愛のあかし


第4章

 南の都の南西13キロ地点。ヤシの木が生い茂る、周囲が5キロほどの小さな島がぽつんとひとつ海に浮かんでいる。島の大部分を占める森に生息する極彩色の鳥と小さなけものたちを除けば、この島に住む者はただふたり――
「ヤムチャさま、静かですねえ」
「ほんと気が休まるよなあ」
 森の入り口に張ったテントのそばにタープを張り、その下に白いテーブルを置いて、ヤムチャとプーアルはお茶を飲みながら午後のひとときをくつろいで過ごしていた。
「でも、のどか過ぎてそろそろここにも飽きてきたなあ。次は都会へ出てみようか、プーアル」

 そうですねえ、とプーアルが答えようとした時、にわかに不吉な黒雲が南国の青空を覆いはじめ、遠くで雷鳴が不気味な音をとどろかせた。鳥の群れは色とりどりの塊になって一目散に島から逃げ去り、けものたちは木から木へ飛び移ったり、穴に潜ったりして、必死に森の奥へ地面の底へと姿を隠そうとしている。

 ずぞぞぞぞ……という悪寒と共に、ヤムチャの背中の毛が逆立った。
「な、なんだ!? この邪悪な気は」
「ヤ、ヤムチャさま、見て」
 プーアルが震える手で指し示す方へ目をこらすと、はるか水平線のかなたから白い波を左右に蹴立てて海がふたつに割れ始めた。
「ひいぃぃいぃ。世界の終わりかも」プーアルは空中に浮かんだまま、あわあわと震えている。
「待て、あれは」
 ヤムチャはさらに目をこらした。数百メートルの高さにまで上がった左右の波しぶきの間に、小さな黒い影が浮かんでいる。すさまじいスピードでこちらへ向かって海面すれすれに突進してくるそれが、風を巻き起こし海を切り裂いているのだった。

「ベ、ベジータ……!!」
 その名を口にするより早く、黒い影はヤムチャの前に降り立った。息が少し乱れているのは、猛スピードで世界の果てから飛んできたからというより、興奮しているためらしい。
 ベジータが飛んできた勢いでテントもタープも吹っ飛んでしまった。まるで「3匹のこぶた」のオオカミだなと思ったが、とてもそんなことが言える雰囲気ではない。
 ベジータの鋭い目はさらに険を帯び、はっきりと殺意すら感じられる。5メートルほどの距離をおき、ヤムチャはベジータと向き合ったままその場に凍りついた。

(なぜだ? なぜオレがベジータに殺意を持たれなきゃならないんだ?)
 じわりと恐怖がヤムチャの喉を絞め上げる。こんな恐ろしいベジータは初めてだ。目の前のやつに比べれば、ワルだった頃のベジータなんて、かわいいやつだったよな。
 ヤムチャはごくりと生唾を飲んだ。
(ま、まさかこいつ、またバビディみたいなやつに洗脳されてワルに戻っちまったんじゃ……そ、それで今度はほんとに人類を滅亡させるつもりじゃ……。だけどよりによって、真っ先にオレのところへ来なくても)
 じっとヤムチャを睨みつけていたベジータの目が、じろりとあたりをうかがうように動いた。ひっ、とプーアルがヤムチャの後ろで息を呑む。

 息詰まるような沈黙。

 ぎら、とベジータの目が暗く光った。おろしていた両手をゆっくりと上げ、両脇で拳を握り締める。ヤムチャの背筋に冷たい汗が流れた。
(こ、殺される。―――しまった! 一回くらい結婚しとくんだった。プーアル、おまえだけがオレの理解者だったよ。今までありがとう、プーアル。……プーアル!?)
 ヤムチャは相棒の気を探り、愕然とした。
 プーアルの気が消えている。

(かわいそうに……あまりの恐怖で心臓が止まっちまったんだな。オレも今行くぞ。待っててくれ。思えば波乱万丈の人生だったよな。16の歳に悟空やブルマと出会ったのがすべての始まりで――)
 ヤムチャの回想が初めての天下一武道会にさしかかった時、沈黙を守っていたベジータがこわばった顔のまま、ようやく口を開くそぶりを見せた。
 恐怖と絶望でしびれたようなヤムチャの頭に緊張が走る。
 ベジータは引きつった笑みを浮かべて言った。
「げ、元気か……」
 反射的に口を動かし、ヤムチャは答えた。
「あ、ああ」

「………………」
「………………」

「………………」
「………………」

「………………」
「………………」

 朝礼で倒れる生徒のように、気の遠くなりかけたヤムチャの頭がくらくらと小さく揺れ始めた頃、ベジータは微笑を貼りつかせたまま、また口を開いた。 
「……それならいい。邪魔したな」
 ヤムチャが正気に戻る前にベジータは空へ飛び上がり、そのまま来た方向へ去っていった。


 全身の力が抜け、ヤムチャはその場にへたりこんだ。
「なんだったんだ……今のは」
 ハッと気づいて振り向き、プーアルに駆け寄る。
「プーアル!!」
 プーアルは空中に浮かんだまま気絶していた。
「よ、よかった。死んじまったかと思ったぜ。だけどベジータのやつ、いったい何の用だったんだろう」


 ヤムチャが奇妙な訪問者に頭をひねっていた頃、ベジータは既に西の都の上空近くまで戻って来ていた。
「ちっ、まったく、余計なことさせやがって。ブルマのやつ」
 カッとなってヤムチャのところへ乗り込んだはよかったが、着いてブルマの気を探ったとたん、来ていないことがわかり、どうやって訪問の意図をごまかしたものかとベジータなりにあれこれ悩んでいたのだった。
(ふん、オレともあろう者があんな女の戯れ言を真に受けて走り回るとは……)
 スピードを落とし、カプセルコーポのベランダに降りようとしていた彼は、次の瞬間、ギョッとして空中で止まった。

 いいわよ、ヤムチャか孫くんに頼むから!

 ヤムチャ――か

 孫くん――!?

 長年の宿敵として追いつづけた男のマヌケ面が浮かんでくる。
「オ、オレともあろう者が―― 一番危険なやつを見過ごしていたぜ!」
 ベジータはそのままくるりと体の向きを変え、パオズ山めがけ躍起になって飛んで行った。

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