「Bloody Hope」
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―何を信じたくて 僕は血を流すのか 今は―
その日も、いつものように何事もなく終わるはずだった。
少し西に沈みかけた太陽の日差しを存分に浴びながら、フィラルは波打ち際をのんびりと散歩していた。
寄せてはうちかえす波の音を全身に感じ、潮の香りを纏っての散歩は、彼女の日課でもあった。
だが。
「フィラルちゃん!!!!」
「!?」
突然村の人が走ってきた。その様子は、ただの用事の言いつけにしてはやけに慌ただしい。
「何、どうしたの?」
「しゅ…村長が呼んでる、急いで村に戻るんだ!!」
「パパが!?」
「早く!!」
村の人に連れられ、坂道を転がるボールのように村に戻って来たフィラル。
そして、村の長である父から彼女に告げられた言葉は、まだ幼い彼女にとって残酷すぎるものだった。
「そんなこと出来ない! お願い、アタシを一人にしないで!!」
「大丈夫だフィラル、絶対に帰ってくる。それまで子どもたちと、アールを…アールを頼んだぞ」
「パパっ……!!!!」
少女のかすかな叫びは、窓から下げられた風鈴の音にかき消された。
フィラルが誰にも届くことのなかった叫びを上げたのと同じ頃、アレリア王国エリンの街は
逃げ惑う人々と、それを追う兵士、そして天まで届きそうな勢いで燃え上がる炎で溢れ帰っていた。
「きゃあっ!!」
母親に連れられたまだ3歳くらいの少女が、何かにつまずき大きく倒れ込む。
「ロザモンド!」
母が少女の声に振り返ると、起き上がろうともがく娘の後ろには長槍を持った兵士の姿が。
「やめてください、この子だけはっ!」
しかし、兵士は必死に立ち上がろうとする少女の背に、勢いよくその槍を突き立てた。
そばにいた母親が返り血で紅く染まる。しかし、その血は娘のものだけではなかった。
背後から別の兵士が、母親の胸を剣で貫いていたのだ。
「ロザ……………」
娘に重なるように母は倒れていった。まるで、娘の亡骸をこれ以上穢させまいとするかのように。
「何人殺ったか?」
母の胸から剣を抜きながら、兵士がもう一人の兵士に問いかけた。
「これで…7人か?」
「勝った! 俺はこれで9人めだ」
勝ち誇った顔で、兵士は燃え上がる街を見上げた。
「…しかし、何故トゴー様は、このような事を命ぜられたのだろうか?」
「どういうことだ?」
「いくらアレリアに対しただならぬ因縁があるとはいえ、このように罪のない人々を殺め、街を焼き払えだなんて…」
「…きっと、俺らには想像もつかない崇高な理由があられるのさ。深く考えないことだ。
黙って従わないと、今度は俺らがこうなるぜ」
長槍の先で母親の亡骸を示すと、兵士は同僚と顔を見合わせ、言葉にならない不安に身を軽く震わせた。
アレリア暦499年7の月。
マネチス帝国軍の強襲により、エリンの街は壊滅。住民の四分の三が死亡、街は灰燼と化した。
しかし、これはこの後長きに渡る戦乱の、ほんの始まりにすぎなかったのだ。
「傭兵隊長クライド・ビリー、入ります!」
突然の呼び出しに、クライドは胸の高鳴りを隠せなかった。
先日、エリンがマネチス軍の強襲を受け、壊滅したということに関する呼び出しに間違いなかったからだ。
まさか、傭兵隊だけでマネチスを追い払えなんて無謀な命令が下されるとは考えてなかったが、
それに匹敵するような、やっかいな事を命じられる気がしてならなかったのだ。
緊張が表に出ないように気をつけながら、クライドは会議室へと足を踏み入れた。
意外に、テーブルには人が少なかった。
聖騎士団長ロニー・メリディアン・アレリア、魔道隊長モルナ・スノトー、近衛騎士隊長ラッツ・エイシャン。
だが、それが却って自分の不安を引き立たせた。
「クライド、いきなりで悪いが、エリンがマネチス軍によって壊滅させられたという話は知っているな?」
テーブルにつくなり、ロニーから不安を肯定するような質問が浴びせられた。
「は、はい。なんでも、住民の三分の二が皆殺しにされたとかいう…」
「四分の三だ」
不機嫌そうなロニーの声に、クライドは思わず震え上がった。
「…安心してくれ。いくら俺でも、傭兵隊だけでマネチスを追っ払えなんて言わないさ。
ただ、少々やっかいな任務を引き受けてもらいたいんだが……」
さらにクライドは震え上がった。自分の嫌な予感を肯定されたも同然だったからだ。
「カーソン殿、事情の説明を」
すると、会議室の隅から一人の女性が姿を現した。
「クライド、クローディア・カーソン女史だ」
クライドに向け、女性は深々と頭を下げた。
「お前には、なるべく少人数でマネチス領内へ侵入してもらいたいんだ」
クライドは、頭の中が漂泊されていくような錯覚に襲われた。いくらなんでも無茶すぎる!
「冗談じゃないですよ! そんなこと、出来るはずが…!!」
「話はまだ終わっていませんよ、クライド!」
モルナから鋭い声が飛んだ。自分より年下のこの女魔導師の声に、クライドはかろうじて反論の声を沈めた。
「詳しい話は、カーソン殿に話していただく」
クローディアという女性は、遠慮しがちにテーブルについた。洗練された仕草だった。
「実は、私はマネチス帝国の貴族なのですが……」
クローディアの話が、静かにはじまった。
「昔から、わがマネチス帝国はアレリア王国に対し敵意を抱いておりました。主な理由は、
アレリア王国の肥沃な大地。マネチス帝国は、国土の大半が厳しい山々や、荒れた砂漠ですから。
しかし、近年はわが国が鎖国政策をとっていたこともあり、これといった争いはなかったのですが……」
クローディアはつらそうに下を向いた。
「今から2年くらい前、突然トゴー皇帝が、アレリアへの侵攻準備を始められたのです。
それまではどちらかというと穏健なお方でしたのに、何の前触れもなく、突然……」
「それでカーソン殿は、皇帝の変心には何か秘密があると推測なされ、我々に協力を求められたのだ。
もし、皇帝が何者かに心を支配されていたでもしたら、一大事だからな」
ラッツが重大そうに言葉を継いだ。クライドに事の重大さを伝えようとしているようだ。
「…私に、皇帝の変心の理由を突き止めてこい、ということですか」
「その通りだ。本当なら俺が聖騎士団を率いて突き止めたいところなんだが、
相変わらずマネチスの軍隊はアレリア国内を荒らし回っている。それらを押さえなければならないからな…」
ロニーが悔しそうに下唇をかんだ。その様子だと、本当に突き止めたがっているようだ。
この若き聖騎士団長の長所であり、短所でもある魅力の一つと言えるだろう。
もしかしたら、自分が断れば本当に自分で行ってしまうかもしれない。
「……わかりました。その任務、引き受けましょう!」
覚悟を決め、クライドは立ち上がった。
どちらにしろ逃げ道はなかったのだし、自分の力を試してみるいい機会になると思えたのだ。
「引き受けてくれるか! ありがとう、クライド!!」
真っ先にそう述べたのはラッツだった。もしかしたら、クライドと同じ事を危惧していたのかもしれない。
「しかし、マネチスに街道を使って行くのは不可能かと思われますが…」
「心配いらない。アリテノンの港に船を用意した。それを使って行ってくれ」
「ふ、船っ!?」
クライドは船酔いだった。
「それと、魔道隊から一人、治癒魔術の使い手を派遣します。自分の部下と思ってこき使ってやって下さいね」
モルナが少し妖しげに笑った。それを見て、クライドは引き受けるんじゃなかったという念に駆られてしまう。
「作戦や人数はお前に任せる。朗報を待っているぞ!」
王城内を歩きながら、クライドは自分の引き受けてしまった任務の重大さを改めて噛み締めていた。
どうやって、一国の主の変心の理由を突き止めろというんだろうか?
まさか、皇帝を捕らえ、拷問にでもかけろというのか?
それに、こういう仕事は偵察兵に任せるべきではないのか。なぜ傭兵隊でなければならなかったのか。
いくら考えても、答えは出なかった。
…そんなことより、今自分のなすべきことは、任務の遂行だ。
少人数と言われたからには、多くても10人が関の山だろう。
誰を連れていくか。どうやら今日という日はそのことで潰れてしまいそうだった。
「ねぇガライ、呼び出しって何なのかしらぁ?」
傭兵の寝泊まりする宿舎のトレーニングルームで、ランフォは同じ傭兵のガライに甘ったるい声をかけていた。
しかし、ガライはランフォに一瞥くれると「さぁな」と冷たく言い捨て、彼女の傍から離れていってしまう。
いつもこんな感じだ。ランフォは今年中に恋人を見つけるぞという
勝手な誓いを立てているせいか、なにかとつけてガライに絡んでいる。
しかし、ガライの方はそれがうざったいらしく、ランフォが近付くととっとと離れていってしまうのだ。
もっとも、だからこそランフォも彼をおとそうと必死になっているのかもしれないが。
「集まってるか、みんな」
扉が開いて、傭兵隊長クライドが入ってきた。
「クライドさん、私たちだけに用って、一体何なのぉ?」
「それがな…少しやっかいな仕事を頼みたいんだが」
クライドは苦笑いを浮かべながら、先日ロニーたちから伝えられた任務を、徹夜で選んだ傭兵5名に説明した。
当然、抗議の声が上がった。しかし、報酬アップの他にボーナスも出すと告げると、渋々収まった。
「俺の目に狂いはないと思わせるような働きを期待しているぞ」
クライドの言葉に、傭兵たちは右こぶしを上げて応えた。
「ねぇ…アタシたちこれからどうなるの?」
家の中からそっと外を伺い、フィラルは小さく呟いた。
すっかり日は沈み、かすかに星の瞬きが見える。
「何か怖い…誰か助けて……ねぇ、アールは…アタシを助けてくれる………?」
少女の呟きは、以前上げた叫びと同じように、風鈴の涼しげな音に消され、どこにも届かなかった。