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No.2 破壊するもの、その名は炎


 穏やかに晴れた朝。
 果てなく続く木々の海の中で、一人の女性が山菜摘みに精を出していた。
「ふぅっ…これくらいでいいかな」
 手から下げられた籠いっぱいに野草を摘んだ後、女性は額にうっすらと滲む雫を拭おうとする。
そのときだった。
「……!?」
 森の遥か先から、煙のようなものが立ち昇っていることに気付き、
火事だったら大変だと、女性は額の汗もそのままに走り出した。
 疲れでぎしぎしの足を叱咤しながら、女性は自らの進んでゆく方向に何があったかを思い出そうとしていた。
 (こっちには村落なんかないはずだし、一体何が………)
そして、とたんに強い不安に襲われる。
 (……まさか………………!)
 どさりという音と共に、籠の中の山菜が散らばった。

 薄暗い廊下を、アレリア聖騎士団長ロニーは物思いにふけりながらゆっくりと歩いていた。
――レネー、どこにいるんだ!?――
 どこかから自分の声が聞こえてくるような気がする。もう今から10年近く前のこと、
突然妹レネーがいなくなってしまい、必死に城内を捜し回ったときの、不思議に懐かしい声。
 (そういえばあのときも、俺は書庫に行こうとしてたっけ…)
 城内が緊張と騒音に包まれていたあの時、彼女がよく城の地下にある書庫に忍び込み、
古の伝説や神話、三英雄などの英雄譚を貪るように読み漁っていたことを思い出したのだ。
もっとも、そこにも妹の姿はなく、奈落の底とよく表現される心境を深く実感することになったのだが。
 今自分が書庫に向かっている理由は、奇しくも彼女と同じだった。
 (ここアレリアは、三英雄の一人アレル様が建国なされた国だ。
  許可無しでは閲覧を禁じられている地下書庫なら、きっと500年前の文献が残っているだろう)
もちろん、それは推論でしかない。しかし、魔王というとてつもなく巨大な壁に挑むのに
一つも手がかりが無いようでは困るのだ……いや、困るどころの問題ではない。
 半ば朽ちかけた木の扉の前に立ち、ロニーは少し大きめに息を吐くと、ノブに手をかけた。
「…?」
 鍵が掛かっていない。
前に使用した者が鍵を掛け忘れたのか、それとも何者かが侵入した……?
「誰だっ!?」
 叫びながら、ロニーは扉を大きく押し開いた。
「あっ………………!?」
「………お前は………」
 ランタンの薄明るい光に照らされて浮かび上がったのは、自分と、そして妹と同じ黄昏色の髪の一人の女性…
――レネー…?
「す、すいませんロニーさん!」
 ロニーの言葉を遮るように、レネーはロニーに大きく頭を下げる。その声にロニーは現実に引き戻された。
「……………」
 ロニーはレネーの…いや、魔王の手下に滅ぼされたジュール盗賊団の生き残り、アールの顔を見つめる。
「ここが書庫だって聞いて、どんな本があるんだろうなってつい……何も盗んでなんかないぜ、言っとくけど」
「…いや、そうじゃない」
「?」
 半ば悲しそうにロニーは微笑む。
「レネーと同じことをするヤツがいたなんてな…全く、アイツと同じようにびっくりさせないでくれよ」
「レネー………?」
「あぁ、お前はマネチスの人間だったな。……俺の妹だよ。7年前に城を出たっきり、行方が分からない…」
 アールは目を大きく見開いた。
「変わり者でな…どうやってかは知らんが、よくここに忍び込んで本を読んでいたんだ。
 まるで、今のお前みたいな感じだったよ……………これで読んでる本まで同じだったら、
 きっと俺はお前をレネーだと思い込んでしまったろうな」
ロニーはアールが手にしている本に目をやった。『精神分裂と人間の暗黒面について』と書かれている。
「…そりゃそうだろ。王族のお嬢様がこんな難しい本読むわきゃないもんな、ははは」
 笑いながら、アールは言葉を続けた。
「それで、しばらくここで本読んでてもいいかな? あ、おれだけじゃなくてもう一人いるんだけどよ」
「もう一人?」
「ああ」アールは書庫の奥の方を指し示した。「きっとここに来た目的はロニーさんと同じだろうな。
 しっかし、一体何者なんだアイツは…ただのガキじゃないってことくらいしかわからねぇ」

「これでこの地は浄化された……」
 燃え上がる炎に照らされながら、黒衣の老人は厳かに言った。
「でも、こんなにはびこっていたなんて…何故この森の住人は、今まで手を打とうとしなかったのかしら」
老人の傍らに佇む少女が老人の言葉に応えるように呟いたとき、遠くから足音のようなものが響いてきた。
「…森の住人のようですな。引き上げといきますか」
「待ってくださいポリドリ様、この火をそのままにしておいたら…」
「構わんよ。この火は聖なる火…不浄しか燃やさぬし、不浄を燃やし尽くすまでは決して消えぬのだ」
「…………畏まりました」

 伝説・神話関係の書物が納められた本棚の前で、セロカは一人黙々と本に目を通していた。
「お前も忍び込んでいたのか……えっと、セロカ…だったか」
 セロカは視線を本からロニーに移した。
「結構いろんな本あるんだねここ。気に入ったよ」
「…許可無しでは閲覧出来ないんだぞここは。気に入ったからって、何度も何度も不法侵入しないでもらいたいな」
「失礼だなぁ、僕はここ来るの初めてだよ?」
「…そうか。なら許可無しでの閲覧はこれっきりにしてくれ」
「大丈夫だよ。レネーさんじゃないんだから」
意地悪く笑うと、セロカは再び本に視線を戻す。
「………?」
 綴られた古文の中に見慣れない印のようなものを見つけ、セロカは側のランタンを近づけた。
そのとき、ぱぁんという音と共にランタンが砕け散り、拡散した炎が本に飛び移って燃え始めたのだ。
「なっ…何だっ!?」
 驚くロニーを横目に、セロカは本を床に叩き付け火を消すと、書庫をぐるりと見回して叫んだ。
「出てこい、魔物め!」
 その声に反応するように、天井からぬぅっと黒い縄のようなものが生えてくる。
「セロカ、あれは…?」
「魔物だよ。まぁ、多分魔王さん関係だろうね」
 落ち着いた声で答えると、セロカは足元に置いてあった杖を拾い上げた。
と同時に、爆発音を聞いたらしいアールが二人のもとに駆け寄ってくる。
「何度も何度も襲わせるなんて、こき使われる魔物も大変だね…少しは仕える主人を考え直してみたら?」
 杖の先を魔物に向けながら、セロカは心の底から呆れているようなため息をついた。
しかし魔物はセロカの言葉を無視し天井からぼとんと床に落ちると、ヘビのそれに似た口から炎をぶわっと吐く。
「!!」
 炎は本棚を包みこみ、書庫を真紅色に染め替えた。
「しまった…このままじゃ資料が!」
慌てふためくロニーとアール。しかしセロカは顔色一つ変えずに、杖で魔物に殴りかかる。
二回、三回と殴られていくうちに魔物は動きを鈍めてゆき、一、二分後にはとうとうぴくりとも動かなくなった。
「…!?」
 魔物が息絶えると同時に、辺りに広がっていた炎が跡形もなく消えてしまったのだ。
「…一種の魔法だよ。あの炎は何をしたって消えやしない。
 でも、対象が完全に燃え尽きる前に術が中断されてしまうと何の効果ももたらさない、お粗末さんでもあるんだ」
「そんな魔法、聞いたことないぞ」
「知らなくて当然だよ。だって今では使える者のいない、500年前に失われた魔法だもん」
 床に叩き付けられたままだった本を取るセロカ。唯一その本だけは、黒く焼け焦げてしまっていた。
「まだ読み途中だったのに…まぁ、しょうがないか」
そのまま本を棚に戻すと、セロカはロニーたちの方を向き直った。
「…何か言いたそうだね」
「お前、一体何者なんだ?」
ロニーとアールは声を揃えた。しかし、セロカはやはりはぐらかすように笑っただけだった。

 老人と少女が姿を消したあと、入れ替わるように一人の女性が炎の前に現れる。
ゆらゆら揺れる真紅の焔を目の当たりにし、女性はまるで自分の家族を殺されたかのように顔色を変えた。
「何てこと…こんなところのまで焼き払うなんて!」
 女性は慌てて水の精霊を召喚する。しかし、いくらウンディーネが雨を降らせても、炎の勢いは全く衰えない。
…結局炎が消えたのは、「不浄」が全て燃え尽きたあとだった。
「……今まで、こんな森の奥にまで来て、この花を焼き払おうなんてする人はいなかったのに…」
 炭と化した「不浄」を見下ろしながら、女性はがっくりと肩を落とす。
 (一体何が起こっているの? この前のマネチスの襲来…正体不明の魔物の襲撃…
  ゾロム帝国侵攻の噂…そして、『血塗られた希望』の連続焼き打ち事件………………)
 今は『血塗られた希望』の開花時期ではない。しかし焼き打ちの犯人達は、球根を掘り出しそれを燃やしている。
そこまでしてこの花を焼き打ちするなんて、とても尋常とは思えない。
 しばらくその場に立ち尽くしたあと、女性はおぼつかない足取りでゆっくりと歩き始めた。
恐ろしい気持ちがした。取り返しの付かないことが起きてしまっているのではないかという、強烈な不安。
 (…こんな気分になったのは、これで三回目ね…)
 二回目はマネチスによってエリンの街が襲撃されたとき。
家族は無事だったが、家や財産は全て灰と化してしまった。
 そして一回目は、今から7年前、アリテノンの収穫祭で弟が行方不明になったとき………
 (……せめて、あのコがここにいてくれたら……………)
女性は口唇を軽く噛み締め、生きているのかも分からない弟に祈った。

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