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疑惑の絵皿

和田好弘



 第一章  クー・ルシィ

「い〜ぃ天気ねぇ」
 はぁ………
 相も変わらず呑気なカリンにロバートはため息をついた。
 モントエスクへ行くには、山越えをしなくてはならない。少なくともロトック山で一夜を過ごしたいなどと、ロバートは思いたくもない。最近は盗賊の噂など聞かないが、いないとは限らない。
 だが、ロバートの願いというものは、いつも叶わぬ夢なのだ。
 野宿、決定。
 結局、大事を見て、ロトック山の麓で一晩野宿する羽目になってしまった。というのも、カリンがうかれてのんびりと物見遊山よろしく歩いていたからだ。
 とはいえ、生まれてこのかたアースト村から一歩も出たことがないカリンに、浮かれるなというのは無理な話というものだろう。とてもそうは見えないが、カリンは超箱入り娘なのである。もっとも、石工の父親に鍛えられたおかげで、力だけは人十倍ではあるが……
 そして翌朝、いざ山越えである。
「それじゃ、と。はい」
 カリンはとっとと自分の荷物をまとめると、ロバートに突き出した。
「はいって、なんです?」
 ロバート、目の前のカリンの荷物を眺めるて尋ねた。
「えぇっ!? こんなにかよわい少女に、こんなに重たい荷物を持たせるつもりなんて、なんて酷い! 信じらんな〜い」
「信じらんな〜いって、これってカリンさんの荷物じゃないですか。それに僕よりもカリンさんの方が腕力が……… わ、わかりましたよ。僕が持ちます。うう……」
 カリンの無言の微笑みに、ロバートは負けた。
 いつもこうだ……
 かくて二人は山道を登ぼって行く。
「ほらほらロバート、遅いわよ! おいてっちゃうぞ」
「は〜い……」
 既にロバートは大分カリンから遅れていた。
 誰が荷物を持っていると思ってるんだ……
 二時間も歩いただろうか、前方になにやら大きな塊がある。
「カリンさん、なんか落ちてますよ。なんですそれ?」
「うん、人みたいだねぇ」
 いいつつカリンは素通り。
「ちょ、ちょっとカリンさん、待って下さいよ。その人助けないと」
 あわててロバートが、てくてく先を歩いて行くカリンを呼び止めた。
「助けるって……ねぇ、そんな無駄なことして面白いの?」
「無駄なことって、僕は神に仕えている身ですよ。倒れている人を見捨ててなんていけませんよ!」
 ロバートは慌ててその行き倒れに駆け寄った。
 カリンはしぶしぶといった風で戻って来る。
「大丈夫ですか?」
 ロバートが抱き起こすと、いきなりそいつはロバートを羽交い締めにして、喉元にナイフを当てた。
「な、なにをするんですか!?」
「いわんこっちゃない。だからほっとけばよかったのよ……」
 カリンは額を押さえた。
「こ、こいつの命が惜しかったら、食い物と有り金全部おいていけ!」
 女の声。しかしフードをまぶかに被っているため顔はわからない。
 しかしまぁ、全く覇気のない声である。
「あれま。女の盗賊さんだよ」
 カリンは呑気。
「どうした、はやく置いて行かないか!」
「やだ」
「こいつがどうなってもいいのか?」
「いいよ」
 おいおい……
「そんな殺生な。ひどいですよカリンさん」
「あたしのいうことを聞かないからだよ」
「そんなぁ……」
「………人非人………」
 盗賊が思わず呆れてつぶやいた。
「くぅぅぅ。カリンさん、恨みますよ〜。……って、そうだ! 考えてみたら食料やら何やら、全部僕が持ってたんじゃないか!」
「えっ?」
「えっ? あっ!」
 カリンは慌てて腰に手をやった。
 しまった。財布も荷物の中だ!
「ほら、そこの荷物。そこに全部はいってますよ!」
 ロバートは足で荷物を指差した。
「だめよロバート! 一文無しになっちゃうじゃない!」
「僕はまだ死にたくないです!」
 仕返しするまで死んでたまるかぁぁぁぁ!
「ああぁぁぁぁぁもう! 面倒臭いわね! やい女盗賊! いま斬って捨ててやるから覚悟おし!」
 ズンバラリンとカリンは兇器を腰から引き抜き、盗賊に向かって一気に突進した。
「うわぁ、止めてくださいよ! 人殺しー!」
「ちっ!」
 すさまじい形相で走って来るカリンをみるや、女盗賊はロバートをカリンに向け蹴り飛ばした。
「ああぁっ! ロバート来るんじゃない!!」
「無茶ですよぉぉ!」
 二人、ものの見事に激し、もつれてひっくり返った。
「えぇい、ロバート邪魔よ! 早くおどき……って、ロバァァァァトォォォ! どこ触ってんのよぉぉ!」
「えぇ? あ、うわぁぁぁぁ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃ!」
 以外にもカリンの胸は予想以上に大きかった。
 ロバートを蹴りはがして立ち上がると、あらためてカリンは女盗賊に向き直った。
「………ん?」
 女盗賊はなにやら胸の前辺りで手を複雑に動かし、ブツブツとなにごとか呟いている。
「な、なに……?」
「なんだか、おまじないみたいですね……」
「おまじない……? あっ! あれきっと呪文よ! あいつ魔女だわ!」
「魔女!? って、まずいですよ呪文なんか掛けられたら、ひとたまりもありませんよ」
 ロバートはうろたえた。
「かくなるうえは……」
「ど、どうするんです?」
「ロバート! あたしの楯におなり!」
 ロバートの首根っ子を引っ掴んで立たせると、カリンはそのうしろに隠れた。
「うわぁぁ、カリンさんの人非人ー!」
「ロバート、許して、私には家族がいるのよ!」
「僕にだって家族はいますよ〜っ!」
 暫く二人はそうして騒いでいたが、いっこうに魔法は飛んで来ない。
 はて?
 みると女盗賊は、またもうつ伏せに倒れていた。
「ど、どうしたんでしょう?」
「わかるわけないでしょ。ロバート、ちょっと見て来てよ」
 ぐいとロバートを押しやる。
「カ、カリンさん。一緒に行きましょうよ〜」
「い・や・だ!」
 きっぱりとカリンは言った。
「神様〜。憐れなる私をお守り下さいぃぃ」
 じりじりと近づいて行くと、なんだか妙な音がした。
「?」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです」
 ロバートは首を傾いだ。
 ふたたび妙な音。
 この音は……聞き覚えがある。
 そう、それは腹の虫。
 ロバートは再びカリンを振り向いた。
「なによ」
「カリンさん。もうお腹空いたんですか? 今朝あんなに食べたのに」
 ごすっ!
 カリンは一気にロバート駆け寄るや、思い切り殴り付けた。
「な、なにするんですか!?」
「うるさい! さっさと見てこい」
 けっとばす。
「うう、ひどい」
 恐る恐る女盗賊に近づくと、ロバートはすぐ側に屈みこんだ。
「あの、どうしました?」
 カリンはあまりにまぬけなロバートの対応に思わず天を仰いぐ。
 いったいなにやってんのよ〜
「…………………た……」
「えっ?」
 女盗賊はなにかぶつぶつ言っている。
「ねぇロバート、なにかわかった?」
「はぁ。お腹が空いて動けないって……」
 カリンの問い掛けに、珍妙な面持ちでロバートがこたえた。
「………な、なんなのよ? この女盗賊………」
 あまりの馬鹿馬鹿しさにしばらく呆れていたが、やおらカリンはポンと手を打った。
「今度はなんですか? カリンさん」
「ロバート、あんたの食料出して」
「は?」
「いいから出すの!」
「はぁ」
 ロバートは干し肉とパンをとりだすと、カリンに手渡した。
 するとカリンは女盗賊の前にかがみこみ、干し肉をちらつかせる。
「ほ〜らほ〜ら、食べ物だよ〜」
「た、食べ物……お願い、ちょ、頂戴……助けて……」
 女盗賊が震える手を延ばしす。
「そんなに欲しい?」
 笑いを含んだ口調でカリン。
 悪党。
「欲しい……お願い……」
「そう、それじゃぁあたしたちの仲間になるならあげるわよ」
「な、なる。仲間でも…なんでも…なるから……お願い……」
「今いったこと忘れないでね。はいパンに干し肉。それとお水」
 カリンは彼女の手元に食料を全部置いてやった。
「あああ、僕の食料………」
「人助けだと思って、我慢しなさい。助けるつもりだったんでしょ!」
 痛いところをつかれて、ロバートは反論できなかった。
 くぅぅぅ。
 泣くなよロバート。なんか理不尽な気がするのは分かるけどさぁ
「ふぅ、ありがとうございました。なんとか生き返りました」
 女盗賊は被っていたローブのフードを脱ぐと、ペコリと御辞儀をした。
「あれ? あんたエルフ?」
「はい、エルフです。クー・ルシィっていいます」
「ふぅん。で、なんでこんなところで盗賊してるの?」
 カリンが首を傾ぐ。
「いえ、私、ただの魔法使いです。まだ駆け出しですけど。魔法の修行と社会勉強も兼ねて、モントエスクに向かっていたんですけれど、途中で野犬の大群に追いかけられて、荷物を全部無くしちゃったんです。どうにか街道をみつけてここまで来たのいいんですけれど、お腹が空いて……」
「……動けなくなった。そこでまぬけなロバート相手に盗賊まがいのことしたんだ」
「間抜け……」
 ロバート、返す言葉もない。
「はい、すいません。怖かったものですから…… 女がひとりで動けずにいるなんてわかったら……」
 すまなさそうにルシィはロバートをみた。
 可愛い。少なくともカリンの三十倍は可愛いとロバートは思った。
「うんうん、わかるよ。売り飛ばされて終わりだもの。ふ〜む、魔法使いか。ねぇねぇ、魔法って、火とかつけて喜ぶやつでしょ」
 カリンが聞いた。
「間違いじゃありませんけど。それじゃただの放火魔ですよ」
 傷ついたようにルシィがいう。
「どうでもいいから、ひとつお願いがあるんだけれど……」
 目を輝かせてカリン。
「なんですか?」
「あのさ、ちょっとあいつになにか魔法をぶつけてやって!」
「でぇぇぇ! なんて事いうんですかカリンさん!」
 ロバートがうろたえた。
「い、いいんですか?」
「いいっていいって」
「よくなぁぁぁい!」
「あの、嫌がってますけれど……」
 ルシィは不安な顔でカリンをみた。
「かまわないわよ」
 すずしい顔でカリン。
「カーリーンーさーんー!」
 ど、どうしよう……。でもこの人、さっき平気であの人の事見捨ててたしな。断わると私も酷い目にあわされるだろうな……。
「はやくはやく」
「は、はい」
 カリンにせかされ、ルシィは呪文を唱え始めた。
 ごめんなさい! 手加減しますから許して下さいね、ロバートさん。
「『白く輝ける魔力の光よ 我がもとに集いて光の矢を成せ 我が意に従い 我の指し示すものを射ち貫け ENELGY BOLT!』」
 呪文は完成し、魔力の矢がロバートを貫くはずだった。
 だが魔力の矢は、完全な形で、まだルシィの手の内にあった。
 そう、ルシィは立ちくらみを起こしてしまったのだ。無理もない、生き倒れ寸前であったのだ。たとえいま、わずかばかりの食事をしたからといって、すぐに体力が回復するわけがない。さらにルシィは、肉体的にはひ弱なエルフである。
 あ、あれ? そんな、あとは『矢』をつなぎとめてる印を解くだけなのに、め、目がまわる……
 不意にルシィの体がぐらりと傾き、その拍子に、両手の印が解かれた。
 ルシィ意に反して矢は放たれた。その放たれた先には……
「へ? みぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 かくしてカリンは魔法の矢を受け、くさむらにひっくり返った。
「は た、助かったのか?」
 ロバートはしばし呆然としていた。
 カリンは煙を立ち上ぼらせて倒れている。
 ルシィも目を回して倒れている。
「た、助かったんだ! 主よ、ありがとうございます」
 手短に祈るや、ロバートは初めてカリンを打ち倒したルシィに駆け寄った。
 食料の事はいまので帳消しだ、いや、おつりが来るくらいだ。
 ルシィを優しく抱き起こす。
 ロバートは誓った。
 ルシィともに生きていこうと。
 これが打算と、カリンより遥かに可愛いからという理由から生まれた考えとは、本人も気づいていない。
 これもまた、一目惚れといえなくもないのだろう。
 かくして三人目の仲間、クー・ルシィが加わった。一行の冒険はまだ始まってはいない。

つづく


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