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Muxmäuschenstill ( ムックスモイスヒェンシュティル )

Marcus Mittermeier

2003 D 89 Min. 劇映画

出演者

Jan Henrik Stahlberg (Mux)

Fritz Roth
(Gerd - 失業者、Mux のカメラマン)

Wanda Perdelwitz
(Kira - ウエイトレス)

Joachim Kretzer
(Björn - Mux の社員)

Mehmet Yilmaz
(無賃乗車犯)

見た時期:2004年6月

去年の始めに Pigs will fly という怖いドイツ映画を見ました。今日はこれに近い怖さを持ったドイツ映画を見ました。怖さの種類は違います。Pigs will fly では精神的に偏りの強い主人公ラクセを演じた俳優があまりにも真に迫っていたので、怖くなってしまったのです。Muxmäuschenstill では監督や俳優が意図した風刺映画を短絡な人が風刺に気付かず本気に取ってしまうのではないかという怖さでした。この種の映画を作る人はわたしが美しくなった100の秘密のようにはっきり風刺だと分かるような表現にしておいた方が良いのではと感じました。

当日監督、俳優2人が会場に来ていました。話によると低予算で3年かけて作ったとのこと。一応監督はミッターマイヤーで他は俳優ということになっていますが、脚本は協力して書いたらしく、撮影中に即興もあったそうです。全体がドキュメンタリーの形式を取っているので、そのような急に飛び出したアイディアをうまく使えるようになっています。

ちなみに助演のフリッツ・ロートは今年のドイツ映画祭の助演賞候補に上がっていて、デトレフ・ブックに敗れたのだそうです。それで司会者が、「あのブックに負けたのだったら恥じることはない」と言っていました。どういう意味なんだろう。ブックは監督をやっても、俳優をやってもその天才ぶりを発揮。賞がどんどん転がり込むのを止めることができないという人。彼に匹敵するぐらい才能に恵まれた俳優はと言うと、2人ぐらいしか思い当たりません。他がだめだと言うのではなく、この3人が飛び抜けているという意味ですが、 ブックが出て来たら勝ち目がないという意味なのでしょう。私はこの天才3人組(監督、脚本、俳優ブック、俳優、裏方フォーゲル、俳優リュ)の大ファンなので、別にかまいません。

ストーリーは、ドイツ人が Selbstjustiz と呼ぶ出来事を中心に進みます。この言葉は《警察や法律が十分に取り締まれない場合に、権限の無い個人が自分で法を破る者を懲らしめに乗り出す》という危険極まりない人間の行動を言います。直訳すると selbst は英語の self で、justiz は justice ですから、《自分で勝手に決めた正義》という意味です。普通はダーティー・ハリー風だったり、パニッシャーなど、アメリカが本家です。アメリカにはタフ・ガイの男性俳優を起用して、勝手に自分を法の番人に任命してしまう映画が多く、また観客にも受けています。ドイツではめったにこういう話は映画化されません。Muxmäuschenstill も作った人たちは風刺だと銘打っています。しかし見ていると、真似をする人が出るのではないかと心配になってしまいます。さて、その主人公ですが・・・。

★ ストーリー

ベルリンに住んでいるムックスがふと思い立って、人を罰する仕事に乗り出します。まだそれほどの年ではありませんが、自分の人生の中で、不条理を見過ぎたとでも感じたのか、怒りが「もう、我慢ならない」というレベルにまで達します。タイトルをパニッシャーとしてもいいぐらいの怒りようで、早速行動を開始します。パニッシャーの主人公のように聞くも涙の事情というのは特にありません。 まずはカメラマンを募集。応募者の中で1番履歴書の内容が悪く、従順そうなゲルトを採用します。彼はビデオ・カメラを持ってムックスに同行し、ムックスのやる事を録画するという仕事を得ます。

ムックス氏が《私的な検挙》に乗り出す犯罪は例えば

などです。ムックスが扱うのは、多少例外はあるものの警察沙汰になった場合大きな事件になりそうな話は少なく、罰金刑程度で収まるような事件が圧倒的に多いです。しかしこのような《小さな》出来事はムックスにはムカッと来るらしく、こちらが怖くなってしまうような熱心さで撲滅に取り組みます。彼の方法は、情報提供者に貰った情報を元に張り込み、現場を押さえるというのが多く、自分がたまたま見かけた場合に追いかけて捕まえるというケースも時たまあります。ゲルトにマイクロホンを渡し、盗聴もさせます。捕まえると、現場をゲルトにばっちり撮影させ、小額の金を要求します。相手の身元はできる時には身分証明で確認を取ります。しかし警察に渡すということはしません。そのまま放免し、自分の家に山ほど現場を押さえたビデオをため込んでいます。

ムックスのやっている事は目的が何であれこの段階で違法なのですが、無頓着。私人が私人のお金を取って相手を脅せば、目的の如何を問わず違法。こういう仕事をやっていいのは警察だけですし、罰金を決めるのは裁判所。取ったお金はその警官のお小遣いになるのではなく、国庫に入ります。ムックスはそのあたりをきれいに無視。しかし彼の頭の中ではそれで矛盾は起きないのです。ここでもう恐くなる人がいるかも知れません。俳優の明るくスッキリした顔が行けない。夢に見そう。

こんな些細な事で捕まったのではかなわないという事実の集積で怖くなるか、ムック氏の心理状態を知って恐くなるか、どちらが先かは人によって違うでしょう。徐々に彼がまともでないという面が見えて来ます。彼はある日若い女性と知り合い、恋心を抱きます。キーラという女性で普通の仕事をしている普通の女の子です。ムックスは彼女をデートに誘ったりと、御執心です。しかしどういうわけかすぐ親密な関係にならず、プラトニックなまま。キーラ曰く「あなたって変わってるわね」。この段階ではまだそれほどの亀裂は見えませんが、話が進むに連れ、2人の間のギャップは観客に分かり易くなって来ます。

彼は彼女を変に誘惑したりしませんが、彼女の保護者のような立場を自負し、他の男が彼女に近づくことを嫌います。現代娘のキーラはディスコを好みま すが、年とはかけ離れた古臭い趣味のムックスはレストランでバイオリン弾きにセレナーデを奏でさせるという方法を好みます。2003年の話です。

その後もムックスは熱心に軽犯罪を犯す人間を見つけては金を取って回ります。ある日、情報屋が家庭内暴力の家族を通報して来たので出動。殺人の現場 に居合わせてしまいます。妻子は血まみれで死んでおり、犯人の夫は茫然自失といった状態で立ち尽くしています。そこへやって来たムックス氏は 持っていたピストルで犯人を取り押さえます。

この映画を見て、「ドイツ人は皆ピストルを持っているんだな」と誤解しないで下さい。一般の人がピストルを持っているというのは日本と同じく尋常ではありません。ムックス氏は許可証のあるピストルを所有しているようですが、ドイツで許可を取る時は色々審査があります。そしていくら許可を取ったからといっても、こんな物を持って町をうろついているのはドイツ人としては尋常ではありません。

この後監督が意図したのではないとは思いますが、とんでもないシーンが出て来ます。ムックス氏は人を殺したばかりの人間を台所に座らせて説教をするのです。警察は呼んでおらず、ピストルは食卓においてあります。で、混乱し絶望した夫がピストルを奪って自殺を試みます。弾は入っていなかったので失敗。しかし殺人の現場をこんな風に荒らしてしまってはベネケ氏も、リンカーン・ライムも頭から湯気を出して怒るでしょう。

この事件が報道されたため、ムックス氏は英雄扱い。そこで業務拡張を思い立ち、従業員を雇います。トレップトウという駅の近くにある高層ビルに事務所を借りて、ますます仕事に励みます。テレビを見てファンも増え、協力者はどんどん増えます。協力者というと聞こえが良いですが、密告者です。ムックスは会社を設立し、Web サイトを起こします。いみじくも従業員の1人が宣伝用に《密告者.com》というサイトを起こそうとしたので、「違う!、違う!、《情報提供者.com》だ!」と言いながらムックスはカッカと怒ります。このあたりに映画の真意が語られているのですが、インパクトが弱く、風刺として機能していません。私は逆にこれを手本にして、密告をする人たちが組織されるのではないかと恐れるのです。密告を告発する映画ではなく、奨励する映画になりかねないのです。第2次世界大戦中を思い起こさせ背筋が寒くなります。

その後の展開はある程度予想ができますが、本人の矛盾という面が見え始めます。彼は会社の社長におさまり、仕事は順調。ある日従業員の慰安を兼ねて小さなパーティーをします。会社がまだ新しいので、パーティーと言ってもけち臭く、皆を招待して遊園地で遊ぶ程度です。キーラも誘われます。皆が楽しそうにしているのを満足そうに見守るムックス。夜がふけてキーラは目の前に座った若者と仲良くなり、飲んでいた場所から外へ出ます。ムックスか気づいて探しているうちに、2人が親密になっている所に居合わせてしまいます。

ムックスはキーラに手を出していなかったので、キーラは自分は自由な身だと思っていますが、ムックスは彼女に対して所有権を感じています。ムックスの持つような所有欲は現代のベルリンでは一笑に付されてしまいますが、ムックスは時代の変化とは無関係な世界に生きています。ですからただでは済みません。キーラはムックスに誘い出され、ピストルで殺されてしまいます。結局彼女を埋めてイタリアへとんずら。上のリストに載ったような犯罪を許せない人間が自分の殺人は許します。この辺の展開は彼の心理状態の描写を見ていると容易に想像がつきますが、この主演俳優で見ると、恐いです。そのムックスに流されて何も文句を言わず従うゲルトという存在も、現代にはいくらでもありそうで、別な恐さがあります。強気の人間を目の前にすると、こうも簡単に信条とかモラルが後ろへ引っ込んでしまうのか・・・と映画では唖然としますが、日常生活では何度でも見かけるシーンです。

キーラの殺人はばれることがなく、ムックスはゲルトを伴って事業拡張という名目でイタリアへ旅立ちます。事業拡張は言い訳で、ほとぼりが冷めるまで姿を隠しつつ、ショックから立ち直ろうと言う試みです。その旅の最中また仕事への興味に目覚め、彼はイタリアでもドイツと同じ事をやろうと試みます。これが命取り。イタリア人は法律という物に対する考え方がドイツ人とはまったく違います。それはフランス人を見ても同じ。法律があるから、夜中誰もいなくても赤信号の時は止まる(べきだ)というのがドイツ的なやり方だとすれば、フランス人は法律というのは対立が起きた時に交通整理のためにあるのであって、誰も文句を言わないで物事が進んでいる時は気にしないという風に考えます。イタリア人もこれにやや近いと言えるでしょう。そういう国で、ムックスのようなことをしたら命を縮めます。それで彼は即昇天。

見た後不快感を催す映画というのを挙げると、ミヒャエル・ハネケのファニ・ゲームズ、Eoin Moore の Pigs will flyMuxmäuschenstill での3本になりますが、Pigs will fly は主演の俳優の演技が良過ぎてこちらが恐くなってしまっただけで、監督は映画テーマを深く掘り下げています。ですからこれは悪い映画と言えないどころか、良い映画に数えられます。ミヒャエル・ハネケの映画は良いとも悪いとも言い難く、監督は私たちが嫌悪感を持つように演出し、私たちは監督の希望通り嫌悪感を持っているという妙な映画です。Muxmäuschenstill には観客に嫌われようというひねくれた意図は感じられません。気に入ってもらいたいという作る側からの希望はゲストとして映画館に現われた3人の様子からも分かります。ハネケのインタビューにも立ち会いましたが、この時はインタビュー自体不快でした。ミッターマイヤーが風刺をもう少し明確に表現すれば、ファンが増えたかも知れません。イタリアのシーンはあと一息でした。結論を言うと、ナイフを手にしたらそれを何に使うかという問題です。役に立つ道具としてりんごの皮を剥くか、あるいは武器として人に向けて相手に傷をつけるか。Muxmäuschenstill はきわどいところで、意図がはっきり見えて来ない作品です。

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