疑惑の絵皿

和田好弘



 序章 旅立ち

 ギキィィィン!  甲高い音と共に彼女は相手の剣を弾き飛ばすや、ビッと相手の眼前に剣を突き付けた。
 彼女の顔に凶悪な笑みが浮かぶ。
「それまでっ! 勝者、ヒラオ・カリン!」
 この瞬間、アースト村武芸大会優勝者が決定したのだ。
 審判がカリンの手を天に上げると、たちまち静まり返っていた場内に大歓声が沸き起こる。
 闘技場中央で嬉しそうにパフォーマンスを続ける彼女を見ながら、観客席で一人だけ周りの騒ぎに溶け込まず、ただため息をついた若者がいた。
 はぁ、本当に優勝しちゃったよ……。ばれたら…まずいよなぁ……やっぱり……。
 彼、ロバートは暗い面持ちで闘技場をあとにした。
 一方、場内では表彰式が始まっていた。
 三位、二位と賞金が渡され、そしてカリンの番。 「優勝おめでとう。賞金の百Gだ。いったい何に使うつもりなのかな? わたしにだけこっそり教えてくれんかね?」
 賞金を渡しながら悪戯っ子じみた声で、村長が尋ねた。
「使い道………」
 カリンは手にした賞金をぼんやりと見る。
 空を見上げる。
 地面を井下ろす。
 首を傾ぐ。
 腕を組む。
 そして遂には唸りだす。
「おいおいカリン、なにもそんなに悩まなくても……」
 にまっ!
「決めたっ!」
 村長の言葉を満面の笑みで黙らせると、突如カリンは叫んだ。
「き、決めたって、何をだね?」
「んふふ〜。な〜いしょ」
 怪しげな微笑みを残して、彼女は足取りも軽く選手控え室へと立ち去った。

 一方ロバートは周りのお祭騒ぎとは正反対に、とぼとぼと歩いていた。
「まったく、カリンさんほっといても強いんだから、薬なんて卑怯な真似しなくてもいいだろうに……。おかげであんな圧倒的な勝ち方しちゃって……」
 ポケットに手を入れると、薬の包みが手に触れる。二十倍に薄めた痺れ薬。
 ロバートはカリンに命令されて、対戦相手の控え室に焚いておいたのだ。当然、控え室の空気を吸えば、体が動かなくなることはないまでも、確実に薬がその運動機能を減退させるのである。
 普段とは明らかに違う、鈍い体の動き。
 当然カリンの相手になどなろうハズがない。
「神よ、どうか罪深き私にお救いを……」
 印を組みつつ、思わず祈るロバートであった。

 その晩の事、カリンはベッドに寝ころびながら、これからどうしようか考えていた。いや、正確にはもう決めていた。ベッドの脇には無雑作にザックがおいてある。中身は最低限の着替えと、身の回りのもの。そして賞金の百G。そう、彼女は旅に出るのだ。
もはや近隣に彼女に敵うものはいない。
 さらなる刺激をもとめて、彼女は冒険の旅に出る決意をしたのである。
「どこへいこう……」
 旅出ることを決意はしたものの、行き先が決まらない。
「ふむ……」
 むくりと起き上がって、腕を組む。
「うぅ〜む」
 いろいろと思いを巡らす。
「えぇい、うだうだ考えても仕方ないや。とりあえずモントエスクに行こう」
 相変わらずいい加減な娘である。
 モントエスク、アースト村よりもっとも近くにある商業都市だ。たいていの品物はここで手に入れることができる。旅に必要な足りない物品はここで買えばいいだろう。
「あとは、なるようになれよ!」
それだけを決めると彼女は布団へもぐりこんだ。

 翌朝、朝もやがたちこめる中、カリンは窓からその身を踊らせた。机の上に置き手紙を置いて来たから大丈夫。
 気分は上々。半ばスキップしながら通りを歩いていた彼女は、突然その足を止めた。
 その視線の先には、やたらとドアだけが真新しい家がある。
 そうだ! 僧侶もいたほうがなにかと便利よね。幽霊は剣で斬れないし。
 にまっ。
 彼女は足早にその家に行くと、ドンドンとドアを叩きだした。
「ロバート、ロバート! 起きてるんでしょ! 開けてよ!」
 家庭の主婦もまだ起きていない時間である。さすがに大声は出せない。しかしロバートには聞こえてるはずだ。僧侶である彼は、今頃、朝のお祈りでもしているに違いないのだ。
「ロバート、さっさと開けないとドアこわすぞー!」
 過去、カリンはこういってこのドアを五回破壊している。
「や、止めて下さいよ! いま開けますから!」
 慌てふためきドアを開けると、カリンの満面の笑みが彼を出迎えた。
「どうしたんですか、こんなに朝早く。珍しい」
 カリンの笑みに嫌な予感を感じながら彼は尋ねた。彼女がこういう微笑みをしているときは、何かよからぬ事を思いついたときだけなのだ。
「んっふっふっふ〜。ロバート、あたし旅に出るの」
「旅に出るって……本当ですか? カリンさん!」
「嘘ついてど〜するのよ、嘘ついて」
 ばんばんと肩を叩かれ、ロバートはよろめいた。
「あだだだ! ちょ、ちょっとカリンさん叩かないで下さいよ……」
 この痛み、夢じゃない。夢じゃないんだ! ということは、もうカリンさんにいじめられなくてすむ。
 ああぁ。主よ、ありがとうございます。
「ちょっとロバート、なに呆けてるのよ。さっさと支度しなさい」
「は? 支度? 支度ってなんのです?」
「まったくもって鈍いわね。旅支度よ。た・び・じ・た・く」
 上目づかいにロバートを見ながら、カリンは人差し指を彼の胸にグリグリと突き付けた。
 ロバートは目をぱちくりとさせたまま、ただカリンを見つめている。
「ですけど、旅に出るのはカリンさんじゃ……」
「まぁひどい! こんなかよわい女の子をたったひとりで旅に出すつもりなの? あぁ、きっと私みたいにいたいけで可愛い女の子は、盗賊に襲われてさんざん玩ばれたあげくに、奴隷として売り飛ばされてしまうんだわ」
 盗賊を襲うほうじゃないんですか……?
 床にひれ伏し泣き真似をつづけるカリンを見ながら、ロバートは思った。
 ぴた。
 カリンが突然静かになった。
「あたしがこんなにお願いしてるのに……そうなの。えぇ、そうなの。わかったわよ。それじゃぁ……」
 カリンの声のトーンがだんだんと落ちて行く。
 危険な兆候だ。
「うはははは、支度してきま〜す」
 ロバートは慌てて奥の部屋へと駆け込んだ。
 ううう、主よ、何故このような試練ばかりを私にお与えになるのですか?
 ロバートは泣きたくなった。
「桜花の月二日 早朝 カリンに………」
 おもむろに懐から冊子を取り出すと、ロバートは何事か書き付けだした。これは彼の仕返し帳である。彼は他人からなにかしらの危害を加えられると、いずれ仕返しをするときの為に、こうして記録しているのだ。
 ちなみに、記るしてある内容の七割方はカリンのことである。
 おい、ロバート。こんな陰湿なことをしているから、神様は試練を与えてるんじゃないのか?
 一方、ぽつんと玄関先に残されたカリンは、鼻をひくつかせていた。どこからともなく漂って来るいい匂い。
「そーいや、今朝なにも食べてなかったんだよね」
 勝手知ったる他人の家。カリンは台所に行くと、そこに用意されていたハムエッグとパンを食べ始めた。
 ややあって、
「お待たせしまし……あれ? カリンさん、どこです?」
「あぁ、こっちこっち」
「え、あっ!」
 台所にいって彼が見たものは、優雅にお茶を飲んでいるカリンの姿であった。
 食卓の上には汚れた皿が二枚ある。
「あの、カリンさん。そこにあった僕のごはんは……?」
 愚問であるとは知りながらも、ロバートは尋ねた。
「あれ? これあたしのじゃなかったの?」
 予想していた答え。
「………いいです。今日は食べませんから……」
 しくしくしく。
「それじゃ、出発しようか。グズグズしてるとみつかちゃうからね」
「夜逃げじゃないんですから……」
「ほら、いそぐよ!」
「わかりましたよ。戸閉まりくらいさせてくださいよ。それでカリンさん、いったいどこに向かうんです?」
「ん? モントエスクよ。モントエスク!」
「モントエスク……遠いなぁ」
 ふたりは朝もやの中へと消えて行った。
 かくして彼らの冒険譚が始まる。

つづく


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