類への道すがら、東浦和駅前にも、駅前の現・高野煎餅のお店前にも、『歩こう会』の参加者が大勢ありました。
角上魚類では、わたしは車内待機 (--#)
店内改装の由、今日を最後にしばらくは閉店だそうです。
瓶詰め、缶詰のような保存食は完売していて、おかあさんは、お刺身のみしか買えませんでした(嘆)
(現時点、買ってしまったまぐろのお刺身について、おかあさんは迷っています (^+^) )
ホームセンターは、わたしの入店も可、であります。
日曜日には、お客さん多数のなか、わたしたちは、キッチンの排水溝のゴミ受けだけを求めました。
銅製のものが、底が破けたので、今度はステンレスのものを求めました。
くす、ステンレスのものの次は、きっとまた銅なのです。
歴史に残らない暮らしのあれこれ f(^ー^;
ひそかにだからこそ、美しくありたいです。
8月26日(土曜日)
蝉は時雨れるものの、エアコン要らずでしたから、秋の初日だったのでせうか (^・^)
夏休み最後の週末で、HOPビルでは『レッズ祭』を開催していましたが、わたしの通過したときにはまだ始まってはいませんでした。
駅前のレッズスクエアに行ったのは、地図をいただくためでしたが、男の人が何やら機械に向かって作業をしていたのが目に止まりました。
区役所の分室は閉じていましたが、観光案内の部署は土曜日でも開いていました。
やがて機械からは、千社札!!が排出されました。
レッズの模様を主とした千社札の自販機だったのであります!
これがガマンができましょうや(否、てきない (^^ゞ)
わたしたちも、おかあさんの名入りのものと『るうでんす』のものを作りました。
背後のチケット売り場では、帝劇のチケットを求めていた人の怒号があり、それも去ったところで、2種類の札が完成しました。
先日より、ここの人たちとは顔見知りでしたので、
“そぉんなに怒らなくてもいいのにね (^+^)”
と、彼女たちに完成品を見せました。
(8月1日の日記参照)
“あ゛らー、ピンク! (^。^)”
おかあさんの札は、本人は“京都の芸妓さんみたい (^・^)”でした:けど(失笑)
“『るうでんす』って?”
と、わたしの名前の由来を聞かれました (^+^)
(遊びの項参照)
この機械は、わたしたちが気付かなかっただけで、5月から存在していたようでありました。
洋々堂のカヨコさんも、お店にいた床屋さんのみっちゃんも知っていましたし、ムカサたばこ屋さんもさくら屋も知っていたのですから (・_・、)
皆が、
“で、どこに貼るの?”
痛いところ突くにゃ〜 f(^ー^;
本日のおさんぽで、わたしたちの評価に新しいものもありました。“こいびとどうし”ですって ヽ(^O^)ゝ
・・・マチコさんに云わせると、“さびしすぎない (^_^;)”だそーですけど、丁度よいです =^_^=
帰宅してから、やがて『レッズ祭』の音響が聞こえて来ました。
キッチンにあったおかあさんも、“るうでんす・・16才”と記入した抽選券を持って、ひとりで出向いていました。
“あら、猫ちゃんは?”と問われること必須 (^+^)
そのあいだに、ヤリちゃんが来ておりました。ないしょですが、見越して施錠をしていないから (^+^)
わたしへのおみやげは、スマートボールと、プラスティックの金魚でした。抽選にはハズれ、縁日のゲームだけをしてきた、というところでせうか(失笑)商店会のお歴々に頭を下げつつ(失笑)
ヤリちゃんに千社札と、木曜日に買っていた\1000ほどの万年筆を見せていると、おにーさんも上がって来て、ヤリちゃんお持ち越しのみたらしだんごでお茶が始まりました。日本橋高島屋のおみやげだそーな。
プラスティックの金魚でも、おにーさんは、“上から鑑賞”と、昨日得た知識をヤリちゃんに申していました。
わたしは、3人のつくる三角形の中心を測定し、坐し、監視監督に多忙となりました <(`^´)>エッヘン。
“今週のお祭りで最後だね〜“
“西口では阿波踊りやってるらしいよ。”
“監査が入るから残業ばっかりだしぃー”
“健診だしぃー”
と、それぞれが行く夏を惜しんでいるようでした (^・^)
8月25日(金曜日)
蝉はさかりで残暑なるも、朱夏は衰えているかも (~Q~;)
金曜日というと、おかあさん的には、1週間働いてくれたおうちのお礼に、手入れのおそうじが熱心です。
てへ、代わり映えはしないみたいだけど (^+^)
おさんぽに出れば、洋々堂で天敵・イチカワ氏に出会いました (^^ゞ
イチカワさんといへば、折り紙の達人です。
火曜日の折り紙事件について糺せば、
“そんな本でいいんぢゃない? (^・^)”
ということでありました (^^ゞ
(22日の日記参照)
氏は、駒場の葬儀場までバスで行く件を持ち出しました。
北浦和駅東口に運行するバスの乗り場は、駅前とQueen's ISETAN前のバスターミナルの2箇所があります。
氏の目的地へは国際興業のバスでありますが、時間帯により乗り場は変わりますし、曜日によって発車の時刻も変わります。
氏は一旦出ていったものの、ひとりでは解決できないらしく(嘆)、わたしたちも乗り場まで同行してさしあげました。
今年は、ハワイのみならず東欧へのご旅行もなさったのに、バスの乗り方がわからず、お通夜にも行けない、と f(^ー^;
かの東欧の田舎町の街並みは美しいそうです。
建て替えるにも色が決められているそうです。
保存したい街を持つことのなんとうるわしいことでせう。浦和なんて、マンションが建ち放題であります。それも、街の息吹かもしれないけれど(・_・、)
赤ちゃんがきたのお店には2度行きました。
まず、日記には記述なくも、先日買っていたヨーヨーのウケがよかったので、色違いを4つばかり買っていたのです。
振れば内蔵の電球が光り、わたしとしてはそちらに興味はなく、持ち手のところを仮想敵とするおもちゃであります。
最初は黄色、買い足したものは、オレンジ、紫と、他にも幾色かありました。
そのうち、2つは、さくら屋の社長に“孫(いつの間にか3人目の赤ちゃん!!)がおもしろがるだろう”と取られまして、さらに補充をした次第でありました (^^ゞ
おにーさんのお気に入りでもあるのです。
昨夜、おかあさんがお手洗いに行った隙に電灯を消して、蛍光剤のヨーヨーを振っては、
“ひとだまだぁー!”
と、やらかせば、おかあさんが“きゃ〜〜!!”でしたから (^^ゞ
オモシロイものを仕入れるお店です (#^.^#)
帰宅すれば、“焼け石に水”の散水がされました。
わたしは2Fの自宅部分にて、下に虹を描く水の弧を見ていました。
“かけてほしいくらいだ!”
といふ、賞賛(?)が聞こえました (^・^)
診療時間が終わると、おにーさんを送って、いっしょにロイアルパインズホテルまで行きました。
わたしはヘッドレストに乗っていたのに、フロントマンは気付かない様子でした。
『99.9%は仮設』という本で読み囓ったところでは、“見たくないものは無視”にして、墓穴を掘るらしい、です =^_^=
ホテルの会にお出かけというのに、何故かおにーさんは夕ごはんをダイニングにて取っておりました。
直後は『しばわんこ』に『美の壷』という、わたしたちの好みの番組にて、せかせかとTV前に着席したおかあさんの横にはわたしも着席 =^_^=
金魚を飼ってみたくなりました =^_^=
8月24日(木曜日・休診日)
朝の雨が上がれば、当地初の♪おーしんつくつく が鳴き、
“夏は終わりね〜 (^^ゞ”
と、おかあさんは決定するのでした。
夏のあいだ働きつづけたリビングのエアコンに黒いカビのようなものが付着しておりました。
それをおそうじしようとすれば、下のソファには、おにーさんが座していましたが、無論、おそうじのお手伝いをするような人ではありません(嘆)
しかし、脚立であくせくするおかあさんに見かねたように、口ばかりではなく手も出しました。
彼に期待ができましょうや?
おかあさんに“肩を貸せ!”、おのれが腰を支えよと、ただ脚立に乗っていただけなのですから(嘆)
そこでおにーさんの発案は妙案。
“下の脚立を持って来いよ (^・^)”
ということで、レントゲン室から、もう一段高いものを持ってくれば、作業は捗りました。またも! おにーさんは口しか出さなくなっていたけど、おかあさんの手で間に合うようにものでありました。
しかるに、この脚立は、院内使用のものだったハズであります。
“(レントゲン室にあったのが)ジャマだったんだよな〜 (~~)”
では、建立以来の高所の作業をしていたおかあさんは、一体なんだったのでせう (・_・、)
ということで、脚立モンダイは一挙に解決したのでありました f(^ー^;
(8月20日の日記参照)
休診日とはいへ、午後ともなれば月1の清掃業者さんが入っていましたし、院長室には会計士さんもやって来ました。
おかあさんはお茶の用意ばかりをしていましたが終えればしばらくのお出かけしておりました・・・
おみやげには、わたしの猫用ミルクもありましたし、文具などもありました。
ほー! さぞさぞたのしい時を過ごしたのでしょーよ (--#)
だけど、帰ったときの敷居はかなり高かったハズであります!
何しろ、わたしはお留守番をしていたのですから! (`_´)
山羊ミルクタブレットなんていうものに、わたしは懐柔されたりもしたのですけれど =^_^=
わたしもおにーさんもゆうごはんの心配をするくらいの時間だったのですから(嘆)
ビールに梅酒の新酒とつづくゆうごはんの後、ネットで新聞を閲覧していると、聞き捨てならない記事に出くわしました。
直木賞受賞作家が、飼い猫の産んだばかりの子猫を、“裏の崖に捨てることが習慣”と!! .。ooO(゚ペ/)/ひゃ
その作家の本を読んでいた時、おかあさんは、
“ひゃっ! コワクなっちゃったよー!”
と、わたしの体温を求めたものであります。
物書きが、想像ではなく、実際に殺人(?)をするとは、想像の神への謀反です。
作家へではなく、掲載誌へのギモンを禁じ得ません (--#)
8月23日(水曜日)
風立ちぬ、のふんいきはありました (^・^)
叔母さま宅へ向かう欅並木は、葉色濃くあるも、影が薄なったようでした。
叔母さま宅へは、いつもの数多のタッパーの入ったクーラーバッグに加え、『しばわんこ4巻・今日は佳き日』もありました (^+^)
まずは、ハンカチを小さく折って、額を拭ってのごあいさつであります。
叔母さまも負けてはいませんでした。同じように頬を拭っておりましたから f(^ー^;
叔母さまには、『しばわんこ』の生活が、今もほぼそのままなのですから、“かわいいのはみけにゃんこ”だそうです (^・^)
さて、おかあさんが解説したかったのは、“佳き日”=結婚式の場面でありました。
双子のパパとゆきちゃんの結婚の場面であります。
双子のパパは、再婚でしょうが(多分 (汗))、前妻とは死別であることがメルヘンであると読んでおりました。
とすれば、孫の新しいママを、双子の親は祝福するのではないでしょうか?
“親権を放棄した離婚にちがいない!”
と、おかあさんは断じております f(^ー^;
(8月20日の日記参照)
結婚・結納の場面は、おかあさんは得意としないが(汗)
わたしは見たことがないけれど、たいそうな水引細工というものがあったのだそうです。
“猫が喜ぶのよね〜 f(^ー^;”
と、おかあさんが云っていました (^+^)
もっと昔、結婚などのご祝儀といえば、度ごとに水引を注文したのだそうです。
おじいちゃんの患者さんには、そんな職人さんがいて、毎度拵えてくれたそうです。
同じ本に、『更級日記』の作者が『源氏物語』にあこがれる記載がありました。
女学校で学ぶ科目が、叔母さまの時代には竹槍訓練と、農作業に充てられていたので、叔母さまの教養には大いに欠落の箇所です。
『源氏物語』と『平家物語』の区別のない世代なのであります。
彼女たちには、もうワンチャンスが巡ったのは、定年の60才ころの『生涯教育』講座の受講だったそうですけれど、これも多忙につき失す (・_・、)
機会のあったおかあさんこそ感謝すべき教育ですが、失す (^^ゞ
“ためになるわね〜 (^・^)”
ヤリちゃんのお部下の、若年寄青年と同じ感想(失笑)
叔母さまは、
“今にならないと、戦争のことがちゃんと話せない”
と、云います。
もっと上の世代こそ話すことが多かったはずですが、語るには60年の歳月を要するものなのかもしれません。
終戦の日、叔母さまは、
“これでやっと夜寝られる”
と思ったそうです。
ママさんも似たことを云っていたものですが、それ以上については語るには時間が足らなかったのかもしれません。
というよーな話を聞いておりましたが、たまさか掃除機の爆音がわたしを襲っていました。
おそうじしながらのお話であります =^_^=
“あなたたちが来る日は、きれいになって気持ちがいいわ〜”
え゛??
聞き間違えでしょうか? (¨;)
薬局からは、おかあさんの小さな叫びが上がってもいました。
“こ、これは?!!”
竹の定規を手にしたおかあさんが、
“『尋二 櫻組』って書いてあるよ!!”
と、声を高らにしておりました。
叔母さまはといへば、何食わぬ様子で、五つ玉のそろばんを棚から取っておりました (¨;)
今宵は、医師会での句会とのことで、叔母さまを医師会病院までお送りしました。
ぽつり、の雨で夕立の気配ではありました。
途中、お集まりのみなさんへの差し入れに、シャトレーゼに寄ったときのことです。
まず、おかあさんから、次に叔母さまが降車すると、施錠する前に車が滑り出しました!!
サイドブレーキがゆるかったため、わずかな傾斜を車は下ったのであります。
おかあさんがあわててサイドを引いたので事なきをえましたが(冷汗)
事故にならなくてよかったです。電車でも似た事故のあったことです。
叔母さまを送り届けると、俄に雨は活気づきました。
雨脚はいよいよ強まり、フォグランプを要するほどになり、やっと帰館しました。
おりしも、閉院時間のこととて、わたしを濡らさないよう、車寄せに駐車すれば、スタッフ一同が迎えてくれました (^^ゞ
わたしはなんとか無事でしたが、荷物を運び込んでいたおかあさんはびしょびしょ (^_^;)
傷が癒えれば、別の事件が持ち上がるものですにゃ〜 f(^ー^;
8月22日(火曜日)
蝉のシャワーがたけなわです。越生でき聞こえた♪おーしんつく は、わたしのところでは未だです。
火曜日といへば、おかあさんはキッチンごもりであります(嘆)
ひとしきりついたところで、わたしがおさんぽに連れ出してあげました =^_^=
元町Cityの\100 shopへはきのうと連続で行ってしまいました。
叔母さまへの輸送のタッパーを調達であります。カリフラワーのカレーピクルスみたいな小物を容れるために、小さなタッパーが不足しておりました(汗)
エレベーターには、地下にできたカラオケのお店の広告が貼ってありました。
カラオケのみならず、ビリヤードから卓球もできる、子供連れOK!の『竜宮城』なのだそーです .。ooO(゚ペ/)/ひゃ
叔母さまのお宅の前の『天女』と関連づけてよいのでせうか f(^ー^;
アオキ花屋さんでトルコキキョウを求め、イハラ屋さんでは、またおまけしてもらって m(__)m
洋々堂に行けば、カヨコさんがハンカチを小さく折りたたんで、両手で額を拭いませました。
おかあさんも、同じしぐさで応えておりました。
青春の残滓の風よ、その場に吹けよかし!!
でも、サイトウ投手には似ていませんでした =^_^=
わたしたちが、絶対に買わない(失笑)塗り絵のコーナーを、それでも現況検分していると、折り紙の本を探すお客さんがありました。
となりの書棚であります。
案内するカヨコさんといっしょに、お客さんの本を選びました。
折り紙といえば、わたしたちの天敵のイチカワ氏の得意技でありますが、幸いにして目前にはありませんでしたから(失笑)、よけーなお世話をしました f(^ー^;
聞けばカナダにあるベトナム人の少女に送るのだそうでした。
折り紙、あやとりは、ガイジンの好むものです (#^.^#)
『いただきます』と手を合わせると、ベトナム少女も同級生にも進言するのだそうです。
当たり前のことが、わが國では忘れられていすぎます!! (--#)
洋々堂には、『しばわんこ』が置いてないので、MOE掲載のものをご紹介しました。
“あんら、きれいな猫ちゃんね〜”
と、マッチしないお応えが帰って来ましたけれど =^_^=
でも、時は移ろうものです。おかあさんは、トマト入りの肉じゃがなんぞをこしらえていましたもの (^^ゞ
熱射のキッチンからは、かようにいろいろなものが拵えられ、叔母さま宅に搬送用にタッパーに詰められていたのです。
鶏むね肉の蒸し鶏は、大葉にんにく醤油に味付けされていましたし、豚三枚のブロックには、ネギ塩、というように、“今の味”がわが社の食卓には並びます (^・^)
おかあさんの味付けは、ママさんの実家、叔母さま宅の、明治の医家の味も不覚にも伝承してしまっているし、馬車屋の人足の馬喰飯もあり (^+^)
そして、わたしは素材選びのバロメーターの任を負っています。
“るうちゃんがおいしいって云ったわ”
は、わが社の葵の御紋ですもの =^_^=
今宵のわたしのお膳のぶりのお刺身は、合格点に達しませんでした (--#)
・・というお店は撤退することが経験上多い、でしたにゃ (^^ゞ
8月21日(月曜日)
残暑のきびしいことであります (~Q~;)
朝のご用を済ますと、おかあさんは嬉々として外科のお医者さんに行っておりました。
夏休み明けの初の診療日です。
復帰した指を、80才の先生に見せ、ひたすら感謝した、ようです (^^ゞ
まだ痛む足のねんざに、
“電気かけていきなさい”
と、勧められて、ご老人たちの列に並び治療を受けたそうです。
“効いた、みたい (^^ゞ”
ですって (^+^)
おかあさんは、自分の持てる体にも感謝し、外科のサトウ先生にも感謝してやまないのです。
“患者さんって、こんなふうに感謝してくれるんだな〜”
というように、当院についても思い至るところがあるようです (^+^)
おかあさんはとても元気で、外科医院から戻れば、牛すじを煮始めていました。
お昼休みに上がって来たおにーさんもにんまり (^・^)
くす、おかあさんのごきげんのよい証拠なのですから (^+^)
おにーさんを往診に送り出し、キッチンからの熱気を避けるよう、わたしはおさんぽに出ました =^_^=
まずは、元町Cityの\100shopなぞ、のぞいていれば、若い店員さんの接遇の中、5個6個のものはカートに入りまして f(^ー^;
さくら屋さんに歩を急いだのは、甲子園が気になったからでした。
案の定、ビデオ再生画面では熱血甲子園の中継中でありました。
4:1で早実優位。
洋々堂では、低く音するラヂオで、カヨコさんは聞き流していましたけど、
“え゛っ!”
と、いう場面となりました!
本屋さんには、大音響で中継を流すのは似合わず(失笑)
わたしたちはおたおたと、中継に耳を傾けるうちに早実が勝ちました。
同時期、叔母さまたちも耶蘇ともだちと実況を見ていたようなのです。
“早実ピッチャーはハンサム (^・^)”
が話題 f(^ー^;
夕方、ヤリちゃんのママさんのご訪問もありました。
おかあさんはフライパンを使う手を休めて(汗)
“昨日のイカそうめん、おいしかったわ (^・^)”
に、歓談していました。
ヤリちゃんのママさんは、元気な、やはり80才です。
って、わたしの周囲には80才以上現役が多いにゃ f(^ー^;
一方、ゆうごはんのあと、おかあさん主導で、航空自衛官ま訓練場面の番組をおにーさんと観ました。
おかあさんは、
“かっちょいいねー”
と、訓練場面に同調していました。わたしも大いに頷いたものであります。
おにーさんは、
“オレ、年だしー、目、悪いし〜 f(^ー^;”
おかあさんは、
“おんなだしー、わたし、文官タイプだしー”
むーー!
腰抜けどもが!!!
・・わたしは、ゴムまりで遊びながらだったんだけど、仮想敵と戦う姿勢はいつもあり (ロ_ロ)ゞ
びゅいびゅいびゅーん!!
洋々堂で、“鉛筆でなぞる”という、ニホンブンガクものを見たのです。
“ゆあーんゆよーん ややゆよん”
たれがなぞるのでしょう??
詩を愛した人なら諳んじる。
てへ、わたしも暗唱の句はいっぱいあるもん =^_^=
8月20日(日曜日)
すヰーとな朝でありました (^・^)
外気は暑く、お外のおそうじなどをすれば、おかあさんは汗だくでありました。
ヤリちゃんとおそろいの手拭いで汗を拭っておりました (^+^)
午後になって、ファームランドみぬまに向かう車中では、甲子園での投手戦が始まっていました。
市営球場でも野球の試合、駒場運動場ではサッカーの試合が興じられておりました。
・・わたしたちは、運動と疎遠 f(^ー^;
ファームランドみぬまでは主は不在にして、那須におられるそうです。うらやましい (^^ゞ
まだ残っていた野菜を検分しつつ、おかあさんは夫人とおはなしをしていました。
“冬瓜? あった、けど (^^ゞ
トマト? あったけど (^^ゞ
そうそう! マクワウリってのも、ここに山に積んであったけど、『なつかしい!』っていうお客さんが大勢で (^^ゞ”
と、わたしたちはいつもハイエナの去ったあとに登場するようです f(^ー^;
おかあさんは、マクワウリというものは禁じられた食物だったそうですけれど (^^ゞ
穂紫蘇なぞという粋なものもありました。
夫人のお薦めレシピは、いつも“天ぷら (^・^)”。
暑い時期には天ぷらです! おかあさんはニガテ種目ですけど f(^ー^;
駐車場待ちの要らないほどだった角上魚類で、わたしはしばしの車内待機 (~Q~;)
次に行ったshimachuでは、いっしょに店内を巡りました =^_^=
わたしの缶詰の他にも、ホームセンターというところは、買い物の増えるところです。
ペット可のお店では、ワンコにゃんこの連れあらずとも、“きゃっ! カワイイ!”コールに出会い、テキトーに応えつつ(失笑)、お値引き品などに出会ってしまうのです (^・^)
大型室内もの干しが\1980だったのでお持ち帰り (~~)
屋外の売り場にては、脚立を検分しました。
電球の取り替え、エアコンのフィルターおそうじと、高所にての作業に現行脚立で限界を感じているおかあさんに付き合いました f(^ー^;
近い将来に、このお買い物がある予感 (^+^)
同じく屋外の園芸売り場では、園芸用の土を求めました。
よっこちゃんがほしがっていたので、そのままお宅に届けました (^・^)
(お盆に寄った親戚の一軒、であります (^+^))
最後のお店は、お酒屋さんのTOPでも、窓を半開にしてわたしは車内待機でありました (~Q~;)
高校野球は、まだまだ1:1のまま、延長戦に入っていました。
わが社では好評の『しろくまアイス』が品切れだったことが悲しみです (・_・、)
帰宅してからは、まずTVをONして、甲子園の報を見つつ、おかあさんは荷物を搬入し(汗)
TV前のリビングにて、物干しの組み立て始めました(汗)
完成前に、15回同点のまま、甲子園は再試合となりました。
振り向けば、おかあさんも冷房のなか、汗をかきつつ工作をしておりました (^^ゞ
終わればキッチンに向かいて、角上魚類で調達した1杯\200のスルメイカをイカそうめんに加工し始めました。
そこで、“はいほー♪ (^・^)”なヤリちゃん登場 (--#)
わたしを含まないわが社と、ヤリちゃんとママさん、マチコさんの分まで、イカのお刺身はできておりました。
穂紫蘇は、ここで使われていましたにゃ (~~)
ヤリちゃんは、“わたしも4巻買ったよ、『しばわんこ』”だそーです。
わたし的には、みけにゃんこと比されるのでオモシロクないことなのですけれど (--#)
“ぢゃ、ゆきちゃんと双子のパパが結婚する場面も見た、よね?”
くす、わたしたちの発見があったのですが、後記 (^+^)
もうひとつのわたしたちのマイブームをヤリちゃんにご披露しました。
『大葉にんにく醤油』って、ネットだけの流行なのかしらん f(^ー^;
おかあさんは五体は不満足なるも(汗)、手作業できることがうれしくて仕方がないのです。
指の皮膚は生え替わり、体にある生きる意志を目の当たりにすれば、
“わたしだって、生きていていいのよね〜”
というように表現するのだけれど =^_^=
“残暑お見舞い申し上げます”というはがきをおかあさんは書いていました。
手書きはニガテのようですが(失笑)、文字通りの残暑 (~Q~;)
おかあさんの指の病名は、『化膿性爪囲炎』、昔でいう“ひょうそ”。おどろおどろしい響きのあるものであります (^^ゞ
トカゲのように復活し、うれしそうに働いています。
身体髪膚は、親からの預かりもの。大切にしよーね (^・^)
わたしの命は、“天からの預かりもの”と、常からおかあさんは云っています =^_^=
治癒の喜び、平和のありがたみを感じる8月 合掌 <-ヘ->
医療について、感じるところのあるおかあさんであります (^+^)
ソフトクリームのような入道雲がもくもくと生えるなか、わたしは外出しました。
\100shopにて、ヤボ用なる洗濯機のゴミ取りネットなど買った後、プリクラに挑戦してみました。
(昨日の小学生の影響かも f(^ー^; )
わたしの見知る写真機と違うので、カメラ目線できず、やむなくおかあさんがわたしのあごを指で支え、数々のコマンドに応対し(汗)
やっと完成しました。
あ゛ーんなにムズカシイことを小学生は易々とこなすのですにゃ〜 f(^ー^;
公開はできませんが、“ふーむ、かわゆい (^・^)”と、おかあさんは自己満足しています。・・そも、満足とは、自己の範疇のことですけど (^^ゞ
見せる相手といへば、カメラのさくら屋、洋々堂のカヨコさんくらいしかないのですけれど(失笑)
たまたま、ハヤシ床屋さんのみっちゃんも洋々堂にいたので見てくれました。
ピンクだらけの写真でありますから、心理学ではモンダイの多いものかもしれません(失笑)
“よい母子像ぢゃない (^・^)”
は、リップサービスだったろーにゃ =^_^=
洋々堂では、流行の塗り絵に、国宝の仏像ものを発見しました。
・・誰が何時・・色鉛筆か絵の具かクレヨンかパステルを走らせるのでせう (¨;)
“鉛筆でなぞる”系は、おかあさんには必要かもしれません。字が書けなくなっているのですから(嘆)
そこにずるずるズボンの少年が通過しました。
“え゛?
今のもしかしてマーくん? (@_@;)”
わたしたちの前で会釈のようなことをした少年は、ずんずんと車道を闊歩して行きました。
カヨコさん説。
“こどもはかわいいけど、生まれてからずーーーーっと、心配以外にはしたことはないわ(嘆)”
親の心ですかね〜 (^^ゞ
おかあさんも同じよーなことを云ってるけど、わたしは楽しませてあげてると思うぞ =^_^=
帰宅してからは、焼け石に水が打たれていました。
虹を描いた後、“じゅっ!”と音を立てて、アスファルトから水はたちまち消え果てていましたけど (^^ゞ
土曜日の診療終了はいつもより1時間早いのであります。
“日暮れが早くなったね〜”
と、おにーさんが上がって来、濃い緑茶が淹れられました。彼は冷房で冷え切っているから、温かいものを好むのです。
わたしはお茶というものがキライであります (・。-;
と、ここで、おかあさんは席を立ち、ご町内の盆踊り大会に顔出しに行きました。例年のこととて、集金が待っているのでありまして (^^ゞ
・・以前は、院長、スタッフも遊びに出向いたものでありましたけど (-.-)y-~~
行けば、お祭りには、子供の遊びに参加するがおかあさんの倣い(失笑)
輪投げ、くじと、戦利品を持ち帰りました。
いちばんの収穫は、“欲しがっていた子がいたんですよ〜 (^・^)”なる、仮面ライダーの音の出るバックルでありました。
スイッチを押せば、“きゅいーーーん”と音が出るのですが、持っていてどうするのでせう (@_@;)
“ウチの猫が来たら (^・^)”
“甥が来たら (^・^)”
というようなものなのかしらん、わが社って (^^ゞ
8月18日(金曜日)
平常診療の初日は、台風が逸れて暑いものでありました (~Q~;)
それぞれがたのしい夏休みを終えたなか、おかあさんの怪我はちょっとした話題でしたし(汗)
お玄関に貼られた、水色のゼリーシールもナースさまたちの目に止まっていました。
“ぷるぷるして涼しそう (^・^)”
と (^^ゞ
クリスマスのお飾りに風除室に貼られていたものと同じ材質なのですが、前者が\2000ほどしたものなのに対し、後者は\100 shopものであります (^+^)
通りかかるたびに貼り替える人がいるらしいです (^^ゞ
欠かせないわたしのおさんぽは最も気温の高い時間 (^_^;
洋々堂に行くと、小学生とおぼしいふたりの少女から、“かわいい”コールを受けました =^_^=
\100shopの\200商品プリクラをしてから、本屋さんへと回る楽しい夏休みの真っ最中のようです。
プリクラには、ハワイ、高原をバックに仮想の旅のふたりの記念写真が写っていました。
姉妹なのかと思っていたら、背の順に整列すると、先頭と殿(しんがり)だそうえでした。
宿題はまだずいぶん残っているのだそうです。それくらいで丁度よい丁度よい (^+^)
積んであった『国産名車』は今や欠かせないものであります。今号のミニカーはカローラでありました。
“初めてカッコイイと思った・・ニホンのDCVだったんだな・・(--#)”と、おかあさんは感想していました f(^ー^;
帰宅すれば、午後の診療開始の間際、おかあさんは“焼け石に水”を打っておりました。
夏休みが終われば患者さんは多く、おにーさんには休みボケは許されないし、おかあさんも、であります (^^ゞ
指の回復は順調なるも、足首は腫れたままでありましたので、さらなる患者さんとして、メバロチンの注射を受けていました (^_^;)
左足ばかりではありません。そちらを庇ったせいか、右足でおにーさんのベッドを蹴り上げて(失笑)、両足が不良 σ(^◇^;)
慈しみ深きわたしは、おかあさんを慰めて、そこかしこと舐めてあげました。汗はおいちいものにゃ =^_^=
ゆうごはんにいただいた、今年初の鮎は養殖物でありましたが結構なものでした。季節のものをいただくしあわせ (#^.^#)
人間の食卓には、きゅうりをスライスした冷や汁におそうめんが載っていました。つまらないものを食っているものでありますが(失笑)
包帯が取れると、おかあさんの指は働きたがるのです。
体というものは、いつも“生きたい”と望んでいることを間近に見ました。
“治る”って、生きる価値を見いだせることなのですにゃ =^_^=
8月17日(木曜日・夏休み最終日)
朝は晴れていましたので、シャンプータイム決行!! でありました。
おかあさんの指の治ることのなんとすばらしいこと )^o^(
まっしろねこさんになれたところで、2日続けての叔母さま宅にまいりました。
“はい、いらっしゃい (^・^)”
わたしはおかあさんからおばさまに手渡されました (@_@;)
昨日の帰りがけに、叔母さまから、
“おかあさんが待ってるからいらっしゃい (^・^)”
と、同じようではありますが、叔母さまからおかあさんに逆にお手渡されたのでありました。
おかあさんから叔母さまへならなんとなくガマンができますが、習慣化されたくないものであります (--#)
わたしもですが、おかあさんもナットクのいかない所作なのです。
誘拐犯の手口にそっくりではありますまいか f(^ー^;
わたしとしては、叔母さま宅に行くのに、おかあさんがいつもの特効服ではなくワンピを佩用していたことで懸念はしていたのでありますが、ふたりはわたしを残して、高島屋へと向かいました (`_´)
【待つこと2時間】
ふたりは、与勇輝という人の人形展に行っていたのでありました。
絵はがきのおみやげでわたしはそれと知りました (--#)
“ついでに”のお茶の時間、たまたまのように叔母さまの耶蘇ともだちと遭遇したから、長くかかったのでしょうけれど・・
お人形さんは、着物を着たものであったりガイジンであったり、また、フェアリーのものも見たそうです。
“昔の男の子って、イ・ビョンボンに似てる”
って、おかあさんは云ってたけど、叔母さまには通じませんでした(失笑)
小津安二郎の映画のお人形も展示されていたようです。
おかあさんは、そちらの絵はがきも買っておりました。
わたしも好きな監督です。『晩春』は、おかあさんといっしょに何度も観ました。
“おっとぉさまー”と、おかあさんが真似ると、骨格に違いはあるのの、なかなか似た音の出るものなのです (^^ゞ
ヤリちゃんとか、身内ウケだけですけど。
原節子のもの、笠智衆・東山千栄子の並んだ『東京物語』のものもありましたし、木暮三千代のものも絵はがきにありました。
同じ絵はがきの中、叔母さまがお気に召したのは、『おはよう』のストライキをする男の子ふたり。
“ヒロシくんみたい (^・^)”
“くす、似てる (^^ゞ”
ふーん、わたしの知っているヒロシくんは、ムズカシイ顔をしたお医者さんだけど (^+^)
作者の視線に、昔の子供への愛惜を感じました。
夕刻、叔母さま宅を後にすれば、夏季休暇の最終日のこととて、おにーさんも早く戻って来ました。
夏休み最終日は、さびしく、また、いつもの日々がたのしみです (^・^)
梅酒の試飲に参加すれば、越生のものより浦和の方が早く熟しているようです。
(6月の日記参照)
楽しい夏休みでありました。
・・台風の風で室内が閉ざされて、なんだか悲しい最終日 (・_・、)
8月16日(水曜日・夏休み5日目)
晴れ間を含む雨は鬱陶しいものであります。
甲子園の中継が聞こえれば、逆転、延長とワカモノの興奮は疲れる〜 f(^ー^;
しかし、おかあさんはたいへんにごきげんがよいのです。
“しあわせとは、指を使えること。缶詰だって開けられる”
と、チャーリー・ブラウンのようでありますし(失笑)
“指も使える、夕焼けも自分の目で見える。体が利いてこころがうごく。それ以上何が要る?”
あいだみつをのように聞こえなくもない(失笑)
傷口は新しい皮膚で盛り上がり、水仕事もよろこんでできるようになっています。
ただし、ケロイド状なので、人前では指サックをしています。
叔母さま宅でも、水仕事も素手でしていました。
先週は腫れたままの指で、おかあさんは辛そうでした。翌週にはちゃーんと治ってる (~~)
(11日の日記参照)
居室の蛍光灯の交換もしました。
切れてはいなかったのですが、先週も替え頃ではあったものが延期されました。指の怪我が治ればオプションもあり、です (^・^)
交換の仕方をおかあさんは指導していましたが、いくつになっても覚えるというのはよいことです (;^_^;)
だいたいの整理のついたところで、おかあさんはわたしのお肉を調達に上総屋さんに行きましたが、まだお隣の増田屋さんもお盆休み中で、高島屋で買ってきました。ま、ガマンしました (--#) (←おいしそうでしたぜ、鹿児島地鶏 (^+^) ・・自動書記加筆)
お茶の時間となり、ずーーーっとお縁で待機していた甲斐がありました。ものすごーくおいちい桃のゼリーをいただきました )^o^(
桃そっくりで、もっと桃らしいとてもおいちいものでした。
・・ただし、贈り主を聞いて、おかあさんだけが震撼しました、句会の方、だったから (^_^;)
今日の話題は豊富だったのです。叔母さまは、
“靖國モンダイから教育モンダイ、皇室のことまで、いっしょに話すとたのしいわー)^o^(”
なのだそーです。
話の発端。
叔母さま宅に持ち込んだ食料のタラモサラダがありました。
ふかしたおじゃがに加島屋の明太子とマヨネーズをまぶしたものでしたが、おかあさんが小学校に上がった最初の給食のメニューに、“粉ふきいもたらこがけ”があったそうです。他には揚げパンと、鯨の大和煮、脱脂粉乳の小倉ミルク。
“学校って、なーーーーんておいちいものを食べさせてくれるのかと、学校に行くのが楽しくてしかたなかった”
のだそーです。
“給食のさんまの蒲焼がものすごーくおいしかったです”
とパパさんに報告すると、
“ンなものをウマイと云うな!!!”
と叱られたそうですけれど (~_~;
叔母さまの時代には、お弁当を持って行ったそうです。
パパさんの時代は、塩鮭のおかずはともだちに分けていたとは、おかあさんからの又聞きです。
ママさんはお弁当に何を持って行ったのでしょう?
おかずは“卵焼きばかり”で、たまにサンドウィッチを持たされると、余ったものをおともだちが欲しがり、“食べ残しなんて上げたくなくて”困ったんだそーです。
“食が細いから”と、午後の授業の合間にお砂糖入りの温かい牛乳が届けられるものも“困った”んだそーです(失笑)
当時の校医さんのおじょーさまはワガママ (^+^)
時代はやがて黒雲がたちこめ、叔母さまは女子医専で終戦を迎えたのです。
軍国少年と同世代。
“今語り残したい”というように、投書欄の記事は興味深いものがあります。
通信兵が、“爆撃予測できたが避難命令は出なかった”というような告が、やっと今、口から出せるようになったのでしょう。
“靖国神社に入ると、まず大村益次郎の銅像があるでしょ?”
叔母さまは飯田橋の病院勤務が長かったので頷く。
“官軍、つまり、天皇軍の兵を鎮魂しているのよ。
一方、上野公園には、西郷さんの銅像の先に、彰義隊のお墓がありましょう?”
やはり叔母さまは頷く。
そこでわたしは心するのです。
靖國神社は天皇に殉じた軍神をまつるのだ、と。
わたし的には、やっぱ! 英霊を祀る靖國に参拝したいです =^_^=
8月15日(火曜日・夏休み4日目・終戦記念日)
あの日のように炎天ではありませんが、蝉の鳴く蒸し暑い日でありました (ロ_ロ)ゞ
午前10時。
おかあさんが、夏季休診というのに、“気になる患者さんを診る”と、お呼びのかかった外科医院に向かおうとしていた矢先、ケータイが入りました。マチコさんからでありました。
“サトウ先生が外に出て、待ってるよー!
まさか、寝てないよねっ?”
って、わたしたちは首相の靖國参拝を実況で見ていましたし、昨夜切れかけていたリビングの電球の取り替えもしていました。
てへ、おかあさんはテーブルに乗って、電灯のカバーと阿波踊りをしているみたいでしたけど (・-・)
マチコさんのお店とサトウ先生の医院ははす向かいなので、おせっかいが入るのです f(^ー^;
おかあさんの傷の治りは良好で、包帯も取れ、保護の綿サックだけが装着されていました。
休日診療というのに、無報酬診療でありました。
“あはは、北浦和の赤ヒゲさ (^_^)v”
外科は男らしい!
“これなら何でもできるわ (^。^)”
と、火曜日のお仕事のキッチンも復帰できたようです (^。^)
わたしも定常のおさんぽ、ただし、ショートカットコースに出られました =^_^=
出たところで、運動着姿の女学生たちが、
“ここも休みなんだよなー”
“でも内科だよ”
“どこだって休みだよ”
“時期をズラして休んでくれないと困るよなー”
と、女の子の声で語り合っていました。
・・よほど声をかけようかと思いましたがやめた (^^ゞ
カメラのさくら屋にて、おかあさんが傷の治りを披露しようとしていましたが、
“よせやい!”
と、社長はじめ、血を嫌う面々でありました (^_^;
ふと見れば、イガラシさんの接客の相手は、何やら、エンターティナーとのふたりだけの記念写真をコピーしているようでした。
“ロット・スチュアート?”
おかあさんのおせっかい (--#)
“いーえ゛ー、バリー・マニロー (^・^)”
“あ゛、ホントだ!!
で、どーして?”
ラスベガスのヒルトンホテルでのコンサートに行ったのだそうです。楽屋入りのチケットを得て f(^ー^;
“西城秀樹とのデュエットから日本のファンはふくれたのでは?”
わたしの生まれる前のことらしいです (・_・、)
お盆休みとはいえ、イハラ屋さんも洋々堂も平常営業していました。
ケイコさんのcaféだけは、夏休みでした。
帰ってから、イハラ屋さん調達のお豆腐類が冷蔵庫に収納さていると、突如!
マチコさんが乱入して来ました。
ご来院意図不明なるも、わたしたちが夏休みだったので、パートさんの帰る時間前、“ちょっとのぞいてみた”というところでしょうか?
わたしは避難しましたが、彼女たちはダイニングでお茶をしていました。
『しばわんこ』を初めて見たマチコさんは、
“あ゛、これ、昔のだいどこだ!”
しばわんこは、コンクリートにタイルを貼った流しで食器を洗っていました。
くす、マチコさんもドツボにはまったかも (^+^)
“あとで、とんもろこしのお醤油味にしたものを持っていくからね〜 (^・^)”
マチコさんが去ったあとは、そんなものをキッチンでおかあさんはこしらえ続けていました(嘆)
ゆうごはんの前、送り火の用意がされました。
わたしも、毎年出陣の準備するも、てへ、立て替える前も今のおうちになってからも、おがらの炎(ほむら)が立てばわたしは退散 (¨;)
今宵は、おかあさんだけのこととて、わたしには待機命令が下りました (--#)
雨上がりの自転車置き場で、ほうろくの上のおがらはなかなか発火しませんでした。
そこに、お隣の駐車場にいたさくら屋のシゲさんがお手伝い下さいました。
炎はめらめらと上がり、やがて灰となり、
“パパもママも帰ったのかな・・”
と、おかあさんは、きゅうりの馬と茄子の牛をとりあえずは天に近そうな屋上に置いていました。
水仕事のあいだには、何度かサックの交歓はしていましたが、お風呂に入るときには外されていました。
おかあさんの左手には、人差し指が戻りました。
“パーツが使えることのなんとしあわせであることか“
あ゛、わたしの指を点検してお爪を切ろうとしているのです。わたしは爪切りだけがキライというのに(嘆)
おかあさんの手の復帰はうれしいことでした =^_^=
8月14日(月曜日・夏休み3日目)
都内は停電で電車も止まっていたそうです。
わたしは静養日 =^_^=
お窓の風を心地よく受けていると、急な雨!
すると、庇のないわが社の窓は全方向が閉じられ、エアコンのスイッチがONされます。
午後になると、おかあさんは黒いワンピに着替えてお盆の訪問に出向いておりました。
手みやげに、昨日調達した越生の梅の酢漬けを携えて、近くにある親戚3軒を車で回る (^_^;
2時間ばかり後の帰宅には、敷居が高そうでありました。
わたしはおにーさんの寝室におりました。彼の不在が気になって気になって =^_^=
その部屋にはエアコンがONされていなかったのでありました (・-・)
おかあさんは、従姉を伴っておりました。
多忙につき、お線香を上げ、冷たいお茶と少しのおしゃべりで、すぐに帰りました。
数年前までは、お盆、お正月といへばにぎやかなものでした。
ビールとお酒、つまみもささやかながら用意されていたものです。
夏でも冬でも、
“南京豆はあるか?”
と、所望なさったホシセンセイがなつかしいです (・_・、)
昨日は叔母さまに定時の連絡ができなかった代わり、今日はたんまりとおかあさんとの話を聞きました。
“昨日はとっても楽しかったのよ〜 (*^_^*) るうちゃんたらね〜”
と、わたしがお店の見学に向かおうとしたことも、笑いながら話すのであります。
自分たちだって、2階までの急な階段、さらには3階までのはしごの階段を手探りで昇降していたくせに (^^ゞ
親戚の関連図についても報告されていました (^+^)
叔母さまは耶蘇のおミサを終えた後、わたしたちが炭火の前にいた頃、木曽路で、やはり耶蘇のおともだちのお誕生会をしていたそうです。
93回目と94回目のしゃぶしゃぶ懐石! .。ooO(゚ペ/)/ひゃ
どちらもひとり暮らしです。
“ふみおばさんは、この9月に100才になるので、知事さんと町長さんがご訪問にいらっしゃるそーよ (○_○)”
とい話も耳にしました。
健啖は長生きの秘訣、または、必要条件かもかも f(^ー^;
8月13日(日曜日・入盆・夏休み2日目)
お盆のお迎えに越生に行きました。
わたしたちに恒例の行事でるが如く、世の中も同様であります。
渋滞の中、甲子園の中継が楽しかったもです。得点差を9回裏に1点まで縮めて敗退するのですから f(^ー^;
ヤリちゃんとは、何度かケータイにての連絡にて、法恩寺さんで落ち合うことができました (^・^)
わたしは本堂にて、♪みーんみーん、♪おーしんつくつくの蝉の声を竹のそよぎの間から聞いていると、ヤリちゃんが現れ、墓地の階段を上って行きました。
おかあさんの足は、かほどさように回復していたのでした (^_^)v
また、ヤリちゃんの行程も、わたしにはナットクのできないものでありました。
東秩父村から小川町に出、八高線にて越生着の予定が、JRでは電車がなく、東武線で坂戸経由で越生に着いたそうです (?_?)
さて、墓参も終われば、夏のこととて、黒山三滝方面に遠足を計画しておりました (^+^)
(去年の8月13日の日記参照)
お昼ごはんを摂りたいお店について、法恩寺さんの大黒さま・ユウコさんに伺うと、わたしが入れるかどうかをTelして確認してくれました。
“OK”のもようでありました (^^ゞ
・・法恩寺さんの名のってくれたせいかもしれないけど (^+^)
彼女も知らないお店だったけど、行くことにしました =^_^=
『あじさい街道』に行ったこともお話しました。
(6月8日の日記参照)
毎年“うまいぐあいに咲く“ものではないようです (^+^)
黒山三滝には、去年とちがって、人がおりました。
涼やかな景色をヤリちゃんと分かち合いつつ、目的のお店に行きました。
お゛ーーっと!突如!! 合掌造りの民家が現れました!!
しかし、わたしたち以外にはお客さんはいませんでした。
ここで、まず写真撮影 (^・^)
わたしもバスケットに入ったまま、席に案内されました。
“バスケットはこちらで預かります”なーんて言われたら、おかあさんは、
“また、別の機会に伺います”
って、云ったと思います =^_^=
飛騨高山の檜造りの民家に入るのは、わたしは初めてでありました。
おかあさん、ヤリちゃんとて、機会に恵まれていたものでもありません。
料理の注文をすると、他にお客さんのなかったのをよいことに、まずは、彼女たちの店内の探索をお店の方に許可を受けて、二階三階と、険しい階段を上っては、
“すごいね! スゴイね!”
“写真、取っていいですかー?”
と、見物しておりました。
長押には、頼山陽自らなるといふ墨跡が張りめぐらしてありましたが、おかあさんに解読できない(失笑)
わたしはお席におりました。
長火鉢に沿って並んだお座布団がお席です。
やがて、火鉢には焼いた炭とともに、串刺しの鶏もも肉と、麦入り丸おむすびが設えられていたコンロに置かれました。
開け放たれたガラス戸、障子戸からは、涼風とともに、蝉の声のシャワー!
“岩にしみいる”ようでより、あふれそうでしたけど (^^ゞ
“おすすめメニュー“には、『山歩(さんぽ)膳』という、鱒の塩焼きをメインとしたものと、『杣人(そまびと=きこり)膳』というものがあったのですが、ふたりともわたしのための肉食を選んでくれたようです =^_^=
ただし、待つこと30分。
おかあさんとヤリちゃんは、肉を返してはたれをつけ、同じようにおむすびも返し返ししておりました。
“スローフードだね〜”
“くす、チャングムみたい”
なぞ云いつつ(失笑)
やがて、お膳が運ばれて来ました。
足つきのひとりお膳に、向き合ってのお食事が始まったのは、お店に入ってから30分を経過したころだったでしょうか?
そのあいだ、何度か様子見にきたお店の方は、バスケットのわたしを見ては、“よい猫”と、ゴーヂャス系とよくある誤解をしてくれたようです。
お肉が焼ければ、おかあさんはわたしにたれのついていない部分を取り分けて、一口ずつ“ふーふー”してくれました。
全くもって! 美味な炭焼きチキンでありました! (*^_^*)
お椀は、いのしし汁。
お汁からも分けられれば、いのししって、おいちい!! (*^_^*)
“お願いですからリクエストはしないで!”
って、おかあさんからリクエストされたけど =^_^=
堪能したところで、バスケットから出、店内を探索しようとしたところで、おかあさんのシャットアウトに遇いました(嘆)
猫というだけで差別を受けるものです (・_・、)
やがて、わたしたち以外のお客さんも二件入って来ました。ふーん (・-・)
『陽山亭』というお店でした。
お食事を終え、黒山三滝から、『関八州見晴台』に行く予定でした。
くす、山道は堪能しましたが、例によってのおかあさんの迷走に付き合ってしまったようです(失笑)
ケータイは圏外、ラヂオは入らないところを走るにはやはり軍歌であります (*^_^*)
ヤリちゃんはようやく歌詞をを覚えられたようです =^_^=
長いドライブのこととて、甲子園実況もはさみ、NHKの教育放送にもチャンネルは回されました。
『往生要集』の講義がラヂオから流れました。
その直前、ヤリちゃんは軍歌高鳴るなか、睡魔の虜になったので、切り替えたのですが、今度はおかあさんが捕らわれてしまいました(失笑)
“地獄に墜ちることへの感性の欠乏・・ふぁぁん”(失笑)
たのしいドライブを終え、帰宅してからは、迎え火のおがらを焚くのです。
わたしも参加しようとすると、いつも禁止! (嘆)
階下、院の自転車置き場から、もうもうと煙があがりました。
パパさんママさんも帰ってきたのでしょうか?
わたしのたのしい一日は、“ちかこのねこ”として、かわいがってくれるのかしらん?
・・早朝からさわいでいたのでねむい (~0~)ネムイ
8月12日(土曜日・夏季休暇1日目)
帰省ラッシュのようです。当院も夏季休診に入りました (^・^)
土曜日のこととて、大洗濯を屋上に干したあとは、おかあさんは、やはり明日からお盆の休みに入る外科医院に赴いておりました。
この怪我がなかったら、今日、お墓参りに行く予定でありました (^^ゞ
とーぜんにして、まだ無罪放免とはならず、“15日にいらっしゃい”というメモを渡されておりました。必要な患者さんのためにお休み中というのに、必要な患者さんのために診察日を設けてくださっているのでありました m(__)m
土曜日は、ファームランドみぬまは営業日であります。
出向いてみれば、お盆休みで休業でありました (・_・、)
ドライブは続行されると思っていたら、予報どおりの雨粒が落ちてきました。
“お洗濯物が!! (¨;) “というだけで、帰宅し、わたしのおさんぽもそれまででありました (`_´)
雷雨予報は当たり、雷鳴のとどろくなか、おかあさんは明日のお墓参りの用意に、オカノ鉱油に給油を兼ねて車を任せつつ、アオキ花屋さんにお盆のお支度と、墓参のお花を調達に行きました。PCの電源はコンセントも抜いていました (^_^;
さほどに濡れず(期待していたワケではない(失笑))戻れば、お仏壇のお飾りを始めました。
これは、わたしの毎年の楽しみです =^_^=
鬼灯を縄に巻き付けることがキライな猫がおりましょうか? =^_^=
笹のキライな猫がおりましょうか? =^_^=
盆提灯の房のこころそそること )^o^(
ひととおりの用意の済んだところで、
“はいほー♪”
ヤリちゃんが乱入して来ることは、わたしの予測に難くないことでありました。昨夜、そんなTelをしていたからにゃ (^+^)
ヤリちゃんは、ベルギー製チョコレートワッフルを下さり、おかあさんが瞬時! お仏壇に供え、間もなく下賜されました f(^ー^;
いっしょにお茶をしつつ、明日の予定をば立てました。
ヤリちゃんは、ご本家の東秩父村に赴く予定でありました。
わたしたちとは、越生町で合流するべく計画されていましたが、さーて、どーなることやら (^_^;
ヤリちゃんには、夏季休暇というものがないそーです。忙しいのね (^+^)
越生の町役場や商工会から発行された地図やら観光案内を数年来集めていました。
見返しても、わたしたちは、ふたりでずいぶんと巡ったものであります。
明日もたのしみです (^・^)
叔母さまもお誘いしたかったのですが、日曜日のこととて、耶蘇なのでパス (^_^;
叔母さまとは、昔の花火のことをTelでお話をしました。
“縁台を出して”というような (^・^)
お盆休みのこととて、おかあさんはTelを連続しておりました(嘆)
雨は予想外に小降りで、上がったあとは夕焼けもありましたし、蝉のシャワーと気の早い虫の声が混じって聞こえて来ました。
8月11日(金曜日)
とてもとても暑い日でしたが、わたしは外出も叶わずずーーーっと室内におりました。
ところが、おかあさんときたひには、出てばかり (・_・、)
まずの第一件目は、昨日の外科なのですが・・
朝起きて、わたしの朝食の時間にはフツーに動いていました。
だけど、やがて“足が痛いの (・_・、)”と云いだし、左足を引きずるようになっておりました。
“身に覚えがない”と云っていましたが、夜のうちに何かしていたのかしれませんが、わたしにも不明です (?_?)
外科から帰ると、おかあさんは手に関してはバルタン星人でもカニさんでもなく、人差し指に軍手をはめているだけでした。
だけど、左足は、湿布にテーピングと、靴の履けない状態でありました。
お昼休みに上がってきたおにーさんなぞ、びっくりして!
“右手はヘーキか?
次はどこダ?”
と聞いておりました f(^ー^;
昨日の状態では入らなかった、ディスポのゴム手袋が入るようになりました。蒸れながらも使用していました。
直腸がん検診に使っているものです。肛門の入る運命だったものが、好転したものか違うのか(失笑)
つづいてのお出かけは、予約を入れていた美容院であります。
駅の西口のこととて、わたしのおさんぽのコースの方々には、満身創痍の姿を曝しては、拍手喝采されたことでせう。
昨日の、指だけ怪我の状態をみなさんはご存知ないのですから (^^ゞ
美容院から戻ったときには、もうとっくに午後の診療は始まり、おにーさんは出ていたので、わたしにだけ、
“どぉ?”
と聞きました。
カヨコさんにも評判はよかったそーです。わたしはおさんぽに行けなかった!というのに(嘆)
美容師さんのこんせぷとは、“アンシンメトリーを緩和し、左を鋭角的にした”のだそーで、“う゛ーん!会心の作!”だそーですが、履き物はおにーさんのサンダル(爆)
リップサービスにも限度があろうというものです (^+^)
くす、おかあさんは左半身に偏りがあるようです (^^ゞ
今日は夏休み突入の最終日。
立て込んだ院に、おかあさんは足のためのビタミンの注射を打ちに行ってもおりました。
『びょういん』2軒に『びよういん』1軒 (^+^)
夏休み前夜。
診療終了後、院内のタオル、毛布カバーを洗う洗濯機が何度も回っていました。
テーブルの上には、アイスコーヒーのカップの間にポップコーンが置かれました。
とにかく!! わたしは予定されていたシャンプータイム決行!!も外出もなく、たいそう不満でありました。
テーブルに飛び乗り、ポップコーンを舐めると、おにーさんもおかあさんもたいそう驚いたものであります。わたしだって、生涯初めての快挙でありました <(`^´)>エッヘン。
明日、お盆のお迎えに行く予定でしたが、おかあさんの足の不調により、明後日に延期であります f(^ー^;
『しばわんこ』もお盆のようすを教えていました。わたしたちは同じことを毎年繰り返しています =^_^=
8月10日(木曜日・休診日)
早朝の6時半といへば、わたしたちにはまだ夜に近いです。
そんな時間におかあさんは飛び起き!!
カンタン服に着替えて飛び出して行きました。
約1時間後、汗だくになって戻る!!
ゴミ捨て場のお当番は2回あり、今回は不燃物、再生ゴミの分別にあたりました。
どこにでも、ゴミ奉行はいるものらしいです。そのお手伝いをしていたのかもかも (^+^)
もういちどおふとんに入れば、目覚まし時計を見ては、“ぎゃっ!!”と床から這いだし、わたしと朝食を摂ったあと、あわてて出て行きました。
戻ったおかあさんは、バルタン星人になっていました .。ooO(゚ペ/)/ひゃ
ついに!! 外科に行っていたのであります。
あわてて出て行ったのは、午前の診療時間ぎりぎりだったから(失笑)
切開された左の人差し指は、包帯とネットで固定されていて、後々にも諸々の不便を生じました。
それでも、お盆に備えてお仏壇のおそうじをしました。簡易版だったけど (^+^)
お仏壇には、昨日届いたアレンジのお供えが飾ってあります。
“・・もう、いいのに・・”
おかあさんは溜息をついていました (・_・、)
お外のおそうじもしていましたが、階段室はパス。
開院以来、休診日におそうじをしなかったのは初めてのことであります。
明日も、外科のお医者さんに行くそうでありますが、わたしのシャンプーは延期のままでよいのでせうか? (--#)
“しかし、ウワサには聞いていたが・・”
おかあさんはわたしに云い云いしました。
とてもコワイところなのだそうです。きっと獣医さんくらいイヤなところなのでせう =^_^=
以前、患者さんに紹介したところ、大柄なワカモノが、
“こわかったよーー!!”
と走って戻ってきたそうな。という伝説があります。
“メスでいきなりっ!”、麻酔もないままは、おかあさんと同じでせうか (¨;)
“麻酔とてなく、いつきなり切開! 男らしいんだけどさー、野戦病院みたい(汗)”
だそーです。
しかるに、おかあさんは、わたしの獣医さんもそんな方を好むのであります。
でも、早く治ることは確実です。
おかあさんがいつまでもガマンをしていたのは、包帯でぐるぐる巻きになっては、叔母さまのところのご用ができないことを懸念したかすらなのであります (^+^)
様々な不便がありました。
わたしのゆごはんのお肉を一口に分けづらかったし、洗い物もしづらいようでした。
シャンプーもできはないし、とにかく洗うということに不便か゜ありました。
最大の難点は、キーの打ちづらいこと(汗)
夏休みの宿題 f(^ー^;
8月9日(水曜日・長崎原爆忌)
台風予報の日でありました。
おにーさんは、お昼のおむすびを極上のよろこびにて食しておりました。
(昨日の日記参照)
停電を知っている昭和の子たちであります (^^ゞ
おにーさんを往診に送り出すと、大宮の叔母さま宅へ向かいました。
おりしも、浦和学院が負けるところがラヂオから実況されていました (・_・、)
叔母さま宅に着き、診察場を通過しようとすると、向かいの美容院の方が採血の最中でした。
“あんら! 動いているところを初めて見た!”
って。わたしはぬいぐるみではありませんし、人形ともちょーーーっと違います f(^ー^;
6月より、荷物を搬入すると、おかあさんは駐車場を探しに行きます。時間貸しの駐車場が増えたものです。持てるものは富を増大するものです (^_^;
叔母さまのところへ持ち込んだものには、食料の保冷バックばかりではありません。
特記すべきの、まずは、複合型のプリンタでありました。
叔母さまのところのミニコピー機が壊れたようなので、1月28日より、ずーーーっとお玄関の、検査用ガウンの箱の横にあったものが投入されました。
スキャナ機能もあるマシンは、単なるコピー機として扱われる身の不運を嘆いているかもしれません(涙)
“あら!!
カラーコピーもできるの (*^_^*)”
叔母さまは上機嫌でありました。
テストすれば、初仕事は、先日の叔母さまの旅行の写真。
叔母さまが、耶蘇のグループと並んで、リフトで登山をする写真が出てまいりました (^^ゞ
元のコピー機周辺を整理すると、当時の製品のカタログが出てきました。
\70,000もしたようです。
“わたしが買ったときには、\39800。
次のプリンタは、\29800。
ヤマダ電気の安売りで\19900で出ていたのも見たけど、たった今!! 価格ドットコムで調べたら、\15800で出ていたてーモンだ!”
(寅さんの口上みたい(失笑))
“そも、ヤマダ電気のポイントでタダだったから、あげるよ! (^_^)v
あ゛、おまけに付けたインク代くらいおくれ (^・^)”
で取引は成立しました (^+^)
同窓会の会報もとーぜんにして叔母さまにお見せしました。
叔母さまは、“すごいものを作るのね〜”と感心した様子でページを繰っていました。
“あなたがいちばんかわいいわね (^・^)”
は、おかあさんがわたしに云うのと同じ(失笑)
集合写真では、おかあさんが後方に位置しているのを見ては、
“よい子ね (^・^)”
おかあさんが当日佩用していたのは、叔母さまから譲られた(“押しつけられた”ともいふ)ピンクのスーツでありました。
“新しい服を買わないところがよい子 (^・^)”。
おかあさんのささやかな抗論、
“・・喪服といっしょ。急ごしらえだとはずかしいでしょ (^^ゞ”。
また、スナップ写真を見ながら、
“あら、この人、すてきぢゃない?”
身に覚えのないことに(失笑)、おかあさんは叔母さまの指先を注視しました。
“コレが好み? ( ・_・;)”
おかあさんは、毎度彼と作業しては、“安心できる喪主タイプ、よね〜”と、共感はしている幹事さんでありました f(^ー^;
どーも、おかあさんは、お葬式しか物の喩えににできないよーです (^^ゞ
というように遊んでいると、いつもの作業が捗りません。
わたしも、そして、多分叔母さまもたのしみにしていたお茶の時間もそこそこに帰宅しました(嘆)
台風はどこかへ行ったのか、ドラクロアを明るくした色調の夕空が広がっていました。
わたしのディッシュのお肉を焼きながら、おかあさんがタッパーを洗っている間にも、わたしがお廊下で不満コールを上げていれば、ほどなくおにーさんが上がって来ました。
“つっかれたな〜”
と云いつつも、ナースさまたちのお誘いに出向いて行きました。
♪何かある! きっとある! ぴぴんと来ちゃったな〜わたしー
またひとつ、古いお歌を教えてもらいました =^_^=
8月8日(火曜日・立秋)
もう!! 台風なのだそうです。
日中一杯は、涼しいくらいの曇天でありましたが、朝は嵐のようでありました。
年間数回の、ご町内会のごみ当番に当たった日にかぎって (^_^;
おかあさんは、ぐしょぐしょになっておりました。彼女らしいや(失笑)
火曜日のこととて、わたしのおさんぽは、キッチンとキッチンの合間なのであります (--#)
洋々堂に行くと、カヨコさんが頭にタオルを巻いた作業着のシガちゃんと、何やら手のひらの傷について語っておりました。
指の怪我といったら、おかあさんの得意分野であります (^+^)
“こぉーーんなに腫れていたんだから!!”
と、云っても、説得力に欠けるくらいに指先はぐるぐる巻き。
お店の『暮らしの手帖』をば取り出し、バンドエイドの新製品を示しました。反応はなかったけど (--#)
そこへ、ご町内会の役員さんがと入ってきました。
“ちょーどよかった!!”
留守宅に交通安全の会の賛助会員証を届けてくださったところだったそうです。
寄付をすると、免許証の書き換えがただになるらしいです。
残念なことに、おにーさんの名前が入っていました f(^ー^;
次には、彼は、本来の目的の定期購読の雑誌を受け取っていました。
戦艦大和にドールハウス!!
その他も完成すると何巻にもなるばかり!!
わたしたちは『国産名車』しか買っていません (^_^)v
『しばわんこ』には、カヨコさんも興味を示していました。
『MOE』の最新号には、しばわんこがお裁縫をしておりました。
わが社では、おかあさんがお針箱を前にしていると、おにーさんが、
“ど、どーしたの?”
と問うのが常です。
“おにーひゃんには、小学校の頃の家庭科の宿題の、運針とボタン付けを手伝ってもらった、というか代わってくれた m(__)m”
というのが、おかあさんの今生の“恩”らしい、です f(^ー^;
帰宅すれば、また!キッチン(嘆)(嘆)
やっと終わったかと思えば、マチコさんへと差し入れに行くのです(嘆)
しかし、一旦階下に降りたものの、おかあさんは引き返して来ました (?_?)
患者さんとして、別のクラスの同窓生がご来院でしたので、完成した会報を自転車置き場で披露していたのであります。
おかあさんの“なつかしいエネルギー”の立ち話に付き合わされた彼は気の毒にゃ f(^ー^;
当院のナースの担任もしたという、小学校の教員をなさっている方なのだそうです。
“●●クンって、パソコンではなく、黒板とチョークで、人と向き合った授業をしたいんですって。
すてきだな〜 (・-・)”
わたしに語ったとき、夕焼けが西から東まで延びていました。
蝉のスコールもスタンダードナンバーを奏でていたけど、今年だけのアドリブなのでしょう。
わたしに語ったと同じことが、おにーさんに報告するを聞くに、反応はまず、
“♪夕焼け空が真っ赤っか、てか?”
“くす、おにいちゃんはゴキゲンのようね (^_-)-☆“
って、おかあさんは云ったけど、わたし的には尊敬に足らぬ =^_^=
台風の接近というと、そぞろ泡立つものなのでしょうか?
“台風には、停電前に握り飯の用意。おかず・鮭缶”
というのが決まりらしいしのです。
同じことをしている家があったら教えてほしいです。わたしの世間はとっても狭いのですから(嘆)
特記すべきは、あんなに愛好していたバンドエイドをおかあさんは外しました。
“息がつまる”のだそーです。
新製品テストに向かない質ですにゃ (^^ゞ
入道雲がもくもくと立ち上がり、夏も絶頂です (~Q~;)
おかあさんの指は、朝になると腫れはいくぶん引き、
“これなら医者に行かなくてすみそ (^・^)”
と、医者ギライ(失笑)
おにーさんからはフロモックスとダーゼンをもらって飲み続けています。
また、バンドエイドの新製品・『キズパワーパッド』なる“3倍はやく、きれいに治す!“というものを早速調達して貼っていました。『暮らしの手帖』では“5日保つ”との推奨品だったものにゃ (^x^)
今のところ調子の良いものらしい、です。
わたしがおさんぽに出るのは、最高気温を示すころです (~Q~;)
HOPビルはたいそう涼しく、一巡してみました。
\100shopでは、
“お盆までは仏様にコレでがまんしてもらうわ (^_^;”
と、造花を買っている人がありました。
カメラのさくら屋と洋々堂では、件の『クラス会報誌』を披露しました。
カヨコさんはいませんでしたが、
“好きね〜 f(^ー^;”
とのご評価でありました f(^ー^;
さくら屋では中高年シニアの部((^x^))のライダーがご来店中でありました。
バンダナに黒の磨かれたブーツはカッチョよく、HONDA製の250ccは銀色の誇りを放っておりました。
永遠の少年 (*^_^*)
洋々堂のおにいさんが、
“くれ・・・クレ・・”
と、女性誌コーナーを指したのを察すれば、クレアの猫特集が発売されていました =^_^=
わが社の待合い室に置くと、毎度ヨレヨレになるものなのです。
カウンターにてぱらぱらとめくれば、おかあさんは、
“きゃーいーー!!”
を連発します。彼女の“かわいい”は、わたしの大好物なので、お顔を舐めてあげました (=^..^=)ミャー
他には、『ヤバい経済学』なるものも見ました。昨日読んでいた“医業にもM&Aの波が・・”というような見出しの躍る冊子の書評にあった本です。たいへんタメになりました。
“あら、ねこちゃんもそーゆー本を見るの?”
と聞く人がありました (^・^)
サライの昭和天皇特集も見ましたよん =^_^=
おにーさんも叔母さまも、“指はどーした?”が第一声でありました。
わたしも、だけれど、情けは人のためぢゃないもんね〜 (*^_^*)
おかあさん的には、わたしのシャンプーの時期の遅れていることを最も気にしているようです。
だけど、おさんぽから帰ったら、“焼け石に水”のホースのアーチが2Fからも見えましたし、日記の自動書記もなされています (^+^)
8月6日(日曜日・原爆忌)←赤でいいのか?
ものすごく暑い日でありました。
朝から、甲子園での試合が展開されていました。
わたしのお出かけは、休日というのに!! ファームランドみぬまに行っただけでありました。
事務所の引き戸を開けて、
“ごきげんよう!!”
と、ごあいさつすると、
“早く閉めろよ!!
冷房、焚いてんだから!!”
とハラダ氏から叱られました f(^ー^;
その後、わたしは終日冷房のお部屋にいました。
おともだちが来ては、コーラ、アイスコーヒーの日でありました (・_・、)
でも、このあたりから、おかあさんの体調は良くなかったのでしょう。
というのは、数日来、左手の人差し指に見えないくらいの傷があり、炎症を起こしていたのであります。
抗生剤(わが社にはンなものはころがっている)を飲むと腫れは引き、安心すればぶり返す、というようなことを繰り返していました。
この傷が何かにぶつかり、おかあさんはしばしば“テテテのタタタ”というような声は上げてはいましたが、大きくふくらんでしまったのです。
飲んでいた薬も“ヤク切れ”でありました。
しかるに、当所には『夜間休日診療所』というものがあります。おにーさんもたまさかお当番の回ってくるところです (^+^)
本日のお当番は、外科のDrでありましたので、おにーさんが戻る前、外科のDrに診てもらえる機会だったので、おかあさんは行ってみることにしました。
診療前のお作法として、検温をしていると、
“はいほー!”
なヤリちゃんが乱入してきました。
“これから、休日診療所に行くの。だから、あんまりおかまいはできないわ (・_・、)”
さきほどのおともだちへの待遇とはエライ違いですけど(失笑)
ヤリちゃんはたいそう心配し、
“しゃらにもしものことがあったら・・”
なぞと口にすれば、わたしだって心配になってしまいました (; ;)ホロホロ
ヤリちゃんとわたしに送られ、おかあさんは車で出かけて行きました。
結論から云うと、“明日、外科に行った方がいいのかな〜 (^^ゞ”というくらい、腫れは治まっています。
おかあさんは、指にアルコールを湿らせたガーゼを巻き、“ヤク切れ”となっていたフロモックスを1日分3錠を処方されて戻って来たのでありりました。それなら、おにーさんの帰りを待って、当院のものを使えばよかったのであります。
“イワサキせんせいの妹さんですかー(失笑)”と、手厚い看護を受けたようです (^^ゞ
おかあさんが戻るまで、わたしもたいそう心配しましたし、何をか察知したものか、叔母さまからも留守電への登録がありました。
これに返答していれば、やがてはおにーさんも戻りました。
“何!!
休日診療所へ行った!!”
というように、どちらからもさざ波が立っていました f(^ー^;
おかあさん的には、診療所の見学にいった、という側面もあったかも ^+^
午後、静養しているあいだに、おもしろいものが発掘されました。
先日、わたしの赤子時代の写真の発掘から数年後、当院の開院パーティーのものが出て来ました!!
ヤリちゃんも写っていますし、故人となった方も不通となった方もにこにこと写っていました。
すべては時空の旅のひとこま。行き交う人も旅人 f(^ー^;
8月5日(土曜日)
またも!! 35℃を超える日でありました。ふむ、からだができてくるにゃ〜 f(^ー^;
ひきつづき、朝から院長室は占拠され、わたしは気が気ではありませぬ
おかあさんはお茶を出してばかりいるし (--#)
わたしのおさんぽだって短縮モードなのです。
ナースからのひとこと。
“ウチの洗濯機が壊れました。
直ったら、マンションで自転車が盗まれました!”
“また、お祓いですかね〜(汗)“
何しろ彼女のところは、事件がつづく(汗)
(頷きつつ手を出す)
でも、・・そんな手当はあったかいな?”
“い゛ーえ゛!
お見舞いです。”
f(^ー^;
そんなやりとりを聞きつつ、炎天下のおさんぽにでました =^_^=
ノースリーブのワンピースの女児、膝丈のパンツにキャップの男児が夏休みを謳歌しています。
洋々堂でだって、小学生ともなれば、お財布のチャックを開いて小銭を出します (^・^)
“わたしたちの時は、もっと単位が低かったよね〜 f(^ー^;”
というよーなことを、カヨコさんとおかあさんは話していました。
わたしたちは、\260のビッグコミックオリジナルを1000円札1枚と\10玉からおつりをもらいました。
“脳を鍛える”の数独というコーナーの売り切れが気になります。
心をば“鍛える”という書物も、いずれ出るんだろな。
“脳を鍛える”は今に始まったことではないようです。
わたしのお名前の命名当時、おかあさんは窮したようで、『るうでんす』は、生きる意義を“遊ぶ”に求めたのだそうです。
わたしの名と、時代の整合性がないみたいな気がします (^^ゞ
帰宅すれば、お三時のお茶であります(嘆)
ロックアイスにボトルのアイスコーヒー、アイスクリームが添えられておりました。
わたしは、水置きグラスからごくごくちゃっぷんとブリタの水を飲みました =^_^=
おかあさんは、階下に焼け石に水を打ちに行きました。
ホースが外れて、患者さんの自転車にかかり、
“ごっめんなさーい!!”
の声も聞こえました (^^ゞ
やがて、診療時間のうちに院長室での作業は終わりました。
わたしもごあいさつに出ました。
“いつもきれいね〜(^・^)”の枕詞のあと、“ところで”と、『しばわんこ』に話が飛びました。
彼女たちは、ひとりは見逃し、ひとかたは『しばわんこ』を観たそうです。
“ザンネム (^_^;”だった方は、帰りのcocoonの紀伊國屋にて、本を調達すると勇んでいました。
彼女は、おかあさんが『冬ソナ』を観ていたときにも、話がはずんでおりました (--#)
彼女たちが帰り、やがておにーさんが戻って来ると、すぐに、
“はいほー!!”
・・ヤリちゃんであります。
おかあさんが、どちらもおにーさんのリクエストのお茶と水ようかんを用意している間、床に正座して『しばわんこ』を読んでいました。
出来上がったクラス会報も見ていました。
“誰だか分からないや (^^ゞ”だったようですけど (^+^)
年月人を待たず(失笑)
“ヤリなら、きっと誰でも分かるよ (^・^)”
“しゃらも、でしょ (^・^)”
中学の同級生にはきっと暗号だったことで顔を見合わせてフクザツそうでした(失笑)を
お茶が出されても、わたしは緑茶も水ようかんも好きません。しょーがないので、おかあさんの傍らで彼女の塩気をたっぷり含んだ上腕を舐めていました =^_^=
おにーさんは、
“ハラ、減ってんぢゃねーの?”
と、わたしに、あれは多分、助言をくれていたのでせう。
わたしはごはんり要求もしていたけど、みんながお菓子を食べたり、ヤリちゃんにおかあさんが物を分けたりしているのが不満だったのです(嘆)
“もう!ギリギリ!”と注釈して、マンゴーも渡していました。
(7月28日の日記参照)
わたし的には、すごーくすごーく惜しかった(嘆)(嘆)(嘆)
来週から当院も夏季休暇です。
おかあさんと暦を見合わせて、1日は越生へのお墓参りツアーだけど、もう一日くらいどこかへ出かけようかと、遅すぎる計画をしています。
8月4日(金曜日)
わが社付近では、蝉がやっと! わさわさと鳴き始めました (^。^)
35℃超の暑い日でした。
月初のこととて、院長室は朝からレセプト業者さんに占拠されて、わたしは終日気が気ではありませんでした (--#)
あさごはんのときには、もうドアが閉鎖されていたのですから(嘆)
おかあさんに申しつけて、ドアの前でごはんをいただきました。後になって聞けば、ご存知なかったようですけれど (^+^)
彼女たちが入ると、おかあさんはお茶出しばかりをしています。お昼とお三時、夕方の帰りには見送らねばなりません。
わたしのおさんぽだって、お三時の前には戻るショートカットなのです (・_・、)
炎天下に外出すれば、黒覆面サンバイザーの人が多いです。溶接工みたい f(^ー^;
おかあさんも、同じものを持っているけど、わたしたちはUVには無対策であります。
“ねこちゃんも暑いでしょう? (^・^)”
との声のかかることしばしであります。夏は暑いもの、です =^_^=
HOPビルには、店内に七夕のお飾りがしつけてありました。
短冊を書く子供が連なっていました。
“世界せいふく”という短冊には、わたし的には“GO!“だけど、おかあさんは苦笑していました (--#)
洋々堂に行っては、まず、『国産名車』を確保しました。
今回のミニカーは、'74・ホンダシビックでありました。
“今見ると、いいな〜 (^・^)”
とおかあさんは云っていましたが、わたしたち的には“タイプぢゃない”車です。
毎度、洋々堂で求めたあとは、最初にカメラのさくら屋で開封します。
こちらも、なつかしそうでしたが、欲しそうではありません (^+^)
本体である冊子を捲ると、戦中のトヨタトラックの写真がありました。
シミズさんが、
“『兵隊やくざ』だ \(^^@)/”
と云ったのが、わたしにもうれしいところでありました (*^_^*)
洋々堂にては、
“このあいだはどーもー f(^ー^;”
と、おかあさんとあいさつをした母子がありました。
お祭りの日に、いなせな担ぎ手だったという彼女らは海焼けをしていました。
“大宮のお祭りには、旅行に行っていて (^^ゞ”
と、かなりのお祭り好きのようです。
浦和のお祭りのとき、たまたま出会い、
“センセイ(おにーさん、か?)も、お祭りがお好きなんですか〜 (*^_^*)”
って、違う違う(失笑)
(7月23日の日記参照)
鰻を求めて、一行が右往左往していたときのこと、らしい(失笑)
お三時には、アイスティーと虎屋の水ようかんが供されておりました。
おにーさんも、“オレにも、な (*^_^*)”って。彼の大好物なのです。
誰も信じないけれど、わたしは時計が読めます。先代も先々代もだった、とおかあさんは言います =^_^=
レセプト業者さんのお帰りになりそうな頃から、お廊下で主張していました =^_^=
お仕事が終わったところで、ごあいさつしました。
おかあさんは、“そうそう (^・^)”というように、『しばわんこ』の本を見せておりました。
彼女たちも好感を持ったようでした。
わたしに聞き捨てならなかったのは、おかあさんの、
“やっぱり犬は柴、猫は三毛ですよね〜”
は、まだいい!
“るうちゃんって、外見はガイジンなのに、右翼思想なんですよ〜 (^^ゞ”
悪いか!! (`_´)
わたしも『しばわんこ』をいっしょに観ました。
たった5分 ^_^;
8月3日(木曜日・休診日)
かんかんと陽は照っていました。
おにーさんは、お約束どおり、早起きしてお勉強をしておりました (^^ゞ
わたしたちは、また!!!叔母さまの留守宅を検分しに行きました。
途中、パッケージプラザにて、文房具も買いました。
大宮はお祭りから一夜明けて、ふつうの顔になっていました。
叔母さま宅では、シーツを取り替えたり、薬局のタイルの補修をしてあげました (^-^)
車は路駐のまま、というくらい短い滞在でした。
さて、それだけで帰宅すると、おかあさんは“いよいよ!”と、PCに向かったものであります。
(ここで、ケータイが鳴る)
見れば、同級生からのもので、同じ発信者からの着信が何度もあったのであわてて出てておりました。
“何?よく聞こえないよ〜
え゛、宛先ラベルをもう貼っちゃったの!!! )^o^(”
ヒジョーにうれしそうなのでありました。
というのは、昨夜、何人かの同窓会幹事さんたちからのメールが錯綜して、会報が完成し、届いたところで発送の準備をしようとしていたのです。パッケージプラザでのお買い物だって、封筒とラベルだったのです。
ということで、同級生くんからの現物を受け取りに、西口のファミリーレストランに車で出かけていました。
(火曜日の日記参照)
戻って来たおかあさんは、二抱えほどの荷物でありました。
早速、発送の準備(汗)
宛名はあるけど、差出人は手書き(失笑)
1時間ほどの内職で、書籍扱いの封書がデパートの紙袋2つに仕上がりました。
“早い方がいいかな〜 (^^ゞ”
と、そばの郵便局は閉まったあとだったので、新都心の郵便局に持ち込んで発送は完了したようです。
わたしも、そして、多分おにーさんも、“ゆうごはんはどーなっちゃうのかな (・_・、)”と案じておりましたが、なんとか食せました (・-・)
開院前夜もこんなふうだったにゃ〜 ^_^;
やっと!!夏っぽくなりました =^_^=
おにーさんを往診に送り出してから、わたしたちは大宮に向かいました。
くす、おにーさんの運転って『東方見聞録』のようで、毎度新鮮らしい、です f(^ー^;
大宮は、一昨日の夜から今日まで、氷川神社の夏祭りであります。
午後5時より中山道は通行止めになりますし、加えて叔母さまの留守なのです。
途中、配達に来た牛乳屋さんのワカモノも、“今日はおまつりだから”と、いつもより早い配達の時間でありました。
おかあさんが黙して動けば、家事一切は早く仕上がろうというものです f(^ー^;
中山道に面した駐車場に車を迎えに行きがてら、おかあさんは上総屋さんにわたしのお肉の調達に行きました。
上総屋さん、お隣のおでん屋の素材屋さん、並んで御神酒所のご近所さんとごあいさつし、油を売り(嘆)、
“すごいや〜 (○_○)”
と、戻りました。
わたしもいっしょに中山道まで出てみれば、『神武天皇』と書かれた大きな山車が中山道をはさんで御神酒所の前にありました。
わたしは、都内の三社祭、神田祭は車内にて遙拝したことは何度もありますが、大宮の夏祭りは初めてでありました .。ooO(゚ペ/)/ひゃ
おかあさんにしたところで、子供の頃以来のことだったといいます。
叔母さま宅を後にしようとすれば、かつてお隣だったという建具屋さん、今はビルオーナーとなった人々がお祭り姿で、
“見て行きなよ (^_^)v”
と、声をかけてくれましたので、通行止め前に、わたしたちも車からお祭りの見物をしました。
中央通りも通行止めらしく、焼きそば、たこ焼きの屋台が軒を連ね、中には焼きだしているところもありました。
てへ、ヘッドレストから見ていると、わたしに気づいた屋台の人から声援を受けました =^_^=
中山道には、各ご町内のお神輿を前に、半被姿は捻り鉢巻をきりりと結び、晒を胴に巻いた女性もありました。
叔母さまのところの仲町のものもありましたし、北は高鼻町にはじまり、大門町、下町、浅間町から吉敷と、大挙のいなせな姿に心がおどるようでした。
渋滞真っ最中で、歩道を行く、叔母さまの小児科の患者さんとも、窓からごあいさつをしました。
大宮人の叔母さまが、毎年、“お祭りだからキレイにしておかなくっちゃ”という気持ちもわかろうというものです (^^ゞ
帰宅すれば、まだ閉院時間にも間がありました。
きれいな夕焼けのなか、『おおみや』というタウン誌をぱらぱらと捲っていても、おにーさんはまだ戻りません。
月初のレセプト作業をしていたのでありますが、戻れば、
“今夜は夜を徹してヤルぞ!”
と、宣言したものです (@_@;)
休診日の前日には、おにーさんのゆうごはんを用意していないので、わたしのゆうごはんがすむと、“さて、外食”ということになりました。
ふたりの大好物な居酒屋では、“夜を徹して”に矛盾しますので、ふたりは蕎麦屋に行きました。
何が“かるーく (^・^)”でせう?!!
“とりあえずビール”で、おかあさんはおろし天蕎麦、おにーさんはカツ丼セットと、決して軽くはないものを食していたのであります (--#)
“朝4!時起きしてやる!”ということで、おにーさんは寝所に行ってしまいました(失笑)
8月1日(火曜日)
暑くはない8月の初めです。
大宮では、お祭りがにぎわっているようです (^・^)
火曜日のこととて、おかあさんはお昼からキッチンにこもっています。
わたしのおさんぽだって、
“お豆腐を買いに行こうか? f(^ー^;”
と誘うのですから(嘆)
アセりに拍車をかけたのが、件の同窓会の“最終!”の集まりに召集がかかったから、でありました (O.O;)(o。o;)
みんな多忙ななか、北浦和に集まってくれるというのですから、“痛み分けってこって (・_・、)”と、おかあさんも参加を決めておりました (・_・、)
おうちを出ると、おかあさんの言では、『学歴の高い犬』・ラブラドールのジュノーくんがおさんぽでわが社を通過中でありました。
なんでも、盲導犬の学校は卒業したものの、兄弟に身体に障害のある子が出たので、遺伝的に不適切とのことで、就業ができないのだそうです。
おかあさんは、“聡明そう”とか云っておりますが、わたしは犬などの動物を好みませんっ! <(`^´)>エッヘン。
“ごめんなさいね〜 m(__)m“
って、おかあさんは余計なことを云ってたけど (=^u^=)
お豆腐を買う前に、駅前のレッズスクエアに入りました。
というのは・・
ビッグコミックの『宗像教授異考録』に、“さいたま市・黒塚山大黒天”という記載があったのでした。
おかあさんとしては、“見たことあるよーな (?_?)”でありまして、地図を見ても探せず(嘆)、観光案内所に聞いてみました。
3人いる女性のうち、見覚えのあるまんなかの方が、
“それは、大宮です (^・^)”
と、断言しました。
“あなたたちですと、産業道路を行き、動物病院の斜め前 (^・^)”
ここで、おかあさんが落語家だったら、扇子でぴしゃりと額をはたき、
“でやんした、でやんした!
お見事!!”
という場面です。
だって、氷川神社の前のこと、なのですから!!
“そぉんな近いところに、安達ヶ原の鬼女がいたとは!!!”
まずは、カヨコさんに、くるみのパックを渡し(昨日の日記参照)、
“こんなにたくさん?”
の声には耳も貸さず(失笑)、雑誌棚からビッグコミックのそのページを見せつつ、
“こわいね〜”
反応は、期待値ほどではありませんでした (^^ゞ
イハラ屋さんで、またも!! マンゴープリンのおまけをいただき m(__)m
おかあさんは、ひたすら帰宅を急ぐのであります(嘆)
HOPビルを通過しようとすれば、毛唐の一家に取り囲まれました。
こほ、“ノーズがロウ”というようなことを申していたが、わたしの最も嫌悪する言葉であります (`_´)
おうちに着いて、おかあさんの肩からジャンプ降下すると、自転車通勤のナースが出社するところでした。
おにーさんは、お昼寝から覚めた金魚のようでしたが、おかあさんは、
“知ってたー?”
と、伏せてあったコミック誌のページを示していました (^・^)
おにーさんは、
“鬼の前には、もっといいことがあったかも (^^ゞ”
というように反応していました (^+^)
そして、再びキッチン(嘆)(嘆)
“投了!!”
の声に、わたしの安堵する間もなく(嘆)、おかあさんはお約束の場所、西口のスタバに向かったのでありました、わたしが赤子のように みいみいと泣いて
いるにも拘わらず (・_・、)
おかあさんが戻ったのは、おにーさんとほぼ同時。
できあがった仮刷りを見ては、“スゴイなー”を繰り返しておりました。
同窓会って、異業種交流会のようなものらしい、です。
“その道のプロ”というものがいるもののようです (^^ゞ
そんなことより、最優先されなければならないのは、わたしのゆうごはんであります =^_^=
“遅くなっちゃったけど”と、明日から短い旅行の叔母さまに定時連絡を入れる間も、わたしならず、おにーさんにも短縮してほしいことでありました (--#)
“同窓会には、『たのしんでおいでよ (^・^)』と、送り出せないものなのか!!”
と、おかあさんはひとりごちておりましたが、おにーさんもわたしも、そんな種族ではないもんね〜 =^_^=