ふたりの休日
  

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第5章

「つぎー、次はこの曲だ。さあ、誰がオラと一緒に歌うだ?」
 ステージでがっちりマイクを握りしめたチチが、ボックス席の男たちに目をやった。
「ぼ、僕、ちょっと腹が痛くなってきて……」
「オ、オレもパス」
 もう27曲もぶっ続けでデュエットの相手をさせられている彼らは、ぜいぜい肩で息をしながら口々に断った。

 ブルマはテーブルに頬杖をついたままうとうとしている。彼女としては彼らの誘いを断るつもりだったのに、「デュエット」の一言を聞いたとたん、チチは二つ返事でOKしてしまった。どうやら彼女は想像した以上のカラオケフリークらしい。
(でも、ま、いいか)
 苦笑して、再びブルマは眠りの中に吸い込まれていった。


 デュエットの相手がいないのでチチは仕方なく、それでも嬉々として、ひとりで両方のパートを歌いだした。
 男たちは額を寄せ合ってひそひそと相談をはじめている。
「おい、どうすんだよ。なんか違うんじゃないか、こういうのって」
 金髪の男にこづかれ、ピアスの男は声を落として相棒をなだめた。
「もうちょっと我慢しろよ。こんないい女が二人もつきあってくれるなんてそうそうないって。ちょっと変わってるけどな」
「かなり、だ」と、いまいましそうに金髪の男は訂正した。
「オレはカラオケの特訓に来たんじゃないんだ。聞けよ、この声。ちくしょう」
 彼の声はしゃがれていた。
「もっとムードのある場所へ移ろうぜ。カラオケのないところへ。絶対モノにするんだ」

 仲間の提案にうなずくと、ピアスの男はチチが歌い終えるやいなや盛大に拍手をし、声をかけた。
「いや〜、すばらしかった。最高だよ。じゃあ、そろそろカラオケは終わりにして――」
「いんや、ダメだ」チチは無慈悲に言った。「いよいよこれからおらの十八番を歌おうってとこだべ」
「そ、それじゃ、次でラストってことなんだね」彼はホッとしたように言った。
「何言ってるだ。おらの十八番は56曲あるだよ」

 声にならない悲鳴を上げている男たちに向かって、チチは得意げに微笑んだ。もう我慢がならないというように金髪の男が椅子から立ち上がる。テーブルの下に置いてあったチチの買い物袋が倒れ、中から長ネギが飛び出した。男がそれを知らずに踏みつけているのを見てチチは絶叫した。
「おらの長ネギがーっ!!」
 あわてて駆け寄り、男の足の下から長ネギを引っこ抜くと、足をすくわれた男は勢い余ってテーブルもろともひっくり返り、頭をしたたかに床に打ち付けた。グラスや皿の割れる派手な音がして、店内は騒然となった。


「いってえ〜。な、何てことしやがるんだ」
 金髪の男が情けない声を出した。そんなことなどお構いなしにチチは長ネギの心配をしている。後頭部を押さえながらようやく立ち上がった男にむかって彼女は叫んだ。
「何てことすんだはこっちのセリフだ。おめえ、よくもおらがせっかく悟飯のために買った長ネギを台無しにしちまっただな! 悟飯は長ネギがたーっぷり入った麻婆豆腐が大好きなんだぞ!!」
「御飯は麻婆豆腐が大好きって……何ワケわかんないこと言ってんだよ。やっぱり変だぜ、この女」
 金髪の男は仲間を振り返った。ピアスの男も当惑して首をひねっている。

「さっきからうるさいわね! せっかくひとがいい気持ちで寝てたのに」
 ブルマが思い切り不機嫌な表情で、ゆらりと立ち上がった。寝起きの悪さでは天下一品の彼女だ。
「さんざん音痴な歌につきあってやったんだからさあ、今度はオレたちにつきあえよ」
 いいかげん頭に来ていた金髪の男がしびれを切らして言った。その言葉がチチの逆鱗(げきりん)に触れた。
「音痴な歌とは何だ! おめえ、言ってはならねえことを言ってしまっただな!」
「まあまあ……もうカラオケはいいからさ、もっと静かなところへ行こうよ。ペアに分かれてさ」
 ピアスの男がとりなしながらチチの腕をつかんだ。
「なにするだ! かよわい女に向かって」
「やめなさいよ!」
 止めに入ろうとしたブルマの腕を金髪の男が引っ張った。
「おっと、あんたの相手はこっち」

 答えるより先にブルマは男の腕を振り払うと、足もとに転がっていたチチの買い物袋から白菜を素早く拾い上げ、男の脳天めがけて振りおろし、ぐしゃっと潰してしまった――頭ではなく白菜のほうを。
 金髪の男はよろけて隣のテーブルの上のグラスをなぎ倒しながら床に倒れた。周りの客から歓声と悲鳴が起こる。
 チチも違う意味で悲鳴を上げた。
「明日のおかずが! 悟天の好きな八宝菜にするつもりだったのに」

 ブルマは両腕を腰に当てて金髪の男の前に仁王立ちになった。
「ふんっ、冗談じゃないわよ!」
 勝ち誇ったように言い放ったあと、恨みがましくこっちを見ているチチのほうを向いて、「ゴメン」と謝った。その隙に態勢を立て直した金髪の男がいきなり後ろからブルマを羽交い締めにした。
「暴力はいけないなあ」
「ちょっと、放しなさいよ!」

「こらーっ、ブルマさに何すんだ!!」
 駆け寄ろうとしたチチの目の前に、ピアスの男が立ちふさがった。
(ちょっとやばいかもね)
 さすがのブルマもこの窮状に、血の気の多い自分のふるまいを後悔しかけたが、そこは勝ち気で飛ばしている彼女のこと、口から出たのは、かえって火に油を注ぐような啖呵(たんか)だった。
「放しなさいって言ってるでしょ、このうすらトンカチ!! あたしに気やすく触ると命がないわよ!!」

 次の瞬間、金髪の男の顔に赤みが差し、彼は怒りの形相でさらにブルマの腕を締め上げた。彼女が苦痛の悲鳴を上げたとたん、男の腕から急に力が抜けたかと思うと、その体がぐらりと傾いて、そのまま床にどうと倒れ伏した。
 あっけにとられて見ていたブルマが顔を上げると、チチが亀仙流の構えで目の前に立っている。チチの手刀が男の首に決まったのだ。
 ふと見ると、ピアスの男も鮮やかに技を決められて床にのびていた。
「ありがとう、チチさん! 助かったわ」
「ふふん。おらの腕もまだなまってねえだよ」
 得意げにいくつかの構えをして見せるチチとブルマの耳に、近づいてくるパトカーのサイレンが聞こえてきた。騒ぎを遠巻きにしていたバーの店長が呼んだらしい。


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