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No.7 甦る奇跡と炎の終焉


 冷たい風が吹き荒れていた。
自分はいつの間にか、枯れ草の広がる野に一人立っていた。
すぐ目の前には『立入禁止』と書かれた立て札。遥か先には、墓標か何かのようにぽつんと生えた一本の木。
 ――行かなきゃ、あの木の下へ。
どこかから声がした。それに従うように、自分は足を一歩踏み出していた。
それと同時に、自分は枯野に起こった出来事に目を疑った。
 枯れていたはずの草の葉に青さが戻り、倒れていたはずの茎がみるみる立ち上がる。
散ったはずの花びらが茎の先の蕾から顔を覗かせ、あっという間に紅い花を開かせた。
…気付くと、そこは一面血の色をした花畑と化していた。
 どうしてこんなことが。そう呟いた。
だが、すぐに疑問は消え去った。
 ――そっか、自分にはこんな力があったんだっけ…………………――――――――――

 ポリドリの腹から剣を引き抜きながら、ガライは飛び散る返り血に顔をしかめた。
しかし、すぐに剣を握り直し、うずくまるポリドリに止めの一太刀を振るおうと、刀身を高く掲げる。
「エル……確かあの小娘が使っていた偽名だったな……」
 ポリドリがガライを見上げた。
「そうか…貴様、あのときの小僧か。奴隷として売り飛ばされて、よく生きて戻ってこれたものだ…
 …しかし、せっかく助かった命を再び危険に晒すか。もうこの世にはいない、たった一人の小娘のために…」
「うるせぇ!!」
 ガライは剣をポリドリ目掛けて振りおろした。
しかしそれをポリドリは、なんと掌で止めてしまったのだ。
「なっ!?」
「ふふ、若さはいいものだ。だが、時にはそれが命取りになることを学んでおくのだったな」
 ガライの剣の刃を素手で握りながら、ポリドリは立ち上がった。
ガライが貫いた傷も、先ほどセロカに刺された傷も、もうすでに傷口が塞がっていた。
「お前もだセロカ。私の力を見縊り過ぎていたようだな」
「…確かに。僕は父さんを甘く考えてた。自分の力を過信しすぎてもいたみたいだね……」
 ところどころ焼け焦げたマントとバンダナから煙を燻らせながら、セロカが答えた。
「まいったよ、全くさ」
「自惚れは過ちを導き、そして過ちは己の死に繋がる。冥土の土産によく覚えておくことだな」
 ポリドリが少し力を入れると、ガライの剣は粉々に砕け散ってしまった。
「ガライだったな。まずは貴様から冥土に案内してやろう。愛するエルとの再会を喜ぶがいい」
「くっ…!」
 ポリドリの腕に真紅の炎がまとわりつく。
「死ね!!」

 ガライは反射的に目を瞑った。
 (ここで終わっちまうのか? エルとの約束も、守れずに?)
はっとした。そうだ、自分にはやらなければならないことがあるのだ。
さっきは「エルの仇」などと言ってしまったが、エルの生存を願っていたのは、ほかならぬ自分ではないのか。
 (そうだ、まだ俺は死ねない!)
 そう思ったときには、すでに目を開いていた。
蛇のように蠢く炎を目の当たりにしても、もう焼けつく熱気も気にならなかったし、恐怖も感じなかった。
「俺はまだ死ねねぇんだっ!!!」
 叫びながら、ポリドリに突進した。
「やめろガライ! 一度ならず二度も自分から突っ込むなんて…!!」
 セロカの声も耳から耳へと通り過ぎていった。
「ふふふ、飛んで火に入る夏の虫とはまさしくこのことだな。
 まぁよい。その勇気を讃え、苦しまぬよう一瞬で灰にしてくれるわ!」
ポリドリの腕の紅い蛇がさらに太く踊り狂う。
  ところが。
「…なっ、なんだと……!?」
 炎が一瞬大きく燃え上がったかと思うと、みるみるうちにそれが細く小さくなっていく。
「ど…どういうことだっ! これは……」
「こういうことだよ、魔王さん」
「何っ!?」
 ポリドリとセロカ、ガライはほぼ同時に声の出元を振り返った。
…そこには、一輪の『血塗られた希望』が、炎に照らされながらゆらゆら風に揺れていた。

「ちっ、『血塗られた希望』だとっ!? 何故だ! 何故この花が咲いているんだっ!!」
 ポリドリが叫ぶと、その口からどす黒いものがかすかに飛び散った。血のようだった。
「さぁ…なんでだろうな。おれにもわからねぇや」
 『血塗られた希望』の傍らにはアールが立っていた。
いつの間にか三つ編みがほどけ、その長い黄昏色の髪を風に遊ばれるままにしている。
「アール! 大丈夫なのか!」
「大丈夫だってガライ。おれがあんなもんでやられるかよ」
 不敵な笑みを浮かべるアール。それと同時に、彼の足元から若草色の茎が複数伸び、
先端から噴水のような形の赤い花びらを大きく開かせた。
「こ、これはっ……!」
「…そうそう魔王さん、一つ礼を言っとくぜ。
 アンタのおかげで、とってもイヤぁなことを一つ思い出しちまったんだ。どうもありがとな」
アールが言葉を発する度に、彼の足元からは茎が伸び、血の色をした花を次々と咲かせていく。
「おっと、おれだけじゃなく、アンタにとってもイヤぁなことだったかな?」
「……キサマぁっ!!!!!」
 ポリドリが怒りに満ちた声を上げた。辺りを炎が迸り、アールたちに襲いかかる。
その勢いは以前ほどではなかったが、『血塗られた希望』が灰と化すには充分だった。
「ちっ、これでもまだこんなに力があるか…伊達に魔王やってるわけじゃねぇな」
「…まさかあの小娘以外にもこの能力を持つ者がいたとはな。だが、まだ私が負けたわけではない!!
 いくら貴様が花を蘇らせようとも、全て燃やし尽くしてくれるわ!!!」

 いつの間にか、『自分殺しの崖』は真紅の世界と化していた。
天をも焦がさんと燃え上がる炎と、大地を這い風に踊る『血塗られた希望』に染められて。
 ポリドリが『血塗られた希望』を焼き払おうと炎を駆れば、
アールがすかさずまだ焼かれていない大地から、『血塗られた希望』を生え広がせる。
ガライは不慣れな体術で、なんとかポリドリの注意をアールからそらせようとしている。
セロカはアールを魔法で援護しながら、隙を見てはポリドリをやはり魔法で牽制していた。
 しかし、少しずつセロカの息が上がりはじめた。魔法の使い過ぎだった。
「うぁっ!!」
 ポリドリの放った炎を正面から受けてしまい、セロカはよろめき地面にうずくまった。
立ち上がろうと手を地に付き腕を震わせているが、すぐに大地に倒れ込んでしまう。
「セロカ!」
アールの注意が一瞬セロカに向けられた。
「よそ見をする余裕があるのか?」
「!!」
 その隙を見逃さず、ポリドリが巨大な炎を放った。
セロカに気を取られていたアールは炎の帯にたちまち包み込まれてしまう。
「アール!!」
「…ゆ、油断……し…………」
 ドサリと音を立て、アールは地面に崩れ落ちた。
それを見届けると、ポリドリは自分の側に立つ、一人の青年を見据えた。
「これでもまだ抗うつもりか?」
「…決まってんじゃねぇか」
 肩で息をつきながら、ガライはポリドリを睨み付けた。
「愚かな。もはや私の魔力を封じる手段はないのだぞ。潔く死を選ぶのなら楽に死なせてやるものを」
「ふざけんな!! 楽に死ぬ死ねねぇとか、そんなもん俺には関係ねぇんだ!!!
 ここでてめぇをぶっ殺すかぶっ殺さねぇか、それだけなんだよ!!!!」
「しかし、もはや動けるのは貴様だけだ。たった一人で私に敵うとでも?」
「それでもだ!」ガライが叫び、ポリドリに突進しようとしたときだった。
「……一人じゃ、ない…」
「!?」
 いつの間にか、セツラが全身灰だらけになり、足を引きずりながらも剣を握って近付いて来ていたのだ。
「セツラ、まだ動けたのか!?」
「…動くことだけなら、な…」
 笑顔を作り、セツラは前に立つ二人を見た。そして、右手の剣をガライに向け放り投げたのだ。
「ちょっと軽いかもしれないけど…ないよりか、マシだよ…な………」
「セツラ……」
 再び笑うと、セツラはそのまま前のめりに倒れた。
「……セツラばっかり見ないでよぉ〜」
 黄色い声と一緒に白い光が飛んできた。治癒魔法だと気づいた。
「ユリナ!?」
「アタシ、このおっさんだいっきらいだからぁ…エンリョなくさァ、ぶっ殺しちゃってぇ………」
 そしてユリナも地面に崩れる。
それと対照的に、ユリナの治癒魔法で回復したアールとセロカが起き上がってきた。

「なかなか粋なことするもんだね、セツラも」
「ユリナのヤツも、何だかんだ言って結局闘ってくれてたんじゃねぇかよ」
 ガライも、全身を蝕んでいた疲れと痛みが幾分和らいでいるのを確かめた。
「…たった一人じゃなくなっちまったようだぜ、魔王さん」
 言いながら、ガライはセツラから託された剣を拾い上げた。
セツラの言っていた通り少し小さく軽い剣だったが、確かにないよりはマシに思えた。
「…死に損ないめ、ここに及んでまだ悪あがきをするか!」
「死に損ないは、どっちなんだ?」
 アールがニヤリと笑った。
「…うっ! ぐあぁぁぁぁ!!!!!」
 物凄い勢いで、『血塗られた希望』が大地を突き破るように伸びはじめたのだ。
さっきとは比べ物にならないほどの速さで、次々と真紅の花を焼け野原に広げていく。
大地が血の色に染められていくのと比例するように、ポリドリは苦悶の表情を強める。
「やっぱり…ちびちびいくより一気に行った方が効いたんだな」
「…き、キサマぁっ!!!!!!!!」
 ポリドリが炎の弾をアールに向け撃ち出す。しかし突然巻き起こった竜巻に阻まれる。
「あ〜あ、魔力がないとここまで弱っちゃうもんなんだね父さんも。情けないなぁ」
「セ、セロカ…!!」
「僕なんかに構わないでよ父さん。それより、自分の方を心配したら?」
「…っ!!!!!!!」
 はっと振り返ったときには、ポリドリのすぐ側に、剣を構えた青年が走り寄っていた。
「これで、終わりだぁっ!!!!!!!!!」

 ポリドリの胸を、その刃は貫いていた。
先端から紅い雫が零れ落ち、それと全く同じ色をした花びらの上に弾け散る。
 前のめりに崩れ落ちるその体を、まるで母親のように紅い花が優しく包み込んでいく。
 いつの間にか西に沈みかかっていた太陽の光に照らされたその顔は、苦悶の表情を浮かべているが、
今までの彼には見られない、不思議な安らぎのようなものが感じられた。
 長年の呪縛からやっと解放された……そう語りかけているようでもあった。
「終わった…のか?」
 ポリドリの体が完全に花に埋め尽くされたのを見届けた後、ガライはセロカを振り返った。
「終わったよ。父さんも完全に死んだ。もう『血塗られた希望』をいくら燃やしたって復活しないさ」
 無表情で淡々と語るセロカ。夕日で色がわかりにくくなったその横顔は、まるで彫像のようにも見える。
「…よかったのか?」
「え…」
「自分の、父親だったんだろ?」
「…………」
 セロカはわずかに顔を俯けた。
「…いいんだよ。もう500年も前のことだもん、親子の愛なんてとっくに冷めてる。
 それに、僕が父さんを殺そうとした理由は、僕が父さんの息子だから…ってのじゃないんだもん」
「…そっか」
「………親子の、愛………ねぇ……」
 いつの間にか紅い花畑に座り込んでいたアールが口を開いた。
「! そうだ、アール。オマエ、これは一体どういうことなんだ!?」
「……ふわぁ〜、なんか眠くなっちまった……」
「お、おいアール!!」
 ガライの声を聞かず、アールは花畑に横たわった。間もなく聞こえてきた寝息が、やけに心地よく辺りに響いた。

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