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記事No : 1492
タイトル 「自己責任」の嫌な使われ方
投稿日: 2012/05/05(Sat) 13:12:54
投稿者桃青

自己責任って、嫌な使われ方をされがちですね。

嫌な使われ方、その@
ヤクザの論理の「自己責任」
これは
誰かをぶん殴っている者が、ぶん殴っている相手に向かって
「お前がぶん殴られるのは、お前がぶん殴られるようなことをしたからだ。」
と、言うものです。
裏には、「俺にぶん殴られたくなければ、俺の言うことを聞け。」
がある。

こういう「自己責任」を使うのはヤクザばかりではありません。
神様も使います。
「救われたければ、○○せよ。○○するかしないかは、選ぶのは自由だ。救われるか、地獄へ落ちるか。結果は自己責任だ。」
こうなると脅しですね。
どことは言いませんが、契約宗教と言われるところの神様が言っていることを平たく言えば、そういうことです。

「俺がお前をぶん殴るのは、俺にぶん殴られるようなことをしたお前が悪い。」
と書けば、その他罰的思考ぶりがよくわかりますが、そこに変に「自己責任」を持ちだされると、殴られているほうも「そうかもしれない。」「このひとの言うとおりにしない私が悪いのだ。」と、なって行きがちです。

でもね、自己責任を言いたてるひとにかぎって、こういう他罰的な論法を使いたがるのですよ。
自己責任を言いたてるひとをじっと見ていてごらんなさい。
そのうち必ずもの言いが他罰的になって来ますから。

何事も自己責任で見ることになれてしまうと
「自分があいつを攻撃するのは、自分が攻撃したくなるような態度をあいつがしているからだ。自分のしたことの結果は自分で引き受けてもらわなくてはな!」
としか考えられなくなったり、
殴られている者がいれば
「さだめし殴られるだけのことをしたのだろう。」
としか思えなくなるようなんですね。
困ったものですね。


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