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No.8 一つの闘いを終えて


 空に輝く月を仰ぎ見ながら、クライドはランフォとアーニを連れ立って、よろよろと夜の街を歩いていた。
プーリアの街はさっきまでの喧騒が嘘のようにしぃんと静まり返っていて、それが却って不気味さを醸し出している。
 一体今、この街で何が起きているんだろう。クライドはそう小さく呟いた。
 先ほどまで街のあちらこちらをうろついていた正体不明の魔物は、もはや影も形も見られない。
自分たちが倒したのではない。突然ふっとかき消すように消えてしまったのだ。
侵入班が上手くやってくれたのか、それとも何かの作戦…ワナなのか。
 もし後者だとしたら、城内は…侵入班はどうなっているのだろう。
「杞憂であってくれればいいが………ん?」
 前方に人の影を認め、クライドははっと顔を上げた。
「隊長!!」「たいちょ〜!!!」
 ティーテとユリナだった。
「ティーテ! ユリナ!!」
クライドは彼らの元へ走り出そうとする。が、足が鉛のように重く、いくら走っても前に進んでくれない。
「物凄いケガじゃないですか! ムリなさらないで下さい!!」
「大丈夫だよティーテ…それより、妙な魔物どもに襲われなかったか?」
「何度か襲われました。でも、なぜか突然奴等、消え去ってしまったんですよ!!」
ティーテの言葉に、クライドはそっちもかとうなずいた。
「ロニー様たちが何かをやってくれた…そう信じたいもんだがな」
「信じたいじゃなくて、信じるんですよ。でしょう、隊長?」
「……そう信じよう」

 雨に濡れるように、全身を熱い滴が滴っていた。
胸は息を吸うごとに大きく膨らみ、それを吐くごとに小さくしぼんでいる。
そして、腕や足を痺れに似た疲労感が蝕んでいた。放っておくと血流と共に全身に広がってしまいそうな気もする。
「ガライ…大丈夫?」
 セツラがよろよろとガライに近付いた。彼女は汗に照らされた額に前髪をべったりと張りつかせていた。
少し白い腕のところどころに青黒い痣や赤い腫れがちらついているのは仕方のないことなのかもしれない。
……先ほどの死闘を考えれば。
「なんとか…な。それより、オマエこそ平気なのかよ。腕とか痣だらけじゃねぇか、それにあれも……」
ガライが視線を送った先には、どろりとした汚物がスライムのように円形に広がっていた。
魔法陣の中にあった死体を見た後、セツラはロニーと共に早めに取った夕食を戻してしまったのだ。
「気分は最悪よ。でも、こんなことで挫けてたら英雄になんかなれないわ」
 半ば強がるように言うと、セツラは目の前に倒れている王衣の男性にゆっくりと近寄った。
この皇帝に魔王の手先が取り憑いていたのを知っているのはここにいる全員を除いて、他にいないだろう。
 そしてその魔王の手先は、先ほど彼らアレリア傭兵隊によって倒されたばかりだ。
単なる気体状の魔物ならアレリアにも数種類存在する。だが、魔王の手先ともなると格が違う。
 彼らは魔物の強大な魔力と強靱な生命力に苦戦を強いられた。
セロカが魔力を使い果たし、ガライとロニーとアールとセツラが全身ぼろぼろになって、やっと退けたのだった。
 もちろんセロカには治癒魔法を使う魔力も気力も残っていないため、
彼の精神力が回復するまで、彼らは全身を包む痛みと疲労に耐えねばならなかった。
「…何故、魔王の手先なんかに身を委ねたの?」
 セツラが冷たい声で倒れている皇帝に呼びかけた。もちろん、返事はない。
「違うよセツラ。これくらいの魔物ともなれば相手の意志を無視して乗り移るくらい朝飯前だろうさ。
 肉体が抵抗に失敗すればそれでおしまいだからね…だから、皇帝を殺そうなんて思わない方がいいよ」
「……バレてたのね」
 セロカにフッと笑いかけ、セツラは抜きかけていた剣を再び鞘に収めた。
「それより、罪を責めるならこっちの魔術師さんにしておきなよ」
「〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」
 セロカにじろりと冷ややかな視線を送られ、全身を縛られて猿轡をかまされた老魔術師は身震いした。
皇帝に乗り移った魔物を助け、数々の邪悪な儀式を行ってきたであろうマネチスの宮廷魔術師だ。
「…まぁいいわ。正直言って疲れた…実はそんなことする元気もない……」
 そう言いながら、セツラは床にバタンと倒れ込んだ。
「セツラ!?」
「………くー………」
「………」
 セツラの寝息を聞き、セロカは何故か安心してしまった。
とりあえずこれ以上厄介ごとを起こす心配はないということだからだろうか、それとももしかしたら…。
「…それで、これからどうするんだロニーさん?」
「皇帝殿の意識の回復を待とう。それと、セロカの魔力の回復もな」
 ロニーの言葉を聞き、セロカはそれなら、とばかりに床に横たわった。硬い石の感触がひやりと伝わってくる。
立って喋ってはいたが、セロカも実はセツラのようにすぐにでも倒れてしまいそうなほど疲れていたのだ。
 荷物入れを頭に敷き、自分のトレードマークと言えそうな若草色のマントで体を包んだ。
「…じゃあ僕、ちょっと寝るから。おやすみ……?」
 ばさりと何かが体に掛けられた。
「ガライ?」
 見ると、ガライが自分のマントをほどき、セロカの上に掛けていた。
「ゆっくり休めよ」ガライは少しはにかんだように笑った。
「……ありがと」
 セロカは目を閉じた。睡魔が自分の全身をじわじわ蝕んでいくのが分かった。
だが、今はその誘惑に身を委ねていいはずだった。目を覚ましたときから、本当の闘いが始まるのだから……。

 アレリア王国の勇敢なる戦士たちがプーリアの街と城内で死闘を繰り広げた次の日、
街道をアレリアへと向かって進軍していたマネチス帝国戦士団に、ある命令が届いた。
 そして、どういうわけか戦士団は全軍が踵を返し、首都プーリアへと引き上げていったのだ。
「これでとりあえずアレリアとマネチスが戦争になるってことはしばらくないな」
 街道での夜営中、アールがロニーに少し嬉しそうに話しかけていた。
「マネチスとはな。だが、まだ安心は出来ない。ゾロム帝国は相変わらず不穏な動きを見せているし、それに…」
「……魔王ってヤツか」
ロニーは無言で下を向いた。その問いを肯定しているような仕草だ。
「500年前に三英雄様によって退治されたはずの魔王が復活しようとしているなんて、ちょっと信じられないわ。
 大体、何で500年も経った今ごろ?」
ランフォの問いに彼らのほとんどがうなずいた。
「封印が解けようとしてるんじゃねぇのか? それとも、解かれそうになってるのかもな。まぁどっちにしろ
 ヤツが自分の眷属を送り出して世の中を混乱させているのは、封印を完全に解くためなんじゃねぇのか?」
「『血塗られた希望』の封印ね」セツラが忌々しく吐き捨てた。
「どうして三英雄様はあの花を滅ぼしになられなかったのかしら。あんな忌まわしい花、滅んで当然なのに」
「何だとっ!?」
「!?」
 突然ガライがセツラに食ってかかった。
「オマエなぁ、あの花をよく見てみろよ! 人から忌み嫌われて、刈り取られたり焼き払われたりもして…
 …それでも毎年頑張って花を咲かせてるじゃねぇか!! 確かに呪われた花かもしれねぇ、
 でも、あの花が望んでそうなったわけじゃねぇだろうが!!! 少しは考えてみろ!!!!」
 いつにもなく激しいガライの様子にセツラは二の句が継げなくなってしまった。
いや、セツラだけではない。セロカを除く全員が、予想もしなかったガライの行動に戸惑っているようだ。
「もし…もしオマエ、自分があの花みたいな立場になったらどうするつもりなんだ!?
 理不尽な理由で周囲から疎まれて、痛めつけられて、なのに誰も助けてくれない…そんなになったらどうする!!
 生きていけるか? 正義じゃない英雄じゃないって言ってられるか? どうなんだよっ!!!!!」
 セツラの胸ぐらを掴み、半ばかすれた声で怒鳴り続けるガライ。
彼の目からかすかにこぼれる滴は、一体何の…誰のためのものなのか。
「……いいかげんにしてあげなよガライ。セツラにそんなこと言ったって絶対分からないよ」
 セロカがガライとセツラの間に割り込んだ。だが、被害者のセツラの方はセロカの仲介にほっとしたようだが
ガライはまだ腑に落ちないといった顔だ。
「絶対分からないって…どういうことだよセロカ!?」
「言葉の通りさ。セツラには『血塗られた希望』をそんな風に見ることは出来ない。今のままじゃ絶対にね。
 だって、セツラは……」
ちらりとセツラを見たセロカは、途中で言葉を切った。おそらくセツラはこのことに気付いていないだろうからだ。
だが、いつかやがて気付く時が来る。気になるのは、もしその時が来たら、彼女はどうなるのだろうということだ。
「私が…何なの?」
「ううん、何でもない。少なくとも今はね」
 首を傾げるセツラから目を離し、セロカは再びガライに向き直った。
「…まぁ、ガライの気持ちも分からないでもないからさ、今は落ち着きなよ…ね?」
「……わかったよ。悪かったなセツラ」
 ぷいっとそっぽを向くガライ。そのとき、たまたまこちらを見ていたアールと視線がぶつかった。
「ガライ…お前もあの花の味方だったのか?」
「味方ぁ?」
「いや…実はおれもさ、他のヤツらが言ってるみたいに、『血塗られた希望』を憎めねぇんだよな何故か。
 何でだろうな、何か親近感みたいなの感じちまって……よくわからん」
そうは言っているが、どことなく嬉しそうな顔だ。
「……………」
 アールの言葉を聞いて、ガライは一人の少女の言葉を思い出した。

――この花が何か悪いことしちゃったんじゃないでしょ? なのに、どうして嫌うの?
 こんなに綺麗な花なのに、ほかの花と同じように精一杯咲いてるのに…――

 …彼女の言った通りなのだ。この花は何一つ悪いことなどしていない。
今の自分やアールのような考えを持った人間が他にいたっておかしくないはずなのだ。
 それなのに、相変わらずこの花は人々から憎まれ続けている。
(何かあるのか? 俺の知らない、呪われた何かが……)
しかし今は、それを確かめるすべはない。
「『血塗られた希望』に関する論議はこれくらいにして、今後のことを話したいのだが……」
 ロニーが少し苛立ったように口を開いた。
それに合わせるかのように他の皆も各々の話を中断し、ロニーに注目する。
「…みんな知っての通り、トゴー皇帝の変心の原因は魔王の手下にあったわけだ。
 となると、ゾロム帝国のドムドーリアT世にはすでに魔王の手が伸びてしまっていたのかもしれない。
 あくまで憶測にすぎないが、どちらにしろ彼がアレリアを狙っていることは間違いないだろう。
 …で、これから俺たちが取るべき手段で、考えられるのは次の二つ…」
ロニーは立ち上がると、焚き火の周りをゆっくりと歩き始めた。
「…一つ、ゾロム帝国に向け進撃する。奴等には聞きたいことがいくつかあるし、
 もうマネチスの侵攻の心配はないのだから、全力をあげてゾロムと戦うことが出来るからな。
 …二つ、魔王の復活を阻止し、その眷属ともども魔界へと追い返す。
 もしも魔王が復活してしまえば、アレリアだけでなくリージェンディ大陸…いや、リナディア全体の危機だからな。
 もちろん、両方ともそう簡単に実行出来ないし、成功する可能性だって決して高くはない。
 ……どう思う、みんな?」
返事はなかった。誰もが自分たちの抱えてしまった問題に頭を悩ませてしまったのだ。
 ゾロム帝国の抱える竜銃士団は、『銃』という科学力の進んだ武器を使用するという。
そればかりではない。彼らは竜を騎馬とし、それを自由自在に操るのだ。
 7年前、港町ポポカが謎の集団に襲われ、住民の半数が虐殺されたという事件があった。
目撃者が全員殺害されたため犯人たちの正体は未だに不明のままだが、その酷くも鮮やかな手口から、
犯人は無敵の強さを誇ると言われている、ゾロム帝国竜銃士団ではないかと推測されたこともあった。
 もちろん、単なる推測だけで行動するわけにもいかないし、
それ以前にその時のアレリアの政治は腐敗の極みにあり、当局が積極的に動かなかったことも原因なのだが…。
 そして、魔王だ。
今から500年前、大陸を全滅の一歩手前まで追いやり、三英雄によって退治・封印されたという悪の権化。
幸いにもその脅威はこの大陸だけに留まっていたようだが、
もしも三英雄の出現があと一カ月遅かったら、そうはいかなかったかもしれない。
 ……どちらにしろ、手に負えそうな相手ではないことに変わりはないのだ。
「……まぁいい。アレリアに着くまでまだ日にちはある。ゆっくり考えてくれ」

 その日の会談はそれで終わりだった。
だが、彼らの…いや、アレリア王国の背負ってしまった問題はまだ終わりそうにない。

第二部 完

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